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2019.12.19-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191219/k10012220381000.html
サハロフ賞にウイグル族学者 娘が国際社会に支援訴え

EU=ヨーロッパ連合の議会が人権を守る活動に貢献した人に贈る「サハロフ賞」の授賞式がフランスで行われました。ことしの受賞者は中国の少数民族ウイグル族の権利擁護を訴え、中国当局に拘束・収監された学者のイリハム・トフティ氏で、本人に代わってアメリカ在住の娘が賞を受け取りました。
ことしの「サハロフ賞」を受賞したウイグル族の経済学者、イリハム・トフティ氏(50)はウイグル族の権利擁護のほか、漢族との融和や相互理解を長年、訴えてきましたが、5年前、中国当局に拘束され、その後、国家の分裂を図った罪で無期懲役の判決を受け、現在、服役中です。
  フランスのストラスブールにあるヨーロッパ議会で18日、行われた授賞式には、アメリカに暮らす、娘のジュハールさんがイリハム氏の写真を手に出席し、本人に代わって賞を受け取りました。
  ジュハールさんは「父が今、どこにいるのか、そして生きているのかさえわかりません。それでも、この場に来られない父に代わってお話できることをうれしく思います」と述べました。
  そのうえで新疆ウイグル自治区の現状について「ウイグルの人々は信仰や言語、文化など基本的な権利すら否定され、何の自由もありません。100万人、あるいはそれを超える無実の人々が収容所に入れられ、拷問されたり、亡くなったりした人もいます」と述べ、国際社会の支援を訴えました。


2019.12.17-Goo!!ニュース-https://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/asia/sankei-wor1912170017.html
アフガン情勢 国連安保理会合 IS銃撃倍増 中村さん追悼相次ぐ

【ニューヨーク=上塚真由】国連安全保障理事会は16日、アフガニスタン情勢に関する公開会合を開き、治安の悪化を指摘するグテレス事務総長名の報告書を提出した。また会合では殺害された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師、中村哲さんを追悼する声が相次いだ。
 報告書によると、中村さんが殺害された東部のナンガルハル州などでイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の関与が疑われる銃撃事件が今年は194件発生し、昨年の94件から倍増したと指摘。治安の悪化に伴い人道状況も深刻化しており、人道支援を必要とする人は今年の630万人から来年には938万人に増えるとの試算を明らかにした。
 また、会合ではアフガンのラズ国連大使が「アフガンの人々はいまなお中村さんの死を悼んでいる。日本とアフガンの人々の愛と友情の象徴として記憶される」と述べた。国連アフガン支援団(UNAMA)の山本忠通代表は「中村さんの死はアフガンの人々に強い衝撃を与えた。人道支援活動家への攻撃はどう考えても正当化できない」と強調した。このほか米国、フランスなどが事件を非難し、中村さんを追悼した。


2019.12.13-NEWS WEEK-https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/21-27.php
「平和は目的でなく、結果でしかない」-21世紀に生きる私たちへの中村哲医師のメッセージ

<アフガニスタンのイスラム教徒のために命がけで活動してくれた中村哲医師の言葉を今こそ心に刻みたい>
(1)
誠に悲痛な出来事である。アフガニスタンで活動する中村哲さんの訃報が伝えられて、何だか悲しくて悔しくてたまらない。同時に、同胞であるイスラム教徒のアフガニスタン人や、困窮を強いられている人々のために何もしてやれなかった自分が恥ずかしくて情けない。理屈ではなく義理と人情の人だった中村医師。見知らぬ土地や人々のために命がけで人生を捧げてきた中村先生のまっすぐな生き様と、その姿は眩しいほど神々しい。
  「そこに住んでいる人たちと良い信頼関係があること。これが武器よりも一番大切なことだと思うんですよね」と語っていた中村医師。暴力や衝突などが絶えないこの世の中でも、絆や信頼関係が築く小さな平和を噛みしめ、その意味について問い続けていた。そして、その答えに出会った場所は意外にも世界に見捨てられたアフガンの地だった。

1986年から中村医師は、医師がいないアフガニスタンの山岳部で医療支援の活動を始めた。当時や、多くの地域では今も汚れた水しか飲むことができないアフガニスタン人のために「薬よりきれいな水を」と、井戸掘りや灌漑用水路の建設の支援事業に取り組んだ。
  中村医師が取り組んだ灌漑用水路建設のおかげで、アフガンの荒れ果てた大地に少しずつ緑が戻ってきた。その上で、1万6500ヘクタールの土地に水を送り、およそ65万人分の食糧を確保することが可能となった。「生きる条件を整えることこそ、医師の務め」との信念を貫いた。
  中村医師は、国際社会が強いるさまざまな形のダブルスタンダード(二重規範)を常に非難していた。2001年9月の同時多発テロを受けて、アメリカは10月にアフガニスタンに対して空爆を行った。そのときも中村医師は、超大国アメリカの武力による解決を批判した。アフガニスタンへの自衛隊派遣に対しても「有害無益」だとして批判的な考えだった。
  中村医師が語る言葉とその行動に、私はなぜか「品格」という言葉を良く連想する。十数年も前に話題を呼んだ本「国家の品格」ならぬ人間の品格だ。そのためか、自分を含む多くのイスラム教徒は中村先生が語る奥深い言葉と行動に「真のイスラム教の理想郷」を感じるのである。平等や助け合いの精神、偽りなく生きることこそイスラムの根幹をなす教えとその思想であるが、中村先生はそれを体現していたように思えてならない。彼の生き様はまさにイスラム教が理想とするそのものだったと、多くのイスラム教徒は賞賛する。
  アフガンの人々のために尽くした中村先生は、奥深い数々の言葉を残している。心に残るものを一つ選べと言われたら、これを挙げたい。
  「みんなが泣いたり困っているのを見れば、誰だって『どうしたんですか』って言いたくなる。そういう人情に近いもんです」
  「ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない『素直な心』を持とう」
(2)
やはり1つだけは選べない。こうして中村医師の言葉を読み返してみると、コーラン(イスラム教の経典)にも記されている寛容や助け合いの精神とその感覚は中村医師が身をもって実践していたものだと分かる。


  (中村医師が言うには、昔も今も、また未来においても人間が生きていくうえで変わらないことがある。そのことについて自分の著書でこう締めくくっている。
しかし、変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。「天、共に在り」)


今の世界の多くの国では、「王様は裸だ」と言えない状況になっている。また、国際社会は偽善であふれている。欧米の人々が言う人権、平等、自由などは偽善にしか見えない。
  一方、イスラム社会も同じように偽善であふれている。アラブ諸国の政府や国民の多くは、言うこととやることがまったく矛盾している。イスラム教は平和な宗教のはずだ。しかし、イスラム教徒である私たちの生活はまったく平和とは言えない状況である。相手の考えを尊重し、共存共栄することや、異教徒を受け入れる、また嫌なことをされても寛大な心でそれを赦すことこそ、イスラム教が最も大切にしている理念だ。にもかかわらず、われわれの社会は暴力に訴える人であふれている。
  中村医師の数々のメッセージは、イスラム教徒の私たちにも平和の本当の意味を諭しているように思う。中村医師は「自分のしていることは平和運動ではない。農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる......平和は結果でしかない」と語っていた。つまり、平和は目的というよりプロセスにすべきである。なぜなら、平和を目的にしてしまうと、関係者や当事者のそれぞれのエゴの下で争いが起きてしまうのだ。
  12月2日に中村医師が西日本新聞に寄せた文章でこうつづっていた。「国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ――終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」
  終末的世相の中で、異国の地で心温まる絆を見出した中村医師は私たちに何を諭し、そして何を啓示したのかを見極めたいものだ。


2019.12.12-NEWS WEEK-https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/post-13589.php
「英雄」中村哲医師、誰になぜ襲われた? 水利権トラブルに巻き込まれた可能性も
(※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。)

(1)
アフガニスタンで、緑化事業などに取り組んでいた中村哲医師が殺害された。医療施設拡充や灌漑事業に尽力した「地域の英雄」(アフガンのガニ大統領)が犠牲となった痛ましい事件だ。
  9日までに2人が逮捕され、武装グループによる計画的事件ということは判明しているが、「犯人は誰で、なぜ犯行に至ったのか」という点は謎のままだ。当初はイスラム過激派によるテロの可能性が取り沙汰されたが、犯行声明もいまだ出ていない。浮上しているのが現地での「水利権」が悲劇を生んだとの見方だ。
強い殺意がうかがえる犯行
事件が起きたのは4日、パキスタンとの国境に近い東部ナンガルハル州の州都ジャララバードだ。
  複数の現地報道を総合すると、中村医師は現地時間4日午前8時ごろ宿舎を出発し、25キロほど離れた用水施設の工事現場に向かっていた。武装グループは自動小銃AK47(カラシニコフ)や拳銃で武装し、2台の車に分乗し、中村医師の車を追走。行く手を遮った後、一斉に銃撃を加えた。まず、ボディーガード4人を殺害し、その後、運転手と助手席の中村医師に発砲したもようだ。
  負傷した中村医師が起き上がったところに、武装グループはとどめを刺すように銃弾を浴びせかけ、現場から逃走した。中村医師の日々の通行ルートを把握していた計画性と、確実に命を奪おうとしたことから強い殺意がうかがえる。
  犯人像は絞り込めていないが、地元かその近郊出身者であることは確実視されている。武装グループはアフガンからパキスタンにかけて見られる民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、地元での主要言語の1つであるパシュトー語で会話していた。ナンガルハル州政府は全員が男で総勢5~7人程度との見方を示している。
  アメリカの同時多発テロを受けた2001年の米英軍のアフガン侵攻以来、アフガンの治安情勢が泥沼化しているのは周知の事実だ。テロや戦闘などによる民間人の死傷者は、2014年から5年連続で1万人を超えた。
(2)
反政府勢力タリバンに加え、近年はイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が競うようにテロ攻撃を行う。犯人として念頭に浮かぶのは、このどちらかだ。タリバンは事件当日、即座に「復興分野で活動するNGO(非政府組織)はイスラム首長国(タリバン)と良好な関係を持っている。それらは軍事的標的ではない」と犯行への関与を否定する声明を発表した。
国際的な反発を招きたくないタリバン
タリバン内部は穏健派から強硬派まで数多くの派閥に分かれており、この「無関係宣言」が即座に信頼できるわけではない。ただ近年、タリバンが海外の支援者を積極的に襲撃することは減っているとされる。
  タリバンは自らをアフガンの支配者と認識しており、アメリカ軍をはじめ外国勢力の早期撤収を望む。支援関係者を攻撃することは国際的な反発を招き、逆に外国軍の駐留長期化にもつながりかねない。もちろん、疲弊した国土の回復に海外の支援の手が必要という計算も働く。
  ではISの犯行なのだろうか。ナンガルハル州はISの分派である「ISホラサン州」の勢力が特に強いことで知られる。11月以降、アメリカ軍と政府軍による掃討作戦が進み、ガニ大統領はIS勢力を「根絶やしにした」と宣言したが、その言葉を額面どおりに受け取る向きは少ない。数は減ったかもしれないが、影響下にある過激派はなおうごめく。
  ISは自らの犯行の場合、傘下メディアとされるアマーク通信などを通じて成果を誇示することが多い。最近だと、11月29日にイギリス・ロンドン中心部のロンドン橋で男が歩行者らを切りつけた事件について、アマーク通信は翌30日に「ISの戦士が実行した」と伝えた。
  本当に男がISメンバーだったかについて信憑性は定かではないが、ISは異教徒への攻撃など「利用価値がある」と判断した事件は、自らの犯行として主張することもある。
  ところが、中村医師の事件については、本稿の執筆時点(12月9日)まで沈黙を保っており、とくに言及はみられない。
(3)
両者以外にも、アフガン国内にはイスラム過激派が存在し、それらの犯行である可能性ももちろん排除できない。だが、犯人像が絞り切れない中、浮上しているのが、中村医師が地元の水利権に巻き込まれたという見方だ。「中村医師の事業に不満を感じる勢力がいたようだ」と、あるナンガルハル州政府関係者は打ち明ける。
  両者以外にも、アフガン国内にはイスラム過激派が存在し、それらの犯行である可能性ももちろん排除できない。だが、犯人像が絞り切れない中、浮上しているのが、中村医師が地元の水利権に巻き込まれたという見方だ。「中村医師の事業に不満を感じる勢力がいたようだ」と、あるナンガルハル州政府関係者は打ち明ける。

中村医師の業績の1つが、パキスタンからアフガンを流れるクナル川から用水路を引いて、アフガン東部ガンベリ砂漠を緑化した事業だ。
流水量に不満を持った人も
  地元民放トロニュース(電子版)によると、中村医師はクナル川に大小のダムを建設したほか、一帯で1500カ所以上の井戸を掘削。クナル川からガンベリ地域に至る全長約25.5キロの用水路建設を主導した。砂漠はみるみる緑化され、ナンガルハル州の65万人を潤したという。中村医師が現在携わっていたのも、この用水路の第2期工事だ。
  前出の州政府関係者によると、中村医師によって地域の緑化が進む一方、一部住民からは川の流れの変化や、川の流水量減少について不満の声が上がったという。ここで留意したいのは、実際に流水量が減ったかは、定かではない点だ。そう感じる人たちがいた、ということだ。
  イギリスのBBC放送(ダリー語電子版)は州政府のミヤキル知事の事件後の発言として、「彼(中村医師)の水関連の仕事に理由がある」と報じた。ミヤキル氏は武装グループの詳細については触れていないが、犯人像を示唆する発言だ。イスラム過激派の犯行という見方は示していない。
  アフガン東部一帯は内戦状態の継続や、2000年以降深刻化した干ばつの影響で荒廃が進み、水の確保は重要さを増している。もし一帯で「流れが変わった」「水が減った」などと感じる事態が起きていたのならば、それは殺人の動機となりうる。
  州政府や警察には「中村医師が襲撃される」との情報が繰り返し寄せられており、中村医師本人にも伝達されていた。最近では事件の約1カ月前にも情報があったという。中村医師は危険情報があるにもかかわらず、信念のもとで灌漑作業を継続し、銃弾に倒れたことになる。
  中村医師の遺体は9日に故郷・福岡に到着したが、ガニ大統領が自らひつぎを担いでその死を悼むなど、地域に多大な貢献をしたことに異論はない。「英雄の死」の真相解明が待たれる。
(※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。)


2019.12.11-西日本新聞-https://www.nishinippon.co.jp/item/n/567183/
惜別と意志継承を誓う涙 福岡で中村哲医師の合同葬 各界から供花続々

アフガニスタンで4日に凶弾に倒れた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)の告別式が11日午後、福岡市中央区の斎場で営まれた。戦乱や干ばつで荒廃したパキスタンやアフガンで、多くの市民とともに人道・復興支援の歩みを進めた中村さん。その死を悼んで泣きはらす人や、涙を拭って志の継承を誓う人など大勢の人々が訪れ、白い花を手向けた。家族と同会による合同葬で、喪主は長男健さん(36)、葬儀委員長を同会の村上優会長(70)が務めた。

祭壇には、数年前に現地で撮影された中村さんの遺影が白い菊の花に囲まれて飾られ、遺体を安置した棺にはアフガニスタンの国旗がかけられていた。中村さんとともに殉職した警備担当者や運転手らアフガン人の遺影も飾られた。会場の壁や入り口付近には、女優の黒柳徹子さんや歌手の加藤登紀子さん、俳優の故菅原文太さんの妻をはじめ、各界から届いた100基を超す供花が並んだ。同会は、参列者からの香典の全額をアフガン復興事業に充てるという。
  村上会長は追悼の辞で「先生は、苦難について私たちに語ることは少なく、いつも前を向いて淡々と歩まれました」と霊前に呼びかけ、「中村哲先生の意志を守り事業継続に全力を挙げます」と誓った。中村さんの長男、健さんは親族代表のあいさつで、「20歳のころはよく叱られました。父は『行動しか信じない』とよく言っていました。行動で示していきます」と述べた。
  式は午後1時に始まり、参列者が1分間の黙とうを捧げたあと、女優の吉永小百合さんのナレーションで中村さんの人となりを振り返る約10分間の映像を上映。バシール・モハバット駐日アフガン大使、九州大で同級生だった久保千春同大学長、福岡高や西南学院中の同級生、中村さんが洗礼を受けた際の牧師の藤井健児さん、親族の玉井史太郎さんの計6人が弔辞を述べた。会場では、参列者が涙をすする音がやまなかった。
  上皇さまと上皇后さま、秋篠宮ご夫妻からは弔意が寄せられた。玉城デニー沖縄県知事、日本医師会(日医)の横倉義武会長、鈴鹿光次・在アフガン特命全権大使からの弔電も読み上げられた。
  中村さんは1946年、福岡市生まれ。福岡高、九州大医学部卒。84年5月に現地で医療活動を開始し、アフガン、パキスタン両国に病院や診療所を開設。アフガンで2000年に大干ばつが発生してからは、水源確保のため井戸の掘削や復旧、農業用水のかんがい事業にも取り組んだ。
  03年に「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。18年にはアフガン政府から勲章を授与され、今年10月には同政府から名誉市民権(市民証)を授与された。
  中村さんは今月4日、アフガン東部ナンガルハル州ジャララバードの宿舎から、かんがい作業の現場に車で向かう途中に襲撃された。


2019.12.11-東洋経済 ONLINE-https://toyokeizai.net/articles/-/318770
新たに浮上した中村哲医師を襲った「真犯人」
「水利権」に巻き込まれたとの見方も・・・・・浅野 貴志 : ジャーナリスト
(1)
 アフガニスタンで、緑化事業などに取り組んでいた中村哲医師が殺害された。医療施設拡充や灌漑事業に尽力した「地域の英雄」(アフガンのガニ大統領)が犠牲となった痛ましい事件だ。
 9日までに2人が逮捕され、武装グループによる計画的事件ということは判明しているが、「犯人は誰で、なぜ犯行に至ったのか」という点は謎のままだ。当初はイスラム過激派によるテロの可能性が取り沙汰されたが、犯行声明もいまだ出ていない。浮上しているのが現地での「水利権」が悲劇を生んだとの見方だ。
強い殺意がうかがえる犯行
事件が起きたのは4日、パキスタンとの国境に近い東部ナンガルハル州の州都ジャララバードだ。
 複数の現地報道を総合すると、中村医師は現地時間4日午前8時ごろ宿舎を出発し、25キロほど離れた用水施設の工事現場に向かっていた。武装グループは自動小銃AK47(カラシニコフ)や拳銃で武装し、2台の車に分乗し、中村医師の車を追走。行く手を遮った後、一斉に銃撃を加えた。まず、ボディーガード4人を殺害し、その後、運転手と助手席の中村医師に発砲したもようだ。
 負傷した中村医師が起き上がったところに、武装グループはとどめを刺すように銃弾を浴びせかけ、現場から逃走した。中村医師の日々の通行ルートを把握していた計画性と、確実に命を奪おうとしたことから強い殺意がうかがえる。
 犯人像は絞り込めていないが、地元かその近郊出身者であることは確実視されている。武装グループはアフガンからパキスタンにかけて見られる民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、地元での主要言語の1つであるパシュトー語で会話していた。ナンガルハル州政府は全員が男で総勢5~7人程度との見方を示している。
 アメリカの同時多発テロを受けた2001年の米英軍のアフガン侵攻以来、アフガンの治安情勢が泥沼化しているのは周知の事実だ。テロや戦闘などによる民間人の死傷者は、2014年から5年連続で1万人を超えた。
(2)
反政府勢力タリバンに加え、近年はイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が競うようにテロ攻撃を行う。犯人として念頭に浮かぶのは、このどちらかだ。タリバンは事件当日、即座に「復興分野で活動するNGO(非政府組織)はイスラム首長国(タリバン)と良好な関係を持っている。それらは軍事的標的ではない」と犯行への関与を否定する声明を発表した。
国際的な反発を招きたくないタリバン
タリバン内部は穏健派から強硬派まで数多くの派閥に分かれており、この「無関係宣言」が即座に信頼できるわけではない。ただ近年、タリバンが海外の支援者を積極的に襲撃することは減っているとされる。
 タリバンは自らをアフガンの支配者と認識しており、アメリカ軍をはじめ外国勢力の早期撤収を望む。支援関係者を攻撃することは国際的な反発を招き、逆に外国軍の駐留長期化にもつながりかねない。もちろん、疲弊した国土の回復に海外の支援の手が必要という計算も働く。
 ではISの犯行なのだろうか。ナンガルハル州はISの分派である「ISホラサン州」の勢力が特に強いことで知られる。11月以降、アメリカ軍と政府軍による掃討作戦が進み、ガニ大統領はIS勢力を「根絶やしにした」と宣言したが、その言葉を額面どおりに受け取る向きは少ない。数は減ったかもしれないが、影響下にある過激派はなおうごめく。
 ISは自らの犯行の場合、傘下メディアとされるアマーク通信などを通じて成果を誇示することが多い。最近だと、11月29日にイギリス・ロンドン中心部のロンドン橋で男が歩行者らを切りつけた事件について、アマーク通信は翌30日に「ISの戦士が実行した」と伝えた。
 本当に男がISメンバーだったかについて信憑性は定かではないが、ISは異教徒への攻撃など「利用価値がある」と判断した事件は、自らの犯行として主張することもある。
 ところが、中村医師の事件については、本稿の執筆時点(12月9日)まで沈黙を保っており、とくに言及はみられない。
(3)
両者以外にも、アフガン国内にはイスラム過激派が存在し、それらの犯行である可能性ももちろん排除できない。だが、犯人像が絞り切れない中、浮上しているのが、中村医師が地元の水利権に巻き込まれたという見方だ。「中村医師の事業に不満を感じる勢力がいたようだ」と、あるナンガルハル州政府関係者は打ち明ける。
 中村医師の業績の1つが、パキスタンからアフガンを流れるクナル川から用水路を引いて、アフガン東部ガンベリ砂漠を緑化した事業だ。
流水量に不満を持った人も
 地元民放トロニュース(電子版)によると、中村医師はクナル川に大小のダムを建設したほか、一帯で1500カ所以上の井戸を掘削。クナル川からガンベリ地域に至る全長約25.5キロの用水路建設を主導した。砂漠はみるみる緑化され、ナンガルハル州の65万人を潤したという。中村医師が現在携わっていたのも、この用水路の第2期工事だ。
 前出の州政府関係者によると、中村医師によって地域の緑化が進む一方、一部住民からは川の流れの変化や、川の流水量減少について不満の声が上がったという。ここで留意したいのは、実際に流水量が減ったかは、定かではない点だ。そう感じる人たちがいた、ということだ。
 イギリスのBBC放送(ダリー語電子版)は州政府のミヤキル知事の事件後の発言として、「彼(中村医師)の水関連の仕事に理由がある」と報じた。ミヤキル氏は武装グループの詳細については触れていないが、犯人像を示唆する発言だ。イスラム過激派の犯行という見方は示していない。
 アフガン東部一帯は内戦状態の継続や、2000年以降深刻化した干ばつの影響で荒廃が進み、水の確保は重要さを増している。もし一帯で「流れが変わった」「水が減った」などと感じる事態が起きていたのならば、それは殺人の動機となりうる。
 州政府や警察には「中村医師が襲撃される」との情報が繰り返し寄せられており、中村医師本人にも伝達されていた。最近では事件の約1カ月前にも情報があったという。中村医師は危険情報があるにもかかわらず、信念のもとで灌漑作業を継続し、銃弾に倒れたことになる。
 中村医師の遺体は9日に故郷・福岡に到着したが、ガニ大統領が自らひつぎを担いでその死を悼むなど、地域に多大な貢献をしたことに異論はない。「英雄の死」の真相解明が待たれる。


2019.11.29-AERA dot.メルマガ-https://dot.asahi.com/aera/2019121000036.html?page=1
「不平等に対する復讐」 中村哲医師が人生をアフガニスタンに捧げた理由
(1)
12月4日、ペシャワール会の中村哲医師(73)がアフガニスタンで何者かに銃撃を受け、死亡した。戦争、飢餓、旱魃……。アフガンの人々と共に歩み、取り巻く不平等に立ち向かい続けた。AERA 2019年12月16日号から。

 中村哲医師が銃撃され、亡くなった。戦争と、飢餓と、終わらない暴力の連鎖。世界で最も危険な国の一つであるアフガニスタンで、だからこそ、そこに住む人たちを決して見捨てず、人生の大半をささげてきた。最後は本人が否定し続けてきた暴力によって、命を落とした。73歳だった。
  20年ほど前、当時大学生だった私は中村医師が帰国中に開く講演会に参加していた。中村医師は高校の大先輩でもある。質疑応答の時間となり、私は手を挙げて質問した。
  世界にも日本にも困っている人、苦しんでいる人はたくさんいます。なぜ、アフガニスタンなんでしょうか?
  中村医師は講演会や記者への取材対応の際にいつもそうであるように、表情を変えず、淡々とした声色で答えた。
 「たまたま、ですね」
  そして、一拍おいてこう続けた。
 「たまたまそこに行って、そこで困っている人を見た。あとは……まあ、義を見てせざるはなんとやらといいますか……」
  会場からは笑いが起きた。中村医師がはぐらかしているように感じた人もいただろう。だが、それは半ば以上本心だった。
  福岡で勤務医をしていた中村医師は、1978年、知人に誘われて山岳会のパキスタン遠征に医師として同行した。昆虫採集が趣味で「珍しい蝶(ちょう)がいる」という言葉に惹かれた。訪れた現地で運命を変える光景を目にする。
  それは、貧しく十分な医療を受けられない人々の姿だった。持ってきた薬品は山岳隊のためにとっておかねばならなかった。結核で血を吐く青年、失明しかけの老婆、ハンセン病の村人……。日本から医師が来たと聞きつけ、すがる思いで治療を頼みにくる人たちを見捨てざるを得なかった。
(2)
帰国後、中村医師は自ら海外医療協力隊のメンバーとして現地に戻る決心をする。著作でこう書いている。
「余りの不平等という不条理に対する復讐でもあった」
  84年、パキスタン北部辺境州のペシャワールに赴任。「診療施設というより包帯巻きをしている安宿」という状況から活動を始める。医療機器を少しずつ揃え、現地の職員に消毒の基礎から指導した。診療施設は拡充され、患者も職員も増えていく。さらに辺境へと医療拠点を増設し、アフガニスタンへも活動を広げた。
  海外から支援に来る人たちのほとんどは数年で帰国する。だが、中村医師は任期が終わっても独立して活動を続ける道を選んだ。
  当時、医療施設に通っていた子どもに「先生も日本に帰ってしまうの?」と問われ、こう答えたという。「お前が一人前になるまでは残る」
  実際にはそれよりもはるかに長い活動となった。(ジャーナリスト・古田大輔)
 ※【「困った人々の心に明るさをともす」 中村医師が亡くなった同僚に誓った生き方】へつづく
 AERA 2019年12月16日号より抜粋


中村哲
(医師)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 哲1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本医師 ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長。アフガニスタンではカカ・ムラドムラドのおじさん)とも呼ばれる

学歴
出生から大学卒業まで
  福岡県福岡市出身。同県若松市(現在の北九州市若松区)を経て、6歳から大学卒業まで糟屋郡古賀町(現在の古賀市)で暮らした。古賀市立古賀西小学校西南学院中学校[7]福岡県立福岡高等学校[8]を経て、1973年に九州大学医学部を卒業した
医師免許取得後
  国内病院勤務ののち、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事する。登山昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。
  パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、以後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける意思を示している。
  2003年にマグサイサイ賞を受賞した。2004年には、皇居に招かれ明仁天皇美智子皇后紀宮清子内親王(いずれも当時)へアフガニスタンの現況報告を行った。同年、第14回イーハトーブ賞受賞。
  2008年には参議院外交防衛委員会で、参考人としてアフガニスタン情勢を語っている。また、天皇陛下御在位20年記念式典 にも明仁天皇・美智子皇后が関心を持つ分野に縁のある代表者の一人として紹介され列席している。
  2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、福岡県山田堰をモデルにして建設していた、ガンベリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路が完成する。約10万人の農民が暮らしていける基盤を作る。
  2013年、第24回福岡アジア文化賞大賞、第61回菊池寛賞を受賞した。2014年、『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い』で、第1回城山三郎賞、第4回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した。
  2016年、現地人が自分で用水路を作れるように、学校を準備中。住民の要望によりモスク(イスラム教の礼拝堂)やマドラサ(イスラム教の教育施設)を建設。旭日双光章受章。
  2018年、アフガニスタンの国家勲章を受章した。
  2019年10月7日、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与された
銃撃事件
  2019年12月4日、アフガニスタンの東部ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃を受け、右胸に一発被弾した。負傷後、現地の病院に搬送された際には意識があったが、さらなる治療の為にパルヴァーン州バグラームにあるアメリカ軍バグラム空軍基地へ搬送される途中で死亡した。なお、中村と共に車に同乗していた5名(運転手や警備員など)もこの銃撃により死亡した。中村が襲撃されたこの事件に対してターリバーンは報道官が声明を発表し、組織の関与を否定。一方でアフガニスタン大統領アシュラフ・ガニーは「テロ事件である」とする声明を発した。日本共産党の志位和夫は「憲法9条に基づく国際貢献とは何かということを身をもって体現された方だった」と追悼の意を示した。
人物
・自身はプロテスタントバプテスト派のクリスチャンであるが、現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続けていた。
・小説家の火野葦平は母方の伯父である(妹が中村の母)。
・外祖父で若松において港湾荷役業を営んでいた玉井金五郎が映画『花と竜』のモデルとなったことで、周囲から玉井家が暴力団関係者と誤解され、中村も・迷惑を被ったとしている
西日本新聞記者で同社北九州本社代表を務め、現在はプロサッカーチーム:ギラヴァンツ北九州代表取締役社長の職に在る玉井行人は従兄弟に当たる
・福岡高等学校時代の同期に原尞がいる。
思想 
  アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、憲法9条の堅持を主張した


2019.12.04-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191204/k10012201951000.html
アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡

アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さんが4日、東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され、病院で手当てを受けていましたが、死亡しました。病院の担当者はNHKの取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった」と明らかにしました。
  アフガニスタン東部ナンガルハル州の警察などによりますと、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が現地時間の4日午前、日本時間の4日午後、ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃されました。
  中村さんはけがをして病院で手当てを受けていましたが、病院関係者や地元の当局者によりますと、その後、死亡が確認されたということです。
  地元の当局者はNHKの取材に対し、中村さんは治療を受けるため、ナンガルハル州の病院から首都カブール近郊にあるアメリカ軍のバグラム空軍基地に搬送される途中で死亡が確認されたことを明らかにしました。
  また中村さんが手当てを受けていたナンガルハル州の病院の広報担当者はNHKの電話取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった。腹部には銃弾2発が撃ち込まれていた。担当した医師によると、集中治療室で治療を行い、容体はいったん安定したものの、その後、地元の空港に搬送される途中で亡くなった」と話しています。
  地元の警察などによりますと、同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです。中村さんはアフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきました。
  現場となったアフガニスタン東部はイスラム過激派の活動が活発な地域で、最近では反政府武装勢力タリバンに加え、過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織が台頭し、治安が悪化していました。
  事件の発生を受けて、タリバンは声明を出し、「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」として、犯行への関与を否定しました。
中村哲さんの長男「ことば見あたらない」
中村哲さんの長男の中村健さんは4日夜、報道各社に対し、「柳川市の自分の職場でニュースで知りました。今は何もことばが見あたりません」と述べました。
  
中村哲さんのいとこで北九州市若松区に住む玉井史太郎さん(82)は「治安が悪い中で心配していたが、こういう結果になり残念だ。歯がゆくて誰がやったのか、怒りの持っていきようがない。やった仕事は日本の良心を世界に発信する仕事と思うので、それが今後、生かされていけばいいと思う」と話していました。
交流のある医師「ショック」
静岡市に本部を置くアフガニスタン復興の支援活動をしているNGO「カレーズの会」に所属し中村さんと交流のあるアフガニスタン出身のレシャード・カレッド医師はNHKの電話インタビューに対し「驚いています。3年前に中村さんと話したときには、『アフガニスタンの人たちを救いたい』と話していました。中村さんとはアフガニスタン支援の仲間だったのでショックを受けています」と話していました。そして中村さんが撃たれたジャララバードについては「治安が悪いところだ」と話していました。
中村さん 現場近くの病院からカブールへ搬送
中村さんは銃撃を受けてけがをしたあと、現場近くのナンガルハル州の病院に搬送されました。
  この後、首都カブール近郊に移されることになり、NHKの取材班が現地で撮影した映像では中村さんがストレッチャーに乗せられ、救急車でカブールに向けて出発する様子が確認できます。
  ナンガルハル州の病院で、中村さんの治療に当たった医師がNHKの取材に対し明らかにしたところによりますと中村さんは病院から運び出される際には意識はあったということです。
現場の映像からは
通信社のロイターやAPが配信した事件現場の映像では市街地の舗装された路上に中村さんが乗っていたとみられる白いピックアップトラックが止まっています。
  
車のフロントガラスに銃弾によってあいたと見られる3つの穴があるほか、運転席側の窓ガラスが粉々に割れています。
  現場に居合わせた男性は当時の状況について「警備員や運転手、そして日本人に対して銃撃があった。日本人の男性は頭をあげた時に負傷した。そして周囲が『彼はケガをしている。搬送しよう』と言ったら襲撃犯が武器を向けて『動くな』と言ってきた」と証言しました。
  車体の周りには治安当局者が集まり、状況を調べていました。
ナンガルハル州 イスラム過激派の活動が活発な地域
中村さんが銃撃されたアフガニスタン東部のナンガルハル州はパキスタンと国境を接する山岳地帯を拠点として、イスラム過激派の活動が活発な地域です。
  2001年にアメリカで起きた同時多発テロ事件のあと、事件の首謀者とされた国際テロ組織「アルカイダ」のオサマ・ビンラディン容疑者やメンバーが潜伏している可能性があるとして、アメリカ軍などによる大規模な掃討作戦が行われました。
  ここ数年は過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織が活動を活発化させているほか、ISと対立する反政府武装勢力タリバンもテロや襲撃を繰り返し、治安の悪化に歯止めがかからない状態が続いています。
  現地に駐留するアメリカ軍やアフガニスタン政府の治安部隊は、イスラム過激派が潜んでいるとして山岳地帯を中心に空爆を繰り返していて、去年まで3年連続でISの地域組織のトップが殺害されています。
  一方で、空爆に住民が巻き込まれて犠牲になる被害も相次ぎ、アメリカ軍などに対する反発も強まっています。
アフガニスタン初の外国人の名誉国民
中村哲さんはアフガニスタンで農地の再生などに取り組んでいる福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師です。福岡市出身で35年前、パキスタンのペシャワルに赴任したのをきっかけにパキスタンと隣国のアフガニスタンで医療支援を行ってきました。16年前からは干ばつで苦しむアフガニスタンの人たちを助けようと用水路の整備など、農地の再生にも取り組んできました。
  こうした活動が評価されて中村さんはアフガニスタン政府から名誉国民に認定され、ことし10月、市民証が授与されました。アフガニスタンで外国人が名誉国民として認められるのは初めてで、中村さんはビザなどがなくても現地で活動を行うことが認められていました。
  中村さんは、2003年には「アジアのノーベル賞」とも言われるフィリピンのマグサイサイ賞を贈られました。また2009年には「福岡市市民国際貢献賞」を贈られ、中村さんは授賞式でアフガニスタンの状況について、「干ばつが難民化を招き治安が悪くなっている。医療活動以前の問題だ。水と食べ物があればほとんどの病気が予防できるので、干ばつ問題に取り組んできた」としたうえで、「治安の悪化で一時的に活動ができなくなるかもしれないが、現地での仕事は続けていきたい」と話していました。
「軍事作戦よりも農業復興」
中村さんはこれまで、地元の福岡県で報告会や講演などをたびたび行ってきました。
  
平成28年、福岡市の西南学院大学で開かれた報告会ではアフガニスタンの用水路の建設に、江戸時代に筑後川で築かれた「山田堰」の治水技術が用いられていることを紹介しました。
  そのうえで「軍事作戦よりも農業復興を進めていくべきだ。日本で現地の活動をサポートする人材を育てていく必要がある」と訴えていました。
  去年、山田堰のある福岡県朝倉市をアフガニスタンの現地スタッフとともに訪問した際には取材に対し、「昔の日本の農業が生産性の改善につながることを期待したい」と話していました。
  また平成28年、福岡市中央区で企業の社員や自治体の職員らに講演を行った際にはアメリカによるアフガニスタンへの攻撃で多くの子どもや女性が犠牲になったと批判するとともに、「アフガニスタンの多くの人が願っているのは1日3回の食事を取ることと、ふるさとに家族と住めるようになることです」と指摘していました。
中村さんとペシャワール会
中村さんが現地代表を務めている福岡市の国際NGO「ペシャワール会」は1983年9月に中村さんのパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成されました。
  16年前からは干ばつで苦しむ隣国アフガニスタンの人たちを助けようと、用水路の整備など、農地の再生にも取り組んできました。
  アフガニスタンのガニ大統領はこうした活動を高く評価し、中村さんを名誉国民と認め、ことし10月に市民証を授与していました。また、中村さんは、紛争が絶えないアフガニスタンから逃れた難民の支援にも力を尽くし、2003年にはアジアの発展に貢献した人や団体に贈られるマグサイサイ賞を受賞しています。授賞式で中村さんは「戦争反対と言うと、直ちに反米的だなどと言われる世の中でも、素直に私たちの平和への思いを評価してくれたことが非常にうれしかった」として喜びを述べていました。
  中村さんは日本とアフガニスタンの間を頻繁に行き来し、ペシャワール会によりますと、最近では、先月帰国して、山口県の東亜大学で「アフガニスタンに命の水を」というテーマで講演を行っていました。そして先月29日に日本をたち、アフガニスタンに戻ったばかりでした。
国連支援団がツイッターで非難
現地で活動している国連のアフガニスタン支援団はツイッターに声明を発表し、「広く尊敬されている日本の中村医師が殺害されたことはおぞましく、糾弾する。アフガニスタンの弱い立場の人々を助けるために人生をささげた、彼に対する愚かな暴力だ」と非難しました。
外務省 死亡を確認
外務省幹部は午後5時半すぎ、記者団に対し「地元当局から、日本の大使館に対して『中村さんが亡くなった』という連絡があり、それをもって外務省としても死亡を確認した。心からお悔やみを申し上げたい。今後、ご家族などに対して、できるかぎりの支援を行っていきたい」と話しています。
  外務省は、当時の詳しい状況や事実関係について、地元当局と連絡を取るなどして確認を急いでいます。
政府高官 死亡を確認
政府高官は午後6時前、記者団から「中村さんの死亡を政府として確認したのか」と問われたのに対し、「確認した。最初から厳しいと思っていた。亡くなった場所や誰に襲われたのかは分からない」と述べました。




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