北方領土問題-1



2021.06.18-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/7e8464f4edf923d23c1d79d85ecdcf3f74be1106
<独自>ロシアが北方領土で「射撃」通告で日本抗議 軍事演習の常態化に警戒も

  ロシアが不法占拠する北方領土周辺海域で、新たに「射撃」を実施すると日本側に通告してきたことが18日、政府関係者らへの取材で分かった。
  ロシアは既に16~18日に北方領土で「爆撃」を行うと通告している。政府は大規模な軍事演習の可能性もあるとみて情報収集を進め、演習の常態化に警戒を強めている。 政府関係者によると、ロシア側は16日、日本側に北方領土周辺海域の広い範囲で射撃を行うと通告した。択捉島や色丹島の周辺で、21~26日にかけて毎日、軍による射撃演習などを行うとみられる。 政府は外交ルートでロシア側に「北方四島に対するわが国の立場と相いれず、受け入れられない」などと抗議した。ロシアは16~18日にも択捉島とウルップ島(得撫島)の間を通る択捉海峡で爆撃を行うと通告しており、政府は同様に抗議していた。 北方領土では2月にも極東を管轄するロシア軍が大規模演習を公表した。国後島と択捉島に1千人規模の将兵、艦船や航空機などを投入し、無人機「ドローン」の運用や、電波妨害で敵を無力化する電子戦など先進的な実戦を想定した部隊訓練を行ったとされ、政府は常態化を懸念している。
  ロシアは、昨年の憲法改正で、北方領土も念頭に「領土の割譲禁止」と明記した。プーチン大統領も返還について交渉しない姿勢を示している北方領土では軍備を増強する一方、経済活動なども拡大しているとされ、実効支配の動きが強まっている。


2021.06.15-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/512b23bfb18a05c894c89246d13915e211160c01
<独自>北方領土周辺海域で「爆撃」ロシア通告

  ロシアが不法占拠する北方領土周辺の海域を指定して、3日間にわたり「爆撃」を行うと日本側に通告し、日本政府が外交ルートで抗議していたことが15日、政府関係者らへの取材で分かった。政府は軍事演習を行うとみて情報を収集している。 外務省によると、ロシア側は13日、16~18日に択捉島とウルップ島(得撫島)の間を通る択捉海峡の海域で、爆撃を行うと通告した。

  日本政府は13日付で「北方四島に対するわが国の立場と相いれず、受け入れられない」などとロシア側に抗議した。 ロシアは北方領土の実効支配を強める政策を進めており、経済活動の拡大のほか、軍備の増強や演習も実施。2月にも国後島と択捉島で艦船や航空機などを投入した大規模な軍事演習を行うなどしていた。


2021.02.19-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/politics/news/210219/plt2102190057-n1.html
電子戦装備、ロシアが日米との戦力差埋める切り札 実戦に向け態勢着々

  北方領土にロシア軍の最新の電子戦装備が配備されていることが明らかになった。「攻撃に高価な兵器は不要で電波妨害機能さえあれば十分」と自賛するロシア軍にとって最新電子戦装備は日米との通常戦力の差を埋める切り札だ。ロシア軍は電子戦が展開できない状況では軍事作戦を行わないともされ、裏を返せば北方領土で実戦に向けた態勢整備を着々と進めているといえる。
   日本政府高官は「ロシア軍は着上陸防御に加え、艦艇の太平洋進出と戦略原潜の活動に適したオホーツク海の聖域化のために北方領土を要塞にしようとしている」と指摘する。
  2016年に択捉・国後両島へ新型地対艦ミサイルを配備し、18年には軍民共用化した択捉島の新民間空港に新型戦闘機を置いた。最新電子戦装備を配備したのはその前後にあたる。
  10年から強化し、世界で群を抜くロシア軍の電子戦の特徴は扱う周波数や機能が異なる10種類以上の装備を重層的に運用することにある。電波は周波数によって届く距離や直進性など特性が違うためで、情報収集や妨害という目的ごとに装備を使い分けてもいる。
  ロシア軍はウクライナへの軍事介入で電子戦の実験場のように多様な装備を投入し、現代戦の鍵を握る情報通信ネットワークの切断と攻撃を行った。(1)ウクライナ軍の無線通信を電波妨害で無力化(2)GPS波遮断で活動も妨害(3)ウクライナ軍兵士が無線通信の代わりに使った携帯電話の電波から位置を把握し、誘導装置がいらない安価な火砲でピンポイント攻撃-だ。
  (3)の作戦で主力になったのが北方領土に配備したオルラン10とレエル3で、重層的な運用を踏まえれば他の電子戦装備も北方領土に配備すると警戒すべきだ。(半沢尚久)


2021.02.07-NHK NEWS WEB(北海道NEWS WEB)-https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210207/7000030353.html
北方領土の日 オンラインで大会

  「北方領土の日」の7日、島の返還を訴える住民大会が根室市で開催されました。ことしは新型コロナウイルスの影響で、一般の参加者を入れずにオンラインで配信する異例の形となりました。
  「北方領土の日」は1855年2月7日に北方四島を日本の領土とする条約が結ばれたことにちなんで定められ、根室市では毎年、この日に住民大会が開かれています。ことしは新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、初めて一般の参加者を入れずに行われ、壇上には来賓などおよそ20人が出席するのみで、その様子はオンラインで配信されました。この中では、択捉島出身の上松健吾さん(85)が「去年はコロナの感染拡大で交渉は停滞を余儀なくされた。われわれ元島民には残された時間が少ないので、政府には成果が見える力強い外交交渉を強く求める」と訴えました。
  続いて、元島民のひ孫の根室高校1年生の三浦彩芽さん(16)が「元島民の高齢化が進む今、私のような島民4世も運動を引き継いでいかなければならない」と述べました。
  最後に代表者5人が壇上で「北方領土を返せ」などとシュプレヒコールを上げると、自宅などでオンラインで参加した人たちは会場からのかけ声にあわせて声を上げていました。元島民の平均年齢が85歳を超える中、地元では領土問題への関心が薄れることへの危機感や、感染拡大の影響で滞っている領土交渉や四島との交流事業の再開を望む声が高まっています。
  千島歯舞諸島居住者連盟の河田弘登志副理事長(86)は「無観客での開催は少しさみしい気持ちがします。日ロ両首脳には1日も早く領土問題を解決してほしい」と話していました。
【オンライン参加で元島民は】
  歯舞群島の多楽島出身の河田隆志さんは(84)、根室市の北方四島交流センターでインターネット中継を見ながら参加しました。70歳から本格的に返還運動に加わった河田さんは、4年前の住民大会では壇上でスピーチを行いました。このときは元島民などおよそ800人が参加し、会場は熱気に包まれていました。
しかし、ことしは感染拡大の影響で一般の参加ができず、パソコンの画面を見ながら、かけ声に合わせてシュプレヒコールをしていました。
  河田さんは語り部として全国でみずからの体験を伝えていますが、語り部の機会は激減し、去年の出番はわずか10回と前の年の半分になりました。7日も宮崎県の集会にオンラインで参加して語り部をする予定でしたが、直前に中止になってしまいました。河田さんはみずからの半生を「自分史」として冊子にまとめています。
  コロナ禍で会えなくなった息子や孫に自分の体験を伝えたいと書き始めました。多楽島に旧ソビエト軍が侵攻してきた様子や兄と2人で島から引き揚げた体験などが綴られていて、語り部の際に使うエピソード集になっています。
  河田さんは今、「自分史」を書き加える作業をしながら、語り部活動を再開できる日が来るのを待ちわびています。
  河田隆志さんは「会場に行って、皆と一緒に大きな声で『返せ』とやりたかったけど仕方ないです。やっぱり直接、言葉で伝えたいので、早くコロナに退散してもらって語り部を再開したい」と話していました。
【交流事業や共同経済活動は停滞】
  新型コロナウイルスの感染拡大は元島民が北方四島を訪問する交流事業にも影響を及ぼしています。例年5月から10月まで行われる「ビザなし交流」や「北方墓参」などの交流事業は去年、すべて中止となりました。こうした中、北海道は去年10月、飛行機をチャーターし、元島民らが上空から島を眺め慰霊する事業を行いました。
  地元では交流事業に使われる専用の船「えとぴりか」を感染対策を施した仕様に改修するなど、再開に向けた準備を進めています。ただ、感染の収束やロシア側の出方などは見通せず、ことし、再開できるのかが焦点となっています。一方、平和条約締結に向けた重要な1歩と位置づけられている北方領土での共同経済活動は観光やごみ処理、海産物の養殖などの分野が対象となっていて、おととしには試験的な観光ツアーや双方のごみ処理状況の視察などが行われましたが、この1年間、地元では具体的な動きは見られませんでした。
  養殖分野の拠点となる施設も根室市に完成していますが、事業化の見通しが立たないため、今は市が地元の漁業振興のために活用しています。本格的な事業化に向けては法的な枠組みをどうするかなどが課題となっていて、日ロ両政府の間で協議が続けられています。
  ロシア外交が専門の北海道大学の岩下明裕教授は「コロナ禍の状況が常態化するとロシア側が『もうビザなし交流をやらなくてもいいのではないか』と言い出しかねない。今、大事なことは新型コロナが収束したらすぐに元島民のビザなし交流や墓参を復活することであり、まずはそこに集中することが大事だ」と指摘しています。


2020.12.07-産経新聞 THE SANKEI NEWS(KYODO)-https://www.sankei.com/world/news/201207/wor2012070025-n1.html
北方領土生まれは日本出身 米永住権申請規定にロ反発

  ロシア外務省は6日、ロシアが実効支配する北方領土出身のロシア人が米国で米国永住権(グリーンカード)を申請する際に、出身国を日本と記すよう米国務省が規定していることに「1945年の決定でクリール諸島(北方領土と千島列島)はソ連に帰属する。第2次大戦の結果に疑義を呈するものだ」と反発する声明を発表した。
  北方領土を事実上管轄するロシア極東サハリン州のインターネットメディアが10月、抽選でグリーンカードを与える米国務省の応募規定の中に、北方領土出身者は「日本出身」と明記するよう規定されていると報道していた。
  米国務省のホームページによると、応募規定では「歯舞群島、色丹、国後、択捉各島で生まれた人は日本出身。サハリン南部で生まれた人はロシア出身」と記入するよう求める注意書きがある。(共同)


2020.12.1-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201201/k10012741251000.html
ロシア軍 北方領土で地対空ミサイル「S300」の訓練を初実施

  ロシア軍は、北方領土で地対空ミサイルシステム「S300」の訓練を初めて行ったと発表しました。ロシアとしては北方領土で軍備を強化している姿勢を強調するねらいがあるものとみられます。
  ロシア軍の東部軍管区は1日、地対空ミサイルシステム「S300」の訓練を北方領土を含む島々で初めて行ったと発表しました。
  このミサイルシステムは中国国境に近いロシア極東のユダヤ自治州に配備されていたものを移送したということで、軍のテレビ局は、北方領土の択捉島でミサイルシステムを稼働させる映像を流しました。
  このミサイルシステムは、射程がおよそ400キロ、戦闘機やミサイルなどを撃ち落とす対空防衛を目的としていて、島にある演習場で訓練することが目的だとしています。
  ロシアは、択捉島と国後島には地対艦ミサイルシステムを配備していますが、「S300」の訓練を北方領土で行ったのは初めてで、ロシアとしては、北方領土で軍備を強化している姿勢を強調するねらいがあるものとみられます。
  日本政府は、ロシア側による北方領土での軍備の強化について「北方領土に関する日本の立場と相いれず受け入れられない」として繰り返し、抗議しています。


2020.10.26-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/201026/wor2010260020-n1.html
「北方領土は日本領」地図に知事激怒 ロシア・サハリン職員が懲戒免職

  【モスクワ=小野田雄一】ロシアが不法占拠する北方領土を事実上管轄するロシア極東サハリン州は26日、地域の水産業の振興に関する会議で北方四島が日本領として描かれた地図を資料として使用する「重大なミス」を犯したとして、地元水産当局の職員を懲戒免職にしたと発表した。

  サハリン州の発表によると、この職員は、10月中旬に同州で開かれた会議用の説明資料として、北方四島が日本と同じ色で色分けされた地図を使用。リマレンコ知事は激怒し、内部調査を指示した。その結果、職員が日本のウェブサイトから地図を借用していたことが判明。同氏は職員を懲戒免職にするとともに、上司もけん責処分とした

  発表は「国境の変更不可は憲法で定められ、(職員のミスは)断固として容認できない。こうした職務怠慢には最も厳しい処分が避けられない」とするリマレンコ氏のコメントも記載している。
  インタファクス通信によると、会議の様子を伝える写真がソーシャルメディアに投稿され、スライドに当該の地図が写っていたことから、地元住民らが問題視していたという。


2020.10.17-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/282bb00b56cd6201a82c2deb1bb3d0a8cdd36409
プーチン氏から北方領土提起 菅首相に…「2島先行」継続へ

  9月29日に菅義偉首相とロシアのプーチン大統領が電話会談を行った際、プーチン氏から領土問題を取り上げ昭和31年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約締結に向けた交渉を加速化するとした平成30年の日露首脳合意を確認するよう促したことが分かった。露側から平和条約交渉を提起するのは異例。2島先行返還をにらんだ安倍晋三前首相の方針が菅、プーチン両氏の間でも引き継がれることも明確になった。
  30年11月に安倍、プーチン両氏がシンガポールで会談した際、交渉の基になる文書として確認した日ソ共同宣言は「平和条約締結後にソ連は歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島を日本に引き渡す」としている。双方は交渉を加速化させることでも一致した。
   しかし、昨年1月にロシアの国家安全保障会議が「交渉を急がず、日本側のペースで進めない」との方針を決定。露側のシンガポール合意に対する姿勢が不明確になっていた。  日本側は当初、菅首相とプーチン氏の電話会談でシンガポール合意の確認を菅首相から求める方針だった。だが、プーチン氏が先に合意に言及し、「これを基に交渉を進めよう」と提案。菅首相も同意した
   日露外交筋によると、過去の首脳会談では日本側が領土問題を含む平和条約の締結について議題に取り上げるのが通例だ。露側が日本側の提起に反応しないこともあったという。平和条約交渉を取り上げたプーチン氏の対応は異例だ。
   菅首相とプーチン氏の会談に同席した岡田直樹官房副長官は記者会見で、シンガポール合意について「再確認するやりとりはあった。詳細は控えたいが、交渉を加速させるという点では一致した」と述べるにとどめていた。  シンガポール合意をめぐっては政府・与党内に「四島返還を放棄するものだ」との批判もあった。菅政権の発足で対露交渉方針の見直しを求める声もあった。
   だが、安倍氏は退陣直前にプーチン氏との電話会談でシンガポール合意を自ら読み上げて重要性を強調。プーチン氏はこれに応じる形で菅首相との会談で同合意に言及したとみられる。


2020.9.29-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200929/k10012640481000.html
菅首相「北方領土問題先送りさせず終止符」日ロ首脳電話会談で

  菅総理大臣は、29日夜、ロシアのプーチン大統領と就任後初めて電話会談を行い、北方領土問題を次の世代に先送りすることなく、終止符を打たなければならないという考えを伝えました。
  これに対しプーチン大統領は、平和条約締結問題も含め、2国間のあらゆる問題に関する対話を継続していく意向だと応じました。
  菅総理大臣とロシアのプーチン大統領との初めての電話会談は、日本側からの申し出で、29日午後7時すぎからおよそ20分間行われました。
  この中で菅総理大臣は、「日ロ関係を重視しており、平和条約締結問題を含め、日ロ関係全体を発展させていきたい。北方領土問題を次の世代に先送りすることなく、終止符を打たなければならず、プーチン大統領とともにしっかりと取り組みたい」と述べました。
  これに対しプーチン大統領は、総理大臣就任への祝意を示したうえで、「安倍前総理大臣との関係を高く評価しており、菅総理大臣との間でも、2国間および国際的な課題に関して建設的に連携する用意がある。平和条約締結問題も含め、2国間のあらゆる問題に関する対話を継続していく意向だ」と応じました。
  そのうえで両首脳は、平和条約交渉をめぐり2年前に安倍前総理大臣プーチン大統領が1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速すると合意したことを改めて確認しました。
  また菅総理大臣が、「航空機による墓参りをはじめとした、北方領土の元島民への人道的措置を重視しており、四島をめぐる協力をさらに強化したい」と述べたのに対し、プーチン大統領は、いわゆる「ビザなし交流」の重要性は認識しているとして、新型コロナウイルスの感染拡大が収束すれば再開する用意があるという考えを伝えました。
  そして両首脳は、感染拡大を受けて延期された地方どうしの交流を進める「日ロ地域交流年」の開会式を実現するため、協力することで一致しました。
  最後に両首脳は、近いうちに対面で日ロ関係について率直に話し合いたいという意向を確認しました。
  一方、政府関係者によりますと、ロシア軍が北方領土にある演習場などで軍事演習を始めたと発表したことについては、すでに外務省が抗議を行っているとして、話題にはならなかったということです。
  会談のあと菅総理大臣は記者団に対し、「プーチン大統領と、今後、率直に意見交換できるという手応えを感じた。わが国としては、領土問題を解決して、平和条約を締結するという基本方針のもとに、粘り強く交渉していきたい」と述べました。
ロシア側の発表では平和条約交渉に触れず
  ロシア大統領府はプーチン大統領菅総理大臣と行った電話会談で、両首脳が両国のあらゆる関係を進展させる努力を続ける意思を確認したと発表しました。
  ただ発表の中では、北方領土問題を含む平和条約交渉については具体的には触れられておらず、ロシアとしては、経済や医療分野での関係を重視しているとみられます。
  ロシア大統領府の発表によりますと、電話会談のなかでプーチン大統領菅総理大臣は、これまで政治や貿易、経済、文化などの分野で両国の対話と協力関係が発展してきたとしたうえで、新型コロナウイルスのワクチンの開発など医療分野での今後の協力の見通しについて協議したとしています。
  そして両国の国民とアジア太平洋地域全体の利益のために、両国のあらゆる関係を進展させる努力を続ける意思を確認し、新型コロナウイルスの感染の状況が正常化することに伴いさまざまなレベルで対話を行うことで一致したということです。
  ただロシア側の発表では、北方領土問題を含む平和条約交渉については具体的には触れられておらず、ロシアとしては経済や医療分野での関係を重視しているとみられます。
  ロシアは、この電話会談を前にロシア軍が北方領土の択捉島と国後島の演習場などで軍事演習を始めたと発表しており、領土問題を巡って日本をけん制するねらいがあるとみられていました。


2020.8.20-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/da2b5ae2d72580c8dfb2583f970c943765f6109f
環境省、北方四島の植生図作成へ 衛星利用、日本領土示す

   環境省が北方四島(北海道)の植物群落の分布を示す植生図を作成する方針を固めたことが20日、分かった。ロシアが不法に占拠している北方四島は現地調査が困難なため、日本の領土でありながら植生図を作成していなかったが、同省は人工衛星画像による植生分析が可能だと判断した。日本固有の領土であることを示す指標の一つとなる。
   植生図は地域の植物のまとまりを地図上で類型化したもので、環境アセスメントの基礎資料などに活用される。環境省は自然環境保全法に基づき、昭和48年度から航空写真や実地調査などを組み合わせて全国で植生図を作成している。
   北方四島は政府の渡航自粛要請により現地入りができず、作成対象外とされてきた。環境省生物多様性センターが作成した全国の植生図でも北方四島だけが「白紙」となっている。
   ただ、近年は衛星画像の解析技術が進歩しており、衛星画像のみでも一定水準の植生図の作成が可能となった。縮尺は現行の2万5千分の1サイズより小さく、作成期間は1、2年程度を見込んでいる。
   韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)や中国が領有を狙う尖閣諸島(沖縄県石垣市)は比較的小さいため、航空写真や民間の文献資料から植生図が作成されている
   環境省幹部によると、北方四島の植生図作成は小泉進次郎環境相の考えという。小泉氏は作成を指示した理由について「尖閣や竹島は植生図が作成されているのに、日本の領土である北方四島にないのはおかしい。国家の尊厳と国民の財産に関わる問題だ」と語っている。


2020.8.5-Ysahoo!!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/ba7f9d824458f0843d4a9ba353fad7515a497e3a
露閣僚が国後島入り 非常事態相、開所式で「領有」誇示

  【モスクワ支局】ロシア非常事態省によると、ジニチェフ非常事態相は5日、北方領土の国後島に入り、災害や事故に対応する救助センターの開所式に出席した。露政府幹部の北方領土訪問は昨年8月に当時のメドベージェフ首相が択捉島入りして以来となる。
  ジニチェフ氏は「いったん露国旗が掲げられた場所ではそれを降ろすべからず」との皇帝ニコライ1世の言葉が記された表札を自ら掲げ、島の実効支配を誇示。救助センターは最新の気象予測システムなどを備え、同様の施設が近く択捉島でも稼働するという。
   日本外務省は5日、在日ロシア大使館に対し、ジニチェフ氏が国後島に入ったことは「わが国の立場と相いれない」と抗議した


2019.9.24-産経フオト THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/photo/story/news/190924/sty1909240013-n1.html
小島消失、付近に浅瀬確認 領海はほぼ現状維持見込み

海上保安庁は24日、浸食で消失すれば日本の領海が狭まる可能性があるとされていた北海道猿払村沖約500メートルの「エサンベ鼻北小島」について、島は消失し、付近に浅瀬を確認したと発表した。同庁は消失しても浅瀬付近に別の離島などがあるため、領海はほぼ現状維持できる見込みとしている。
 同庁などによると、第1管区海上保安本部(小樽)が調査した結果、小島があった付近に島は存在せず、非常に水深が浅い浅瀬があった。
国連海洋法条約は、島を「自然に形成された陸地で、満潮時にも水面上にあるもの」と規定。満潮時は水没するが、干潮時に水面上にある場合は「低潮高地」とし、本土から12カイリ(約22キロ)以内なら島と同様に領海の基準となる。
 同庁は今後1年以上潮位を観測するなどさらに調査を実施、浅瀬が低潮高地に該当するかどうか判断するとしている。
国連海洋法条約は、島を「自然に形成された陸地で、満潮時にも水面上にあるもの」と規定。満潮時は水没するが、干潮時に水面上にある場合は「低潮高地」とし、本土から12カイリ(約22キロ)以内なら島と同様に領海の基準となる。
 同庁は今後1年以上潮位を観測するなどさらに調査を実施、浅瀬が低潮高地に該当するかどうか判断するとしている。


2019.8.7-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190807/wor1908070010-n1.html
「日本の抗議は内政干渉」とロシア 「ビザなし渡航で日本側に違反行為」とも

【モスクワ=小野田雄一】ロシアのモルグロフ外務次官は6日、上月豊久駐露大使を同省に呼び、メドベージェフ首相による北方領土・択捉島訪問やロシア軍が国後(くなしり)島周辺で実施している射撃訓練に対するに極めて近い」と抗議した。露外務省が同日、発表した。
 露外務省はホームページ上に同日掲載した声明で、「島は第二次世界大戦の結果として合法的にロシア領となった。島でのロシアの経済的・軍事的活動に関する日本政府のコメントは内政干渉の試みに極めて近い」などと主張した。
 一方、在露日本大使館によると、モルグロフ氏の抗議に対し、上月氏は「露首相の北方領土訪問は日本の立場と相いれず、国民感情を傷つける。射撃訓練は北方領土でのロシアの軍備強化につながり、容認できない」などと反論した。
 露外務省はまた、北方領土のロシア人住民と日本人の元島民らが相互に行き来する「ビザなし交流」をめぐって日本側参加者に違反行為があり、強い抗議を伝えたとも発表。これについて同大使館は「事実関係を調査中だ」としている。
 メドベージェフ氏は3日、北方領土を4年ぶりに訪問し、現地の水産物加工場やインフラ建設現場などを視察。5日には極東地域を管轄するロシア軍の東部軍管区が国後島周辺などで射撃訓練を開始した。これに対して日本政府はロシア政府に抗議していた。


2019.8.2-産経新聞 THE SANKERI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190802/wor1908020018-n1.html
露メドベージェフ首相、4年ぶり北方領土訪問

【モスクワ=小野田雄一】ロシアのメドベージェフ首相は2日、ロシアが実効支配する北方領土・択捉島を訪れた。メドベージェフ氏の北方領土訪問は4回目で、2015年8月以来4年ぶり。「北方領土は第二次大戦後にロシア領になった」とするロシアの主張を誇示する狙いがあるとみられる。昨年11月に日露両政府が平和条約締結交渉の加速に合意し、北方領土での共同経済活動の実現に向けた協議も進められる中での訪問で、日露関係の悪化は避けられない情勢だ。
 メドベージェフ氏は同日、出張先の極東サハリン州ユジノサハリンスクから空路で択捉島に到着。インタファクス通信によると、報道陣からの「日本側の(訪問への)抗議を懸念しているか」との質問に、「島がロシア領である以上、当然、していない」などと答えた。「日本側からの抗議が強まるほど、露政府要人が島を訪れる動機も高まるだろう」とも述べ、今後も北方領土入りを続ける意向を示唆した。
 また、択捉島の温泉レジャー施設やイクラなどの水産物加工工場、建設中の学校などを視察した。新住居の建設も指示した。
 メドベージェフ氏は大統領時代の10年11月、旧ソ連・ロシアの国家元首として初めて北方領土の国後島に上陸。12年5月に首相に転じた後も、同年7月に国後島を、15年8月に択捉島を訪問した。12年の訪問時には北方領土について「一寸足りとも(日本に)渡さない」と述べていた。


産経新聞-2019.5.19 (https://www.sankei.com/politics/news/190519/plt1905190015-n1.html)
「意味不明な対応」と丸山衆院議員 ロシアに謝罪した維新幹部を批判
 戦争による北方領土奪還の是非に言及し、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員は19日、駐日ロシア大使に丸山氏の発言を謝罪した維新幹部を批判した。「ロシアへの『おわび』は完全に意味不明な対応。おかしなことにはおかしいと申し述べる」と自身のツイッター投稿した。
 自民党が提出を検討している丸山氏の発言を非難する決議案に関しても「韓国(海軍艦艇)による自衛隊機へのレーダー照射の時も尻込みして(非難決議案を)結局出さなかった」と批判。「長年わが国領土を不法占拠しているロシアに対してなら理解できるが、一議員の発言へ出すならまさにそれこそ牽強付会で(決議案の)基準が曖昧になる」と反発した。


2019.5.20
公明・山口代表「影響を謙虚に受け止めるべき」 丸山穂高氏発言問題
公明党の山口那津男代表は20日午前、北方領土に関する不適切発言で日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員=大阪19区=が議員辞職を重ねて否定したことに関し、「発言がどういう影響を与えているか、ご自身が謙虚に受け止めるべきだ」と述べた。国会内で記者団に語った。
  野党6党派が辞職勧告決議案を提出したことについては「過去には、犯罪行為など明確な法令違反で勧告決議案が出ている。過去の実例にも配慮しながら、熟慮して対応すべきだ」と指摘した。


2019.5.18
自民、非難決議案提出で調整 丸山穂高氏発言問題
戦争による北方領土奪還の是非に言及し、日本維新の会から除名された丸山穂高衆院議員について、自民党が丸山氏の発言に対する非難決議案を提出する方向で調整に入ったことが18日、分かった。複数の党関係者が明らかにした。
 立憲民主党や維新など野党6党派は17日、丸山氏の辞職勧告決議案を衆院に共同提出した。同決議案はこれまで、主に有罪判決を受けたり逮捕・起訴されたりした議員に出され、発言を理由とするのは異例。前例となれば、失言した閣僚らも対象に「際限がなくなる」(党幹部)との懸念もあり、自民党は別の決議案を提出する方針に傾いた。
 両決議案が可決された場合でも法的拘束力はない。自民党は懲罰動議を検討したが、大島理森衆院議長が難色を示した。自民、公明両党は20日にも対応を協議し、その結果次第では注意喚起にとどまる可能性もある。


毎日新聞-2019年5月14日 12時03分(最終更新 5月14日 21時01分)
https://mainichi.jp/articles/20190514/k00/00m/010/107000c
維新・松井代表「丸山氏は議員辞職すべきだ」 党紀委員会で除名へ
高橋克哉、浜中慎哉、真野敏幸
日本維新の会の丸山穂高衆院議員(35)=大阪19区=が北方領土返還について「戦争をしないとどうしようもなくないか」などと発言した問題について、維新代表の松井一郎大阪市長は14日、「国会議員としての一線を越えた。これまで北方領土返還に向けて尽力してきた全ての皆さんの行為を踏みにじる発言で、辞職すべきだ」と述べ、丸山氏の議員辞職を促した。同党は、同日中に党紀委員会を開き、丸山氏の除名処分を決める見通しだ。
  大阪市役所で記者団の取材に答えた。松井氏は「党代表として心からおわびしたい」と謝罪。「北方領土問題にも悪影響を及ぼす可能性がある」と認めたうえで、政府の外交ルートで謝罪と交渉継続を要請してほしいとした。
  一方、菅義偉官房長官は同日午前の記者会見で「誠に遺憾だ」と述べ、「外交交渉によって北方領土問題の解決を目指す方針に変わりはない」と強調した。 菅氏は丸山発言について「政府の立場とは全く異なる」とし、「日露交渉に影響を与えるとは考えていない」との認識を示した。
  宮腰光寛沖縄・北方担当相も会見で、「ビザなし交流事業に訪問団員として参加した国会議員が泥酔し、他の団員との間で口論のトラブルとなる事案が発生した」と説明した上で、丸山氏の発言を「はなはだ不適切で内閣府として誠に遺憾」と批判。「この発言が(北方領土)交渉に影響を与えないようにしなければいけない」と述べた。 
  維新の政調副会長の丸山氏は14日朝に国会内であった政調役員会を欠席した。同党議員は毎日新聞の取材に「言い訳できない内容だ。党としてもかばえない」と突き放した。 立憲民主党の辻元清美国対委員長は14日午前に国会内で開いた主要野党の国対委員長会談のあいさつで「こんな議員がいたのかと背筋が凍る思いがした」と語った。【高橋克哉、浜中慎哉、真野敏幸


毎日新聞-2019年5月20日 22時13分(最終更新 5月20日 22時13分)
https://mainichi.jp/articles/20190520/k00/00m/010/335000c
根室市議会 丸山穂高議員「戦争」発言に抗議と再発防止求める決議案可決へ
【本間昭浩】
  北方領土返還に関し「戦争しないとどうしようもなくないか」と発言した、丸山穂高衆院議員(35)(日本維新の会を除名処分)に対し、北海道の根室市議会は20日、厳重抗議と国に再発防止を求める決議案を30日の緊急議会で可決することを決めた。
北方領土問題「戦争しないと…」維新・丸山議員 国後元島民へ発言(You Tyu北方四島ビザなし交流の訪問団の一員として国後島を訪問した日本維新の会の丸山穂高衆院議員(35)が11日夜、元島民の男性に対し、北方領土問題について「戦争をしないとどうしようもなくないか」「(戦争をしないと)取り返せない」などと発言 。日本維新の会は14日、丸山議員を除名処分とした。
元島民ら丸山議員に反発「国会議員の態度じゃない」 コップで机をバンバン
  同島出身で訪問団長を務め、丸山氏にその場で反論した大塚小弥太さん(89)=札幌市=は「『戦争』と聞いて驚き、とんでもないと思った。衆院沖縄北方問題特別委員会の委員でもあり、人選はよく考えてほしい」と苦言を呈した。丸山氏が酒に酔っていたとの説明には「酩酊(めいてい)でなく(意識が)はっきりしていた」と指摘。同行記者の取材中に割り込んで発言してきた経緯から「失礼だと思った」とも述べた。
  同じく訪問団に参加した同島出身の清水征支郎さん(80)=北海道浜中町=は戦争発言に「議員辞職かクビにすべきで、ビザなし交流の意義を損なう」と反発。「コップで机をバンバンたたいて大騒ぎをしており、国会議員の態度じゃないと腹が立った。翌日も嫌々謝罪し、本気でないように見えた」と批判した。同じく訪問団に参加した同島出身の清水征支郎さん(80)=北海道浜中町=は戦争発言に「議員辞職かクビにすべきで、ビザなし交流の意義を損なう」と反発。
  丸山氏は11日夜、同島の宿泊施設「友好の家」での懇親の場で、団長の大塚さんに「(戦争でなければ北方領土を)取り返せない」「戦争をしないとどうしようもなくないですか」などと発言。大塚さんは戦争による解決を再三否定し、強く反論した。
  丸山氏は翌12日、団員の抗議を受け、2回にわたって謝罪したが、13日に北海道根室市に到着後の記者会見では謝罪せず、「(北方領土を)戦争で取られたことに賛成か反対か団長の考えを聞こうとした」として、自分の意見でなく質問として発言したと釈明。「意見交換する公の場でなかった」「真意を切り取られて心外」「言葉尻だけとらえられても困る」と開き直っていた。
  訪問団関係者によると、団員はロシアが実効支配する北方領土での不測の事態を避けるために夜間の外出を自粛しているが、丸山氏は夜中に外出しようとして制止を受けたほか、酒に酔って大声を上げるなどの迷惑行為があったという。【本間昭浩】


北方領土問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


北方領土問題: Kuril Islands dispute , Northern Territories dispute)は、北海道根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題である。

概要
  日本国政府は、ロシア連邦が自国領土だとして占領実効支配している北方領土について、不法占拠された日本固有の領土だとして、返還を求めている。1945年昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定し翌15日に玉音放送によって国民に降伏を告知、自発的戦闘行動を停止した後の1945年8月28日から9月5日にかけて、赤軍ソ連軍)が当時まだ有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄して北方領土に上陸し占領した。侵攻に際し、米ソ合同作戦「プロジェクト・フラ」により米国で建造された軍艦や米軍に習熟訓練を受けたソ連兵たちも参加した。
  その後、北方領土は現在に至るまでソビエト社会主義共和国連邦および、それを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。日本国政府は北方領土は日本固有の領土だとして領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでおらず、日本はその返還を求めている。
  千島列島の呼称について、日本国政府は「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後択捉)両島は含まれない」、色丹島および歯舞諸島は北海道の一部を構成する(属島)とする。ソビエト連邦あるいは現ロシア連邦はサンフランシスコ平和条約に調印していない。
  ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、色丹・歯舞を合わせて小クリル列島、占守島から国後島までを大クリル列島、小クリル列島と大クリル列島を合わせてクリル列島と呼んでいる。

北方領土関係史
  松前藩が江戸幕府に提出したものを基礎としており、提出された原本は残っていないが、松前藩は1635年に樺太調査を行っており、地図はそれに基づいて作られたものと言われている。択捉島についていえば、アイヌが先住していて、1661年に伊勢国の七郎兵衛らの船が漂流している。1760年代にロシア人のイワン・チョールヌイが、択捉島でアイヌからサヤーク(毛皮税)を取り立てたという記録が残されている。また、最上徳内が徳川幕府の派遣した探検家として最初に択捉島を訪れた1780年代には、択捉島には3名のロシア人が居住し、アイヌの中に正教を信仰する者がいたことが知られており、同時期、既にロシア人の足跡があったことも知られている(ただし正教はロシア人・ロシア国民以外にも信仰されているものであり〈例:ギリシャ正教会ブルガリア正教会日本正教会正教徒であることイコールロシア人ではない)。
  ・1854年ー(嘉永7年)千島列島、全樺太島やカムチャッカ半島までも明記した「改正蝦夷全図」なる(加陽・豊島 毅作)。
  ・1855年ー日本とロシア帝国は日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした。
  ・1869年蝦夷地北海道と改称。このとき国後島択捉島の行政区分をあわせて「千島国」とし五郡を置いた。
  ・1875年ー日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、「クリル群島(le groupe des îles dites Kouriles)」を日本領、日本とロシアの共同統治としながらも、両国民の紛争の絶えなかった樺太をロシア領とした。この条約はフランス語が正文であり、これに基づいて日本語訳が作られたが、この翻訳は不正確なものだった。不正確な日本語訳に基づいて、得撫島以北が千島列島であるとの解釈がなされたことがある。
  ・条約締結後、当時の行政区分で「千島国」と定められていた国後島・択捉島に、得撫島以北を編入し、国後島から占守島までが千島国になった。
  ・(1904年 - 1905年 日露戦争ポーツマス条約により南樺太が日本に割譲された)
  ・(1917年-1918年 ロシア革命)・(1918年-1922年 シベリア出兵)・(1931年 満州事変勃発)・(1937年 日中戦争勃発)
  ・1940年ー11月25日、モロトフが駐ソ連ドイツ大使を呼び出し、ドイツ外相フォン・リッベントロップの提案[5]に従って、日独伊三国同盟を「日独伊ソ四国同盟」とする事にソ連政府として同意した[6]。締結にあたって解決すべき条件があり、その中に北サハリンにおける日本の石炭・石油採掘権の放棄という項目があった[6]。この同盟案はドイツがソ連に奇襲攻撃をかけたため消滅した。
  ・1941年ー4月、日ソ中立条約を締結。
  ・開戦前、アメリカ大統領ルーズベルトヨシフ・スターリンに、日本軍がソ連沿海州を攻撃するという情報を届けた[7]。これに関連し、ソ連極東地域にアメリカ空軍基地建設許可、アラスカ経由での航空機輸送を提案した。だがゾルゲなどの諜報機関から日本が対米開戦ハワイ奇襲を決意したことを知るスターリンは相手にせず、米軍爆撃機基地建設を拒絶した。
  ・1942年ー6月17日、新任アメリカ大使スタンリー将軍がルーズベルトの親書をスターリンに手渡した[9]。ルーズベルトは再び日本軍のソ連侵攻に言及し、極東に米軍基地建設を求めた。スターリンは、独ソ戦の激戦が続く間、日本との関係を悪化させないと特命全権大使に言明した。
  ・1943年ー10月、モスクワにおいて米・英・ソ三国外相会談が開かれる(モスクワ会談)。スターリンの通訳によれば、10月30日に開催されたクレムリンのエカテリーナ広間晩餐会で、スターリンは隣に座るハル国務長官に対し、ドイツ戦終了と同時に対日参戦することをソ連の意思として伝えた。ただし、耳打ちという形で告げられ、当分の間秘密とされた。続いて11月末、イランテヘランにおいて、米・英・ソ首脳会談が開かれる(テヘラン会談)。この会談でルーズベルトとチャーチルは、1944年の5月までにヨーロッパで第二次戦線を開くことを約束した。その見返りにスターリンは、ドイツ敗戦の後に対日戦争に参加することをはっきり約束し、そのためにいかなる「要望」を提出するかは、後で明らかにすると言明した。
  テヘラン会談の直前、カイロで米・英・中三国による首脳会談が開催される。米・英・中三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するために戦争をしていること、日本の無条件降伏を目指すことが宣言された(カイロ宣言)。カイロ宣言では、第一次世界大戦以後に日本が諸外国より奪取した太平洋諸島の領土を剥奪すること、台湾・満州の中国への返還、日本が暴力・貪欲により略取した地域からの駆逐が定められている。南樺太や千島列島については触れられていない。
  ・1944年ー12月14日、スターリンはアメリカの駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンに対して南樺太や千島列島などの領有を要求する。これがのちにヤルタ協定に盛り込まれることとなる。
  ・1945年1月 - 8月 戦時下の国際情勢。2月、ソ連のヤルタで米・英・ソ首脳が会談(ヤルタ会談)。ここで、戦勝国間で、戦勝権益の世界分割が話し合われた。大日本帝国を早期に敗北に追い込むため、ナチス・ドイツ降伏(ヨーロッパ戦勝記念日)の3か月後に、ソ連対日参戦する見返りとして、日本の降伏後、南樺太をソ連に返還し、千島列島をソ連に引き渡すべきとした極東密約を結んだ(ヤルタ協定)。
  4月5日、ソビエト社会主義共和国連邦が日ソ中立条約の失効を日本側へ通告。日ソ中立条約は、規約により締約更新の1年前に通告しなければ、自動更新されることになっており、このソビエトの通告により、1946年4月25日に失効することになった。日本側は翌年の期間満了後に失効と捉えたが、後にソ連側は破棄の通告としている。
  7月17日 - 8月2日、ポツダム会談においてソ連は、アメリカと他の連合国に対して、日ソ中立条約の残存期間中であることを理由として、ソ連に対日参戦を求める内容の明文化を要求。
  ・1945年8月 ソ連による対日宣戦布告ー8月8日、モスクワ時間の午後5時(日本時間:午後11時)、ソ連の外務大臣から対 8月23日、スターリンは「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜50万人をソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下し、これにより主にシベリアなどへ労働力としてソ連各地へ移送・隔離されシベリア抑留問題となる。
  8月28日から9月1日までに、ソ連軍は北方領土の択捉・国後・色丹島を占領した。9月2日東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ甲板において、日本側が連合国降伏文書を締結、これにより停戦となる。同文書では、連合国側として連合国最高司令官とソ連を含む各国代表も署名を行い、国際的に停戦が確認された。既に8月22日に千島諸島の日本軍は戦闘停止していたが、連合国からの指令「一般命令第一号」で千島諸島の日本軍は「ソヴィエト」極東軍最高司令官に降伏すべきこととされた。
  9月3日から5日にかけてソ連軍は歯舞群島を占領した。
  ・1946年 - 1949年ー1946年1月29日GHQ指令第677号により、千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が一時的に停止され[* 3]、千島はソビエトの行政管轄区域となった。
  ・1946年2月2日、ソ連邦最高会議が、千島列島(クリル諸島)の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言する(ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。1945年8月当時、北緯50度以南の南樺太島南部に住んでいた日本人は約40万人だったが、ソ連の占領下で生活することになった日本人は、技術者を中心として多くがそのまま職場にとどまらざるを得なかった。南樺太では、日本から米の供給が途絶えたことから、ソ連は旧満州国から大豆、北朝鮮から米を移入し、日本人への配給にあてる一方、北朝鮮から林業などの朝鮮人労働者も送られるようになった。
  ・1946年2月11日、ヤルタ会談における極東密約(ヤルタ協定)が公開された。ー北方領土には日本国民は約1万7千人住んでいたが、占領当初は、日本国民の本国帰還は認められなかった。1946年12月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)とソ連との間で捕虜となっていた日本国民の引き上げ(「在ソ日本人捕虜の引揚に関する米ソ協定」)が合意され、1949年7月までにほぼ全員の日本国民が帰国した。
  ・1951年サンフランシスコ講和条約で、日本は南樺太と千島列島を放棄する。平和条約国会で、政府はヤルタ協定のいう千島列島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している。この説明は1956年2月に取り消された。
  ・1956年 戦後の両国間交渉ー日ソ共同宣言(昭和31年条約第20号)ー日ソ交渉に先立って、サンフランシスコ条約起草国である米国や、英国、フランスに対して、同条約中、放棄した千島の範囲について問い合わせをした[いつ?][誰?]。米国は北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならないと国務省の覚書として明文化された公式見解を示し、日本の立場を支持している。しかし、英・仏からは日本に好意的な回答は得られなかった。フランスからは、サンフランシスコ会議議事録において日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起するとの回答があった。
  平和条約の締結交渉は、北方領土の全面返還を求める日本と、平和条約締結後の二島の「譲渡」で決着させようとするソ連の妥協点が見出せないまま、結局日ソ平和条約は締結されず、締結後に歯舞群島・色丹島をソ連が日本に引き渡すと記載された条文を盛り込んだ共同宣言で決着した。
  日ソ共同宣言で日ソ間の外交関係が回復。日本とソ連は1956年12月7日、日ソ共同宣言の批准書を交換し、日ソ共同宣言は同日発効した。
  ・1957年ーソ連国境警備隊が貝殻島に上陸。日本は日米安保条約下にあったが、このとき米軍は一切出動しなかった。
  ・1960年岸信介内閣が日米安全保障条約改定を行ったことに対してソビエトが反発。ソ連は、歯舞群島と色丹島の引き渡しは「両国間の友好関係に基づいた、本来ソビエト領である同地域の引き渡し」とし、引き渡しに条件(外国軍隊の日本からの撤退)を付けることを主張する。日本政府は、共同宣言調印時には既に日米安保があったとして反論。
  ・1962年3月9日:日本の衆議院本会議において沖縄・小笠原施政権回復決議とともに、北方領土回復決議が採択される。
  ・1964年7月10日毛沢東中国共産党主席が中国を訪問していた日本社会党訪中団に対し、ソビエト連邦について「とにかく自分の領内に入れることのできるところは、残らず自分の領内に入れようというのです。」などとしたうえで、「われわれはまだ彼らとの間に、決算が終わって(原文ママ)いないのです。
  ところで、皆さんの千島列島についてですが、われわれにとって、それは別に問題ではありません。皆さんに返還すべきだと思います。」と述べ、北方領土問題に関し日本を支持する考えを示す。
  ・1970年11月11日:オコニシニコフ在日ソ連臨時代理大使が日本の森外務事務次官に対し、北方領土に関する対日口頭声明を行う。これに対し同年11月17日に、日本の森外務事務次官がオコニシニコフ在日ソ連臨時代理大使に対し、先の声明に対する回答を口頭で行う(対ソ回答)。
  ・1972年大平正芳外相が北方領土問題の国際司法裁判所への付託を提案したが、ソ連のアンドレイ・グロムイコ外相が拒否する。
  ・1973年田中ブレジネフ会談。第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決した後、平和条約を締結することが合意された(日ソ共同声明)。
  ・1981年北方領土の日設定。毎年2月7日を北方領土の日とする。
  ・1991年ーソビエト連邦は解体、ロシア連邦として独立し、領土問題を引き継ぐ。
  ・1993年ー10月:細川護煕首相とエリツィン大統領が会談し、北方四島の島名を列挙した上で北方領土問題をその帰属に関する問題を解決した上で平和条約を早期に締結するとして日露共同文書が発表された(東京宣言)。
  ・2010年ー7月:中国共産党胡錦濤総書記の働きかけもあり、ロシアは日本が第二次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を「終戦記念日」に制定した。1月1日ドミートリー・メドヴェージェフ大統領は、北方領土の国後島を訪問。「ロシアの領土を訪問」したとしている。11月1日:アメリカのフィリップ・クローリー国務次官補は記者会見の席上で、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領が国後島を訪問したことに関し「北方領土に関して、アメリカは日本を支持している」と述べる。11月2日:アメリカのフィリップ・クローリー国務次官補は記者会見の席上で、「アメリカは北方領土に対する日本の主権を認めている」としたうえで、北方領土に日米安全保障条約が適用されるかについて、「現在は日本の施政下にないため、第5条は適用されない」と述べる。
  ・2011年ー2月11日:ロシアのラブロフ外相は日露外相会談を受けた記者会見で、北方領土の開発に「中国や韓国など(第三国)の投資を歓迎する」と述べる
  ・5月24日:竹島の領有権確保を目指す「独島領土守護対策特別委員会」の韓国議員3人が国後島を訪問。この訪問予定を知った日本政府は遺憾の意を示していたが、「韓国国会議員の行動にあれこれと言ってくるのは失礼な態度だ」とし、訪問目的を「日本との領有権問題がある地域の支配・管理状況の視察」とした
  ・2019年ー5月11日:北方領土へのビザなし交流訪問団に同行していた当時日本維新の会所属の衆議院議員丸山穂高が国後島の宿舎で酒に酔い、元島民の団長に「戦争で北方領土を取り返す」というような趣旨の不適切な発言をしていたことが報道され、日ロ関係悪化が懸念されている。
  ・6月22日:大阪で開催されるG20とそれに合わせ29日に行われる日露首脳会談に先駆けて、ロシアのプーチン大統領は国営放送のインタビューに「北方領土を日本に引き渡す計画はない」と答えた。
  ・2020年ー7月4日:改正憲法の施行に伴い、北方領土交渉は事実上完全無効化。これは、改正憲法にロシア領土の割譲の禁止が記載され明文規定化されたためで、これに先立って7月2日に国後島に「憲法改正記念碑」が建立された。プーチン大統領は、「このテーマ(南クリルが完全なロシア領であるという事)が特に重要なロシアのある地域の住民が、鉄筋コンクリートで記念碑を設置した。記念碑は『改正憲法は鉄筋コンクリートのように堅固であるべきだ』との提案に沿ったものだ」とコメントした。10月:ロシアは千島列島での軍事演習用のミサイルシステムの配備を計画していると述べた。12月1日:ロシア国防省Zvezdaテレビ局は、ロシアが択捉島での戦闘任務のためにS-300VMミサイルシステムのいくつかの重砲S-300V4バージョンを配備したと報告。択捉島にすでに短距離対空ミサイルシステムが配備されていたことも確認された

解説
  1945年9月2日、日本は降伏文書に調印した。この時、南樺太・千島の日本軍は赤軍極東戦線に降伏することが命令され、南樺太・千島はソ連の占領地区となった。
  1952年のサンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。この条約にソ連は調印していないため、ソ連との国交回復は、1956年の日ソ共同宣言により行われた。この時、日ソ間で領土の帰属に関して合意が得られなかった。その後、日ソ・日ロ間には、幾つかの共同声明や共同コミュニケがあるが、平和条約締結や領土問題での合意に至っていない。

  1941年4月、日ソ間で日ソ中立条約が締結された。その2ヵ月後、ドイツが突如ソ連に侵攻し、独ソ戦が勃発。日本政府は、御前会議において、情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱を策定、独ソ戦が日本に有利に働いたときはソ連に侵攻することを決めた。さらに、日本軍は関東軍特種演習(関特演)を実施、ソ連侵攻の準備を整えた。しかし、日本政府の思惑とは異なって、独ソ戦は膠着し、日本のソ連侵攻の機会は得られなかった。
  ソ連はスターリングラード攻防戦・クルスク戦車戦以降、独ソ戦を有利に展開するようになる。こうした中、1943年11月、テヘラン会談が米・英・ソ三国首脳により開かれ、当面の戦争、戦勝権益の連合国間での分割、連合国の覇権に置かれる戦後世界の戦略に関して幅広い協議が行われた。このときの合意は、1945年2月のヤルタ協定に引き継がれた。
  当時アメリカは米国人の戦争犠牲をなるべく少なくすることを狙っており、そのためには、ソ連の対日参戦が必要だった。独ソ戦で大きな被害を受けていたソ連国民には、更なる戦争への参加をためらう気持ちも強かったが、戦後世界の勢力バランスを考慮したスターリンは米国の参戦要求を了承した。当初ポツダム宣言への連名は、日本と交戦状態に無いソ連は除外されていたが、ソ連は参戦後、ポツダム宣言に参加した。その後、アメリカ主導で作成されたサンフランシスコ講和条約においても、既にソ連が占領している南樺太や千島をヤルタ会談での取り決め通り日本に放棄させる内容となっている。

  1945年ドイツ敗北の3ヵ月後、ソ連は米・英との合意にしたがって対日宣戦布告。翌日、ソ・満国境を越えて満州に進攻、8月14日に締結されたソ華友好同盟条約に基づいて、満州を日本軍から奪取した。満州の日本軍は、蒋介石の国民党軍ではなく、赤軍に対し降伏すると取り決められていた。翌年3月12日、蒋介石の駐留要請を断って、赤軍は瀋陽から撤退を開始し、5月3日には旅順・大連に一部を残し、完全に撤退した。一方、南樺太では、8月11日、中立条約を侵犯し、日本に侵攻した赤軍は8月25日までに南樺太全土を占領した。樺太占領軍の一部は、26日に樺太・大泊港を出航し、28日択捉島に上陸、9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日から5日にかけて占領されている。

  1945年9月2日、日本は降伏文書に調印し、連合国の占領下に入った。千島・南樺太はソ連の占領地区とされた。1946年1月29日GHQ指令第677号により、南樺太・千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が一時的に停止され、同2月2日に併合措置(ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。サハリン島南部及びクリル諸島の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言。これはヤルタ協定に基づくものの条約によらない一方的行政行為(一方的宣言)であり当該領域についての最終帰属に関する問題が発生する。1946年2月11日に米国とともにヤルタ密約の存在について公表。
  千島列島に関する条文案は紆余曲折を経て、1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結され1952年に発効されたことにより、日本は独立を回復したものの、同条約に従って、南樺太・千島列島の領有権を放棄することになった。条約締結に先立つ1946年末から、日本は米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の立場を説明している。この中の2冊は千島に関する事項であることが知られている。このような経緯があって、千島列島の範囲が日本に不利なように定義されなかったが、同時に、日本に有利なように定められることもなかった。

  1952年3月20日アメリカ合衆国上院は、「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」とする決議を行った。この米上院の決議の趣旨は、サンフランシスコ講和条約第25条として明示的に盛り込まれている。米国上院のこの決議[* 7]はサンフランシスコ条約批准に際する解釈宣言であり有効である。但し外交交渉そのものの権限は大統領府にあり議会にあるわけでは無いので、当条約を批准した以降に大統領府がおこなう別の外交交渉を直接拘束する訳ではない。また他の参加・批准国を直接拘束するものではない(他の批准国はサンフランシスコ講和条約により直接的に拘束されている)。
  ソ連はサンフランシスコ講和条約への調印を拒否したため、国交回復は1956年日ソ共同宣言まで持ち越された。このとき、日ソ間では歯舞群島・色丹島の「譲渡」で合意しようとする機運が生まれたが、日本側が択捉島・国後島を含む四島一括返還を主張したため交渉は頓挫した。結果、現在もロシアとの平和条約締結に向けて交渉が行われているが、領土問題に関する具体的な成果は得られていない。

  日本政府は1997年に在ハバロフスク総領事館サハリン出張駐在官事務所を開所し、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館を設置した。総領事館の設置に際してはロシア政府と交換公文や往復書簡を交わしロシアの同意を得ており、総領事の配置にも同意(アグレマン)を得ているが、日本政府としては南樺太の最終的な帰属先は未定であるとの立場であり、仮に将来において何らかの国際的解決手段により南樺太の帰属が決定される場合にはその内容に応じて必要な措置を取るとしている。鈴木宗男は南樺太についての政府解釈は難しいだろうと指摘したうえで北方領土の帰属は日本であると確認をしている。近藤昭一は総領事館設置を既成事実として南樺太の帰属問題を解釈する危うさを指摘し、日本がロシアに対して依然南樺太の領有権を主張しうるとする説や、日本が領有権を主張し得ないと同様に対日平和条約の当事国でないソ連もこの条約に基づいて南樺太・千島列島の領有権を主張できないとする説に言及する

カイロ宣言
和訳原文
  三大同盟國ハ日本國ノ侵掠ヲ制止シ且之ヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス右同盟國ノ目的ハ日本國ヨ三大同盟國ハ日本國ノ侵掠ヲ制止シ且之ヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス右同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ淸國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ淸國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ
現代文
三大同盟国(米・英・中)は、日本の侵略を制止し、日本を罰するために戦争をしている。右の同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張の考えがあるわけではない。
  右同盟国の目的は、日本国より1914年の第一次世界大戦の開始以後において、日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖諸島のような日本国が清国民より盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。

  1943年、太平洋戦争中に米・英・中がカイロで首脳会談を行った。この時のカイロ宣言では、日本の侵略を制止し、日本を罰し、1914年の第一次世界大戦以後日本が奪取した太平洋上の領土を奪還することや、満州・台湾を中国に返還することを目的としている。また、米・英・中には領土拡張の考えがないとしている。カイロ宣言は、米・英・中の宣言であり、ソ連と関係した南樺太や千島列島は、同宣言の奪還の直接対象とはなっていない。
  一方で、ソ連が後に参加した1945年のポツダム宣言では日本の主権範囲について「カイロ宣言の条項は履行されるべき」の文言があり、カイロ宣言についてソ連に対して間接的に影響を及ぼしている。
ポツダム宣言
和訳原文(抜粋)
  ポツダム宣言 八「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
現代文
  「カイロ」宣言の条項は履行されなければならず、また、日本国の主権は本州、北海道、九州、および四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない

  ポツダム宣言ではカイロ宣言を履行されなければならないとしている。カイロ宣言では南樺太・千島には言及されておらず、ポツダム宣言でも千島列島・南樺太に関する言及は無い。ただし、四国よりも大きい樺太が諸小島に含まれるとも解釈できない。宣言ではソ連への千島・南樺太の譲与にも言及がない。

ソ連の対日参戦(詳細は「ソ連対日参戦」を参照)
  ・8月8日 ソ連、対日宣戦布告。・8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ通告。・8月11日 ソ連、中立条約を侵犯し南樺太に侵攻。・8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定。在スイス加瀬公使、在スウェーデン岡本公使を通じ、米・英・ソ・中に、ポツダム宣言の無条件受諾を通告する。・8月15日 日本国民に向けて玉音放送。・8月18日~8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面から千島列島に侵入する(占守島の戦い)。以後、得撫島以北の北千島を占領。・8月25日 南樺太を占領。・8月28日~9月 1日 択捉・国後・色丹島を占領。・9月 2日 日本、連合国への降伏文書に調印(一般命令第一号発令。本命令により、南樺太と千島列島の日本軍は赤軍極東戦線最高司令官に降伏することが義務付けられた)。・9月 3日~9月 5日 赤軍が歯舞群島を占領。

  南樺太と千島列島のソ連軍占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」に従って行われた。トルーマンの「一般命令第一号」原案では、千島列島の日本軍がソ連に降伏すると記載されてなかったため、スターリンはヤルタ協定に基づき、赤軍に対し降伏させるようトルーマンに要求。トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。
  翌1946年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、琉球千島歯舞群島色丹島南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国(厳密にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)の領土に編入している。サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が占領した島々を、ロシアが現在も実効支配している。

サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)(「日本国との平和条約」も参照)

第二章 領域 第二条(c) (和訳原文)
日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

  日本はこの条約でソ連の調印のないまま千島列島を放棄する。条約では千島列島の範囲は明確になっていないが、アメリカ全権のダレスは歯舞群島は千島に含まないとするのが合衆国の見解とし、連合国内で合意をみない旧日本領土の最終処分については22条に基づいて国際司法裁判所に付託することができるとした。日本全権の吉田は、南樺太および千島列島は日本が侵略によって奪取したとのソ連全権の主張は承諾できない、としたうえでソ連による北方占領地の収容を非難する根拠として日露和親条約千島樺太交換条約での平和的な国境の画定を指摘し、南樺太と千島列島のソビエトによる収容が一方的であると非難し、かつ歯舞・色丹については「日本の本土たる北海道の一部を構成する」と、国後・択捉については「日本領であることについて、帝政ロシアも何ら異議をはさまなかった」とそれぞれ説明している。

  国内では、サンフランシスコ講和条約締結前の1950年3月8日の衆議院外務委員会にて島津久大政務局長が、同条約締結直後の1951年10月19日の衆院特別委員会にて西村熊雄条約局長が、同年11月6日の参院特別委員会に草葉隆圓外務政務次官が、それぞれ「南千島は千島に含まれている」と答弁している(但し、西村・草葉は歯舞・色丹に関しては千島列島ではないと答弁した)。この答弁がされていた当時は条約を成立させて主権を回復することが最優先課題であり、占領下にあって実際上政府に答弁の自由が制限されていた。この説明は国内的に1956年2月に森下國雄外務政務次官によって正式に取り消された。
  その後、日本は「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」としており、1956年頃から国後・択捉を指すものとして使われてきた「南千島」という用語が使われなくなり、その代わりに「北方領土」という用語が使われ始めた。日本政府は1964年に国後・択捉に対する「南千島」という旧来の呼称に代え、四島を返還要求地域として一括する「北方領土」という用語を使用することを決定した。

  この条約では日本が放棄した旧領土の帰属先については意図的に除外されており、ソビエト全権のグロムイコはこの英米案からなる講和条約案を非難している。これはすでに朝鮮半島で始まっていた東西陣営による角逐(朝鮮戦争、あるいは封じ込め政策)の緊張のなかで、北方占領地や台湾・沖縄・小笠原などが焦点となったためで、ソビエトは米国による西南諸島・台湾・小笠原諸島の国連信託統治の形での実効支配についても非難している。
  また、第二条(c)のほかに、北方領土問題に関する条文として、第二十五条と第二十六条が存在する。
  現在、サンフランシスコ講和条約においては以下の条文を適用することによりロシア(旧ソ連)による南樺太・千島列島・色丹島・歯舞群島の領有権は否定されているというのが、この条約を批准した日本など46カ国の立場である。
第七章 最終条項 第二十五条 (和訳原文)
  この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。
  つまり、ロシア(旧ソ連)はサンフランシスコ講和条約に調印・批准していないのでこの条約上の連合国には該当せず、当該条約はそのような国に対していかなる権利、権原又は利益も与えられてはおらず、すなわち、日本が放棄した千島列島や南樺太をロシアが領有することは認めないということである。
  さらに、日本がこの条約に違反した場合の罰則も規定されている。
第二十六条 (和訳原文)
  日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。
  アメリカは、日本がソ連との間で色丹・歯舞の二島「譲渡」で妥協しようとした際、上記の条文を根拠として、沖縄の返還に難色を示した。
日ソ平和条約交渉と日ソ共同宣言
  1955年6月、松本俊一を全権代表として、ロンドンで、日ソ平和条約交渉が始まった。当初、ソ連は一島も渡さないと主張していたが、8月9日になって態度を軟化させ、歯舞・色丹を日本領とすることに同意した。松本はソ連側の妥協を受け、これで平和条約交渉は妥結すると安堵したが、日本政府は国後・択捉も含めた北方四島全てが日本領であるとの意向を示したため、交渉は行き詰まった。
  1956年7月、重光葵外相を主席全権、松本を全権として、モスクワで日ソ平和条約交渉が再開された。当初、重光は四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見るや、8月12日、歯舞・色丹二島返還で交渉を妥結することを決心し、本国へ打診。しかし、当時、保守合同で発足した自由民主党の党内には派閥間の思惑もあり、重光提案を拒否、日ソ平和条約交渉は膠着した。さらに、8月19日に重光外相はロンドンで行ったアメリカのダレス国務長官との会談の席上、ダレスに択捉島国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求される。この中でダレスは「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とする」と述べたとされる。ダレスの沖縄の米国領有の根拠はサンフランシスコ平和条約第26条の「日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない」を適用するものとされた。なお、この会談の記録は外務省に保管されており、鈴木宗男が2006年2月、松本の書籍の内容が事実であるかどうかを政府に質問したが、政府は今後の交渉に支障を来たす恐れがあるとして、明確な回答を一切避けた。
  自民党内部の反鳩山勢力の思惑や米ソ冷戦下の米国の干渉などにより、平和条約交渉は完全に行き詰まった。

  1956年、かねて日ソ関係正常化を政策目標に掲げていた鳩山一郎首相は局面を打開すべく自ら訪ソしようと考えた。領土問題を棚上げにして戦争状態の終了と、いわゆるシベリア抑留未帰還者問題を解決する国交回復方式(アデナウアー方式)に倣うものとし、この場合、国交回復後も領土問題に関する交渉を継続する旨の約束をソ連から取り付けることが重要だった。鳩山訪ソに先立ち松本俊一が訪ソし1956年9月29日にグロムイコ第一外務次官との間で「領土問題をも含む平和条約締結交渉」の継続を合意する書簡を取り交わした。
  同10月12日に鳩山首相が訪ソ、ブルガーニン首相らと会談。実質的交渉は河野一郎農相とフルシチョフ党第一書記との間で行われた。日本側は歯舞・色丹の「譲渡」と国後・択捉の継続協議を共同宣言に盛り込むよう主張したが、フルシチョフは歯舞・色丹は書いてよいが、その場合は平和条約交渉で領土問題を扱うことはない、歯舞・色丹で領土問題は解決する旨主張した。18日午後の会談で、河野が提示した案文に対しフルシチョフは平和条約締結交渉の継続を意味する「領土問題を含む」との字句を削除したいと述べ、河野はソ連側からの案文をそのまま採用したものだとして反論、河野は総理と相談するとして辞し、同日中にフルシチョフを再訪し、字句削除の受け入れを伝えた。ただし日本側は「松本・グロムイコ書簡」を公表することで説明をつける考えであり、ソ連側の了解を得て公表された。
領土問題の交渉過程
  1956年日ソ共同宣言では歯舞・色丹を平和条約締結後に日本に引き渡す取り決めを結ぶ。日ソ共同宣言の締約によりソ連の賛同を得て日本は国際連合に加盟を果たすことになるが、平和条約交渉における領土問題の取り扱いについて日ソ間で直ちに認識の違いが露呈してくることとなる。1960年、日米安全保障条約の改正によりソ連は領土問題の解決交渉を打ち切り、領土問題は日本側の捏造でしかなく、当初から領土問題が存在しないことを表明(日本政府ならびに外務省は、ソ連は領土問題は解決済みと捉えている、としている)。日本もソ連との間では、まず北方領土問題が解決しなければ何もしないとの立場をとった。
  1973年10月に田中角栄首相とブレジネフ共産党書記長との会談を経て、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して、平和条約を締結する」との日ソ共同声明が出された。日本政府はこの共同声明を根拠に、首脳会談でブレジネフから「領土問題が未解決である」ことの言質を得たと認識しているが、日ソの共同文書には「領土問題が存在している」旨の明記はなされなかった。
  1991年4月にゴルバチョフ大統領が来日し、領土問題の存在を公式に認めた。ソビエト連邦の崩壊後の1992年3月に東京で行われた日露外相会談で、ロシア側が北方領土問題において歯舞・色丹を引き渡す交渉と国後・択捉の地位に関する交渉を同時並行で行った上で平和条約を締結することを含めた秘密提案を行ったものの、四島返還の保証はなかったことで日本側は同意しなかった。1993年10月、日露首脳会談が行われ、両首脳は北方四島の帰属問題について両国間で作成された文書や法と正義の原則に基づき解決することで平和条約を早期に締結するよう交渉を続けることを日露共同文書で明記した東京宣言が発表された。1997年11月のクラスノヤルスク合意では、東京宣言に基づいて2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで日露首脳が合意した。
  1998年4月、日露首脳会談で日本側は「択捉島とウルップ島の間に、国境線を引くことを平和条約で合意し、政府間合意までの間はロシアの四島における施政権を合法と認める案」を非公式に提案(川奈提案)。1998年11月、日露首脳会談でロシア側は「国境線確定を先送りして平和友好協力条約を先に結び、別途条約で国境線に関する条約を結ぶ案」が非公式に提案された(モスクワ提案)。2001年3月、日露首脳会談で日ソ共同宣言が平和条約交渉の基本となる法的文書であることを確認し、1993年の東京宣言に基づいて北方四島の帰属問題の解決に向けた交渉を促進することを明記した文書に両首脳が合意した(イルクーツク声明)。

  日本側は四島返還が大前提であるが、ロシア側は歯舞・色丹の引き渡し以上の妥協はするつもりがなく、それ以上の交渉は進展していない。
  2005年11月21日の未明に、訪日したプーチン大統領と小泉純一郎首相(当時)の間で日露首脳会談が行われた。これによって領土問題の解決を期待する声もあったが、領土問題の交渉と解決への努力の継続を確認する旨を発表したのみに留まり、具体的な進展は何も得られなかった。また、ロシア側も、原油価格の高騰による成長で、ソビエト崩壊直後のような経済支援や投資促進のカードを必要としなくなりつつあり、またラトビアエストニアなどソ連併合時に国境を変更させられた両国との国境問題とも絡み合い、北方領土問題の解決を複雑にしている。
  2009年2月18日サハリンでロシアのメドヴェージェフ大統領と日本の麻生太郎総理大臣が会談し、領土問題を「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、我々の世代で帰属の問題の最終的な解決につながるよう作業を加速すべく追加的な指示を出すことで一致した。
  2020年12月、プーチンは領土割譲呼び掛けなどの行為を処罰する刑法改正案に署名しこの条項は8日付けで発効した。最高刑は10年の懲役。
北方領土に関する日露の枠組み
  戦後になると、北方領土を実効支配したソ連が、周辺海域で操業する日本の漁船を領海侵犯等の理由で取り締まるようになった。
  日本政府は上述のトラブルを避けて、北方四島の海域で日本の漁船が操業できるようにするための協定が日ロ(日ソ)の間で締結されるようになった。
  1963年に発効した「日ソ貝殻島昆布採取協定」(日ロ貝殻島昆布採取協定)は民間協定という形で、歯舞群島の貝殻島付近において、日本の漁業者が昆布漁をできるようにする取り決めで、北海道水産会という民間団体とソ連(ロシア)の関係当局とが毎年話し合って収穫できる昆布の量を決め、採取権料をソ連(ロシア)側に支払って漁を行う内容になっている。
  日ソが200海里漁業水域を設定したことに伴い、それぞれ相手国200海里水域内で行う漁業についての交渉が行われ、1978年に日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定が同年12月に締結され、発効された。

  1985年に発効した日ソ地先沖合漁業協定(日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の両国の地先沖合における漁業の分野の相互の関係に関する協定)は、日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定を一本化し、両国政府が自国の二百海里水域における他方の国の漁船による漁獲を許可することのほか、相手国の漁船のための漁獲割り当て量等の操業条件の決定の方法、許可証の発給、漁船の取り締まり、漁業委員会の設置等について規定されている。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をソ連(ロシア)側に支払っている。
  これらの協定は、1991年12月以降、国家としてソ連を引き継いだロシア連邦との間で引き続き有効である。
  1998年には、北方四島の12海里水域(領海)における日本漁船の安全操業の枠組みを定める「日本国政府とロシア連邦政府との間の海洋生物資源についての操業の分野における協力の若干の事項に関する協定」(北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組み協定)が発効された。北方四島周辺の12海里水域(領海)で日本の漁業者が漁をできるようにする取り決めであり、毎年協議が行われ、操業条件が話し合われる。この協定には違法操業に対する取締りの規定はない。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をロシア側に支払っている。
  2015年6月にロシアで排他的経済水域内でのサケ・マスの流し網漁を全面的に禁止する法案を可決し、2016年から施行されたが、北方領土におけるロシアの排他的経済水域内の漁業において流し網漁に依存する日本漁船に大きな影響が出ると見られている。(「北洋漁業」も参照)

  1964年から、元島民及びその親族による北方領土にある先祖の墓所への参拝が人道的観点から断続的に実施されている。当初は簡単な証明書で渡航出来ていたが、ソ連側から旅券の携行を強く要求されたため1976年に一旦中断。10年後の1986年に口上書が交換され、再び簡単な証明書での墓参が実現した。また、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対するビザなし渡航が1991年の日ソ首脳会談で提案され、1992年4月から実施されている
  1991年12月のソ連崩壊に伴って、ロシアを含む旧ソ連諸国と日本とで1993年に「支援委員会の設置に関する協定」が締結・発効された。支援委員会は旧ソ連諸国の市場経済への移行を促進するメカニズムとして設置され、ロシアが実効支配する北方四島においては市場経済への移行を促進するためとして北方四島の診療所や発電所や緊急避難所兼宿泊施設に支出された。2002年の鈴木宗男事件発覚により、支援委員会の不透明さが問題視されて廃止された。
  また、日本政府は北方四島の地区病院への医療器具や薬品の提供、北方四島の医師・看護師等の研修受け入れ、北方四島の患者の北海道の病院受け入れ[* 8]という形で北方四島へ医療支援をしている。
北方領土の現状
日本の行政区分下の北方領土
  北方領土四島には色丹村泊村留夜別村留別村紗那村蘂取村歯舞村の7村が地方自治体として存在していた。1959年に歯舞村が根室市と合併したため、歯舞村であった地域は現在、根室市に属している。
  1983年4月1日では「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(昭和57年8月)第11条により日本国民の誰でも本籍を置くことが可能となっている。これは上記6村が元来北海道根室支庁に属する自治体であったため、各村自治体が実効的な存在を喪失して以降も上位の地方自治組織が機能しているためである。現在この手続きは根室市役所が行っている。なお、樺太や北千島に関しては、すでに樺太庁や北千島関連役所が消滅していることに加え、帰属が未確定であることを日本政府及び外務省が公認しているため、このような措置は行われていない。1982年3月31日までは、歯舞村を除く6村については本籍を置くことができなかった
周辺海域
  海上保安庁が開示している「日本の領海等概念図」では、北方領土四島全てが領海に含まれている。
  日本小型船舶検査機構が提供する航行区域の水域図では北方領土四島周辺にも、小型漁船であれば船舶検査が不要となる12海里のラインが示されており、東沸湖などの湖には二級小型船舶操縦士を取得すれば航行可能な平水区域の設定も確認できる。
ロシアの行政区分下の北方領土
  現在、ロシアの施政権が行使されている状態にある北方四島は、ロシアの行政区分ではサハリン州に属している。国後、択捉、色丹島の現人口は合計約1万7000人で、これはソ連侵攻時に住んでいた日本人とほぼ同規模という。歯舞群島にはロシア国境警備隊のみが駐屯している。
  ロシアは2014年択捉島にイトゥルップ空港を整備、2017年色丹島に経済特区を設置するなど、実効支配を強めている。
  サハリン州は開発が遅れたために、カニウニなどの魚介類を始め、ラッコシマフクロウなど、北海道本島を始めとした周辺地域では絶滅あるいはその危険性が高い生物の一種の「聖域」状態となっている。ロシア政府は北方領土を含む千島一帯をクリリスキー自然保護区に指定して、禁猟区禁漁区を設定するなど、日本の環境保護行政以上の規制措置が取られている。だが、ソ連崩壊後には密猟などが後を絶たず、一部の海産物は日本国内に密輸で流れているという説もある。

  現在、一部の環境保護団体の間には北方領土を含む千島一帯の世界遺産登録を求める主張があり、また日本の環境保護行政は水産関係団体や開発業者に対して甘すぎるため、領土返還後には貴重な生態系が破壊される恐れがあるとして返還を危惧する人達もいる。一方、日本国内にも領土問題とは一線を画して、北方領土の対岸で先に世界遺産に登録されている知床とともに、日露両国が共同で一つの世界遺産地域を作っていくべきである、という声もある。だが、世界遺産に登録された状態の北方領土が返還された場合、旧島民の持つ土地所有権漁業権をどうするのかについて不透明であるために、何らかの特別法制定が必要となる可能性がある。
  北方四島交流事業を除くと、日本人が北方四島を問題なく訪問するには、ロシアの査証を取得して訪問しなければならない。ロシアの査証取得後、稚内港または新千歳空港、あるいは函館空港からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで北方四島への入境許可証を取得し、空路または海路でアクセスすることになる。
  この方法はロシアの行政権に服する行為であり、ロシアの北方四島領有を認めるとして、日本国政府が1989年(平成元年)以来自粛を要請している。しかし自粛要請に法的強制力は存在しないため、北方四島のロシア企業との取引・技術支援や開発のため、多くの日本人ビジネスマンや技術者がロシアの査証を取得し、北方四島に渡航している。日本国政府としては、この方法での北方四島への渡航者に対して特別な対応や懲罰はしていない
ロシアの北方領土の意義
  ロシア側が北方領土を固有の領土とし、領土問題を否定する理由については、以下の要因があげられる。
  日本政府ならびに外務省は、ロシア連邦国内の一般国民レベルでは、北方領土問題の存在自体があまり知られておらず、これを踏まえてロシア政府ならびに識者が、ロシアの北方四島領有は国民によって支持されていると主張している、と述べている。だが、実際にはロシア国内の学校では、ロシアの北方四島領有は第二次世界大戦の結果承認された正当な物であり、北方四島はロシア固有の領土であると教えている。このため、ロシア国内にて、北方領土問題は日本政府の一方的な主張に過ぎず、正当性の無い物である、という認識が一般化している。

  またオホーツク海には潜水艦発射弾道ミサイル搭載型潜水艦(SSBN)が配備されており、ロシアの核抑止力維持のため戦略的に重要な位置づけにある[73]。地政学的または軍事的見解に因れば、宗谷海峡(ラペルーズ海峡)、根室海峡(クナシルスキー海峡)をふくめ、ロシアは旧ソ連時代にオホーツク海への出入り口をすべて監視下に置いており、事実上そこからアメリカ軍を締め出すことに成功しているが、国後・択捉両島を返還してしまえば、国後・択捉間の国後水道(エカチェリーナ海峡)の統括権を失い、オホーツク海にアメリカ海軍を自由に出入りさせられるようになってしまう。国後水道は、ロシア海軍が冬季に安全に太平洋に出る上での極めて重要なルートでもあり、これが米国(の同盟国である日本)の影響下に入ることは安全保障上の大きな損失となる。ロシア連邦運輸省のエゴーロフは連邦最高総局のレポートのなかで、南クリル諸島の海域が凍結しない海峡として太平洋への自由航行のために重要であると報告している。
 北方領土には、石油に換算しておよそ3億6千万トンと推定される石油や天然ガス、世界の年間産出量の半分近い量の生産が見込まれるレニウムなど手付かずの豊富な地下資源が眠っており、水産資源においても世界3大漁場の内の1つに上げられるほど豊富である。ロシアの天然資源・環境省によると、これら北方領土周辺の資源価値は2兆5000億ドルに上ると推計されており、これらの資源を巡る問題もまた北方領土の日本への返還を困難なものとしている。

  サンフランシスコ講和条約に対しても、ロシア側の主張は日本側のものとはかなり食い違っている。当時のソ連側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中華民国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れ、1945年9月2日に降伏文書にも調印した。日本が降伏文書に調印する9月2日までは日本とソ連の間でまだ戦争は続いていたというのがロシアの立場であり、降伏文書調印以前の占領は合法であるという立場である。日露の間は平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。さらに、サンフランシスコ条約で日本はクリル列島を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島が含まれているのはもちろんのこと、色丹島・歯舞群島のいわゆる小クリル列島もまた含まれるとしている。そして、敗戦国である日本が領有権を主張している北方四島は第二次世界大戦の結果、戦勝国であるソ連が獲得した正当な領土であるため、日露間に領土問題は存在しないとしている。

  ロシアはかねてから、日露平和条約締結により、北方二島「譲渡」に応じる、としている。が、日露平和条約締結には、日米安全保障条約の破棄ならびに米軍を始めとする全外国軍隊の日本からの撤退が第一条件となっており、二島「譲渡」は平和条約締結後、順を追って行うとしている。これは暗黙の了解ではなく、ソ連時代に度々公言されていたことである。そして日米安保問題に抵触していることから、アメリカが日露間に領土問題は存在する、として返還を要求するようになっている。これについては近年、ロシア国内にて「日本に南クリルが譲渡されれば、米軍基地が設置される」と懸念する意見が上がっている。このため、ロシアは米軍に対して、返還後の北方四島への米軍基地設置をしない事を要求しており、米軍も基地設置をしない事を明らかにしている。

  以前の日本側には「ロシアは経済的に困窮している。よってそのうちロシア側が経済的困窮に耐えられず日本側に譲歩し、北方領土を引き渡すであろう」という目論見があり、鈴木宗男失脚以後の日本の外務省の基本戦略は、北方諸島への援助を打ち切って困窮させるという、返還の世論を引き出そうとする「北風政策」であるが、問題は経済的に困窮しているかどうかといったレベルの事項ではない。事実、プーチン大統領就任以降驚異的な経済的発展を遂げたロシアは、2015年を目標年次とする「クリル開発計画」を策定し、国後、択捉、色丹島に大規模なインフラ整備を行う方針を打ち出した。結果、二島にあたる色丹島・歯舞群島はかつては無人島になっていたが、近年になって移住者及び定住者の存在が確認されており、ロシア側の主張する二島「譲渡」論も困難な状況となっていった。

  近年では、ロシア政府は、「北方領土」という領土問題自体が存在しない、といういわゆる領土問題非存在論にシフトしつつあり、2010年11月には二島「譲渡」論ならびにその根拠となっている日ソ共同宣言を疑問視する見解が外相から出されている。2018年には、ロシア国内世論に於いて「南クリル(北方領土)はロシアの領土である」という意見が多数を占めるようになっている。このため、「南クリルの帰属を巡り日本に交渉の必要性が無い事を理解させるべきだ」「既に解決済みなので四島一括返還はおろか二島譲渡にも応じてはならない」と、島の引き渡しを完全に否定する意見がロシア国内にて支配的になっており、択捉・国後両島のロシア人住民による抗議活動が頻繁に起こっている。ロシア社会において日本に対する認知度は高まってきているものの、いずれも文化的なものや経済的なものに限られており、その認識にしてもそれほど深いものではない。また、「文化交流と領土問題解決は別問題」として、日本が領土問題ならびにロシア政府に対して大きな誤解をしている、という認識が広まっている。サハリン州では、当然日本に対する関心が深いが、現状の国境を承認することを前提として交流を深めようとするものである。
日本の北方領土の意義
  北方四島は外国の領土になったことがない日本固有の領土であり、ソ連の対日参戦により占領され不法占拠が続けられている状態であり、この問題が存在するため戦後60年以上を経たにもかかわらず日露間で平和条約が締結されていない」、とするのが日本政府の見解である。内閣府では「固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題」としている。根室・釧路の漁民はソビエト・ロシアの一方的主張にもとづく海域警備行動により銃撃を受け死傷者を出している
択捉島のロシア空港建設
  2014年、択捉島の中央部に民間空港としてヤースヌイ空港が開港した。滑走路の全長は約2,300メートルで、サハリン・ユジノサハリンスクとの間で定期便が運航されている。一方空軍は旧日本軍が建設した空港を使用している。
  2018年1月30日、メドベージェフ首相は、ロシア空軍がヤースヌイ空港を基地としても使用する軍民共用化を許可する政令に署名した。
国後島、択捉島におけるロシアによるミサイル及び師団の配備
  2016年11月22日ロシア海軍太平洋艦隊機関紙『ヴォエバヤ・ヴァーフタ』は、択捉島に3K96 リドゥートに代わる対艦ミサイルP-800地上発射型「バスチオン」を配備したこと、および従来対艦ミサイル配備のなかった国後島にKh-35地対艦ミサイル型3K60バルの移送がなされたことを明らかにした。
  2017年2月22日には、セルゲイ・ショイグ国防相により、クリル諸島に同年内に5000人規模の師団が新たに配備される計画になっていることが明らかにされ、日本政府側から懸念が出された。
択捉島、国後島、色丹島における中国企業による高速ネット網の整備
  2019年2月26日、ロシアの国営通信会社ロステレコムはサハリンと択捉島、国後島、色丹島を結ぶ高速インターネット網が開通したと発表した。海底の光ファイバーケーブルは中国ファーウェイが敷設しており、2018年6月に着工した際は日本政府はこれに抗議して菅義偉官房長官は「ロシアと中国に外交ルートを通じて抗議した。中国に抗議したのは、工事に中国企業が参加してるからだ」と述べた。
解決策
  当事国が領土の帰属問題について合意することが困難な際、国連機関である国際司法裁判所を利用することができる。しかし国際司法裁判所の制度によれば、付託するためには紛争当事国両国の同意が必要であり、仮に日本が提訴した場合、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意しない限り審議は開始されない。過去の北方領土問題関連の国際司法裁判所をめぐる外相間交渉については上記「北方領土関係史」の1972年の箇所を参照のこと。個別交渉の場合、ソビエト・ロシアはサンフランシスコ講和条約に参加していないため、北方領土問題解決には、ロシアの同意が不可欠となっている。これに対して下記各項目のような提案や交渉が行われてきた。
四島返還論
  日本の政府が公式に主張する解決策である。「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後択捉)両島は含まれないというのが政府の見解」である。日露和親条約から樺太・千島交換条約を経過して、ソビエトによる軍事占領に至るまでは北方四島は一度も外国の領土となったことはなく、日露間の平和的な外交交渉により締約された国境線である。
  カイロ宣言の趣旨においてこの四島を「占領」状態ではなく「併合」宣言したことは信義に対する著しい不誠実であり、ポツダム宣言に明示されている放棄すべき領域がカイロ宣言を指定している以上、「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始」以前からの領土である千島列島、あるいは少なくともソビエトの署名がないサンフランシスコ講和条約に立脚したとしても「一度も外国の領土になったことのない」日本固有の領土である北方四島をソビエトが併合宣言したことは承認できない、とする。
  連合国は、第二次大戦の処理方針として大西洋憲章やカイロ宣言で領土不拡大の原則を宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、日本固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。
  日本は「北方四島に対する我が国の主権が確認されることを条件として、実際の返還の時期、態様については、柔軟に対応する」「北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分に尊重していく」とする四島返還論を主張している。
二島譲渡論
  日ソ共同宣言に基づき、宣言通りに平和条約を締結後に歯舞群島色丹島を「引き渡す」ことによって、領土問題を終結するとするのが「唯一の法的根拠がある」解決策だとする。ロシア側は、「この解決策は「返還」にはあたらず、「善意に基づく譲渡」に該当する」との立場を取っている。
  ロシア側の根拠は、「日本は既にサンフランシスコ講和条約によって、北方四島を含む千島列島の領有権を放棄しているため、旧ソビエトの領有宣言により、北方領土の領土権はすでにロシアにある」というものである。サンフランシスコ講和条約の第2条(c) で日本は千島列島を放棄している。ロシア側はこの千島列島の定義には北方四島が含まれるとする。その根拠として日本が署名した樺太・千島交換条約のフランス語の原文が示される。この認識の上で、"両国の平和条約締結および、ロシアの千島列島に対する領土権を国際法上で明確に確立するという国益のためならば、平和条約を締結後に歯舞色丹の二島を日本側に「引き渡し」てもよい"とするのがロシア側の立場である。また"この立場は日ソ共同宣言で日ロの両国が確認しているので、これから遊離することはあり得ないだけでなく、四島「返還」を求める日本は不誠実である"とロシア側は主張している。

  実際に当時の全権委員の松本俊一の回想録『モスクワにかける虹』や、原貴美恵による研究においても、日ソ共同宣言がこの解決策を意識したものであったと述べられている。しかし領土に関する国会の情勢は、GHQによる占領下の国会論議においてすでに、沖縄や小笠原などを含め、のちの民社党議員を中心とした日本社会党日本共産党などの野党議員がこの問題を軸に、現実的外交を標榜し右顧左眄する吉田内閣から以降の政権党(自由党)を糾弾する構図であり、左派・右派議員あるいは朝野(与野党)を問わない活動家による四島返還を主張する機運が高まり、四島返還要求が日本の国策になった。
  またアメリカ側は、国務長官ダレスがロンドンにおける重光外相との会談のなかで国後択捉に関して忠告を与え、仮に残り二島の返還を放棄するなら米国としても沖縄を米国領として併合することになるとの主旨のメッセージを日本側に伝え二島譲渡を念頭にした鳩山外交は内外からの圧力により挫折することになり、日ソ共同宣言と引き換えに承認された国際連合への加盟を花道に鳩山内閣は総辞職となった。

  なお、旧ソビエトはサンフランシスコ講和条約に署名しておらず、同条約からの利益をえることは25条により拒否されている。結果として、日本はロシアとは未だに平和条約を締結していない。さらに、サンフランシスコ講和条約ならびに日ソ共同宣言では日本が放棄した千島列島および南樺太がどの国に帰属するのかは明記されておらず、不明のままである。これに対してロシアはサハリン州を設置し、千島列島および南樺太の領有を主張しているが、国際法上は法的根拠が無いとされている。
  ロシア側は、"日本の領有権そのものがすでに消滅しており、両国の平和条約の締結における条件は日ソ共同宣言で確認済みであり、この合意を破棄した日本に問題の根源がある"と見なしており、現在では後述の日本の領土返還主張全面放棄がよりよい解決策であるとの見解を示すようになっている。これに対して、日本側は"北方領土の全ての「領有権」を主張する立場"を取っており、両国の交渉は平行線をたどる状況にある。
四島内を対象にした議論・言及
  ロシア側は日本がすでに北方領土の領有権を放棄していると見なしており、平和条約締結後にその見返りとしてロシア領である二島を「引き渡す」という案以外を認めていない。よってこれらの妥協案は、基本的に日本が国際法上未だに領有権を保持しているという前提に立った上で日本国内で議論されている論である。以下はその主なものである。
  ・二島先行(段階的)返還日ソ共同宣言に基づき、歯舞群島色丹島を「譲渡」することによって平和条約を締結するが、さらに日本側はその後に残りの二島の返還の交渉を続けるとするもの。ロシア側は、日本の領土権はサンフランシスコ条約によって破棄されているとみなしており、二島は返還でなく平和条約の締結の見返りとしての「譲渡」とみなしている点が問題である。
  ・三島返還論国後島を日本領、択捉島をロシア領とすることで双方が妥協
  ・共同統治論:択捉・国後の両島を日露で共同統治
  ・面積2等分論:歯舞、色丹、国後の3島に加え、択捉の25%を日本に返還させ、択捉の75%をロシア側に譲渡
  平和条約を締結した後に歯舞・色丹の両島を日本に「譲渡」することはロシアと日本の両国が認めている。ただし、ロシア側は既に領土問題は国際法上では解決済みとの立場をとる。日本側は平和条約締結後も残りの領土返還を要求すると主張しているので、これに対して、ロシア側にどれだけの譲歩を引き出すか、あるいは引き出すこと自体が可能なのかが、ほかの案での問題となる。つまり、残りの択捉・国後の両島への対応が争点となる一方で、両国の国際法上の認識そのものが争点となっている。
二島返還論
  日本側においては主に「二島先行返還論」または「2+2方式」と称される案を指す。これは、日ソ共同宣言で日本への引き渡しが確認されている歯舞・色丹の二島を、ひとまず日本側に返還させ、残った択捉・国後の両島については、両国の継続協議とする案である。
  「二島先行返還論」の支持者としては政治家の鈴木宗男や外交官の東郷和彦がいる。
一方ロシア側における二島「譲渡」論とはこれとは異なり、主に歯舞・色丹の「譲渡」のみでこの問題を幕引きさせようとする案のことであり、現在のロシア政府の公式見解である。(詳細は「二島返還論」を参照 )
三島返還論
  別名を「フィフティ・フィフティ」と言い、中国とロシアが係争地の解決に用いた方式である。この方式では、領土紛争における過去の経緯は全く無視し、問題となっている領域を当事国で半分ずつ分割する。これを北方領土に形式的に当てはめると、国後島が日本領、択捉島上に国境線が引かれる、三島返還論に近い状態になる。岩下明裕政治学者)はこの案を称揚しているが、もともとこの方式は、戦争により獲得した領土ではなく、単に国境をはさんだ2国のフロンティアがぶつかって明確な国境線が決め難かったケースに用いられたもので、北方領土問題には適用し難く、四島返還論に比べ実現する可能性が高いかどうかは不明瞭である。
  三島返還論に言及した政治家には、鳩山由紀夫河野太郎森喜朗らがいる。鳩山の「三島返還論」は、2007年2月にロシアのミハイル・フラトコフ首相(当時)が訪日した際、音羽御殿での雑談の中で飛び出したものである。しかし鳩山は、2009年2月の日露首脳会談で、麻生太郎首相が「面積二等分論」に言及したことに、「国是である4島返還論からの逸脱」と激しく批判しており、主張を変えている。
共同統治論
  「コンドミニウム」とも呼ばれ、近現代史上にいくつかの例がある。成功例として代表的なものにはアンドラがあり、失敗例には樺太ニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)がある。具体案としては、例えば、かつてのアンドラのように、日露両国に択捉・国後の両島への潜在主権を認めながらも、住民に広い自治権を与えることで自治地域とすることが考えられる。もし日露両政府が島の施政権を直に行使すれば、日露の公権力の混在から、樺太雑居地(1867-1875)のような混乱を招く可能性が指摘されている。このため、住民に自治権を認め、両政府が施政権を任せることで、そうした混乱を防ぐことが必要になる。また、両島を国際連合信託統治地域とし、日露両国が施政権者となる方法も可能である。この場合は施政権の分担が問題となる。
  共同統治論の日本側にとってのメリットとしては、難解な択捉・国後の領有問題を棚上げすることで、日本の漁民が両島の周辺で漁業を営めるようになることや、ロシア政府にも行政コストの負担を求められることなどが挙げられる。ロシア側にとってのメリットは、日本から官民を問わず投資や援助が期待でき、また、この地域における貿易の拡大も望めることである。共同統治論には、エリツィン鳩山由紀夫プリマコフロシュコフ駐日ロシア大使(当時)、富田武(政治学者)らが言及している。法律的見地からも、日本国憲法前文2項、ロシア連邦憲法9条2項に合致する。
面積2等分論
  「歯舞群島色丹島国後島のすべてを足しても、鳥取県と同等の面積を持つ択捉島の半分に満たないこと」から浮上した案。国後など3島に択捉の西部の旧留別村を加えれば半分の面積になる。仮に実現すれば、日本とロシアの国境線が択捉島上に引かれることとなるため、日本においては1945年以来となる「陸上の国境」が復活することになる。
  麻生太郎外務大臣2006年12月13日衆議院外務委員会での前原誠司民主党前代表の質問で明らかにしている。麻生はその前年の2005年に解決を見た中露国境紛争を念頭に解決策として述べているが、中露間の国境問題はウスリー川をはさんだ中州の帰属をめぐる論争であること、同問題は中国側の人口増加に危機感を持ったロシア側が大きく譲歩した側面を持つこと、北方領土問題が旧ソ連側の日ソ中立条約の一方的蹂躙である経緯を度外視した発言であり、前原とのやり取りでは中露国境問題で最終争点となっていた大ウスリー島と、既に解決が成されているダマンスキー島を取り違え答弁している。

  麻生は安倍内閣発足直後の報道各社のインタビューに「2島でも、4島でもない道を日露トップが決断すべき」と発言しており、この発言は世論の反応を見定めるアドバルーン発言の可能性が強い。現実にその直後、外務省との関係が深い福田康夫官房長官が麻生案を激しく批判しており、この案が外務省主導ではなく、官邸も一部容認であることを窺わせる。福田は2006年7月自民党総裁選から撤退して以降、公の場ではほとんど発言していない。2007年8月外務大臣に再登板した町村信孝は麻生案を「論外だ!」と激しく批判。同領土問題の原則を、従来通り「4島返還」での問題の解決に当たることを強調した。麻生は2009年2月樺太で行われた日露首脳会談でもこの案を遠まわしに示している。更に同年4月17日、谷内正太郎・元外務事務次官が麻生を後押しするかのように毎日新聞の取材で同案に言及。だが、世論の反発が強まると谷内は一転して発言を否定。翌・5月21日の参議院・予算委員会の参考人質疑においても自身の発言について否定している。一方、二島先行返還が持論の佐藤優は、谷内の面積二等分案には返還後の同領土について日米安保の不適用条項が盛り込まれている点に着目、同案に一定の理解を示している。
千島列島全島返還論
  「北千島を含めた千島列島全体が日本固有の領土であり、日本に返還されるべき]と主張する勢力も存在する。日本共産党は、「千島・樺太交換条約は平和裏に締約されており、この樺太・千島交換条約を根拠に、得撫島以北を含めた全千島の返還を要求できる」という、千島列島全島返還の立場をとっている
  スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。(2005年2月7日 日本共産党委員長 志位和夫)

  日露領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。スターリンは、ヤルタ会談(1945年2月)でソ連の対日参戦の条件として千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、この秘密の取り決めを根拠に、日本の歴史的領土である千島列島(国後、択捉(えとろふ)から、占守(しゅむしゅ)までの全千島列島)を併合した。これは「カイロ宣言」(1943年11月)などに明記され、自らも認めた「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙するものだった。しかもソ連は、千島列島には含まれない北海道の一部である歯舞群島と色丹島まで占領した。第2次世界大戦終結時に強行された、「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正を正すことこそ、日ロ領土問題解決の根本にすえられなければならない。(2010年11月9日 日本共産党委員長 志位和夫)
  なお、日本共産党の北方領土を含む千島列島問題に関する姿勢は一貫しておらず、全千島列島をソ連領としたり、歯舞・色丹の二島の返還を主張していた時期もあった。
  民間では、千島及び歯舞諸島返還懇請同盟(現在の北方領土返還要求運動都道府県民会議)が千島全島および歯舞群島の返還を求めていたが、後に国後、択捉、色丹及び歯舞群島のみの返還に主張が変化した。
日本の全面放棄論
  四島に対する日本の領土返還主張を日本政府が全面放棄し、ロシアの支配及び領有を、現実としてだけでなく、法的にも正当なものとして承認し、その上で四島に対して日本が経済開発などで進出していく解決法である。これは領土問題は存在しないとするロシアの立場とも一致する上、交渉が進展しないがために日本側からも全面放棄論が出てきている。
  半面、この解決法は1956年の日ソ共同宣言の「平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」「日ソ間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続する」とする条文を完全に否定している。これについては、かつて日本は「日ソ共同宣言の存在自体を否定している」として、反対の立場をとっていたが、最近はそのような態度は見せなくなりつつある。ロシアは「日ソ共同宣言はあくまでもソ連によって出されたものであり、ソ連が存在しない現在では全くの無効である」として、日本の領土返還主張の全面放棄こそが最善策であるとの見解を示している。
ロシア側からの返還論
  ロシア側にもごく少数ながら、北方領土を返還するべきだと主張する者がいる。
  グローバリゼーション問題研究所ミハイル・デリャーギンは、ロシア側が北方領土を返還した場合について言及したことがある。
  ノーベル文学賞作家であるアレクサンドル・ソルジェニーツィンは著書『廃墟のなかのロシア』の中で、「ロシア人のものである何十という広大な州を(ソビエト連邦の崩壊時に)ウクライナカザフスタンに惜しげもなく譲渡」する一方で「エセ愛国主義」から日本に領土を返還する事を拒んでいるロシア連邦政府を批判し、これらの島がロシアに帰属していた事は一度も無かった事を指摘、さらに日露戦争シベリア出兵という日本側からの「侮辱」への報復といった予想されるロシア人からの反論に対しては、ソ連が5年期限の日ソ中立条約を一方的に破棄した事が「いっさい(日本に対する)侮辱には当たらないとでもいうのだろうか」と述べ、「国土の狭い日本が領土の返還要求を行っているのは日本にとり国家の威信をかけた大問題だからである」として日本側の主張を擁護。「21世紀においてロシアが西にも南にも友人を見つけられないとすれば、日露の善隣関係・友好関係は充分に実現可能である」とし、日本への北方領土返還を主張した。

  2010年11月15日、ロシアのベドモスチ紙は、台頭する中国に日本と協力して対抗するための第一歩として、歯舞群島色丹島の引き渡しあるいは共同統治が必要であるとした。なお、ソビエト連邦の崩壊後の日露両国は、日ソ共同宣言に明記されている「平和条約締結後の歯舞群島・色丹島の日本への引き渡し」を再確認しており、国後・択捉両島の取り扱いが領土問題における焦点となっている。
  映画監督アレクサンドル・ソクーロフは、2011年12月にサンクトペテルブルクの日本総領事館で旭日小綬章を受けた際、「北方領土は日本に返還すべきだ」「ロシアは日本から学ぶべきことがたくさんある」「日本人に、かつて彼らのものだったすばらしい土地を返す必要がある」と述べた。
当事者以外による提言
  2005年ヨーロッパ議会は、「北方領土は日本に返還されるべき」との提言を出した。2005年7月7日付けの「EUと中国、台湾関係と極東における安全保障」と題された決議文の中で、ヨーロッパ議会は「極東の関係諸国が未解決の領土問題を解決する2国間協定の締結を目指すことを求める」とし、さらに日本・韓国間の竹島問題や日本・中国並びに台湾(中華民国)間の尖閣諸島問題と併記して「第二次世界大戦終結時にソ連により占領され、現在ロシアに占領されている、北方領土の日本への返還」を求めている。ロシア外務省はこの決議に対し、日ロ二国間の問題解決に第三者の仲介は不要とコメントしている。


北方4島問題とは-wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要
北方領土問題は、北海道根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島国後島色丹島歯舞群島の島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題である。
日本国政府は、ロシア連邦が自国領土だとして占領・実効支配している北方領土について、不法占拠された日本固有の領土だとして、返還を求めている。1945年昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定し翌15日に玉音放送によって国民に降伏を告知、自発的戦闘行動を停止した後の1945年8月28日から9月5日にかけて、赤軍ソ連軍)が北方領土に上陸し占領した[* 1]。北方領土は現在に至るまでソビエト社会主義共和国連邦および、それを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。
  日本国政府は北方領土は日本固有の領土だとして領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでおらず、日本はその返還を求めている。千島列島の呼称について、日本国政府は「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後択捉)両島は含まれない」、色丹島および歯舞諸島は北海道の一部を構成する(属島)[3]とする。ソビエト連邦あるいは現ロシア連邦はサンフランシスコ平和条約に調印していない。ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、色丹・歯舞を合わせて小クリル列島、占守島から国後島までを大クリル列島、小クリル列島と大クリル列島を合わせてクリル列島と呼んでいる。
北方領土関係史
1644年江戸幕府が作成した『正保御国絵図』には、松前藩が支配している蝦夷地として北海道本島、樺太、千島列島が記されている。国後島や択捉島も記載されている。この地図は、松前藩が江戸幕府に提出したものを基礎としており、提出された原本は残っていないが、松前藩は1635年に樺太調査を行っており、地図はそれに基づいて作られたものと言われている。択捉島についていえば、アイヌが先住していて、1661年に伊勢国の七郎兵衛らの船が漂流している[4]1760年代にロシア人のイワン・チョールヌイが、択捉島でアイヌからサヤーク(毛皮税)を取り立てたという記録が残されている。また、最上徳内が徳川幕府の派遣した探検家として最初に択捉島を訪れた1780年代には、択捉島には3名のロシア人が居住し、アイヌの中に正教を信仰する者がいたことが知られており、同時期、既にロシア人の足跡があったことも知られている(ただし正教はロシア人・ロシア国民以外にも信仰されているものであり〈例:ギリシャ正教会ブルガリア正教会日本正教会正教徒であることイコールロシア人ではない)。


2019年4月24日(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/413053)
北海道で小島消失か、領海縮小も 1管、5月20~24日に調査
第1管区海上保安本部(小樽)は24日、北海道北部・猿払村の沖約500メートルにあるとされる「エサンベ鼻北小島」が波や流氷による浸食で消失した可能性があるとして、来月20~24日に実地調査すると明らかにした。7月にも結果を公表する。
  1管によると、周辺の水深が浅く巡視船艇が使えないため、民間の作業船を使い水中音波探知機(ソナー)などで測量する。消失が確認されれば領海が狭まる恐れもある。
 国連海洋法条約では、島は高潮時でも水面上にあるものと規定されている。地元住民から昨年10月、「島が海面から見えなくなっている」との情報が寄せられた。(共同通信)


2019.2.7. 21:54 政治 政策
「北方領土」で露大使に再反論  本紙・斉藤論説顧問
「降伏後の占領は国家犯罪」


斉藤勉産経新聞論説委員の講演要旨
プーチン政権クリミア半島を奪い、グルジア(現ジョージア)侵攻するなど国際法違反している。民主国家だと言うが体質はソ連時代と変わっていない。北方領土に関しては紛争ではなく、独裁者スターリンの指令による国家犯罪だ。日本ポツダム宣言受諾後、四島に入り込み。火事場泥棒的強奪した。
ガルージン大使の反論
  1月25日付産経新聞に掲載された斉藤勉論説委員(実際は論説顧問=本社注)によるロシアに関する不快な記事に対して、断固として反論する。あなたは1945年に対日参戦したソ連を非難するのか。完全に合法的に行われた南クリール獲得を「犯罪」と呼ぶのか。あなたには歴史の教科書を開き、注意深く最後まで読むことをおすすめたい。
  そうすれば、第二次世界大戦時に日本がナチスドイツの同盟国であったことを思い出していただけるだろう。そう、日本は最も罪深い犯罪者である。 ヒトラー政権と同盟していたのだ。
  このヒトラー政権によって、ユダヤ人フランス人、その他多くのヨーロッパの国民が命を奪われ、「死の工場」と呼ばれた強制収用所が作られ、ロシアを含むヨーロッパの何千という街が破壊されたのである。人を犯すこうした犯罪により、ナチス幹部ニユルンベルク裁判の判決により罰せられた。
  斉藤さん、あなたはこのことを忘れてしまったのだろうか。戦争当時、日本の指導部が誰を支持していたのか、知らないとでも言うのだろうか。しかし我々はすべて覚えているし、知ってもいる。そしてあなたのような人にとっても、当時の日本の行いについて悔い改めるにはまだ遅くないと考えているのである。(2月1日付けのフエイスブックから全文=原文通り)
斉藤顧問の再反論
  1月24日の「九州正論懇話会」での私の発言について、ロシアのガルージン駐日大使から同大使館のフエイスブックとツイッターで、名指しの「反論」を頂戴した。ロシア外務省の「ジャッパン・スクールの俊英」と誉れ高い大使殿下の反論だが、失礼ながらまともな反論とは言い難い。
  「北方領土」(ロシアでは南クリークと称呼) 「獲得」について、冒頭から「完全に合法的に行われた」と聞き覚えのない表現。何かその目新しい証拠でも出てきたのか、と思ったが、それはなし。「獲得」を国家「犯罪」と主張してきたので、いまさら大使の「反論」とは不徳の致すところだ。
  スターリンの直接指令でソ連軍は1945年8月、日ソ中立条約を一方的に破って対日参戦し、日本が降伏後に丸腰の四島に侵攻して占領した。これが「犯罪」でなくて何なのか。国家犯罪はおろか「領土不拡大」を明記した「大西洋憲章」に違反する「国家犯罪」でもある。
  大使は日本がユダヤ人ホロコースト(大虐殺)を行ったナチスドイツと同盟国だったことを私への反論の唯一の材料として持ち出しておられる。この関連付けがまったく理解しかねる。
  ヒトラーは「最も罪深い犯罪者」だが、スターリンは違うと言いたいのか。「同盟国」ゆえに日本もナチスと同じ犯罪者だというんか。逆にお聞きしたい。日本はいつ、どこで、いかなる「ホロコースト」をしたというのか。
  大使ご指摘の「死の工場」といえば、シベリア抑留の残虐非道はどう説明されるのか。戦後、日本の支配地域から「ダモイ(帰国する)」とだまされて60万人もの日本人が酷寒の地へ拉致され、奴隷労働同然に酷使されて6万人(数字はいずれも未確定)もが無念の死を遂げた。実は私の亡き父親も辛酸を嘗(な)めた抑留者である。
  第二次大戦中、ロシア西部でポーランド将校ら2万人余が虐殺される「カチンの森事件」が起きた。スターリンは一貫して「ナチスドイツの仕業」と世界に大ウソをつき続けたが、ポーランド政府の粘り強い真相解明の国際的訴えかけでゴルバチョフ時代、ついに「スターリンの犯罪」と認めさせた。
  ガルージン閣下にもぜひ、幅広く世界の歴史教科書をお読みいただくことをお勧めしたい。
(以上全て原文のまま・・・再記録しています。なお、参考サイトへの誘導は全て=wikipedia=への案内です。ぜひ一読くださいませ。筆者より)







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