沖縄の問題-1


2024.02.24-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240224-ENWA2TDUDRIQJOZB2YSCFJGZ2M/
「辺野古移設は危険性除去につながらず」 玉城知事「民意」のよりどころ5年前の県民投票
(大竹直樹)

  米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について賛否を問う県民投票が行われてから5年となった24日、沖縄県の玉城デニー知事は「圧倒的多数の辺野古埋め立てに反対する県民の民意が明確に示された」と振り返り、「辺野古移設では普天間飛行場の一日も早い危険性の除去にはつながらない」とするコメントを発表した。

  平成31年2月24日に実施された県民投票では、移設「反対」が有効投票の7割を超え、玉城氏が初当選した30年9月の知事選で自身が獲得した約39万票を上回った
  玉城氏はコメントで「政府は県民投票で示された民意を一顧だにせず、埋め立て工事を強行した」とし、政府が昨年12月、移設反対の県に代わり工事の設計変更を承認する「代執行」に踏み切ったことを批判。政府に対し「対話によって解決策を求める民主主義の姿勢を粘り強く訴える」と強調した。
  ただ、県民投票では全有権者のうち48%が棄権しており、6割以上が明確に「反対」の意思を示さなかった。投票所に足を運んで「反対」したのは有権者全体の38%で、移設先の辺野古地区も経済振興や地域活性化を期待して容認している。
  県民のこうした多様な意見をよそに、玉城氏は移設反対派が当選した直近3回の知事選や5年前の県民投票で反対票が多数を占めたことを根拠に、「民意こそが公益」として司法判断にあらがい続けてきた。
  玉城氏はコメントで「辺野古新基地建設阻止、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、県外、国外移設および早期閉鎖・返還を求めていく」とした。
  しかし、辺野古移設を巡る訴訟で県側敗訴とした昨年12月の福岡高裁那覇支部判決は県に対し、普天間飛行場の危険性除去が早期に実現せず、「甚だしく社会公共の利益を害する」と断じた
  5年前の「民意」を盾に、司法の最終判断をも拒絶する玉城氏の姿勢は、法治主義を軽視し、民意を絶対視する風潮をも招きかねないとの批判もある。
  沖縄の米軍基地は日米同盟の抑止力の要だが、国の安全保障が玉城氏の言う「民意」によって大きく左右されているのが現実。安全保障環境が厳しさを増す中、南西地域の防衛体制強化にも影響を及ぼしかねない事態となっている。(大竹直樹)


2024.02.10-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240210-BCZEFJDYMVP3ZAWHJ5IWOVT2CI/
沖縄署襲撃事件はなぜ起きたか 「SNSの〝誤解〟拡散」で400人が集結、一部暴徒化-(深層リポート)
(大竹直樹)

  沖縄県警沖縄署令和4年1月、大勢の若者が押し寄せて一部が暴徒化した事件で、県が破壊行為に関わった少年らとその保護者ら38人に対し、警察車両の修理費用など計400万円超の損害賠償を求める訴えを起こす方針を固めた。そもそも治安が保たれた日本でなぜ、警察署が襲撃される事態に至ったのか。
  「高校生が警察に警棒で殴られた」SNS(交流サイト)で相次いだ投稿に端を発し、4年1月27日深夜から28日未明に沖縄署に若者ら約400人が集まった。怒号と石が飛び交い、庁舎や車の窓ガラスなどが破壊される異常事態現場の動画を配信して集結や襲撃を呼びかける者もおり、暴力団組員の男が暴力行為等処罰法違反(集団的器物損壊)容疑で逮捕されたほか共謀した少年らも書類送検された。
  きっかけは同27日午前1時すぎ、沖縄市内の住宅街で男性巡査(当時)が行った職務質問だった。車1台がやっと通れるほどの狭い路地。暴走族を警戒していた巡査が、向かってくるバイクに向かって警棒を差し出し、このとき巡査の警棒と男子高校生(当時)の右目付近が接触した。高校生は右目の眼球を破裂する大けがを負った。

■SNSで相次いだ誤情報
  SNSには「高校生が暴走行為をしていた」との書き込みも相次いだが、これは事実に基づかない誹謗(ひぼう)中傷だった。高校生は暴走行為を見物していただけだったからだ。
  「高校生が警察に警棒で殴られた」とのSNSの記述はどうか。高校生は巡査に停止を求められた認識はなく、暗い道で突然、目の前に現れた巡査からいきなり棒のようなもので殴られたと主張した。
  ただ、裁判では「殴られた」との高校生側の主張は採用されなかった。県警は巡査を特別公務員暴行陵虐致傷容疑で書類送検したが、那覇地検は法定刑の軽い業務上過失傷害罪で在宅起訴。捜査関係者によると、客観証拠が乏しく、故意の立証は困難だったという。那覇地裁は昨年12月、巡査に罰金100万円の判決を言い渡し、確定した。
  もっとも、巡査の行為は適切な職務執行とも言えなかった。現場は街灯の少ない狭い路地。にもかかわらず、巡査は夜光チョッキを着用するなどの接触を避けるべき注意義務を怠っていた。高校生と接触後、すぐ上司に報告しなかったことも判明している。
■正義感から感情的に
  危機管理に詳しい日本大の福田充教授は沖縄署襲撃事件について、「正確ではない情報がSNSで拡散され、『公権力の不当な行使だ』といった正義感から、感情的な行動につながった可能性がある」と指摘する。
  個人が自由に情報を発信できる時代だけに、事実に基づかない誤った情報もSNSで一気に拡散してしまう危険性をはらんでいる。
  地元の繁華街では昭和45年、群衆が米兵らの車を焼き打ちにした「コザ暴動」が起きている。米軍への日頃の不満が爆発し自然発生的に起きたとされる。
  だが、今回の沖縄署襲撃事件はSNSの情報拡散が原因だったとみられている。福田教授は「SNSで情報が拡散される社会。警察もそのことにもっと敏感になり、市民に向けて丁寧に説明する必要がある」との見解を示した。

  コザ暴動 米国の施政下だった昭和45年12月20日未明、米軍嘉手納基地に隣接する沖縄県コザ市(現沖縄市)内で、群衆が黄色ナンバー(米軍関係)の車を次々に横転させ、炎上させた事件。群衆は嘉手納基地にも侵入し、基地内の学校に放火するなどした。暴動により米国人と群衆の計88人が負傷。ただ群衆は米国人を逃がしてから焼き打ちにしたため死者はおらず、略奪もなかった。

  SNSが普及した現代社会では、誰もがSNSの誤った情報に振り回される被害者にもなり、と同時に拡散する加害者にもなり得る誤った情報の拡散を防ぐためにも、客観的な取材に基づいて真偽を検証し、正しい情報を発信することがメディアに求められている。誰もが自由に発信できるようになった時代だからこそ、メディアの果たすべき役割は大きいと痛感した。(大竹直樹)


2024.01.0-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20240110/k00/00m/040/086000
辺野古の工事、国が着手 代執行受け防衛省 県の反対押し切り
【比嘉洋、古川宗】

  米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡り、防衛省は10日午後、軟弱地盤がある米軍キャンプ・シュワブ東側で設計変更に伴う工事に着手した。移設計画に反対する玉城デニー知事は軟弱地盤の改良工事に必要な設計変更を承認していなかったが、公有水面埋立法を所管する斉藤鉄夫国土交通相が2023年12月に承認を代執行したことを受け、県の反対を押し切って工事を強行する形となった。

  防衛省沖縄防衛局によると、10日午後、国交相の設計変更承認に基づき、シュワブ東側の沖合に「海上ヤード」を設置するための石材を海中に投入した。海上ヤードは護岸工事に使うコンクリート製の箱形構造物「ケーソン」の仮置きに使用する
  沖縄防衛局の設計概要説明書によると、今後、シュワブ東側の海上ヤード建設と護岸工事を並行して進め、年内に地盤改良工事に着手する。埋め立て工事は9年3カ月かかり、普天間飛行場の「代替施設」が米軍に提供されるのは最短で12年先の2030年代半ば以降になる見通し
  林芳正官房長官は10日午前の記者会見で「政府としては辺野古移設が唯一の解決策と考えている。今後も地元への丁寧な説明を行い、基地負担の軽減を図るために全力で取り組む」と述べた。【比嘉洋、古川宗】


2023.12.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20231226-PVKULHHAGRPPNH5WRDBMAFVY3M/
「12月30日に沖縄県庁を爆破」と予告メール 警察に通報

  「12月30日に沖縄県庁を爆破する」と予告するメールが沖縄県の関係機関に届いたことが26日、県への取材で分かった。すでに県警に通報しているという。


2023.12.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20231223-E7E73COXLZPSZB7FASSYCQAGYY/
辺野古「不承認」 異例の対応、法治主義の軽視懸念
(那覇支局長、大竹直樹)

  米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡る「代執行」訴訟で、玉城デニー知事が工事の設計変更を承認するよう命じた福岡高裁那覇支部の判決に従わず承認しない公算が大きくなった。9月の最高裁判決で県敗訴が確定し、承認する法的義務を負いながら、行政の長が司法判断にあらがい続ける異例の対応は法治主義の観点からも由々しき事態だ。

  20日の高裁支部判決は県側の主張をことごとく退け、設計変更を承認しない違法な状態を放置することで普天間飛行場の危険性の除去が実現されないとし「社会公共の利益を害する」と断じた。「憲法が基本原理とする法の支配の理念や法治主義の理念を著しく損なう」とも指摘している。
  辺野古移設に反対する県政与党の県議は「承認しなくても結果が変わらないことは知事も分かっている。逆転勝訴する余地もないだろう。それでも希望がある限り戦わざるを得ない」と話す。
  「不当判決だ」。県敗訴の判決が言い渡された20日、裁判長が主文を読み上げると、傍聴席の男性が突然、声を張り上げた。高裁支部前では知事の支援者らが「知事は一人ではない」と訴えた。
  玉城知事はこうした支援者らの声にすがるように、国との法廷闘争を繰り返してきた。移設反対派が当選した直近3回の知事選や反対票が多数を占めた平成31年2月の県民投票の結果が、知事が言う「民意」の根拠だ
  だが、その結果、法にのっとって行われなければならない行政が滞り違法な状態が放置された。
  沖縄県では令和4年度、自己都合で退職した県職員が100人に達しわずか2年で倍増。個々の退職理由は不明だが、「責任感の強い県職員ほど、国と対立する知事との板挟みになっている」(保守系県議)と臆測を呼んだ。
  裁判では「民意こそ公益」との玉城知事の主張は通用しなかった。国の安全保障はもちろん、市街地に隣接する普天間飛行場の危険性除去も公益のはずだ。行政の長として判決の内容を真摯に受け止める必要がある。あくまで「民意」を盾に司法判断を拒絶するというのであれば、民主主義的政治原理である法治主義は成り立たなくなってしまう(那覇支局長、大竹直樹)


2023.10.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20231023-M3MIFFGP3BJIXMJRYIGR54GOZA/
沖縄・デニー知事への初の問責決議案、大荒れの末に否決 1票差…

  沖縄県議会は23日、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題などを巡る玉城デニー知事の言動や行政運営に看過できない問題があるとし、初の問責決議案を採決した。賛成23、反対24の1票差で否決されたが、審議直前にも県による不適切な会計処理が発覚し、本会議が一時空転するなど大荒れとなった。玉城氏の責任を問う声は今後も一段と高まりそうだ。

  問責決議案は県議会野党の自民と中立の公明、無所属の県議が連名で提案。辺野古移設を巡る訴訟の最高裁判決で県の敗訴が確定したにもかかわらず、玉城氏が従わないのは「法治国家にもとる」と糾弾した。
  さらに最近、県庁の地下から有害な有機フッ素化合物「PFOS(ピーフォス)」が流出したことや、違法な赤字会計処理など不祥事が相次いでいることを問題視し、「もはや地方自治体の長たる能力と資質に欠ける知事であることは明らか」と厳しく批判している。
  23日の県議会では、県土木建築部が所管する2件の事業で、手続きミスにより約2億3千万円の国庫補助金を受けられない可能性が出ている不祥事について土木環境委員会が開かれ、県側が改めて謝罪するとともに経緯を説明した。
  その後に本会議が開かれ、問責決議案が採決される予定だったが、新たに県保健医療部で不適切な会計処理が発覚。県議会議長が玉城氏に説明を求めようとしたものの、「本日は仕事がないから」との理由で玉城氏が登庁しておらず野党議員から「議会軽視」との怒声が飛び交うなど大荒れとなった。
  予定より遅れて午後5時すぎに行われた問責決議案の討論では、無所属の県議から玉城氏の辞職と出直し選挙を求める声も上がった。採決では共産党など「オール沖縄」系の県議が反対したため僅差で否決されたが、自民党県議からは「玉城県政は崩壊寸前だ。県民生活がないがしろにされており、その責任を引き続き追及していく」との声が上がっている。
  採決後、本会議に出席した玉城氏はこの日明らかになった県保健医療部の不適切な会計処理などについて陳謝するとともに、「全庁、全職員を上げて信頼回復に努めていきたい」と話した。


2023.09.20-朝日新聞-https://www.asahi.com/articles/ASR9M72H1R9JUTIL00C.html?iref=comtop_7_02
「意思決定への平等な参加阻害」 沖縄知事が国連で辺野古移設批判
(宋光祐=ジュネーブ、小野太郎)

  沖縄県の玉城デニー知事は18日(日本時間19日)、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれている国連人権理事会に出席し、在日米軍基地が沖縄に集中している現状や、日本周辺の緊張を高める軍事力増強への懸念について訴えた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画についても、反対の民意が顧みられていないと批判した。

  玉城氏は22日まで滞在し、三つの本会議に出席する。沖縄県知事が同理事会で発言するのは2015年の故・翁長雄志前知事以来8年ぶり。
「人権や民主主義という普遍的な問題」訴える狙い
  辺野古移設計画をめぐる国との訴訟で沖縄県の敗訴が確定し、玉城氏は新たな区域の埋め立てに必要な防衛省の設計変更申請を承認するか否かの判断を迫られている。理事会での発言は、辺野古移設や米軍基地の問題は「沖縄だけでなく、人権や民主主義という普遍的な問題」として国際社会に訴える狙いがある。
  玉城氏は18日、本会議場に並ぶ各国の代表団に「米軍基地が集中し、平和が脅かされ、意思決定への平等な参加が阻害されている沖縄の状況を世界中から関心を持って見てください」と発言。沖縄の現状について「日本全体の国土面積の0・6%しかない沖縄には、在日米軍基地の約7割が集中している」と説明した。
  その上で、日本政府に対し、「貴重な海域を埋め立て、新基地建設を強行している」と批判。7割超が埋め立てに反対した19年の県民投票にも触れ、「民主主義の手続きにより明確に埋め立て反対という民意が示された」と指摘した。「軍事力の増強は日本の周辺地域の緊張を高めることが懸念されるため、沖縄県民の平和を希求する思いとは全く相いれない」とも述べた。
日本政府代表部は「米軍駐留は重要」 玉城知事はPFAS検出問題に言及
  一方、玉城氏の演説後には、ジュネーブ国際機関日本政府代表部の担当者が「沖縄における米軍の駐留は、日本の平和と安定を確保する観点から極めて重要だ」と答弁。「米軍の駐留は地政学的理由と安全保障上の必要性に基づいており、いかなる差別的な意図にも基づいていない。米軍の専用施設が集中することは沖縄に重大な影響を及ぼしており、沖縄の負担を軽減することは政府の重要な責任だ」と述べた。
  玉城氏は今回、人権理事会で発言が認められている非政府組織(NGO)側の参加者として演説した。地方自治体の首長が発言するのは珍しく、演説後には理事会の出席者から称賛の言葉をかけられたという。
  19日にあった講演で玉城氏は、米軍基地周辺で健康への影響が懸念されている高濃度の有機フッ素化合物(総称PFAS〈ピーファス〉)が検出されている問題に言及。同様の問題が起きたハワイの米軍施設では米軍が水質の監視結果を公表することになったのに、沖縄では対応されないままになっているとして、「国内外で対応に違いがあるのは明らかだ」と指摘した。
  その上で、「沖縄県内の人権や生活を守るためにも、米軍に対する国内法の適用など日米地位協定の抜本的な見直しが必要だ」と訴えた。辺野古移設計画をめぐって県の敗訴が確定した最高裁判決にも触れ、「沖縄県の自主性や自立性、憲法に定める地方自治の本旨を形骸化させる極めて重大な問題だ」と訴えた。
「各国・各機関に、無用の誤解」 自民県連は知事に事前申し入れ
  一方、玉城氏のジュネーブ訪問に先立ち、自民党沖縄県連幹部らは「国内の政治問題を公的な立場で国際世論に訴えようとすることは、各国・各機関に無用の誤解を生じさせかねない。国内法秩序をないがしろにしかねない言動は厳に慎んでほしい」と申し入れた。
  18日の日程を終えた玉城氏は報道陣に対して、「率直に言えば、日本政府が沖縄県民の様々な思いを受けて、米国側と協議して進めている現状であれば、私がここに来る必要はない。なぜ私がここに来たか。これが今の沖縄における最大の問題だ」と話した。(宋光祐=ジュネーブ、小野太郎)


2023.09.19-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230919-WKJ6XFTGHVKKRMN5M6SAOCXPOU/
沖縄知事「日本政府、新基地建設を強行」と非難 中国などの不当介入招く恐れ

  【ジュネーブ=板東和正】沖縄県の玉城デニー知事が18日、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説し、米軍基地が「(沖縄に)集中し、平和が脅かされている」と主張した。「日本政府は私たちの貴重な海域を埋め立て、新基地建設を強行している」と非難。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に対し反対を表明した。米軍基地は日米同盟の抑止力を形成する重要要素である中、知事がその配置に国際機関の場で異論を唱えるのは、日本国民の安全という国益を損ない、中国など外国勢力の不当介入を招く恐れがある

  玉城氏は18日、国連人権理の本会議場で開催された「国際秩序」の会議に出席した。演説で「沖縄は日本全体の国土面積の0・6%しかないが、日本にある米軍基地の70%がこの小さな島に集中している」と指摘。「米軍基地が集中し、平和や意思決定への平等な参加が脅かされている沖縄の状況を世界中から関心を持ってみてもらうために私はここにきた」と訴えた。
  玉城氏は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関する平成31年(2019年)の県民投票に触れ「民主的に行われた県民投票で沖縄の有権者が明確に反対したにもかかわらず、埋め立て工事は進んでいる」と言及。「私たちは軍事力の増強が日本の周辺地域の緊張を高めることを恐れている」とし「沖縄県民の平和を希求する思いとは相いれない」との見方を示した。
  「私たち沖縄県民は、2016年の国連総会で採択された『平和への権利』を私たちの地域において具体化するよう、関係政府による外交努力の強化を要請する」とも述べた。

  一方、日本政府代表は玉城氏の演説に対し「沖縄における米軍の駐留は、地政学的な理由と日本の安全保障上の必要性に基づくもので差別的な意図に基づくものではない」と指摘。「辺野古への移設を着実に進めることが、普天間飛行場の完全返還を可能な限り速やかに実現し、地域住民の危険性の除去につながる唯一の解決策だ」と反論した。
  沖縄県知事が国連人権理に出席し、発言するのは2回目。15年には翁長雄志前知事が辺野古移設反対を訴え「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」とスピーチした。国連の理事会に非政府組織(NGO)が意見表明する会議があり、関係者によると、玉城氏はNGOの発言枠を譲り受ける形で演説した。
  辺野古移設をめぐっては、地盤改良工事の設計変更に関する上告審で、今月4日に県側が国に敗訴。玉城氏は設計変更を承認する義務を負ったが、態度を明らかにしていない


2023.09.16-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230916-RUKVDUOLU5HZ5DL4W4OH7X5ET4/?outputType=theme_weekly-fuji
米軍の辺野古移転 沖縄知事は矛を収めるときだ 時間稼ぎは無駄
高橋洋一(元内閣参事官・嘉悦大教授)

  沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移転をめぐる訴訟で、国の勝訴が確定した。沖縄県側はなおも反発しているが、工事がこれまで遅れたことでどのような問題が生じていたのか。訴訟の決着を受けて事態は進むのか。

  本件については1995年ごろから長い経緯のある話だ。米軍は別に普天間のままでも構わない。飛行場の周辺で事故があっても、軍事運用では事故もあるとして、運用上、大した支障とならない。外向きには普天間飛行場は安全であるという立場で、米軍の事情で移転するわけではないとのスタンスだ。むしろ米軍にとっては街中に基地がある方が隊員の士気維持には好都合だろう。
  普天間の周辺住民はどうだろうか。もし大多数が何の不安も抱かなかったら移転させる必要もないが、実際には各種の事故などで普天間を危険とみなす人が多く、移設は沖縄県民の総意といってもいいだろう。
  問題は県外か県内かだったが、政権交代した民主党の鳩山由紀夫政権を含め、これまで長年検討された結果が辺野古沖への移転案だった。
  自民党政権下で辺野古沖案が決まったのは2006年だが、民主党に政権交代した後、鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言で大いに混乱した。
  その当時、鳩山首相のブレーンと称される人たちが思いつきの発言をしたことで議論は収束せず、結果として時間の無駄だった。
  鳩山首相は「学べば学ぶほど抑止力の重要性が分かった」と述べたうえで、「沖縄の地理的な特性と海兵隊の特徴を踏まえ、海兵隊が沖縄に配置されていることは抑止力になっている」との政府見解を踏襲せざるを得なかった。
  もっとも、その後、鳩山氏は「米海兵隊の抑止力」を挙げたことについて、「辺野古しか残らなくなったときに理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」とも語っており、本当にデタラメな発言ばかりしていたことが判明している。
  ともあれ、辺野古移転について支障がなくなった。形式的には、国と地方は対等の関係なので、諸手続があり、沖縄県は時間稼ぎはできる。しかし、いくら時間稼ぎをしても、結論を覆すことはできない。
  共産党の小池晃書記長は、最高裁が不当判決をしたと批判し、「これからも県民とともに全力で戦い抜く決意だ」と表明した。誰と戦い、どのように最高裁判決を変更させるのだろうか、一定の司法手続きを無視するようでは、社会の安定は保てない。今後もこれまでのような時間稼ぎでは、普天間の危険を長引かせるだけだ。
  意見の違いはあれど、最高裁判断を無視していいはずがない。立法府の人間が最高裁判決を不当判決と言うことすら、三権分立への尊敬の念が欠如していると言わざるを得ない。
  後は粛々と辺野古移転を進めるべきで、玉城デニー沖縄知事も無駄な訴訟をすべきでなく、矛を収めるときだ
(元内閣参事官・嘉悦大教授)


2023.09.04-朝日新聞-https://www.asahi.com/articles/ASR8034HRR8YUTIL01F.html
辺野古訴訟、沖縄県の敗訴確定 設計変更の承認求める国の指示は適法
(遠藤隆史)

  米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、軟弱地盤の発覚に伴って防衛省が申請した設計変更を承認するよう国が県に「是正指示」を出したのは違法だと県が訴えた訴訟で、最高裁第一小法廷(岡正晶裁判長)は4日、県の上告を棄却する判決を言い渡した。裁判官5人全員一致の判断で、県の敗訴が確定した。

  玉城デニー知事が設計変更を承認する法的義務が確定し、埋め立てが始まっていない北側区域は、工事着手に向けた重大局面を迎える。
  防衛省は2020年4月、北側の海底で見つかった軟弱地盤を改良するため、水深70メートルの海底に7万本以上の杭を打ち込むなどの追加工事が必要だとして、県に設計変更を申請した。県は21年11月、「地盤の安定性の検討が不十分」などとして不承認とした。
  これに対し、国土交通相は22年4月、地方自治法に基づき、不承認を取り消す「裁決」をし、従わない県に承認を求める是正指示を出した。県は二つの訴訟で取り消しを求めたが、福岡高裁那覇支部はいずれも認めず、第一小法廷も裁決については8月24日付の決定で県の上告を退けた。
最高裁、県の上告を棄却する判決
  第一小法廷は残る是正指示についてこの日の判決で判断。埋め立て承認のような、国の業務を自治体が代わりに担う「法定受託事務」で、不承認を取り消す裁決の後も同じ理由で承認を拒むことが許されれば「紛争の迅速な解決が困難になる」と述べ、知事は「裁決の趣旨に従う義務を負う」とした。その上で、県の対応は地方自治法に違反しており、違反を正すための国の是正指示は適法だと結論づけた。
  高裁判決は、是正指示の是非を判断するにあたり、県が不承認の根拠として主張した工事の問題点などを具体的に検討した上で訴えを退けたが、最高裁はこうした点には踏み込まず、手続き論だけで県の敗訴とした。
  判決を受け、松野博一官房長官は会見で「司法の最終判断が示された。沖縄県は判決に沿って速やかに対応すると考えている」と述べた。玉城知事は、設計変更申請を承認するか否かについて「判決内容を踏まえ対応を検討していく」と会見で語った。(遠藤隆史)


2023.07.20-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230720-JOVCLWZDKFNJXLOPN6Q5ZME7E4/
台湾船、与那国周辺のEEZで海洋調査か

  第11管区海上保安本部(那覇)は20日、沖縄県・与那国島の南約62キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内で、台湾の海洋調査船「新海研二號」が同日午後1時43分ごろ、船尾からワイヤのようなものを海中に延ばしているのを確認したと明らかにした。

  同意のない海洋調査活動は認められないとして、海上保安庁の巡視船が無線で中止を要求した。


2023.07.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230705-HMDW4JKVGZLR5BJEWMPLBZALOY/
沖縄県知事、尖閣に触れず 訪中団が李氏と会談

  【北京=三塚聖平】中国訪問中の日本国際貿易促進協会(国貿促、会長・河野洋平元衆院議長)の代表団は5日、北京の人民大会堂で李強首相と会談した。李氏は代表団訪中を「高度に重視している」と評価し、日中関係の強化を呼び掛けた。日本の財界人らで構成する同代表団の訪中は2019年以来で、沖縄県の玉城デニー知事も参加した。

  李氏は中国共産党序列2位で、習近平国家主席の長年の腹心。習政権として日本の経済界や沖縄県を重視する姿勢を見せた形だ。
  同行筋によると、玉城氏は会談で「日本と中国の友好強化、アジアの繁栄と安定に貢献したい」と発言した。双方とも中国が挑発行為を続ける尖閣諸島(沖縄県石垣市)には言及しなかったという。
  李氏は、日本政府が23日に施行する先端半導体分野の輸出規制について、「世界経済を妨害するものだ」と懸念を表明。日本側に対し「今の世界情勢は安定したものではない。中日両国で一致団結し、共に困難を乗り越えるべきだ」と訴えた。米中対立の深刻化を念頭に、日本に対して中国への歩み寄りを求めたものとみられる。
  中国では反スパイ法容疑による邦人拘束が相次ぎ、日本の経済界でも懸念が増している。河野氏は会談で、これらを念頭に「(日本企業の)投資意欲を低下させないでほしい」と中国側に対応を求めた。国貿促は中国との友好促進や経済関係の強化を目的に活動する日中友好7団体の一つ。


2023.06.30-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20230630/k00/00m/030/161000c
習主席「中国と琉球、交流深い」 沖縄知事訪中前に日本けん制?
【北京・岡崎英遠】

   沖縄県の玉城デニー知事が7月3~7日に中国を訪問するのを前に、習近平国家主席が同県の尖閣諸島(中国名・釣魚島)に関連して、中国と「琉球」の関係の深さに言及した。台湾問題への関与を強める日本を揺さぶる狙いがあるとの見方が一部で出ている。
   中国共産党機関紙・人民日報は6月4日付の1面で、習氏が同月1日に古文書を収集展示する国家版本館(北京市)を視察した様子を報道。習氏は、尖閣が中国の版図に属していたと記録した文書の説明を受け「福州に勤務していた時、琉球館や琉球墓があり、琉球との交流の根源が深いことを知っていた」と語った。香港紙・星島日報は「最高指導者に就任後、習氏が公に琉球に言及したのは初めて」とし「習氏は中国と琉球の結びつきを強調した」と報じた。

  習氏は1985年から17年間、福建省で過ごし、福州市党委員会書記時代には、同省の琉球館などの文化財保護を主導したと報じられている。省長時代の2001年には沖縄を訪問した。玉城氏は習氏の「琉球」発言について「今後の交流発展に意欲を示したと受け止めている」と述べた。
   だが、台湾問題への関与を強める日本をけん制する意図を指摘する声もある。香港の国際政治学者の林泉忠氏は「日本が台湾に深く介入すれば、中国側は『沖縄カード』をより明確な形で切る可能性もある」と話す。日本政府による尖閣国有化で日中関係が悪化していた13年には、人民日報が沖縄の帰属を「未解決」と主張する論文を掲載したことがある。
  玉城氏は日本国際貿易促進協会(会長・河野洋平元衆院議長)と共に訪中。中国の指導者との会談が調整されている。【北京・岡崎英遠】


2023.05.18-JIJI. COM.-https://www.jiji.com/jc/article?k=2023051800541&g=soc
中国艦5隻、沖縄で艦隊行動 防衛省警戒「極めて異例」

  防衛省統合幕僚監部は18日、中国海軍の艦艇5隻が二手に分かれて沖縄県の先島諸島を挟むように航行する艦隊行動を行ったと発表した。こうした行動の確認は初で、同省は「極めて異例」と分析。「軍事的プレゼンスを拡大する動き」として警戒を強めている。

  同省によると、中国海軍のミサイル駆逐艦など3隻が16日昼、与那国島と西表島の間を北に抜け、北東へ航行。別の2隻は同日午後7時ごろ、宮古島の北東約110キロで確認され、その後宮古島と沖縄本島の間を北上した。5隻は久米島西側で合流し、東シナ海を中国方向に進んだという。
  同省は、中国への最短距離ではないルートを航行した上、領海に近接した海域を通過したことなどから、軍事的な示威行動だったと分析している。


2023.04.23-琉球朝日放送-https://www.qab.co.jp/news/20230423172263.html
防衛省が沖縄へのPAC3配備に着手

  北朝鮮が計画する軍事偵察衛星の発射に備えて破壊措置準備命令が出たことに伴い、自衛隊はきょう、沖縄にPAC3地対空誘導弾パトリオットを配備する準備に着手しました。

  政府関係者らが明らかにしたもので、関連部隊がきょう午前、移動を始めました。共同通信によりますと、福岡県の博多港では、午前9時ごろに着岸した民間のフェリーに緑色の大型車両が次々と運び込まれ、隊員も乗り込みました。作業はおよそ50分で終わり、フェリーは港を離れました。
  浜田防衛大臣はきのう、準備命令を出し、PAC3の配備や海上配備型迎撃ミサイルを搭載した海上自衛隊のイージス艦を展開させるよう指示を出しました。


2023.03.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230323-VCKOFIT54VNNPEIMPQTUAIB67A/
食事取らない園児放置、いすに縛り付け…不適切保育で3人処分 香川・琴平

  香川県琴平町の旧町立北保育所(現在は町立北こども園に再編)で令和3年度、保育士がおんぶひもで園児を椅子に縛り付けたり、食事を取らない園児を別のクラスに放置したりする不適切な保育計5件行われていたことが23日、県の調査で分かった。町はこれらの一部に関与した保育士3人を20日付で訓告などの処分にした。

  県によると、4年7月と12月、県の児童相談所に匿名の投書があり、調査を実施した。縛り付けと放置の他に「園児を押し入れや通用口に閉じ込めた」「給食の大半をこぼした園児に代わりの食事を用意しなかった」「必要以上の力で園児の腕を引っ張った」行為を不適切だったと認定した。
  町は今年1月以降、独自に確認を進め、縛り付けをした保育士2人を訓告処分に、放置をした1人を厳重注意処分とした。他に当時の所長らも訓告などの処分にした。


2023.01.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230128-UWKLTKTCZVJ63EMQBG3MAMJ6L4/
〈独自〉沖縄初の有事避難検証へ 政府、県など図上訓練

  中国の南西諸島侵攻を想定し、沖縄の離島住民の避難方法を検証する初の図上訓練の計画の全容が28日、明らかになった。3月中旬に政府と沖縄県に加え、与那国島など離島の5市町村が参加して連絡態勢や民間の航空機、船舶を活用した迅速な避難を試す。台湾有事からの波及を含む南西諸島侵攻が懸念される中、政府は実際に住民を避難させる実動訓練につなげたい考えだ。

  図上訓練は政府では内閣官房と消防庁、国土交通省が主体となる。沖縄の離島では台湾との距離が110キロの与那国町尖閣諸島のある石垣市宮古島市多良間(たらま)村竹富(たけとみ)町-の5市町村が参加する。
  訓練は武力攻撃事態などへの政府や自治体の対処を規定している国民保護法に基づいて行う。想定は武力攻撃が予測される事態を政府が認定を検討している早期の段階で住民避難に着手する。より早く、多くの住民を避難させる輸送手段を確保できるか検証する。
  住民避難には通常から離島に運航している民間の航空機と船舶を使う。5つの離島で観光客を含めて約12万人の避難のために可能な限り早く、多くの航空機と船舶を離島に送り込む。そのような事態になれば沖縄本島も住民は屋内避難の対象になるため、離島住民の避難先は九州とする。
  沖縄県は政府からの情報を受け、危機管理対策本部を立ち上げる。県は離島の自治体への避難の連絡と自治体がどのように避難誘導をするか報告を受けることに訓練の主眼を置く。
  5市町村は住民に危機が迫っていることを認識してもらい、集落などの単位ごとに空港と港に集まってもらう輸送手段の確保と要領を確認する。

  ロシアのウクライナ侵略の泥沼の戦闘も踏まえ、中国は台湾侵攻とそれに連動する南西諸島侵攻を短期間で完遂することを狙っているとみられる。対処するには武力攻撃が予測される段階で住民に避難してもらう政府の迅速な判断が求められる。訓練と並行し、事態への危機感と行動の在り方を住民に理解してもらう啓蒙(けいもう)も不可欠となる。


2022.10.24-NHK NEWS WEB (沖縄NEWS WEB)-https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20221024/5090020558.html
那覇市長選 知念覚氏が初当選 オール沖縄は7市長選で連敗

  新人2人の争いとなった那覇市長選挙は自民・公明両党が推薦した元那覇市副市長の知念覚氏が初めての当選を果たしました。
  選挙イヤーのことし、玉城知事を支えるオール沖縄は那覇市を含む7つの市長選挙すべてで支援した候補が敗れています

  那覇市長選挙の開票結果です。知念覚、無所属・新。当選。6万4165票。翁長雄治、無所属・新。5万4125票。
  自民党と公明党が推薦し、これまでオール沖縄に支えられてきた現職の城間市長の支援を受けた知念氏が、オール沖縄が支援した元県議会議員の翁長氏を抑え、初めての当選を果たしました。知念氏は、那覇市出身の59歳。城間市長のもと8年近くにわたり副市長を務めました
  知念氏は選挙戦で那覇市役所に38年勤務した経験をアピールしたほか、コロナ禍で疲弊した地域経済の立て直しに取り組むことなどを訴えました。
  その結果自民党や公明党の支持層を固めたほか、いわゆる無党派層の支持も得ました。対する翁長氏は子育て政策の充実などを訴えましたが及びませんでした。
  知念氏は「私は副市長として『市民のために市民とともに』という標語のもと8年間やってきた。城間市長から託されたと思っているので、市民目線はずっと貫き通していきたい」と述べました。また、玉城県政について尋ねられると、「是々非々で臨んでいきたい。対立は考えていないので、那覇市の視点で県と交渉していきたい」と述べました。
  落選した翁長氏は「これだけの差で負けたのはひとえに私の力不足です。オール沖縄の課題はみんなで検証していくことだと思う」と述べました。
当選が決まったあと城間市長は手製のバトンを知念氏に手渡し、今後の市政を託したとアピールしました。
  城間市長は「推薦を受けた自民・公明の懐に入って、今後、知念さんがどう考えていくのか見ていきたいと思っている。沖縄の大事な基地問題は辺野古だけではなく那覇軍港もあり、辺野古はもちろんのこと沖縄県が抱えるさまざまな課題に対して、真摯に国と向き合ってくれると思う」と述べました。
  選挙イヤーのことし、県内では那覇市をはじめ、名護市や宜野湾市など11ある市のうち7つの市で市長選挙が行われましたが、そのすべてでオール沖縄が支援した候補が自民・公明両党が推薦した候補に敗れる結果となりました。
  玉城知事は、「私の力が及ばず申し訳ない。私たちに何が足りていなかったのか選挙結果をきちんと分析し、これからの私たちの政治的な活動で、市民・県民を幸せに笑顔にするために真摯に取り組みたい」と述べました。
  投票率は47.05%で、前回・4年前の選挙を1.14ポイント下回りました。


2022.09.12-Yahoo!Jpanニュース(AERA)-https://news.yahoo.co.jp/articles/6580e6846e719ebe1d2c61deb2e49b6236b31177
玉城デニー氏再選でネット上にあふれる「大丈夫か?」の声 広がる誹謗中傷の背景に「妄想の中の沖縄」〈AERA〉
(AERA編集部・渡辺豪)
(1)
  9月11日に投開票された沖縄県知事選は、辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」が推す現職の玉城デニー氏(62)が、「容認」を掲げた佐喜真淳氏らを破り、再選された。知事選の結果は沖縄に何をもたらし、日本の民主主義に何を問いかけているのか。

「あの知事で大丈夫か」
  4年前の沖縄県知事選。玉城デニー知事が初当選した直後、辺野古新基地建設の反対に共感しているらしい東京の人から、そんな疑念をぶつけられた。 「反対を貫けるのか」という意味なのか、「政府と折衝できるのか」と言いたかったのか、「大丈夫か」の真意はよくわからない。
  ただ、この数年前まで沖縄県民だった私は、「上から目線」の質問に少し腹が立った。知事を選んだ県民を馬鹿にしたような口ぶりに聞こえたのだ。うまく表現できないが、基地を押し付けているのは「本土」の側だ、というようなことを言いたいのではない。もっと根源的な、政治的に右だろうが左だろうが相容れない、何か。
そして今回の知事選
   開票率0%での玉城知事の「ゼロ打ち当確」が伝えられると、「沖縄県民」がツイッターのトレンドワードに上がっていた。沖縄は台湾有事や尖閣有事に備えなければいけないのに、玉城知事で大丈夫か、との声が「本土」から上がる。
■都合よく「沖縄」を解釈
    日本国内で最も身近に中国の軍事的威圧を肌で感じ、安全保障に関する知識にも通じている沖縄の多数世論が何を求めているのか。これに向き合おうとせず、「本土」の右派も左派も都合よく「沖縄」を解釈して、罵ったり、喜んだり、不審を抱いたりしている。
   辺野古新基地建設に反対する政治運動の母体ともいえる「オール沖縄」の弱体化は否めない。政府との話し合いの糸口も見つからない。「辺野古」が争点と言われた今回の知事選でも、「辺野古反対」や「辺野古阻止」という声を上げるのはもちろん、そうしたフレーズを聞くのさえ、空疎に感じた県民が少なくないのも事実だろう。
   それでもなお、「辺野古反対」の民意は底堅いこの民意をくみ取る知事が、政府に対話を求める姿勢を継続しているからこそ、沖縄の民主主義の体裁はかろうじて守られている。「辺野古」をめぐって一切の話し合いに応じようとしない国側に問題があることは多くの県民が理解している。
(2)
忘れられない光景がある
  8年前の知事選。「オール沖縄」を唱えた故翁長雄志知事の当選が決まった瞬間、島じゅうが地響きしているかのような熱気に包まれていた。その現場に私は、いた。
  このとき、沖縄は可哀想だ、と私に告げた防衛官僚がいた。「国は辺野古で進める。もうどうにもならないんだと。
  その後、どうにもならないのは政府のほうなのだ、とわかった。 「実現不可能」とまでは言い切らないにしても、大浦湾の深い海底の軟弱地盤を埋め立てる工事には膨大な時間とコストがかかる。いつ完成するかもわからない、この新たな米軍基地に注がれる巨額の工費はすべて日本国民の税金で賄われる
  そんな政権を、選挙のたびに支え続ける日本の有権者は可哀想だ、と私は思う。
■ネット空間に「妄想の中の沖縄」
  今回の知事選で玉城デニー知事を指して、「沖縄を中国の属国にしたいデニー候補。ウイグル・モンゴル・チベットのように日本民族も強制収容所に入れられ民族浄化(虐殺)されます」とツイッターに投稿した大阪府内の市議がいたそうだ。公選法違反(虚偽事項公表)に当たるとして、市民団体が9月5日、警察に告発状を出した、との記事が出ていた。
  こうした投稿は一つの定型で、もう何年も前から、「妄想の中の沖縄」がネット空間を跋扈している。故翁長前知事に対しても、かつて同様の言説が浴びせられた。それには、おびただしい数のリツイートや「いいね」がつく。どんなシステムやネットワークがあるのかはよくわからない。

  これが沖縄世論を映しているのなら、翁長知事も玉城知事も誕生していなかったはずだ。おそらくは「本土」のある一団の「日本を守る」という“正義感”が引き金になっている。そして、圧倒的多数の国民は、グロテスクともいえる攻撃的な言葉が飛び交うこの議論にかかわりたくない、と考えている。結果的に、バランスのあるまっとうな全国世論の視界から「沖縄」ははじかれていったように感じている。
   玉城知事も翁長前知事も、「反米」でも「反基地」でも「反安保」でもない。そんな単純なスタンスで沖縄県知事は務まらない沖縄の生活者のために、沖縄にあまりにも多く集中している基地をせめてもう少し減らしてもらえないか、安心して暮らせる空間を確保してもらえないか。地方自治体の長として、そんな当たり前の要求をしている。
(3)
  上空からヘリの部品が小学校や保育園に落ちて来たり、流弾が民間地に被弾したり、有害物質を放置したり放流したり、今の時代にそういうことってあり得ないでしょう、と。安全保障政策以前の社会ルール、突き詰めれば、「人権」に地域差をつくらないでほしいということに尽きる。
   こうした沖縄の要求は、保守・革新を問わない歴代知事によって繰り返され、今に至るまで政府や国民にほとんどスルーされてきた。  今や無視では済まなくなり、基地負担軽減を求める「沖縄」への誹謗中傷はネット上で可視化され、常態化している。沖縄を対中国の軍事の防波堤と捉える見方が強まるにつれ、バッシングはますますひどくなっているように感じられる。
■「共感」ばかりに捉われ
   国の政策に否定的な立場から「沖縄の声」を特定のメディアを通じて流すことは、その話者を「標的」のリスクにさらすことと同義になっている
   だが、発信を控えれば、事態が好転するとも思えない。では、どうすればいい?
  価値観が合わない相手を嫌悪する感情は抑えがたく、議論は常にかみ合わない。というか、議論は避けたいという意識も、正直に明かせばどこかにある。話が通じそうにない相手と向き合うよりも、価値観の合いそうな相手とポジティブにつながりたい。そのグループの中で認められたい

  でもよく考えると、意見や立場の違いを越えて話し合うことって、民主主義の基本じゃなかったか。
   私たちは「自分の意見に共感してくれる味方を増やす」ことや「価値観の合わない相手を叩く」ことばかりに捉われていないか。自分の嗜好に合うモノを手に入れる「消費」や、一方的に相手を打ちのめす「マウント」によって得られる自己完結の快感とは対極にあるのが、面倒くさい人間づきあいだ。政治にしろ、社会運動にしろ、意見や価値観が相容れない他者ととことん膝を突き合わせて対話するという面倒くさい作業を抜きに、民主主義は発展も深化もしない、ということだろう。
   知事選の告示日から数日間、沖縄で取材した。 「このままだと、沖縄は戦場にされる。それを避けるにはどうすればいい?
  真剣な目でそう問う沖縄の友人に、答えをもたない私は固まるしかなかった。
  取材の途中、新基地建設が進む名護市辺野古の対岸の瀬嵩浜(せだけはま)で拾った貝殻は、那覇のホテルの部屋に残して東京に戻った。なぜそうしたのか、ずっと考えていた。認めたくはないが、心のどこかで東京の生活にこれ以上、「沖縄」を持ち込みたくない、という意識が働いたのかもしれない。自分の酷薄さにぞっとした。  自分の中にもどうしようもない「他者」がいる。
(AERA編集部・渡辺豪)


2022.08.12-gooニュース(産経新聞)-https://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/living/sankei-_life_trend_DZ4WSJVEBVNX3DJTMWB4B6UNPM.html
沖縄戦で「生き地獄」祖母の思い紡ぐ 姉妹が冊子編纂へ
(高橋義春)

  幼子2人を連れてジャングルをさまよい、敵の照明弾の明かりを頼りにイモ畑を掘り起こす…。約20万人が犠牲となった昭和20年の沖縄の地上戦での祖母の壮絶な体験を、大阪市の姉妹が10年にわたって聞き取った。進行する認知症とも闘いながら、封印していた記憶を語った祖母は6月、100歳で他界祖母の思いを受け継ぎ、姉妹は体験談を冊子にまとめ始めた。

  大阪市西淀川区の金子奈歩さん(49)と淡稚津子(だん・ちづこ)さん(46)は、幼いころから同居していた祖母、山端(やまはた)富子さんが戦争の話題になるとかたくなに口を閉ざした姿を思い出す。若い時の思い出を楽しそうに話すときはあるが、いつも戦時中の話題は抜けていた。「話すようなものではない」。学校の宿題として戦争体験を聞いたときも対応は同じ。2人から問いかけることもなくなった。

口を開いた祖母
  約10年前。「もうそろそろ話してもいいかな」。肺炎による入院を終え、自宅に戻った富子さんが突然口を開いた。「何のこと?」「沖縄戦よ」
  それから不定期に富子さんの語りが始まった。あるときは食事中に、あるときはテレビを見ながら。2人はその話を書き留めた。

  富子さんは沖縄・南大東島生まれ。昭和16年2月、夫の立昌(りっしょう)さん(平成8年死去)と長男、立昇(りっしょう)さん(82)の3人で沖縄から大阪に移住。その後、空襲を避けるため、陸軍関連施設に勤務していた立昌さんを残し、富子さんと立昇さん、移住後に生まれた次男の立治(たつはる)さん(80)の3人で沖縄に疎開した。
  しかし、故郷で待っていたのは地上戦だった。米軍が沖縄本島に上陸した20年4月、3人は名護市から羽地村(はねじそん、現在の同市北西部)に逃げる。当時、富子さん23歳、立昇さん5歳、立治さん2歳。昼間は大木の根元に隠れ、夜に移動する。木の実や植物のツルなどを食べて飢えをしのいだ
  夜空に放たれる照明弾の明るさで畑の位置を確認し、草むらから腹ばいで移動してイモを掘り起こした。あちこちの草むらから同じように出てくる多くの住民を目にし、その光景に驚愕(きょうがく)したという。

  逃げ込んだガマ(自然洞窟の壕)では立治さんが激しく泣き「敵に見つかる。出ていけ!」と追い出された。内部が広く、小さな家のような構造をしている沖縄特有の墓の中で身を隠した。そこには他の子連れの母親らもいた。母乳が出ない母親もいて、自分の乳をのませたこともあったという。
本土復帰50年、誓う平和
  日本軍の組織的戦闘が終わってからもジャングルをさまよっていたところ、米軍に保護された。立昇さん、立治さんは栄養失調。富子さんは「あと1週間逃避行が続いていたら命はなかったろう」とも話した。「わが子を守るのに必死だった祖母。しかし戦後は、助けを求める人を助けられないまま逃げ延び、自分が生きていることに罪深さを感じていたのだと思う」と淡さんは語る。

  背負った赤ちゃんが亡くなっているのに気づかずに走り続ける女性を見た。死体の山を見ても何も感じなくなった。「戦争はまさに地獄。人が人でなくなる」。富子さんがよく口にした言葉だ。
  富子さんは体験を語り始めたころ、認知症の症状も出るようになった。金子さんと淡さんは「記憶のあるうちに伝えておきたかったのでは。戦争体験を話すときは口調も記憶もしっかりしていた」
  今年6月28日に死去。聞き取った10年分のメモは、整理しきれていないまま残された。2人は積み上がったメモを整理し、冊子にまとめる作業を始めた。「命(血)のつながりに感謝し、祖母の体験を後世につなげたい」。いつ完成するか分からないが、じっくり続けるつもりだ。

  沖縄は今年、本土復帰50年を迎えた。「先人たちの苦労の上にある今の平和が続くことを願い、当時を知る人がいなくなっても記録として残す」。そう、祖母の遺影に誓っている。
(高橋義春)


2022.05.15-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220515/k10013627111000.html
沖縄本土復帰50年 政府と沖縄県 午後2時から共同で記念式典

  沖縄が本土に復帰してから15日で50年を迎えました。
  政府と沖縄県が共同で開催する記念式典が午後2時から沖縄と東京の2つの会場で同時に行われ、玉城知事は沖縄が抱える課題の解決などについて訴えることにしています。

  昭和47年5月15日に沖縄が本土に復帰してから50年を迎えたことを記念する式典は、15日午後2時から政府と県の共催で沖縄県宜野湾市と都内の2つの会場で同時に開かれます。
  式典には、天皇皇后両陛下がオンラインで出席され、沖縄会場には岸田総理大臣や玉城知事、東京会場にはアメリカのエマニュエル駐日大使など合わせて1700人余りが出席する予定です。
  式典のあとレセプションが行われ、沖縄の伝統芸能などが披露されます。
  沖縄会場の沖縄コンベンションセンターでは15日午前、関係者が壇上で式典の流れを確認するなど、準備を進めていました。
  沖縄には、今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全国の75%にとどまり、復帰当時に人々が期待した「本土並み」の実現には課題が多く残されています。
  玉城知事は式典で、こうした課題の解決などについて訴えることにしています。
米バイデン大統領がメッセージ
  記念式典の会場には、アメリカのバイデン大統領から寄せられたメッセージが展示されています。
  この中でバイデン大統領は「沖縄戦は第2次世界大戦で最も凄惨な戦いの1つで、多くのアメリカ人と日本人の命が失われた。しかし、あれから数十年、アメリカと日本の関係は戦場での敵から共通の目的で結ばれた同盟国へと変貌を遂げ、今は最も緊密な友人となった。
  沖縄の復帰はわれわれの関係の1つの章の終わりで、次の章の始まりを意味した。
  現在、同盟は共通の価値観と自由で開かれたインド太平洋という共通のビジョンに基づき、かつてないほど強固なものになっている。日本には民主主義、自由、そして法の支配に対する断固とした支援、沖縄にはこれらの理念の前進のための貢献に深く感謝している。
  アメリカ人と沖縄県民とのつながりはアメリカと日本の関係を深化させるかけがえのない要素だ。アメリカと日本の関係の次の50年を見据える中、われわれが共有する歴史は次世代の教育と経済機会に投資すればあらゆることが可能になると強く思い出させてくれるだろう」としています。
本土復帰について 那覇市の中心部では
  那覇市の中心部では復帰について「基地が残っているので複雑な思いだ」などといった声が聞かれました。
  15日午前、那覇市は50年前の復帰の日と同じく雨の天気となり、中心部にある平和通りはふだんより買い物客や観光客の姿がまばらでした。
通りで商店を営んでいる60代の女性は「復帰の年は小学生でドル通貨を使っていたのを覚えている。観光客が大勢来て本土に追いついた感じがして、復帰してよかったと思う。これからも、いろいろな人が訪れたくなるような沖縄になってほしい」と話していました。
  また、親の代から通りで商店を営んでいる60代の男性は「アメリカ軍基地の整理・縮小が少しは進んだが、まだ、基地に関連する事件や事故があって、植民地のような気がする。学力も経済も向上して、基地がない平和な島になってほしい」と話していました。
  孫と通りを訪れた70代の女性は「基地が残っているので複雑な思いだ。雇用がもっと生まれ格差のない沖縄になってほしい」と話していました。
最後の激戦地 糸満市の平和祈念公園では
  沖縄戦の最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園では朝早くから、戦没者を悼み、平和を願って手を合わせる人の姿が見られました。
  77年前の昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました
  最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園は15日、復帰の日と同じく時折、雨が降っていました。戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前には、朝早くから花を供えたり、手を合わせたりする人の姿が見られました。
  このうち、沖縄戦で叔父を亡くした70歳の女性は「きょうは復帰50年ということでそれに合わせて来た。平和な世の中が続いてほしい」と話していました。
糸満市の63歳の男性は「経済などは発展したが沖縄にはたくさん課題があるので、復帰したことがよかったのか悪かったのか、複雑な気持ちです」と話していました。
50年前の記念式典会場周辺では
  50年前の昭和47年5月15日、現在は老朽化で休館している那覇市民会館では、復帰を祝う政府主催の記念式典が開かれ、隣にある公園ではアメリカ基地を残したままの復帰に抗議するデモが行われました。
  15日朝、当時の会場周辺では本土復帰についてさまざまな声が聞かれました。

  那覇市の70代の女性は「沖縄は孤立した島だったので、東京などと自由に行き来できるようになり、本土復帰はよかったと思う」と話していました。
  那覇市の70代の別の女性は「沖縄以外の人も、ひとごととして考えないで、小さい面積の中に全国のアメリカ軍専用施設の70%があることを深く考えてほしい。痛みを味わった先人たちの気持ちを考えながら平和で暮らせることの大切さをかみしめたい」と話していました。
  那覇市の80代の女性は「本土との行き来もパスポートなしで行けるので、復帰したことはよかった。ただ、50年たっても本土との所得の差など厳しさは残っていると思う。本土の人は沖縄のことをまだ知らないところがあると思うので、もう少し深く沖縄のことを知ってほしい」と話していました。
  那覇市の18歳の女子大学生は「自分は戦争を体験してないし、見たり聞いたりだけではわからない部分がたくさんある。沖縄のことをこれからたくさん学んでいきたい」と話していました。
キャンプ瑞慶覧 きょうも日米両国の国旗掲揚
  沖縄に駐留するアメリカ海兵隊の基地司令部が置かれている北中城村のキャンプ瑞慶覧では、15日も日米両国の国旗が掲げられました。
  15日午前8時すぎに両国の国歌が流れる中、海兵隊員と日本人の基地従業員が、それぞれ星条旗と日の丸の旗を掲げました。
  このうち、星条旗は、今月亡くなった海兵隊の関係者に弔意を表すため、半旗となっていました。


2022.05.14-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220514-DOZIHVCVYFMIHI3NXCU24LXK7M/
対中安保の「最前線」沖縄 変わる戦略環境-(杉本康士)

  沖縄県が本土復帰してから15日で50年となる。多くの在日米軍が駐留する基地の島であるのは半世紀前と変わらないが、沖縄をめぐる戦略環境は大きく変化した。中国の脅威に直面する「最前線」となる一方、米国は台湾周辺をインド太平洋の主戦場とにらみ、新たな戦い方を模索する。これに伴い沖縄の位置づけも様変わりしている。

  わが国を取り巻く安全保障環境は50年前と大きく異なっている。これまでにない速度で厳しさを増している」。岸信夫防衛相は13日の記者会見で沖縄復帰50年について問われ南西諸島防衛の重要性を強調した。
  半世紀前と比べて様相が一変したのは中国だ。沖縄が返還された1972年はニクソン米大統領が2月に中国を訪問、9月には日中国交正常化が実現し、ともにソ連に対抗する側に回った。当時の中国海軍は沿岸防備に主眼を置き、精密な長射程ミサイルも保有していなかったため、沖縄は中国の脅威の圏外にあった。

  経済成長を続けた中国は日本全土を射程内に収める中距離ミサイルを1250基以上保有し、空母を中心とした遠洋展開能力を強化している。昨年3月に米インド太平洋軍のデービッドソン司令官は台湾有事が発生する時期を「6年以内」と述べた。佐藤栄作首相が69年11月に台湾有事について「幸いにしてそのような事態は予見されない」と述べたのとは好対照をなす。
  戦略環境の変化に伴い、在沖米軍の役割も変化している。50年前はベトナム戦争が終結しておらず、沖縄はインドシナや朝鮮半島ををにらむ出撃拠点と位置づけられていた。日米両政府が返還合意時の共同声明で初めて「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」との文言を盛り込んだのは、沖縄返還で在日米軍基地が機能しなくなることに不安を抱いた韓国を安心させるためでもあった。

  沖縄復帰から半世紀がたち、沖縄の眼前に広がるのは全く異なる光景だ。中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)に軍事的圧力を強め、台湾有事が発生すれば隣接する沖縄も戦場となる公算が大きい。
  自衛隊や米軍が沖縄にいなければ、中国軍が占拠して自衛隊や米軍を撃退する拠点とする恐れもある。在沖米軍は遠い国を守るために存在するというよりは、沖縄そのものを守るために駐留しているといえる

  沖縄返還3年前の69年7月、ニクソン大統領は米領グアムでの記者会見で「アジア諸国があまりに米国に依存することにより、ベトナムで経験しているような紛争に引き込まれていくことになるような政策は避けなければいけない」と発言した。
  アジアの米軍を縮小する意向を示した「グアム・ドクトリン」だ。
  日本政府内では「見捨てられる恐怖」が高まった。自主防衛を唱えていた中曽根康弘防衛庁長官ですら翌年12月に懸念を表明。後に著書で当時の心境を「米軍が必要以上に撤退して、ソ連との間に兵力の空白地帯ができることは避けなくてはいかん」と説明した。78年から在日米軍の駐留経費を日本が一部負担する「思いやり予算」が始まったのは、こうした懸念を背景に米軍を引き留めるための苦肉の策だった

  現在の日本政府内でも「見捨てられる恐怖」が皆無とはいえない。だが、多くの政府高官は米国のアジア関与維持に自信を示す。ロシアによるウクライナ侵攻以降も米政府は繰り返しインド太平洋地域を重視する意向を伝えてきているからだ。
  中距離ミサイルの量でまさる中国に対抗する上で、カギとなるのが沖縄の米海兵隊だ。中国のミサイル射程圏内に小規模部隊を分散展開する「遠征前方基地作戦」の中で、沖縄に司令部を置く第3海兵遠征軍(ⅢMEF)は中核的な役割を担い、陸上自衛隊のミサイル部隊と連携する構想を描く。岸氏は13日の記者会見で沖縄について聞かれ「在日米軍と連携し、抑止力の強化に努めている」と強調した。=肩書は当時(杉本康士)


2021.10.30-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211030/k10013327981000.html
大量の軽石漂着 漁港に流れ込み防ぐフェンス設置 沖縄 国頭村

  大量の軽石が漂着し、29日から沖縄県が撤去作業を始めた沖縄本島北部の国頭村の漁港では30日、港の中に軽石が流れ込むのを防ぐためのフェンスが設置されました。
  沖縄県内では、今月中旬から沖縄本島の海岸を中心に大量の軽石が漂着しているのが確認され、漁業や観光業に影響が出ています。
  沖縄県は、29日から大量の軽石が漂着した国頭村の辺土名漁港で撤去作業を始めましたが、NHKのヘリコプターから撮影した映像では、30日も港の沖合に大量の軽石が漂っているのが確認されました。30日は、沖合の軽石が流れ込むのを防ぐため、県の委託を受けた業者が午前9時ごろからボートを使って漁港の入り口にフェンスを設置しました。
  漁港ではショベルカーを使って撤去作業が行われていますが、軽石を取り除くには2週間から3週間ほどかかるとみられています。70代の地元の漁業者の男性は「軽石が確認されてから漁に出ていません。港から撤去してもらうのはありがたいですが、沖合にも漂流しているので漁が再開できるか不安です」と話していました。
30日も沖縄本島各地では大量の軽石が
  30日、NHKのヘリコプターから撮影した映像では、沖縄本島各地の沖合に大量の軽石が漂っているのが確認されました。このうち沖縄本島北部、国頭村の西海岸の沖合には帯状になった大量の軽石が漂流しています。また、大宜味村や、名護市の屋我地島の沖合にも大量の軽石が漂っています。
  名護市の運天原漁港では、港の中に大量の軽石が流れ込み、生けすの中にまで軽石が入り込んでいるのが確認されました。人気の観光スポット、今帰仁村の古宇利島と、名護市の屋我地島を結ぶ「古宇利大橋」の周辺にも大量の軽石が漂流しています。海水浴やマリンスポーツを楽しむため、多くの観光客が訪れる本部町の水納島の砂浜は、大量の軽石で覆われていました。
  大量の軽石が港に漂着しているため、旅客船が全便欠航している沖縄本島の東南に位置する南城市の久高島の沖合では、大量の軽石が帯状になって漂っているのが確認されました。


2021.07.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210728-EZ7CYTLK75KXXG6LXQ7N4UK2DM/
辺野古サンゴ移植許可へ 沖縄県、敗訴確定で判断

  沖縄県は28日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先、名護市辺野古の埋め立て予定海域のサンゴ移植を許可する方針を固めた。国を相手取った訴訟で県の敗訴が確定したことを踏まえた。関係者が明らかにした。
  県幹部によると、許可する際に複数の条件を付ける方向で詰めの協議をしている。玉城デニー知事が28日、記者会見し判断理由や具体的な条件を説明する。
  防衛省沖縄防衛局は令和元年、小型サンゴ類計約3万9600群体の移植の採捕許可を県に申請。県が一定期間を経過しても判断しなかったため、農相は2年2月、地方自治法に基づき県に是正を指示した。
  その後、県は是正指示取り消しを求め福岡高裁那覇支部に提訴。最高裁は3年7月6日、県の上告を棄却し、県敗訴とした高裁那覇支部判決が確定した。


2021.06.19-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210619-XKECKUNUOFPFTGHCNZ4TKG2NNM/
沖縄返還協定締結から50年 「出撃拠点」から「防衛最前線」に

  米軍施政下にあった沖縄の本土復帰を実現した沖縄返還協定が1971(昭和46)年6月17日に締結されてから50年が過ぎた。在日米軍基地を抱える姿は変わらないが、その戦略的位置づけは大きく変化した。当時は米軍の「出撃拠点」として機能を果たした沖縄だが、中国の脅威が高まる中で防衛最前線としての性格が色濃くなっている

  「安全保障上極めて重要な位置にあり、南西諸島防衛の観点からも他では代替できない」
  協定締結から半世紀を迎えるにあたり、加藤勝信官房長官は11日の記者会見で米軍が沖縄に駐留する意義をこう強調した。政府は沖縄を語る際に繰り返し「南西諸島防衛」に言及するが、この言葉は50年前はほとんど使われなかった。
  当時はベトナム戦争のさなかで、沖縄は米軍の出撃拠点として機能した。沖縄返還を合意した1969年11月の日米首脳共同声明で「韓国の安全」と「台湾地域における平和と安全」の重要性に言及したのも、有事の際に在沖縄米軍基地の使用を日本側が認めることを約束する意味があった

  冷戦後も出撃拠点としての役割は残っている。2001年の米中枢同時テロ以降のアフガニスタン戦争、イラク戦争では在沖縄米軍から派兵され、防衛省関係者は「基地はガラガラになっていた」と振り返る

  沖縄が出撃拠点としてのみ必要ならば、一定の米軍基地を県外移転することも可能となる。それにもかかわらず在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中する現実は「不平等」と捉えられ、県民の反基地感情をあおる材料となった。

  だが、2010年代以降は戦略環境の変化が明らかになる。急速な経済成長で自信をつけた中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域での挑発行為をエスカレートさせた。さらに大量の中距離ミサイルを配備し、有事の際に米軍の来援部隊接近を阻止する戦略を採用した。台湾海峡で有事となれば、沖縄本島や先島諸島も中国ミサイルの射程圏内に入り、文字通り「対岸の火事」ではなくなる。

  複数の自衛隊幹部が口にするのは在沖縄米軍の「トリップワイヤ(仕掛け線)」としての役割だ。中国が沖縄を攻撃すれば自動的に米軍を巻き込むことになり、攻撃を思いとどまる可能性が高くなる。かつて「後方」だった沖縄は「前線」として半世紀前よりも一層厳しい状況に置かれている。(杉本康士)


2021.0502-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210502/k10013009761000.html
中国海洋調査船 日本の排他的経済水域で同意得ず活動確認 沖縄

  2日午前、沖縄県の波照間島沖の日本の排他的経済水域で、中国の海洋調査船が日本に同意を得ず調査とみられる活動を行ったことが確認されました。
  第11管区海上保安本部によりますと、2日午前9時半すぎ、中国の海洋調査船「海洋地質十二号」が、沖縄県の波照間島の南およそ189キロの日本の排他的経済水域で海中にワイヤーのようなものを入れているのを海上保安本部の巡視船が確認しました。

  海上保安本部は日本に同意を得ず調査とみられる活動を行ったことから、無線を使って活動の中止を求めましたが、調査船は応答しなかったということです。
  調査船はおよそ2時間半後の正午ごろ、日本と中国の地理的中間線を越えて中国側に戻ったということで、海上保安本部が引き続き警戒にあたっています。
  中国の海洋調査船が沖縄付近の日本の排他的経済水域でワイヤーのようなものを海中に入れているのが確認されたのは、2年前の7月以来です。



2020.10.31-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201031/k10012689821000.html
首里城火災から1年 朝から大勢の人

  沖縄の首里城の火災から、31日で1年です。焼失した正殿の再建に向けて準備が進むなか、31日は朝から大勢の人が訪れて首里城へ思いを寄せています。
  去年10月31日に起きた首里城の火災では「正殿」を含む6棟が全焼し、警察と消防は出火原因について、電気系統のトラブルの可能性が高いものの、特定はできないと結論づけています。
  火災から1年となった31日、首里城では早朝に消防や城の警備員などおよそ70人が参加して消火訓練が行われ、火災の反省に基づいて初期消火の手順や連携を確認し合っていました。
  31日からは恒例の首里城祭が開催されるなどさまざまなイベントが行われていて、地元の人や観光客が大勢訪れてかつて正殿があった場所などを写真に収めていました。
  子どもと訪れた、近くに住む40代の女性は「首里城は沖縄の象徴で、県民のよりどころになる建物だと思うので、元の姿を早く取り戻してほしいです」と話していました。

また首里城のガイドを行っている80代の男性は、「早く再建してもらい、世界の首里城であることを多くの人にわかってもらえるよう、ガイド活動も続けていきたい」と話していました。国は6年後の2026年までの再建を目指す計画で、火災から1年の節目となる31日は人々が再建への思いを寄せる一日となりそうです。
復興を願い「シーサー」を作る催しも
  首里城の復興を願い焼け落ちた赤瓦の破片を使って沖縄の魔よけの獅子、「シーサー」を作る催しが行われました。催しは首里城近くで開かれ、親子連れなどおよそ20人がシーサー作りに挑戦しました。
  参加した人たちは、赤瓦の破片を石灰などで作られたさまざまな表情のシーサーに仕上げていました。材料に使われた赤瓦は、火災で全焼した寄満という文化財を保管していた建物に使われていたものだということです。近くに住む7歳の男の子は、「瓦どうしをくっつけるのが大変だった。まだたくさん作りたいです」と話していました。
  父親の44歳の男性は、「小さい頃から首里城を見てきたので、火災が起きたときはショックでしたが、きょう作ったシーサーにも火災で焦げた跡が残った瓦が使われているので火災の記憶を子どもたちにも伝えるきっかけにしていきたい」と話していました。


2020.6.24-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200624/wor2006240012-n1.html
中国が尖閣周辺の海底命名リスト、沖縄本島沖の日本EEZも 「尖閣」住所明記に対抗か

  【北京=西見由章】中国自然資源省は23日、東シナ海の海底地形50カ所について命名リストを公表した。尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域のほか、沖縄本島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)も含まれる。沖縄県石垣市議会が尖閣の住所地の字名変更議案を可決したことに対して、尖閣の領有権を主張する中国側が対抗措置をとったとみられる。
   海底地形の名称は、尖閣諸島の中国側名称である「釣魚島」「赤尾嶼」の一部を使った「釣魚海底峡谷群」「釣魚窪(くぼ)地」「赤尾海嶺」などとした。公表された座標によると、命名された海底地形には日本のEEZで中国側が大陸棚延長の先端と主張する「沖縄トラフ」周辺の海域も含まれる。
   中国外務省の趙立堅報道官は22日の記者会見で、尖閣の字名変更に対して「中国の領土主権への重大な挑発だ」と反発、「さらなる対応を行う権利を留保する」と述べていた。
   中国当局は4月、南シナ海でも海底地形55カ所や島嶼(とうしょ)・暗礁25カ所について命名リストを公表。中国外務省は「関連海域と海底に主権と管理権がある」と主張し「海洋管理」を強化する方針を示している。


2020.6.22-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/politics/news/200622/plt2006220003-n1.html
住所地に「尖閣」明記 石垣市議会が可決へ 実効支配明確化の意義も

  沖縄県石垣市議会は22日、本会議を開き、市の行政区域である尖閣諸島の住所地(字名)を「石垣市登野城(とのしろ)」から「石垣市登野城尖閣」に変更する議案を採決する。議案に賛成する保守系市議が多数を占めているため、可決される見通しだ。可決されれば10月1日から、日本国の住所地として「尖閣」の名が明記されることとなる。
  議案は今月9日、市が提出した。石垣島の一部地域も同じ「登野城」の字名であるため、混同を避けるのが目的。変更後の「登野城尖閣」に続く「南小島2390」や「魚釣島2392」などの小字名と地番は変更しない。
  尖閣諸島周辺では中国公船が連日航行するなど、中国の挑発的な動きが活発化している。こうした中、尖閣の住所地名を変更することは、日本の実効支配を明確にする上でも意義がありそうだ。
  一方、革新系などの市議は中国や台湾との関係が悪化するなどと議案に反対しており、11日に開かれた委員会採決では、3対3で賛否が拮抗。委員長が可決を決定していた。
  住所地名の変更を受け、領有権を主張する中国、台湾が反発を強める可能性もある。台湾外交部(外務省)は9日、「一方的な振る舞いは地域の安全と安定の助けとならない」として日本側に対応を要請。台湾でもこれまでに、北東部の宜蘭県の議会が尖閣諸島の台湾名「釣魚台」を「頭城釣魚台」と変更することを県政府に求める議案を可決した。



戦争証言アーアイブス(戦後75年の沖縄の今)


2020.6.8-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/politics/news/200608/plt2006080009-n1.html
沖縄県議選 自民が議席伸ばす 知事派辛勝も求心力低下

  7日に投開票の任期満了に伴う沖縄県議選(定数48)の開票結果が8日未明に確定し、共産、社民両党など米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する玉城デニー知事の支持派が25議席を獲得して過半数を維持した。ただ、社民党の現職が落選するなど改選前より議席を減らし、玉城県政の求心力低下をうかがわせる結果ともなった。一方、不支持派は23人が当選した。自民党が改選前より3議席増やすなど、勢力を伸ばした。
  県議選は、玉城県政を支持する共産、社民両党など県内与党と、不支持の自民、公明両党など県内野党のどちらが過半数を制するかが最大の焦点とされた。
  県選挙管理委員会によると、投票率は46・96%で前回より6・35ポイント低く過去最低。党派別の獲得議席数は、与党側が立憲民主党1(改選前0)共産党7(同6)、社民党4(同5)、地域政党の沖縄社会大衆党2(同3)、無所属など11(同12)。野党側が自民党17(同14)、公明党2(同4)、無所属4(2)。
  与党側が議席を減らしたことについて玉城氏は8日、記者団に対し「一層気を引き締めて、県政運営と議会への真摯(しんし)な対応に努めていかなければならない」と述べた。


2020.3.8-宮古毎日新聞-http://www.miyakomainichi.com/2020/03/129276/
火災原因、特定できず/首里城
(那覇市消防局が会見)

 【那覇支社】那覇市消防局は6日、記者会見を開催し、昨年10月31日に首里城が消失した火災について「原因の特定は難しい」との調査結果を発表した。発火原因については、「(正殿内北側に設置され、コンセントから延長コードで接続していた)LED照明を有力視していた」としたものの、断定するには至らなかった。
 同消防局は、火災後に調査人員として延べ657人で原因の調査に取り組んできた。証拠を傷つけないよう、がれきも手作業で撤去したという。
 調査では、LED照明に接続していた延長コードが細切れの状態で発見されたほか、がれきからは溶け出した金属片など50㌔以上を収集した。ただ、延長コードや金属片の焼損が激しく、検査では火災原因を特定することはできなかったという。
 一方、同消防局の担当者は「(LED照明や接続している延長コード以外で)通電していた機器の配線等は金属配管内にあり火災原因としては考えにくい」「たばこなども発見されなかった」などと述べ、LED照明関連が原因として可能性が高いとの見解を示した。
 県警も1月、火災原因は特定できなかったとの調査結果を発表している。玉城デニー知事は6日、「出火原因の特定には至らなかったが、管理者としての責任は重く受け止めている。第三者委員会で再発防止の観点から防火対策と管理体制のあり方について検証・検討を行っていきたい」とのコメントを発表した。


2020.1.5-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://special.sankei.com/a/politics/article/20200105/0001.html
新型地対空弾配備、沖縄が選ばれた理由

政府が「03式中距離地対空誘導弾改善型(中SAM改)」の初の配備先として沖縄本島を選んだのは、中国によるミサイル飽和攻撃への懸念が高まる中で、沖縄本島を守ることが南西諸島防衛に不可欠だからだ。沖縄本島には戦闘機の出撃拠点が集中しており、これらの機能が失われれば反撃能力が大きく損なわれる。

 戦闘機が空中給油を受けずに尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で活動するために十分な長さの滑走路を備えた飛行場は、中国本土に29カ所あるのに対し、自衛隊と米軍が利用できる飛行場は4カ所とされる。このうち、実際に戦闘機の運用が行われているのは航空自衛隊那覇基地(那覇市)と米軍嘉手納基地(嘉手納町など)のみだ。


2020.1.5-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/politics/news/200105/plt2001050010-n1.html
新型地対空弾を沖縄に優先配備 中国想定、3年3月までに
(1)
政府が巡航ミサイルや戦闘機を迎撃する陸上自衛隊の新型防空システム「03式中距離地対空誘導弾改善型(中SAM改)」の初配備地として、沖縄本島を選定したことが5日、分かった。令和3年3月までに配備する計画で、早ければ今年後半にも一部が置かれる見通し。複数の政府関係者が明らかにした。中国による攻撃を想定し、防衛能力を維持するため自衛隊や米軍の基地を守る役割を担う。
 2月に米軍ホワイトサンズ射場(米ニューメキシコ州)で発射実験を行い、陸自第15高射特科連隊(本部・沖縄県八重瀬町の八重瀬分屯地)に平成29年度予算で初めて調達費を計上した中SAM改を配備する。令和元年度までに予算化された3セットすべてを沖縄本島に振り向ける。
 同連隊は沖縄県内5カ所の分屯地に展開している。知念(南城市)、勝連(うるま市)、白川(沖縄市)の各分屯地に中SAMを運用する高射中隊を配置しており、順次新型システムの中SAM改に入れ替える方針だ。
 中SAM改は、現在配備されている中SAMと比較して約60キロ以上とされる射程に大きな変化はないものの、低空を高速で飛ぶミサイルの迎撃能力が向上したほか、指揮統制能力も改善している。陸自幕僚監部関係者は「より速く、より多くの標的を迎撃することが可能になる」と語る。試作段階の平成27年にホワイトサンズ射場で行った発射実験では巡航ミサイルの迎撃率100%を達成した。
 中国が沖縄本島を攻撃する際は、弾道ミサイルと巡航ミサイルを大量に発射する「飽和攻撃」を仕掛けると想定されている。自衛隊は、弾道ミサイルを迎撃ミサイルSM3と地対空誘導弾パトリオット(PAC3)で撃ち落とし、巡航ミサイルは中SAMなどで迎撃する態勢を取っている。
(2)
陸自は沖縄本島のほか、奄美大島(鹿児島県)に中SAMを配備しており、宮古島(沖縄県宮古島市)にも地対艦誘導弾とともに配備する計画だ。現在、駐屯地建設を進めている石垣島(同県石垣市)でも中SAMの運用を予定している。
  ◇ 【03式中距離地対空誘導弾】巡航ミサイルや戦闘機を迎撃する陸上自衛隊のミサイル装備。発射装置、射撃用レーダー、レーダー信号処理を行う装置などで構成する。車両に搭載された移動式発射台で運用するため、敵の攻撃を回避しやすい。平成15(2003)年度に制式化されたことから03式と呼ばれる。通称は「中SAM(Surface to Air Missile)」。改善型の「中SAM改」はミサイルの迎撃能力などを強化した。


首里城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  首里城沖縄方言: スイグシク)は、琉球王国中山(のち、琉球国島尻郡)首里(現・沖縄県那覇市首里金城町)にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園となっている。

概略
  琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが
  1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。
  1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
  1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ琉球の風」の舞台になった。
  1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。

  周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門のほか、第二尚氏菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。
管理
  建屋は国の所有であり、2019年2月1日以降、管理および運営が国から沖縄県に移管された。なお同県管理期間は2019年2月1日から2023年1月31日までと指定されている。同県は、国が管理運営を委託していた一般財団法人沖縄美ら島財団に、引き続き2月以降も管理業務を委託している。
歴史
創建
  首里城の創建年代は明らかではない。尚氏歴代居城の正殿は、かつて百浦添(ムンダシー[5])と呼ばれ、敬称では御百浦添(ウムンダシー)と称された。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。
王家の居城として
  尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても同様だった。  史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している。焼失の度に再建されてきたが、良材が不足しがちな沖縄では木材の調達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり、将来の木材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。
  一度目の焼失は1453年(享徳2年)に第一尚氏尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。
  一度目に再建された城の外観と構造については、『李朝実録』に記述がみられ1456年2月の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の三地区に分かれ、外城には倉庫や厩、中城には200余人の警備兵、内城には二層の屋根を持つ「閣」があり、内部は三階建てで、三階は宝物を保管し、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、一階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。
  二度目の焼失は1660年(万治3年)のことであり再建に11年の年月を要した。1709年(宝永6年)には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。
  この時は財政が逼迫しており、1712年(正徳2年)に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。
  現代の首里城の建築は、三度目の火災の後再建された1715年(正徳5年)から1945年(昭和20年)までの姿を基にしている。なお、1712年(正徳2年)発行の「和漢三才図会」(寺島良安・編)には首里城が「琉球国」の項の挿絵(地図)のなかに描かれている

琉球処分以後
  1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、沖縄県立首里高等女学校(首里尋常高等小学校女子部、沖縄県立女子工芸学校)の校舎として利用された
  1912年に小学校が建てられた後、首里城は老朽化が激しく、荒廃した正殿に倒壊の危険があるとして1923年には正殿の取り壊しも検討された。しかし、沖縄の文化調査を行っていた東京帝国大学教授伊東忠太鎌倉芳太郎ら関係者の奔走により取り壊しは中止となり、1897年制定の古社寺保存法の対象になるよう、正殿の背後に沖縄神社を建立し、正殿を神社の拝殿と位置付けることで国の予算で修復できるよう取りはからった。
  1929年国宝保存法が制定されると国宝に指定されて国に保存されることとなった。正殿は県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られた(源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという説がある)。
太平洋戦争前
  正殿は1925年(大正14年)に特別保護建造物(のち旧国宝)に指定された(指定名称は「沖縄神社拝殿」)。昭和初期(1927年(昭和2年) - 1932年(昭和7年))に正殿の改修工事が行われた
沖縄戦と占領下
  太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる(今も、龍潭池には、地下壕の入り口や弾痕などが確認できる。また、第32軍司令部壕は首里城地下に現存するが陥没のおそれなど公開は困難との県の見解)。さらに日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された。5月27日の日本軍南部撤退の際には、歩行不能の重傷兵約5000名が首里城の地下陣地で自決した。宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。戦後しばらくして一部が返還され、また所在が明らかになり返還に向け交渉中のものもある。また近年尚家が保有していた琉球王国関連の資財が寄贈され、沖縄県立博物館・美術館などで保管・展示されている。
  戦後は首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願だった。
戦後の再建
  1958年(昭和33年)、守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など周辺の建築から再建が始まる。1972年(昭和47年)、日本復帰後に国の史跡に指定(1972年5月15日指定)され、城の入り口に当たる歓会門と周囲の城郭が再建された。
  1979年(昭和54年)に琉球大学が首里城跡から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がはじまった。
  1989年(平成元年)11月より、遺構の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを元に、工芸家や職人を動員した当時の装飾・建築技術の復元作業が行われて正殿他の再建が始まった。屋根瓦については色についてさえ記録がなく、当時を知る老人を集めて話を聞いても赤~黒まで意見がバラバラで難航した。すでに琉球瓦を生産しているのは奥原製陶ただ1軒だけであり、4代目主奥原崇典の尽力によって首里城の瓦が復元された。なお、2014年に米国立公文書館から沖縄戦で焼失前の首里城のカラー映像が発見されており、それによると屋根瓦は赤色では無い事が判明している。一方、琉球大学付属図書館のウェブサイトで公開されている写真が戦前も黒い瓦だったとする根拠とされている資料の一つであるが、これはモノクロ写真に着色したものである。

  また、瓦を研究している沖縄国際大学上原靜教授(考古学)によると、琉球王国では16世紀後半から中国系の灰色(黒)の瓦が焼かれていたが、17世紀末から赤瓦に移行し、灰色の瓦は燃料となるまき不足のため19世紀初めには生産されなくなったと推定している
  1992年(平成4年)11月2日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。現在は、首里城を中心とした一帯が首里城公園として整備・公開がすすめられており、正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業も引き続き行われている。
  2000年(平成12年)には「首里城跡」として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録された。
  2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された。約30年にわたる復元工事が2019年1月に完了した。2月には国王が家族や女官と暮らした御内原(おうちばら)が公開された。
正殿焼失を含む大規模火災(「#2019年の火災」も参照
  再建開始から40年目の2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿が全焼した。前述の1453年・1660年・1709年・1945年の焼失に次いで、歴史上5度目の焼失となった。
首里城の構造
  日本の他地域の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴であるが多用された。
  また、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあり、軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている。城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられている。

  首里城は第二尚氏王朝時代の15世紀後半から16世紀前半にかけて建設された外郭と、第一尚氏王朝時代の15世紀前半ごろに建設された内郭という二重の城壁に囲まれ、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。
  内郭には瑞泉門、漏刻門など九つの門が、外郭には歓会門、久慶門など四つのアーチ門があった。
  城の正門である歓会門(別名・あまえ御門(うじょう))、または通用門である久慶門(別名・ほこり御門)を経て外郭内部に入ると、内郭の入り口である瑞泉門(別名・ひかわ御門)に至る。瑞泉門には「龍樋」という名の泉があり、龍の頭の形をした銅製の樋から水が流れ出している。ここには「中山第一甘露」の石碑があり、中国の冊封使が18世紀前半から19世紀後半にかけて残した碑刻(冊封七碑)がある。
  瑞泉門を通り、漏刻日時計で時間を計測していた漏刻門(別名・かご居せ御門)を抜けると、司法や寺社宗廟関係の機関が入居していた楼閣・広福門(別名・長御門)に至る。

  広福門の内側は、系図座・用物座(家系図や城内の物品を管理する機関)や、御庭につながる奉神門、祭祀空間である「京の内」(けおのうち)に囲まれた下之御庭(しちゃぬうなー)が広がる。ここは御庭に入る前の控えの場であり、首里城の10ある御嶽のひとつ・首里森御嶽(すいむいうたき)がある。「君誇御門」(きみほこりうじょう)とも呼ばれた奉神門をくぐると正殿などに囲まれた御庭が広がる。
  正殿の前には、家臣らが謁見したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられている。それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となり行政施設も入っていた奉神門が建てられている。さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっている。これらの構造には、中国の紫禁城との類似性も指摘されている。南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていた。

  王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれ、別名「唐破風」(からふぁーふ)と呼ばれた。中には一階と二階の両方に御差床(うさすか)という玉座が設けられ、二階の御差床の上には清国皇帝から贈られた扁額が飾られていた。沖縄戦で全て失われたが、康熙帝の贈った「中山世土」(ちゅうざんせいど)、雍正帝の贈った「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)、乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の三つの扁額が本人の筆跡や落款を再現した上で復元され飾られている。

  正殿の一階は国王が政務をおこなう場所で「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれており、正殿の二階は王妃や女官らの使用する「大庫理(うふぐい)」と呼ばれる場所であった。二階の御差床は重要な儀式のために使うものであり、二階南東隅の「おせんみこちゃ」という部屋は国王や女官らが祭祀を行う場所であった。
  南殿の南側には王が日常的に執務する建物であった書院および鎖之間(さすのま)がある。書院・鎖之間庭園は琉球のグスク内にある唯一の庭園で、石灰岩の岩盤を生かしてソテツなどを配しており中国の使節からも名園と評価されていた。遺構の保存状態もよく、2008年8月に復元公開された。2009年7月には書院・鎖之間庭園ともに日本国の名勝に指定された。

  正殿の裏側は「御内原」(うーちばる)と呼ばれる私的な生活空間に当たり、正殿後方の後之御庭(くしぬうなー)という広場を中心にいくつかの建物があったが、1990年代後半からかつて存在した建物の復元のための発掘や建設工事がすすんでおり、2019年2月1日に御内原全体が新規開園ゾーンとして観光客に開放された
  御内原の入り口に当たる淑順門(別名・みもの御門、うなか御門)が2010年に、王の住む「二階御殿」(にーけーうどぅん)が2000年に再建されているほか、王妃らの寝室があり国王以外の男性は入れなかった「黄金御殿」(くがにうどぅん)、調理を行う「寄満」(ゆいんち)、王の側近である近習らが控える「近習詰所」(きんじゅうつめしょ)、王の休息の場である「奥書院」(おくしょいん)が2014年に復元公開された。王女の住まいであり王位継承の際には儀式の場となる「世誇殿」(よほこりでん)や女官たちの生活する「女官居室」は2017年に竣工した。その東奥には、国王逝去の際に遺体を安置する寝廟殿(古写真などの資料がないため未復元、建物の輪郭部のみ地面に表示)を取り囲む石垣とその入り口である白銀門が再建されている。首里城の東の門である継世門(別名・すえつぎ御門)は1998年に再建された。この門はもともと倭寇襲来に備えて16世紀半ばに造られたもので、日常生活用品の城内への搬入や、国王逝去時に王子がこの門から入り世誇殿で王位継承を行う儀式のために使われた。城郭の東端には、「東のアザナ」(あがりのあざな)と呼ばれる物見台があり、標高140メートルの城内最高地点から東シナ海と太平洋の両方を望むことができる。漏刻門や「西のアザナ」とともに時刻を知らせる合図を行う場所でもあった。

  本来の木造建築として復元された建物は正殿および書院・鎖之間のみである。正殿を再建するに当たり、沖縄本島北部の山から大木を運ぶ「木曳式」などの儀式が行われたが、実際の構造材の大半は台湾から輸入されたタイワンヒノキか、日本本土産のヒノキアスナロである。沖縄で伝統的に高級材とされていたチャーギ(イヌマキ)やオキナワウラジロガシは資源枯渇のため、前者は日本本土産のものが一部でのみ使用された。他の建物ではコンクリートを用いるなど外観のみの復元といえる。旧来の城壁は一部に残っており、新しい城壁の建設の際に発掘され利用されたため、地表近くに旧来の城壁の姿を見ることができる。これが唯一残ったオリジナルの首里城の遺構である。首里城の復元建物群は文化財にも世界遺産にも該当しない。
宗教的役割
  首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもある。以前は城内には十か所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた。「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった。聞得大君をはじめとする神女たちが京の内で祭祀を行っていたが、その祭祀の内容やはっきりとした京の内内部の様子はいまだによくわかっていない。ここで行われた祭祀の研究に基づき公開に向けての整備工事が進められ2003年に公開されている。
  敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であったため、その構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられ、主として女性の拝む姿がよく見られたものである。しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。
2019年の火災
概要
  2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生し、正殿と北殿、南殿が全焼した。ほか、合わせて7棟の建屋、延べ4,800平米が焼失した。警察と消防は火災の原因などを調べている。人的被害は、消防活動にあたった消防士1名が脱水症状となったほかは鎮火時点まで報告されていない。
  首里城が焼失したのは、1453年1660年1709年1945年に次いで歴史上5度目となった

影響
  正殿など建屋の火災が激しく、火の粉が周辺の住宅街など広範囲に飛散したため、一時、県警や消防などが、首里、石嶺、城南地区などの周辺住民を避難誘導した。当日午前4時頃、避難所も一時開設され、周辺住民30人程が一時避難した。同日閉鎖された。
  この火災を受け、周辺の学校では児童や生徒が精神的に不安定となり遅刻や学校を休むなどの影響が出た
  火災の影響で首里城公園、園内施設は臨時休園となり、11月3日開催予定の首里文化祭「琉球王朝祭り首里」を含め各イベントが中止となった。11月1日から、守礼門から歓会門までなど周囲の規制が一部解除され、当該エリアには一般客が入れるようになった[51]。12月12日には奉神門付近まで公開エリアが拡大された
  旅行会社やバス会社は、修学旅行ほか団体旅行ツアーのルート変更(識名園、国際通り、ひめゆりの塔など)に追われた
  また、2020年東京五輪の聖火リレーのコースにも予定されているが、コースに関する決定はまだなく、守礼門前から出発する方向で検討中である。
  この火災を受けて、岩手・平泉中尊寺、奈良・法隆寺など、日本国内の他の世界遺産を含む文化財関係者、担当者にも防火対策などに関して緊張が走った
  首里城公園近くの円鑑池で11月1 - 6日にかけ水面が変色し、90匹の魚が大量死しているのが発見された。
要因ほか
  木造であること、赤い塗装に沖縄独特の「桐油」を使っていたことが火の勢いを早めた可能性がある。消防によると、現場は輻射熱が強かったことにより、離れた所の木材も温度が上がり自然発火したことや、現場に近づくことすら困難となり放水していた消防隊員らが一時退避したことなども、消火を拒まれた原因とみられる
  警備員らの証言や火災発生直後の防犯カメラの影像などから、火元は正殿1階の北東部分とほぼ断定された。この付近に設置された分電盤にショートしたような痕跡や、分電盤から電源を取っていた延長コードにショート痕が多数見つかっていた事が判明した。コードについて鑑定を依頼する(出火原因の解明にはまだ至っていない)
  文部科学省は2019年9月に文化財スプリンクラーの設置を推奨する文書を配布していたが、建屋内部にスプリンクラーは設置されていなかった。指定管理者側が文書について把握していなかった可能性がある。文化庁は同年4月のノートルダム大聖堂の火災を受けて文化財防災の防火対策ガイドラインを定めたが、首里城火災を受けて、10月31日に文化財調査官4名を現地に派遣し、同日付で改めて4月17日付けで通達した文化財の防火管理等の点検・確認と共に、復元建物についても防火対策の確認を各地方公共団体等に発出した
  煙感知器は正殿2階と3階には設置されていたが、火元となった正殿1階には設置されていなかった。また、夜間の火災を想定した訓練は行われていなかった
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