2022.05.19-bloomberg-https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-05-19/RC3XUCT0AFB501
スリランカがデフォルト、債務再編完了まで支払い停止-インフレ悪化
スリランカが同国史上初めて、デフォルト(債務不履行)に陥った。
経済は急速に悪化、インフレ率は今後数カ月で40%に加速する見通しで、国内では抗議デモや政治危機が起きている。
ウィーラシンハ中銀総裁は19日、
債務再編完了までドル建て債務の支払いを行わない「事前調整型デフォルト」にスリランカが陥ると述べた。2023年と28年に満期を迎えるドル建て債の利払いは当初、4月18日が期限で7800万ドル(約100億円)相当。30日間の支払い猶予期間は今月18日に終了している。
同国は食料や燃料など広範な品目の不足を和らげるための輸入代金確保で困難を抱えている。自国通貨安と経済危機が背景だ。ウィーラシンハ総裁はコロンボで記者会見し、インフレ率が今後数カ月で40%に達する見通しで、変動の大きい品目を除いた基調的なインフレの動向を金融当局として監視していると語った。
2022.05.10-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220510/k10013618291000.html
経済危機のスリランカ 首相が辞任 市民が大統領辞任も求める
経済が危機的な状況に陥っているインド洋の島国スリランカで、政府に対する抗議デモが続く中、
マヒンダ・ラジャパクサ首相が辞任しました。抗議する市民は大統領の辞任も求めていて、混乱が一層、深まっています。
スリランカでは、コロナ禍で外国人観光客が激減するなどして外貨が不足し、エネルギーの供給が滞っているほか、物価の急激な上昇で経済が危機的な状況に陥っていて、政府に対する抗議デモが激しくなっています。
こうした中、
政府は治安を回復するためだとして令状なしの逮捕や拘束を可能にする非常事態宣言を出すなどして事態の沈静化を進めていましたが、9日、マヒンダ・ラジャパクサ首相が責任をとる形で辞任しました。
しかし、首相が辞任したあとも
最大都市のコロンボなどでは、市民による抗議活動が続いていて、地元メディアは政府の支持者とデモ隊が衝突するなどし、これまでに
100人以上がけがをし、死者も出ていると伝えています。
抗議する市民は、
一族の支配による政治で財政赤字が続き経済危機を招いたとして、首相の弟のゴタバヤ・ラジャパクサ大統領の辞任も求めていて、混乱が一層、深まっています。
2022.04;06-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220406-PG4HHT7LPBN55BG2D2FNC2MJCA/
親中スリランカ、経済危機深刻化 対中債務が財政圧迫
【シンガポール=森浩】
インド洋の島国スリランカが経済危機に陥り、国内の混乱が拡大している。物資不足や物価高に不満をためた市民が大統領官邸を襲撃する事件が発生した。
対中債務が財政を圧迫する中、
経済危機に対して中国とインドが支援を表明。
シーレーン(海上交通路)の要衝スリランカをめぐる駆け引きが激しさを増している。
スリランカでは新型コロナウイルス禍で主要産業である観光業が大打撃を受けたことなどで、輸入代金の決済や対外債務支払いに使う外貨準備が減少した。ロイター通信によると、1月末時点の外貨準備高は約23億ドル(約2850億円)で、2年で7割減という異常事態に陥っている。
国内では特に燃料不足が深刻で、発電所の稼働が停滞し、3月31日には1日13時間の計画停電が行われた。ガソリンスタンド前の長蛇の列も常態化。3月上旬に最大都市コロンボで列に並んでいたプラディプさん(51)は「こんなことは内戦期(1983~2009年)にもなかった。停電で冷房もかけられず、高齢者が続々と体調を崩している」と憤った。
国内ではゴタバヤ・ラジャパクサ大統領の政権運営に不満を抱く市民によるデモが相次ぐ。3月31日に暴徒化した市民が大統領官邸を襲撃した。事態の収束を図るため、ゴタバヤ氏と実兄のマヒンダ・ラジャパクサ首相を除く全閣僚が辞任。今月5日にはアリ・サブリ新財務相が就任からわずか1日で辞意を表明するなど、政界の混乱も拡大している。
苦境のスリランカに追い打ちを掛けるのが、財政を圧迫する対中債務だ。全対外債務に占める割合は1割程度だが、政府発表に計上されない「隠れた債務」が問題視されている。
スリランカは近年、ラジャパクサ一族の主導で中国の融資を積極的に受け入れ、高速道路などのインフラ整備を続けた。一方で、債務や金利の返済が拡大し、2017年には南部ハンバントタ港の運営権を中国側に99年間貸与する事態に陥った。それでもスリランカは中国傾斜をやめず、コロンボでは中国資本による大規模開発事業「コロンボ・ポートシティ」の建設が進む。債務膨張は確実な状況だ。
ゴタバヤ氏は今年1月に中国の王毅(おう・き)国務委員兼外相と会談し、対中債務の支払いの条件緩和を求めた。経済危機に対し、中国は緊急融資や食料支援を決めたと報じられたが、債務の扱いは不明だ。
一方、近隣のインドも食料や医薬品の支援を決め、中国に対抗する構えを見せる。近年、中国接近が続いていたスリランカへの影響力拡大を狙っている。
スリランカの野党国会議員、ビジタ・ヘラス氏は産経新聞の取材に「ラジャパクサ一族は『戦略的に重要だ』と称して、中身を検討しないまま中国の事業を次々と推進してきた」と指摘。「経済危機に直面する中、政権は中国との密接な関係を見直すべきときだ」と語気を強めた。
2022.04.02-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220402-RXDTN7Y43RPF3GQJSUPU7KTFOA/
親中スリランカで非常事態宣言 経済危機
【シンガポール=森浩】
インド洋のスリランカは1日、経済危機に反発する市民の抗議活動が拡大していることを受け、
全土に非常事態を宣言した。
対中債務返済に苦しむスリランカは外貨が急激に減少し、物資不足が深刻化。市民の不満が拡大している。
ラジャパクサ大統領は宣言について「公共の秩序を守り、必要な物資やサービスを維持するために必要」と主張した。
スリランカ経済は新型コロナウイルス流行による観光業の打撃や無計画な減税などにより、急速に悪化している。輸入代金の決済や対外債務支払いに使う
外貨準備高は1月末時点で約23億ドル(約2800億円)で2年間で7割落ち込んだ。
国内では発電用の燃料が足らず、3月31日には13時間の計画停電を実施した。医療品不足も拡大している。同日には最大都市コロンボで不満を抱いた市民が大統領官邸を襲撃し、約50人が逮捕された。
スリランカ政府は国際通貨基金(IMF)の支援要請に向けた調整を進めているが、事態の好転につながるかは不明だ。
2022.01.12-REUTERS-https://jp.reuters.com/article/breakingviews-sri-lanka-idJPKBN2JM0AU
コラム:スリランカの対中債務問題、ウォール街にも波及へ
(
コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。)
[ムンバイ 11日 ロイター BREAKINGVIEWS] -
スリランカは中国の「債務のわな外交」の見本例だ。従って、
金融危機が深刻化するスリランカが中国に債務緩和を求めたのは理にかなっている。
ラジャパクサ大統領の選択肢としては他に、インドなどの諸外国にばらばらに資金援助を求める、もしくは
緊縮策を強いられることを覚悟で国際通貨基金(IMF)による救済を再び仰ぐ可能性があり得る。しかし
スリランカの資金難をより上手に解決できるのは、同国として初めて対外デフォルト(債務不履行)を起こす道かもしれない。
西側諸国は、中国をスリランカの債務問題における一番の悪役と見なしている。これは2017年以来のことだ。当時、戦略的に重要なスリランカのハンバントタ港は、物議を醸したデット・エクイティ・スワップ(債務と株式の交換)に基づく99年間のリースにより、中国国有企業の手に渡った。
急スピードでスリランカの債権国になった中国だが、財務省の公式データによると、スリランカの対外債務に占める割合は10%と、日本並みにとどまっている。
ただ、より大きな問題は米ウォール街やその他の機関投資家に対する債務だ。昨年4月時点で、スリランカの対外債務350億ドル(約4兆0250億円)のうち47%を市場での借り入れが占めている。今年返済期限を迎える45億ドルの半分以上はドル建て債券に絡んでいる。
しかしパンデミックによりスリランカの観光産業は閉ざされ、観光客数が近い将来に完全回復することは見込み難い。2030年3月償還の国債(表面利率7.55%)は現在、元本1ドルに対して0.5ドルで取引されている。
実際のところ、当局者らは負け戦を戦っている。外貨準備は中国が通貨スワップによって急きょ支えた結果、昨年12月時点で31億ドルに増えた。しかし1月18日には5億ドル、7月には10億ドルのドル建て債が返済期限を迎える。2025年までに返済義務のある債務も積み上がっている。
一方、資金難と、それによる生活必需品の出荷遅延により、スリランカ国民は2桁台のインフレに加え、エネルギーから食品に至るあらゆる物資不足に見舞われている。このことは政府の深刻な歳入不足に輪を掛けている。
危機がここまで来た今となっては、突如として政府支出を削るよりはソブリン債でデフォルトを起こす方が傷は浅いかもしれない。その場合、有力債権者は痛みを分かち合う代わりに、スリランカを国際資本市場から締め出すことになる。これはスリランカにとって、中国依存の拡大と同じぐらい心配な対外債務の増大を断ち切る機会になるだろう。
●背景となるニュース
*スリランカのラジャパクサ大統領は、コロンボを訪問した中国の王毅国務委員兼外相に対し、深刻化する金融危機を乗り切るために債務再編に応じるよう求めた。大統領府が9日に発表した。大統領は、「新型コロナウイルスのパンデミックに起因する経済危機の解決」のために中国が債務再編に応じれば、「大きな助けになる」と述べた。
*大統領は中国に対し、スリランカ向け輸出の条件緩和や、中国人観光客によるスリランカ旅行の許可も求めた。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにロイターのコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、
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2021.11.25-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211125/k10013360711000.html
スリランカの港 一転して中国企業が開発 各国の警戒高まるか
スリランカ政府は
日本やインドと協力して開発を進めるとしていたコロンボ港について、
一転して中国の企業が開発を進めることになったと明らかにしました。スリランカでは海洋進出の動きを強める中国の存在感が増していて、各国の警戒が一層高まりそうです。
スリランカ政府は主要な港の1つ、コロンボ港の東コンテナターミナルの開発について入札の結果、中国の企業が行うことが決まり、工事などの発注を閣議決定で承認したと24日、発表しました。
コロンボ港をめぐってスリランカ政府はおととし5月、
日本やインドと協力して開発を進めるとする覚書に署名しましたが、ことし2月に合意内容を一方的に変更し事実上、破棄していました。
スリランカでは経済の混乱が続く中、中国の存在感が増していて、南部のハンバントタ港はローンの返済が滞ったことを理由に運営権が99年間にわたって中国側に譲渡され、いわゆる「債務のわな」の典型例とされています。
スリランカはアメリカや日本などが提唱する「自由で開かれたインド太平洋」と、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」が重なる地域にあり、海洋進出の動きを強める中国に対する各国の警戒が一層高まりそうです。
スリランカの国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スリランカ民主社会主義共和国(通称
スリランカ)は、
南アジアの
インド亜大陸の南東に
ポーク海峡を隔てて位置する
共和制国家。
首都は
スリジャヤワルダナプラコッテ。
1948年2月4日、
イギリスから
自治領(
英連邦王国)の
セイロンとして独立。
1972年にはスリランカ共和国に改称し、
英連邦内の
共和国となり、
1978年から現在の国名となった。人口は約2120万(2016年)である
[2]。
島国で、現在もこの国が占める主たる島を
セイロン島
と呼ぶ。国名をスリランカに改称した
シリマヴォ・バンダラナイケは世界初の
女性首相である。また、国民の7割が
仏教徒(
上座部仏教)である。
スリランカ同時爆発事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-2019.4.23
スリランカ同時爆発事件(スリランカどうじばくはつじけん)は、2019年4月21日にスリランカの最大都市コロンボをはじめとした国内の8か所で、同時多発的に
発生した爆発事件の総称である。コロンボを含む、国内の複数の都市にあるキリスト教教会や高級ホテルが標的とされた。少なくとも36カ国の外国人と3人
の警察官を含む290人が死亡し、500人以上が負傷した
[1]。
犠牲者国籍別犠牲者数2019年4月22日現在、290人の死亡者と重症を含む少なくとも500人の負傷者が確認されている。最も多く犠牲となったのはスリランカ人
であり、その他少なくとも36人の外国人の死亡が確認された。 現在確認されている外国人の死者は、
イギリス人が8名、
インド人が6名、
デンマーク人が3名、
中国人、
オーストラリア人、
トルコ人がそれぞれ2名ずつ、
ポルトガル人、
オランダ人、
バングラデシュ人、
日本人がそれぞれ1名ずつである。
米国務省は、
数人の
アメリカ人が死亡したとしているが、具体的な人数は公表していない。また、
パキスタン、
ポーランド、
モロッコ国籍の死亡者もいるとみられている。
犯人
スリランカ政府報道官は、国内のイスラム過激派「
ナショナル・タウヒード・ジャマア(NTJ)」の犯行との見方を示した
[4]。22日までにスリランカ国籍の24人が逮捕
された
[5]。
日本経済新聞
スリランカ爆破テロ、ISが犯行声明
南西ア・オセアニア2019/4/23 20:44
【ニューデリー=黒沼勇史】スリランカの最大都市コロンボなどで起きた連続爆破テロ事件で、
中東の過激派組織「イスラム国」(IS)が23日、系列メディアを通じて 犯行を認める声明を出した。ツイッター上に流した声明文には「各国市民を標的にしたのはISの戦士だ」と明記した。
今回のテロ事件を巡っては、3都市でほぼ同時刻に自爆テロが起きた手口から、ISの関与が疑われていた。スリランカ政府も22日、自国のイスラム過激派組織
「ナショナル・タウヒード・ジャマア(NTJ)」が関与したとの見方を示す一方、国際的なテロ組織の支援なしには実行できなかったとも指摘していた。
スリランカ政府は米連邦捜査局(FBI)などに捜査協力を求めている。スリランカ警察は23日、高級ホテルやキリスト教会など8カ所で起きた一連の
テロ事件で、これまでに外国人を含む死者が321人、負傷者が約500人に上ったと公表した。日本人1人も犠牲になっている。
タミル・イーラム解放のトラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タミル・イーラム解放のトラとは、かつて
スリランカで
武装闘争を行っていた
タミル人の
テロ組織である。
タミル・タイガーとも表記される。「イーラム」はスリランカ
を意味するタミル語で、
トラは獅子(シンハ)つまり
ライオンの子孫を意味する
シンハラ族に対抗するものであり、かつて
南インドに強勢を誇ったタミル族の
王朝・
チョーラ朝の紋章でもあった。
概要
スリランカ北部と東部に
タミル人の独立国家
タミル・イーラムを建国し、スリランカからの分離独立の獲得を主張して設立された
[2]。
インド共産党毛沢東主義派
と連携している
[3]という説がある。
宗教的には
世俗主義で
マルクス・レーニン主義の影響を受けている
[4][5][6]。
リーダーは
ヴェルピライ・プラバカラン。兵力は約9,000名とされていたが、
2004年に
カルナ派分離により、
2006年時点で約4,000名と推定された
[7]。
世界タミル協会、世界タミル運動、在カナダ・タミル人協会連盟等の国際組織から合法的に開設された
銀行口座を通して資金援助を受け、外貨獲得の
ために相手を問わない武器輸出を行っていた
独立国家共同体(CIS)諸国や2006年から07年にかけて
北朝鮮からも対戦車砲などの武器を調達していた。
保有武器は小火器が主体だが、
戦車や、高速艇や潜水艇等の船舶、
COIN機を中心とした小型
航空機も有していた。
スリランカ北部と東部の沿岸州で軍事行動を展開していたが、
ノルウェーを仲介して成立した停戦が破棄された後、政府軍の攻撃で組織的な軍事行動の
範囲を狭め、
2008年11月には約20年ぶりに政府軍が北部の西海岸を奪還、事実上の首都として機能してきた
キリノッチも陥落した。
そして
2009年5月17日にLTTEは敗北宣言をし、スリランカ政府とLTTEの四半世紀以上に亘る内戦は事実上終わりを告げた。19日にはプラバカラン議長の
遺体が発見された
[8]。24日にはLTTEの国際関係部門のトップが声明を出し、議長の死亡を公式に認めた。声明では「我々は暴力に頼ることを諦め、
民主的なプロセスを経てタミル人の民族自決権獲得を目指すことで合意した」としている
[9]。
設立の背景
スリランカは多民族国家であり、人口の約74%が
シンハラ人、約13%は古くから住んでいる「スリランカ・タミル人」、約5%が
イギリス植民地時代に
プランテーションへの
労働力として移住させられてきた「インド・タミル人」である
[10]。植民地時代、シンハラ人(主に
仏教徒)はイギリスの支配に対立・抵抗
を続けたのに対し、比較的従順だった
タミル人(主に
ヒンドゥー教徒)が
イギリス政府に重用されていた
[11]。
1947年の議会選挙では1人1票制が採用され、シンハラ人がセイロン(当時)政府で多数派を得た。1944年に設立されていた
全セイロン・タミル会議(ACTC)
は
レバノン型の権力分割(50:50)を主張していたが、高地ではシンハラ人よりもインド・タミル人が多数派であり、独立直後の政府にとって脅威であった
ため、受け入れられることはなかった
[12]。その後インド・タミル人は
1948年制定の『セイロン市民権法』により
公民権を失い、
1949年の『国会選挙法』
により
選挙権を失った。
[13]さらに
1956年、
ソロモン・バンダラナイケ政権は「シンハラオンリー法」を採択し、タミル人への
差別が始まった
[11]。
セイロン政府は、悪化するスリランカ
経済に対する不満をそらすために、シンハラ政策を推し進め
[14]、1965年にはシンハラ人による反タミル人・キャンペーン、
民族浄化を提唱する
スリランカ人民解放戦線が創設された。1970年に就任した
シリマヴォ・バンダラナイケも、1978年に大統領に就任した
ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナもタミル人政策には着手しなかった
[11]。1972年制定のスリランカ共和国憲法でも、
1978年制定のスリランカ民主主義共和国憲法でも、『仏教に至高の地位を与える』という条項は残り、タミル人への差別は続いた。
「
スリランカ#国民」も参照
LTTEの設立
タミル人の穏健派は、
ACTC→
タミル統一戦線(TUF)→
タミル統一解放戦線(TULF)という変遷を経て、政治的手法を用いながら
インドの
タミル・ナードゥ州
及びスリランカのタミル人居住区から成る統一タミル人国家の創設を主張した
[12]。
一方、1970年になると、タミル人に著しく不利な「大学入学の標準化政策」の阻止を目的に、武装した若者による
過激派も形成されていく。1972年、タミル人の
言語と教育を守るためには武器をとるのが唯一の方法と考えた当時18歳のプラバカランは、
タミルの新しいトラ(
英語:
Tamil New Tiger, TNT)を設立、
1975年にジャフナ市長を暗殺する。
1975年5月5日、TNTを母体に
タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)が設立され、
ヴェルピライ・プラブハカランが議長及び軍司令官に指名された。その後、
1977年と
1981年に
シンハラ人によるタミル人への
暴動が起き、タミル人のLTTEを始めとする武装団体への支持が高まっていった
[13]。
闘争の経緯
1980年代に入ると、スリランカ政府は穏健タミル政党であるTULFを非合法化し、タミル人との対話を完全に断絶してしまう
[14]。一方、LTTEはゲリラの訓練を
インド南部で行い
[11]、訓練キャンプを各地に設立し、本格的な武装闘争を展開し始める。
1983年
7月23日、LTTEは
地雷を用いた初めての
ゲリラ攻撃を行い、政府軍兵士13人を殺害する。これをきっかけに7月25日、コロンボで大規模な
シンハラ人
によるタミル人への暴動(7月暴動、黒い7月)が起き、LTTEは分離独立運動を活発化していく
[12]。当初劣勢だった政府軍は、装備の充実に努め、
1987年までにはLTTEを北部の
ジャフナに追い詰めることができた。
しかし、ここで親タミル的な
インドが介入し、タミル人に物資を空中投下し、スリランカ政府に
停戦の圧力を加えた。当時のスリランカ大統領ジャヤワルダナは、
これに激怒し一時は
宣戦布告も考えたが、結局交渉に入った。交渉での合意に従い、タミル人には自治権が与えられ、武装解除の義務を負うことと
なった。停戦の監視には、
インド平和維持軍(英語版)(IPKF)が当たった。停戦後、
平和が訪れたかに見えたが、今度はシンハラ人
民族主義者が
テロ活動を展開した。LTTEも、これを好機と見て武装闘争を再開した。インド平和維持軍は、LTTEに対して大規模な行動に出ることに決め、
1988年5月には5万5千人の部隊をスリランカに駐屯させた。
1989年に当選した
ラナシンハ・プレマダーサ大統領は、大きくなりすぎたインド平和維持軍のプレゼンスを排除するために、LTTEとの交渉を再開し、
休戦が発表された。存在意義を失ったインド平和維持軍は、スリランカ政府の執拗な要請の下、
1990年3月に撤退した。同時にプレマダーサは、政府
や与党
統一国民党(UNP)要人へのテロを繰り返していたシンハラ人民族主義者組織であった
スリランカ人民解放戦線(JVP)への掃討作戦を行い、
4,500人から20,000人以上の死亡者が出たものの、JVPは武力闘争を放棄した。この間、LTTEもテロ活動を再開し、
1991年5月21日には
元インド首相
ラジーヴ・ガンディーを、
1993年5月1日にはプレマダーサ大統領を
暗殺した。
1994年に
チャンドリカ・クマーラトゥンガが大統領に当選し、三度LTTEとの交渉を再開したが決裂し、政府軍は大攻勢を展開して、
1995年にLTTEの拠点
ジャフナを奪取した。攻勢は継続されたが、決定的な勝利を収めることはできず、LTTEのテロにより
治安情勢は顕著に悪化し、
1998年には
非常事態が
導入された。
1999年12月18日にはクマーラトゥンガ大統領の暗殺未遂が起き、これによりクマーラトゥンガは視力を失った。
2000年以降は
ノルウェーの調停で停戦していたが、LTTEの
爆弾テロが止まらなかったため
2006年に
スリランカ軍が北部拠点の空爆を開始、政府は
停戦破棄を否定したがLTTEは停戦崩壊を宣言した。これを受け政府側も
2008年1月3日にノルウェー政府に対し停戦破棄を通告、同16日に失効した。
インドのライバルである
中華人民共和国と
パキスタンの大々的な援助をとりつけた
マヒンダ・ラージャパクサ政権はLTTEの完全殲滅を目指し、
各所で攻勢を掛けた。最終的に
2009年5月17日、LTTEは敗北宣言を出したがその後も政府側の攻撃は続き、プラバカラン以下23名のLTTE幹部
は19日までに全員死亡した。
