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ウクライナ


ドナルド・トランプとウクライナ論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ドナルド・トランプとウクライナ論争は、2019年に行われたドナルド・トランプによるウクライナへの働きかけと、それを問題視して弾劾手続の開始を模索する民主党による論争。

ウクライナのガス会社をめぐる疑惑
アメリカ合衆国副大統領2020年アメリカ合衆国大統領選挙への立候補を目指すジョー・バイデンの次男であるハンター・バイデンは、2014年から2019年まで、ウクライナ天然ガス会社であるブリスマ・ホールディングスの取締役を務めていた。同社は、2016年までに何らかの疑惑を抱えウクライナ検察当局の捜査対象となっていたが、父親のバイデン副大統領がウクライナを訪問した際に同国の検事総長を罷免するよう要求すると、まもなくウクライナ議会は検事総長を罷免。会社は、検察当局からの追及を免れていた。
2019年7月25日ドナルド・トランプ大統領は、ウクライナへの軍事支援を進めているタイミングでウォロディミル・ゼレンスキー大統領と電話で会談。秘密裏にバイデン親子のウクライナにおける活動について捜査するよう要請していたが、同年8月頃、会談の内容が何者かの手で明るみになった。ナンシー・ペロシ下院議長を始めとした民主党議員らは、職権乱用であるとして大統領の姿勢を一斉に批判し始めた

大統領弾劾手続きの模索
民主党側は、2017年のトランプ政権誕生以降、大統領選挙におけるロシアとの共謀疑惑などを足がかりに大統領弾劾を模索してきた。明るみになったウクライナへの要請は、軍事支援を背景とした干渉で、国の安全保障と引き換えに政敵への妨害を試みたとの解釈もできることから、大統領の弾劾に向けた新たな材料となった。2019年9月24日、ペロシ下院議長は民主党の会合後、弾劾調査を開始すると発表した。
  2019年9月26日、トランプ側は電話会談の記録を公表。ウクライナ側に捜査を促す発言はあったが、軍事支援関連のやりとりはなく「いかなる圧力もなかった」と改めて主張した。また、ウクライナのゼレンスキー大統領も、会談記録の公表に合わせてトランプからの圧力を否定するコメントを発表した
  2019年10月8日、トランプは証人喚問や証拠提出を求める下院民主党に反発し、ペロシらにあてた書簡で弾劾に向けた調査には協力しないと表明。全面対決の姿勢を鮮明にした。弾劾に関してホワイトハウスの顧問は、ペロシらあての書簡の中で手続きを始めるためには下院本会議で採決にかける必要があると主張。一方の民主党側は、下院本会議での採決は憲法で義務付けられていないと指摘して対立した。
  2019年10月9日、ウクライナ論争の切っ掛けを作ったったジョー・バイデンは、ニューハンプシャー州で行われた選挙集会に出席。「トランプが国を裏切り就任宣誓を破った」、「大統領は弾劾されるべき」として初めてウクライナ論争に関する批判を行った。民主党から大統領選への立候補者を選ぶ戦いで終始リードしてきたジョー・バイデンではあったが、夏場以降、健康問題なども加わり支持率が低下。批判を行った前日には、二番手候補だったエリザベス・ウォーレンに支持率で逆転を許したとする調査結果も現れていた。


BBC NEWS JAPAN(https://www.bbc.com/japanese/48008943)
コメディー俳優が大統領に ウクライナでゼレンスキー氏が勝利

ウクライナで21日、大統領選挙の決選投票が行われ、コメディー俳優のヴォロディミル・ゼレンスキー氏(41)が勝利した。出口調査での得票率は73%と、
     現職のペトロ・ポロシェンコ大統領の26%を大きく上回った。ポロシェンコ氏は敗北を認めている。
  ゼレンスキー氏はテレビ番組で大統領を演じたことがあるが、政治キャリアはない。3月30日に行われた第1回投票では30.4%で第1位だった
  ゼレンスキー氏は勝利演説で、「私は絶対に貴方たちを失望させない」と述べた。「まだ正式な大統領ではないが、ウクライナ国民として、全ての旧ソ連国
     に言いたい。私たちを見てほしい、不可能なことは何もない!」ウクライナでは大統領が安全保障や国防、外交政策などに大きな権限を持つ。

ゼレンスキー氏とは?
政界でのキャリアがないため、ゼレンスキー氏の選挙活動は他の候補との違いを強調するもので、確固とした政策案などは打ち出されなかった。
  それにもかかわらず、第1回投票では30%以上の票を獲得し、ポロシェンコ氏の17.8%を大きく上回った。アナリストは、ポロシェンコ政権に幻滅した有権者が、
     ゼレンスキー氏の形式ばらないスタイルや、汚職撲滅の約束に飛びついたとみている。
  従来の選挙活動の戦術に囚われず、汚職の排除や富豪による権力掌握を緩和することを約束し、ドラマのキャラクターを自分に結び付けた。一方、
     ゼレンスキー氏は富豪のイホリ・コロモイスキー氏との関係が取りざたされており、信用できるか疑わしいとの批判もある。国内で有力な富豪らを退け、
     ロシアのウラディミール・プーチン大統領に対抗できるか疑問だという声も挙がっている。
  ゼレンスキー氏はウクライナのテレビドラマ「Servant of the People(直訳:国民のしもべ)」で、アクシデントで大統領になってしまう教師を演じた。この教師は、
     政界の汚職について激しい口調で批判。ソーシャルメディアで拡散され、それがきっかけで大統領になる。
  ゼレンスキー氏はこの番組名と同じ名前の政党から立候補した。政界でのキャリアがないため、ゼレンスキー氏の選挙活動は他の候補との違いを強調する
     もので、確固とした政策案などは打ち出されなかった。それにもかかわらず、第1回投票では30%以上の票を獲得し、ポロシェンコ氏の17.8%を大きく
     上回った。
  アナリストは、ポロシェンコ政権に幻滅した有権者が、ゼレンスキー氏の形式ばらないスタイルや、汚職撲滅の約束に飛びついたとみている。従来の選挙活動
     の戦術に囚われず、汚職の排除や富豪による権力掌握を緩和することを約束し、ドラマのキャラクターを自分に結び付けた。一方、ゼレンスキー氏は
     富豪のイホリ・コロモイスキー氏との関係が取りざたされており、信用できるか疑わしいとの批判もある。国内で有力な富豪らを退け、ロシアの
     ウラディミール・プーチン大統領に対抗できるか疑問だという声も挙がっている。

「先行き不透明で予測のつかない状況に」
現職のポロシェンコ氏は出口調査の結果が出た段階で、「この選挙によって、我々は先行き不透明で予測のつかない状況に置かれた」と述べた。その上で、
     「私は大統領職を去るが、政界から引退しないとはっきり言っておく」と話した。ポロシェンコ氏は2014年、それまでの親ロシア派の政権を覆す形で大統領
     に就任した。
  ロシアはこの年の3月にクリミア半島を併合し、国際的な批判を浴びている。これ以降、ウクライナ国内では、東部の分離派とウクライナ軍の紛争がこう着状態
     に陥っている。ポロシェンコ氏はツイッターで、「新しい、経験不足のウクライナ大統領は(中略)すぐにロシアの影響下に戻ってしまうかもしれない」と述べた。
  一方ロシアの外務省は、ウクライナの有権者は政治に変化が欲しかったのだと指摘した。グリゴリー・カラシン外務次官は国営メディアRIAノヴォスチの取材に
     対し、「新たな大統領は、支持者の願いを理解し実現しなくてはならない。もちろん、内政だけでなく外交についても」と語った。なおゼレンスキー氏は
     記者会見で、分離派との和平交渉を「再開」すると話した。「ミンスク協定を続行する。(中略)協議を再開するつもりだ」「担当者を変えるつもりだ。
     いずれにせよ、これまでの(停戦合意の)ミンスク協定の方向性で、停戦を履行する方針だ」


ウクライナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ウクライナ(ウクライナ語: Україна[ukrɑˈjinɑ])は、東ヨーロッパ国。東にロシア連邦、西にハンガリーポーランドスロバキアルーマニアモルドバ、
     北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。

概要
16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石石炭など資源立地指向
     の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。
  キエフ大公国13世紀モンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国ポーランド王国に属していた。17世紀から18世紀
     の間にはウクライナ・コサック国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦赤軍
     制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い独立した。
  本来の「ルーシ」「ロシア」とは、現在のロシア連邦よりもウクライナを指した。歴史的・文化的には中欧東欧諸国との関係も深い。
国名
ウクライナの最高法規たるウクライナ憲法によると、当国の正式国号は「Україна」([ukrɑˈjinɑ])である[3]。日本語の表記は「ウクライナ」となっている[注釈 1]
     漢字表記は現在の日本では滅多にされないが、「宇克蘭」[4]、または「烏克蘭」[5]。公式の英語表記は「Ukraine」(ユークレイン)である。
  「ウクライナ」というスラヴ語の地名の初出は、「ウクライナ」(Ѹкраина[注釈 2]という形で『原初年代記イパチー写本の『キエフ年代記』、1187年
     条である[6]。この地名は、キエフ公国チェルニーヒウ公国と並んでルーシ大公国の歴史的中枢地に含まれるペレヤースラウ公国の範囲を示している。
     また、この地名は他のルーシ年代記に1189年の条[7]1213年の条[8]1280年の条[9]にも「ウクライナ」あるいは「ヴクライナ」(Вкраина)という
     形で登場し、ガリツィア地方、ヴォルィーニ地方、ポリーシャ地方を指す用語として用いられている。
  13世紀にルーシ大公国が滅び、その中部・南部の地域がリトアニア大公国ポーランド王国に併合されると、「ウクライナ」は併合地の領域を表す地名として
     リトアニア・ポーランドの年代記や公式文書などに使用されるようになる。14世紀から17世紀にかけて広義の「ウクライナ」はルーシ人が居住する
     ガリツィア地方、ヴォルィーニ地方、ポジーリャ地方、ブラーツラウ地方とキエフ地方の範囲を示し、狭義の「ウクライナ」はキエフを中心としたドニプロ川
     の中流域を示している[10]
  「ウクライナ」の地名の両義性は、ウクライナ・コサックヘーチマン国家が誕生する17世紀半ば以後にも東欧の古文書にもみられる。狭義の「ウクライナ」
     は当国家の支配圏を指しているが、広義の「ウクライナ」は当国家の支配圏外のルーシ人の居住地を意味している[11]。しかし、ヘーチマン国家が
     ロシア保護国になることにより、「ウクライナ」はドニプロ川の中流域だけを意味するようになり、17世紀以降はルーシの本土を意味する小ルーシ
     という地名の同義語となった。
  19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ルーシ系の知識人による民族運動が発展していくに連れて、「ウクライナ」はルーシ人が居住する民族領域を意味する
     名称となり、「ルーシ人」は「ウクライナ人」という民族名に取って代わられた[12]1917年に成立したウクライナ人民共和国において初めて、「ウクライナ」
     という名称が正式な国号の中で用いられることとなる。








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