エンタメー1


2023.09.27-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230927-YGEWIJ3BBJLBNGHIIOGADA5PWU/
元横綱貴乃花が再婚 1歳上の一般女性と

  2018年10月に日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(51)が8月下旬に再婚したことが27日、分かった。自身が設立した「一般社団法人貴乃花道場」の関係者が明らかにした。10代の頃に交際していた1歳上の一般女性が相手だという。

  花田氏は1995年に元フジテレビアナウンサーの河野景子さんと結婚。1男2女に恵まれたが、相撲協会退職後に離婚していた。
  現役時代の花田氏は兄の3代目若乃花と史上初の兄弟横綱となり、空前の大相撲ブームを巻き起こした。史上6位の優勝22度と真摯(しんし)な土俵態度で「平成の大横綱」と呼ばれ、引退後は貴乃花部屋の師匠を務めた。退職後はテレビ番組などに出演している。


2023.08.17-毎日新聞(KYODO)-https://mainichi.jp/articles/20230817/k00/00m/040/278000c
婚活イベント、落選男性だけに「当選」と誤通知 中止に

  神奈川県は17日、同県横須賀市で19日に予定されていた県主催の婚活イベントについて、落選した男性だけに誤って「当選」と通知したため、中止すると発表した。委託業者が参加希望者に当落を逆にして通知した。ミスが判明して、本来は当選した女性らに連絡を取ったが、十分な数の参加者を集められなかった。

   県によると、イベントは「太陽の下で縁を結ぶ!ソレイユの丘でラブミーティング@YOKOSUKA」。男性35人、女性10人が参加を希望した。女性は全員、男性は12人が当選し、残る23人が落選した。しかし業者が23人に当選と誤通知。残る全員に落選と知らせた(共同)


2023.08.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230805-K7W2VREXHJPLPJ3TWADDCS7NMY/
花火会場の河川敷で火災 けが人なし、東京・板橋

  5日午後8時10分ごろ東京都板橋区舟渡の河川敷で「枯れ草が燃えている」と119番通報があった。警視庁志村署によると、付近で行われていた「いたばし花火大会」の火が燃え移ったとみられる。観客がいる場所から離れており、けが人はいない。

  同署や東京消防庁によると、約2千平方メートルを焼き、火は1時間前後でほぼ消し止められた。
  花火大会のホームページによると、午後7時から午後8時半まで開催予定だった。気象庁によると、出火当時、東京都内には強風注意報が出ていた。


2023.08.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230804-YSY5ER5Q65JXDKBFLV5GREJLOM/
羽生結弦さんがSNSで結婚報告 フィギュア五輪2連覇

  フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌両冬季五輪を連覇し、昨年プロに転向した羽生結弦(はにゅう・ゆづる)さん(28)が4日、自身の公式交流サイト(SNS)で結婚することを発表した。相手については言及していない。

  羽生さんは文書の画像を投稿し「この度、私、羽生結弦は入籍する運びとなりました」と報告。さらに「これからも、最高のスケートができるよう、一つ一つ、一瞬一瞬を積み重ね続けます。今後の人生も、応援してくださっている皆様と、スケートと共に、全力で、前へと、生きていきます」などと綴った。
  仙台市出身の羽生さんは11年3月の東日本大震災を乗り越え、ソチ五輪で同種目の日本勢で初の金メダルを獲得。2大会連続出場となった平昌五輪では右足首のけがを抱えながら、男子で66年ぶりとなる2連覇を成し遂げ、最年少の23歳で国民栄誉賞を受賞した。
  昨年7月には、競技の第一線から退くことを発表。現在はプロスケーターとしてアイスショーに軸足を移して活躍している。


2023.07.29-SponichiAnnexe-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/27/kiji/20230727s00041000584000c.html
福原愛さんが再び声明文で反論「子どもに対する家庭内暴力の一種です」元夫・江宏傑氏の国際記者会見を非難

  卓球女子で12年ロンドン、16年リオデジャネイロと五輪2大会連続でメダルを獲得した福原愛さんが27日、自身のSNSを更新元夫でリオ五輪台湾男子代表の江宏傑氏が、同日に都内で「福原さんに対し子供連れ去りで訴える」とする緊急会見を開いたことについて、弁護士による声明文を再び発表した。
2023年7月27日 福原愛 代理人弁護士今里恵子

  福原さんの代理人弁護士は「以下の声明を発表するように指示されました」として文書を発表。「母親として、公衆の面前での反論を控え、つらく悲しい思いをしています」「公衆の面前で国際記者会見を開くことは、高度な紛争を引き起こすだけでなく、意図的に両親と子どもの関係を引き裂き、子どもに悲しい思いをさせ、別離を引き起こすものであり、子どもに対する家庭内暴力の一種です」などとつづった。
  福原さんは江氏の会見に合わせて一度声明を発表しており、「福原愛さんと江宏傑さんの裁判は、現在、日本と台湾の新竹市の裁判所において家事事件が審理されています。いずれの国の事件も家事事件であり、誘拐等の刑事事件は全くありません。また、そのような刑事事件に当たる事実も全くありません」などと主張していた。
  福原愛さんが弁護士を通じて発表した声明全文は以下の通り。福原愛の日本の弁護士による声明
  福原愛氏の日弁護士声明について私ども今里恵子 (日本弁護士) は、 福原愛氏から以下の声明を発表するよう指示されまし ました。

  私どもは、多感で傷つきやすい子供たちを、好奇心や争いの軋轢からできるだけ守りたいと考えています。江氏の申し立ては一方的な主張に基づいていますし、日本国内の司法の手続きは未確定であり、さらなる審理を期しています。
  残念ながら、本日の江氏の記者会見は、子供を守る配慮に欠けていました。日本国内の司法手続きについても、あたかも確定しているかのような誤解を与えつつ、一方的な主張を繰り返していました。子供への配慮を求めた台湾の裁判所の命令も無視しています。福原愛さんは、母親として、公衆の面前での反論を控え、つらく悲しい思いをしています
  ただ、このままでは誤解が定着しかねませんので、代理人の立場から、少し指摘させていただきます。日本の審判はあくまで一番の裁判であり、事実関係について最終的な判断はされていません。また、主張立証責任の分配の問題があり、司法的に家庭の問題の真実が全て明らかになるわけではありません。
  福原愛が選任した日本の弁護士は江宏傑が選任した日本の弁護士と連絡が取れており、連絡を拒否したこともなく、日本の弁護士は、江宏傑ともメールでつながっています。子どもの仮の引き渡しは、お子さんの状態、意思、福祉、最善の利益を考慮して慎重に行わなければならないものです。
  江氏の側から福原氏に対しては、お子さんに配慮をした具体的な提案は全くなく、突然このような記者会見が行われたことに大変に驚いています。
  私どもは、同氏が来日していることすら知りませんでした。いつ引き取りたいということも伺ったことがありません。江氏の来日の目的は、記者会見であったということが理解できます。
  母親は、このような形で子どもたちが晒しものになっていくことに大変に胸を痛めております。子どもを最前線に立たせることは、法廷審理中の台湾の裁判官の命令に全く反しており、台湾の「児童及び青少年の権益の福祉及び保護に関する法律」の重大な違反です。台湾の事件と日本の事件は、同じ事実関係を前提にしており、密接に関連しています。
  別の事件だからという理由で何でもメディアに公表できたり、自分に都合のいいことのみを発言し、都合の悪いことについては沈黙するのであれば、台湾の裁判官の子どもの最善の利益を守るための命令の意味がなくなってしまいます。お子さんをお持ちの父親や母親であればご理解いただけることではないでしょうか。
  また、公衆の面前で国際記者会見を開くことは、高度な紛争を引き起こすだけでなく、意図的に両親と子どもの関係を引き裂き、子どもに悲しい思いをさせ、別離を引き起こすものであり、子どもに対する家庭内暴力の一種です。
  両親の離婚の背景には様々な理由があります。私たちは、子どもたちや画面の中の父親の良いイメージを守りたいので、正面からの攻撃はしていません。どうか江宏傑も大人な態度で家庭の問題に向き合っていただきたいと思います。
  現在、そのほかの事実関係についてたくさんお問い合わせを頂いておりますが、これ以上の事実関係については、現在は、回答することができません。いずれ、全てをお話しすべきだという時期がきた場合には、お話をさせていただきたいと思います。
  どうぞよろしくご理解いただきますようお願いいたします

2023年7月27日
福原愛 代理人弁護士今里恵子



2023.07.27-SponichiAnnex-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/27/kiji/20230727s00041000497000c.html
江氏の緊急会見、福原さん反論声明応酬に衝撃の声「離婚超える泥沼」「1日60回以上キスしてた夫婦が…」

  卓球女子で12年ロンドン、16年リオデジャネイロと五輪2大会連続でメダルを獲得した福原愛さんの元夫で、リオ五輪台湾男子代表の江宏傑氏が、27日に都内で「福原さんに対し子供連れ去りで訴える」とする緊急会見を開いた。
  会見前と会見直後には、福原さんが弁護士を通じて声明を発表。江氏サイドの主張に真っ向反論している。一方、「福原さんが子供を台湾に帰らせることを拒否している。昨年、子供を日本に連れ帰った福原さんはその後、連絡を絶った」と主張している江氏は、この日の会見で「本年7月20日、日本の裁判所の審判結果を受け取りました。福原愛さんに対し息子を私に引き渡すよう命ずる内容です。私からは、日本の裁判所が審判を出して下さったことに感謝申し上げるとともに『早く息子に会いたい』ということを申し上げたいです」と語った。

  今回の緊急会見を受けSNS上では、センシティブな内容や真っ向意見が対立する泥沼の様相に「離婚騒動の時を超える泥沼…」「1日60回以上キスをしていた夫婦がこんなになっちゃうなんて」「あんなに仲良さそうだったのに今じゃ親権争いの裁判してるのか」「国際的な問題に発展して、もうよく分からなくなってきた」「こんな泥沼になっていたのか」「事情はよく知らんけどとにかく子どもがかわいそう!」「何が正しいんだ…双方の主張が違い過ぎて意味わからん」など様々な意見が飛び交っている。
  福原さんと江氏は、16年リオデジャネイロ五輪後の9月に結婚。福原さんは台湾に住み、17年10月に長女、19年4月に長男を出産した。現地のバラエティー番組で1日60回以上キスをするなど、“ラブラブ夫婦”としてアピールしてきたが、2021年に入り福原さんが単独で日本に帰国した。同年4月になると江氏が台湾・高雄の裁判所に離婚を請求したと複数の現地メディアが報道。そして同年7月8日、双方合意のうえで離婚が成立したことを発表。福原さんと江氏は連名で「夫婦で協議した結果、双方合意のうえで離婚が成立いたしました。私共の子供達については、共同親権となりますので、少しでも子供達への影響を減らすことができるよう、それぞれ努力いたします」とコメントを発表していた。


2023.07.27-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230727-WOMLHQWJOZIJ5E7MWWNHO2FNVM/
福原愛さんに長男返還求める 元夫「東京家裁が決定」

  卓球女子で4度の五輪に出場した福原愛さんの元夫で、卓球リオデジャネイロ五輪台湾代表の江宏傑さんが27日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見した。福原さんが台湾から日本に連れて行った後、連絡が取れなくなっている長男について、江さん側へ引き渡すよう東京家裁の決定が出たと明らかにし、福原さんに早期の対応を求めた。


2023.07.24-JIJICOM.-https://www.jiji.com/jc/article?k=2023072400817&g=soc
作家の森村誠一さん死去 「人間の証明」、90歳

  小説「人間の証明」やノンフィクション「悪魔の飽食」などで知られる作家の森村誠一(もりむら・せいいち)さんが24日午前4時37分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。90歳だった。埼玉県出身。葬儀は近親者で行う。

  ホテル勤務の傍ら雑誌に発表したサラリーマン生活に関するエッセーが好評を得て、32歳で作家デビューした。1969年、ホテルでの殺人事件を描いた本格ミステリー「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞し、翌年刊行の「新幹線殺人事件」は60万部のヒット。73年には「腐蝕(ふしょく)の構造」で日本推理作家協会賞を受賞した。
  76年刊行の「人間の証明」は、殺害された黒人青年が残した詩集と謎の言葉から始まる社会派ミステリーで、東京やニューヨークを舞台に戦後日本の暗部を浮き彫りにした。東北の寒村で起こった大量虐殺事件を巡る陰謀を描いた77年の「野性の証明」と共に映画化され、ブームを起こした。
  81年に新聞連載を始めた「悪魔の飽食」シリーズは3部に分けて刊行。中国で細菌兵器の実験などを行ったとされる旧日本軍731部隊の実情を明らかにしたと主張し、社会的な反響を呼んだ。
  2004年に日本ミステリー文学大賞、11年に時代小説「悪道」で吉川英治文学賞を受賞。晩年には、老人性うつ病に苦しんだ経験を「老いる意味」などに著し、話題となった。


2023.07.18-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/31dd2a75b41ce2ef6e7a6cbac6add3c76b439b5f
藤井棋聖、的確な指し回しで防衛決める 佐々木七段「非常に勉強になった」

  新潟市西蒲区岩室温泉の「高志の宿 高島屋」で18日指された将棋タイトル戦「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」(産経新聞社主催)の第4局。タイトル戦初挑戦の佐々木大地七段(28)が「負けました」と頭を下げ、藤井聡太棋聖(20)=竜王・名人・王位・叡王・棋王・王将=の4連覇が決まった。持ち時間各4時間で、残りは藤井棋聖10分、佐々木七段1分。

  勝2敗で後がない先手番の佐々木七段はエース戦法の相掛かりに命運をかけた。藤井棋聖もこれを受け、対局が始まった。
  正立会人の屋敷伸之九段(51)は「佐々木七段の指し手に藤井棋聖が強く対応している」と分析。「力戦になりつつあり、お互いに力を発揮できる展開ともいえる」と話す。 佐々木七段は受けも強い。じっくり指して相手を引っ張り込み、カウンターでの一撃で勝負を決める戦い方も得意。棋聖戦五番勝負の第2局でタイトル戦初勝利を挙げた戦い方だ。
  午後に入り、局面が動いた。屋敷九段が「第2局とは違う戦いになった。どちらが、どれだけの技を繰り出せるか」。攻め合いで難解な終盤が続く中、佐々木七段が優位な局面も見られた。
  しかし、最後は藤井棋聖の的確な指し回しが上回り、防衛を果たした。 佐々木七段はシリーズを振り返り「海外対局を含むタイトル初挑戦で、いろいろと経験することが多く、非常に勉強になった」と語った。王位戦七番勝負に挑戦中で「いい将棋を指せるよう、精いっぱい頑張りたい」と前を向いた。


2023.07.18-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230718-WVALQQUDUBPYFIDJFSB5J32FKQ/
A容疑者、きょう再逮捕 父親の自殺も手助け疑い 警視庁

  母親に対する自殺幇助容疑で逮捕された歌舞伎俳優のA容疑者(47)について、警視庁捜査1課は、父親に対する自殺幇助容疑で18日にも再逮捕する方針を固めた。捜査関係者への取材で分かった。A容疑者は6月に逮捕された後「両親の自殺を助けたことに間違いない」と供述。捜査1課は父親が自殺の意思を明確に示したのか慎重に捜査を進めてきたが、A容疑者の説明に矛盾はないと判断した。

  捜査関係者によると、A容疑者は5月17日午後~18日午前、父親で歌舞伎俳優、市川段四郎(本名・喜熨斗弘之)さん(76)の自殺を手助けし、死亡させたとされる。司法解剖の結果、両親の死因は向精神薬中毒の疑いと判明。A容疑者が過去に処方されていた睡眠導入作用がある薬2種類の成分が検出され、致死量に近い量を服用していた。
  事件当時、自身も薬を服用していたA容疑者は、任意聴取に「心中を図った」「両親が睡眠薬を飲んで寝たところでポリ袋をかぶせ、養生テープでとめた」などと説明。解剖などの結果、2人の遺体に袋をかぶったことによる窒息死で通常ならば現れる所見はないことが分かり、捜査1課は袋と両親の死亡との関係はないと判断した。
  現場には両親の遺書が残されていなかった。捜査1課は介護が必要だったとされる段四郎さんが自殺の意思を明確に示し、自ら薬を飲むことは可能だったのかなど当時の状況と、唯一の生存者で事情を知るA容疑者の供述に矛盾点がないか慎重に捜査を進めてきた。
  A容疑者を巡っては、5月18日発行の一部週刊誌が性加害やハラスメント疑惑を報道。逮捕後に「私に関する記事が週刊誌に掲載されることを両親に話したところ、家族3人で次の世界に行こうとなった」と供述していた。


2023.07.12-エンタメRBB-https://www.rbbtoday.com/article/2023/07/12/210631.html
自殺か?タレントryuchell(りゅうちぇる)さん死亡

  タレントryuchell(りゅうちぇる=27)さんが12日、東京・渋谷の事務所で死亡したことが報じられた。同日、「every.」(日本テレビ系)が速報したもの。自殺とみられるという。

  報道によると、午後5時30分ごろ東京都内の事務所で倒れているのが見つかり、まもなく死亡が確認されたという。19時21分現在、事務所前には大勢の報道関係者が集まっている。
  ryuchellさんは高校卒業後に沖縄から上京。ショップ店員から始まった生活は、「ぺこ&りゅうちぇる」としてバラエティ番組でブレイクで一変。
  2016年12月にぺこ結婚。18年7には、第1子となる男児が誕生していた。
  22年8月に「父親であることは心の底から誇りに思えるのに、自分で自分を縛りつけてしまっていたせいで、夫であることには、つらさを感じてしまうようになりました。」と妻pecoに明かし、離婚届を提出。最近は、容貌が一変し、バラエティ番組では、明石家さんまに「お前、誰や!」と言われるほどだったという。


2023.6.27-gooニュース-https://news.goo.ne.jp/article/fnn/nation/fnn-548130.html
【速報】歌舞伎役者のA容疑者に逮捕状 母親の自殺をほう助した疑い 警視庁

  歌舞伎役者のA容疑者について、警視庁は母親の自殺をほう助した疑いで逮捕状をとった。自殺幇助の疑いで逮捕状が出ているのは、歌舞伎俳優のAこと容疑者(47)。

  この事件は5月18日、東京・目黒区の自宅でA容疑者と両親が倒れているのが見つかり、父の市川段四郎こと喜熨斗弘之さん(76)と母の延子さん(75)は死亡した。死因は向精神薬の中毒死とみられている。
  A容疑者は、搬送された病院を退院した後、別の病院に転院し、任意の事情聴取をうけていた。
  捜査関係者によると、警視庁はA容疑者が母親の喜熨斗延子さんの向精神薬を用意し、自殺をほう助した疑いが強まったとして、逮捕状をとり、27日にも逮捕する方針。これまでにA容疑者は「死んで生まれ変わろうと家族で話し合った」という趣旨の説明をしていて、A容疑者自身の遺書も見つかっていた。
  警視庁は、まずは母親の延子さんが自殺した経緯について調べたあと、父親の段四郎さんの死亡した経緯についてもくわしく調べる方針。


2023.06.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230605-7ATJDWOP4NOZRAF24LERUCF2SY/
日本文化・将棋を広めたい 棋聖戦会場のダナン三日月、コロナ禍乗り越え悲願の開催
(中島高幸)

  第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負(産経新聞社主催)の開幕局が行われる、ベトナム中部ダナンのリゾートホテル「ダナン三日月」は、コンセプトに「日本文化の発信基地」を据える。一環で将棋をPRすべく、2019年、日本将棋連盟に対局を要望していたが、世界は新型コロナウイルスの流行に見舞われた。コロナ禍が落ち着き、くしくも日本とベトナムの外交関係樹立50周年となる今年、実現した注目の一戦。日本から畳を運びこみ、料理長を呼び寄せるなど、もてなす側の準備も万全だ。

  「ようやく実現できたという思いです」。ダナン三日月の益子(ましこ)美智緒・会長室室長が感慨を込めた。
  ホテル三日月グループは、千葉県木更津市や栃木県日光市などでホテルやゴルフ場を運営している。ダナンでのホテル建設は、2017年に計画された。益子室長は「グループにとっての初の海外進出で、日本文化を打ち出すべきだという考えがあった。その中で将棋を広めようという思いがあった」と説明する。

  ダナン三日月がオープンする際に「将棋の対局ができれば」と2019年に日本将棋連盟に要望。実現に向け動き出した直後、コロナ禍に直面した。棋士らが渡航しての対局は難しくなり、2021年にはベトナムはロックダウンを行い、ホテルの工期も延びた。2022年6月、やっとオープンを迎え、対局を受け入れる準備が整った。
  13ヘクタールという広大な敷地では、さまざまな日本文化や「おもてなし」に触れられる。ホテル内には相撲の土俵や甲冑(かっちゅう)などがあり、五重塔が建つ日本庭園もある。日本将棋連盟の佐藤康光会長が揮毫(きごう)した「王将」の文字が彫られた石の駒も置かれた。こうした日本文化が、海外の対局が初めてという藤井聡太棋聖(20)と佐々木大地七段(28)にとっては「安心感をもってもらえるのでは」と益子室長は話す。
  できるだけ日本と同じ条件で対局できるよう、畳などは日本から運び込んだ。「勝負めし」として注目される両対局者の昼食では日本料理にも対応すべく、日光市のホテルの料理長を呼び寄せた。おやつは地元のスイーツを準備している。
  対局前日の4日までの3日間、ホテル敷地ではアニメフェスが行われ、日本アニメのキャラクターにふんしたベトナムの若者たちでにぎわった。益子室長は「両対局者も若く、ベトナムの若い方と何かしら通ずるものがあると思う。親日であるベトナムの方々に、日本の将棋に興味を持ってもらいたい」と話した。(中島高幸)


2023.06.01-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230601/k10014085681000.html
将棋の藤井聡太六冠 名人戦制す 史上最年少 名人獲得 七冠達成

  将棋の八大タイトルで最も歴史の古い「名人戦」の第5局挑戦者の藤井聡太六冠(20)が渡辺明名人(39)に勝って4勝1敗とし、史上最年少で「名人」を獲得しました。
  さらに羽生善治九段(52)以来史上2人目の「七冠」達成となり、その最年少記録も更新しました。

  「名人戦」七番勝負は、挑戦者の藤井六冠が渡辺名人を相手にここまで3勝1敗とし、タイトル獲得まであと1勝としていました。
  第5局は31日、長野県高山村で始まり、2日目の1日は後手の藤井六冠が31日の対局終了時に次の1手を書いた「封じ手」から再開しました。
  攻めの姿勢を見せる藤井六冠に対して渡辺名人も攻め合いに応じ、午後にかけて互いに1時間を超える長考を挟みながら攻防が続きます。藤井六冠は2枚の「角」などを活用して徐々に追い詰め、形勢を有利にすると、渡辺名人も粘りを見せますが、午後6時53分、94手までで投了しました。
  この結果、藤井六冠が4勝1敗で「名人戦」を制して「20歳10か月」で「名人」を獲得し、谷川浩司十七世名人(61)が持つ「名人」獲得の最年少記録「21歳2か月」を40年ぶりに更新しました。
  また、竜王、王位、叡王、棋王、王将、棋聖に続く7つ目のタイトル獲得となり、1996年、25歳4か月で羽生善治九段(52)が当時の七大タイトルをすべて獲得したとき以来、史上2人目の「七冠」達成で、最年少記録も更新しました。
  一方、渡辺名人は、「名人戦」4連覇はならず、19年前に「竜王」を獲得して以降、タイトルを保持し続けていましたが、これで無冠となりました。
  藤井七冠は、6月5日にベトナムで開幕する「棋聖戦」五番勝負で、今年度2つ目のタイトル防衛に臨みます。
藤井聡太七冠「八冠まだまだ遠い 近づけるよう頑張れたら」
  対局のあと、藤井聡太七冠(20)は記者会見に臨み、「終局直後は全く実感がなかったが、少しずつ実感が湧いてきた。『名人』ということばには子どものころから憧れの気持ちを抱いていたので今回獲得できたことについてはすごく感慨深いものがある」と、喜びを語りました。
  そして、今回の「名人戦」について、「早い段階から構想力を問われる将棋が多くて序盤から1手1手じっくり考えて構想を練るというのは経験がなく、新鮮だった。その結果、うまくいったところとそうでないところが分かってきたので、指していて楽しく、収穫の多いシリーズだった」と振り返りました。
  また、最年少での「名人」獲得と七冠の達成となったことについては、「今回臨むうえで意識していたわけではないが、谷川浩司十七世名人の記録はすばらしいものだと思っていたので、結果として更新することができてとてもうれしい。羽生善治九段の記録は全冠制覇という点で特別なものと思っているので、自分としてはそこに並べたという意識ではないが今回『名人』を獲得できてとてもうれしい」と話しました。
  そして、現在の八大タイトルをすべて制覇する八冠の達成については、「まだまだ遠いものなのかなと思っているが、目指せるということ、そういうチャンスを作れたということ自体が、幸運なことかと思うので、少しでも近づくことができるように頑張れたらと思っている」と話していました。
渡辺明名人「力が足りなかったと思う」
  一方、負けた渡辺明名人(39)は「一番複雑で、候補となる手も広かった局面で長考した結果、間違えたのが残念な1局でした」と対局を振り返りました。
  そして、「シリーズを通じて息が長い将棋が多く、難しくなる局面で差が出てしまった。この3年くらいの自分のタイトル戦の戦いを見ていても、こういう結果になるのは当然というか、力が足りなかったと思います」と話していました。
「八冠」全制覇するには
  藤井聡太さん(20)は、2016年、中学2年のときに史上最年少となる14歳2か月でプロ入りしました。デビュー後から前人未到の29連勝を達成するなど快進撃を続け、2020年7月には「棋聖戦」を制し、17歳11か月で初めてタイトルを獲得しました。このときの相手は、今回の「名人戦」で対局した渡辺明さん(39)で、タイトル獲得の最年少記録を30年ぶりに更新しました。
  その後も、  2020年8月には18歳1か月で「王位」を獲得し「二冠」。  2021年9月には19歳1か月で「叡王」を獲得し「三冠」。  2021年11月には19歳3か月で「竜王」を獲得し「四冠」。  去年2月には(2022)19歳6か月で「王将」を獲得して「五冠」。  ことし3月には(2023)20歳8か月で「棋王」を獲得して「六冠」となり、
  今回、20歳10か月で「名人」を獲得して「七冠」となりました。
  いずれも最年少記録を更新し、「七冠」を獲得したのは羽生善治九段(52)以来、2人目の快挙となりました。羽生九段は1996年、25歳4か月のときに「七冠」を達成し、当時の七大タイトルすべてを独占しました。
  現在、タイトルは8つに増え、八大タイトルすべてを独占する「八冠」の達成は誰も成し遂げていません
  藤井さんは  竜王  名人  王位  叡王  棋王  王将  棋聖  の7つを保持し このほか▽王座については、永瀬拓矢さん(30)が保持しています。
  「王座戦」五番勝負は、例年9月から10月にかけて行われ、永瀬王座への挑戦者を決めるための棋士16人によるトーナメントが先月から始まっています。
  藤井さんは初戦を勝利してベスト8に進出していますが、挑戦者となるには残り3回の対戦で一度も負けは許されません
羽生善治九段「将棋に興味を持つ子どもたちに大きな夢と希望」
  藤井聡太六冠(20)が、史上最年少での「名人」獲得と「七冠」を達成したことについて「25歳4か月」のときに「七冠」を達成し、これまでの最年少記録を保持していた羽生善治九段(52)は「藤井竜王、史上最年少での名人獲得七冠達成、誠におめでとうございます。前人未到の大記録の達成は、将棋に興味を持つ子どもたちに大きな夢と希望を与えます。これからも将棋の魅力を伝えるフロントランナーとして、更なる飛躍を遂げ活躍されることを期待しています」とコメントしています。
谷川十七世名人「記録というのはそれに相応しい人が持つべき」
  藤井聡太六冠(20)が、史上最年少での「名人」獲得と「七冠」を達成したことについて、これまで「名人」獲得の最年少記録を持っていた谷川浩司十七世名人(61)は「記録というのはそれに相応しい人が持つべき、と考えるようになりました。40年前の言葉をもう一度使わせて頂くと、中原十六世名人からお預かりした最年少名人の記録を、無事、藤井新名人にお渡しできた、という心境です。名人獲得と七冠達成を心よりお慶び申し上げます」とコメントしています。
日本将棋連盟会長「タイトル全冠制覇も視野に」
  藤井聡太六冠(20)が、史上最年少での「名人」獲得と「七冠」を達成したことについて、日本将棋連盟会長の佐藤康光九段(53)は、「この度は名人位獲得並びに史上最年少での七冠達成、誠におめでとうございます。防衛を積み重ねながら、挑戦し数を増やしておられる現状は想像を絶します。タイトル全冠制覇も視野に入ってこられたかと思いますが、益々体調にご留意され、更なるご活躍を期待いたします」とコメントしています。
「名人」の歴史と意義
  「名人」の歴史は将棋の八大タイトルで最も古く江戸時代にさかのぼり、400年余り前の1612年、幕府が大橋宗桂に将棋の「名人」の称号を与えて「一世名人」が誕生しました。当時の「名人」は基本的に世襲制で、一度「名人」となったら亡くなるまで名乗る「終生名人制」が、明治・大正にかけて続きました。その後、昭和10年に当時の関根金次郎十三世名人が、将棋界の発展のために今の「名人戦」と同様の「実力制」への移行を打ち出しました。
  「実力制」の「名人」を獲得したのはこれまでに15人で、藤井聡太さん(20)は16人目となります。さらにこの中で「名人」を通算5期獲得した棋士に与えられる称号の「永世名人」となった棋士やその資格を持つのは、木村義雄十四世名人や、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人といった一時代を築いた棋士のほか、今も活躍を続ける羽生善治九段(52)など合わせて6人です。
  これまでの「名人」獲得の最年少記録は、谷川浩司十七世名人(61)が40年前に達成した「21歳2か月」で、現在「20歳10か月」の藤井さんはこの記録を4か月更新し、史上最年少での「名人」となりました。
  小学4年生の時に“将来の夢”として「名人をこす」と書いていた藤井さん。今回の記録について谷川十七世名人はNHKの取材に対し「ほかのタイトルは四段でプロになってから1年強で挑戦の可能性があるが、『名人戦』順位戦を勝ち抜くために5年以上かかり、最低5年以上安定した実力、成績を残さなければいけない。『名人戦』の歴史というのはイコール将棋界の歴史でもあり、すでに“藤井時代”で第一人者であることは間違いないが、それに加えて七冠、そして『名人』『竜王』、この2大タイトルを併せ持つという意味では、これでもう圧倒的な第一人者になる」と話していました。
長野 高山村 大盤解説の会場では
  長野県高山村では、リアルタイムで対局の進行を解説する「大盤解説」が行われ、藤井六冠の勝利が決まると、大きな拍手が沸き起こりました。
  「名人戦」第5局の会場となった旅館、「藤井荘」から4キロほど離れた高山村の施設では1日、大盤解説が行われました。対局の終盤、解説者の黒沢怜生六段が「藤井六冠の優勢が確実となり、いつ終局してもおかしくない」と説明すると、およそ200人が集まった会場に緊張感が漂い、2人が一手指すごとにざわつく様子が見られました。そして、渡辺名人が投了し、藤井六冠の「七冠」達成が決まった瞬間、拍手が沸き起こり、感激のあまり涙を拭う人もいました
  各地で藤井六冠の対局を見てまわっているという、東京の50代の女性は「いろいろな思いが込み上げてきて、ことばにならないです。藤井さんの子どものころからの夢がかなって、1つの新しい景色を見られたのだと思い、胸がいっぱいになりました。同じ時代に生きて見届けられてよかったです」と涙ながらに話していました。
  会場に藤井六冠を応援する手製のプラカードを持ってきた長野市の60代の男性は「この瞬間を待っていて、きのうは眠れなかったです。藤井さんが29連勝した際、この人なら史上最年少名人をとれると思いました。新名人誕生、本当におめでとうございます。これから藤井さんの時代になると思います。今後の活躍が楽しみです」と話していました。
藤井聡太さん 地元の商店街では
  藤井聡太さんの地元、愛知県瀬戸市では、ファンたちがくす玉を割って名人獲得と七冠達成を祝いました。
  愛知県瀬戸市の「せと銀座通り商店街」では、店舗のシャッターを将棋盤に見立てて対局をリアルタイムで再現する“シャッター大盤”が用意され、ファンたちが対局の行方を見守りました。最終盤では、1手指すごとに歓声が上がり、午後7時前、藤井さんの勝利が決まると、くす玉を割って名人獲得と七冠達成を祝いました。
  商店街で乾物店を営む地元の60代の女性は「とてもうれしいですし、次は八冠を期待しています。生きているかぎり応援し続けます」と話していました。名古屋市の8歳の男の子は「うれしかった。めちゃくちゃ強かったです」と話し、男の子の母親は「小さいころからの夢をかなえられてすごいなと思っています」と話していました。また、愛知県豊田市の70代の男性は「信じられない気持ちです。まだまだ強くなるし、活躍してくれると思っています」と話していました。
近鉄名古屋駅前では新聞の号外
  愛知県瀬戸市出身の藤井聡太さんの名人獲得と七冠達成を受け、近鉄名古屋駅前では午後7時半ごろ新聞の号外が配られました。新聞社によりますと、近鉄名古屋駅前では600部の号外が配られ、通りかかった人たちが次々に受け取っていました。
  号外を受け取った名古屋市の60代の男性は「デビューのころから応援しているので、とてもうれしいです。藤井さんの号外を集めていて、次は八冠達成の号外を手に入れたいと思っているので頑張ってほしいです」と話していました。また、将棋盤を作っているという職人の20代の男性は「七冠達成はすごすぎると思いました。八冠達成に向け、体調に気をつけて頑張ってほしいです。私は将棋盤を作っているので、いつか藤井さんに使ってもらえたらうれしい」と話していました。


2023.05.20-JIJI COM.-https://www.jiji.com/jc/v7?id=202305ennosuke
「家族で話し合い薬飲んだ」 Aさんが説明―警視庁

  東京都目黒区の自宅で両親と共に倒れているのが見つかった歌舞伎俳優Aさん(47)が、「家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の説明をしていたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。

  警視庁はAさんから詳しく事情を聴くなどして、両親が死亡した経緯などを慎重に調べる。
  捜査関係者によると、Aさんは18日、同庁の警察官に対し、「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の話をしていた。


2023.05.19-Yahoo!Japanニュース(HUFFPOST)-https://news.yahoo.co.jp/articles/52580239d9d05f51456f052dc7dca42029511ce6
「『今回も乗り切れる』と甘く見た」「著名タレントの“#MeToo”に…」識者3人がみたジャニーズ社長の謝罪
【金春喜 / ハフポスト日本版】
(1)
  大手芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の元所属タレントが、創業者のジャニー喜多川氏(2019年死去)からの性被害を告発した問題
  同社の藤島ジュリー景子社長は5月14日、「世の中を大きくお騒がせしておりますこと、心よりお詫び申し上げます」と謝罪する1分程度の動画を公開した。 あわせて、事実関係を究明するための第三者委員会は設置しないことや、同氏が辞任しないことなどを盛り込んだ文書も発表した。 こうした対応を、有識者たちはどう評価したか。広報コンサルタント、ガバナンス(企業統治)の専門家、芸能界に詳しいジャーナリストの3人に見解を尋ねた。【金春喜 / ハフポスト日本版】

  「今まで大丈夫だった」「今回も乗り切れる」と甘く見た(危機管理に詳しい広報コンサルタントの石川慶子さん)わざわざ批判されるような対応ばかりを選んでいる。
    喜多川氏からの性被害を訴えたカウアン・オカモトさんの記者会見から謝罪に至るまで1カ月もかかり、遅かった。発表は報道の体制が整っている平日ではなく、正々堂々としているとはいえない。
    動画や文書は、法的責任を免れようとする内容だった。 本来であれば、記者会見を開いて社長自ら説明責任を果たし、問題と向き合う姿勢を示さなくてはならない局面だ。ただ、動画などから、藤島社長は「不慣れ」な印象を受けた。
    きわめて珍しい形の謝罪方法となったのは、「会見で社長自ら説明すること自体がリスク」と同社が判断したためかもしれない。 オカモトさんらの告発と向き合わなければならない日が来ると予測し、前もって謝罪の仕方などを検討することもできたはず。
    だが、喜多川氏をめぐる問題や危機管理を甘く見て、「今まで大丈夫だったから、今回も乗り切れる」と準備を怠っていたのだろう。
    第三者委を設置しないという表明からは、喜多川氏による性加害を事実として認定することで、法的責任を問われる展開を恐れているとわかる。
    だが、被害者の人権を踏みにじってまで、他に優先させるべきことなどない。徹底的な調査が必要だ。 このままでは同社にも不利益が降りかかるだろう。才能のあるタレントは同社への所属を望まなくなり、所属タレントがCM出演などをするスポンサー企業らは契約について考え直す可能性がある
(2)
  組織内での問題解決、信頼されていない(ガバナンスに詳しい青山学院大学の八田進二名誉教授)
    後手後手の対応だった。オカモトさんの告発からの1カ月、「嵐が去る」のをただ待っていたのだろう。少なくとも、告発後すぐに記者会見を開き、同社としての見解を示す必要があった。
    同族経営の同社では喜多川氏によるワンマン体制が長く続き、幹部は「イエスマン」ばかりで固めてきたとみられる。喜多川氏をめぐる問題に向き合わなければ「軽傷では済まない」とトップに進言できる人は、今もいないように思えた。
    外部の目で経営を監視するガバナンスの入り口にすら辿り着いておらず、時代錯誤な体制だ。上場していない同社の内部には、「口出しされる筋合いはない」との見方があるのかもしれない。 だが、同社は国内有数の芸能プロダクションであり、事業そのものの公益性を自覚しなくてはならない。
    情報を適切に開示し、社外からの監視を徹底するべきだ第三者委を立ち上げず、組織内部だけで問題を解決しようとしている。少なくとも1999年の「週刊文春」の報道から約20年にわたり問題を放置した同社に、社会の信頼はない。被害者の心理的負担に寄り添いつつ、第三者の公正な立場から調査する体制をつくる必要がある。
    藤島社長は「責任はあったと考えております」と述べたが、辞任はしないと表明した。事務所をめぐる性加害疑いという重大な問題が起きたのに、社長にとどまり続けるのは問題だ。今後の数年だけでもガバナンスを強化できる人物に経営を任せなければ、同社は建て直せないだろう。
  著名タレントの「#MeToo」につながる可能性(芸能界に詳しいジャーナリストの松谷創一郎さん)
    一連の対応は場当たり的で、判断もダラダラと遅れていた。トップのリーダーシップのなさがあらわれている
    喜多川氏をめぐる問題と向き合う覚悟を決めきれていない姿勢や、危機管理にあたるスタッフらの不足も露呈した。 藤島社長は「そのような行為(性加害)自体は決して許されることではない」と述べた。ならば、まずは性加害があった事実を認定することが重要な一歩だ。
    第三者委を立ち上げない理由として、「ヒアリングを望まない方々も対象となる可能性が大きいこと」「ヒアリングを受ける方それぞれの状況や心理的負荷に対しては、外部の専門家からも十分注意し、慎重を期する必要があると指導を受けたこと」が挙げられた。
    だが、被害者に参加を強制しなくても調査はできる。結果の公表にあたり、プライバシーに配慮することも当然だ。 第三者委の設立から逃げるのは、企業としての社会的責任を自覚せず、「自分たちを守ることで頭がいっぱい」という同社の姿勢のあらわれ
    (元)所属タレントを性被害から救うことが優先だ。 イギリス公共放送BBCのドキュメンタリー番組や、オカモトさんの告発をきっかけに、喜多川氏による性被害を訴える人は増えている。
    同社の対応が不十分なままでは、今後、著名なタレントによる「#MeToo」(性被害の告発)につながる可能性がある。今こそスパッと第三者による調査を始める方が、「傷口」の広がりをおさえられるはずだ。
(3)
  ️・性暴力について相談できる窓口   ワンストップセンター、性犯罪・性暴力に関する相談窓口の全国共通短縮番号#8891 警察庁の性犯罪被害相談電話全国共通番号 #8103 内閣府「性暴力に関するSNS相談支援促進調査研究事業」 Curetime 相談時間24時間365日(17~21時はチャット、それ以外の時間はメールで相談可能です) チャットのみ。外国語での相談も受け付けています。 相談機関は性暴力専門の相談員が対応しています。 状況や本人の意思に応じて、どのような対応が良いか考え、一緒に警察へ行くなどの支援もしています。

◾️衣服と身体を洗わない   性被害にあった際、証拠採取のため、次の2つが重要になります。
  1. 被害に遭った時の衣服を洗わない 2. 身体を洗わないでおく 薬物の使用が疑われる場合は、尿検査や血液検査をしておく必要があります。 なるべく早く警察やワンストップセンターに相談することが大切です。


2023.05.19-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230519-KIXJEJDVERMKBCLRGNK2NGDYYA/
猿之助さん母は発見時、死後数時間か

  東京都目黒区の歌舞伎俳優、市川猿之助さん(47)宅で倒れているのが見つかり、現場で死亡が確認された母親が、発見時、死後数時間が経過していたとみられることが19日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は同日午前、猿之助さん宅の現場検証を開始。死亡した両親の遺体を司法解剖し、死因の特定を急ぐ。

  捜査関係者によると、亡くなったのは歌舞伎俳優の父、市川段四郎さん(76)と母、喜熨斗(きのし)延子さん(75)。母は死亡が確認された際、既に死後硬直が始まっていた。父は搬送先の病院で死亡した。
  猿之助さんは、半地下の自室で意識がもうろうとした状態で見つかったが、命に別条はない。本人が書いたとみられる遺書のような書き置きが複数あったことも分かった。一つはスケッチ用キャンバスで、近くに別の書き置きも見つかった。警視庁は回復を待って事情を聴く方針。


2023.04.03-FNN プライムオンライン-https://www.fnn.jp/articles/-/508334
坂本龍一さん訃報 海外メディアも速報 BTSのSUGAさんSNSにつづる

  がんで闘病中だった音楽家の坂本龍一さんが、3月28日に亡くなった。71歳だった。

  坂本龍一さんの訃報を、アメリカや中国をはじめ、海外メディアも速報で伝えている。メリカメディアは、「東洋と西洋の文化的影響を融合させた映画音楽で高い評価を得た」と報じている。
  韓国の聯合ニュースは、2017年に韓国映画の音楽監督を務め、2018年には釜山国際映画祭で「今年のアジア映画人賞」を受賞したと紹介し、「映画音楽の巨匠」「先駆的な電子音楽からクラシックまで境界を拡大し、世界的な名声を持つ音楽家として評価された」と報じた。
  また、人気グループBTSのSUGAさんは、SNSに「先生、遠い旅が安らかでありますように」とつづった。また、中国版ツイッター「ウェイボ」では坂本さんの死去が一時、検索トップになった。
  フランスメディアは、「忘れられない映画音楽を作曲。デジタルサウンドのパイオニアであり、環境保護活動にも熱心だった」と伝えている。


2023.03.27-山陽新聞-https://www.sanyonews.jp/article/1370995
三浦瑠麗氏の夫を逮捕、特捜部 4億2千万円の業務上横領容疑で

  東京地検特捜部は7日、4億2千万円を横領したとして業務上横領の疑いで、再生可能エネルギーに関する投資やコンサルタントを手がける東京都千代田区の「トライベイキャピタル」の代表取締役A容疑者(43)=東京都港区=を逮捕した。国際政治学者三浦瑠麗氏の夫。

  逮捕容疑は2019年10月4~24日に3回にわたり、トライベイ社の債務の弁済などに使う目的で、自身が関係する会社から計4億2千万円を振り込ませた疑い。
  A容疑者は弁護士を通じ「業務上横領に当たるような罪を犯したことは決してありません。今後とも無罪を主張する」とのコメントを出した。またコメントでは「再生可能エネルギープロジェクトの開発というリスクの高い業界で、当初予定された利益を生み出せず、反省すべき点はある」と説明。特捜部に最大限協力して理解を求めたが、見解の相違があったとしている。
  トライベイ社は14年7月に設立され、太陽光発電事業などを手がけていた。特捜部は今年1月、トライベイ社を家宅捜索した。
(2023年03月27日 13時19分 更新)


2023.03.24-Yahoo!Japanニュース(KYODO)-https://news.yahoo.co.jp/articles/b3337b53f359f1c7ffe9874a330730f3341a30a4
三浦瑠麗さんへの賠償命令確定 プライバシー侵害ツイート

  国際政治学者三浦瑠麗さんのツイッター投稿で夫婦間のトラブルをさらされたとして、テレビ朝日社員の男性が三浦さんに300万円の損害賠償などを求めた訴訟は24日までに、プライバシー侵害を認め、三浦さんに30万円の支払いを命じた一、二審判決が確定した。最高裁第3小法廷(今崎幸彦裁判長)が22日付で、三浦さんの上告を退ける決定をした。

  男性は弁護士として自ら訴訟を起こしたAさん(52)。24日に都内で記者会見し「学者として公に発言するのであれば、責任を自覚してほしい」と語った。  高裁判決は、投稿内容は「他人にみだりに知られたくないプライバシーに属するのは明らか」と認定した。


2023.03.13-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006901000.html
扇千景元参院議長 死去 89歳 女性初の参院議長 国交相も務める

  女性で初めて参議院議長を務め、国土交通大臣などを歴任した扇千景氏が、がんのため、今月9日に東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。

  扇氏は神戸市出身で、俳優として宝塚歌劇団で活躍したあと、昭和52年の参議院選挙の旧全国区に自民党から立候補して初当選し、繰り上げ当選も含め5回当選しました。この間、自民党のほか、新進党や自由党などにも所属し、自民党と連立政権を組んだ保守党では党首を務めました。
  そして、平成12年の第2次森内閣で、建設大臣と国土庁長官を兼務して初入閣し、省庁再編に伴い、初代の国土交通大臣を務めました。
  小泉内閣でも再任され、道路公団の民営化問題などに取り組み、所属していた保守新党が解党して自民党に合併したことに伴い、自民党に復党しました。
  平成16年には女性で初めて参議院議長に就任し、中国の国会にあたる全人代=全国人民代表大会との議員交流などに取り組みました。  平成19年の参議院選挙に立候補せず、政界を引退しました。 夫は、3年前に亡くなった歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんです。扇氏は、がんのため今月9日に東京都内の病院で亡くなりました89歳でした。
四代目中村鴈治郎さん「今頃は大好きな父のもとで喜んでいる」
  亡くなった扇千景さんの長男で歌舞伎俳優の四代目中村鴈治郎さんは「母らしく、最期まで気丈な姿でした。かつては女優もしておりましたが議員生活が長かったので、息子ながら、母親というよりも議員としての顔を強く感じていました。また、議員を引退してからは父の面倒をずっと見ており、父にかかりっきりでしたが、父が亡くなってからのこの2年以上は母ひとりでしたので、一緒に食事をするなど同じ時間を過ごすことも増えてきました。そんな折に、母親だと改めて実感したものです。最期は私たちの母として、苦しまず、穏やかに旅立っていきました。今頃は大好きな父のもとにいて、きっと喜んでいると思います」などと、コメントしています。
  また、次男で歌舞伎俳優の三代目中村扇雀さんは「この度、母が89歳で身罷りました。入院して一ヶ月ほどでしたのでスッと安らかに永眠いたしました。悔いのない人生であったと思います。銀行員の娘として生を受け宝塚の生徒として舞台を踏み、映画で父と知り合い兄と私を産み女優から参議院議員に転身し参議院議長まで務め上げ、歌舞伎俳優である父の231年振りに復活した坂田藤十郎襲名を支え内容の濃い人生だったと思います。私は母に似ていると言われることが多く血液型も同じで性格も似ていたと思います。親子として共に過ごす時間は少なかったのですが多くのことを教えられました。今は母の子であったことをただただ感謝しています」などと、コメントしています。
自民 茂木幹事長「女性活躍の道を切りひらいた第一人者」
  自民党の茂木幹事長は記者会見で「数々の要職を歴任する中で、常に『女性初』という言葉を背負いながら、その重責をしっかりと果たして『女性活躍』の道を切りひらいた第一人者だ。心よりご冥福をお祈りしたい」と述べました。
自民 二階元幹事長「国家の発展に大きく貢献された」
  かつて自由党や保守党などでともに活動した、自民党の二階元幹事長は「政治活動をともにさせていただいた思い出もあり、初代の国土交通大臣や女性初の参議院議長として国政で大いに活躍され、国家の発展に大きく貢献された。ご冥福を心からお祈りします」というコメントを発表しました。
山東昭子前参院議長「チャレンジ精神あふれエネルギッシュな人」
  自民党の山東昭子 前参議院議長はNHKの取材に対し「最後にお会いしたのは、去年の安倍元総理大臣の『国葬』の時で、元気そうに話していた。常に勇猛でチャレンジ精神にあふれ、エネルギッシュな人であり、芸能と政治の両方の仕事をして本当にすごい人だと思っていた。ご冥福をお祈りしたい」と述べました。
公明 山口代表「女性活躍の草分け的な存在」
  かつて新進党でともに活動した、公明党の山口代表は記者団に対し「とても明るくて風格があった。私が衆議院選挙の小選挙区で非常に厳しい戦いをしていた際には、一緒に選挙カーに乗って、有権者に親しく、力強く語りかけて応援してくれた恩人でもある。女性活躍のいわば草分け的な存在としての役割も果たされ、亡くなられて残念だ」と述べました。
立民 小沢衆院議員「果敢に取り組むすばらしい政治家」
  新進党などで活動をともにした、立憲民主党の小沢一郎衆議院議員は、みずからのツイッターに「大変驚いている。同志として政治行動をともにした際のエネルギッシュな姿が目に浮かぶ。とても存在感があり、積極的にアイデアを出して果敢に取り組んでいくすばらしい政治家だった。心からご冥福をお祈り申し上げる」と投稿しました。


2023.03.13-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html
ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳

  大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品「奇妙な仕事」で注目を集めたあと、1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリードしました。そして1994年、川端康成に続いて、日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」は、ベストセラーになりました。また、憲法改正に反対する「九条の会」や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。講談社によりますと、大江さんは今月3日未明、老衰のため亡くなったということです。88歳でした。

大江さんの次男「最期は穏やかに」
  大江健三郎さんの次男は「最期は穏やかに息を引き取りました。生前のご厚情に感謝申し上げます」と話していました。
大江健三郎さん 生前に語った憲法と平和への思い
  大江健三郎さんは、小説を書き始めた20代の頃から、「自分は戦後民主主義者である」として、自分自身の考え方の根底に日本国憲法があると発言してきました。戦後70年を迎えた2015年10月のノーベル平和賞の発表日、大江さんは、東京の自宅でNHKのインタビューに応じ、憲法と平和への思いを語りました。このうち、2004年に結成された憲法改正に反対する「九条の会」に発起人として加わった理由については、「平和憲法、民主主義の憲法というものを放棄し、改めて別の憲法をつくろうという動きが日本人の中にある。それを押しとどめ続けなければいけないと、その時考えました。それからずっと今現在に至るまで、その考え方を持っています」と語っていました。そして、憲法9条がノーベル平和賞の候補として海外からも注目されたことについて、「私たちの憲法9条というものに非常に高い評価を与えてくださること、そして、日本がこの戦後70年、戦争をしなかったことが、どんなに大切かということを、はっきり認めようとする外国からの動きがあるということは、非常に心強いことだと思う。たとえ実際に賞をもらえなくても、人々の関心の中に日本の平和憲法というものがあるということだけでも、自分は非常に励まされることだと考えています」と語っていました
谷川俊太郎さん「同じ世代で大きな仕事をした人 寂しいです」
  大江健三郎さんと親交のあった詩人の谷川俊太郎さんは、「私は大江さんのデビュー作から読んでいました。私とは作風が違いますが、すごく勉強家で知識がたくさんある人でした。私と同じ世代の人で、大きな仕事をした人なので寂しいです」と話していました。
平野啓一郎さん「本当に残念 もっとお話ししたかった」
  大江健三郎さんと親交のあった作家の平野啓一郎さんは、ツイッターに「本当に残念でなりません。大江さんが活躍されていた時代に、小説家としてデビューして、謦咳(けいがい)に接したことは、掛け替えのない経験でした。もっとお話ししたかったです」と投稿し、死を悼みました。
山田洋次さん「羅針盤を失ったような気持ち」
  大江さんと親交があった映画監督の山田洋次さんは「物事を考える上で正しい指針を与えてくれる人がいなくなってしまった不安と悲しみに包まれています。加藤周一さんと大江健三郎さんの存在が長い間日本人にとってどれほど大切だったかを思いつつ、今大江さんを失うことが、現在のような混沌としたこの国の、さらに世界の状況にとって大きな損失だということを考えます。心ある日本人にとって、羅針盤を失ったような気持ちではないでしょうか」とコメントを出しました。
芥川賞受賞 佐藤厚志さん「計り知れないものを残してくれた」
  ことし芥川賞を受賞した仙台市出身の書店員、佐藤厚志さんは、大学の入学直後に読んだ大江さんの文学論を読んで、小説家になることを意識するようになったといいます。佐藤さんは「『小説のことばは、日常で使うことばとは違う』ということを大江さんの著作で初めて知って、小説を書く側になるということを意識した。事実を伝えるだけでは見過ごされてしまうような感情を、小説ではすくうことができるという自分の作家としての考えは、大江さんの著作がベースになっている」と話していました。そのうえで「いつか会いたいと思って小説を書き続けていただけに、ショックで悲しい。大江さんは私たちに計り知れないものを残してくれたと思う。私もこれからも小説を書き続けて、後の世代に作品を残していけたら」と話していました。
日本被団協 木戸事務局長「被爆者にとっても大きな存在」
  日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の木戸季市事務局長は、NHKの取材に対し、「『ヒロシマ・ノート』に代表されるように、大江さんは消えることはなくむしろ大きくなっていく被爆者の身体や心の苦しみ、悩みに向き合い、本当に理解されていたからこそ被爆をテーマとした作品が書けたのだと思う。被爆者への支援拡充や被爆体験を伝え継ぐ活動にも力を貸していただき、被爆者にとっても大きな存在だった」と話していました。
広島原爆資料館 原田元館長「広島に思い入れを持っていた」
  原爆資料館の元館長で被爆者の原田浩さんは、館長在任中の1995年に、大江健三郎さんに館内を案内しました。大江さんの訃報に接し、原田さんは「ずいぶん広島に対して思い入れを持っていらっしゃったので、残念としか言いようがない」と惜しみました。
  原爆資料館を案内した際の大江さんの様子について、「熱心に展示をご覧になりましたが、それ以上に印象に残っているのは、私の被爆体験をぜひ聞きたいと言われ、お話ししたことです。非常に大きな衝撃を受けられたのではないかと思います。核心に触れる部分を心に受け止めて、お帰りになられたのではないかと思う」と振り返っていました。そのうえで原田さんは、「大江先生の残されたいろいろなメッセージを、少なくとも日本は受け止めて、今の世界情勢に向けて取り組む姿勢を持ってほしいという気持ちでいっぱいです」と話していました。
核兵器廃絶目指す市民団体 森瀧春子さん「存在の大きさ実感」
  核兵器の廃絶を目指す市民団体の顧問を務める森瀧春子さんは、2014年に大江健三郎さんの講演会を開催しました。大江さんの訃報に接し、森瀧さんは、「本当に残念というか寂しい思いでいっぱいです。お会いしたのは2度くらいですが、私にとってはもちろん広島や国内外にとって大きな存在だった。失った存在の大きさを実感しています」と話していました。
  大江さんは、森瀧さんの父で核兵器廃絶運動の先頭に立ち続けた森瀧市郎さんとも交流がありました。森瀧さんは「大江さんは父のことを、1人の哲学者として被爆者として、父が思っていたことを深く理解してくれていた」と振り返りました。そして、「大江さんは、原爆が広島にもたらした人間的悲惨さを心から理解して表現してくれる存在だった。そのような大江さんの立場からもっともっと発信してもらいたかった」と話していました。
沖縄タイムス 新川元社長「大きな存在だった人を失った」
  大江健三郎さんが亡くなったことについて、生前親交のあった、沖縄県の主要な地元紙、沖縄タイムスの元社長の新川明さん(91)が、NHKの取材に応じました。新川さんは、60年近く前の昭和40年に大江さんと講演会で出会って以来、親交があったということです。新川さんは、大江さんについて「沖縄に寄り添い、沖縄のことをヤマトゥの人たちに訴える非常に大切な役割を、『沖縄ノート』をはじめとする文筆活動の中でやってくれた」と話しました。そのうえで、「彼を尊敬し、親しみを感じていただけに、その死というものは僕にとって大きな喪失感を覚えさせる大変大きな出来事です。沖縄にとって大変大きな存在だった人を失ってしまった」と述べました。そして「本当はもう一度ゆっくり話をしたかったです。安らかにお眠り下さいと伝えたい」と悼みました。
沖縄 集団自決を生き延びた人「存在が後押しに」
  大江健三郎さんが亡くなったことについて、沖縄県の渡嘉敷島で起きたいわゆる「集団自決」を生き延び、みずからの過酷な体験を語ってきた吉川嘉勝さん(84)は、「ご高齢でしかたがないことかもしれませんが、『集団自決』のことを著書で断じてくださり、全国的に広く知れ渡るきっかけを作ってくれたことに感謝しています」と述べました。さらに吉川さんは、「大江先生の著者を読んだり講話などを聞いたりしたことで、自分の戦争体験について記してきたメモが記憶の再生となり、事実として検証されたようで、勇気をもらいました」と述べました。また、高校で使われる教科書の検定で『集団自決』に日本軍が関与したとする記述に検定意見がつけられた問題をめぐり、16年前に開かれた県民大会で意見を述べた時のことについて、「11万人の参加者の前で体験を話すことができたのも、先生の存在が後押しになった」と振り返りました。そして吉川さんは「先生がしてきたことを受け継ぎ、発信する人が出てきてくれるといいなと思います」と話していました。
生まれ育った愛媛 内子町 交流ある住民グループの人は
  大江健三郎さんが生まれ育った愛媛県内子町の大瀬地区には、大江さんと30年以上交流がある地元の住民グループ「大瀬・村の会」があります。大江さんは、里帰りの際、このグループと食事会を開いたり、大江さんが親交のある音楽家などを招いて演奏会を開いたりして交流を深めてきました。グループの代表、折本正範さんは「亡くなったことが信じられず、いまもいつか大瀬に帰ってきてくれるような気がしています」と涙ながらに取材に応えていました。そして、「大江さんのおかげでさまざまな人たちと出会い交流することができ、世界を広げてくれました。大瀬の誇りです。本当にありがとうございますと伝えたいです」と話していました。
松山 大江さんの母校では
  大江健三郎さんが卒業した松山市の松山東高校には、大江さんが在校中に刊行していた文芸部の雑誌が保管されています。雑誌は「掌上」(しょうじょう)という名前で、大江さんがみずからの詩や文芸評論などを掲載していたということです。学校の資料館には雑誌のほか、大江さんの直筆の原稿も保管されていて、当時の雰囲気が伝わってきます。「掌上」は今も高校で刊行が続けられているということです。
  2年生で文芸・俳句部に所属する田邊広大さんは、「大江さんの背中を見てきたので、大きな喪失感があります。人の心に対するアプローチや考え方をリスペクトしていました。今も同じ雑誌を刊行していることに重みを感じています」と話していました。また、2年生の野本帆希さんは、「同じ高校に通っていたことを誇りに思って、偉大な先輩を目指して、いつかは超えられるように頑張りたいと思います」と話していました。和田真志校長は、「日本にとって大きな財産であり、本校にとっても偉大な先輩を失ったことは非常に残念です。今後も大江さんの考え方や心のありようを、生徒たちには後輩であるからこそ身近に感じて、たどってもらえたらと思います」と話していました。
「大江健三郎文庫」設立準備進めてきた東京大学でも悼む声
  大江健三郎さんからあわせて1万枚を超える自筆原稿などを寄託され、「大江健三郎文庫」の設立に向け準備を進めてきた東京大学でも悼む声が聞かれました。東京大学文学部では、おととし1月、大江さんの自宅や出版社に保管されてきた1万枚を超える自筆原稿や、本の出版過程で校正に使われた「ゲラ」などおよそ50点が寄託されています。
  自筆原稿には初期作から代表作、それに近年の作品まで含まれ、推こうのあとなどをうかがい知ることができる貴重な資料だとして、東京大学ではことしの夏ごろに原稿などをデジタル化した上で大学の構内に「大江健三郎文庫」を設立できるよう準備を進めてきました。完成すれば世界中の文学研究者のほか、大江さん自身にも見てもらうことが想定されていたということです。準備を進めてきた東京大学文学部の阿部賢一准教授は、「大江さん自身にも見てもらいたかったので、それがかなわず残念な思いです。キャリアが長い作家で、1950年代から21世紀に入っても活躍されていた。長い間、非常にコンスタントに作品を発表されていて、日本だけではなく世界においても限られた存在だった。大江健三郎という作家が書いた原稿は永遠に残るので、次の世代に伝えていくことが大江さんからのメッセージだと考えています」と話しています。
大江健三郎の文学と社会的活動
  大江さんは若いときから新たな時代の作家として文壇に注目された存在でした。東京大学在学中の1957年、大学新聞に掲載された作品「奇妙な仕事」が文芸評論家の目にとまり、「死者の奢り」や「飼育」を発表。1958年に「飼育」で23歳の若さで芥川賞を受賞し、日本の戦後文学界をリードする存在として意欲作を発表し続けてきました。
  大江さんは、自身の人生や経験を投影した作品を生み出してきました。出身地の愛媛県内子町の山あいにある小さな集落の風景は、何度も、大江さんの小説の舞台のモデルとなってきました。さらに大江さんの文学に大きな影響を与えたのが、生まれつき障害がある長男の光さんでした。光さんが生まれた翌年に発表した小説「個人的な体験」では、障害児の父親としての心の葛藤を描き、その後も、障害をモチーフにした作品を書いてきました。また、
  安保闘争で挫折した男や障害児を出産した女など、日本の戦後世代を克明に描いた「万延元年のフットボール」や、
  イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの詩を交えながら障害児の成長を描いた「新しい人よ眼ざめよ」など、魂の救済や障害者との共生をテーマにした作品を次々と発表してきました。
  大江さんの文学は日本だけでなく、世界的にも高く評価され、1994年に川端康成に次いで日本人として2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。受賞理由は「詩的な言語を使って現実と神話の入り交じる世界を創造し、窮地にある現代人の姿を見る者を当惑させるような絵図に描いた」というものです。
  ノーベル賞受賞の記念講演では、川端の講演のタイトル「美しい日本の私」をもじった「あいまいな日本の私」と題して日本や文学への思いを語り、話題となりました。その後も、
  新興宗教をテーマにした「宙返り」や、  親交のあった映画監督の伊丹十三さんの死をきっかけに執筆した「取り替え子」など、次々と話題作を発表し、長年にわたって第一線で活躍してきました。
  また、大江さんは文学者の立場から核兵器や平和の問題に向き合ってきたことでも知られています。広島で行った当事者への取材をもとに被爆者や治療にあたる医師の姿を描いたルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」はベストセラーになりました。2004年には憲法改正に反対する「九条の会」を井上ひさしさんらと立ち上げたほか、東日本大震災後には脱原発を訴えるデモを呼びかけるなど、社会的な発言も積極的に行っていました。
海外メディア 功績など伝える
  大江健三郎さんの死去について海外メディアも生前の功績などを伝えています。このうち、アメリカのニューヨーク・タイムズの電子版は「大江氏はその強力な小説やエッセイを通して、日本が20世紀の軍国主義の教訓をしっかり学ぶようにと努めた作家であり、戦後の批評家だった」とする記事を配信しました。
  そして「ノーベル文学賞を受賞した大江氏は、現代の日本文化が第2次世界大戦の惨禍を招いたのと同じ思想に危険なほど傾いていると感じ、強烈な文学と挑戦的な政治活動で挑んだ」と指摘し、平和主義を掲げた代表的な論客だったと評しました。AFP通信は大江さんについて「権利を奪われた人々を擁護し、現代社会の同調性に異議を唱えた作家が亡くなった」と伝えました。
  そのうえで「平和主義者で反核の思想で知られる大江氏は第2次世界大戦で大きな傷を負ったが、再生への希望に満ちている世代の一員とみずからを位置づけていた」としています。
  ロシア国営のタス通信は「大江氏は現代の巨匠の1人とみなされていて、その作品はロシア語など世界中のいくつもの言語に翻訳されている。『ヒロシマ・ノート』を発表するなど、核兵器に反対し、人権のために闘った人物だった」と伝え、功績をたたえました。
韓国メディア 速報で伝える
  大江健三郎さんの死去について韓国メディアは日本のメディアの報道を引用して速報で伝えました。通信社の連合ニュースは、大江さんが憲法改正に反対する「九条の会」に加わったことを紹介しながら「社会問題に参加する知識人として尊敬されていた」と報じました。また、夕刊紙の文化日報は「日本の知識人の象徴であり、平和憲法の守護者として、人間本来の不安やとまどいの中にも絶えず希望を見いだそうとする作家として評価された」と伝えました。
中国 死を悼むコメントがネット上に
  中国では国内メディアが大江健三郎さんの死去を伝えるとともに、死を悼むコメントがインターネット上に書き込まれています。このうち、夕刊紙「新民晩報」は「大江氏の文章は政治や核エネルギーの危機、それに死と再生など、広い視野とヒューマニズムの精神で書かれている」と伝えました。そのうえで「大江氏のたくさんの作品が中国語に翻訳された。大江氏は何度も中国を訪れ、2009年には北京にある魯迅の昔の住まいと博物館を参観した」などと中国との関係の深さを紹介しています。
  中国版ツイッター「ウェイボー」には「大江さんは私が最も好きな日本の作家だった」とか「『ヒロシマ・ノート』を読んだときのことをまだ覚えている」などと大江さんの死を悼むコメントが相次いで書き込まれています。


2023.03.07-Yahoo!Japanニュース(女性自身)-https://news.yahoo.co.jp/articles/b7d435ae722203616c09e810b38a5d9b17db6e33
三浦瑠麗 夫逮捕で“セレブ生活”崩壊の危機…1人娘に相次ぐ同情「本当に気の毒」

  3月7日、投資トラブルが浮上していた夫が業務上横領の疑いで東京地検特捜部に逮捕された国際政治学者の三浦瑠麗(42)

  夫のA容疑者(43)は2019年10月に、自身が代表を務める投資会社「トライベイキャピタル」の債務弁済などの目的で、自身が関係する別会社から3回にわたって4億2000万円を送金させた疑いが持たれている。
  しかし、A容疑者は弁護人を通じて、「業務上横領に当たるような罪を犯したことは決してありません。今後とも無罪を主張する」と否認したという。
  今年1月、詐欺容疑で告訴された夫が家宅捜査を受けたとの報道を受けて、《まったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ない》《夫を支えながら推移を見守りたい》とコメントを発表した瑠麗。
  だが、スキャンダルの影響は彼女にも及び、『めざまし8』(フジテレビ系)や『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)など相次いでテレビ出演を見合わせることとなった。 夫を支える姿勢を示した瑠麗は、東大在学中の4年生の時に当時外務省員だったA容疑者と学生結婚。
  2020年10月放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演した際、結婚理由について「神奈川の端から東京に通ってたので、通学に往復4時間かかっていてしんどかったんですね。あの当時は同棲したら結婚って感じだったんですよ」と明かしていた。
  同棲をきっかけに結婚したという瑠麗には現在小学生の娘がおり、2021年には「ベストマザー賞」にも選出。母親として様々なメディアで「子育て論」を説くなど、育児にはこだわりを持っているという。
  「瑠麗さんは“時間を自分のために使ってほしい”との思いから、娘さんに中学受験はさせず公立へ進学させる方針を家族で決めたそうです。これまで娘さん本人が希望した習い事はなんでもさせてあげてきたといい、現在もピアノやスイミングなど複数の習い事に通っていると聞きました。受験勉強に捉われることなく、豊富な経験をさせてあげたいようです」(三浦の知人)
  しかし、夫が逮捕されたとなると、これまでの“セレブ生活”が一変する可能性も出てきそうだ。
  「SNSでセレブな暮らしぶりをアピールしてきた瑠麗さんは、運転手付きの高級車で移動するなど実際に優雅な生活を送っています。しかし、ご主人が逮捕された今、テレビ番組への復帰は望めないでしょうし、収入減少も予想されます。
  平日の家事や子供の世話はほぼお手伝いさんに任せているそうですが、娘さんを自由に習い事に通わせてあげることも難しくなるかもしれません。ましてや10代の娘さんからすると、父親の逮捕は大変なショックでしょう」(週刊誌記者)
  家庭環境の変化も予想されるなか、騒動の渦中にある三浦夫妻の子供を慮る声が上がっている。
  《三浦瑠麗さんより、彼女の娘が気の毒》 《三浦瑠麗の旦那捕まったんだ。娘さんが本当に気の毒、、、学校行けないよね、、、》 《あの、三浦瑠麗氏がキラキラアカウント画像にしょっちゅう使ってた、娘さんのことがずっと気になっていた あの娘はどうしていたのか、これからどんな人生送るのか…子供に罪はないからね》


2023.02.22-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230222-2XAXIAE7FBKKDJT3NL6FPVRFJM/
落語家の笑福亭笑瓶さん死去 「噂の!東京マガジン」「コンタック」CM

  黄色い縁の眼鏡がトレードマークの落語家で、テレビのバラエティー番組でも活躍した笑福亭笑瓶(しょうへい、本名・渡士洋=とし・ひろし)さんが22日午前、急性大動脈解離のため死去した。66歳

  昭和31年、大阪府生まれ。大阪芸術大学卒業後、落語家の笑福亭鶴瓶さんに師事し、バラエティー番組「突然ガバチョ!」などに出演して人気を博した。
  東京に拠点を移すと、TBSテレビ系「噂の!東京マガジン」(現在はBS-TBSで放送)などに出演。医薬品「コンタック」のコマーシャルのキャラクターの声でも親しまれた。NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」にも出演した。
  平成27年12月、ゴルフのプレー中に急性大動脈解離で救急搬送され、約2週間入院した


2023.02.20-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230220/k10013985711000.html
漫画家 松本零士さん死去 85歳 「宇宙戦艦ヤマト」などの作品

  「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが、今月13日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました85歳でした。
  松本零士さん福岡県出身で、15歳のときに雑誌に投稿した漫画が掲載されてデビューし、その後、上京して本格的に漫画家の活動を始めました。

  1971年に雑誌に連載した「男おいどん」が人気を博すと、1974年にテレビアニメとして放送された「宇宙戦艦ヤマト」の制作に関わり、映画化もされるなど若者を中心に爆発的な人気を集めました。
  また、少年が列車に乗って宇宙を旅する「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」などはテレビアニメとしても放送され、松本アニメのブームを巻き起こしました。
  宇宙を舞台にしたロマンあふれる冒険活劇を独特の幻想的な絵柄で描く一方で、豊富な科学知識と取材にもとづいた宇宙船などの緻密な描写でも知られ、コックピットに整然と並ぶ計器類は「零士メーター」と呼ばれるなどその後のSF作品に大きな影響を与えました。
  また、陸軍のパイロットだった父親の戦争体験などをもとに「戦場漫画」と呼ばれるシリーズも半世紀にわたって書き続け、命の尊さを漫画を通じて訴えました
  こうした功績で2001年に紫綬褒章を受章したほか、2010年には旭日小綬章を受章しています。また、海外でも高く評価され、2012年にはフランス芸術文化勲章を受章しています。

  松本さんは2019年11月に、イタリアを訪れていた際に体調を崩して病院に搬送され一時、集中治療室で治療を受けましたが、その後回復して日本に帰国していました。松本さんは今月13日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。85歳でした。
零時社「『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と信じる」
  松本零士さんの漫画制作スタジオ、零時社はTwitterで「漫画家松本零士が星の海に旅立ちました 漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います 『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました 私たちもその言葉を信じその日を楽しみにしています」などとするコメントを発表しました。


2023.02.17-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/ebf870d999a29e31abc539686d6f638b18b90dfb
B・ウィリスさん診断の「前頭側頭型認知症」、日常生活に大きな影響-(認知症)

  米俳優のブルース・ウィリスさん(67)が診断された「前頭側頭型認知症」は、認知症の中でも治療が困難で、日常生活に大きな影響を及ぼす疾患だ。

  厚生労働省によると前頭側頭型認知症は、平成27年に難病指定された疾患「前頭側頭葉変性症」に含まれる。国内では同変性症の患者が約1万2千人いるとの推計があり、主に40~64歳の若年期に発症するとされる。
  前頭側頭型認知症を発症した患者には、人の要求や感情に対する反応の欠如などが見られるという。このほか同認知症の影響で、社会的に不適切な行動をしてしまうこともあるという。
   過去には窃盗事件の執行猶予期間中に再び万引したとして窃盗罪に問われた被告が、前頭側頭型認知症だったとして異例の執行猶予付き判決を受けた例もある。


2023.2.15-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230214/k10013980631000.html
トヨタ 豊田章一郎名誉会長が死去 世界有数の自動車メーカーに

  トヨタ自動車を世界有数の自動車メーカーに成長させた名誉会長の豊田章一郎氏が14日夕方、心不全のため亡くなりました。97歳でした。

  豊田章一郎氏は、トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏の長男で、昭和27年に会社に入り、昭和56年に当時の「トヨタ自動車販売」の社長に就任しました。
  翌年には、戦後、経営危機により分離されていた製造部門と販売部門のいわゆる「工販合併」を実現しました。
  その後は、合併により誕生した「トヨタ自動車」の社長として、トヨタ単独では初めてとなるアメリカのケンタッキー州に工場建設を決めたほか、カナダやイギリスなどでも現地生産を進め、世界有数の自動車メーカーへと発展させました。
  平成4年にトヨタの会長に就任して以降は財界活動にも力を注ぎ、平成6年から4年間、経団連の会長を務めました。また、平成17年に愛知県で開かれた「愛・地球博」の運営にあたる博覧会協会の会長を務めました。
  平成11年にはトヨタの名誉会長に就任し、経営の一線から退きましたが、平成21年にトヨタの社長に就任した長男の章男氏を支えました。そして、平成19年の秋の叙勲では桐花大綬章を受章しました。
  また、人材育成や教育にも力を入れ、トヨタやJR東海など企業が設立にかかわった全寮制の中高一貫校「海陽学園」では、初代の理事長を務めました。
  豊田章一郎氏は14日夕方、心不全のため亡くなりました。97歳でした。トヨタ自動車では後日、お別れの会を開く予定だということです。
トヨタのグローバル化に尽力
  豊田章一郎氏がトヨタ自動車を率いた時代は、日米の貿易摩擦が激しさを増していた時期でした。
  1970年代以降、日本からアメリカへの自動車の輸出が急増。「ジャパン・バッシング」と呼ばれる日本への厳しい批判が巻き起こり、日本車などをたたき壊すパフォーマンスも行われました。
  こうした中、社長時代の1984年(昭和59年)には、雇用の拡大で沈静化を図ろうと、アメリカ・カリフォルニア州にGM=ゼネラルモーターズと合弁工場を設立しました。この工場では北米向けに小型車やピックアップトラックを生産し、アメリカ各地に生産拠点を持つトヨタにとって、アメリカ進出の足がかりとなりました。
  さらにアメリカのケンタッキー州にトヨタ単独では初めてとなる工場建設を決めたほか、カナダやイギリスでの現地生産も進めました。
  豊田氏が推し進めたグローバル化は、トヨタを世界有数の自動車メーカーへと発展させただけでなく、日本の自動車産業にとっても日米の貿易摩擦の緩和につながる結果になりました。
豊田章一郎氏の語録
  豊田章一郎氏は、トヨタ自動車の社長として会社を世界有数の自動車メーカーに発展させました。
  豊田氏が会社を率いていた当時は、激しさを増す日米貿易摩擦への対応もあって、日本の自動車メーカーは海外進出を加速させていました。
  円高による国内産業の空洞化が懸念されていた1986年のNHKのインタビューで、豊田氏は、「ものづくりには日々の改善や研究の積み重ねが必要で、主力を海外だけに向けると、日本国内の技術が遅れることになる。そうならないよう『二兎を追っても二兎を取る』という考えでやっていきたい」と述べ、日本のものづくりの国際競争力を維持するためには、海外だけでなく国内に拠点を残すべきだと話していました。
  また、日本の自動車メーカーが燃費の向上で競争力を高め、販売を拡大していることについて豊田氏は、「客に満足してもらうのは当然だが、長期的に見てエネルギーを使わない、燃料消費の少ない安全で経済的な車を目指す技術開発がこれからの日本の自動車産業に重要だ」と述べ、そのころから環境に配慮したクルマの開発の重要性を強調していました。
トヨタ自動車 張元社長「大きな道しるべをもらった」
  トヨタ自動車の張富士夫元社長が14日夜、自宅前でNHKの取材に応じました。張元社長は豊田氏が進出を決めたアメリカの工場のトップを務めるなどトヨタのグローバル化を担いました。
  取材に対して張元社長は、「ずっと努力を積み重ねていろいろなことをやってこられた大きな方だ。私は仕事でもご指導をいただいた。ここまでずっとついてきた大先輩、おやじだ。おやじは大きな人生を全うしたと思うし、どうやって生きるか大きな道しるべをもらったような気がする」と述べました。
  そのうえで、「困ったらいろいろ相談した。さみしさがあるが、いま聞きたいのは僕はちゃんとやったでしょうか、ということ。指導を受けながらずっとやってきたので、よかったですかねと聞きたい」と述べました。
岸田首相「日本の自動車産業をリード」
  岸田総理大臣は、総理大臣官邸で記者団に対し「豊田章一郎氏は、トヨタを世界一の自動車メーカーに育て上げ、日本の自動車産業をリードされた。あわせて経団連会長として日本経済をけん引するなど、大きな努力をされた。心からご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。
スズキ 鈴木修相談役「大変ショック」
  豊田章一郎氏と同じ時期に経営トップを務めたスズキの鈴木修相談役は、14日夜、NHKの取材に対し、「知らせを聞いた時は、大変ショックだった」と心境を明かしました。また、章一郎氏に対して最後に伝えたかったことをたずねると、「感謝、感謝、感謝です」と話していました。
大村知事「痛恨の極み」
  豊田章一郎氏が亡くなったことを受けて、愛知県の大村知事は記者会見し、「愛知県の名誉県民である豊田章一郎さまの訃報に接し、誠に痛恨の極みです」と述べました。そのうえで、「戦後一貫してトヨタ自動車、トヨタグループの総帥としてご活躍し、世界一の自動車メーカーに育てられた。日本経済界のために経団連会長もおつとめになり、地域のために愛知万博の会長としても成功に導いていただいた。また、私の初当選から一貫して政治活動などでご指導ご鞭撻いただき、思いがつきない。謹んで哀悼の意を表すとともに心よりご冥福をお祈り申し上げます」と述べました。
キヤノン 御手洗冨士夫会長兼社長「経済界の大先輩として尊敬」
  トヨタ自動車の名誉会長、豊田章一郎氏が亡くなったことについて、経団連の元会長で、大手精密機器メーカー、「キヤノン」の御手洗冨士夫会長兼社長は、「経団連会長にご就任後は、『大胆な構想と着実な実行』を掲げられ、『税制改革』『規制改革』『人材育成』などにご尽力されるとともに、日本型経営の在り方の基礎を固められました。日本の経済界にとってかけがえのない方であり、また、経済界の大先輩として尊敬する方の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます」というコメントを出しました。
愛知県豊田市では
  トヨタ自動車が本社を置く愛知県豊田市では、豊田章一郎氏の功績を評価する声が聞かれました。豊田市に住む50代の男性は「ニュースを見て驚きました。私もトヨタの系列会社で働いていて、恩恵を受けているので感謝しています」と話していました。同じく豊田市に住む30代の男性は「ネットでニュースを見ました。トヨタの歴史を作った人だと思います。トヨタの社長も代わるということで1つの時代の区切りになるのかなと思います」と話していました。また名古屋市に住む70代の男性は「トヨタの協力会社で働いていましたが、世界的な恐慌など課題が多かった中で、数ある選択肢から良い選択をしていただき、われわれも助けていただきました」と話していました。
海外メディアの反応は
  AP通信は「トヨタの創業者の息子として世界市場への進出を指揮した豊田章一郎氏が死去した」と伝えています。この中ではトヨタ自動車の社長に就任した豊田氏が会社を世界的な自動車メーカーに変革して、特に重要なアメリカ市場で会社のブランドが品質や耐久性などの代名詞となるよう指揮をとったと紹介しています。
  また、トヨタのような有力な輸出企業がアメリカの労働者層の雇用を奪っているとの非難を受けた“ジャパン・バッシング”の時代を経験したものの、アメリカの自動車産業の一員となることを選び、アメリカに雇用を生み出す価値ある存在であることを証明したと報じています。
  このほかロイター通信も、アメリカでの生産に進出したことに加えて、製造の品質管理において新たな方法を開拓したことで世界的に知られているなどと豊田氏の業績を伝えています。



2022.12.29-Yahoo!Japanニュース(JIJI COM-AFT・BB News)-https://news.yahoo.co.jp/articles/77a163ee9b3931918453d9a24647a4c6363fc7f4
森保監督が続投「最高に幸せな仕事」 サッカー日本代表

  【AFP=時事】日本サッカー協会(JFA)は28日、W杯カタール大会(2022 World Cup)で日本代表をベスト16に導いた森保一Hajime Moriyasu)監督(54)の続投を発表した。

  森保監督が率いる日本は、またしても史上初のW杯ベスト8という結果こそ残せなかったが、グループステージで強豪のドイツとスペインから大金星を挙げた。  
  森保監督は続投を決めた理由について「本当に最高に幸せな仕事。日本人である喜びと誇りを持って世界に挑めるという素晴らしい職業だということで決めさせていただきました」とコメントした。  
  W杯で指揮した日本代表監督が大会後も続投するのは森保監督が初めて。  
  今回が7大会連続のW杯出場となった日本は、これで4度目のベスト16敗退となったが、JFAの田嶋幸三Kozo Tashima)会長は、森保監督について「国際的に日本のサッカーの地位を高めてくれた」と称賛し、契約期間は「次期W杯まで」と明かした。【翻訳編集】 AFPBB News


2022.11.14-JIJI com.-https://www.jiji.com/jc/article?k=2022111400571&g=soc
喜劇俳優の白木みのるさん死去 「てなもんや三度笠」に出演

  テレビ番組「てなもんや三度笠」で知られる喜劇俳優の白木みのる(しらき・みのる、本名柏木彰=かしわぎ・あきら)さんが亡くなっていたことが14日、関係者への取材で分かった。1934年生まれ、島根県出身

  コメディー番組「スチャラカ社員」で注目され、62年から「てなもんや三度笠」に出演。藤田まことさんが演じた主人公あんかけの時次郎と旅をする珍念役で人気を集めた。2003年にはNHK連続テレビ小説「てるてる家族」、14年に映画「テルマエ・ロマエII」に出演した。


2022.10.21-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20221021-7DVQAMNUVJL7VD6M4FHZ2AWQYI/
三田佳子さん次男また逮捕 覚醒剤所持容疑で5回目 警視庁

  警視庁野方署は、覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで、女優の三田佳子さん(81)の次男で元俳優のA容疑者(42)を逮捕した。A容疑者が覚醒剤をめぐる事件で逮捕されたのは今回で5回目。調べに対し、大筋で容疑を認めており、野方署は使用の有無などについても調べている。

  逮捕容疑は9月下旬、東京都港区の自宅で覚醒剤約0・01グラムを所持していたとしている。9月下旬にA容疑者の知人から野方署に相談があり、捜査を進めていたという。
  A容疑者は平成20年に覚醒剤を使用、所持した罪で懲役1年6月の実刑判決を受けた。30年にも懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡されている。


2022.10.20-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221020/k10013864921000.html
仲本工事さん死去 事故現場にファンなどが花 ネットにも悼む声

  交通事故で入院していた「ザ・ドリフターズ」のメンバー、仲本工事さんが19日夜、亡くなったことを受けて、事故の現場では花を手向けて手を合わせる人の姿が見られました。

  仲本さんは18日、横浜市西区浅間町の交差点で道路を歩いて横断中にワゴン車にはねられ、頭を強く打って入院していましたが、所属事務所によりますと、19日午後10時20分すぎに亡くなったということです。
  現場の交差点には、朝から、近所の人やファンだった人たちが訪れ、花を手向けたり、手を合わせたりしていました。
  40代の男性は「ドリフを見て育った世代で、まさかここで事故に遭われるとはと思いました。感謝の気持ちで花を供えました。ゆっくり休んでいただきたいと思います」と話していました。
  娘を連れて現場を訪れた50代の男性は「お笑いや娯楽が今より少ない時代にヒーローのような存在でした。まだまだ活躍してくれると思っていました。とても残念です」と話していました。
  近くに住む50代の男性は「よくドリフのコントを見ていたので残念です。仲本さんは体操が上手な印象でした。自分にも高齢の両親がいるので気をつけてもらいたいと思いました」と話していました。
  また、店のすぐ近くに住む80歳の男性は「仲本さんが近くでよく買い物をしていてお話しをしたこともありました。コロナでお仕事が大変だという話もされていました。年齢が近く、気さくな方だったのでびっくりしています。安らかにお眠りくださいとしか言えないです」と話していました。
  近くに住む70代の女性は「娘が子どものころテレビにかじりついて見ていました。元気もくれたし、何も考えずに無邪気に笑えた印象です。びっくりしましたし、残念です」と話していました。
仲本さん夫婦の飲食店周辺 手を合わせる人の姿
  仲本工事さん夫婦が営業する東京 目黒区の飲食店の周辺では、仲本さんの突然の訃報に手を合わせる人の姿が見られました。
  仲本さんは夫婦で、東京 目黒区で飲食店を営業していて、時間があるときは仲本さん自身が店で接客をしていたということです。
  仲本さんの死を知って、手を合わせに来たという58歳の男性は「ドリフ世代で小学校の頃にザ・ドリフターズを見て育ちました。お店にも行きたいと思っていましたが、コロナで行けないままだったのでショックです。仲本さんをお見かけして話しかけたことがありましたが、気さくで明るくて、店の前を通ったときに、お客さんに声をかけている姿を見たことを覚えています。今まで夢を与えていただいてありがとうと伝えたいです」と話していました。
SNSなどに死を悼む声 相次ぐ
  仲本工事さんが亡くなったことについて、SNSなどインターネット上には著名人から死を悼む声が相次いで寄せられています。
松本人志さん「お笑いの人の哀しい終わりはキツイ」
  「ダウンタウン」の松本人志さんは、ツイッターで「お笑いの人の哀しい終わりはキツイです。ご冥福をお祈りします」と投稿しています。
田村淳さん「優しく包み込んでくれる先輩」
  お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんは、「いつもTwitterで優しく声をかけて頂いてありがとうございました。優しく包み込んでくれる先輩がいてとても心強かったです。御冥福をお祈りします」などと投稿しました。
ダイアモンド☆ユカイさん「沢山の夢を有り難う」
  歌手のダイアモンド☆※ユカイさんは、「小学生の時はいつもドリフターズの真似をして憧れていました。子供心に工事さんの体操はカッコイイと思ってました。沢山の夢を有り難う。ご冥福をお祈りします」としています。
「☆」は、「△」「▽」を重ねた「六芒星」。
川崎麻世さん「優しい笑顔が忘れられない」
  タレントの川崎麻世さんは「また偉大な先輩が一人お亡くなりになった。舞台やドラマでもご一緒して、プライベートでも飲んで下さり、2014年の3月のバースデーにはご夫妻でお祝いに来てくださった。あの頃の仲本さんの優しい笑顔が忘れられない。ご冥福をお祈りします」などとしています。
小柳ルミ子さん「長さんに叱られるよ」
  歌手の小柳ルミ子さんは、本人の公式ブログで「ショックです一命を取り留めて…と祈っていたのに『お前まだ来るの早いよ!』って長さんに叱られるよ工ちゃんゆっくりおやすみ下さい心よりご冥福をお祈りいたします」などと追悼のコメントを掲載しています。
ももいろクローバーZ「突然のお別れになってしまい寂しい」
  インターネット番組で、仲本工事さんと毎月、共演していた人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」が公式サイトでコメントを発表しました。
  「ももいろクローバーZ」は、毎月1回、生配信しているインターネット番組で仲本さんをはじめとする「ザ・ドリフターズ」のメンバーと共にレギュラー出演しています。
  仲本さんが亡くなったことについて「ももいろクローバーZ」が公式サイトにコメントを掲載しました。
  コメントは次のとおりです。

「突然のお別れになってしまいとても寂しい気持ちでいっぱいです。仲本さんとは毎月番組でお会いしていて、いつも優しい笑顔と声で場を包み込んでくださいました。お仕事をご一緒できたこと、近くでたくさん学ばせていただけたこと本当に感謝しています。これからもその優しい笑顔で温かく見守っていてください。ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます」。

中山秀征さん「残念です、本当に残念でなりません」
  親交のあったタレントの中山秀征さんは「残念です、本当に残念でなりません。ご自宅におじゃまして一緒にお食事をさせていただいた事がとても懐かしいです。ドリフターズのメンバーがまた天国に行かれました。日本を代表するエンターテイナー、ミュージシャンとしても抜群でした。ありがとうございました。『はい、ポーズ』最後はビシッと決めて下さい。子供の頃から大好きでした。ご冥福をお祈り申し上げます」などのコメントを出しました。
仲本さん出演予定の舞台 製作実行委「寂しい気持ちでいっぱい」
  亡くなった仲本工事さんは、11月17日から東京都内で上演される「舞台『日本昔ばなし』」に出演する予定でした。
  舞台の関係者によりますと、仲本さんは「貧乏神と福の神」の貧乏神役を演じる予定だったということで、10月7日の制作発表会見では作品への意気込みを笑顔で語っていたということです。
  製作実行委員会は「ご逝去の知らせを受け、残されたキャスト・スタッフ一同、突然の悲しいお知らせに愕然といたすとともに、とても寂しい気持ちでいっぱいです。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」などとコメントを出しました。
  対応については今後、協議するとしています。
加藤茶さんと高木ブーさんのコメントは後日
  「ザ・ドリフターズ」の加藤茶さんと高木ブーさんについて所属事務所は、「2人はかなりショックを受けているため、コメントを出せる状況にありません」として、近くウェブサイトを通じて2人のコメントを発表したいとしています。
専門家「ドリフのチームワークの笑い支えた」
  近代演劇の研究家で、ザ・ドリフターズを分析した著書もある笹山敬輔さんは、仲本さんとザ・ドリフターズについて「ドリフは子ども向けの笑いだとよく言われるが、メンバーは『子ども向けにやっていたつもりはなかった』と話している。高度経済成長期の日本で、普遍的な笑いがあるという信念を持って、子どもからお年寄りまで年齢や階層、地域を超えて多くの人に笑いを提供してきたのがドリフだった。今でも当時のコントの総集編がテレビのゴールデンタイムで放送されるなど、地域や時代を超える、まれな存在だ」と指摘しました。
  そのうえで、仲本さんが果たした役割について「ドリフの音楽ギャグの譜面は仲本さんが書いていて、本人もドリフの音楽担当だと話していた。また、元体操選手で非常に運動神経がいいので、ドリフのコントの特徴となっている大きなリアクションという部分でもドリフの笑いを支えていた。加藤茶さんや志村けんさんにスポットライトが当たりがちだが、仲本さんの存在がドリフのチームワークの笑いを支えていたのではないか」と分析しました。
  笹山さんは4年前、仲本さんに直接、インタビューしたことがあるということで、当時のことについて、「印象的だったのは仲本さんが話していた『人生はやりたいことができなくなった時が出発点だと思う』ということばだ。仲本さん自身、音楽がやりたくてドリフに入ったが、活動がコント中心になってやりたいことができなくなった。それでも、その後、コントの中で自分の役割を見つけて存在感を発揮していた。仲本さんのこのことばは、お笑いや舞台をやる人だけでなく、みんなに当てはまることだと感じている」と話していました。
仲本さん最後の投稿「楽しかったなァ」
  仲本工事さんは今月14日、おととし亡くなった志村けんさんに関するイベントに出席し、その際の写真をツイッターに投稿していました。
  仲本さんは、高木ブーさんと「バカ殿様」姿の志村さんの人形と一緒に撮った写真とともに、「『志村けんの大爆笑展』にブーたんと行ってきました笑顔も二倍です。楽しかったなァ。志村も喜んでくれたかな」などと書き添えていました。
  これが、仲本さんの最後の投稿でした。


2022.10.14-NHK NEWS WEB(沖縄NEWS WEB)-https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20221014/5090020438.html
「遊戯王」作者 名護市沖で死亡 少女を救助中に溺れたか

  ことし7月、沖縄県名護市の沖合で遺体で見つかった少年向けの人気漫画「遊☆戯☆王」の作者、高橋和希さん(60)本名、一雅さんについて、第11管区海上保安本部は高橋さんが沖合に流された少女の救助に向かう途中、溺れたとみられることを明らかにしました。

  少年向けの人気漫画「遊☆戯☆王」の作者、高橋和希さん(60)本名、一雅さんはことし7月、沖縄県名護市安和の沖合で溺れて死亡しているのが見つかりました。
  第11管区海上保安本部によりますとこの2日前、高橋さんが恩納村の海岸で、沖合に流された10代の少女を救助するためアメリカ軍の男性などとともに海に入り、その後、姿が見えなくなったことが確認されていたということです。
  この海岸の近くの農道では、高橋さんが乗っていたレンタカーが見つかっています。
  海上保安本部は高橋さんが救助に向かっている途中に溺れたとみていましたが、救助された少女に配慮して発表を控えていたということです


2022.10.13-Yahoo!Japanニュース(読売新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/1f46820af9dda4f7b59d06e3da764617e3fbd194
鴎外、未完の草稿2枚…イタリア詩人・ロセッティに関し軍医学校の紙に800字つづる

  文豪、森鴎外(1862~1922年)の未発表の草稿2枚が確認された。東京大付属図書館が12日、発表した。講義のために書きかけたものか、構想中の評伝の一部などとみられる。

  草稿は陸軍軍医学校で使われたけい線入りの紙に約800字が墨書され、未完だった。鴎外の蔵書は死後、同館に鴎外文庫として寄贈されたが、文庫の記録から漏れ、一般図書として書庫にあったドイツ語雑誌に挟まっていた。数年前、資料整理中に見つかった。
  内容は19世紀半ばに渡英したイタリア詩人、ガブリエーレ・ロセッティに関するもの。鴎外は1897~98年、当時の東京美術学校で、ロセッティと画家の長男について講義していた。
  東大の出口智之准教授(日本近代文学)は「鴎外が美術史においても、作品や技法より人に着目していたことがわかる。後の史伝作品につながる資料だ」と話している。草稿は11月28日まで東京・本郷の東大総合図書館で展示される。


2022.09.30-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220930/k10013843931000.html
落語家の三遊亭円楽さん死去 演芸番組などで長年活躍 72歳

  テレビの演芸番組などで長年活躍した人気落語家の三遊亭円楽さんが30日、肺がんのため亡くなりました。72歳でした。
  三遊亭円楽さんは、1950年に東京で生まれ、青山学院大学在学中に五代目三遊亭円楽さんのもとに入門し、「楽太郎」を名乗って落語家の道に進みました。

  早くから話芸が高く評価され、27歳の時に民放の演芸番組「笑点」のメンバーに抜てきされると、毒舌のキャラクターで親しまれ、中でも桂歌丸さんとの掛け合いは長年にわたり番組の名物となりました。
  テレビでの活動とともに、精力的に独演会を重ね、古典落語を独自にアレンジした演目などで人気を集めて31歳で真打に昇進しました。
  その後、先代の引退を受けて、還暦を迎えた2010年に、六代目「三遊亭円楽」を襲名しました。
  2018年には、初期の肺がんであることを公表し、その翌年には脳に腫瘍が見つかるなど、治療を続けながら入院と高座への復帰を繰り返していました。
  所属事務所によりますと、円楽さんは30日、肺がんのため亡くなったということです。
伊集院光さん「師匠に拾っていただき人間にしてもらった」
  38年前、円楽さんに弟子入りし、その後も交流を続けてきたタレントの伊集院光さんは「17歳の時に学校にも行かず、ふらふらしていた時分に、師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。その後、古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの『お前が俺を尊敬してるうちは弟子を名乗ったらいいさ』と温かい言葉をいただき、師弟関係を続けさせていただきました。
  この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、まだ頭の中が整理できず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話をしてから、いろいろ話させてください」などと、所属事務所を通じてコメントを発表しました。


2022.09.03-Yahoo!Japanニュース(日刊スポーツ)-https://news.yahoo.co.jp/articles/8340f2525991ee5a5b99ca4769f0177f60a2077a
古谷一行さん死去78歳「予期せぬ出来事に」 金田一耕助、「混浴露天風呂連続殺人」シリーズ出演

  テレビドラマ「横溝正史シリーズ」の金田一耕助役などで知られる俳優古谷一行(ふるや・いっこう=本名かずゆき)さんが、8月23日に亡くなっていた。2日、所属事務所が発表した。78歳だった。11年に早期の肺がんと診断14年には脳への転移が見つかったが、放射線治療で乗り越えていた近年もドラマ、舞台に出演しており、体力づくりに取り組む中での急逝となった。

  古谷さんの死去は所属事務所が公式サイトで発表し「弊社所属俳優古谷一行が2022年8月23日 火 永眠いたしました。ここに皆様からの生前のご厚誼に深謝し、心から哀悼の意を表しますとともに、謹んでご報告申し上げます」と伝えた。また「弊社の誇るべき俳優として、数多の作品に出演し、かけがえのない財産を残してくれましたこと、心より感謝の気持ちを持ってお見送りさせていただく所存でございます」とつづった。
   所属事務所によると、最近の古谷さんは体力づくりを続けていたが「顔色が悪い」として23日昼に病院を受診したという。大事を取って入院したところ、その日の夜に容体が急変。家族が病院に駆けつける間もないほどの急逝で、死因も不明という。
   古谷さんは11年10月に早期の肺がんと診断を受けた。同11月に腫瘍の切除手術を行い、12年2月に仕事復帰。3年後には脳への転移が見つかったが、放射線治療で完治し、病を乗り越えていた。文書では古谷さんの近況にも触れ「病克服後、次なる挑戦に向けて、家族の見守りと共にトレーニングに通う日々を送っておりました矢先、この度の訃報となる予期せぬ出来事に見舞われてしまいました。余りにも突然な事に、ご遺族のご心痛は、計り知れないものでございます」とつづった。
   20年9月には急性胃潰瘍で緊急搬送されたこともあったが、最近は健康面での問題は見られなかったという。近年は舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」やNHK時代劇「立花登青春手控え」などに出演していた。

  葬儀は遺族の意向により家族葬で執り行った。後日お別れの会を開く予定だという。  

◆古谷一行(ふるや・いっこう)本名・古谷一行(かずゆき)
  1944年(昭19)1月2日、東京都生まれ。中大法学部卒。同大在学中に俳優座養成所に入り、研修生をへて67年に入団し同年の舞台「アンナ・カレーニナ」でデビュー。77年にTBS系でスタートした「横溝正史シリーズ」の名探偵・金田一耕助役で人気を集めた。
  82年からはテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の「混浴露天風呂連続殺人」シリーズで主役・左近太郎役を演じ、25年演じる当たり役となる。
  川島なお美さんの相手役を務めた、97年の日本テレビ系「失楽園」も話題となった。
  19年12月にフジテレビ系で放送された、NEWSの加藤シゲアキが金田一耕助を演じた「悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~」に磯川常次郎警部役で出演し、新旧金田一役俳優の共演も実現。長男はDragon Ashのボーカル降谷建志







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