ロシア(ソ連)の情報技術-1



2022.05.15-おさのフオト日記-https://hrykosd.com/archives/18206
SVR(対外情報庁)将軍

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  チャンネル登録者とゲストの皆様! 
  ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、WARという名前の本格的な武力紛争を開始しました。 私たちが警告したように、すべてが起こっています。ミサイルストライキは、ウクライナの領土の軍事施設とインフラ施設で行われています。 
  戦争の迅速な終結について自分をお世辞にしないでください、これは始まりです。 計画には、モルドバ、コーカサス、バルト諸国が含まれます。 しかし、それはすぐではありません。 
  これまでのところ、イベントは最悪のシナリオに従って開発されています。 何が起こっているのか、そしてロシアの指導者が下した決定についてお知らせします。
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  チャンネル登録者とゲストの皆様!
  ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、終戦後、セルゲイ・ラブロフ外相、ロシア連邦中央銀行のエルビラ・ナビウリナ議長、アレクサンドル・ボルトニコフFSB局長、ウラジーミル・コロコルツェフ内相、セルゲイ・ショイグ国防相を解任すると約束した。 コロコルツェフを除いて、上記のすべては、彼ら自身の要求で辞任するように頼みました。
  ラブロフとボルトニコフは引退を望んでおり、1年以上の間彼らを当然の休息に送るように頼まれました。 ナビウリナは大統領の要請により、「数ヶ月」働くように説得され、その後釈放され、移住さえ許可されると約束された。

  プーチンはコロコルツェフが「国にとってこの困難な時期」には柔らかすぎて愚かであると考え、ショイグは3月10日に辞任を求め、プーチンは戦後、失敗した「勝利の元帥」を別の仕事場に移すことを約束しました。役に立つかもしれません。
  プーチンは、ショイグとゲラシモフに追加の保護を提供するように命じました。そして、友好的でない国の秘密のサービスによって軍隊のリーダーシップを暗殺する試みを恐れました。 また、安全上の理由から、専門の避難所に滞在するか、これらの避難所に到達してから10分以内に滞在し、いかなる活動も避けることをお勧めします。今日、ショイグとゲラシモフに対して講じられたセキュリティ対策は明らかに過剰であり、見直される可能性があります。
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  チャンネル登録者とゲストの皆様!
  4月22日金曜日、ロシアのウラジーミルプチン大統領は、ロシア安全保障会議の常任理事国とのビデオ会議を通じて会議を開催しました。
  主要部分の後、軍事計画は狭い形式の閉じた形式で議論されました。ロシア連邦軍参謀本部長のヴァレリー・ゲラシモフは、5月7日までにウクライナのドネツクとルハンシク地域の行政境界に到達するという約束を確認したが、特定の条件下では、計画の実施にはもっと時間がかかりますが、ウクライナのニコラエフとオデーサ地域の占領という形でより大きな成功をもたらすでしょう。
  ゲラシモフは、ドネツクとルハンシク地域だけにとどまらず、5月7日までにこれらの地域を正確に占領するタスクを完了しようと提案しますが、より洗練された行動を取り、ウクライナ南部とモルドバ全体を数か月で占領します。
  ゲラシモフによれば、この国は「ウクライナのように抵抗を示すことは絶対にない」ので、この場合「素晴らしいボーナス」を得るのはモルドバです。プーチンは原則としてこれらの計画を支持したが、ドネツクとルガンスク地域の行政境界へのアクセスを優先事項と呼び、彼らが急ぐことを提案した。
   ロシア軍参謀本部副長官であり、ロシア軍参謀本部長であるイゴール・コスティコフ氏が会議に参加した。 Kostyukovは、破壊されたミサイル巡洋艦Moskvaを含むすべてのために、ウラジーミルプチンからのいわゆる完全なプログラムをかき集めました。
  プーチンによれば、黒海艦隊の旗艦を失ったのはコスティコフが個人的に責任を負っている。第一に、コスティコフは偵察に失敗し、第二に、コスティコフは提督であり、ウクライナのモスクワでのストライキ能力について知らなければならなかった。
  コスティコフは大統領が彼に宛てた一連の猥褻な言葉に耳を傾け、多くのことを謝罪し、彼の罪を贖う機会を求めた。真実は特定されなかったが、プーチンは明らかにしたくなかった。これで会議の閉会部分は終わりました。
  すべてが非常に単純で、ゲラシモフは時間を無駄にし、実行するのが難しい追加のタスクを実行することを約束し、彼のキャリアを約束と結び付けた最小限のプログラムでさえ、むしろ人生と自由がこれらの時間枠内で実現できないことに気づきましたそして彼が残っているのは時間を引きずることだけです。
  そして、コスティコフによれば、コロボフとセルグンが長い間存在していた後に彼を送るという大統領の命令は、明らかに、これらの計画の実施を遅らせることはないだろう。
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  チャンネル登録者とゲストの皆様!
  誰かが5月8日に勝利の日を祝い、誰かが5月9日に誰かが個人的な勝利の日を準備しています。それで、先日、大統領の近くの政治と権力のエリートの狭いサークルで、可能性のある後継者の2つの「花嫁」がすでにありました。私たちはまだ「スモトリン」の参加者を指名していませんが、私たち自身がこれがどこまで進むことができるかに興味を持っています。
  安全保障理事会のニコライ・パトルシェフ事務局長は、息子のドミトリー、農業大臣を最高の王位に就かせようとしています。半透明のヒント、一般的な見通し、誰を育て、誰を維持し、誰を増やすかについての約束について、きちんと説明します。
  すべてがうまくいくだろうが、それは不運であり、大統領は知らされていなかった、それは正しいかもしれないが、なぜ半死体に相談するのか。質問は異なります。
  Dimon-2プロジェクトが機能する可能性は低く、プーチンに近いエリートはそのようなプロジェクトにまったく自信がありません。ニコライ・プラトノビッチが生きている間、偏狭なドミトリー・ニコライ・ニコライエビッチの後ろにいることは誰もが完全に理解しており、そのような組み合わせで現状を維持することは不可能です。


研究開発戦略センター-https://www.jst.go.jp/crds/report/RU20161130.html
ロシアの科学技術情勢

I.はじめに
  本報告書は、日本でなじみの少ないロシアの科学技術に焦点を当て、資源大国からの脱皮を模索する昨今、その課題や特徴を分析するとともに、近年の動向について考察したものである。 ロシアは、ユーラシア大陸にまたがる大国であるが、英国、フランス、ドイツといったヨーロッパの主要国から見ると、ヨーロッパの辺境であり、科学技術の発展に関してはこれら諸国の後塵を拝していた。
  ソ連の誕生はこの状況を根本から変え、特に第二次世界大戦後の米ソ冷戦時代には、軍事的な要請もあり宇宙や原子力開発に国策として注力し、目覚しい業績を残すこととなった。人類初の人口衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功は、米国をはじめとする西側諸国に衝撃を与え、その後の米国との宇宙開発競争の契機となった。宇宙や原子力分野の軍事技術を支えるべく、物理や化学などの基礎研究の振興が図られ、ノーベル賞を受賞するソ連の科学者も現れた。
  しかし、強大な軍事・政治・科学技術大国として世界に君臨したソ連は1991年末にあっけなく崩壊し、社会主義から自由主義経済へと体制が大転換するなか、ロシア経済はどん底を経験し、市場の混乱と経済の低迷に連動するかたちで科学技術も大幅に落ち込んだ。研究開発費はソ連時代の半分以下となり、そのGDPに占める割合も3分の1程度に縮小した。また、劣悪な研究環境や処遇を逃れるため海外への頭脳流出や転職が増え、研究者数はソ連時代の約3分の1まで減少した。2000年代に入りプーチン(Vladimir V. Putin)大統領の登場とともに、原油など資源価格が高騰し、ロシア経済はエリツィン(Boris N. Yeltsin)時代の経済縮小から回復の時代へと突入するが、研究開発費が1990年時の値を超えたのはようやく2007年に入ってからである。とはいえ、2008年のリーマンショックに伴う資源価格の暴落、および、近年の国際原油価格の低迷がロシア経済にも大きな痛手を与えたことは確かであり、資源価格の変動が経済成長の変化に直結するという点で、ロシアは典型的なエネルギー依存型の経済構造である。当然ながら、政府指導部は天然資源に依拠したロシア経済の将来に懸念を抱いており、それがイノベーションの振興や民生分野の研究技術開発を推し進める政策の原動力ともなっている。
II.ロシア科学技術の現状
1.国情-
 ①基礎情報
  ロシアは世界最大の国土を有し、その面積は約1,700万km2におよぶ。これは日本(37万km2)の約45倍、米国(960万km2)の約1.8倍の広さである。人口は約1億4,300万人(2016年現在)だが、日本(1億2,700万人)とほぼ同じであることから、人口密度は低い。しかも人口は国土の西側に偏在している。
  国家制度は連邦制の形態をとり、85の連邦構成主体(日本の都道府県に相当)から成る。その内訳は、州が46、地方が9、連邦市が3、共和国が22、自治州が1、自治管区が4となっている。ロシアには100以上の民族が存在するが、全体の82%をロシア人が占めている。公用語はロシア語だが、各共和国の公用語として26の言語がある。
  政体は大統領制をとり、現在、プーチン大統領が事実上3期目を務めている。任期は6年で、連続2期の続投が認められている。議会は二院制で、連邦院(上院)170議席と国家院(下院)450議席から構成されている。連邦院には各連邦構成主体から2名が代表として選ばれている。下院では小選挙区比例代表並立制が採られている。全450議席の半分である225議席を小選挙区制で、残り225議席を比例代表制で選ぶ。2016年9月に下院選挙が実施され、与党「統一ロシア」が450議席中343議席を獲得し圧勝した。
  2008年末の憲法改正により、大統領の任期は4年から6年に、下院の任期は4年から5年に延長された。下院と大統領の任期が同じであった時代は、例えば2011年12月の下院選挙のすぐに2012年3月の大統領選挙が実施されるといった具合に、いわゆる「選挙の年」というものが4年に一度巡ってきては、一種の「選挙疲れ」のようなものを呼び起こしていた。今会期からそうでなくなり、選挙一色になることが回避される。
 ②経済情勢
  世銀統計(以下「世銀」と略す)によれば、2015年のロシアの名目GDP総額は1兆3,260億米国ドル(以下「ドル」と略す)で、世界第12位である。一人当たりの名目GDPは9,243ドルで、第68位となっている。
  名目GDPにおけるロシアの産業別構成割合を示したのが図表1である。第一次産業が4.2%、第二次産業が32.1%、第三次産業が63.7%という内訳になっている。

  ロシアは世界有数の資源大国でもある。石油の産出量は世界第3位、天然ガスの世界第2位である。図表3および図表4ではそれぞれ、ロシアの主要品目別輸出と国家予算歳入を示した。これで見ると、資源(石油・ガス)が輸出の約3分の2、歳入の約半分を占めていることから、ロシアは典型的なエネルギー依存型の経済構造であると言える。

2.科学技術へのインプット
   ここでは、研究開発費とその対GDP比、研究開発費に対するセクター別の負担・使用割合、研究者数といった科学技術のインプット指標を用いて、ロシアの現状を把握する。
  ①低調な研究開発投資と対GDP比
  ロシアの研究開発費は1991年末のソ連崩壊を境に約3分の1まで大幅に落ち込み、その対GDP比も2.03%(1990年)から0.74%(1992年)へと急減した。その後、国際的な資源価格の高騰に支えられて経済が好転したことにより、研究開発投資額の絶対値は増加した。しかし対GDP比は、微増しているものの、ほぼ横ばい状態にあり、依然としてソ連崩壊前の半分程度にとどまっている。2015年のデータがまだないが、昨今の経済の停滞を考慮すると、金額の大幅な増加は考えにくい。
  ソ連の崩壊がロシアの科学技術に与えた影響は甚大である。崩壊の痛手から立ち直り、1990年時の値を超えたのはようやく2007年になってからのことである。

  主要国における研究開発費を比較した。ロシアは、米国の12分の1以下、中国の約10分の1程度で、日本やドイツと比較してもその額は小さい。主要国における研究開発費の対GDP比を示したものであるが、ロシアは韓国の4分の1程度という低水準となっている。
  ②産業界からの研究開発投資の不活発さ
  主要国の研究開発費の組織別負担割合で見ると、ロシアにおける政府の負担率は67.6%と非常に高い。政府と民間の割合は約7:3となっている。日本は17.3%、米国は28.8%、中国は21.1%となっている。G7各国の中でその比率が最も高いフランスでも35.0%であり、ロシアの政府依存率の高さは群を抜いている。

  ロシアで民間の研究開発投資が低調であるのには、幾つか理由が考えられる。
  フォーブス誌の2016年の世界企業ランキング(フォーチュン・グローバル500)を見ると、上位500社の中にロシアの企業は5つランキングされている。このうち3つは、石油・ガス系(ガスプロム(56位)、ルクオイル(76位)、ロスネフチ(118位))で、残り2つは銀行系(ズベルバンク(199位)、VTBバンク(478位))である。日本の民間の研究開発を牽引する製造業のカテゴリー(全企業の約75%の研究開発費(2014年))に該当するような企業はこの500社の中には含まれていない。ロシアの主要産業である石油・ガス産業は「鉱業、採石業、砂利採取業」のカテゴリーに入る。同分野は日本の場合、石油・ガスの採掘がほとんど行われていないこともあるが、その研究開発の割合はあまりに低くパーセンテージで表示できないほどである。このように、そもそも研究開発の要素の小さい「鉱業、採石業、砂利採取業」が国の基幹産業であれば、民間の研究開発費が小さく、これら産業からの税収を公的資金として科学研究機関に配分すること、すなわち、研究開発投資の政府割合が高くなることは当然のことのように思われる。
  また、ロスアトム傘下にある原子力関連の研究所やロスコスモス傘下にある宇宙関連の研究所は一般にはロシアの民間の研究所に分類されるが、原子力や宇宙といった分野では自然と政府の予算で研究開発のほとんどを行うことになるのも自明である。
  ③研究人材の減少
  上述のような急激な研究開発費の減少は、一連の政治的・経済的混乱と相まってロシアの科学技術に悪影響を及ぼした。その顕著な例が研究人材の減少である。研究開発に従事する職員および研究者数の推移を示した。これで見ると、ソ連崩壊直前の1990年に99万3,000人だった研究者は、崩壊直後の1992年には80万4,000人まで減り、1998年のアジア通貨危機後には1992年の約半分である41万7,000人となった。直近の2014年だと37万人4,000人にまで下がり、ソ連時代に比べて研究者数は約3分の1になっている。

  このような研究人材の減少の背景には次のような事情があったと考えられる。ソ連時代には、自然科学の研究者は他の職と比べても給与面等で優遇されていたが、ソ連崩壊とともにその財政事情は急激に悪化し、給与の遅配、物納等が常態化して多くの研究者が困窮した。結果、研究者の一部はより良い待遇を求めて好条件で研究ができる米国やヨーロッパに転出し、研究開発人材の頭脳流出が起こった。また、別の生活の糧を求めて、国内で新たに勃興した金融業や不動産業等の新規のサービス産業に転職する研究者も現れた。
  もう一つの深刻な問題は、研究者の年齢構成のゆがみである。ロシアの研究者の年齢構成の推移を示している。研究者の海外転出や国内での転職に伴い、研究者の高齢化が進んだ。2000年には全体の26.1%を占めていた40歳代の研究者は2014年には13.2%に、2000年には全体の26.9%を占めていた50歳代の研究者は2014年には19.5%にまで落ち込んだ。逆に、70歳以上の研究者は、2000年に3.1%だった割合が2014年には8.9%にまで上がっている。現在は、60歳以上の研究者が全体の4 分の1以上を占めているという状態である。こうしてロシアでは、研究の中核を担うはずの40歳代から50歳代の研究者層が薄くなっており、これは、研究ノウハウの次世代への継承に支障をきたす事態を招いている。

  近年、このようなゆがみを正すための一つの試みとして、ロシア科学アカデミーでは定年制度を導入する議論が進行中であり、それと並行して、傘下の研究所所長の交代とそれに伴う年齢の若返りが図られている。また、ソ連崩壊前後に海外に流出してしまった研究者の一部が2000年以降ロシア本国に戻りつつあるとも言われている。人材の育成において重要な役割を担う大学では、一時はロシア人の優秀な学生を海外企業が囲いこんでいるとも言われたが、現在では、すでに大学2年生のあたりで有望な学生にはロシア企業が目を付け、青田買いし育成している場合もある。
  ロシアにおける研究世代の高齢化を端的に示すために、米国の状況と比較してみたい。2014年におけるロシアと米国の研究者の割合を比較したものである。これで見ると、60歳以上の研究者の割合が、ロシアは米国の約5倍になっており、研究世代に占める老齢人口の割合が大きいことが分かる。

3.科学技術のアウトプット
  次に、ロシアの科学技術に関するパフォーマンス度について幾つかの指標により確認したい。
  ①科学論文の生産性
  まず、基礎科学の指標である科学論文数を見てみたい。科学論文の世界シェアを示した。ロシアは、ソ連崩壊前後の1992年頃は世界シェアで5.3%を占め、第6位の位置にあった。しかし以後は順位を下げ、直近の結果を見ると、2012年頃で世界シェアが2.3%の第15位となっている。これは、かつて圏外にあった韓国よりも低い状況である。分野ごとのトップ1%論文数を比較している。

  ソ連時代から比較的自由な環境で研究ができ優秀な研究者が集まりやすかったと考えられている物理学ではかろうじて上位を維持しているが、その他の分野では、政府からの研究資金が十分に確保できない時期が長期に続いたことで研究成果としての論文のクオリティーに陰りが見られた。かつては上位25か国にランキングされていた化学、計算機科学・数学、工学は、直近の2011~2013年では圏外となった。また、臨床医学や基礎生命科学などのライフサイエンスは、ソ連崩壊の煽りを最も受けた分野と言われており、現在においてもロシアはこれら分野では強くない。

  ソ連のライフサイエンスは、政治的なイデオロギーの統制下で自由を失い、ルイセンコ事件を経て壊滅的な打撃を受けた。このルイセンコ事件とは、1930年代にメンデルの遺伝学を否定したルイセンコが、スターリンやフルシチョフといったソ連指導者の後ろ盾を得て支配的立場となり、彼の学説に反対する科学者たちを追放した事件である。いわゆるルイセンコの反遺伝キャンペーン(遺伝形質は環境によって変えられるという獲得形質の遺伝を主張、また、ダーウィン主義の基本である種内競争の否定等)が展開され、遺伝学や生物学などの研究機関では経験豊かな指導的研究者が追放・処刑された。同時に、細胞遺伝学や植物細胞学関連の研究所・研究室は閉鎖され、ソ連科学は国際的孤立を強める結果となった。フルシチョフ解任後に遺伝学の復活が図られ、ソ連の科学界全体がほぼ正常に機能したのは1960年代半ば以降であった。結果的にソ連のライフサイエンス全般(特に遺伝工学)は欧米諸国に大きな差をつけられることとなった。

  現在でも物理学だけは辛うじてそれなりの地位を維持しているが、上記の指標から明らかなように、全体としてロシアの論文アウトプットにおける質の低下が進んでいることは否めない。このような科学論文の質の低下に、研究人材の減少や研究者の年齢構成のゆがみといった諸問題が加わっている。こうしてロシアの科学界全体に対し、どのように質の高い研究開発のアウトプットを確保していくかが大きな課題として立ちはだかっている。
  次に、医学・科学技術関係を中心とする国際的な出版社であるエルゼビア社(オランダ・アムステルダムが本拠地)が提供する情報分析ツールSciValを通じて、ロシアの論文状況を示したい。SciValは、エルゼビア社の抄録・引用文献データベースScopusをデータソースとした分析ツールで、世界中の約4,600の研究機関および約220の国・地域の研究パフォーマンスに関する客観的データが利用できる。
  2011~2015年の5年間に亘るロシアの論文生産の分野別内訳を示している。ロシアでは2011~2015年の5年間で合計25万3,344件の論文数が登録されている。うち最大の割合は物理学・天文学で、全体の約5分の1(20.2%)を占める。その後、工学(11.2%)、材料科学(10.9%)と続いている。
  ②大学の世界ランキング
  大学の世界ランキングを見てみると、ロシアでは大学の研究のレベルが概して低かったため、国際的な大学ランキングでも上位には入っていない。英国の民間情報会社であるQS社(Quacquarelli Symonds Ltd.)が取りまとめている世界の大学ランキングの最新版(2016年)を見ても、モスクワ国立大学が108位、サンクトペテルブルク国立大学が258位、ノボシビルスク国立大学が291位、バウマン名称モスクワ工科大学が306位となっている。
  ③ソ連・ロシアのノーベル賞受賞
  ロシアは、帝政ロシア時代、ソ連時代、現在の新生ロシアに至るまで、科学技術関係のノーベル賞受賞者を輩出してきた。これまで自然科学分野では14人が受賞したが、うち11人までが物理学賞となっている
  ④弱い国際競争力
  現在のロシアの産業技術力は、欧米先進国、日本、中国、韓国などと比べると、遅れていると言わざるをえない。特許におけるロシアの国際競争力のレベルを示した。ロシアでは軍事産業が主体であり、研究開発を行って特許により国際的な市場で競争する民需産業が弱い。欧米や日本、中国、韓国などと比較しても、その特許申請や取得件数は圧倒的に小さい。
  ロシアでは民間の技術開発がそれほど盛んでないため、技術貿易の規模は他の主要国と比べて非常に小さい。主要国の技術貿易の輸出額と輸入額をグラフ化したものである。ロシアは輸出入ともに低く、かつ入超となっており、総じて技術貿易は不活発である。
  ハイテク産業の輸出額占有率を主要国で比較したものだが、直近の2014年を見ると、ロシアはわずか全体の0.3%を占める程度に過ぎない。

  以上、背景情報や科学技術指標を用いて、ロシアの科学技術の現状について説明を行ってきた。それを踏まえて次節では、ロシア科学技術の特徴と問題に言及したい。

4.ロシア科学技術の特徴とその問題点
  ロシアの科学技術の発展を理解するためには、否が応にもソ連時代の科学技術に立ち戻らなくてはならない。ソ連時代は国策として軍事科学研究に最高の優先度が与えられていた。また、イデオロギー論争の煽りを受けて、農学や工学などの実学の分野は実際の成果という点で批判を受けやすかった。ライフサイエンスや臨床医学はソ連崩壊の影響を最も大きく受けた分野の一つで、現在でも業績が振るわないと言われている。
  ①軍事関連技術偏重型の科学技術の発展
  ロシアの科学技術の最大の特徴は、宇宙開発や原子力に代表される優れた軍事技術であろう。ソ連時代の科学技術は対米国のもとで発展し、冷戦の最前線となった軍事や宇宙、原子力分野でとりわけ大きな成果が得られた。これは、人的・物的資源を国にとって優先度の高い科学技術分野に集中的に投下できる体制が整っていたからこそ実現できたと言える。時代の要請もあって、国力や経済力のバランスを失してまでも軍事技術開発を進める必要があったことは想像に難くない。いわば資金や技術の重点配分が行われ、一点豪華主義的に特定の優先分野への肩入れが行われた。

  国策として軍事科学研究に最高の優先度が与えられた結果、1947年にはプルトニウム生産用原子炉を完成させ、1949年には核実験を実施し、1953年には水素実験も行った。また、ドイツが開発したV-2ロケットをさらに発展させるため、ドイツから数千人の宇宙開発関連の研究者・技術者をソ連に連行するとともに、主要な関連施設・装置を接収の上、ロシア本土に持ち帰った。
  冷戦時代には、原水爆開発、ミサイル技術、そして宇宙開発等を通じて米ソは熾烈な技術開発競争を繰り広げることになったが、1950年代から1960年代はソ連の科学技術が最も輝いていた時代と言える。1957年にはライカ犬による宇宙飛行を達成し、1961年にはガガーリン(Yuri A. Gagarin)を乗せたボストーク宇宙船による世界初の有人宇宙飛行を成功させた。一方、原子力の分野では、1954年にオブニンスク市において世界最初の商業用原子力発電所が運転を開始した。

  ソ連崩壊後のロシアは、特に経済面では塗炭の苦しみを味わったが、それでも宇宙や原子力の分野は世界トップレベルの実力を示してきた。現在のロシアでも軍事関連技術偏重型の科学技術の発展という過去の構図は変わっていない。研究開発の予算内訳では軍事用を含むその他の研究開発費は民生用とほぼ同じ額を占め、その比重は大きい。ロシア国外での原子力発電の展開状況は順調で、燃料製造・ウラン採掘・発電・廃棄物リサイクルをパッケージで受注できるようなビジネス展開を行っている。
  しかしながら、ロシア(ソ連)の防衛予算の推移を見てみると、ソ連の崩壊により防衛予算は激減している

  2015年のロシアの防衛予算は664億ドルであった。これは、米国(5,960億ドル)、中国(2,148億ドル)、サウジアラビア(872億ドル)に次いで世界第4位の規模を有し、ロシアは世界有数の軍事大国であると言うことができる。防衛予算額の大きいトップ6か国。

  兵器輸出の世界シェアを見てみると、ロシアは米国に次ぐ世界第2位の地位を占め、兵器輸出大国としての存在感を示している。2010~2014年のロシアの兵器輸出量は、2005~2009年と比べて37%増加した。2010~2014年のロシアの兵器輸出取引では、インドが39%を占め、次いで2位が中国(11%)、3位がアルジェリア(8%)である。これら3か国で全体の約6割を占める。ロシアはこの5年間に世界56か国に兵器を輸出している。

  こうして、防衛分野の予算額は大幅に減少したとはいえ、現在でもロシアの戦闘機やミサイル等の軍事兵器は開発・製造・販売において世界の市場で精彩を放っている。この背景の一つとして考えられるのは、世の中の情勢が変化するなかでも、国の存立は軍事力であり、軍事力を支える軍事関連技術開発が根幹にあるという強い信念が、帝政ロシア、ソ連、その後の新生ロシアにおいても延々と受け継がれてきたことによるという点であろう。
  ②遅れた民生用技術開発、進まぬイノベーション
   先述のとおり、ロシアにとって兵器の製造・輸出は重要であり、それを支えるために優れた性能を有する戦闘機等の開発を行っている。しかし、それよりはるかに一般的な技術であると思われる自動車の大量生産技術においては、他の工業先進国に比べ遅れをとっている。ロシアは、宇宙や原子力などの複雑なシステムを伴う技術やプラントの輸出を行っているにも関わらず、家電や日常雑貨品等を大量に外国から輸入している。

   民生と軍事における研究開発のレベルの乖離は、システムの発展のあり方が異なることに起因すると思われる。ソ連時代を通じて、民生と軍事は完全に分かれて発展してきた。例えば一つのロケットを製造するのに約1,000もの会社が関わっているが、これら会社は軍事目的のためだけに注力しており、民生の研究開発に資することはない。日本のように、民間企業の研究開発が軍事分野にも利用されるといった発展の経路をソ連・ロシアは辿ってこなかった。またソ連時代は、軍事技術の開発は秘密都市や閉鎖都市といったところで外部とは切り離されて進められてきたため、どうしても民生分野の技術開発は遅れてしまう結果となった。
   軍事関連技術の発展の構図と反比例するように、民生分野の技術開発に関しては競争原理が機能せず停滞気味である。例えばエレクトロニクス分野などは欧米諸国の模倣すらできないほど遅れた状態にあると言われており、ロシアの半導体企業は世界の半導体市場を牽引する企業から大きく引き離され、世界の半導体市場に占める割合は僅かなものにとどまっている。ロシアの科学技術は、有人宇宙船を飛ばせても、国産として誇れる家電や自動車の開発は停滞を余儀なくされているという跛行的な発展状況にある。

  先に述べたとおり、ロシアでは民間の研究開発を牽引する製造業が振るわず、研究開発要素の小さい「鉱業、採石業、砂利採取業」が主幹であり、概して民間の研究開発投資が低調である。結果的に研究開発の多くは公的資金を投入して実施されることになり、競争の中でボトムアップ的に勃興するようなイノベーションを生み出しにくい環境が形成されるという悪循環に陥っている。
  ソ連時代の科学技術の発展が軍事技術偏重の歪なバランスの上に成り立っていた状況が現在でも続いている原因の一つは、ロシアの経済構造にあると思料される。ソ連崩壊直後の経済的混乱から回復の道へとシフトできたのは、新興国の経済発展に伴う原油等の資源価格の高騰を受けてであった。図表24は、ロシアのGDP成長率と原油価格の推移を示したものであるが、成長率が価格の動きに連動している。天然資源の開発にもそれなりの技術は必要だが、他の産業技術と比較すると開発にそれほど大きな労力を要しないと考えられる。このように、石油や天然ガスの輸出によって潤沢な国家予算を確保できるような恵まれた経済環境では、自ら進んで科学技術の発展やイノベーションの振興に取り組むモチベーションが低下してしまうという危険も孕んでいる。

  加えて、約70年に亘る社会主義時代に形成されたノルマ優先で価格や品質面での競争を生まない社会システムが、イノベーションの創出を促す素地になっていないことも技術の進歩を阻む一因になっていると思われる。現状を変えようにも、既得権益があらゆるところに張り巡らされており、改革は容易ではない。
  これに追い打ちをかけるのが、ソ連崩壊後の社会的な混乱を経て蔓延しているマフィアの専横や汚職・賄賂の横行である。
  プーチン大統領やメドヴェージェフ(Dmitry A. Medvedev)首相などロシア政府の幹部は、脱石油・天然ガスを念頭においたロシアの将来的な国家ビジョンの構築が喫緊の課題であることを認識しているはずである。ロシアで民生分野の研究技術開発を推進し、イノベーションを起こして他の先進国並みの産業技術力を持つ国にロシアを変えたいと考えているようであるが、前途は多難である。

  ③科学者・技術者の豊かな独創性、粘り強さ
  ロシアは、米国や、英国、フランス、ドイツといったヨーロッパの主要国と比較すると、科学者の厚みという点では劣ると考えられるが、これらの国々に劣らない独創性豊かな科学者を生み出してきた。科学技術のアウトプットのところで言及したとおり、帝政ロシア時代から、ノーベル物理学賞や生理学・医学賞などの研究者、数学のフィールズ賞などの科学者を輩出してきた。
  また、ロシアの科学者は概して粘り強く、我慢強いとも言われている。膨大な基礎研究に裏打ちされた科学者のユニークな発想をものづくりにまで展開させていくためには、優れた技術者が不可欠であるが、ロシアには粘り強く課題に立ち向かう技術者がいたことも、経済力や国力で圧倒的に優位にあった米国にも対抗できた所以であろう。

  ソ連崩壊後、多くの海外企業が製品販売市場としてのロシアに着目するなかで、米国の半導体メーカーであるインテル社が研究開発拠点としてのロシアの有望性に着目したのも、こうした優れた科学者や技術者が存在していたからこそである。インテル社は、ソ連崩壊直後の1992年に早くもロシアの閉鎖都市の一つであったアルザマス16(現在の名称は「サロフ」)において、100人のソフトウェア開発者と契約を締結し、委託契約による研究開発を開始した。その後、ニジニノヴゴロド、アカデムゴロドク(ノボシビルスク科学都市)、サンクトペテルブルクと研究開発の拠点を次々に開設し、研究者を雇用して研究開発やソフトウェアの開発を行ってきた。同社にとってロシアは米国外では最大の研究開発拠点となっている。
  また、米国ボーイング社も洋上からのロケット打ち上げシステムであるシーローンチ社への資本参加等を通じて、ロシアの航空宇宙分野の研究者や技術者を雇用していると言われている。その他、韓国のLG電子も2004年にサンクトペテルブルク国立大学に研究開発センターを開設し、ロシアの優秀な技術者を雇用してロシア市場向けの携帯電話用ソフトウェア開発を開始している。
  こうして、研究者や技術者の雇用を通じて、ロシアの研究機関と外国企業との研究開発における連携例がソ連崩壊後のロシアにおいて幾つも見られる。

  ④優れた英才教育システム
  このように優れた科学者、技術者を生み出すことができたのは、ロシア帝政時代から続く英才教育の蓄積があったこともその一因である。ロシア帝政時代にはすでに、多くの専門家が英才児の教育を支援し、育成プログラムを開発し、特別教育制度を導入する学校の開設まで行われていた。
  ソ連時代の1960年代には、特別寄宿制中等学校がモスクワをはじめとする大都市に設立された。これら学校では、ソ連国内で大学のない僻地の英才児のために寄宿舎を提供し、高いレベルの科学教育を施し、労働実習を免除するという制度をとっていた。ソ連崩壊後もこの特別寄宿制中等学校は存続しており、ロシア国内だけでなく、旧ソ連諸国からも生徒を受け入れている。例えば、モスクワに設置された特別寄宿制中等学校では、入学後の授業は大学レベルで行われ、自由研究やクラブ活動を通して創造性を育んでいる。卒業生にはモスクワ国立大学に無試験で入学できる特典がある。
  この他、外国語や物理・数学、体育などの特定の分野を深く学ぶ特別学校や特別学級が、ソ連時代以降設置されてきた。

  2010年にノーベル物理学賞を受賞したロシア生まれの二人の研究者、ガイム博士(Andre K. Geim)とノボセロフ博士(Konstantin S. Novoselov)は受賞が決まった直後のインタビューにおいて、ソ連・ロシアで受けた教育は世界最高水準にあったと評したが、職業的な理由で祖国を去ったとしている。その理由とは、ロシアは施設も環境も整っておらず、さらに、汚職や官僚主義がはびこるなかで真に国際的な研究チームを形成することができないということであった。
  彼らの発言はロシアの科学技術が直面している問題の一面を浮き彫りにしている。まず、今のロシアには、科学技術の発展を支えるためのリソースが不足している。科学技術へのインプットのところで確認したとおり、低調な研究開発投資、そして研究人材の減少と高齢化が解決すべき喫緊の課題として挙げられるが、抜本的な解決策が示されているわけではない。また、蔓延する汚職等が研究開発の推進を蝕む状況にあるかぎりは、国内外の優秀な研究者を惹きつける魅力的な研究土壌をロシアで育むことはできないと考えられる。

III.科学技術・イノベーションの組織概要
  本節では、ロシアの科学技術関連の行政機構について説明を行う。その後、プーチン政権における科学技術政策について概説したい。
1.科学技術関連組織
  ロシアでは制度の変更が迅速かつ柔軟性をもって度々行われており、行政レベルでも省庁の再編は頻繁になされている。ロシアの主要な科学技術組織をまとめた。

  ①大統領
  ロシアでは、国家元首である大統領が、行政の中心として科学技術に関しても強い指導力を発揮している。大統領が科学技術政策の決定を行うにあたって、専門的な視点から助言等を行う科学教育評議会が大統領附属の機関として設置されている。同評議会の役割は、科学技術・教育政策の実行に施策についての助言、国内外の科学技術・教育を取り巻く最新情報の定期的な報告などである。その他、大統領府には科学教育政策局が置かれているが、報道等で取り上げられることは稀であり、科学教育評議会が助言を行う際により広い視野から政策決定に携わっていると考えられる。

  ②政府(連邦首相府)
  科学技術・イノベーション政策の決定・執行等に際し、省庁レベルで中心的役割を果たすのは教育科学省である。教育科学省は、教育、科学技術、イノベーションなどに関する活動全般について、規範や法的規制を確保する役割を担う。また、ハイテクセンターやサイエンス・シティも所掌している。さらに教育科学省は、政府に連邦法案、規制法案等を提出するとともに、連邦特別プログラム(明確な目標を掲げた国家プロジェクトのことを言う)を遂行する。もちろん、経済発展省や天然資源・環境省もその所掌に応じて科学技術・イノベーション政策を推進している。また、教育科学省は全国の高等教育機関を所管する立場にもある。
  政府直属の主たる科学技術関係組織としては、ロシア科学アカデミー、連邦科学機関局、モスクワ国立大学およびサンクトペテルブルク国立大学、国営宇宙公社ロスコスモス、国営原子力公社ロスアトム、クルチャトフ研究所、ロスナノなどがある。

  ③ファンディング機関
  ③−1 ロシア基礎研究基金(Russian Foundation for Basic Reseach:RFBR)
  ロシア基礎研究基金(RFBR)は、すべての科学分野における基礎研究を支援することを目的として1992年に設立されたファンディング機関で、大学や研究機関から申請された内容を科学的に審査し、優れた提案に資金を配分する、いわゆる競争的資金を管理・運営している。助成するプロジェクトは、基礎研究に関連したものに限られ、応用研究やその先のイノベーション創出を目指した出口志向型のプロジェクトは支援の対象にならない。RFBRは、ボトムアップ主義を徹底しており、研究者は比較的自由に研究課題を選定し、研究を実施することができる。
  後述するロシア科学基金(RSF)とRFBRの両機関は、基本的に国からの方針に基づきプロジェクトを運営している点では同じであるが、グラントの規模と使用可能な用途が異なる。グラントの規模については、RFBRは年間500万ルーブル程度が最大であるが、RSFにおいてはより柔軟にさまざまな幅で資金の準備ができる。また、RFBRではグラントは研究費のみしか使用できないが、RSFの経費は人件費やプロジェクト運営のための諸経費にも使えるという点で異なる。
  ③−2 ロシア科学基金(Russian Science Foundation:RSF)
  ロシア科学基金(RSF)は、基礎研究および探索研究への支援、研究者の育成、科学研究分野で指導的立場を担える人材の開発等を目指して、2013年11月に発足した大統領府直属のファンディング機関である。
  RFBRと比べて、RSFでは様々な幅でのグラントを準備することが可能である。資金配分対象については、国の定める優先的分野における目的志向のプロジェクトを多く実施しているため、RSFは科学技術振興機構(JST)に近い立場にあると考えられる。主な公募対象としては以下の9分野が挙げられている。
   数学・IT   物理学・宇宙   化学・材料科学   バイオロジー・ライフサイエンス   医学   農業科学・食糧   地球・環境   人文・社会科学   工学。
  その他、ロシアには、人文社会学研究の比較的小規模なプロジェクトに助成するロシア人文科学基金や、ロシア版の国防高等研究計画局(DARPA)を目指して設立された先進研究基金などのファンディング機関がある。

2.現政権の科学技術政策
  ①プーチン政権の科学技術に対する基本的考え方
  プーチン政権の科学技術政策に対する基本姿勢は、①基礎研究の振興にも一定の予算を確保しつつ、②産業界(民間)からの研究開発投資を奨励し、③資源に依存しない経済構造の一助となるべくイノベーションの振興や民生分野の研究技術開発を推し進めるというものである。
  プーチン大統領は2012年10月、科学教育評議会の会合の席で、2002年時と比べると2012年では約10倍の科学技術予算が計上されているが、それでも科学技術への資金は十分ではなく、将来的にはこの分野の民間投資の割合を大幅に増加させ、国営企業のみならず民間企業も含むビジネス界が研究開発プロジェクトに資金を提供できるような環境を生み出す必要があると発言した。その一方で、将来においても依然として国家が最大の科学技術に対する資金源であり続けることに変わりはなく、急激な変化をもたらさずに新しいアプローチを徐々に導入していく必要があるとも述べている。
  このプーチンの発言の直後、メドヴェージェフ首相は、2020年までにロシア全体の研究開発投資の対GDP比を3%にまで増加させるとの提案を行った。また、リバノフ教育科学大臣(当時)も、応用研究への公的資金の投資を減らし、民間の研究開発投資増加に向けた諸条件を整えることが必要であると提案している。

  ②科学技術・イノベーションに関する基本計画と戦略
  ロシア政府は2012年12月に、ロシア連邦国家プログラム「2013−2020年における科学・技術の発展」を公表した。本プログラムがロシアにおける現行の科学技術基本計画である(2014年4月に一部改訂)。
  本プログラムは,基礎研究および各分野における予算額、目標となる指標など、今後の科学技術分野における基本的な計画および方向性を示したものである。教育科学省が責任省であり、関連省庁、ロシア科学アカデミー、RFBR、モスクワ国立大学等が実施主体となっている。その目指すところは、競争力・機能性のある研究開発セクターを形成し、それらセクターがロシア経済の技術的近代化のプロセスにおいて主要な役割を担うことにある。

  6つのサブプログラムとして、「基礎研究」、「課題解決型応用研究と次世代有望分野における基礎研究の発展」、「研究開発セクターの分野横断的なインフラの整備」、「科学技術の国際協力」、そして「国家プログラムの実現に向けた取組」が設置されている。
  本プログラムでは、評価のための具体的な指標として、文献データベース「Web of Science」に収録された学術誌におけるロシア人研究者の比重、抄録・引用文献データベース「Scopus」に収録された学術誌におけるロシア人研究者の100人当たりに占める文献の比重、「Web of Science」に収録された学術誌におけるロシア人研究者の1文献に対する引用数等を挙げている。

  2013~2020年の期間について、2013年を第一段階、2014~2017年を第二段階、2018~2020年を第三段階と3つに分け、8年の全期間を通じて総額約1.5兆ルーブルの国家予算が想定されており、それ以外にも約6,400億ルーブルの追加資金が認められている。また、2020年までにロシア全体の研究開発分野への投資を対GDP比で3%にまで増加することを目指すとともに、研究開発予算における公的投資を減らし、2020年までには半分以上が外的資金により賄われることを想定している。
  こうした政府の基本計画をもとに、教育科学省は、セキュリティ・テロ対策、ナノ産業振興、ICTシステム、ライフサイエンス、輸送・宇宙システム、軍事兵器の改良、環境マネジメント、エネルギー効率性・エネルギー保全・核エネルギーの8つの方向性を優先領域として設定している。
  イノベーション振興に特化したものとしては、2011年12月に策定された「イノベーション発展2020戦略」がある。同戦略により、2020年までにロシア経済を以下の基本的指標で示されるイノベーション発展の道筋に導くことが目指されている。
   技術イノベーションを実現するため、製造業企業の割合を増やし、その総数を最大40~50%まで引き上げる(2009年は9.4%)
   ハイテク製品とサービス(原子力、航空、宇宙開発分野の技術とサービス、特殊な造船技術などを含む)の世界市場におけるロシアのシェアを5~7以上の経済部門で最大5~10%引き上げる
   GDPにおけるイノベーション部門の粗付加価値税を17~20%引き上げる(2009年は12.7%)
   工業製品全体に占めるイノベーション製品の割合を20~30%引き上げる(2010年は4.9%)
   国内の研究開発費の対GDP比を2.5~3%に引き上げ(2014年は1.19%)、うち過半数を個人部門(外部資金)が占めるようにする
   世界の学術誌の掲載論文全体に占めるロシアの研究者の発表論文数の割合を最大3%まで引き上げる(2010年は2.8%)
   文献データベース「Web of Science」に登録されている学術誌に掲載された論文1本あたりのロシアの研究からの引用数を最大4本に引き上げる(2010年は2.4本)
   QS社の世界大学ランキングの上位200位にランクインするロシアの大学数を最大4校に引き上げる
   欧州特許庁(EPO)、アメリカ合衆国特許商標庁(USPTO)、日本国特許庁(JPO)に、ロシアの個人および法人により毎年登録される特許数を2,500~3,000件に引き上げる(2009年は63件)
   ロシアの主要大学に投資される研究開発事業の資金の割合を最大25%に引き上げる
   2015年以降の年間経済成長率は、イノベーションの発展により、経済成長の見通しに加えて0.8ポイント引き上げられる見込みである。
  前節で見てきたとおり、ロシアにおける研究開発投資の政府と民間の割合は7:3で、民間の研究開発投資は低調である。上記の政府の政策や戦略では、民間を含む外部資金の割合を増やすことを掲げているが、研究開発の要素の小さい「鉱業、採石業、砂利採取業」が国の基幹となっている産業構造を変えるなど抜本的な解決策を提示しないかぎりは、研究開発投資の政府割合は高いままである。その場合、科学技術における質の高いアウトプット、また、研究パフォーマンスの向上を期待することは難しいだろう。

IV.ロシア科学アカデミー
  ロシアには約3,500の研究機関が存在し、そのうち7割以上が国立の研究機関である。人員ベースでは、8割近くの研究者が国立の研究機関に属している。そのなかでも、基礎科学の担い手として帝政ロシアやソ連時代から多くの研究成果を挙げてきたのが、ロシア科学アカデミー(Russian Academy of Sciences:RAS)である(以下「RAS」と略す)。当該組織は、科学研究を目的とするロシア最高の学術機関と言える。

1.沿革
  ロシアの科学技術の歴史は、西欧の科学技術を積極的に導入していくため、1724 年にピョートル大帝により設立されたサンクトペテルブルク帝国科学芸術アカデミーから始まる。これが、現在のRASの前身である。同年、アカデミー附属の教育機関としてアカデミー大学が設立されたが、これが現在のサンクトペテルブルク国立大学の前身となった。
  日本にもRASから連想される機関として日本学術会議がある。日本学術会議は全国約84万人の科学者を代表する機関であるが、その役割は主に政府への政策提言等であり、数多くの研究所を有するRASとは全く異なる組織形態となっている。歴史的に、日本をはじめ米国や英国では、大学が教育と研究の双方を担う機関として発達し、その後、特別の分野において研究開発を実施するために国立研究所等が設立されたが、ロシアでは、研究機関としてRASが、教育機関として大学が設立された歴史があり、日米英とは発展のシステムが大きく異なる。ロシア研究教育体制は、先に研究機関のアカデミーが作られ、それが教育機関である大学を附置したという順序の上で形成されてきたのである。
2.組織構成
  RASは時間をかけて自然科学および人文・社会科学の基礎科学研究を担う総合的な学術組織として発展してきた。研究領域と地理的領域の原則で構成されており、13領域からなる研究科、本部直轄の15の地域科学センター、そしてウラル、シベリア、極東にある3つの地方支部がある。傘下の研究所には、ノーベル物理学賞受賞者を多数輩出しているレベジェフ物理学研究所、ヨッフェ物理工学研究所が含まれ、その数は約500におよび、約10万人の職員(うち半分は研究者)を擁していた。
3.運営
  意志決定は、RASの最高議決機関である「総会」で行われる。総会は、総裁、10名程度の副総裁、60名程度の理事会メンバーで構成され、年に2回程度開催される。実質的な運営機関としては、「幹部会」という総裁、副総裁、各部長で構成される組織があり、総会の決定事項を執行する役割を有する。
  RASは、管理・運営部門の幹部会、研究所に加えて、アカデミー正会員(アカデミシャン)、準会員(コレスポンディング)の制度を有している。対象はRASのみならずロシアの全研究者であり、顕著な科学的功績に対して与えられる極めて高い地位の称号となっている。両会員とも終身会員であり、新たな正会員は現会員による投票で選ばれる。日本からは、ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊東京大学名誉教授や鈴木厚人高エネルギー加速器研究機構長、東北大学総長を務められた西澤潤一先生らが外国人会員として名を連ねている。
4.RASをめぐる近年の動向
  RASは19世紀の設置以降、帝政ロシア、ソ連、そして新生ロシアにおいて、科学研究、特に基礎科学の重鎮として国内外の科学界を率いてきた。独立の非営利機関として、国家から委譲された資産の所有・運営、傘下の研究所の設置・廃止を自由に実施できるなど、かなり独立性を有した組織であった。
  しかし、内部のみで活動評価を行うという閉鎖性や、経済社会の変化に対応できていない等、その非効率性に対して批判が相次いだことを背景に、RASに対する政府の管理が強化されることになった。最初の一歩として、RASで選出された総裁が正式に任命されるには大統領の承認が必要、また、規約の作成・改正にも政府の承認が必要とされた。

  しかしながら、上からのコントロールを若干強化したところで、何ら組織の改変が促されることはなく、旧態依然とした構造を変えることはなかった。閉鎖性や非効率性といった問題以外に指摘されていた点として、設備の老朽化と人材の高齢化がある。1992年を境に新生ロシアへと国家体制は新しく変化したものの、RASの技術・資材はソ連科学アカデミーからそのまま受け継ぐかたちで利用されており、実験設備や施設自体の老朽化は明らかである。特に人文系のアカデミーでは、財政上の困窮も加わって、閑古鳥の鳴くような研究所も少なからず存在した。もう一つの切実な問題は、先の科学技術へのインプットのところでも指摘したが、人材の高齢化である。ロシアでは定年が設定されていないため,幹部、研究所長等の重役職のローテンションが進まず、後継世代の育成が遅々としている。

  上記のような状況に加え、近年のロシア政府は、質の高いアウトプットの確保および研究成果の実用化を早急に求める傾向にあり、予算投入に見合う成果が出ていないとしてRASへの批判を強めていた。先の「イノベーション発展2020戦略」で見たとおり、研究のパフォーマンスを上げるための様々な指標が出されている。
  2013年、政府主導によるRASをめぐる抜本的な改革が始まった。以下の5点が主たる方向となっている。
   肥大化した組織機構のスリム化
   RASの運営および資産管理を新設の連邦科学機関局(Federal Agency for Scientific Orgnanisations:FASO)に移管
   研究人材の若返り
   競争原理の導入
   評価制度の導入。
  第1の点に関しては、医科学と農業科学という既存の2つのアカデミーをRASに統合した上で、研究所の重複を排除するため機関の統廃合を行った。そもそもRAS全体で約430もの研究所を有しており、医科学と農業科学傘下のものを合わせると、1,000近くになる。改革が始まる以前と以後の組織構造をそれぞれ示した。
  第2の点は最も論争を引き起こした点である。つまり、これまでどおり資産等はRAS自らが自由に管理することができず、FASOという新設の省庁の監督下に置かれることとなった。この資産とは、第1の点により束ねられた約1,000の研究所を含む。従来はRASを通じて支給されていた予算が、研究者・事務職員の給与や建物の光熱費から国際協力に係るすべての項目を含め、現在はFASOから支給されている。問題なのは、FASOは財政等が専門の役人の集合体であり、科学技術分野の改革の中心を担う機関として効果的に機能できるのかという点である。
  第3の点では、定年制の導入が争点となっている。ロシアでは、ソ連崩壊後から続く若手研究者の頭脳流出問題と併せて、人材の高齢化が懸念されているが、いまだこの問題に対して有効な手立ては立てられていない。研究所所長、室長等の幹部の定年を70歳に設定するという改革案が以前議論されたこともあったが、年齢制限は人権侵害にあたるとの見解が根強く残っており、最終的には採用されなかった。これは、定年制導入により自らの既得権益を失うことを恐れた上層部の反対が大きかったと考えられる。現状では、定年を65歳とするという案で概ね合意する見込みであると言われている。
  第4の点は、外部からの競争的資金の獲得を奨励する等、RAS内に競争的環境を生み出すことを目指している。
   そして第5の点については主に、研究所の活動に対する評価制度を実施することを意味している。2014年10月には、この評価を行う委員会のメンバー構成が発表され(1/2は大学や研究機関関係者、1/4は実業界や社会団体、1/4はFASO職員)、研究を含む活動全般に係る効率性の評価、金融経済活動の調査等が実施されていくことが想定されている。
  今回の改革は、約300年に及ぶRAS史上においてかなり抜本的な意味を持っていると思料される。組織の構造や所管については一段落着いたが、2016年8月に新しく着任したバシリエバ(Olega Yu. Vasil’eva)教育科学大臣は改革の続行を支持していると言われている。というのも、現状では、FASOが光熱費からプロジェクト経費まですべての財源を握っているのに対し、RASが研究の方向性に対する科学的な助言や実際のプロジェクトの実施について強く関与しているといった二項対立が生まれており、それに伴うシステムの非効率性に不満を抱く者も少なくない。そこで、FASOが教育科学省の一機関として吸収されるか、RAS傘下に入るのかいずれかの案が出ているようである。後者になれば、これまでの改革をすべて逆行することになるので、その可能性は限りなく低い。しかし、前者になるという保証もどこにもない。教育科学省にとってはFASOの予算を吸収することは魅力的な展開であろう。従来は大学の研究のみを所管していた教育科学省にRASの研究予算が統合されれば、より効果的な予算配分がなされるとの期待もある。
V.高等教育
  ロシアで最初の高等教育機関は,1724年にサンクトペテルブルクに創立されたペテルブルク科学アカデミー附属のアカデミー大学、現サンクトペテルブルク国立大学である。現在、ロシアには約1,000校(半分強が国公立)の高等教育機関が存在しているが、大学は教育機関として設立されたという歴史的経緯もあり、概して研究のプライオリティは低い。特に地方の大学では、RASの研究者が大学生などに研究分野を教授することにおいて重要な役割を担っていると言われている。他方、モスクワ国立大学などの一部の大学は,日米の大学と大きく変わらず、附置研究所や研究センターを有しており、名目上、現在では約6割の大学が教育と人材育成の分野のみならず、科学研究を行う機関としてロシアの科学技術の発展を支えている。なお、1990年代後半までのロシアの経済情勢の悪化を踏まえ、すべての大学が厳しい予算削減の対象となっていた。大学に配分された国家予算のほぼすべてが教育目的に使わざるを得ない状況であり、研究にはほとんど予算が割かれなかった状態も続いたようである。

1.主要大学
  以下に幾つかの有力大学を概観する。なお、ロシアの一般の大学は教育科学省が所管しているが、モスクワ国立大学とサンクトペテルブルグ国立大学は政府直轄であり、法的な地位で他の大学と明確な相違があることを予め述べておきたい。
  ①モスクワ国立大学
  ①−1 沿革
  モスクワ国立大学は、1755年、ロシア科学アカデミーの著名な研究者の一人であったミハイル・ロモノソフ(Mikhai V. Lomonosov)により、商人や町人等の貴族出身でない知識人階層への高等教育を目的とした機関として設立された。農奴以外の様々な階層から入学者を受け入れ、さらに優秀な学生は海外の大学で継続して教育を受けさせた。
  1812年、皇帝ナポレオン(Bonaparte Napoléon)率いるフランス軍のモスクワ侵攻により大学施設はほぼ全焼したが、再建されて1820年代には学生数が500人を超えた。1861年の農奴解放により国家全体が改革の気運に包まれ、大学の教員の数は増え学生数も1,500人を超えた。
  ソ連時代になると、国家が大学を運営する制度へと移行し、貧富に関係なく大学に入学できるようになったため、大学の拡充が進み、1941年までには約5,000人の学生が在籍したと言われている。第二次世界大戦後、7つのスターリン建築の中で最も巨大である高さ約240m、幅約450mの大学施設が、モスクワ市の南東に位置する雀が丘に建設され、1953年に授業が開始された。戦前と比べて5倍にまで増額された潤沢な国家予算を得て、大学の規模が拡張され、学部の増設のみならず、研究のための多くの実験室や研究センターも設立された。
  ①−2 組織構成と規模(2016年11月現在)
  学部生は2万2,563人(うち留学生は2,806人)、修士・博士を含む大学院生は1万5,587人(うち外国籍は2,410人)、教員・研究員は1万784人(うち外国籍は238人)である。サドーヴニチ(Victor A. Sadovnichiy)学長は、1981年の同大学機械学・数学部卒であり、長年大学で教育活動に従事した後、1992年から現職にある。モスクワ国立大学は総合大学として理工学、医学等の学部を有するとともに、核物理学研究所、天文学研究所などの付属研究所も多数抱えている。
  ①−3 研究活動
  モスクワ国立大学は近年、イノベーションの拠点として、教育と研究を組み合わせたシステムを確立しようとしている。2011年以降、大学の敷地内に化学、新材料、バイオテクノロジー、薬学、環境学等に関連した70もの会社が設立され、2,000人以上の教員がこうした会社でのイノベーション活動に従事していると言われている。教授幹部会も、諸会社との協力関係をうまく築き、新しい技術の開発やイノベーションに向けた研究を奨励している。
  基礎研究のレベルが伝統的に強く、これまでに科学系ノーベル賞受賞者8名(物理学賞7名、化学賞1名)、フィールズ賞受賞者6名を輩出している。また、それ以外のノーベル賞として文学賞1名、平和賞2名の受賞者が、本大学の卒業生である。
  ①−4 予算
  2013年度で見ると、大学全体の予算が約190億ルーブルで、このうち約111億ルーブルが政府からで、半分以上を占める。また、個人及び法人からの教育に関する収入(学費等)は、約35億ルーブルとなっている。
  ①−5 学費
  設立当初は、国家予算からの措置はほんの一部であったにもかかわらず、学費からの徴収が行われなかったため、足りない資金はパトロンからの支援に依存していた。大学は卒業生からの資金集めに奔走し、教授らは個人所蔵のコレクションを図書館に寄贈することが慣例となっていた。ロシア革命後のソ連では、全学生が学費を免除され、国家予算で全て賄われることとなった。
  ソ連崩壊後の資本主義経済のロシアでは、それまで無償だった学費の有償化が進められている。2013年度の学部入学生数は約7,500人だったが、そのうち無償学生は約4,000人、有償学生は約3,000人であった。
  ②サンクトペテルブルク国立大学
  ②−1 沿革
  サンクトペテルブルク国立大学の前身は1724年に設立されたアカデミー大学である。1758年から1765年の間、モスクワ国立大学の創設者であるロマノソフ氏が、このアカデミー大学の学長を務めたが、その死後大学はいったん閉鎖された。しかし、アレクサンドル1世(Alelsandr P. Romanov)の命令により、1819年に帝国サンクトペテルブルク大学として復活した。20世紀初頭までに、帝国サンクトペテルブルク大学は世界最大規模の大学の一つとなり、歴史・文献学部、哲学・法律学部(後の法学部)、物理・数学部、東洋言語学部の4学部が設置され、約1万人の学生が在籍した。
  ロシア革命後、帝国サンクトペテルブルク大学は、ペテログラード大学、レニングラード国立大学と名称を変更するとともに、ロシア初の女性高等教育機関であるベストゥージェフ女子大学を併合した。1920年~1930年代には、学部や学科が増設され、大学の規模は拡大した。第二次世界大戦中のレニングラード包囲戦で、大学の施設が甚大な損害を被り、一部は疎開したが、戦後再建され新たな学部も新設された。ペレストロイカ期の1991年8月に、現在の名称であるサンクトペテルブルク国立大学となった。
  プーチン大統領、メドヴェージェフ首相はともに同大学の卒業生であり、現在まで7名のノーベル賞受賞者(生理学・医学賞2名、化学賞1名、物理学賞2名、経済学賞2名)を誇る。
  ②−2 規模(2016年11月現在)
  20の学部を擁する総合大学であり、学生数約3万2,000人、大学院生約4,000人、教職員数約1万4,000人(うち教員・研究員は約6,000人)となっている。
  ②−3 予算
  2013年度は、政府からの予算措置は約102億ルーブルであった。同大学への政府予算は、近年急激に上昇しており、約53億ルーブルの2011年度と比べると、2012年度は約120億ルーブルまで増額された。これはモスクワ国立大学とほぼ同額である。
  ③バウマン名称モスクワ国立工科大学
  ③−1 沿革
  ロシア最古の工科大学であるバウマン名称モスクワ国立工科大学は、1830年ニコライ1世(Nikolai P. Romonov)により「職業学校」として創設された。その目的は、専門的技能と理論的学問を組み合わせた教育を行うことにあった。1868年には「帝国モスクワ工科学校」に改組され、高い技術レベルを有した機械技師、建築技師、生産管理技師を育成することが学校の目標とされた。帝政ロシア時代には、化学工業、食品工業、繊維工業、金属・木材加工業、機械工業の発展に貢献した。
  ソ連時代に入り、「バウマン名称モスクワ高等工科学校」と名称が改められたが、これは、「帝国モスクワ工科学校」時代の1905年に、大学の近くで殺された革命家のニコライ・バウマン(Nikolay E. Bauman)に由来する。ソ連時代には、機械工学、計測分野の人材育成に力が注がれ、1938年には、戦車、大砲、弾薬を扱う防衛関連の学部が、1948年には、ミサイル機器の学部が新設された。
  1989年、「工科大学」の地位が付与され、現在の名称である「バウマン名称モスクワ国立工科大学」となった。2008年9月の大統領令により、高等専門教育プログラムを実施するための教育基準及び要件を独自に設定できる大学の一つに認定された。
  ③−2 (2016年11月現在)
  学生数約1万9,000人、大学院生約1,000人である。留学生は300人ほどである。教職員数は約3,500人である。
  ③−3 独自の教授法「ロシアン・メソッド」
  バウマン名称モスクワ国立工科大学は、軍事及び航空宇宙の分野で重要な貢献をし、アンドレイ・ツポレフ(Andrei N. Tupolev、同名のソ連・ロシアを代表する航空機メーカーの創設者)、セルゲイ・コロリョフ(Sergei P. Korolev、ソ連ロケット開発指導者)といった著名なエンジニアを輩出してきた。現在も、政府・企業の軍事・航空宇宙関連部門に多くの優秀な人材を輩出している。
  高いレベルの教育および人材育成を誇ってきた理由の一つは、「ロシアン・メソッド」と呼ばれる教育と実践を組み合わせた独自の教授法にある。幾つかの学科は、企業あるいは企業と大学と共同で設立されている。例えば、航空宇宙学科は、大学が軍事産業企業「マシノストロイェニア」と協力して、1985年に設立された。学内に「マシノストロイェニア」社の事務所が、同社内に学部の教室が設置され、同社の技術者が学科で教鞭をとり、インターンとして学生が同社内で一定の期間業務に携わっている。有望な学生がいれば、同社にスカウトされることもあり、優秀な人材獲得という観点から見ても合理的なシステムと考えられる。
  ③−4 予算
  2012年度の予算収支を見ると、全収入は約95億ルーブルであった。学費収入は約5億ルーブルと小さかった。最も大きい収入は約34%を占めている研究活動費であり、その3分の2以上は国との契約に基づく研究活動費である。
2.近年の改革動向
  日本を含む主要国では、研究開発活動の拠点として大学が果たす役割は大きい。ところがロシアでは、大学における研究開発活動は低調で、伝統的に教育や職業訓練が重視される傾向にあった。研究開発費のセクター別支出における高等教育機関のシェアは、7%を切っている。また、総研究者数に占める大学所属の研究者の比率は17%に過ぎない。このようにロシアでは、研究開発活動のほとんどが、RAS(現在はFASO)傘下の研究所や省庁に付属する国立の研究機関、企業に付属する民間の研究所等によって担われてきた。したがってモスクワ国立大学やサンクトペテルブルク国立大学のような国内の最有力の大学でも、研究活動を重視する世界の大学ランキングでは低位にとどまっている。

  しかしながら、従来からの研究所や国立の研究機関を中心とする閉鎖的な研究開発システムのみでは、革新的な変化を伴うイノベーションを期待することは難しい。既に述べたように、ソ連時代から一大研究拠点として優先的に国家予算配分を受けてきたRASは、研究者の高齢化や海外とのリンクの弱さ等により、非効率的でロシア経済の近代化に貢献していないとの批判を受け、現在、大規模な改革の途上にある。
 「教育と科学と産業の乖離」問題は長らく社会で議論されてきたテーマであり、近年のロシアでは、欧米の大学を参考に、教育と研究成果を生産活動に結びつけ、産業イノベーションを創出するシステムをつくりだそうという動きもみられる。
  こうした背景から、近年のロシアでは大学の研究機能の拡充を図る流れに動いている。例えば2009年11月にプーチン首相(当時)は、その後の3年間で大学支援のために900億ルーブルを追加的に投入することを約束し、大学が国家イノベーション・システムの重要な一環となる必要性を打ち出した。2010年4月、大学支援のための政府決定が承認され、幾つかの競争的資金配分プログラムが開始された。以下において、主なプログラムの概要を述べる。
  ①メガグラント
  本プログラムは内外から優秀な研究者を誘致するためのロシア初の大規模な公募型の国際的研究支援制度であり、教育科学省が取りまとめを行っている。
  2010年~2012年の期間は国家予算から総計120億ルーブルを投入し、一件あたり最大1.5億ルーブルの助成金が支給された。2013年~2016年の期間は総計約110億ルーブルとなり、一件あたり9,000万ルーブルの助成金が支給されている。
  このプログラムは、単発の研究支援ではなく、参加した各研究者が国際的な研究誌に論文を発表したり、特許権を取得したり、競争的資金を獲得したり、企業からの発注を受けたりするようなイノベーション・サイクルを作り出すことを目標としている。誘致される研究者は、年間4か月以上ロシアの大学に在籍し、自らが研究室を組織し、地元の研究者、大学院生、大学生を巻き込んだ研究チームを指導する。研究期間は3年で、当初は1年~2年の延長が可能であったが、2013年以降は延長2年と明記されている。資金は研究者個人に対してではなく、研究を行う大学に振り込まれる。大学は資金の使用に際して、研究指導を行う研究者の合意を必ず必要とする。なお、研究者の国籍や居住地には制限が設けられていない。
  2016年11月現在では、2013年の第四次公募により選定された研究者42人が助成金を受け取って活動を行っている。日本からは東北大学流体科学研究所の丸田薫教授が選ばれた。また、第五次公募は2016年5月に申請の受付が終わり、同年9月に選定された40人の研究者が発表されたが、日本人研究者は含まれていない。
  ②産学連携プログラム
  大学における研究開発成果を活用したハイテク製品生産のために、1企業につき最大1億ルーブルを1年~3年間提供するプログラムである。2012年までの3年間に合計190億ルーブルが投入され、さらに2013年~2015年までの3年間に180億ルーブルが投入された。企業は受け取った補助金の100%以上の自己資金を投資することが要件である。
  上記以外の大学における研究支援の取り組みとしては以下のものがある。
①大学の国際競争力の強化
  英国QS社の世界大学ランキングの最新版(2016年)では、ロシアで一番の大学であるモスクワ国立大学でも108位に位置し、全体としてロシアの大学の研究水準は高くない。このような現状を打破すべく、2013年にロシア政府は「2020年までにQS社の世界大学ランキングのベスト100にロシアの大学を5校入れる」との目標を掲げた。これは、「Project 5-10」と呼ばれ、選ばれたロシアの主要大学の競争力を世界の研究・教育市場において最大限に高めることを目指す。具体的にはロシア全土にある約1,000校の中から選抜された大学に対し重点投資を行い、研究機能を上げることを狙っている。当該プロジェクトの主要な目的は以下のとおりである。
   ロシアの大学の研究能力を構築する   教育プログラムの内容と質を国際的最高水準に引き上げる   世界クラスの知的産物を生み出す   ロシアの大学が長期的に競争上優位に立つために、システム・制度・インフラに係る各方策を策定し実施する   教育、起業家精神、およびイノベーションを一体化し、教育サービスの輸出増進を図る。
  また、プロジェクトが2020年までに期待する成果は以下の3つとされている。
   大学学部の国際化 − 10%以上
   留学生の受け入れ − 15%以上
   世界ランキングにおける獲得順位 − 100位以内。
  この「Project 5-100」に参加している大学は、コンペティションを勝ち抜いたサンクトペテルブルク国立情報技術・機械・光学研究大学(ITMO)等21校である(2016年11月現在)。選定された大学は、各々の卓越したプロジェクトの進行状況について、ロシア主要大学の競争力強化に関する評議会1と教育科学省に報告する義務を有し、世界大学ランキングに入るなど、そのロードマップを実現することが助成する重要条件となっている。また、これら選定大学は予算外の財源から資金を確保できる能力を証明する必要がある。
 投入された国家予算について見ると、2014年度は選定大学15校(当初は15校が選ばれた)に対し計100億ルーブル(一大学平均7.7億ルーブル)が特別予算として措置された。2016年度予算では、選定大学21校全体に対し計約110億ルーブル(一大学平均5.2億ルーブル)が助成金として用意されている。
  選定大学はこのような追加的な予算を用いて、研究ポテンシャルの向上、施設拡充を行っている。実際、当該プロジェクトの成果は少しずつ表れている。第一に、世界大学ランキングに記載されるロシアの大学の数が増えている。第二に、学科別のランキングでも、伝統的にロシアが強い分野(物理学、数学)だけでなく、社会科学系の分野の幾つかでもロシアの大学の順位が上がっている。多くの大学で研究成果や発表論文数の伸びが見られ、引用件数は2012年以降倍増した。
②国家研究大学(National Research Universities)への再編強化
  既存の大学を再編強化し大学の研究ポテンシャルを高めるため、10年間の期限付で大学に「国家研究大学」というステイタスを付与する制度が2008年に導入された。これは、特にハイテク部門の専門家の養成、再教育に焦点を当て、基礎・応用科学の両分野における教育のレベルアップを目的としている。
  最初の国家研究大学として、国立冶金大学、原子力研究大学の2校が2008年に選ばれた。前者の国立冶金大学はその際、大学名を国家科学技術大学MISISと改めている。その後の応募を通じて、27大学が国家研究大学に指定された。

  指定を受けた各大学は、通常の予算措置に加え、10年間に亘り18億ルーブルの追加予算を受け取る。2割程度の予算については大学にも自己資金から拠出することが求められている。なお、10年の期限に達しなくても、認定基準を満たさなくなった大学は国家研究大学の地位を失うこともある。
  研究支援に特化した施策ではないが、地方における教育研究システムの最適化を目指した取り組みとして以下のものがある。

地方における大学拠点形成 −  連邦大学の設置 −
  連邦大学の創設構想は、メドヴェージェフ第一副首相(当時)が2006年から担当してきた「優先的国家プロジェクト」の一分野である教育プロジェクトの中で培われたものである。同氏が大統領となった後、2009年2月に大学活動に関する連邦法を改正し、連邦大学の設立に本格的に着手した。
  これは、核となる既存の大学を拠点とし、そこに複数の大学を統合して一つの総合大学を作る仕組みをとる。目標は世界に通用するレベルの大学を創設することであり、これによって地方の教育教育システムの最適化を図るとともに、地方の研究機関や連邦管区内の経済・社会活動と連携していくことを目指す。概ねそれぞれの連邦管区に1~2つの連邦大学が創立されているが、中央連邦管区のように連邦大学が存在しない連邦管区もある。

  2006年に南連邦大学(ロストフ・ナ・ドヌー市)とシベリア連邦大学(クラスノヤルスク市)が、2010年にバルト連邦大学(カリーニングラード市)、沿ヴォルガ連邦大学(カザン市)、北連邦大学(アルハンゲリスク市)、北東連邦大学(ヤクーツク市)、ウラル連邦大学(エカテリンブルグ市)が、2010年に極東連邦大学(ウラジオストク市)、2012年に北コーカサス連邦大学(スタヴロポリ市)、2014年にクリミア連邦大学(シンフェロポリ市)が創立され、2016年11月時点で10校の連邦大学がある。
  各大学は、設置に当たり約60億ルーブルを受け取ったとされている。また追加予算も毎年措置されている。当該予算は主に、ITインフラの充実や高い能力をもつスタッフの雇用に用いられる。
VI.近年の科学技術動向
  ここではロシアにおける近年の科学技術動向について言及する。スコルコボおよびロスナノ、並びに、日露共同研究の好例として味の素ジェネティカ研究所(AGRI)、国際連携の好例として国際科学技術センター(ISTC)の組織について紹介する。
1.スコルコボ
  ロシアでは近年、基礎研究の成果を産業化やイノベーションに結び付けることが科学技術の最優先課題となっており、産業化に直結する投資政策の一環として開始されたのがスコルコボ計画である。
  スコルコボ計画とは、2009年にメドヴェージェフ大統領(当時)が打ち出したロシアの近代化政策の一丁目一番地とも言える施策であり、経済近代化に向けて取り組むべき5つの方向性(エネルギー効率、原子力、宇宙・通信、医薬、IT)が示された。これは、米国のシリコンバレーと同じような研究開発拠点をモスクワ郊外のスコルコボに創設していく、つまり「ロシア版シリコンバレー」の形成を目指す計画である。計画はプーチンが3期目大統領に就任して以降も引き継がれ、現在進行中の建設工事は2020年に完成予定と言われている。
  スコルコボの建設立案に至る背景には、ロシア固有事情として主に以下の3点があったと推測される。
   ロシアは基礎研究には強いが産業応用や開発に弱く、有望なシーズを十分活かしきれていないとの認識がロシアの知識層を中心にあった
   ソ連時代からの老朽化した研究インフラでは最先端の研究を行うことが難しい
   世界クラスの知的産物を生み出すためには、資源依存型の経済からの脱却を目指して早急にイノベーションを起こす必要がある。
  ロシアにはスコルコボの建設に先立ち、同様の施策、例えば各種税の免税等の優遇措置が得られる経済特区の指定、特定の分野に特化したテクノパークの設立、ソ連時代の閉鎖都市という位置付けから宇宙・航空機や原子力といった特定の分野に分類されたサイエンス・シティへの指定変更等が実施されており、計画発表当初は、これら地区からはなぜ新たにスコルコボを作る必要があるのかといった疑問の声も囁かれた。
  スコルコボ計画では4E(エネルギー効率、環境適合性、人間工学、経済効率)の実現を掲げ、魅力的な居住空間と商業化につながる数多くのイノベーションを起こしうる研究開発空間を一体とする世界最先端の都市環境の創設を目指している。研究開発の中心としてイノベーション・センターを置き、同センターでさまざまな研究開発や教育を実施することとしている。
  2020年の完成にむけた主要ミッションは大きく分けて次の3つである。
   スタートアップ企業支援
   スコルコボの都市建設
   教育の充実。
  第1の点については、スコルコボの建設が始まった2010年と同時に開始され、現在(2016年3月時点)にいたるまで続いている。その間、スコルコボが支援したスタートアップ企業は、のべ1,400社にのぼり、1万7,700もの新規雇用を創出した。
  第2の点に関して、スコルコボの建設当初は、建設予算全てが国家予算によって賄われていたが、現在は30%が国家予算、70%が民間からの出資となっている。民間からの投資を積極的に呼び込みながら、2020年までの完成が目指されている。
  第3の点はスコルコボ科学技術大学(スコルテック)に関係している。スコルテックは現在(2016年3月時点)、修士およびPhDを合せて315人、59人の教授を擁し、9つの研究教育イノベーション・センター(Centers for Research, Education and Innovation)を有する。2020年までに、この数をそれぞれ315名から1,200名に、59名から200名に、9から15に増やす予定である。キャンパスはまだ建設中である。

  ロシア国内外の80以上の企業がスコルコボとパートナー合意を結んでおり、うち63企業が実際に研究開発拠点をスコルコボに置いている。スコルコボでは、国内外の企業と積極的に協力協定を締結し、その誘致を招聘してきた。日本企業としては初めて、パナソニック・ロシアがスコルコボのイノベーション・センターに入居する旨の合意書を締結した。同社は2015年、パートナー企業として初めて日本からスコルコボに進出した企業である。
  多くの日本企業がスコルコボ進出に足踏みするなか、パナソニック・ロシアはスコルコボから見えるロシアの研究開発のあり方は重要との方針を持ち、積極的に関与していこうとする姿勢を打ち出している。

  ロシア政府が巨額の資金を投じてスコルコボ計画を成功させたいと躍起になる理由は一体何だろうか。それは、スコルコボの完成が、上述の5つの方向性に関する科学都市のモデルケースの成功例を打ち出すことにほかならず、それにより、国内外の民間企業や外国政府がロシアの研究開発拠点に進出・投資することのメリットを生み出すからである。また、行政機関の規制等により新技術の開発が遅れているロシアでは、スコルコボに参加することで得られる各種優遇措置が、産業界が研究開発投資を行うインセンティブを大きくし、規制緩和の重要性を社会や国民に知らしめる好例ともなりうる。
2.ロスナノ
  限られた国家予算を重点的に配分することを目的に選定された優先的科学技術分野の一つに「ナノシステムと材料産業」がある。2007年の「ナノ産業発展戦略」の承認を受け、ナノテク重視の方向性が明確に打ち出された。これを受けて、ロシア政府が株式を100%保有する公開株式会社「ロスナノ」が設立されたのは2011年3月のことである。
  ロスナノはその設立に際し、ロシア政府から1,300億ルーブルの資金譲渡を受けており、製造業につながるナノテク関連のプロジェクに投資を行っている。ロスナノは投資専門の機関であり、その投資条件の最重要項目は産業化時のインパクトの大きさである。2015年までのロシア国内のナノ産業の市場規模を9,000億ルーブルとし、うち自らが出資した企業による売上高を3,000億ルーブルとするとの計画を打ち出していた。この点については、2015年10月に東京で行われたロシア経済の近代化に関する日露経済諮問会議第5回会合の席上、「70以上の製造企業とナノテク企業の立ち上げに成功し、2015年の売り上げは3,000億ルーブルを達成」との発言がロスナノ側からなされた。
  出資対象となるのは製品化直前の段階にある技術である。その出資要件は、代替エネルギー、バイオ医療、新材料、光学機械、金属加工等の分野においてナノテクに関連した技術的実現可能性を有し、2.5億ルーブル以上の売上げが見込め、ロシア国内に製造工場を置くことである。出資の形態は株式購入、債権購入、融資など多岐にわたる。
3.味の素ジェネティカ研究所(AGRI)
  ジェネティカ研究所はソ連時代の1968年に設立された国営の企業研究所で、バイオテクノロジー分野、特に産業用微生物の遺伝子学および遺伝子工学の基礎研究では世界を牽引する研究所の一つである。微生物研究をもとに遺伝子組み換えされたタンパク質を用いて、アミノ酸、酵素、ビタミン、抗生物質等を製造するバイオプロセスの研究開発にも携わっており、基礎研究と応用開発を組み合わせた研究所の方針が世界市場における同研究所の成功と競争力の高さを裏付けている。
  同研究所は、微生物の品種改良に関する優れた技術(アミノ酸生産におけるスレオニン菌の開発技術等)を有しており、この技術が日本の味の素株式会社の目に留まって、1982年には同研究所のアミノ酸技術の製造に係るライセンス契約が結ばれることとなった。
  その後、ジェネティカと味の素間で合弁企業設立の交渉が重ねられた結果、1998年に合弁企業「味の素ジェネティカ研究所(AJINOMOTO-GENETIKA Research Institute (AGRI)」が設立された。現在に至るまでAGRIでは、アミノ酸を生産するための微生物を開発する研究等が行われている。当初の出資比率は味の素とジェネティカ研究所が3:1であったが、2003年に味の素がAGRIを完全子会社化した。
  しかし、AGRI社長はロシア人であり、その他100人程度のロシア人研究者が在籍する。AGRIに所属する日本人は副社長をはじめ数名のみである。AGRIの運営は、ロシア人社長のもと、ロシア人研究者のアイデアや独創性を尊重しつつ、年度ごとの目標設定とその達成を評価するという、日露双方の長所を取り入れたかたちで行われている。

  AGRIから生み出される多くの研究成果は、味の素が有する世界の工場に輸出され製品化されている。こうした活動の結果として、AGRIはロシアで約120件の特許登録を行うとともに、国際特許も90件ほど取得している。AGRIは、味の素とジェネティカ研究所との双方の信頼関係を基礎として、ロシアの長所と日本の長所をうまく融合した日露研究開発協力の好例として、また、最優良の事例として特筆に価するだろう。
4.国際科学技術センター(ISTC)
  国際科学技術センター(International Science and Technology Center:ISTC)は日本・米国・EUなどからの拠出金で成り立っている国際機関である。もともとはソ連崩壊に伴う軍事技術の不拡散のために、当該地域の軍事技術関連研究者に平和目的の研究開発を行わせ、彼らの雇用を創出することを目的に1992年に設立された(発足は1994年)。設立以降、ISTCは、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、アルメニア、グルジア、キルギス、タジキスタンといった旧ソ連諸国をサポートしてきた。ロシアからISTCに対しては、事務所の無償貸与出、資機材の無償提供、免税等の様々な優遇措置があったが、現実にはこれらすべてはロシア側が負担していると言ってもよかった。ところが、メドヴェージェフ大統領(当時)時代にロシアがISTCからの脱退を表明したため、事務所をロシア国外に移転せざるを得なくなり、2015年夏、新事務所がカザフスタンのアスタナに正式に開設された。
  設立から20年以上を経て、ISTCの現在の活動は、旧ソ連の軍事技術等の不拡散の分野にとどまらず、研究プロジェクト支援から研究開発マネジメント等の市場経済化支援に至るまで多岐にわたっている。支援プロジェクトの対象分野も、バイオテクノロジー、再生可能エネルギー、ナノテクノロジー、環境回復保護・気候変動、原子力エネルギー、プロバイオティクス、宇宙航空等、広範な範囲に及んでいる。
  資金支援を希望する旧ソ連諸国の研究者に研究プロジェクトの提案を出してもらい、採用されれば、拠出国側がその研究に必要な研究費と研究に従事する研究者の給料も支出するという仕組みをとっている。ISTCプロジェクトの実施を通じて、多くの研究者が研究の機会を得るとともに、国際ワークショップ等への参加を通じて、旧西側の研究者や企業とのマッチングも進められた。外国企業がISTCを通じて旧ソ連の研究機関に研究を委託するパートナープロジェクトは、2013年9月までの累計で142社、762件のプロジェクトを実施している。この中には、日立国際電気株式会社のように、高感度監視カメラ開発の分野で社内表彰されるような技術開発成果も生まれた。
VII.極東地域での科学技術活動
  ここでは、ロシアの領土の中でも地理的に最も日本に近い地域である極東の科学技術活動を取り上げる。歴代のソ連・ロシアの指導者の中で、プーチン大統領ほどアジアを重視している人物は他にいないだろう。同氏が首相時代を含め、累次にわたり極東地域を視察してきた背景には、アジア太平洋諸国の活力と繁栄を極東開発に導入したいという切実な動機があると考えられる。
1.極東地域の概要
  極東はロシア全体の約36%の面積を占めるのに対し、人口は約4.4%にすぎず、他の地域に比べて人口密度が極めて低い地域である。極東地域とは一般的に、アムール州、ユダヤ自治州、カムチャツカ地方、マガダン州、沿海地方、サハ共和国(ヤクーチヤ)、サハリン州、ハバロフスク地方、チュコト自治管区の9つの連邦構成主体からなる地域を指し、これら地域は極東連邦管区を構成している。
  極東の経済規模は小さく、地域総生産の全国シェアは5.6%にとどまっている。水産業(70.6%)や林業(10.5%)といった一次産業が古くから発達している一方で、二次産業である製造業は1.5%と極めて未発達である。生活必需品である消費財や食料品、自動車などは国内の他地域や近隣諸国からの輸入に依存する構造となっており、自動車の多くは日本製の中古車、市場に並ぶ衣類は中国製、家電機器は中国または韓国製といった状況である。
  極東は地域としての一体性や相互の経済関係が薄く、電力不足や輸送システム等のインフラの未整備が深刻な問題として指摘されている。さらに、建設業の比率も高く、公共事業が経済を支える構図となっている。
2.極東開発に向けた施策
  プーチン大統領が極東地域を強く意識したのは、2000年に中国黒竜江省と国境を接するアムール州の州都であるブラゴヴェシェンスクを訪問したことが契機だったとされている。連邦特別プログラム「1996−2005年の極東ザバイカル地域経済社会発展計画」が効果的に実施されておらず、極東開発政策を全面的に改める必要性が認識された。
  極東開発が本格的に着手され始めたのは、2006年ごろからである。2007年には連邦特別プログラム「2013年までの極東ザバイカル地域経済社会発展計画」が、また2009年には新たに「2025年までの極東・ザバイカル地方社会経済発展戦略」が発表された。前者のプログラムがエネルギーや運輸といった分野に絞って極東地域の発展に不可欠なインフラと良好な投資環境を形成しようとしたのに対し、後者の戦略は極東地域全体の抜本的な発展計画となっている。同戦略では、計画を3段階に分け、第一段階(2009年~2015年)では、投資プロジェクトの始動や雇用の安定、省エネ技術導入等を実現し、続く第二段階(2016年~2020年)では、エネルギー、輸送部門の大規模プロジェクトを実施し、高品質製品の輸出増加を見込んでいる。最終の第三段階(2020年~2025年)では、アジア太平洋地域経済への統合とエネルギー分野の技術革新をもたらすとしている。
  この戦略を受けロシア政府は、ロシア連邦国家プログラム「極東ザバイカル地域の社会経済発展計画」を2013年に公表した。本プログラムは、既に決定された連邦特別プログラム「2018年までの極東ザバイカル地域経済社会発展計画」とも連動しており、2014~2025年までの12年間の全期間を通じて、総額約3兆8,000億ルーブルの国家予算を投入することを見込んでいる。
  このように、この10年ほどの間で極東地域の発展を支える政策や計画が立て続けに発表されている。これらを迅速かつ効果的に実施する組織として、極東発展省が新しく2012年に設立された。同省の主たる機能は、極東開発に係る連邦特別プログラムの実現に向けて活動調整を行うことにある。
3.科学技術体制とその活動
  極東地域では、その気候的・地政学的条件を反映した同地域でしかできない研究分野に重点が置かれている。同地域の学術拠点はウラジオストクである。ウラジオストクを中心とする沿海地方やハバロフスク地方は軍事産業の拠点として広く知られているが、学術都市としての顔も併せ持つのである。ウラジオストクには、RAS極東支部(以下「FEB RAS」と略す)の本部があるだけでなく、極東地域で最大の総合大学である極東連邦大学が置かれている。以下では、FEB RASおよび極東連邦大学の組織概要について言及する。
  ①FEB RAS
  ①−1 概要
  20世紀初頭から、クラシェニンニコフ(Stepan P. Krasheninnikov)らの探検家の調査により、極東地域の未知なる自然の多くが解明されるなど、同地域は多くの科学者の調査・研究意欲を駆り立ててきた。1932年、ソ連科学アカデミー極東支部が設置され、ソ連科学アカデミーの正会員であったコマロフ(Vladimir L. Komarov)博士が初代総裁を務めた。
  ソ連崩壊後はFEB RASと組織名称を改め、2001年よりセルギエンコ(Valentin I. Sergienko)氏が総裁を務めている。FEB RASは6つの研究センターに分かれ、計34の研究所を抱え、また、16の建設会社や病院等を含む社会・学術サービス機関があり、2013年7月時点で、6,493名の研究者(うち、RAS正・準会員47人、ロシア博士37人、PhD1,157人を含む)が研究に従事していた。
  しかし先述のとおり、2013年から開始されたRAS改革の一環で、これまでFEB RAS傘下にあった研究所はすべてFASOの所管となった。一方、セルギエンコ総裁をはじめ数十人の職員から成る極東支部はその規模を3分の1程度に縮小したものの、RASの下にとどまった状況にある。
  ①−2 活動分野
  FEB RAS(現在はFASO)傘下の研究所の活動は、自然科学、工学等を中心に様々な分野にわたっているが、最も活な調査研究分野は以下の5つである。
   極東および太平洋の鉱物・生物資源の開発   地質学および地球物理学   海洋学(海洋と大気の相互影響や気候変動)   陸地における植物、海洋における生物の生産性・多様性に関する研究、環境モニタリング   自動制御、専門システムの構築。
  産学連携の考えが比較的浸透しており、例えば、海洋生物を用いた薬剤やサプリメント等の研究開発では市場での販売を視野に入れている。また、企業との連携を行い製品化につなげていきたいとの意向が明確である。以下では主要な研究所について概説する。
  ②太平洋地理学研究所
  1971年設立。RAS正会員であるバクラノフ(Peter Ya. Baklanov)氏が所長を務め、職員約200人(うち研究者は80人程度)を抱える。19の研究室と3つの研究センターを有する。
  主要な研究分野は、1)陸地・海洋における地理的システムの構造および力学に関する研究とその類型化、2)地方ごとの自然利用の発展およびその最適化に関する研究、3)経済および人工分布の地域的構造に関する研究、アジア太平洋地域への統合を考慮した極東地域の発展プログラムの策定などであり、これまでに、極東地域における地質図、植生地図、土壌地図の作成に必要な調査、現場測量、文献調査など幅広く実施してきた。
  国際協力について見ると、2003年~2004年科学技術協力プロジェクトとして、「極東における低投入持続型農業の研究」を日本の研究機関と実施している。北海道大学および大阪経済法科大学と研究協力関係を有している。また、後述するアムール・オホーツク・プロジェクトにも参画していた。
  バクラノフ所長によれば、ルースキー島のAPEC開催は、同研究所がかつて知事に対し島の観光利用を提案したことに端を発しており、同島の発展・開発に積極的に取り組む姿勢が顕著である。
  ③太平洋海洋学研究所
  1973年設立。ロバノフ(Vyacheslav B. Lobanov)氏が所長を務め、職員約500人(うち研究者は半数程度)を抱える。海洋学、生態学、地質科学、海洋科学の4支部と34の実験研究室を有する。
  主要な研究分野は、1)水理物理学、水理化学および水理生物学の研究並びにその実地調査、2)地理学、地理物理学、地理化学に関する研究、3)大気・海洋のための新たなモデルと海洋データベースの構築などであり、近年は地球科学の解明や海洋音響学、海洋観測船による観測等にも力を入れている。
  国際協力の分野では、2003年~2004年科学技術協力プロジェクトとして、「オホーツク海及び親潮水域の海洋環境」や「日露による日本海の地球科学的共同研究」等のプロジェクトを日本の研究機関と実施してきた。沿海地方の環境モニタリングについては、九州大学宇宙環境研究センターや東京大学地震研究センターとの共同研究協力がある。
  ④太平洋生物有機化学研究所
  1964年設立。RAS正会員であるストーニク(Valentin A. Stonik)氏が所長を務め、職員約340人(うち研究者は200人程度)を抱える。
  同研究所は、極東地域のユニークな海洋生物に関連した生態有機化学、生態科学、分子免疫学、天然生物の有機統合、海洋微生物学、バイオテクノロジー等の研究を行っている。とくに、海中に生存する植物相・動物相の資源を活用した、新規化合物の分離研究が注目されている。例えば、微生物由来の新しい生理活性物質に着目し、再生可能な生物学的な材料をベースに、これらの大量生産技術の確立、新たな治療法、獣医薬、栄養サプリメントの開発に携わっており、モスクワの企業と協定を結んで商品化に係る融資を受けている。
  日本との研究協力関係は乏しいが、米国、ベトナム、インド、ニュージーランド等の国々との共同調査実績がある。
  ⑤海洋生物学研究所
  1967年に太平洋海洋学研究所の一部局として設立され、1970年に研究所として独立した。RAS正会員であるアドリアノフ(Andrei V. Adrianov)氏が所長を務め、職員約400人(うち研究者は半数程度)を抱える。研究所は18の研究室と部局から構成される。
  主な研究分野は、1)極東の海洋および隣接した太平洋における、植物相、動物相、生態系の生産過程に関する研究、2)生物資源の保護、再生産、効率的利用に関する基礎研究、3)海洋生物の適応能力・発生に関する研究や生物医学研究である。

  その研究活動は、極東地域に限定されることなく、他地域からの船舶が排出するバラスト水により極東海域に持ち込まれる有害な外来種調査、潜水および潜水医学にも及んでいる。研究所内には海洋生物博物館が設置されており、天然資源からの製薬サプリメントの開発等にも従事している。
  国際協力の分野では、北海道大学水産学部と1992年から無期限の科学技術に関する協力合意協定書を締結しており、サハリンやハバロフスク地方等における共同調査を実施してきた。日本水中映像株式会社、山形大学および熊本大学とも協力合意文書に基づく研究・調査協力を行っている。
  ⑥自動化・制御プロセス研究所
  1971年設立。クリチン(Yuri N. Kulchin)FEB RAS副総裁が所長を務め、職員約260人(うち研究者は半数程度)を抱える。研究所は5部、19の実験研究室、4つの研究センターを有する。
  極東地域における制御理論の科学的な基盤や原理に係る基礎研究を中心に、物理学、数学、工学分野の研究が中心である。具体的には、制御問題、情報、機器、レーザー物理、電気光学、表面物理、ナノテク分野におけるモデル構築等に取り組んでいる。また、海洋由来の植物プランクトン等を用いたシリコンベースのナノ光学部品およびナノ電子部品材料開発にも研究ポテンシャルを有している。
  日本との国際協力に関しては、大阪大学と長年にわたる研究協力の実績があり、九州大学、東京大学、名古屋大学とも協力交流を有する。リモートセンシング分野においては、太平洋海洋学研究所とも連携して、東北大学と密接な協力関係にある。
②極東連邦大学
  ①−1 概要
  2009年の大統領令により極東連邦大学の創設が決定され、2011年に極東国立大学を拠点校とし、極東国立工科大学、太平洋国立経済大学、ウスリースク国立教育大学の3大学を統合して極東連邦大学が設置された。大学施設は、ウラジオストク市対岸のルースキー島、つまりAPECサミットの会場跡地を利用して建設された。島へのアクセスを改善するため、半島と島の間にある東ボスポラス海峡をまたぐ2本の巨大な連絡橋が建設されている。ルースキー島の大学の敷地は約49ヘクタールで、東京ドームの約10倍にあたり、建設予算は555億ルーブルと言われている。当初から作業の深刻な遅れが懸念されていたが、2012年9月のAPEC 開催までに施設全体の完成を見た。
  初代学長はミクルシェフスキー(Vladimir V. Miklushevskii)元教育科学次官が務めたが、現在は、アシモフ(Nikita Yu. Asimov)氏が学長代理というかたちで就任している。
  学部生は2万4,000人を超えている。教員は1,598人で、うちロシア博士およびPhDは1,058人を占める。職員数は約5,000人である。2019年までに学生を約3万人受け入れ、うち外国人留学生を全体の4分の1(約7,500人)とする目標が掲げられている。
  ①−2 教育および研究分野
  拠点となった極東国立大学は、47の学部に加え、東洋学研究所や法学研究所といった研究活動のベースとなる研究所を27も抱えており、2006年には、同大学とFEB RASの協力の下、地球物理学、ナノ物理学・ナノテクノロジー、電子工学・IT、医療物理学の4分野にわたる研究・教育センターが設立されていた。それ以外の統合された大学は、典型的なロシアの地方大学であり、活動の中心は教育であった。
  極東連邦大学では、優先的発展分野に関連した研究・教育センター(クラスター)が新たに作られつつある。これら優先的発展分野には、海洋資源、エネルギー資源・エネルギー供給技術、ナノシステム・ナノ材料の産業化(製品化)、ロシアとアジア太平洋諸国の協力、バイオ医療等の諸領域が含まれている。
  ①−3 産学官の連携
  極東連邦大学では、基礎研究と応用研究の両方を重視し、産学連携を実現することが重要とされている。2011年全体でみると、研究の成果として60の特許が取得され、ロシアの巨大国営企業との間で協力合意が新たに6つ交わされた。現在、大学自身が37のハイテク関連企業を抱え、そこからの利益は約1,200万ルーブルに上ると言われている。また、資産額2億5,000万ルーブルの大学ベンチャー基金が創設され、既に1,400人以上が運営に関与している。研究活動に対する支出は2011年度で7億2,300万ルーブルに達し、これは前年比で69%の増額である。
  極東連邦大学とFEB RASとの関係は密接である。両者の間で、極東の社会経済状況を変革しうる人材育成等に係る協力合意書が締結されている。FEB RASの研究者が、大学において教育プログラムの担当者になっている。ただ、極東連邦大学の教員の80%以上がFEB RASの研究者で占められているため、両者は協力関係にあるというよりも、極東連邦大学がFEB RASの強い影響下にあるとも言える。
VIII.おわりに
  本報告書で見てきたように、ロシアの科学技術の発展はソ連時代の影響を強く受け、いまだその影響から抜け切っていない。ロシアは依然として軍事や宇宙、原子力分野では大国である一方、民生分野の科学技術に関しては競争原理が機能せず、停滞したままである。ロシアの政府指導部も資源に依存した経済構造ではいずれロシアは立ち行かなくなることを認識しているとはいえ、効果的な対策を打ち出せないままに至っている。既に幾つかの試みが国家主導で実施されているが、その見通しは決して明るくない。その意味で、科学技術の現状をどのように打破していくかが今後の大きな課題であろう。
  将来的にロシアの科学技術が質的な変化を遂げるためには、軍用と民生それぞれの科学技術の発展のバランスを調整し、民間の科学技術投資を増やしていくことが必要である。だが、民間を呼び込むための政府投資も伸ばしていかなくてはならない。こうして、ロシアを先進国並みの産業技術力に変えるためには、上からのアプローチのみならず、下からの突き上げが不可欠となってくると思われる。
  また、現在のロシアには、米国のバイドール法に相当する法律がないため、公的資金を投じた研究開発の成果に関して大学や研究者が特許権を取得することが難しい場合がある。研究開発を取り巻く法整備の問題についても今後何らかの対処策を講じていかないと、ブレイクスルー的な技術開発はおろか、科学技術大国への復権の展望は絵に描いた餅に終わってしまうだろう。


ロシア正教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  ロシア正教会英語: Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教教会であり、数多くある独立正教会の一つである。
  正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則だが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会グルジア正教会ルーマニア正教会ブルガリア正教会日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。(正教会の教義や、全正教会に共通する特徴については「正教会」を参照)
  教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名である。(「正教会の教会機構一覧」および「ギリシャ正教」も参照)
  本項では日本正教会による訳語を断りなく用いる場合がある。17世紀の奉神礼改革に反対し古い奉事方法を守ったために主流派ロシア正教会から追放された古儀式派は、自らこそが正統なロシア正教会だとしている。
名称と概念「ギリシャ正教」「ロシア正教」(「ギリシャ正教」および「正教徒」も参照)
  ロシア正教会は、教派としては正教会に分類される。日本の世界史教科書などでは「ギリシャ正教」が一般的に用いられるが、「ギリシャ正教」は誤りではないものの、誤解を呼びやすい呼称である。
  「ロシア正教会」は一教会組織名であり、ロシア正教会独自の教義・教理がある訳ではない。ロシア正教会における機密(サクラメント)は全正教会で有効と認められる。したがって教派名として「ロシア正教」を用いる事は適切ではない。
  日本の正教会で行われる著名人の埋葬式に際し「ロシア正教会で葬儀を行う」と報道される事もあるが、葬儀が行われる場所が日本正教会聖堂である場合明らかな誤りであり、「正教会で埋葬式(葬儀)が行われる」といった表現が適切となる。
  同様の理由で海外での正教徒冠婚葬祭についても、聖堂の所属する地方教会組織・教区が不明な場合、「正教会で結婚式(埋葬式)が行われる」といった表現が適切かつ無難である。
歴史(詳細は「ロシア正教会の歴史」を参照)
概要
  2019年現在、ロシア正教会はコンスタンチノープル総主教庁新生ウクライナ正教会を除く全世界の正教会フル・コミュニオンの関係にある、独立正教会である。
  10世紀以前から既にドニエプル川流域にはキリスト教正教会の伝道は行われていたが、988年ウラジーミル1世によるルーシ人の集団洗礼が、ロシア正教会の起点とされる。ウラジーミルは、家臣を海外に派遣して、信仰の実状を探らせたが、家臣は「私たちは天上にいたのか地上にいたのかわかりませんでした。地上にはこのような光景も美しさもなく、また物語ることもできないからです。あそこでは神は人々と共におられ、彼らの勤行がすべての国にまさっていることだけは間違いありません」と正教の儀式を報告したため、正教を国教としてビザンチン帝国から導入した。
  1589年に、モスクワ総主教を戴く独立正教会としての地位をコンスタンディヌーポリ総主教アレクサンドリア総主教アンティオキア総主教エルサレム総主教から承認された。
  2010年現在のロシア正教会は約9000万人の信徒数を擁する世界最大の独立正教会組織であり、その規模は信徒数で第二位の独立正教会組織であるルーマニア正教会(約1900万人)を大きく引き離している。管轄地域はロシア、ベラルーシウクライナカザフスタンをはじめとしたソ連邦に構成していた諸国や、海外のロシア正教会系の教区に及んでいる。
  無神論を標榜するソ連邦時代には一貫して弾圧を受け続け、大多数の聖堂を破壊され、聖職者修道士・修道女・信徒が虐殺されるなどの甚大な被害を受けたロシア正教会であるが、ソ連邦崩壊後には復活を遂げ、教勢を増している。(「救世主ハリストス大聖堂」および「新致命者」も参照)
  ロシア正教会の指導者はモスクワ総主教(モスクワおよび全ロシアの総主教)。現在の総主教キリル1世である(2009年2月1日より)。
  ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)は事実上の自治正教会日本ハリストス正教会は自治正教会となっており、これらはモスクワ総主教の庇護下にありつつも財政的に完全に独立し、大幅な裁量を持つ自治を行っていた。2007年には在外ロシア正教会との和解が成立し、在外ロシア正教会はモスクワ総主教の庇護下で自治正教会に準ずる扱いを受けていた。ただし、2018年のウクライナ正教会のロシア正教会からの独立をめぐって合意が満たせずに決裂。ロシア正教会はコンスタンチノープル総主教庁との断絶を決定し、日本ハリストス正教会がこれに続いたため東方教会は大分裂の危機を迎えている。
  ロシア正教では、キリストが洗礼を受けたとされる1月18日から19日にかけて、沐浴をするのが伝統であり、熱心な信者が凍った湖や川に穴をあけて沐浴する場面も、すくなからずの場所でみられる。
詳細
教勢の拡大
  正教会をはじめとして宗教に大弾圧を加えたソヴィエト政権が崩壊した後、ロシア正教会はロシア人の精神的なよりどころとして教勢を再び伸ばしている。破壊されたカザン生神女福音聖堂モスクワ救世主ハリストス大聖堂の復興・再建をはじめとして、各地でソ連時代に破壊された聖堂の復興や教会組織の再建、および修道院の復興・新設が進んでいる。ソ連時代に禁じられていた放送・出版も活発に行われるようになった。
  ソ連時代に停滞していた聖歌作曲も再び活発となり、イラリオン・アルフェエフ府主教やボリス・フェオクチストフといった新たな世代の聖歌作曲家が現れている。また、古典聖歌(ズナメニ聖歌)の復興・研究も活発に行われるようになった。
国家との関係
  ソ連では、ミハイル・ゴルバチョフ書記長が信仰の自由を認める姿勢を打ち出し、1988年4月29日にロシア正教会のピメン総司教ら6人の指導者と会談した。ソ連政府の最高指導者が教会指導者と会談したのは1943年以来のことで、ゴルバチョフは会談で、ソ連が過去に教会と信者に過ちをおかしたことを認めた。
  ソ連は崩壊したが、ソ連時代に当局に協力していた聖職者が居た事(止むを得ず信徒を守るために協力した者がほとんどであったとされるが、進んで協力していた者もいたとされる)による信徒・国民からの教会に対する不信が尾を引いており、ロシア正教会にとって解決の容易でない問題となっている。

  数千万人規模の信徒を抱えるロシア正教会は、さまざまな思想的傾向を持つ信徒達を纏め上げなければならないという問題も他の地域の正教会に比べて大きなものとなっている。ソ連崩壊後、左右さまざまな思想傾向をもつ信徒が参加する中で、ニコライ2世の列聖の是非は微妙な緊張を孕む問題として代表的なものであった。結局列聖されたが、公式には致命者としてではなく、聖ボリスと聖グレープ同様の「苦難を耐えし者」(ストラストチェールペツ)としてであった。他方、在外ロシア正教会ではニコライ2世一家は致命者として列聖されており、一般信徒の間でも致命者として崇敬する向きも根強いので、これらの動向を持つ教会・信徒と、ニコライ2世を評価しない信徒との間で若干の温度差がある。このように、ロシア正教会上層部は政教の関係と思想問題において、常に難しい舵取りを迫られている。(「新致命者」も参照)
  ソ連崩壊直後、ロシア連邦議会に議席を持つようになった正教会の神品が若干数居たが、1993年10月政変につきロシア正教会は大統領側も最高会議側のいずれも支持せず「繰り返してはならない国民的悲劇」と総括する一方で、政変直後にモスクワ総主教アレクシイ2世は、「ロシア正教会は政局を超越した存在である」事を理由とし、聖職と議員職との兼業禁止を布告。このように、国政に対して直接的な影響を与える手段である議席を失うことを選択して一定の政教分離を図っている。
  しかし近年、ロシア正教会はロシア政府・政界への政治発言力と接近を強めてきている。ロシア連邦において存在感を増すロシア正教会を政治的に活用しようとする政治家も多数おり、こうした政治家は足繁く教会に通うなどして教会および信徒の支持を得ようとしている。裏を返せば、票田になるだけの多くの信徒が教会に居るということでもあり、ロシアにおいていかに教会活動が活発化しているかを示すものでもある。モスクワ総主教が大統領就任式典に参加し、救世主ハリストス大聖堂の再建にあたってはモスクワ市長ルシコフから支援を受けるなど、国家においてさまざまな地位・利益を享受している。

  他方、ロシア連邦において、一宗教団体としては別格の扱いを政府から受けているロシア正教会ではあるが、法的な国教とは位置づけられていない(世界で2010年現在国教としての扱いを受ける正教会組織はキプロス正教会ギリシャ正教会フィンランド正教会のみ)。ロシア連邦は多民族国家でありムスリム仏教徒も多数存在しており、政府も正教以外の宗教に対する一定の配慮を示している。また、ロシア正教会の対話相手となる政治勢力は必ずしも与党・政権側とは限らず、野党である公正ロシアとの間でも対話は行われている(2009年11月30日など)。
  実質国営メディアであるロシア・トゥデイがロシア公的意見調査センター(Russian Public Opinion Research Center)の調査結果として2012年8月14日に報道したところによれば、44%のロシア連邦国民が「教会は倫理的問題には関与すべきだが、政治とは距離を取るべきだ」とし、約3分の1(約33%)の国民は「教会の活動は信仰上・宗教上の問題に限定されるべきだ」としている。教会による政治への積極的関与を期待するのは約17%にとどまった。
  2022年4月、ロシア正教は2022年ロシアのウクライナ侵攻において、「あなたはロシアの戦士です。あなたの義務は、ウクライナの民族主義者から祖国を守ることです。あなたの仕事はウクライナ国民を地球上から一掃することです。あなたの敵は人間の魂に罪深いダメージを与えるイデオロギーです。」という免罪符を発行した。
正教会間の関係
  ロシア正教会に限らず、正教会は20世紀中盤から「正教の離散」と呼ばれる問題を抱えている。これは、正教が現代に入って土地ではなく各民族教会ごとに管轄を保持する傾向が強まり、教区を巡る争いが複数発生している問題を指す。ロシア正教会も同様の問題を各地に存在するロシア人コミュニティを巡って抱えており、多くは決着をみていない
  ただし懸案のひとつであった在外ロシア正教会との関係については、ロシア正教会の首座主教であるアレクシイ2世総主教指導下のモスクワ総主教座と在外ロシア正教会で和解交渉が進められ、2007年5月17日モスクワで最終合意文書の締結に至った。在外ロシア正教会は準自治正教会としての格を有することとなった。
  2018年ウクライナ正教会を巡る問題でロシア正教会とコンスタンティノープル総主教庁の対立が劇的に悪化し、モスクワ総主教庁はコンスタンティノープル総主教庁との断交を宣言。さらに、ウクライナ正教会 (2018年設立)を承認した各国の正教会と次々に断交し、正教会全体を巻き込んだ大問題となっている。(詳細は「モスクワとコンスタンティノープルの断交」を参照)
ロシア正教会と西方教会の関係
  合法化された東方典礼カトリック教会や、主にアメリカから入ってくる福音派などプロテスタントの伝道との競争に晒され、これらとの緊張関係におかれてもいる。特に東方典礼カトリック教会と福音派は資金が潤沢であり、ロシア正教会はこれらの伝道に神経を尖らせている。
  長年、ローマ教皇庁とは比較的緊張関係にあり、モスクワ総主教とローマ教皇の対話もあまり進展していない。ローマカトリックとの対立については、特にウクライナ東方カトリック教会問題を抱えるウクライナにおける対立が顕著であり、かつての西方からの正教会に対する十字軍の歴史的記憶と相俟って、東西両教会の和解を喧伝しつつ布教活動を拡大していくローマカトリック教会に対する正教信徒からの不信感を招く根源的理由のひとつとなっている。
  このように、深刻な緊張関係が両教会間には存在し、相互領聖は他の地域の正教会と同様に全く行われてはおらず、モスクワ総主教ローマ教皇の直接のトップ会談は未だ実現してはいないものの、主教枢機卿クラスでの交流は行われ、一定の交流が継続されている。教皇ヨハネ・パウロ2世の永眠の際には、ロシア正教会渉外局長でありロシア正教会のナンバー2と目されるキリル府主教(肩書当時)が弔問に訪れてもいる。
  駐伊ロシア大使館の敷地内に新しく建てられたロシア正教会の聖堂である、アレクサンドリアの聖エカテリナ教会を2006年5月19日に成聖するためにキリル府主教がイタリアを訪れた際には、ローマ教皇(当時)ベネディクト16世とキリル府主教が会見を行った。また前日の18日の記念演奏会で、教皇庁正義と平和評議会元議長ロジェ・エチガライ枢機卿が教皇の名において祝辞を述べ、キリル府主教はこれに対し共に祈ることと対話・協力の大切さを強調する言葉で応じた。
  また歴史的に、ロシア正教会は一貫して反西方教会一色であった訳ではない。神学上・教会法上の一定の親和性があったこと、ロシアのロマノフ朝とイギリス連合王国のハノーヴァー朝が親戚関係にあったこと、ウクライナにおけるローマカトリック教会との深刻な管轄対立に類するような問題がないこと等から、聖公会との関係深化の話し合いはロシア革命までは継続されていた。ただし2010年現在では正教会と聖公会との関係は、特別に深いものではなくなっている。
日本正教会との関係(詳細は「日本正教会#歴史」を参照)
  日本正教を浸透させたのはロシア修道司祭(のち大主教ニコライである。正教会は、三国干渉日露戦争などにより日本における対露感情が悪化していく悪条件の中、一時期はカトリック教会に次ぐ教勢を獲得するに至った。
  しかしながらニコライ死後、ロシア革命の勃発により、宗教弾圧を行う共産主義政権の下で監視下にあるモスクワ総主教庁の指導下にあり続ける事への不安や疑義から、日本の正教会内においてもロシア正教会と距離を置くべきとする議論が高まった。この流れの中で、戦前には日本正教会は在外ロシア正教会主教叙聖されるなどしてこれと関係をもち(ニコライ小野帰一)、戦後はGHQの圧力もあってアメリカ正教会の前身である北米メトロポリアの指導下に入った。
  1970年になり、北米メトロポリアがモスクワ総主教庁との関係を回復して独立正教会になるに際し、日本ハリストス正教会もモスクワ総主教庁との関係を回復して自治教会となった。首座主教である全日本の府主教の認可はモスクワ総主教によって行われる一方、財政と信仰生活は完全にロシア正教会から独立しており、教会運営においてほぼ完全な自治を行っている。
  ロシアと直接的に関係を持つ日本の教会として、ロシア正教会駐日ポドヴォリエ(国家における大使館的な役割を果たす、正教会における組織の種別)がある







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