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南鳥島問題-1



2020.7.18-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-https://www.sankei.com/politics/news/200718/plt2007180011-n1.html
最東端で日本の海を守る自衛隊 南鳥島で見た海洋国家の現実
(1)
  本州から約1800キロ離れた太平洋上にポツンと浮かぶ日本最東端の南鳥島(東京都小笠原村)。徒歩1時間程度で1周できる島に「海上自衛隊南鳥島航空派遣隊」の12人が常駐し、小さな島が生み出す大きな海洋権益を守っている。11日、河野太郎防衛相の視察に同行した。

  海自機で厚木航空基地(神奈川県)を飛び立って約4時間。窓の前方に広がるコバルトブルーの海面に、横にまっすぐ伸びる白線が現れた。それが島影だった。サンゴでできた起伏のない地形のため、遠くからは白線に見える。
  気温32度の島の滑走路に降りた。全長1370メートル、幅45メートル。昭和11年に旧海軍によって建設された。大きなひび割れもなく、きれいに整備されている。滑走路の維持・管理や、着陸した自衛隊機への給油が海自派遣隊の任務だ
  滑走路横の派遣隊庁舎前には、日の丸が高々と掲げられていた。庁舎から海までは歩いてすぐ。絶海のため漁船の姿もなく、とても静かだ。
  南鳥島では先の大戦で、米軍の空襲や軍艦砲撃などで191人が命を落とした。海岸沿いには旧日本軍の軽戦車や大砲の残骸、トーチカ(コンクリート製の陣地)などの戦争の傷痕が戦後75年たっても撤去されず残っている。茶色くさび付き、雑草がからまっていた。その背後には白いサンゴの海岸とエメラルドグリーンの海という楽園の景色が広がり、そのギャップに強い印象を受けた。
  現在の島民は派遣隊に加え、気象庁と国土交通省の合わせて二十数人のみ。民間機や客船は就航せず、観光客は訪問できない。
  4月に着任した派遣隊長の光末憲壮3等海佐は取材に、任務の意義をこう説明した。
  「ここに住み、(滑走路などの)機能を維持していること自体が重要な任務だと考えています」
(2)
  つまり、日本による島の実質的な統治を継続することだ。光末氏は「最東端の小さな島だが、膨大な排他的経済水域(EEZ)を持つ。崇高な任務という意識で隊員に勤務させている」と語る。
  EEZとは、沿岸国が沿岸から200カイリ(約370キロ)以内で設定できる、水産・海底資源など経済的な権利を有する海域だ。
  日本はわずか1・5平方キロの南鳥島のおかげで島の周囲43万平方キロのEEZを太平洋上に有している。それは日本の全国土より広い面積だ。そのEEZ内の深海底では、ハイテク製品などに用いられる貴重な「レアアース」(希土類)の存在が確認されている。
  島の生活は不便が多い。食料は週1回、航空自衛隊機で運ばれてくるが、携帯電話は数年前にソフトバンクだけがかろうじてつながるようになった。インターネットは接続できないに等しい。テレビはBSのみで地上波は映らない。趣味は筋トレ、日焼け、釣り-。
  医師はいない。医療機関がある本州まで片道4時間を要し、けがが致命傷になりかねないため、隊員の安全管理には特に留意しているという。隊長は1年、一般隊員は2カ月交代でここに住む
  河野氏は視察の際、任務の現状を隊員から聞いて「勤務環境を少しでも改善できるよう努力したい」と語った。島内の戦跡や戦没者慰霊碑、海洋調査船などが停泊する岸壁工事の現場なども訪ねた。工事は国交省の事業で、令和4年度に160メートル岸壁が完成する予定だという。
  「中国の艦艇と航空機が太平洋に活発に進出してくる中、太平洋の防衛を真剣に考えていかなければならない」
  河野氏は視察後の取材でこう強調した。令和2年版防衛白書は、中国軍の太平洋進出について今後一層の拡大・活発化が見込まれる」と警戒した。
(3)
  南鳥島は今のところ、直接的な圧力にはさらされていない。ただ、同じ太平洋側にある日本最南端の沖ノ鳥島周辺のEEZでは今月、中国の海洋調査船が日本側の事前同意を得ずに調査を強行したとみられる事案が発生している。レアアースが眠る南鳥島周辺もひとごとではないだろう
  日本の国土面積は世界で61番目だが、EEZは世界6位の面積を誇る。絶海の孤島に日の丸を掲げ、特殊な生活環境で人が居住し、滑走路などのインフラを維持している。日本という海洋国家はこうして成り立っており、それは決して容易なことではない。
  今回、わずか2時間余りの滞在だったが、その現実を垣間見ることができた。


2020.7.18-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-https://www.sankei.com/politics/news/200718/plt2007180012-n1.html
沖ノ鳥島EEZで中国船、10日連続調査 日本政府が抗議「即時に中止すべきだ」

  日本最南端の沖ノ鳥島(東京都小笠原村)周辺の排他的経済水域(EEZ)で18日、中国調査船がワイヤのようなものを引き上げているのを海上保安庁が確認した。同海域の航行は10日連続、調査は3日連続となった。政府は国連海洋法条約に反するとして中国側に抗議しているが、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で続く中国公船の挑発行為に続く懸案となっている。
  菅義偉官房長官は17日の記者会見で「科学的調査を実施しているのであれば即時に中止すべきだ。緊張感を持って関係省庁で連携し、毅然(きぜん)とした対応で臨んでいきたい」と述べ、外交ルートで中国側に抗議していることを明らかにした。
  日本側に無断で沖ノ鳥島沖での調査を続けたのは中国の海洋調査船「大洋号」。海保の巡視船が9日に確認して以降、15日を除き、18日午後5時過ぎにEEZ外に出るまで調査を行った。無線や電光掲示板を使った海保の中止要請にもかかわらず、14日までの6日間連続の調査は平成23年以降の最長期間を更新した。
  尖閣諸島周辺でも中国公船の連続航行日数が長期化している。政府・与党内には、中国側が沖ノ鳥島と尖閣諸島での動きを連動させて海洋進出を強めているとの見方がある。
  国連海洋法条約は他国のEEZにおける無断の海洋調査を認めていない。中国政府は沖ノ鳥島は島ではなく岩礁だ」と主張している。また、中国調査船が同島周辺で科学的調査をするのに「日本の許可は必要ない」としている。


南鳥島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  南鳥島は、小笠原諸島本州から1,800 km離れた日本の最東端としても知られている。行政上は東京都小笠原村に属する。日本国の島では唯一、他の島と排他的経済水域を接していない島でもあるマーカス島マルカス島(-とう、Marcus Island)とも呼ばれる。本島と与那国島の間が、日本国の領土間で最長の大圏距離を取ることができる地点である(約3140km)。

地形
  一辺が約2kmの三角形の平坦な島であり、最高地点の標高は9 m。島の周囲はサンゴ礁で浅くなっているが、潮流が速く泳ぐのは危険である。この海域は北西太平洋海盆に含まれ、島の周囲は深い海に囲まれている。サンゴ礁の外側は水深1,000 mの断崖となる。
  日本の島としては唯一日本海溝の東側にあり、日本で唯一太平洋プレート上にある。日本最東端の電子基準点が存在し、この電子基準点は日本で唯一太平洋プレート上にあることからプレート運動の監視に重要な意義を持っている
  南鳥島は、プレート運動による動きとして、西北西方向に移動しているが、2011年に発生した東日本大震災以降、移動速度が約1割(8cm/年→8.8cm/年)加速している(2014年の時点)との研究が2015年に発表された
人間史

 ・約20万年前(第四紀更新世) - 隆起して島となる。
 ・1864年元治元年) - アメリカ合衆国の船(ハワイ王国宣教師船という説もある)モーニングスター号が来訪し、マーカス島と命名する[8]
 ・1879年明治12年) - 静岡県の斉藤清左衛門が、初めて南鳥島を訪れた日本人となる[8]
 ・1896年(明治29年)6月30日 - 小笠原諸島を拠点に、南洋探検と交易を行なっていた水谷新六が到達し、母島から46人が移住し、集落に「水谷」と命名する。
 ・開拓の当初の目的はアホウドリの捕獲と羽毛の採取であり[10]、副産物として鳥油肥料の製造も行なわれた。のちに海鳥剥製製造が加わった。
 ・南洋の楽園というイメージとは裏腹に、移住者は台風高潮伝染病赤痢)、(水源に乏しいことからの)水不足、物資不足に悩まされ続けることとなった。 ・ ・1898年(明治31年)7月24日 - 「南鳥島」と命名され、東京府小笠原支庁に編入される[1]1902年(明治35年) - アメリカ人A・A・ローズヒルがアメリカ合衆国による領有権を主張して開拓を試みるが、それを察知した大日本帝国も軍艦笠置を派遣し、先に上陸して牽制した(南鳥島事件)。
  この事件の際、軍艦「高千穂」に同乗していた地質調査所の技師が南鳥島の土を採取・分析。リン酸分が30%程度であったことから、南鳥島が燐鉱の国内産地として注目される
 ・1903年(明治36年) - 2月、水谷が東京府に「鳥糞採取願」を提出。3月に府より許可が降りる。これにより鳥糞石(グアノ)の採掘が本格化する。
 ・最盛期には年間1000トンのグアノを採掘。島の中央部において採掘され、現場から沿岸部へ敷設されたトロッコによって運搬されて貨物船で出荷された。主な出荷先は東京の「全国肥料取次所」であった。グアノ採掘に従事する労働者は60~70人をかぞえた。大正初期の生産高は年間600トンであった
  この時期に南鳥島の事業の権利は水谷から「南鳥島合資会社」に移転。1922年(大正11年)- グアノ事業の権利が全国肥料株式会社に移転する。
 ・グアノ採掘はその後も続いたが、不況によるグアノや肥料の価格急落、資源枯渇などから昭和初期までにグアノ事業は終了。会社及び労働者は南鳥島から撤退した。昭和初期 - 漁業を営む数世帯が暮らしていたという。 
 ・1933年昭和8年) - 全島民が撤収し、無人島になる。1935年(昭和10年) - 大日本帝国海軍気象観測所を開設する。
 ・1942年(昭和17年)3月4日 - 太平洋戦争中、ウィリアム・ハルゼー中将麾下のアメリカ海軍第16任務部隊空母エンタープライズ旗艦)により、南鳥島は東京府内で初めて空襲を受ける(日本本土への初空襲は同年4月のドーリットル空襲)。その後も1943年(昭和18年)8月31日など何度も空襲を受けた。
 ・1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行(東京府廃止)。
 ・1945年(昭和20年) - 連合国軍の一国であるアメリカ軍によって占領される。
 ・1946年(昭和21年)1月26日 - 連合軍総司令部がSCAPIN-677を指令し、日本の南鳥島への施政権が停止される。
 ・1947年(昭和22年) - 台風発生に伴う高潮で被害を受けたため、アメリカ軍が撤退して無人島となる
 ・1951年(昭和26年) - 日本の気象庁アメリカ合衆国連邦政府の委託を受け、南鳥島で気象観測業務を始める。
 ・1952年(昭和27年) - サンフランシスコ講和条約によって、正式にアメリカの施政権下に入る。
 ・1963年(昭和38年) - 南鳥島ロランC局が完成する。これを受け、南鳥島にアメリカ沿岸警備隊が駐留し、日本の気象庁職員は撤収する。
 ・1968年(昭和43年)6月26日 - アメリカより返還され、東京都小笠原村に属する。海上自衛隊南鳥島航空派遣隊が編成される。
 ・1993年(平成5年) - 南鳥島ロランC局を管理していたアメリカ沿岸警備隊が撤収し、海上保安庁が管理を引き継ぐ。
 ・2002年(平成14年)12月10日 - 国土地理院により電子基準点が設置され、日本最東端の点となる。
 ・2006年(平成18年)9月1日 - 台風12号接近により、気象観測所職員全員が一時島外避難。
 ・2009年(平成21年)11月1日 - 環境省が鳥獣保護区に指定。
 ・2009年(平成21年)12月1日 - 南鳥島ロランC局(LORAN自体の)廃止に伴い海上保安庁職員が撤収。
 ・2010年(平成22年)5月18日 - 南鳥島などの離島の保全を目的とした低潮線保全・拠点施設整備法案が衆議院を全会一致で通過。5月26日、参議院で全会一致で可決・成立し、一部規定を除き6月24日施行。2011年(平成23年)3月31日 - 南鳥島港湾保全管理所の仮庁舎完成。
 。2012年(平成24年)6月28日 - 東京大学研究チームにより、南鳥島付近の海底でレアアースが発見される。翌年3月、鉱床の一部が高濃度であることが発見される
生物
  ヤモリ科の一種ミナミトリシマヤモリが生息している。日本国内ではここと南硫黄島にのみ生息が認められ、ミクロネシア方面から流木などに乗って分布を広げたものと考えられている。人体に有害な寄生虫を持つアフリカマイマイが多数生息する
施設
  一般市民の定住者はなく、飛行場施設を管理する海上自衛隊硫黄島航空基地隊南鳥島航空派遣隊(約10名)や気象庁南鳥島気象観測所(約10名)、関東地方整備局南鳥島港湾保全管理所(3名)の職員が交代で常駐する南鳥島航空基地があり、気象通報の観測地でもある。アマチュア局は気象庁の社団局JD1YAAがあり、来島者の個人局が運用することもある。かつては海上保安庁の社団局JD1YBJもあった。
  往来・補給のために1,370 m滑走路があり、島の一辺の方向に平行である[1]。島の南側に船の波止場があるが、浅いサンゴ礁に阻まれて大型船は接岸できないため、大型船は沖合いに停泊し、そこから船積みの小型ボートで島に荷揚げを行っている。このため、2010年度より泊地及び岸壁工事が行われており、2022年度に完成予定である。
  太平洋戦争の際に戦闘を想定して島を要塞化していたため、その時代の戦車大砲の残骸などが残る。アメリカ軍による空襲はあったものの上陸・戦闘は起きなかった。かつては、アメリカ沿岸警備隊が電波航法施設ロランC局を運用していた。1993年に海上保安庁千葉ロランセンターが業務を引き継ぎ、213mのアンテナから1.8MWの送信出力でロランパルスを発射していたが、ロランを使用する船舶が減少したため2009年12月1日午前に廃止された。
交通
  島に駐在する職員の交代などのため航空自衛隊C-130Hが月に一度、海上自衛隊のC-130Rが週に一度、硫黄島を経由して食料の補給や荷物の逓送のために飛来する。海上自衛隊のUS-2や航空自衛隊のC-1が利用されることもある。交代の職員もこれらの飛行機を利用する。日本郵便株式会社が「交通困難地に指定し、南鳥島の住所を記載しても郵便物は届かない。これは各社宅配便も同様である。
  所要時間はC-130が厚木基地からの直行で約3時間半である。
  海上自衛隊が2014年まで運用していたYS-11Mでは、厚木基地から硫黄島を経由して約7時間かかり、絶海の孤島で周囲に緊急着陸が可能な飛行場が存在せず、何らかの理由で着陸ができないと帰路に燃料不足の懸念があることから、確実に着陸可能である状況でのみ運航を行っていた。
  作家の池澤夏樹が南鳥島に行きたいと要望し、補給船に乗って1日だけ上陸して、その際の状況を「南鳥島特別航路」に書いた。
希土類
  2012年6月28日、東京大学の加藤泰浩ら研究チームは当地付近の海底5600mにおいて、日本で消費する約230年分に相当する希土類(レア・アース)を発見したと発表。日本の排他的経済水域である南鳥島沖の海底の泥に、希土類の中でも特に希少でハイブリッド車 (HV) の電動機などに使われるジスプロシウムが、国内消費量の約230年分あるという推定がなされた。これにより、掘削技術を提供している三井海洋開発と共同で深海底からの泥の回収技術の開発を目指す
  2013年3月21日、海洋研究開発機構と東京大学の研究チームは、深海底黒泥中には最高で中国鉱山の30倍超の高濃度希土類があることが判ったと発表。今回の調査で、同大学の加藤泰浩は「230年分以上、数百年分埋蔵している可能性がある」と話している。なお、陸上の希土類鉱山で問題になる放射性トリウムは深海底黒泥中には含まれていなかった。世界の希土類の主な輸出国である中国は、日本による2013年の当地域の希土類に関する報道について、我が国を煽り立て、牽制(けんせい)することが目的だった可能性がある」とした。アドバンストマテリアルジャパン社長の中村繁夫は、南鳥島の希土類採掘は経済合理性に欠けており、一連の報道は単なる牽制目的なのではないかと述べた
  経済産業省は2013年度から3年間、南鳥島周辺の排他的経済水域内において、希土類を含む海底堆積物の分布状況を調査して評価を行い、商用化に向けた技術開発も行っている。


小笠原諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


小笠原諸島は、東京都小笠原村の行政区域を指す。東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々からなる。総面積は104km2南鳥島沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。小笠原諸島は別名をボニン諸島(Bonin Islands)という

南鳥島を除く小笠原諸島は海洋地殻の上に形成された海洋性島弧である。太平洋プレートフィリピン海プレートの東縁に沿って沈み込むことによって誕生した。民間人が居住するのは父島母島の2島。自衛隊などの公務員が常駐する島としては父島・硫黄島南鳥島がある。これらを除く島は無人島である。ちなみに、小笠原群島は小笠原諸島の一部の名称であるが、時折混同され、小笠原群島の意味で小笠原諸島と呼ばれることがある。
諸島を構成する島
狭義の南方諸島
  小笠原群島
     聟島列島 - 聟島嫁島媒島、北ノ島 他
     父島列島 - 父島兄島弟島 
     母島列島 - 母島姉島妹島 
     西之島
     火山列島(硫黄列島) - 北硫黄島硫黄島南硫黄島孤立した島々 - 南鳥島沖ノ鳥島
自然
  小笠原諸島は生物地理区の区分上において、日本で唯一オセアニア区に属している。また、形成以来ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋ガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因でオガサワラオオコウモリオガサワラノスリアカガシラカラスバトハハジマメグロなどの動物やムニンツツジムニンノボタンといった植物など、いくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。周辺の海域ではイルカが生息しており、それらを見るために島を訪れる人も多い。また陸上では、人間が持ち込み野生化したヤギも生息している。
指定
  ・1980年昭和55年)3月31日:国指定小笠原諸島鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定された(面積5,899ha、うち特別保護地区1,331ha)。
  ・1972年(昭和47年)10月16日:一部の島や地域を除き小笠原国立公園として、国立公園に指定された。
  ・2011年平成23年)6月24日国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第35回世界遺産委員会にて、世界自然遺産に登録が決定(正式登録は6月29日
気候
  日本の気候区分では「南日本気候」、ケッペンの気候区分では、聟島(むこじま)列島・父島列島・母島列島・西之島が温帯に、火山列島南鳥島沖ノ鳥島熱帯に属するが、温帯に属する地域は一般的に亜熱帯とされる。それに併せて海洋性気候にも属する。
  年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は小さい。から初冬にかけて台風が接近する。梅雨前線はこの地の北に現れ、太平洋高気圧の支配下となるため、北海道と同様に梅雨が無いとされる。
  気象庁による有人観測施設は、父島気象観測所南鳥島気象観測所( 2か所とも高層気象観測も実施)、アメダスが母島(雨量のみ観測)に設置されている。なお、小笠原諸島には気象レーダーが設置されておらず、気象レーダーによる観測が行われていない。また、2008年3月26日まで、日本全国で唯一気象に関する注意報警報および、週間天気予報は発表されていなかった。ただし、小笠原諸島周辺海域は2017年現在でも地方海上予報区[8]の区域外であり、海上警報も発表されない。







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