拉致問題-1

映画「めぐみへの誓い」


2020.9.20-産経」新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/200920/wor2009200016-n1.html
めぐみへの手紙】菅首相は必ず行動してくれると期待します
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは元気ですか。夏の酷暑がようやく和らぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。43年もの忍耐の日々が続き、今年も気付けば9月です。本当に、いつになれば、すべての拉致被害者が帰国できるのかという怒り、情けなさ、もどかしさと向き合いながら、一生懸命、拉致事件の解決を呼びかけています。
   今、日本では大きな政治の動きがあります。拉致問題の解決を最優先、最重要課題に掲げてきた安倍晋三首相が辞任され、拉致問題を担当する菅義偉(すが・よしひで)官房長官が首相に就任されました。
   私たちはこれまで、十数代にわたるすべての政権を心の底から信頼し、被害者救出を託してきました。それは今後も変わりません。無慈悲な国家犯罪で連れ去られた子供たちに、祖国の土を踏ませる最後の決め手は、政治のゆるぎない決意と行動力に他なりません。
   9月はお父さんやお母さんの記憶に刻まれた月です。平成14年9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮はやっと拉致を認め謝罪しました。蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の生存が明らかになりましたが、めぐみちゃんや多くの被害者が「死亡」と一方的に断じられました。
   昭和52年、新潟でめぐみが姿を消してから20年を経て、平成9年に北朝鮮で生きていることが分かり、全国の被害者家族、支援者の皆さまと団結してようやく解決の頂に差し掛かったと思ったのもつかの間、地獄に突き落とされました。
   その後、被害者死亡の証拠や説明は嘘だと分かりました。めぐみだとして送られてきた「遺骨」は、まったく別人の骨と鑑定されました。矛盾が暴かれるたび、生きたあなたの吐息を感じ、闘い続けることができました。
(2)
   拉致の残酷さは、被害者の姿が見えず、声も聞こえず、無為な時が、じりじりと過ぎることです。まさに「生殺し」の日々です。でも、拉致被害者はもっと辛く厳しい時を北朝鮮で耐え忍び救いを待っています。
   これほど非道なことがあるでしょうか。拉致事件はまさに「命」の問題です。
   国民の皆さま。どうか今一度、捕らわれた子供たちの姿を思い描き、救出へ声をあげてください。そして政治家、官僚の皆さま。与野党の違い、さまざまな立場の違いを越えて、議論を交わし、知恵を絞り、被害者を帰国させるため、全身全霊を尽くしてください。
   日本が一丸となり、拉致事件という「国家の恥」を一刻も早くすすいで、日本のみならず、世界にとって幸せな未来がもたらされることを願ってやみません。
   今年も気が遠くなるような暑さが続き、84歳のおばあちゃんになってしまったお母さんは、いつ倒れてしまうか不安にかられつつ、あなたに会いたい一心で、日々を過ごしてきました。
   年を重ねると、老いや病と直面します。食べることさえ、しんどく感じることがあります。これが「生」の実感なのでしょうか。
   6月に天に召されたお父さんは、祭壇に飾った写真の中でニッコリとほほ笑んでいます。「お父さん、おはよう。がんばろうね」と毎朝呼びかけ、祈ります。立派に闘い抜いたお父さんを、明るく天に送りましたが、あなたと再会するため病室で必死に命の炎を燃やした心中を思うとき、体の真ん中をもぎ取られたような寂寥感(せきりょうかん)が漂ってきます。
   新型コロナウイルスの災禍で、世界は大きな打撃をこうむっています。拉致問題をはじめ、さまざまな外交の動きがむなしく感じられ焦りが募ります。街頭での署名活動、人を集めた集会を開けず救出運動も厳しい現実に直面しています。
   ただ、危機を迎えた今だからこそ、局面を切り開く好機でもあるはずです。
   拉致事件について菅義偉首相は「解決に全力を傾ける」と誓われました。拉致問題担当大臣に再び就かれた加藤勝信官房長官も「あらゆるチャンスを逃さず、1日も早い帰国につなげていく」と約束なさいました。必ず行動に移していただけると強く期待します。
(3)
  首相の職を辞された安倍晋三さんも、必ずお体を回復され、再び私たち家族とともに力強く取り組んで頂けることを祈っています。
  拉致事件から長すぎる時間が過ぎ、被害者も家族も年老いて、残された時は本当にわずかです。だからこそ、私たちには「結果」がすべてなのです。
  どうすれば、良き結果がもたらされるのか。国内外を訪ね、たくさんの人に訴えました。国会の議場で政治家の皆さまに尽力をお願いしたこともあります。
  もがき苦しみ、命がけで行動し、たくさんの方の力添えがあってなお、事が進まない現実に、複雑な拉致問題の暗い闇を垣間見るような気がしています。まずは、日本国が一丸で立ち向かわないと、高い壁を突き破ることはできません。
  だからこそ、すべての国民、拉致事件を知らない若い世代の方々にも事実を知り、解決を後押ししていただきたいのです。かつて日本に工作員が入り込み、大切な若者を次々と北朝鮮へ連れ去りました。国外でも日本人が同じように拉致されました。多くの人々が捕らわれたままなのです。
  これほど重大で非道な事件がなぜ起きたのか。同じような惨劇が起こらないと言い切れるのでしょうか。問題の根源を見据え、すべてをすっきり解決しなければ日本の未来を安心して子供たちに引き継げません。
  めぐみちゃん。頼りないお母さんですが、毎日、あなたを思い、何とか暮らしています。お父さんもニコニコほほ笑み、私たちを見守っているはずです。どうか、どうか、力強く生き抜いて、救いを待っていて。子供の時と同じように、弾ける笑顔で「ただいま!」と声をあげ、元気に帰ってくることを信じています。


2020.8.28-朝日新聞-https://mainichi.jp/articles/20200828/k00/00m/010/231000c
拉致被害者家族「また投げ出すのか」 突然の辞任表明に怒りと戸惑い

  安倍晋三首相の辞任表明に、北朝鮮による拉致被害者の家族から驚きと不安の声が漏れた。
   「突然のことで、どう言ったらいいか判断がつかない」。被害者の田口八重子さん(行方不明時22歳)の兄で、拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(82)は戸惑いをあらわにした。
   安倍首相は首相就任以降、すべての被害者の帰国に全力を尽くすと強調し続けてきたが、解決のめどは立っていない。一方で家族の高齢化は進み、今年2月には有本恵子さん(同23歳)の母嘉代子さんが94歳で、6月には横田めぐみさん(同13歳)の父滋さんが87歳で亡くなった。飯塚さん自身も体調が優れない日が続く。「焦りはある。このままではどんどん時が過ぎるだけだ」と語気を強め、安倍首相には「(後継に)しっかりした人を指名し、きちんと取り組んでほしい」と求めた。
   横田めぐみさんの母早紀江さん(84)は辞任について「非常に残念。でも、お体が悪いというのは仕方がない」と気遣いつつ、「次の方が引き続いて、私たちが訴えてきたことと同じ思いでやっていただきたい」と注文した。増元るみ子さん(同24歳)の弟照明さん(64)は「安倍首相は拉致問題を重要課題に挙げていた分、失望は大きい。何もかも中途半端のまま、また投げ出すのか」と批判し、「安倍首相で結果が出なかったので、政治にはもう期待できない気がしている」と苦しい胸の内を語った。
   被害者で福井県小浜市在住の地村保志さん(65)と妻富貴恵さん(65)は連名で、「突然の辞任表明に大変、驚いております。安倍首相には拉致問題を政権の最重要課題として、全力で取り組んでいただいた。政権が変わっても、政府・国民が一丸となり、必ずや我々の世代で解決されるよう私たちも取り組んでまいります」とするコメントを発表した。
   有本恵子さんの父明弘さん(92)=神戸市長田区=は自宅のテレビで辞任表明の記者会見を見守り「びっくりした。解決するまでやってほしかったが、病気には勝てん」と話した。次の首相に対しては「解決に向けた働きを求めたい。安倍さんもトランプ大統領との関係も含めて、よくよく引き継いでほしい」と求めた。
   被害者家族を支援してきた「救う会」はホームページに西岡力会長のコメントを発表。経済制裁や米国との協調などにより「解決への最後の段階まで来ていた」と評価し、「安倍政権がつくった枠組みを生かし、必ず解決してほしい」と次期政権に期待した。
   熊本市出身の拉致被害者、松木薫さん(行方不明時26歳)の姉の斉藤文代さん(75)=熊本県菊陽町=は「病気では仕方ないが『これから先の拉致問題はどうなるんだろう』という不安はある」と心境を語った。
   松木さんは1980年に留学先のスペインで行方不明になり、安倍首相が官房副長官だった2002年の日朝首脳会談で北朝鮮側は拉致を認めたものの、「96年に死亡した」と説明。だが、提示された「遺骨」は別人と判明した。
   6月には拉致被害者の横田めぐみさんの父親で、救出運動の先頭に立ってきた滋さん(享年87)の訃報にも接しただけに、斉藤さんは「頼ってきた人がどんどん欠けていく。次の首相がどれほど拉致問題に関心があるか分からず、『また最初からやり直しか』と思うとがっかりする」と肩を落とした。【斎藤文太郎、大島秀利、春増翔太、清水晃平】


2020.7.22-TBS NEWS-https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4034600.html
拉致被害者家族、ビデオメッセージで国際社会に訴え

  新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、国連など国際社会で拉致問題の解決を訴えることが難しい中、横田めぐみさんの弟ら拉致被害者家族の訴えを英語の字幕つきでまとめたビデオメッセージが公開されました。
   「拉致されてから43年間、姉は絶望の地である北朝鮮に拘束され続けているのです。この人権侵害での拉致問題は、遠い過去の物語ではなく、今もなお解決していない重大な問題であり、いかなる手を使ってでも、北朝鮮がその人権侵害行為を即時停止するよう対処していく必要があります」(横田めぐみさんの弟 拓也さん
   「私の母である田口八重子は、42年前に北朝鮮工作員により拉致されました。当時1才だった私と3才の姉を残したまま、彼女は北朝鮮に連れ去られました。それ以降、一度も彼女は日本に戻れない状態になっています。それ以降、私は彼女と会えないままの状態になっています。北朝鮮から拉致被害者が帰ってこない今、拉致事件は現在進行形で続いているのです」(田口八重子さんの長男 飯塚耕一郎さん)
   「私は、1980年にスペイン・マドリードで、よど号ハイジャック犯の妻達によって北朝鮮・平壌(ピョンヤン)へだまされて連れて行かれた男性2人組の1人、松木薫の弟です。兄たちが、欧州からどうやって北朝鮮に入国することができたのでしょうか?欧州の各地を利用して拉致を行っている事実に是非目を向けて頂きたいと思います」(松木薫さんの弟 信宏さん)
   ビデオメッセージは、政府拉致対策本部のホームページと政府インターネットテレビなどで公開されています。
   拉致被害者家族は、例年5月の連休の機会などを利用してニューヨークの国連本部などで北朝鮮による拉致という人権侵害の解決を訴えていますが、新型コロナウイルスの感染拡大で国内外ともに大規模な集会での訴えができなくなっています。
   政府拉致対策本部事務局は、在京の各国の大使館や海外メディアにもビデオメッセージの告知を行っていて、拉致被害者家族の思いを知ってほしいとしています。


2020.7.12-福井新聞Online-https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1122161
地村保さん死去、救出「親の執念」・・・拉致被害者全員帰国へ声上げ続け

  署名用紙を払いのけられても頭を下げて頼み込み、街頭に人がいなければ近くの民家の呼び鈴を押して署名をお願いした。拉致被害者、地村保志さん(65)の父、保さん=享年(93)=は息子の救出に半生をささげた。共に活動してきた関係者は「息子が帰るまではと大好きな酒を断ち、全国を歩いた。親の執念だった」と、その死を悼んだ。

  保志さんと富貴恵さんが拉致されたのは1978年7月。ともに23歳だった。翌月には富山県高岡市で、若い男女の連れ去り未遂事件が発生。現場には手錠や猿ぐつわが残されており、保さんは富山に行って関係者に話を聞いた。世間は若者の失踪という捉え方だったが、保さんは当初から北朝鮮による拉致を疑っていた。「保志は絶対に生きている」が口癖だった。
  97年に結成された拉致被害者家族連絡会には当初から名を連ね、国に対しても救出を求め続けた。98年には救う会福井を設立した。
  明るい性格で分け隔てなく記者とも接したが、当時の新聞は拉致について「疑惑」と表記しており「疑惑やない。事件や」と異を唱えた。「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という国名の表記にも「民主主義やない」と反論した。
  署名活動の傍ら、寝たきりになった妻のと志子さんを献身的に介護した。息子に会えず涙する妻を「必ず保志は戻ってくる。頑張れ」と励まし続けた。
  保志さんが帰国を果たす半年前、と志子さんは75歳で亡くなった。その時、保さんは拉致の解決を求め訪れていた韓国からの帰路の途中で死に目には会えなかった。当時の小浜市長で葬儀に参列した村上利夫さん(88)は「保さんの落胆は見るに忍びなかったが、息子を取り戻すという気持ちは揺らぐことはなかった」と振り返る。
  2002年に保志さんと24年ぶりの再会を果たしたが、帰国できたのは保志さん、富貴恵さん夫妻を含め5人だけだった。04年には3人の孫も帰国したが、その後も署名活動を続けた。保さんの半生をつづった著書「絆なお強く」の共著者、岩切裕さん(74)は「私はハッピーエンドの本にしたかったが、保さんから話を聞くほどに、いまだ解決していないという苦しみ、悲しみが伝わってきた」と話す。

著書の最後に保さんは「国をあげての世論の力で政府は動きました。そして、さらにその波が国際世論をも動かし、拉致問題解決へと向かうことを願っています」と記した。古里で家族がそろっても「被害者全員が帰ってこなければ、解決やない」と声を上げ続けた人生だった。


2020.7.11-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200711/wor2007110019-n1.html
【めぐみへの手紙】あなたを思い天国に召されたお父さん 決意を引き継ぎ全身全霊を注ぎます
(1)
めぐみちゃんこんにちは。必ず再会するという決意を胸に、幾度となく、愛(いと)しいあなたの名前を呼びかけてきましたね。めぐみちゃんに、大切なことを伝えなければなりません。6月5日午後2時57分。あなたが大好きなお父さんが、天国に召されました。
  病床にあって、いつも笑顔をたたえ、あなたを強く思いながら、最期まで静かで、穏やかな、お父さんらしい旅立ちでした。あなたの写真に囲まれ、たくさんの祈りにも支えられて、優しい光の中に包み込まれるように、スッと天に引き上げられていきました。
  何から伝えればよいのか-。めぐみちゃん、伝えたいことがあまりに多く、うまく言葉につづれません。
  お父さんが天に召されてから、皆さまの励まし、力強い慰めの声を次々と頂きながら、一つ一つにしっかりと、お応えするいとまもなく、結局、目まぐるしい日々が過ぎていきます。
  静かに思いを巡らせる余裕はありませんが、めぐみちゃんと必ず再会し、抱き合えるという確信はますます強くなりました。支えてくださる皆さまの存在が、勇気となっています。
  42年間、あなたの姿を追い、全身全霊で闘ったお父さんは、最期に力強い信仰も得て、世の本質をしっかりと見据えながら、お母さん、弟の拓也、哲也たちへ思いを託し旅立ちました。
  お父さんは晩年、思うように言葉が出にくくなりました。でも、その胸中は優しく、毅然(きぜん)とした姿ににじみ出ていました。「めぐみたちを全員救い出す。最後に必ず、正義をかなえる」
  誰にも等しく、誠実であろうとしたお父さんの思いを、引き継がなければなりません。めぐみたち残る被害者全員に祖国の土を踏ませる。お母さんは、先に天に召されていったお父さんたちが、人生の闘いの末、見届けられなかった正義の結実をかなえたいのです。
(2)
日本の国民の皆さま。政治家、官僚の皆さま。遠く離れた異国で救いを待つ子供たちの姿を、わがこととして思ってください
  世界が一つとなり、拉致という非道極まる国家犯罪の現実を改めて直視し、残酷さをかみしめ、すべての子供たちを救うための闘いを、後押ししてください。
  解決への切望を言葉に発して行動に移し、北朝鮮の最高指導者が全面解決を決断するよう導いて、世界に平和をもたらしていただきたいのです。お母さんたちも、命の炎を燃やし、全身全霊を注ぐ決意でいます。
  昭和52年11月15日、めぐみちゃんが姿を消し、何も見えない地獄の20年間を経て、北朝鮮に捕らわれていることが分かったのが平成9年。おりしも、全国の被害者の肉親が集い、家族会が結成され、代表に推されたお父さんは、救出運動の最前線に立ちました。
  どこにでもいる庶民のお父さんは強烈な重圧に耐えていたはずです。救出の糸口になると信じ、危険を承知でめぐみの実名を明かすことを決断しました家族の代表として北朝鮮、時には日本政府に解決を迫る意志と行動を示しました。講演や署名活動で全国を駆け回り、体力は限界を超え、気力だけが頼りでした。
  平成30年4月、体調を崩したお父さんは、入院しました。病院での療養は天から与えられた休息であり、めぐみちゃんとの再会まで命をつなぐ、新たな闘いの日々でもありました。
  お父さんが「苦しい」だとか「辛い」だとか、後ろ向きの言葉を発することはありませんでした。病院の方々に支えられいつもニコニコ、一刻を大切に生きていました。一生懸命、リハビリにも取り組みました。
  今年に入り、お父さんの体力が徐々に衰える中で、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、お母さんは心配で仕方ない日々を過ごしました。
(3)
「ウイルスの惨禍の下で私たちの命も、希望も、無残に消えてしまうのか」
  見舞いに行き、身体をさすってあげることさえもできない。自宅のベランダに咲いたバラのスケッチや、手紙を病院に預けて、お父さんの耳元で読み上げていただきました。
  旅立ちの日には拓也や哲也、その家族、お父さんの弟たちも駆けつけました。その時が近づくと、病院の方が、強く呼び掛けるようおっしゃいました。一瞬でも長く引き留めて、ということだったのでしょう。
  でも、お母さんは、うっすら涙を浮かべたお父さんの安らかな顔を見つめながら、「最期まで頑張ったね。もう安心して。天国に行けるよ。また会えるよ、待っていてね」と、あらんかぎりの力で伝えました。
  今年2月、神戸の有本恵子さんのお母さん、嘉代子さんが94歳で天に召されましたお父さんの明弘さんも既に92歳です。思うように動けなくなった私たち親にできることは世の中へ懸命に訴えることだけです。
  生老(しょうろう)病死。すべての命は平等に、生きる苦しみと直面します。そして命には限りがあります。私たち家族に複雑な国際情勢は理解できませんが、コロナの災禍に見舞われ、先の見えない世界に、そこはかとない、不穏な気配も感じます。
  重ねて、私たち年老いた家族に残された時間は本当に、本当に、わずかです。大きな喜び、正義がなされる光景が一刻も早く、実現されることを祈ります。
  めぐみちゃんこれほど辛く、長い時間を待たせてしまって本当にごめんね。お父さんは今頃、空の上から、あなたの姿を見つけていることでしょう。必ず、あなたを抱きしめる日が来ることを確信しつつ、新たな一日を生きていきます。


2020.7.4-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200704/wor2007040021-n1.html
めぐみさん写真展、川崎で始まる 父・滋さんの死去受け開催

  北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の写真展が4日、川崎市で始まった。市内に住む父の滋さんが6月に87歳で亡くなったことを受け、拉致問題の解決に向けた機運を高めようと市が主催。
  4日はJR川崎駅の北口自由通路に、滋さんが撮影しためぐみさんら家族の写真など約40点や、母の早紀江さん(84)のメッセージボードを展示。横田さん一家へのメッセージを書き込むカードも用意し、来場者がそれぞれの思いをつづった。東京都大田区の教員、小野たえこさん(52)は「幸せそうな写真を見ると、涙がこみ上げてきた。早紀江さんには元気でいてもらいたい」と話した。
  写真展は8月12日まで、市内10カ所で順次開催する。入場無料


2020.6.23-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://special.sankei.com/a/politics/article/20200623/0002.html
北に消えた拉致被害者9万5千人 家族が正恩氏を初提訴へ

【ソウル=桜井紀雄】朝鮮戦争は南北離散家族など数多くの悲劇を生んだが、韓国内でもほとんど注目されてこなかった北朝鮮の蛮行がある韓国側から9万5千人以上が連れ去られたという戦時拉致問題だ。被害者家族が産経新聞の取材に応じた。現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権に解決に向けた意思は見られず、被害者家族は25日、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長を相手取った初の損害賠償訴訟に踏み出す。
 当時、ソウルの小学校に通っていた金在朝(ジェジョ)さん(79)は戦争勃発直後、近くのミアリ峠から北方に向かう韓国軍兵士らを拍手で送りだしたのを鮮明に覚えている。韓国軍はすぐに北朝鮮軍に押され、街中に銃声が響いた。ソウルは北朝鮮軍に占拠された。
 父、金箕貞(ギジョン)さん=当時(54)=は、日本に留学経験があり、故郷の中部、忠清南道(チュンチョンナムド)で鉱山を経営。日本統治からの解放後は自治体の責任者を務めた名士だった。北朝鮮が敵視する資本家として付け狙われるのは明らかで、夜中以外は自宅に立ち寄らないなど、身を隠していた。だが、自宅に入る姿を見た隣組の班長が北朝鮮側に密告した。

2018.8.17-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/180817/wor1808170041-n1.html
【激動・朝鮮半島】拉致被害者を「失踪者」に書き換え、韓国与党議員が北朝鮮におもねる改正法案で物議

  【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮が拉致した韓国人の名誉回復や支援を定めた韓国の国内法について、与党「共に民主党」議員が、拉致被害者を示す「拉北者」との呼称を「失踪者」に書き換える改正法案を国会に発議したことが物議を醸している。被害者家族は、韓国人拉致を認めようとしない北朝鮮を手助けするものだとして猛反発している。
  対象は、1950年代の朝鮮戦争時の拉致の真相究明と被害者の名誉回復を目的に2010年に制定された法律と、それ以後に拉致された被害者や家族の補償や支援を07年に定めた法律。戦争時とそれ以降を合わせ、約10万人の韓国人拉致被害者がいるとされる。

  同党の宋甲錫(ソン・ガプソク)議員は13日、2つの法律名にも盛り込まれている「拉北被害者」という用語を「失踪者」に置き換える法案を発議した。韓国紙によると、宋氏は「『拉北者』という表現に北朝鮮が強い拒否感を示しており、南北関係での衝突を和らげるためだ」と説明。法案には同党の計12人が賛同している。
  北朝鮮はこれまで韓国人拉致を否定し、被害者を「失踪者」や「失郷民」として扱ってきた。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権にも北朝鮮との対話で拉致問題を持ち出す動きは見られず、今回の発議は北朝鮮への刺激を避けようとする政権・与党の空気を端的に示している。
  戦時拉致被害者の家族協議会の李美一(イ・ミルイル)理事長は、産経新聞の取材に「歴史的事実で、深刻な犯罪でもある拉致に対する北朝鮮の法的責任をうやむやにし、隠蔽(いんぺい)に手を貸すことになる」と発議を厳しく批判。拉致被害者らへの名誉毀損(きそん)などで宋氏を告訴した。
  北朝鮮は、日本人拉致に関しても「既に全て解決された」とメディアで主張し、解決を求める安倍晋三政権を繰り返し非難している。

2015.2.9-産経ニュース-https://www.sankei.com/premium/news/150209/prm1502090005-n1.html
次々消えた印刷工5人“新情報” 裏にちらつく北朝鮮「偽札」
  昭和40年前後、わずか半径5キロほどの地域で働く若者5人がが相次いで失踪した。北朝鮮による拉致の可能性が排除できない特定失踪者にリストアップされ、いずれも印刷関係の会社に勤めていた。特定失踪者問題調査会の1月の調査では、これまで分かっていなかった足取りも判明。忽然と姿を消した彼らの背後には、北朝鮮が製造したとされる偽札の存在も見え隠れしている。
就職で上京の5人…半径2キロ弱の範囲に勤務
  印刷関係の仕事に従事していた失踪者は調査会が把握しているだけで10人。そのうち5人が、昭和38~43年の6年間に東京都内で足取りが確認されたのを最後に消息を絶った。
  5人はいずれも失踪当時10代後半から20代前半で、就職のために地方から上京し、会社の寮などで暮らしていた。それぞれが勤めていた会社の所在地は東京都千代田区、新宿区、墨田区で半径5キロ圏内にある。
  43年4月に失踪した早坂勝男さん(71)=失踪当時(24)=は行方不明直前に勤めていた墨田区の印刷会社に入る前、台東区の印刷会社で長く勤務していた。その当時は半径2キロ弱という範囲に、印刷関係の特定失踪者5人の勤務先が集中していたことになる。
  調査会が職業や年齢別に失踪者をグループ分けしている「マッピングリスト」によると、昭和40年代には看護師など医療関係者が3人、電話交換手など電話関係者が4人、原発・核兵器・ミサイルなどに関係する技術者3人失踪している。
  ただ、印刷関係者5人のような共通点は見いだせず荒木和博代表は「調査会が把握している情報の中では、これだけ狭い地域から同時期に同じような仕事をしている人が失踪している事例は他にはない」と特異性を指摘する。
目と鼻の先で仕事…退社時期不自然な失踪者も
  調査会が職業や年齢別に失踪者をグループ分けしている「マッピングリスト」によると、昭和40年代には看護師など医療関係者が3人、電話交換手など電話関係者が4人、原発・核兵器・ミサイルなどに関係する技術者3人失踪している。
   ただ、印刷関係者5人のような共通点は見いだせず荒木和博代表は「調査会が把握している情報の中では、これだけ狭い地域から同時期に同じような仕事をしている人が失踪している事例は他にはない」と特異性を指摘する。
目と鼻の先で仕事…退社時期不自然な失踪者も
  調査会は1月29日、失踪者の勤務先などを調べる現地調査を実施した。調査の前後で、3つの情報が明らかになった。
  昭和38年6月に失踪した中塚節子さん(69)=失踪当時(18)▽中塚さんと同じ会社に勤め一緒に消息を絶った当時20代前半で現在70代の男性▽41年9月に失踪した日高信夫さん(70)=失踪当時(21)-の勤務先は70~80メートルしか離れていなかったのだ。日高さんが就職した38年4月から中塚さんらが失踪する同年6月まで、わずか2カ月だが、3人は目と鼻の先で働いていたことになる。
  調査会は1月29日、失踪者の勤務先などを調べる現地調査を実施した。調査の前後で、3つの情報が明らかになった。

  昭和38年6月に失踪した中塚節子さん(69)=失踪当時(18)▽中塚さんと同じ会社に勤め一緒に消息を絶った当時20代前半で現在70代の男性▽41年9月に失踪した日高信夫さん(70)=失踪当時(21)-の勤務先は70~80メートルしか離れていなかったのだ。日高さんが就職した38年4月から中塚さんらが失踪する同年6月まで、わずか2カ月だが、3人は目と鼻の先で働いていたことになる。
  日高さんは父親に「大阪で就職する」という内容の手紙を送り、東京駅から大阪行きの列車に乗った後、消息を絶った。早坂さんも家族に「大阪に行って勉強をしたい」と話していたことがわかっていたが、調査後に早坂さんの写った写真から実際に大阪を訪ねていたことが判明。2人に「大阪」という新たな共通点が浮上したのだ。
 一方、41年8月に失踪した小林栄さん(71)=同(23)=のケースでは、退社時期に不自然な点が見られた。茨城県の小林さんの実家に、印刷会社が失踪を知らせてきたのは、同月26日の消印の手紙だった。その手紙には「(同月)21日の朝、社長が社内でみかけた」などと書かれ、その後所在が不明になっていることが記されていた。
  しかし、平成24年に警察が小林さんの厚生年金記録を調べたところ、小林さんは失踪1年前に印刷会社を退社しており、昭和41年4月からは別の会社に勤めていたことが記されていた。いずれの会社も今は既に存在しておらず、その真偽は不明のままだが、退社時期が不自然であることは明白だ。
目的は日本の印刷技術?…偽札造りに関与?
  拉致の可能性が排除できない印刷関係者の失踪について、荒木代表は「北朝鮮の偽札作りのために拉致された可能性がある」と指摘する。「スーパーK」や、さらに精巧さを増した「スーパーノート」と呼ばれる偽100ドル札について、米財務省は北朝鮮が製造したと断定。対北制裁に踏み切る一因となった。
  北朝鮮が偽札の研究を始めた当初、日本の印刷技術を盗むため、関係者を拉致したのではないか-。調査会はそのような推論を立てる。
  だが、東京から失踪した5人の印刷関係者は若く、熟練した技術を持っていたとは言い難いとの指摘もある。小林さんの弟で同じ印刷会社で働いた経験のある七郎さん(68)は平成25年、産経新聞の取材にこう答えている。
  「兄は印刷機に一枚ずつ紙を差し込んで印刷するオフセット印刷の技術者として働いていた。最初は紙を差し込む仕事から始め、熟練するとインクを混ぜ合わせて色を調合する仕事も担当するが、調合は40歳以上の人がやっていたため、兄はほとんどやっていないのではないか」
  これに対し、荒木代表は「拉致されたことを前提に考えれば、『若い印刷関係者を連れてこい』というおおざっぱな指示が出ていたのではないか」と指摘している。
占い好き…ぴたりと一致した目撃情報
  2003(平成15)年に脱北した自称・元朝鮮労働党の軍事教官が06年、日高さんの写真を見て、「平壌の病院で見た男性と似ている」と証言した。調査会もこの人物と面会し、日高さんとみられる人物に関する証言を得た。

  「平壌の印刷工場で働いていると聞いた」「髪の毛が多い」「胃が悪くて入院していた」
  「占いの話をしていた」という証言を聞いて、家族は日高さんが占いが好きだったことを思い出したという。証言の一つ一つが、日高さんの特徴とぴたりと一致した。
  特定失踪者問題調査会は日高さんを「拉致濃厚」と判断。他の印刷関係の失踪者との関連を調べている。
  平成25年5月には、日本政府が米国で主催した講演会に小林さんの弟、七郎さんが特定失踪者家族の代表として参加。印刷関係の失踪者が偽札作りに関わった可能性を指摘し「偽札造りに失踪した日本の印刷関係者が協力させられたと思うと、改めて兄の北での胸の内を考えざるを得ません」と訴えた。
  5人の失踪から40年程度が経過し、再会を願う家族も高齢化している。調査に同行した早坂さんの兄、勇治さん(78)は調査会が北朝鮮に向けて放送している短波ラジオ「しおかぜ」の収録に臨み、勝男さんに向けてこう訴えた。
  「寒いでしょうが、もう少し頑張ってください。元気で帰ってくることを待っております」
・・・・・・終わり

2020.6.9-Yahoo!!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/34124415c73c74b38094844497a4f2de656f0263
「全身全霊で打ち込んだ」 横田滋さん死去 早紀江さんらが会見

  昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの遺族による記者会見が9日午後4時、東京・永田町の議員会館で始まり、妻の早紀江さん(84)は「何も思い残すことはないほど、拉致解決に全身全霊を打ち込み、頑張った」と思いを語った。

  滋さんは、高齢や病気により約2年2カ月間、入院したが、早紀江さんは「長い闘病生活でも『痛い』『苦しい』と言わず、いつも笑顔で、元気に生きてきました」と振り返った。
  家族らは普段、療養する滋さんを常に励ましたが、早紀江さんは臨終の際、「今まで励ましてきたが、天国に行けるんだからね、と言った。懐かしい方が皆、待っているよ。気持ちよく、眠ってください」と耳元で叫んだという。滋さんは薄く開けた右目の内側に涙をため、静かに息を引き取った。
   被害者家族が高齢化し、病気も抱えた現状も踏まえ早紀江さんは「すでに多くの被害者の親御さんがいなくなり、衰弱していく方もいるであろうことが本当に心配」と語り、「どこまでがんばれるか分からないが日本の国は拉致被害者を放置しない。必ず取り返す、ということを最後まで皆さまに訴えていきたい」と力を込めた。
   会見には、滋さんの双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)も参加し、支援者や病院への謝意を表明。拓也さんは「悔しくて、悔しくて、仕方がない。国会においては与野党の壁なく、拉致問題に時間をさき、解決のため行動し、すべての皆さまにわがこととして受け止めていただきたい」と呼びかけ、哲也さんも「被害者家族には高齢者もおり、健康も芳しくない。これ以上、同じことがおきないよう。具体的成果をもたらしてほしい」と政府への切望を語った。


2020.6.6-AERA dot(メルマガ)-https://dot.asahi.com/aera/2020060600014.html?page=1
横田めぐみさんの父・滋さん死去 「めぐみは生きている」と信じ続けた43年
(1)
  「めぐみちゃんに一目会いたい」。そう強く信じ続けた父の思いは届かなかった。
  拉致被害者・横田めぐみさんの父、滋さんが5日、87歳で亡くなった。1977年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから43年。妻の早紀江さん(84)とともに拉致問題解決を訴える家族の会の初代代表を務めるなど中心的な存在だった。
  2002年9月17日に開かれた日朝首脳会談では、北朝鮮が拉致被害者のうち、めぐみさんを含む8人が国内で死亡したと発表。週刊誌「AERA」は、約1年後の03年7月28日号で、横田滋さん・早紀江さん夫妻を2時間にわたってインタビューしていた。進展しない拉致問題、誠意を示そうとしない北朝鮮――。ここでは、当時の夫妻の言葉を再掲する。

<早紀江さん> この1年、小説でもこう書けるだろうかと不思議に思うことばかりですね。
<滋さん> あれから1年といっても、めぐみはそれまでに(拉致されてからの)25年という歳月があるわけですから……。

――横田夫妻について、いまさら説明する必要はあるまい。13歳で北朝鮮工作員の手で拉致され、去年9月17日の日朝首脳会談で、「死亡」と北朝鮮側が発表した横田めぐみさんの両親である。
  「いずれ人は、みな、死んでいきます。(めぐみは)本当に濃厚な足跡を残していったのではないかということで、(中略)皆さまとともに闘ってまいります。まだ生きていることを信じて闘ってまいります。めぐみを愛してくださった皆さまに心から感謝します」
   その日、記者会見で早紀江さんが口にした言葉は、聞く者の心を突き刺した。
 <早紀江さん> 私自身は、特別なことを言う意識などなくて。ただものすごく腹が立っていたんです。こっちが何か言うと、向こう(北朝鮮)はそれを見てると聞いてますから。こっちがやられた姿を見せれば、向こうは「しめた」と思うに違いない。どことなくそんな思いがあって、何か言わないと駄目だという不思議なものが勝手にあふれてきたんです。
  <滋さん> あれは、めぐみが死んだと認めたような発言でもあったんですけど。
  <早紀江さん> 認めてはいません。絶対に生きていると思ったけど。だから支離滅裂。何を言ったかわからないんだから。
  <滋さん> それまで、拉致されたのは間違いないと思っていても、1%ぐらいは……。証拠がなかったですから。でも北朝鮮が認めただけでなく、(孫の)キム・ヘギョンさんまで現れたわけで、確信をもって語ることができるようになりました。
  ――(97年にめぐみさん目撃を証言した)北朝鮮元工作員の安明進(アンミョンジン)氏が、めぐみさんは金正日(キムジョンイル)総書記の息子の日本語の家庭教師をしていると語りましたが。
(2)
<早紀江さん> それは直接聞きました。大変な所に入れられたと思いました。これじゃもう、一番出にくいなと。本当かどうかわからないのですが。
<滋さん> 安さんが、めぐみを金正日政治軍事大学で見たというのは直接、経験したこと。家庭教師の話は、他の人から聞いた話なんです。比較的新しい時期だということでしたが。
<早紀江さん> 安さんは9月17日の時点で、めぐみが亡くなったというのは絶対に違う、死んでいないと言いたかったと。あまりいろいろな話が出ていて、もう訳がわからないですよ。いつまでも闇の中で、いつまでも生殺しで。いろんなことが出てくるのに、本当の核心はわからない。だからいまはその核心が出てくる過程だと思っています。本当のことが出るのを待っています。何か起きるたびに驚いていては、生きていけない。だから、あまり動揺しないようにしてるんです。
――けれど、めぐみさんは絶対に生きていると。
<早紀江さん> ずっと思っていますよ。そう思ってあげないと可哀想ですよ。せっかくここまで我慢して……。
<滋さん> 死んだとの明確な証拠がない限り、生きていると信じます。
――ご夫妻の訪朝問題が論議を呼びました
<滋さん> 私は、9月17日以後は、同じ被害者の家族といっても、生きている人と死んだといわれる人がいて、かなり状況が変わってきたんだから、やはり、個々の状況に応じて考えるべきだと思うんです。
<早紀江さん> でも北朝鮮はこちらの動きを見てますよ。行くとなると、それを利用して何かやってくるに違いないと思う。そういう所には行かない方がいいというのが私の考えです。孫に会いたいかと言われれば、誰だって会いたいです。抱きしめてあげたいと思いますよ。
――この件は、おふたりで話をなさるんですか
<早紀江さん> 話しても、意見が合いません。主人は「行きたいんだ。親の気持ちも大事だ」と言いますから。でも、拉致事件はものすごく大きな問題ですし、行ったらどうなるか、よく考えないといけない。5人の方たちの帰国後、こう聞きました。横田夫婦が北朝鮮に来るように、これだけのことを言いなさい、と言われて来たと。やっぱりそうかと。
<滋さん> (去年10月初めに)政府調査団が北朝鮮から、めぐみの夫というキム・チョルジュさんの手紙を持ってきて、めぐみと結婚して幸せだったとか、こんな形で手紙を出さなきゃならないのは悲しいとか、両親がこっちに来てくれればいろんな話ができますと書いてありました。めぐみの墓があって、遺骨が出れば、もうあきらめざるを得ない。違っていれば、北朝鮮の主張全体がウソということになる。行って確かめられるならということなんです。
 家族会としては、現時点では行かないことに決めました。でも事情が許せば、1カ月後に行く可能性もあるし、半年後も行かないこともある。今の時点では、行かないということなんです。
<早紀江さん> 私は、いくらこちらの思いを伝えても絶対、違うようにされると思う。それなら行かない方がいい。指導者次第で何でもできる国ですから。
――ヘギョンさんのことをどうお思いですか
(3)

<早紀江さん> (めぐみと)すごく似てますから。会いたいですよ。こっちに来てくれればね。
<滋さん> (北朝鮮での会見で)テレビが事前にうちに来て、我々の写真とかマンションを撮影して持って行き、本人に見せたようなんです。テレビの人が、ぬいぐるみとかを渡したとき、(ヘギョンさんが)おじいちゃん、おばあちゃんは今度は来てくれるかと思ったけど、また会えなかったと言ったそうです。
――ヘギョンさんはエリートの子どもという印象でした
<滋さん> (6月に会った)韓国の金泳三(キムヨンサム)元大統領も、そんなことを言ってました。私たちは朝鮮語がわからないけど、あの方はわかるから。泣いたり笑ったり、まるで俳優さんみたいだったと。
<早紀江さん> あの子にしたら、どうしようもないことですからね。そういう所で育ったんだから。言う内容を教えられたんだと思いますよ、きっと。
  そういうことも含め、本当のことはまだ出てこない。だけど隠れたものは必ず、全部、暴き出されると信じていますから。その過程で苦しまなきゃならないけど、私たちが生きている間に、願わくば、そうなってほしいと思っています。
 ですから、勝手には動けません。私は行きません。どんなことがあっても。
<滋さん> 行ったらなかなか帰って来られないとか、そんなことはないでしょう。
<早紀江さん> お父さんはいつも軽く言うけど。そんな国じゃない。人が良すぎるんです。
――北朝鮮について、息子さんおふたりの考えは、早紀江さんに近いんですか
<早紀江さん> 同じです。3人はいつもよく似てます。
――お父さんは……
<早紀江さん> 大変だと思いますよ(笑い)。柔らかいから。
――滋さんは、行ってみなきゃ、わからないじゃないかというお気持ちなのですか
<滋さん> そうなんです。行っても成果がなかったら、それはゼロなわけで。ゼロかプラスかじゃないかと思うんです。
<早紀江さん> どの国も、いま北朝鮮にどう対処するか考えながら動いているわけでしょう。向こうも困れば、何か起こしてくるか、言ってくるし。こっちは、その時に対処すればいいんだから。
――早紀江さんは、めぐみさんが拉致されて7年後に、洗礼を受けられたそうですね
(4)
<早紀江さん> あの苦しみの中で、聖書に巡りあったんです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかと、悲しくて、死にたい思いでした。そんな時にクリスチャンの友達が、読んでみてと言って持ってきて下さったんです。読むと、ああそうかと。人間というのは、どんなに立派に見えても、心の中って見えない。何を考えているのかとか。そこを掘り下げていくんです。祈りというのは、形には見えないけれど、すごく深い。自分というものがどんなものか、掘り下げると、わかってくるんです。自分がどれほど小さな存在なのかも。心の平安も得られます。神様は何もかもご存じですから。
 週に一度の礼拝は休みませんでしたが、日曜日が集会などで忙しくなって、この1年は行けなくなって。いまは行ける時に近くの教会でお祈りしています。
――滋さんは?
<早紀江さん> 全然。神様を迫害してばかりです(笑い)。信じられないといって。
<滋さん> 子どもの教育なんかでも、私は、あまりしかりませんでした。でも家内は、しかった方がいいと言ってましたし、そこは違いますね。
<早紀江さん> 甘やかす一方。めちゃめちゃに可愛がる方で。
――めぐみさんは、大変なお父さん子だったそうですね
 <早紀江さん> そうですね。大事に大事にしてましたから。
――めぐみさんからプレゼントされた櫛を、滋さんはいまもお持ちなんですか
<滋さん> 携帯用の鞄に入れてあるんです。
<早紀江さん> ボロボロになりましたけど、出かけるときは必ず鞄の中に入れてますね。
――めぐみさんが生きていたら、北朝鮮の影響を相当受けているのではないでしょうか
<滋さん> そうでないと生きていけないわけですから。帰国した方の言葉だったか、日本は我々を見捨てたと思っていたのが、帰国の専用機の窓から下を見ると、たくさんの人がいて、これは我々をだますためのサクラではないかと思ったけれども、地元でも大歓迎してくれた。
 それでも北朝鮮を出るときは不安だったと言いますから。でもめぐみは、年も若いし……。
<早紀江さん> それは、いくら想像しても、どうにもなりません。何よりまず、めぐみを捜しているわけですから。駄目なら駄目で、その時は本当に、仕方がない。DNA鑑定などで調べて、間違いなければ、これはもう現実だから……。わからない先のことを、いくら考えたって、仕方がないわけですから。


2020.2.6-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200206/k10012274771000.html
拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去

留学先のヨーロッパから北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さんの母親の嘉代子さんが今月3日、兵庫県内の病院で亡くなりました。94歳でした。
  有本嘉代子さんは、昭和58年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母親です。
  昭和63年に、恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、30年以上にわたって、夫の明弘さんとともに救出活動を続けてきました。
  平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名活動や講演を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと親交が深く、定期的に連絡を取り合っては互いの健康を気遣う仲でした。
  毎朝、神戸市内にある自宅の神棚に手を合わせて被害者の無事を祈り、夜は食卓に娘の分の食事を用意して恵子さんとの再会を誓っていました。また毎年1月12日の恵子さんの誕生日にはケーキや赤飯などを用意して祝い救出への覚悟を新たにしていました。
  94歳と拉致被害者の家族の中で最高齢だった嘉代子さんは、数年前から持病の心臓病が悪化し、平成28年4月に手術を受けて以降は活動に参加することがほとんどできなくなりました。
  その後は入退院を繰り返し、去年9月に一時退院した際には自宅でNHKの取材に応じ「恵子を取り返してほしい。それ以外は何も思い残すことはありません」と話し、肉親の早期帰国に結び付く政府の取り組みを求めていました。
  嘉代子さんはその後再び入院し療養を続けていましたが、家族などによりますと、今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  平成14年の日朝首脳会談以降政府が認定している拉致被害者の親で、子どもとの再会を果たせないまま亡くなったのは嘉代子さんで7人目となります。
  夫の明弘さんは「北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」というコメントを出しました。

去年9月「とにかく恵子を取り返してほしい」
有本嘉代子さんは去年9月に一時退院した際、NHKの取材に応じていました。
  嘉代子さんは当時体調が安定したため一時退院し、神戸市長田区の自宅で夫の明弘さん(91)に付き添われながらベットに横になった状態で短時間インタビューに応じました。
  嘉代子さんは恵子さんについて「あの子たちも大変な目にあってきたんですから日本に帰ってきてもう一度、生活してほしい」と語りました。
  そのうえで「とにかくこの問題だけは今の時代に片づけていただきたい。とにかく恵子を取り返してほしい。私は一生懸命生きて、一生懸命子どもを育てて、まあ、一生まともなことができたから、何も思い残すことはないんです。だから恵子のことだけです」と述べ、娘との再会への強い思いを語っていました。
  また夫の明弘さんは当時、嘉代子さんを元気づけようと、20代のころの嘉代子さんの写真の、破れたり折れて痛んだりした部分をきれいに修復して、額に入れて見せるなどしていました。
  明弘さんは「それはもういままで見たことのない、顔を見ることができた。恵子というのが1番気になってるわけ。それのためにこの何十年間ずっと晩も寝られんだよなぁ、そんなことばっか考えて生きてきてんやからなぁ。できるだけ長いこと生きてもらわなあかんさかい、いろいろなことをしようねんけれどな、今」と話しました。
  そして「国と国が安心してつきあえるように持って行くのが政治の仕事やねん。恵子は生きているはずやねん。早いところよい話しを聞かせてやりたい」と訴えていました。

曽我ひとみさん「残念のひと言では足りない」
拉致被害者の有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなったことについて、拉致被害者で18年前に帰国した新潟県佐渡市の曽我ひとみさんがコメントを出しました。
  曽我さんは「一刻も早く拉致問題を解決し、家族が抱き合う日が来ることを、家族会はじめ関係者一同願って今まで活動してきたのです。志半ばでどれだけ悔やんでいるだろうかと思うと、残念のひと言では足りないくらいです。私なりに家族会と協力し拉致問題が解決するその日まで、有本さんの気持ちとともにできる範囲で活動を続けていきます」としています。

地村富貴恵さん「解決には一刻の猶予もない」
拉致被害者、有本恵子さんの母親の嘉代子さんが亡くなったことについて、北朝鮮に拉致されたあと帰国を果たした地村保志さんと妻の富貴恵さんは「拉致被害者の家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。拉致問題が早期に解決され、娘の恵子さんが父である明弘さんと再会できることを心より願っています」とコメントしています。

蓮池薫さん「取り返しのつかない事態が積み上がっている」
北朝鮮に拉致され18年前に帰国した蓮池薫さんがNHKのインタビューに応じ有本嘉代子さんが亡くなったことについて「どんなに悔しい思いで逝かれたのかと思います。被害者の親が亡くなることは取り返しのつかない事態が積み上がっているということです。政府には『遅れました、早くしましょう』ではすまない話になっていると、改めて感じてもらいたい」と話しました。
  蓮池さんは、被害者家族の高齢化が進んでいる状況について「こう着状態が続く中では解決に向け努力をする一方で、肉親が希望を持ち、1日でも長く待ち続けられる状況を作ることも政府の責任です。帰国に向けた努力がどう展開されるか、希望を持てる情報を、家族に伝えるべきだ」と話しました。
  そして、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長に対しては「家族の皆さんが元気なときに返してこそ、解決の意味があるわけで、いなくなったところで被害者を返しても、『なんでいまさら?』ということになりかねない。北朝鮮にとって、いまが拉致問題を動かす最後のチャンスだと思います」と話し、被害者を帰国させる決断を求めました。

飯塚繁雄さん「政府には全力で取り組んでほしい」
有本嘉代子さんが亡くなったことについて、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは、NHKの取材に対し、「被害者の帰国を待つ家族が亡くなられたのはとても悲しく、残念なことだ。しかし、長く時間がたてばこうしたことが起きるのは当然のことで、この事態をいちばん深刻に受け止めなければならないのは日本政府だ。毎回『一刻も早い帰国を』と伝えているが、被害者の帰国に向けて全力で取り組んでもらいたい」と話しています。
  田口八重子さんの長男で、母親が拉致された時1歳だった飯塚耕一郎さんは「訃報に接し悲痛な思いです。こうなる前に被害者の帰国が実現できなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。40年にわたって家族が会えないまま永遠の別れを迎えるようなことは、もう最後にしなければなりません。北朝鮮の最高指導者は、これ以上、むだに時間を使わず、すべての拉致被害者を帰す決断を今すぐにすべきだ」と話しました。
  また、横田めぐみさんの弟で家族会事務局長の横田拓也さんは「残念でなりません。恵子さんに一目でもよいから会わせてあげたかったです。家族としては、政府にぶれずに強力な交渉を求めるしかなく、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長には、残酷なことはすみやかにやめ、お互いが明るい未来を築けるよう被害者を帰国させる決断を求めたい」と話しました。
  鳥取県米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄、孟さんは「先頭に立って被害者の帰国を訴えている嘉代子さんの背中を見ながら運動してきたので残念としか言いようがなく、仲間を失うのは悔しい」と話しました。
  そのうえで「帰りを待つ家族が元気なうちに問題が解決するように頑張っていくしかない。ずるずる月日がすぎないよう政府の力で解決してほしい」と話しました。

増元照明さん「ついにこの日が来てしまった」
拉致被害者の増元るみ子さんの弟の、増元照明さんはNHKのインタビューに応じ「嘉代子さんは数年前から体調を崩していたと聞いていましたが、ついにこの日が来てしまったのかと感じています。一緒に署名活動をしたことがありますが、足を止めてくれた人たちに、にこやかにお礼をしていた嘉代子さんの姿が思い起こされます」と話しました。
  また、増元さんの母親の信子さんも3年前に亡くなっていて、被害者の家族が高齢化していることについて増元さんは「どうしても娘にもう一度会いたいという強い思いを持ち体を酷使しながらも、長生きしようと頑張っていたのだと思います。政府は、被害者を取り返すためにもっとやれることや、言えることがあるはずです」と話し、被害者を取り戻すための戦略的な取り組みを強く求めました。

市川健一さん「一刻も早く取り戻して」
鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄、健一さんは「拉致被害者の親もきょうだいも高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻してほしい」と訴えました。
  有本嘉代子さんは、30年以上にわたって恵子さんの救出活動を続けてきましたが今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  市川健一さんは亡くなった有本さんについて「本当に一生懸命、講演や集会で訴えていらっしゃった。20数年間ともに闘ってきた人が亡くなられるのは悲しくてはがゆく、悔しい気持ちです」と話していました。
  また、市川さんの両親もすでに亡くなっていることを念頭に「拉致被害者の親も、私たちきょうだいも、みんな高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻していただきたい。もっとオール日本で闘ってほしい」と述べ被害者全員の帰国に向けた協力を訴えました。

有本恵子さん拉致の経緯
  神戸市出身の有本恵子さんはロンドンに留学中の1983年(昭和58年)、行方が分からなくなりました。  当時23歳。 旅行先のデンマークのコペンハーゲンから家族に手紙が届いたのが最後でした。
  その5年後の1988年(昭和63年)、突然、消息が明らかになりました。同じ拉致被害者で、ヨーロッパを旅行中に行方不明になっていた石岡亨さんから札幌市の実家に手紙が届いたのがきっかけでした。手紙には、有本恵子さんと赤ちゃんの写真が同封され「事情があって北朝鮮に長期滞在するようになりました。有本恵子くんともども、助け合ってピョンヤンで暮らしております」などとつづられていました。
  有本さんの家族は娘の帰国に力を貸してほしいと政府や国会議員に働きかけましたが、当時は拉致事件とは判断されず、事態が動かないまま10年以上がすぎました。

  新たな情報が寄せられたのは2002年3月(平成14年)。北朝鮮に渡った、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、有本さんの拉致に関与したと法廷で証言しました。
  その年の9月に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は、初めて有本さんの拉致を認めましたが、よど号グループの関与を否定したうえで、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。
  しかし、それを裏付ける具体的な証拠は示されず、政府は幼い子どもを連れて突然、不便な場所にある招待所に移動し、その翌日に死亡したとする北朝鮮側の説明は極めて不自然で、信ぴょう性が疑われると判断しました。
  有本さんの両親の明弘さんと嘉代子さんは1997年に(平成9年)被害者の家族会が結成されるとこれに加わり、救出を求める署名活動や講演を行ってきました。
  毎晩、神戸市内の自宅の食卓に娘の分の食事を用意し、誕生日にはケーキを買って娘の救出を誓ってきました。
  有本恵子さんは先月(1月)60歳の還暦を迎えました。

拉致問題の解決は時間との闘いに
政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、有本嘉代子さんで7人になります。
  最近では平成29年12月に拉致被害者、増元るみ子さんの母親の信子さんが90歳で亡くなりました。
  致問題は、ことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかる中「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。
  嘉代子さんの死去で、今も健在な親は、有本恵子さんの父親と横田めぐみさんの両親の3人になりました。めぐみさんの父親で、活動の先頭に立ってきた滋さん(87)も入院生活が続くなど、全員が老いという現実に直面していて、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。


2020.1.1-産経新聞-
めぐみさんへの手紙 ・・・ 拉致解決へ本気の願い 千葉・八街市立朝陽小5年生の作文

(一昨年から始めた横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者に思いをつづる「めぐみさんへの手紙」に多くの応募が寄せられる中、千葉県八街(やちまた)市立朝陽(ちょうよう)小学校の5年生が産経新聞東京本社(東京都千代田区)を訪れ、「横田めぐみさんへ」と題した75人分の作文を届けてくれた。小学生には難解な拉致問題を真剣に考え、被害者の帰国を強く願う思いが伝わってくる。)

できる限りの支援をしたい
加美陽子(かみ・ようこ)さん
 私は、横田めぐみさんのことを、最初は、ニュースとかでやっていることを知りませんでしたが、学校の授業でめぐみさんのことを聞いて、実際の映像を見たら、北朝鮮が許せないと思いました。
 理由は、めぐみさんのことを思い、今でも、病気になっていてもさがし続けている家族を見て、泣きそうになったからです。
 自分は何かできることがないかと、考えたとき、まだ先だけど、成人したとき、めぐみさんを探せる範囲で探したいと考えました。めぐみさんの家族はとってもいい家族だと思います。弟さんもめぐみさんに会いたいと思いながら活動を続けています。私もできるかぎり支援をして、めぐみさんと家族が会える日がくることを願っています。
 私が家族とくらせているように、めぐみさんにも、家族とくらしてほしい気持ちがたくさんあります。自分が拉致されたら、恐怖のどん底でどうしたらいいのかわからなくなります。それなのに、めぐみさんは、こわい思いをしながら生きていると思うので、どうか、家族のもとに帰って、だき合った姿を私に見せてください。そして、家族が笑顔でくらせる日を私は願います。

あなたを助けたい一心
佐々木小夏(ささき・こなつ)さん
 いつ帰ってくるんでしょう。拉致されたあなたは…。あの苦しみは、他の人には、わからない。そんな苦しみからあなたを救ってあげたい。あれから42年、いまだに帰ってこないあなたはどう思っているんでしょう。あなたのお父さんは、病気になって、後遺症で、うまく思いを伝えられません。そこまでの年になっています。
 このことを知ったのは、学校の学年道徳のときです。そのことを知らずに生きていた自分がにくいです。
 今は、あなたを助けたい一心です。早くもどってきてくださいね。めぐみさん。 私が20歳になったら拉致された人々を救うための団体にはいりたいです。絶対、絶対、絶対あなたを救ってみせます。信じて待っていてください、約束です。

愛情のつまった深い名前
石垣海人(いしがき・かいと)くん
 めぐみさんお元気ですか。最近は夏とちがって寒くなってきましたね。ぼくはあなたをとある動画のようなもので知りました。
 ほくはあなたの「めぐみ」という名前にはすごく意味が深い、つまりお父さん、お母さんの愛情がつまっているような名前で、「すごい」と思いました。
 それなのにお父さん、お母さんとはなればなれでさぞ悲しかったでしょう。ぼくも自分がさらわれたらどうなる、何を聞かれる、何をされる、か心配でこわいです。死んじゃうかもしれない所につれていかれるのは誰でも同じ思いです。苦しい思いに一緒に闘いましょう。
 もしぼくの手紙に返事が書けるならください。お願いします。

みな無事を祈っています
眞榮城千宏(まえしろ・ちひろ)さん
 めぐみさん、初めまして。私は11年生きて、めぐみさんが拉致されているのを、初めて知りました。
 あなたのお父さん、お母さん、そして弟さんの思いを映像で見て、めぐみさんのことをすごく心配していることが分かりました。
きっとあなたの家族、いや、それ以外の人も、めぐみさんが帰ってきたら「おかえりなさい」「苦しかったよね」と笑顔でむかえ、ささやいてくれると思います。それまでがんばってください。
 日本国民はあなたや、他の拉致被害者が帰ってくるのを願っています。もし、それが今年なら「42年間、おつかれさまです」と言ってくれると思います。
 私はいっこくも早く見つかってほしいと思います。あなたの両親も、そう思っています。そして何よりもめぐみさんや他の拉致被害者の無事を祈っています。

正月、着物姿のめぐみさんを見て
東京社会部長 中村将

 正月になると、家族はこたつに集まった。テレビを見ながら、ミカンをほおばったりしたものだ。
昭和52(1977)年の正月。新潟は静かだった。外は雪。横田めぐみさんは母、早紀江さん(83)とこたつで語らった。
 「ママの時代のお正月ってどうだった?」
 「着物を着て、ぽっくりはいて、はねつきしたよ」
 「うわー、いいなー」
 京都生まれの早紀江さんの子供時代の話を聞いためぐみさんは目を輝かせた。
 「めぐみちゃん、着物、着てみる?」
 早紀江さんの着物を着せてもらうことになっためぐみさんは大はしゃぎだった。着付けだけじゃない。後ろ髪を上げて結い、唇に紅も塗った。「こんなにお姉さんになったんだ」。早紀江さんは、そう感じた。
 めぐみさんを玄関前に立たせてシャッターを切ったのは父、滋さん(87)。着物や口紅の色と雪が積もる背景のコントラストがめぐみさんを際立たせる。春に中学入学をひかえためぐみさんの着物姿の写真だ。

あの年の11月、めぐみさんは北朝鮮に拉致された。この写真は今や悲しい思い出だ。早紀江さんは昨年末、めぐみさんの着物姿の写真のエピソードに触れた上で、「お正月の感慨もありませんが、いろいろなことを思いだしながら過ごすのでしょう」と語った。
 えくぼの娘、セーラー服姿の娘、北朝鮮提供のコート姿の大人の娘…。病床の滋さんの枕元には3枚のめぐみさんの写真があるが、「着物姿」が含まれていないのは、やはり悲しい思い出だからだろうか。
 昨年1月1日の本紙社会面で「めぐみさんへの手紙」を初めて紹介した紙面でもこの写真を使った。正月の写真だったからだ。
 1年間で小中高生や大学生から数多くの手紙が寄せられ、機会がある度に早紀江さんに手紙の内容を伝えてきた。実際に読んでもらったものも相当数ある。早紀江さんを通じて、滋さんにも伝わっている。
 「頑張って、頑張って、頑張ってきて。それでも42年なんて。言葉に出すだけで腹が立ちます」。動かぬ現実。政府は何か手を施してくれているのか、否か。滋さんの体調…。もう精いっぱいな早紀江さんだが、「めぐみさんへの手紙」を読むと、「本当に勇気づけられる」のだという。
 「拉致被害者を忘れない」「拉致事件について一人でも多くの人に話す」。子供や若者の決意は広がり始めている。家族と正月を過ごした、ごく普通の少女が北朝鮮に連れ去られたままでいることを、わがこととして人々が考えられる社会になればいい。そんな思いをめぐらせながら、今年も着物姿のめぐみさんの写真を掲載した。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・悲しみの11月から42年 東京都立川市立立川第七中

(横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の両親の滋さん(86)と早紀江さん(83)ら家族は11月になると、悲しみが深まる。14日の滋さんの誕生日を家族で祝った翌15日、めぐみさんが拉致されたからだ。拉致事件を通して長年、「命の大切さ」を学んできた東京都立川市立立川第七中学校の生徒たちからめぐみさんへの手紙が新たに寄せられた。一部を紹介する。)

中1 原田ほのかさん(12)「拉致問題知って 継続が力になる」
 私は内閣府の霞ケ関見学デーに行き、たくさんの人々が拉致問題を知ってもらおうと努力していることが分かりました。平和な毎日に感謝しなくてはならないという気持ち、少しでも早く、拉致被害者の方々を帰国させてあげたいという気持ちが強くなりました。
 横田めぐみさんの拉致を描いたアニメ「めぐみ」を見て、たくさん感じるものがありました。一番は、なぜ、こんなひどいことがおこったのに、多くの人が拉致問題を知らないのかということです。それは、ニュースで取り上げる機会が少なくなっているからだと思います。また、少しでも被害者の方々の力になるには、小さなことからだと思います。まだ知らない身近な人たちに伝え、署名活動などをすることです。ニュースで取り上げられなくても、ずっと、続けていくことが大事だと思います。
 普段の生活のありがたみや感謝についても伝えなくてはならないと思います。あたり前のように思っているかもしれませんが、とても幸せなことなのです。拉致被害者はその幸せを一瞬にして奪われてしまったのです。普通に食事できること。家族といられること。拉致被害者にとっては、あたり前ではないのです。
 私は拉致被害者の方々に伝えたいことがあります。絶対、あきらめないでください。私たちも被害者の帰国をあきらめず活動していきます。また、その思いを聞いた人がすこしでも拉致問題に関心をもってもらえればいいな、と思います。

中2 仲尚登(なおと)さん(14)「被害をVR体験 救出へ思い強く」
 つい気がゆるむような平和な日本にも、ただ過ごしているだけでは感じられない問題がある。拉致は、小さい子供から大人まで無理やり遠くへ連れだし、夢や自由をある日突然一瞬で奪い去ってしまう人権侵害だ。多くの人に知ってもらわなければならない、日本と北朝鮮で起きている現実だ。
 私は国際シンポジウムに参加した。拉致被害者のご両親らも参加され、どうすれば一日でも早く被害者を取り戻せるか話し合い、一緒に「ふるさと」を歌い、音源を北朝鮮向けラジオで生で流すなど普段できない体験をさせていただいた。
 拉致被害見学イベントで印象に残ったのは仮想現実(VR)の体験だ。横田めぐみさんがどのように拉致されたかを体験した。自分が拉致され光が見えない状況だったらと考えると、こわかった。子供たちにこんなものを見せていいのかという反対意見も多くあったそうだ。それでも、私は体験してよかった。心にささるような体験をして、このようなことがあってはならないという気持ちを持つ人が増えなければ拉致問題解決は先のばしになるかもしれない。目をそむけるのではなく、正面からぶつかっていかなくてはならない。

 自分が協力しても何も変わらないと思うのではなく、協力したい気持ちを自信を持って世の中に発信できれば、それが大きなものへと変わっていく。助けたいという気持ちを強く持ち、願って、願って、願えば、拉致被害者の夢や笑顔を取り戻せると思う。

中2 根本奏奈(かな)さん(13)「人々の未来 これ以上奪わないで」
 横田めぐみさん、はじめまして。私は13歳です。めぐみさんが拉致されてしまった年齢です。アニメ「めぐみ」を見て改めて事の大きさを感じました。正直な感想はみんなが想像しているよりつらい思いをしているだろうな、でも、これからも希望を捨てず生きてほしい、という思いでした。
 北朝鮮のみなさん。どんな理由があったにせよ、めぐみさんを連れて行ったことは許さないし、許されることではないです。13歳の少女の未来を奪ってまでしたかったことは何ですか。これ以上、いろんな人の未来を奪わないでください。たった1人と思っているかもしれないけれど、めぐみさんの両親や周りの人のように傷つく人を増やさないためにも、二度とこんなことをしないでください。
 滋さんと早紀江さんは42年間、署名活動や講演を行ってきました。めぐみさんの元気な声や笑顔をまた見られるように、その日がきっと来ると信じているからです。辛くなったら空を見上げてください。空はどこまでもつながっているから、たとえ離れていても、心はつながっているんだと思ってくれたらうれしいです。
 めぐみさんは十分すぎるくらいつらい思いをしてきたと思います。滋さんも望んだ「人並みの幸せ」は一瞬にして崩れてしまったけれど、待ち続ける人に「ただいま」と言えるよう、必ず元気な姿で帰ってきてください。そして、人並み以上の幸せを手にしてください。そんな日がくると信じて、待ち続けます。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・「なぜ救えないのか」募る思い 横田滋さん、早紀江さん

 めぐみちゃん、こんにちは日本はとても厳しい夏の暑さが過ぎ行き、秋の気配を感じます。11月15日であなたが北朝鮮に拉致されてから42年となります。冷え込みが強まり、冬が近づくこの季節は、豪雪に埋もれた厳冬の北朝鮮が心に浮かび「なぜ救えないのか」と、悔しさが募ります。拉致事件は進展への希望があるように見えながら、なかなか局面が開かず、胃がきりきりと痛む毎日です。めぐみたちすべての拉致被害者が懸命に望みをつなぎ、日々生きていることを思い、必ず全員が祖国の土を踏む日が来ることを信じて祈り続けています。

父親にくしをプレゼントした翌日に姿消す
 先月、あなたは誕生日を迎え、55歳になりましたね。明るい少女だっためぐみちゃんが今、どのような姿なのか。もはや、想像もつきません。42年前、あなたの13歳の誕生日を、お父さん、双子のきょうだいの拓也、哲也と祝ったときは、これほど壮絶な人生が待ち受けているとは、思いもよりませんでした。
 同じ年の11月14日、今度は、めぐみちゃんがお父さんの45歳の誕生日を祝い、茶色のくしをプレゼントしてくれましたね。その翌日、あなたは姿を消しました。台所で楽しく、たわいのない会話を交わした「普通の日々」が、いかに幸せだったか、身にしみます。
 「なぜ、めぐみが拉致されなければならなかったのか」「なぜ、守ってあげられなかったのか」と、ひたすら苦しみました。その答えは今も見つかりません。
 北朝鮮の無慈悲な国家犯罪により連れ去られた拉致被害者、そして家族は今、この瞬間も、苦しみの煉獄(れんごく)の奥底で、祈り、救いを待っているのです。
 拉致事件は、北朝鮮が一方的に連れ去った被害者を親きょうだいの元へ帰す、という人として当たり前のことをすれば、解決するのです。決断するのは、北朝鮮の最高指導者です。

 心をまっすぐに自らのありようを見つめ、決断すれば日本、北朝鮮、世界に平和と幸福が訪れるのです。その道筋を導き出すべく日本の政府、政治家、官僚の皆様も全身全霊をささげていただきたいと願います。
 日本は最近、災害が相次ぎました。多くの方が亡くなり、家を失い、深く傷ついています。新しい令和という時代の中で、一日も早く皆様の傷が癒やされ、希望に満ちあふれた日々が切り開かれますよう、祈ります。高い壁を乗り越え、日本がきっと前に進むと、希望を持っています。

「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」
 拉致事件の解決はあと一歩、絞り出すところまできていると思います。ここですべてを出し切るか。固まってしまうのか。すべての拉致被害者を救い、祖国の土を踏ませるため、日本は正念場を迎えています。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の最高指導者は拉致を認めて謝罪しました。その一方で、めぐみたちを「死亡」「未入境」と偽りました。

 9年に家族会を結成し、一心不乱に救出運動に取り組んできた私たちは、北朝鮮の一方的主張で肉親の安否を宣告されました。
 「死亡」を突きつけられた家族、そして「生存」を伝えられた家族にとっても、その現実は過酷すぎるものでした。「明暗が分かれた」。そう表現されたこともありますが、拉致で切り裂かれたかけがえのない人生、幸せは容易に取り戻すことはできないのです。
 「めぐみが亡くなった」と偽られたあの日、家族は一堂に会し、記者会見に臨みました。お父さんは涙で言葉が続きませんでした。
 「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」。お母さんは無我夢中で力の限り叫んだことを覚えています。
 「日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください」
その時の自分自身の姿は報道などで後から知ったのですが、お母さんは「まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります」とも申し上げました。その思いは寸分も変わりません。
 1カ月後の10月15日、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが飛行機で羽田空港に帰国を果たしました。「よく耐えて無事に帰ってきてくれた」と、感慨があふれました。
 同時に、お父さんもお母さんも、「5人に続いて、めぐみが飛行機から降りてくるのでは」という思いがぬぐえず、時を忘れて、飛行機を見つめていました。あの日から、17年が過ぎました。長い時がたち、拉致を知らない子供たちも、少なくないようです。

残された時間はわずか
 拉致被害者、そして家族にとって、拉致事件は毎日が節目で闘いです。私たちが突きつけられてきた過酷な現実の一瞬一瞬が心に突き刺さり、いまだ被害者が帰らない重い現実とともに、のしかかるのです。
 国民の力強い後押しによって、事は大きく進みました。ただ、完全な解決はまだ見えません。被害者と再会を果たせず、無念を募らせながら多くの家族が天に召されていきました。懐かしく、大切な方々が旅立たれ、ただただ悲しい思いでいっぱいになります。
 お父さんは11月14日で87歳になります。お母さんも83歳。被害者の親世代だけでなく、きょうだい、子の世代も年を重ねました。小さな双子の男の子だった拓也と哲也も、51歳です。被害者も老い、病に苦しんでいるはずです。残された時間は、もう、わずかです。
 病院で懸命にリハビリに励むお父さんも、めぐみと同じように、果敢に闘っています。目に宿る力は衰えず、励ましに「頑張る」と応じる力の源は、あなたと元気な姿で再会するという希望にほかなりません。
 もうすぐ、冬を迎えますね。北朝鮮の厳しい寒さの中に幾とせも、めぐみたちをさらしてしまいました。冬が近づくたび、暗鬱(あんうつ)とした気持ちは募り、必ず、一刻も早く助けたい、という切望を新たにします。
 めぐみちゃん、お父さんも、お母さんも、力を振り絞ってがんばるから、あと少し、待っていてね。日本すべてが、あなたたちの帰国を待ちわびています。


2019.7.23-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・被害者全員に祖国の土を踏ませる政治の力を信じ、待っています

めぐみちゃん、こんにちは日本は夏の季節を迎えました。深さを増す緑、美しく咲く花々に四季がめぐる早さを実感し、長い年月、すべての拉致被害者を帰国させられない現実に、言いようのない、むなしさが募ります。新しい令和の早い時期に、拉致事件がすっかり解決されることを祈るばかりです。
 世界はめまぐるしく動き、トランプ大統領が米国の指導者として初めて北朝鮮に入り、金正恩(キム・ジョンウン)氏と再び相まみえました。「拉致被害者はいつ帰国できますか?」。道を歩けば、多くの方々に問いかけをいただきます。でも、私たち家族は、複雑な国際情勢や外交交渉の核心は、本当に、知る由もありません。励ましに感謝しつつ、戸惑い、言葉に窮してしまうのです。
 突然姿を消した肉親を40年以上追い、北朝鮮にいることも分かっているのに、どうすれば救えるのか答えがつかめない。苦しみの根本がここにあります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。最後に被害者を救うのは日本の政府、政治の力をおいて、ほかにありません。
 国会を見ていると、日本にとって大切な外交、国際関係の課題は、あまり取り上げられていないように感じます。拉致事件も議題に上がることは少なく、嘆かわしい思いにかられます。
 折しも、国の代表を決める選挙が行われました。「国家と国民のために働きます」。選挙のたびに手を上げ、頭を下げた多くの人たちと、この残酷な42年間が過ぎ行く有様を、どう考えればいいのでしょうか。
 未来を見据え、子供たちに希望に満ちた日本を引き継ぐため、真剣な議論が行われることを願ってやみません。国民の皆様もそのありようを見極め声をあげていただければと思います。
 昭和52年11月15日にめぐみが拉致された後の20年間はどこにいるのか、まったく分かりませんでした。
 平成9年、真相を調べていた方々の尽力で初めて、めぐみが北朝鮮にいると分かりました。「やっと、めぐみと会える」。あの時の希望は忘れられません。でも、その後の日々は、何も見えなかった20年間と同じか、それ以上に苦しい道のりとなってしまいました。
 同じように肉親が拉致された方々が集まり、家族会を結成し、必死に訴えましたが、最初は取り合ってもらえませんでした。拉致は「疑惑」「嘘」と断じられることさえあったのです。
 実は、拉致事件は政治の中で早い時期に取り上げられていたことも、後から知りました。全国で相次いだ奇妙な失踪について、政府は昭和63年、国会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁しています。
 しかし、足踏みするかのように問題は前に進まず、私たちの声も届いていないような雰囲気は一体、何なのでしょうか?
 北朝鮮という国は、静かに、不気味に閉ざされていました。日本の政治に対しても、怒りや、悔しさを感じることは、たびたびありました。拉致問題の進展を遠ざけるような動きに対して、デモ行進や、座り込みまでしたこともあります。
 それだけに平成14年、日本と北朝鮮の指導者が首脳会談を開くと初めて聞いたときは、重い扉が音をたてて開くように感じました。
 この年の9月に会談が開かれる直前、お父さんもお母さんも、政治にかつてない、前向きな力を感じていました。しかし北朝鮮は、めぐみが「死亡した」と主張しました。捏造(ねつぞう)した「死亡診断書」や偽の「遺骨」まで提出し、私たちは絶望のふちで、さらにもがき苦しみ、闘い続けました。
 その一方で、北朝鮮は拉致を認め謝罪し、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんたち5人の被害者が帰国を果たしました。
 私たちが感じた政治の前向きな力を、今一度、見せていただきたい。あらん限りの知恵と志を注ぎ込み、再び、重い扉をこじ開け、5人に続くすべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいのです。
 めぐみちゃん。お父さんは今日も、一生懸命、リハビリに励みながら、あなたの帰国を待っています。ベッドのそばに並べたあなたの写真が、力の源です。
 お父さんもお母さんも年老いて病を抱え、救出運動の前線には立てなくなってしまいました。懸命に闘う家族や支援者の方達を思いもどかしさが募ります。

 「死亡」「未入境」とされためぐみたち未帰国の被害者の足跡は、長く平和の中にあった日本に、目を背けてはならない、残酷な現実を示したのではないでしょうか。いまも続く非道な国家犯罪を、忘れないでください。北朝鮮で救いを待つ数多の人々を、決して忘れないでください。
 政治の力が真に発揮されるとき、残る被害者全員がきっと、祖国の土を踏めるはずです。私たち家族は、日本がその瞬間を迎える日が来ることを信じます。めぐみちゃんもその日まで、どうかがんばっていてね。


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】 ・・・笑顔で「ただいま」言える日を 高木柚実凪さん 15歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

「ただいま」という声を何度夢見ただろう。「おかえり」を言える日を何度望んだだろう。当たり前だった日々のありがたみにめぐみさんが姿を消してから気付きました。大切なものは失ってから気付くものでした。めぐみさんの笑顔。めぐみさんの明るさはなくてはならない大切な存在だったと。一番めぐみさんを必要としているのは早紀江さんと滋さんです。
 お二人は四十二年間ずっと帰国だけを願って署名活動や講演会を行ってきました。出版された本もあります。必ず帰って来る。そう信じて毎日を過ごされています。家族の方に愛されて幸せそうな顔でうつるたくさんの写真。笑顔でいっぱいだったはずなのに北朝鮮から送られたのは悲しいまなざしのめぐみさんでした。この写真を見て私は涙が止まりませんでした。早紀江さんは今も直視できないそうです。
 一刻でも早くめぐみさんに笑顔を取り戻してもらいたい。その一心で活動を続けています。どうか元気でいてください。あと少し待っていて下さい。必ず助けます。どうしてもつらくなったら空を見上げて下さい。どんなに離れていても空は一つです。空の下で一つにつながっています。めぐみさん。皆が信じています。めぐみさんの「ただいま」を。笑顔で「おかえり」を言える日を。だからどうか生きていて下さい。元気に笑顔でいられるように。

 (たかぎ・ゆみなさん 中学3年)
四十二年前で止まったままでいる時間。私が味わったことのない悲しさ寂しさが流れた時間。その時間以上の幸せ、早紀江さんと滋さんがめぐみさんを待っています。願っています。
 当たり前の日々と何もないという幸せを。大丈夫。もう二度とめぐみさんを手放さないように、寂しさを忘れるくらいの温かい家族がめぐみさんを待っています。もう少し待っていてください。


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・めぐみさん帰国へ全力尽くす 鈴木海翔さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

横田めぐみさん元気でしょうか。
 自分が初めて拉致事件を知ったのは去年、中学1年生の時でした。横田めぐみさんは、42年前の11月15日、同じ中学1年生の時に拉致されて、今の自分には考えられません。まだ夢や希望があったのがこの一日ですべてうばわれてしまいました。今の自分だったら、死にたいと思うくらいの絶望だと思います。
 でも、横田めぐみさんは、日本に帰国できることを信じて、北朝鮮で苦しみながらも、人一倍努力していると思います。

(すずき・かいとさん 中学2年)
 僕は横田めぐみさんのおかげで気付けた事がいっぱいあります。
 家に帰って「ただいま」と言えることのありがたさを僕に教えてくださいました。
 家に帰って家族がいること、家族と一緒に笑い合えることのありがたさを教えてくださいました。
 僕は横田めぐみさんの悲しい事、苦しい事は分かりません。だから役立つ事は少ないかもしれませんが、その少しの役立ちを全力で取り組んでいきたいです。
 僕達、日本人は横田めぐみさんが一瞬でも早く日本に帰国出来ることを心から祈っています。愛する家族に「ただいま」と言える日が来るのを待っています。


2019.7.3-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・空を見上げたら心がつながる 山門梨沙子さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

 めぐみさん、こんにちは。はじめまして。私は中学3年生で今卓球部に所属しています。私がめぐみさんだったら、もう拉致されてしまっている年齢です。もし、自分が拉致されていたら…と考えると、想像がつかないような恐怖、辛(つら)さ、苦しみがあるのだと思います。さらに家族に会えない、友達と楽しくおしゃべりができないなどさみしさに胸が引きさかれるような思いがあるでしょう。そんな中で乗り越えて前を向き続けられているめぐみさんは本当にすごいと思います。
 生きている意味って何だろう、私はなぜいかされているのだろう。そう思うことがあると思います。そんなときに思いだしてみてください。母の早紀江さん、父の滋さんの笑っている姿を。滋さんは病気を持ち、入院している状況です。苦しいリハビリや生活が続いても、めぐみさんと再会できる日を待ち望み、一生懸命生きていらっしゃいます。そんな素敵なご両親のためにも毎日、精一杯生きてください。
 日本国民はめぐみさんのご両親をはじめ、たくさんの人がめぐみさんの帰国を待ち、祈念しています。
 
(やまかど・りさこさん 中学3年)
北朝鮮と日本には島をはさんで国境があります。でも、同じ空の下で生きていることは同じです。空はどこまでもつながっています。同じように心もつながっています。だから、空を見上げてみてください。日本でも誰かがきっと空を見上げ、通じ合っているのです。
 いつか必ず私たちの思いがつながり、北朝鮮と日本に虹がかかる日がきます。それまで必死に、大切な人のために生き続けてください。
 一刻も早いめぐみさんの帰国を心より信じ、待ち続けています。


2019.7.13-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】・・・拉致解決 カギは子供たち 立川市立立川第七中教諭・佐藤佐知典さん 59歳

(若い世代に拉致問題の残酷さを伝え続ける中学教師がいる。東京都立川市立立川第七中学校の佐藤佐知典(さちのり)さん(59)。これまで同校に拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の両親らをたびたび招き、家族の絆を教えてきた。佐藤さんの授業に密着すると、問題解決の道筋や命の意味を真剣に話し合う生徒らの姿があった。生徒らが思いをつづった手紙も紹介する。)

救出の悲願 授業で訴え続け
 「帰国した横田めぐみさんと一緒に、(両親の)滋さんと早紀江さんが笑顔で生徒に会いに来てくれる」。佐藤さんは悲願を語る。拉致被害者全員の救出を心に誓い長年、教育現場で啓発に取り組んできた。来年、定年を迎える。
 昭和52年11月15日、新潟市でめぐみさんが拉致された際、自宅は横田家のすぐそばにあった。父と滋さん(86)は日本銀行の同僚で、妹はめぐみさんの同級生。当時、拉致など思いもよらなかったが、20年後の平成9年、めぐみさんが北朝鮮に連れ去られていたことが明らかになった。

同年、拉致被害者の家族会が結成され、支援者も加わって救出運動が本格化すると、教師になっていた佐藤さんも仕事の合間をぬって、全国各地の署名活動に参加した。「地獄の日々を送っためぐみさんと、家族の苦しみに気づけなかった」ことが無念でならなかった。解決のために何ができるのか、自問を続けた。
 11年に赴任した立川七中で初めて授業で拉致問題を取り上げた。これまでに計4回、滋さん、早紀江さん(83)夫妻を招き、全校生徒を集めて講演会を開いた。生徒らには解決のためできることを議論させ、思いをまとめた作文を新聞などに送る課題にも取り組ませてきた。
 佐藤さんは最近、若い世代に問題を語り継ぐ重要性を強く感じている。膠着(こうちゃく)する情勢への憤りとともに、「助けを待つ被害者が忘れ去られる」という焦燥感にもかられる。そういう時は、「拉致解決のカギは若い世代への啓発」という初心に立ち返るのだという。「子供たちが拉致問題を知れば親、兄弟、友人、そして社会に広がる。必ず世論にも繋(つな)がるはずです」

 生徒が中学生の間にめぐみさんの両親の声を聞けるよう、3年に1度のペースで開かれてきた講演会は、両親の高齢化で参加が難しくなったが、一昨年には帰国した被害者の蓮池(はすいけ)薫さん(61)が講演を行い、授業にも参加した。
 拉致という過酷な体験に聞き入る生徒らを見つめ、佐藤さんは蓮池さんら被害者5人が帰国した14年当時のわが国を思いだしたという。「蓮池さんらが帰国するまで、拉致への関心は薄く、疑う声さえあった。北朝鮮が拉致を認める数カ月前の署名活動の帰り道、日韓が共催したサッカーワールドカップに沸く世間を横目に、悔しくて、悲しくて、『命の意味』を何度も自分に問いかけた」
 早紀江さんは初めて講演した際、生徒に「めぐみを必ず連れてくるね」と約束した。佐藤さんは「親子の尊い愛に、私も、生徒も育てられた。諦めることは絶対ない」と言い切った。

早紀江さん「力強い思いに励まされ」
 立川第七中学の皆さん、お元気ですか。夫の滋は療養中で私も体調が優れず、学校にうかがうことは難しいですが、被害者全員の帰国を願う力強い思いに、いつも励まされています。
 めぐみは中学1年、13歳の時に拉致されました。皆さんと同じ年頃の女の子が自由を奪われ、普通の生活を送ることさえ許されず、暗闇に閉ざされたまま42年が経過してしまいました。
 私たち被害者の親は、拉致されたすべての子供たちに日本の土を踏ませてあげることだけが願いです。拉致解決は日本、北朝鮮、そして世界を幸せにすることに繋がるはずです。
 若い皆さまが人ごとではなく、誰の身にも起こりえた拉致の現実を知り、解決を考え、後押ししてくださることは、とても大きな力になります。たくさん学び、明るい毎日を過ごし、立派に成長されることをお祈りしています。
真剣討論「人生考えるきっかけに」
 「SNSで発信したり、有名人に訴えてもらったりするのはどうか」「北朝鮮のことを学び、互いに知り合う必要もある」-。討論が始まると生徒は真剣な表情で思いをぶつけあった。
 6月の昼下がり。立川七中の体育館に約150人の3年生全員が集まり、拉致問題をテーマに討論する授業を行った。グループに分かれた生徒らは中学生にできるアイデアを提案しあった。「教科書やポスターで私たちが同世代に伝える」「国際問題として世界中に広める努力が足りない」。さまざまな意見が出て、生徒らが熱心にメモ書きをしていた。
 同校は人権問題の重要課題として拉致を取り上げてきた。大神田(おおかんだ)佳明校長は「さまざまな人権問題や命の大切さを深く学ぶきっかけになれば」と期待する。
 生徒らは、政府作成の資料や横田めぐみさんの拉致事件を描いたアニメ「めぐみ」で拉致問題を学んだ上で、めぐみさんの両親の滋さんと早紀江さんらの講演を聞き、作文や討論を実施。拉致解決の重要性から、家族や仲間の大切さにも考えを広げてきた。
 土橋快成(つちはし・かいせい)君(14)は「人生の意味を考えるきっかけになった。被害者帰国へ、考えたことを少しでも行動に移していきたい」と語った。


2019.5.5-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・平成に拉致が白日 令和で解決に歩み

めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
 日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。

 譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
 昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。

今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
 国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
 平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。
 新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
 めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。 「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。
 めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
 手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
 ≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫

( こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。)

9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
 当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。

 それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。 そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
 お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。

「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
 拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
 お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。
 たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
 めぐみちゃんたちが耐え忍んできた苦しみは、決して無駄ではありません。いつの日か必ず、日本、そして世界に大きな喜びと、実りを与えるはずです。だから絶対に、元気な姿で帰国しなければなりません。必ず帰れると信じて、もう少し、頑張っていてね-。


2019.3.16-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」

(北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
 つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。
 米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
 「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。
 拉致は単なる「問題」ではなく、前代未聞の「大事件」です。非道極まりない国家犯罪をすっきりと解決できなければ、日本の恥です。北朝鮮も拉致被害者全員を帰して初めて、明るく豊かで、幸福な国づくりを進めることができます。 安倍首相の決意を信じ、すべての被害者が祖国の土を踏みしめる日が来ることを、切に願います。
 拉致事件をはじめ、日本は国内外のさまざまな課題と向き合っています。後を絶たない災害も、その一つではないでしょうか。今月11日で、数多くの命が奪われた東日本大震災から8年となりました。
 被災者の方々は復興へ懸命な日々を歩まれてきたはずです。お一人お一人の悲しみが癒やされ、大きな希望の光が差しますよう、祈りを捧(ささ)げます。
 あまたの困難を乗り越えて、明るく、力強い日本が次の世代に引き継がれることを願っています。
 お母さんは先月、誕生日を迎え83歳になりました。また一つ、年を重ねてしまったのかと、悲しくさえなります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。めぐみちゃん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした41年前を振り返ると、途方もない思いにかられます。拉致事件がなければ、お父さんもお母さんも、穏やかな余生を過ごしていたことでしょう。でも、あなたが姿を消した昭和52年11月15日から、修羅のような日々を過ごしてきました。
 めぐみちゃんに元気な姿で再会するため、病院で療養しているお父さんも、同じ思いを抱いているはずです。リハビリや治療が功を奏し、最近は意識もはっきりして、みるみる元気になっています。明るい笑顔を見るたび、皆さまのお力添えに感謝するばかりです。
 でも、元気になった分、拉致事件の重すぎる現実が身に迫り、考え込むことも多いようです。新聞を読み聞かせると、しきりに詳しい話を問いかけてきます。
 最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。
 その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
 平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
 家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
 そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。

 久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
 拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
 ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。

 しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
 救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
 私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
 闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・救援の手、あなたのすぐ近くに 広島市 岩瀬姫佳さん 19歳

 「私だったらどうしただろうか」、また「私の家族だったら何をしただろうか」-当時まだ13歳だったあなたを襲った恐ろしい事件を知ったとき、私がまず考えたのはこれでした。
 私だけでなく、日本に住む多くの中学生や高校生、大学生も同じように考えたと思います。めぐみさん、今は私の母よりも年上になってしまったあなたを、こう呼ぶのをお許し下さい。じつは私の母の名も「めぐみ」というのです。母の話ではあのころとても人気の名前だったとのことです。それだけにあなたの身の上に起こったことを、私も私の家族も、とても他人事とは思えません。
 私は今大学1年生で、経営についてやマネジメントの勉強をしています。将来はこれらを生かして金融関係のお仕事に携わっていきたいと考えています。めぐみさん、あなたはとても明るく活発な女の子だった半面、幼い双子の弟さんたちの面倒をすすんでみる、優しい少女だったそうですね。そのことはあなたのお母さんが話してくれたので、日本中の人が知っています。あの事件さえなかったら、きっとあなたも自分の将来のために多くのことを学んでおられたに違いない、ふとそんな気持ちになることがあります。
 将来を夢見ながら、たとえつつましくても真面目に努力している日本人を、ある日突然人さらいのように連れ去るなんて、とても現代の出来事とは思えません。北朝鮮の工作員が実行したとされるこの事件を、私たちは決して忘れません。この犯罪を実行した人も、日本国内にいると言われるその共犯者も、私たちは絶対に許しません。
 めぐみさんは北朝鮮の独裁者やその家族に関わる秘密を知ってしまったために、日本に返せないという趣旨の報道を見ました。何という手前勝手な理屈でしょう。自分たちが無理やり拉致し利用しておいて、今度は返さないための口実を作り出す。こんな屁理屈に私たちは騙(だま)されません。
 めぐみさん、今日本の安倍晋三首相や政府は、「拉致解決」を最も重要な課題として、北朝鮮と交渉してきています。北朝鮮の経済の破綻を救うことの出来る国は日本だと私は思っています。私たちは北朝鮮の一般の人々にも様々な方法で働きかけ、日本が北朝鮮を支援する代りに、不法に拉致した日本人の全員を直ちに返すことを要求しています。もう少しの辛抱です。決して諦めることなく、日本の救いの手が届くのを待っていて下さい。

【めぐみさんへの手紙】・・・(いわせ・ひめかさん 大学1年)
めぐみさん、私は何の力も持たない、ただの学生に過ぎません。でも、あなた方を救い出すためなら、どんな協力も惜しまない決心です。私の友人たちも同じ考えです。ラジオ放送が聞けたら聞いて下さい。新聞を読めるならぜひ読んで下さい。日本政府の救援の手は、あなたのすぐ近くまで伸びています。絶対に諦めることなく、あなたのご両親や日本政府、日本国民を信じて下さい。
 緯度は日本の東北地方と同じでも、大陸の冬はどんなに底冷えがすることでしょう。風邪をひかないように気をつけて、お元気でお過ごし下さい。さようなら。母があなたと同じ名を持つ娘より。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・ぼくたちも、やれることを 兵庫県姫路市 井上大輝さん 13歳

 今回、めぐみさんの人生を見させていただきました。今の日本は、昔とだいぶん変わっています。政府の人たちは、アメリカに協力を求め、北朝鮮の人たちと話をしています。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもけんめいにがんばっています。なのであきらめずにがんばってください。政府の人たちは昔と少し変わってはいますが、まだまだ解決していないことがたくさんあります。ぼくたちには、こういう風に、日本の現状、世界の現状を手紙で伝えることしかできません。やれるだけのことは、ぼくたちもしていこうと思います。北朝鮮も、今変わりつつあります。世界の人たちは、みんな同じ人間なので、きっと分かってくれるはずです。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもめぐみさんが帰ってくるのを、ずっと待ち続けています。ぼくたちも、ずっと待っています。頑張って。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる

(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
 このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
 たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。

 私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
 それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
 ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
 今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
 昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。

 20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
 そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
 間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
 お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
 お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
 被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。

 最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。

 一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。


道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
 私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
 お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
 めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
 新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】(下)400人以上が思い寄せ 救出願う輪

 拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。

家族の訴え 1000万人が応えた・・・東京都町田市 小田島璃乃(おだじま・りの)さん 中学1年 12歳
めぐみさん、こんにちは。私は今、中学1年生です。めぐみさんが、北朝鮮に拉致された時も、中学1年生だったと聞きました。
 私には、今めぐみさんが何を考えて、どこでどのように過ごしているのか分かりません。しかし私だったら、さみしすぎて、何も考えられなかったと思います。日本に、一日でも早く帰りたくて、たまらなかったと思います。
 めぐみさんが拉致されてから40年の月日がたちました。その間に日本は、内閣総理大臣が代わったり、色々な事が変化してきました。2020年には東京オリンピックも行われます。もう少ししたら、平成も終わります。めぐみさんの知らないところで、日本は少しずつ前に進んでいます。拉致問題も本当に少しずつだけど、解決してきています。めぐみさんも、いつか日本に帰れる日を信じて、前を向いてあきらめずに、がんばって下さい。

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お母さんの早紀江さんと、お父さんの滋さんは、めぐみさんが姿を消してから、拉致問題について数多くの方に必死に訴えました。その結果、1千万人以上の方々から署名をいただきました。しかし、早紀江さんも、滋さんも、歳を重ねていきます。今では、双子の拓也さんと哲也さんが、様々な活動を行っています。このように、家族全員が、めぐみさんの帰りを待っています。いや、日本国民全員が、めぐみさん達の帰りを待っているのです。
 日本は、この拉致の問題を、いつか必ず解決するはずです。その時は、日本全体が笑顔で、めぐみさん達を受け入れるはずです。その時が来るまで、あともう少しだけ、待っていて下さい。

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あの日から、四十数年経ったのに・・・岡山市 長谷川真央(はせがわ・まお)さん 高校3年 17歳
 私は今日まで、「北朝鮮拉致問題」という言葉を何度か聞いたことはありましたが、詳細は知りませんでした。私は17年生きてきましたが、この問題について考えたことがありません。今思うと、大変情けなく恥ずかしいです。
 考えるきっかけになったのは、国語の授業で観(み)たアニメでした。めぐみさんが拉致される前後の日々やめぐみさんの御家族も含め、拉致被害者家族の皆さんが力を合わせて共に闘っている姿が描かれていました。そのアニメを観て、めぐみさんが体験された言葉では表しきれない恐ろしさや絶望、苦しみを同じように実感したなら、私はどうなっていたか分かりません。
 さらに、今の私より若い中学生の女の子が拉致された時の心細さがどれだけ辛(つら)いものなのかと想像しても計り知れないことを人として、また同じ日本人として悔しいです。「あの日」から四十数年の月日が経(た)った今でも、拉致問題はなかなか解決されないどころか、進展させることさえも難しくなってきていると考えます。日本が国として日本国民であるめぐみさんをはじめ被害者の皆さんを助けられないことに私は憤りをおぼえてなりません。
 めぐみさんはこの四十数年間、様々な思いをめぐらせながら北朝鮮で必死に暮らされていると思います。その日々の中でも小さな幸せがめぐみさんに訪れることを願います。そして今日をきっかけに政治や社会、国際問題などにより関心を持ち、思考し、積極的に選挙に参加することが日本人としての役目であり、少なからず出来る事だと私は考えます。
 めぐみさんが生きておられること、めぐみさんが無事に日本に帰国し、御家族と再会されること、この問題が少しでも早く解決されることを心から祈り続けます。

授業で見たビデオに涙・・・東京都大田区 藤野花(ふじの・はな)さん 小学5年 11歳
 私は、道徳で拉致問題について考えました。 ビデオを見たとき、目がうるうるしてくるぐらい悲しくなってとても恐しいなと感じました。見ているだけでもこわいのに、自分がめぐみさんだったら、めぐみさんの家族だったらと考えると、よけいこわくなってしまいました。拉致ということや拉致という悪いことをする人がいるということを改めて感じました。拉致という悪いことをしてなにが役にたつんだ、どんな良いことになるんだと反発したくてうずうずしています。めぐみさんが北朝鮮で、どんなことをさせられているのかなと思うと、キュッとむねがいたみます。
 めぐみさんがなるべく早く日本、そしてめぐみさんの家族の元に帰って、幸せにくらせるようになることを願いながら、日々あゆんでいきたいと思います。そして、めぐみさんが無事に帰ってくることに少しでも力になれるように、努力していきます。

SNSで世界に訴える・・・三重県松阪市 前出琴音(まえで・ことね)さん  3年 15歳
 私は社会の授業でめぐみさんの事を初めて知りました。めぐみさんの他にも16人の人が拉致されている事も知りました。そこで私は今の状況をより多くの人に知ってもらいたいと思いました。どうしたら世界の人が今の状況を知ってくれるのか考えました。それはSNSで世界中に発信するという考えです。今の情報化社会ではほとんどの人がインターネットやスマートフォンを利用しています。それらはとても拡散力が大きいのでより多くの人が今の状況を知る事ができると思います。またテレビで流したり、人の目にとまる様なポスターなどを作る事も大切だと考えます。そして国民一人一人が参加する事も重要だと思います。
  私は今回の授業で他人事にしないという所が一番大切だと考えました。めぐみさんは当時13歳で私たちと差はほとんどありません。だからこそ「自分には関係ない」ではなく自分たちができる事をしていきたいです。


2019.1.21-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】(上)拉致被害者救出へ 私ができることは

(拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。)

めぐみさんも、あきらめないで・・・東京都渋谷区 小泉愛菜(こいずみ・まな)さん 小学3年 9歳
横田めぐみさんへ めぐみさんおげんきですか。
 わたしは、東京に住んでいる小学校三年生の小泉愛菜です。お母さんが「めぐみさんが中学一年生の時に、北朝せんにつれさられた」と、わたしに教えてくれました。もう41年も、帰ってきていないと聞いて、かなしかったです。私だったら、41年も家族に会えないなんて、考えられません。北朝せんに、つれさられた時どんな気持ちでしたか? 私だったら、大泣きしているどころじゃなく、ずっとさけんでいると思います。
 北朝せんは、めぐみさんが死んでしまったと、いっているけれど、私はめぐみさんが生きていると、しんじています。だから、日本の人たちが、めぐみさんが、帰ってきてくれることを信じています。だから、めぐみさんも、あきらめないで、いてください。
 私は、まだ子どもだからできることがあまりないけれど、学校の、友だちに、めぐみさんのことを話したいです。めぐみさんのことを、しらない人にも、教えてあげることで、みんあが、めぐみさんのことを、おうえんしてくれると思います。そしたら、めぐみさんが帰ってこられると思います。日本に帰ってきたら、めぐみさんと、ぜひお話したいです。わたしのとくいな、おり紙をおしえてあげます!だからめぐみさんも元気でいてください。
(小泉愛菜より)

戦争と一緒 世界で考える問題・・・東京都町田市 松岡優太(まつおか・ゆうた)さん 中学1年 12歳
 めぐみさんは、今本当につらいと思います。自分といっしょの中学1年生で、ある日、ふつうに学校へ行きいつも通りに勉強して、いつも通りに部活に行った帰り道に拉致されてしまったということ、いつもの日常から、がらりと変わってしまったということ、家族や友達と会えなくなってしまったことは本当につらいし、くるしいと思います。
 でも、いつか日本にもどってこられると思います。絶対にあきらめないで下さい。今の環境は本当に大変だと思います。だけど絶対にあきらめないで下さい。家族にも友達にもまた会えて、昔の生活にもどれるという希望を捨てないで下さい。
拉致というものは、世界中の問題だと自分は思っています。拉致は絶対に起こってはいけません。そして、この先拉致が起こっては絶対にいけないと思います。そして拉致は命に関わる問題です。国と国で命に関わる問題というものは、戦争と一緒です。戦争を起こさないようにするには、拉致問題を解決することが大事だと思います。そしていずれ、国どうしの仲が良くなり平和になってほしいです。
 いつか、絶対にめぐみさんは日本に帰ってくることができると思います。日本で生活できると思います。そして拉致は、世界中の問題なので一秒でも早くこの問題が解決してほしいと思いました。

「たかが数十人」ではない・・・岡山市 草場琴羽(くさば・ことは)さん 高校2年 17歳
初めまして、こんにちは。この拉致問題を知って貴女(あなた)が帰ってくることを沢山(たくさん)の人が望んでいることを知ってもらうためにお手紙を書かせていただきました。 この問題で一番印象に残っているのは、こんな意見でした。
 「たかが、数十人のために日本と北朝鮮との国際的な交友を崩していいのか」 という言葉に驚愕(きょうがく)しかありませんでした。たかが数十人なわけがありません。親族の方、友達、知り合いの方にとってはかけがえのない数十人、いえ、かけがえのない一人です。国家国民全体が動くべき問題だと思います。
 めぐみさんとご両親が一刻もはやく会うことができ、「あの時」から止まってしまった家族との時間が再び動き出すことを願っています。そしていつまでも元気に過ごせるように、政府には大きく動いてほしいと願っています。
当時のことを思うと、心細くてしようがないことでしょう。めぐみさんが北朝鮮で今日まで頑張ってこられたことに、拉致問題解決に向けて勇気と希望が見えることを祈っています。きっと帰ってこられることを私は信じています。

署名集め国際司法裁へ・・・三重県松阪市 小濱雅楽(こはま・うた)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。
 私は、社会の授業でめぐみさんの体験を基に、北朝鮮拉致問題について学びました。めぐみさんは、当時13歳でクラブ活動を終えて帰ってくる時に拉致されたことを知って、私はいつもの日常を失われるのはどれだけ辛(つら)いことか、想像するだけで怖さを感じました。そして、その恐ろしい怖さを知っていながらも解決できない私たち日本があることに、申し訳なさを感じました。少しでもめぐみさんの力になれるよう解決策を考えた結果、まずはこの事件を知らない人が多い若い世代に伝えるべきだと思いました。そして、国民の力を合わせて署名を集め、国際司法裁判所へ訴えたらいいと思いました。
 私は、北朝鮮拉致問題について考えてみて、恵まれた毎日があることに感謝を抱いて生きようと思いました。私たちが拉致問題に対してあまりできることはないと思いますが、拉致被害者が無事に帰れることを願っています。

他の国の人と 今を変えていく・・・三重県松阪市 中井飛路(なかい・ひろ)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。私は中学生です。私は、学校の授業で拉致問題について学びました。めぐみさんが私と同じ中学生の頃に拉致されたということ、他の国の人でも、日本人でも、同じ被害にあった方がたくさんいること、拉致問題は重大な人権問題だということなどを授業で知りました。今まで詳しく知る機会が無かったのですが、大きな衝撃を受けると共に、私はこう思いました。
  拉致問題は、他人事でも過去のことでもなく、日本や拉致被害者の問題を抱える他の国の国民全員で考えなければならない今の問題だ、と。そしてこの意識を多くの人が持ち、今を変えていかなければならないと強く思いました。このことを今より多くの人に知ってもらい、また、私がこうして願っていることがめぐみさんに届いてほしいです。まだ中学生の私にはお手紙を書いたり、祈ったり、募金をしたりと、できることが少ないですが、今を変えたいです。めぐみさんの帰りを待っています。


2019.1.17.-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる
(1)
(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
  このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
  そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
  たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
(2)
  私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
  それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
  ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
  今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
  昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。
  20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
(3)
そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
  間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
  お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
  お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
  被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。
  最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
  一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。
(4)
道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
  私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
  お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
  めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
  新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】英語で… 堺市 亀川乃晶さん 高校2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

母の子を思い愛強く・・・堺市 亀川乃晶さん 高校2年
 10月5日のめぐみさんの誕生日に産経新聞に載った横田滋さん、早紀江さん夫妻の「めぐみへの手紙」(昨年10月5日付)を読み、学校の英語の暗唱大会のテーマに拉致のことを書きました。

《和訳》・・・「めぐみさんのお母さん」・・・・・横田めぐみさんについて新聞で読みました。彼女は1977年11月15日、新潟県で13歳の時に、学校に登校したきり、帰ってきませんでした。彼女のお母さん、早紀江さんとお父さんの滋さんは41年間ずっと、彼女を捜し続けています。彼女は北朝鮮に連れ去られました。めぐみさんは今、54歳になっています。
 2002年9月、小泉純一郎首相は平壌で開かれた日朝首脳会談で、金正日総書記に会いました。北朝鮮は1970年代から80年代に13人の日本人を拉致したことを認め、それから5人の拉致被害者が日本に帰ることができました。しかし、横田めぐみさんは帰ってきませんでした。北朝鮮は、めぐみさんが亡くなったといい、彼女の遺骨が日本に届きました。日本政府が調べましたが、その遺骨は偽物で、彼女の遺骨ではありませんでした。
  私の母と私は、拉致問題について話し、母が私にある話を教えてくれました。ウサギの母親は、とても遠い場所に子ウサギが離れていたとしても、その生死を感じとることができるという説がある。…皆さんはこれをどう考えますか。
 私の母は私に言いました。「少なくともめぐみさんのお母さんと私は、この母ウサギと一緒だと思っている。だから、めぐみさんのお母さんが、めぐみさんはちゃんと今も生きている!と信じているのなら、めぐみさんは必ず生きているはず」
 私はこの話を聞いて思いました。ウサギでも人間でも母親が子を思う愛は限りなく強く、激しくて、深いものだと。お母さんってすごい!
 2017年11月、早紀江さんは米国のトランプ大統領に会い、拉致問題の解決を要請しました。安倍晋三首相はトランプ大統領とともに強くこの問題解決に取り組んでいます
めぐみさんとめぐみさんのお母さん、そのご家族がもう一度、一緒に笑って幸せになってもらいたいと、私は心から願っています。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】「たくさんなみだが」埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

ぜったい帰って来て・・・埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年
 めぐみさんの話は新聞をお母さんといっしょに読んではじめて知りました。
中学一年生の女の子が、学校の帰りにとつぜん外国の人にゆうかいされて、41年間帰ってこれていないということ、「らちひがいしゃ」ということ、知らない言葉でした。 お母さんと話をしてめぐみちゃんの気もちめぐみちゃんの家ぞくの気もちを考えました。
 めぐみちゃんがどれだけこわくてしかたがなかったか考えました。41年間という時間は、わたしにはそうぞうがつきません。でも、お母さんと話をしていて、「親にとって、子どもがいなくなった日のことは41年なんてきのうのことのようにぜったいにわすれられないことなんだよ。」と言う話を聞いた時に、わたしはなぜか分からないのだけれどたくさんなみだが出ました。
わたしもぜったいめぐみちゃんのことをわすれません。 ぜったい日本に帰って来て下さい。 めぐみちゃんが一日も早くお父さんお母さんに会えますように。

(原文ママ)

横田早紀江さん・・・・・「胸に響き、力づけられます」

 拉致被害者の一刻も早い救出を願う全国の若者から寄せられた手紙に目を通した横田早紀江さんは感謝の思いを語りつつ、「拉致問題に関心を持ち続けていただきたい」と呼びかけた。

めぐみたちすべての拉致被害者の救出を願う手紙につづられた、ひとつひとつの言葉が強く胸に響き、力づけられました。本当にありがとうございます。
拉致問題は未解決のまま長い時間がたち、その事実を知らない方も増えています。そうした今、若い皆さんが問題を知ることには、大きな意味があります。
  皆さん1人1人の思いは決して小さくありません。拉致事件という残酷な人権侵害の事実を学び、解決の道筋を考えていただくことは必ず、国を動かし、全被害者を帰国させる動きにもつながるはずです。
  年老いた家族は、拉致をすっかり解決し、希望にあふれた日本を次世代に引き継ぐことが最大の願いです。若い皆様もどうか、関心を持ち続け、声をあげていただけるよう、お願いします。
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めぐみさんに手紙を書きませんか
 北朝鮮に拉致され、いまだに帰国が実現しない横田めぐみさんらすべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」を、全国の小中学生や高校生、大学生から募集しています。学校のクラス単位での応募も歓迎します。
 字数はおおむね原稿用紙1~5枚(400字~2000字)ぐらい。郵送の場合は〒100-8078(住所不要)産経新聞社編集局社会部「めぐみさんへの手紙」係へ。eメールはnews@sankei.co.jpまで。住所、氏名、年齢、電話番号(小中学生の場合は保護者の方の連絡先)を明記してください。
 産経新聞社は募集した手紙を、拉致問題解決のための世論喚起などに生かさせていただくとともに、優れた手紙は紙面で紹介していきます。
 産経新聞社はこの手紙の募集に合わせて、拉致問題に関するテーマについて現役記者らが分かりやすく講義する“出前授業”を実施しています。
 問い合わせは、編集ソリューション室(nie-tokyo@sankei.co.jp)まで。








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拉致問題対策本部HP-https://www.rachi.go.jp/
北朝鮮による日本人拉致問題-Abductions of Japanese Citizens by North Korea

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