事件問題-未解決事件-1



2022.05.20-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220520/k10013635451000.html
吉川友梨さん行方不明から19年 両親ら情報提供を呼びかけ 大阪

  大阪 熊取町で小学4年生の吉川友梨さんが行方不明になった事件から20日で19年となり両親らが情報提供を呼びかけました。
  平成15年5月20日、小学4年生の吉川友梨さんが、大阪 熊取町で下校途中に行方がわからなくなり警察は誘拐事件として捜査しています。

  事件は未解決のまま、20日で19年となり、大阪 中央区難波の繁華街で父親の永明さん(61)と母親の美和子さん(61)、それに警察官ら、およそ30人が事件の概要が書かれたチラシ入りのティッシュを配って、情報提供を呼びかけました。そして、近くのビルに設置された大型モニターには、友梨さんの顔写真や行方不明になった当時の服装などが映し出されました。
  この事件では、現場付近で不審な白い車が目撃され、警察は、この車とみられるトヨタの「130系クラウン」の所有者について捜査していますが、事件の解決につながる手がかりは得られていません

  大阪府警察本部捜査1課の水舩伸太郎警部は「わずかな情報で捜査が大きく進展することもある。気になっていることがあれば、情報提供をお願いしたい」と話していました。
  事件に関する情報は泉佐野警察署の捜査本部 072-464-1234で受け付けています


2022.03.31-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220331-DJEJFEZ4QBKYDCVNOZZNYJIOHQ/
「100歳」容疑者を死亡扱い 26年前殺人事件、全国初

  平成7年秋、山口県下関市出身の無職、吉田卓三さん=当時(37)=が殺害され、同市の海岸と北九州市の岸壁で遺体の一部が見つかった事件で、山口県警が全国に指名手配していた父親のA容疑者=同(74)=を所在不明のまま「容疑者死亡」扱いとし、殺人などの疑いで昨年10月に書類送検したことが31日、捜査関係者への取材で分かった。

  福岡県警と合同捜査本部を組んで捜査してきたが進展は見込めない状況で、容疑者が生きていれば100歳となる時期を節目に書類送検、捜査を事実上終結させた。捜査関係者によると「100歳送致」と呼ばれ、全国で初のケース。

  A容疑者は7年10月ごろ北九州市内で、何らかの方法で卓三さんを殺害した疑いで指名手配された。同年10月28日~11月7日ごろ、北九州市小倉北区にあった自宅アパートの室内で、卓三さんの遺体を鋭利な刃物で切断し、頭部を下関市安岡駅前の海岸付近に、腰部を小倉北区西港町の海上に捨てた死体損壊・遺棄の疑いも持たれていた。



2021.11.10-NewSee-https://newsee-media.com/unresolved-incident
(写真他はHPで見てください)
愛知豊明母子4人殺人放火事件
  事件発生:2004年9月9日
  場所:愛知県豊明市の民家
  犠牲者:母親(38歳)、長男(15歳)、長女(13歳)、次男(9歳)
  事件の概要:殺人放火事件
  2004年9月9日の午前4時25分、近隣住民から火事の通報があり、事件が発覚しました。最初は、ただの火事だと思われていましたが、室内にはガソリンをまいた跡があり、さらに遺体に損傷があったことから、殺人放火事件と断定し、捜査が始まっています。
  被害者である母親と長女はサバイバルナイフで体を10か所以上刺されたことによる外傷性・出血性ショック死であることが判明。長男と次男は鈍器のようなもので頭部を殴られており、それぞれくも膜下出血と脳挫傷が死因となっています。
  つまり、放火による焼死ではなく、まず殺されてから放火されたという可能性が高いというわけですね。

歌舞伎町ビル火災事件
  事件発生:2001年9月1日
  場所:新宿歌舞伎町の雑居ビル
  犠牲者:44名が死亡
  事件の概要:歌舞伎町の雑居ビルでの火災
  2001年9月1日の午前1時ごろ、新宿の歌舞伎町にある雑居ビル「明星56ビル」に火災が発生し、44名が死亡するという事件(事故)が起こりました。
  明星56ビルは地上4階・地下2階のビルで、麻雀店やイメクラ、飲食店などが入っている雑居ビルです。最初に通報されたのは火事ではなく、救急でした。明星56ビルの3階の麻雀店の従業員が火事から逃れるために、窓から飛び降りました。それを目撃した4階のお店の従業員が「人が落ちた」と救急要請をしています。
  このことから、3階で火事が起こり、従業員が逃げるために飛び降りた時点では、4階の人たちは火事が起こっていることを把握していなかったということになります。火災発生当時、47名がこのビルにいました。3名は3階から自力で脱出し無事でしたが、残りの44名は一酸化炭素中毒により死亡しました。44名という多くの死者を出し、日本有数の歓楽街である新宿歌舞伎町で起こった火災事故は、日本中に大きな衝撃を与えました。
  この事件の怖いところは、出火原因が不明であることです。3階の階段の踊り場が出火場所であることはわかっていますが、なぜ火事が起こったのかはわかっていません。
  火災発生直後、目撃証言などから4人目の生存者がいたとされていますが、この4人目の生存者は行方をくらませていて、本当にいたのかどうか、4人目の生存者は誰だったかは分かっていません。また、火災発生直後にビルから立ち去る怪しい人物も目撃されていて、放火だったのではないかとも噂されています。
  犯人はもちろん、放火なのか事故なのかもわかっていない未解決事件になります。

広島一家失踪事件
  事件発生:2001年6月4日
  場所:広島県世羅町
  犠牲者:一家4人
  事件の概要:一家4人が突然失踪し、約1年後にダムから遺体が見つかる
  2001年6月に広島県のある一家4人(建設会社勤務の父、会社勤務の母、小学校教諭の娘、祖母)が忽然と姿を消した事件がありました。  そして、約1年後の2002年9月に京丸ダムの湖底から車と行方不明になっていた4人の遺体、さらに愛犬の遺体が発見されました。
  この事件は一家心中だったということで捜査は終了していますが、不審な点がたくさんあり、いまだに未解決と言われています。
  不審な点には次のようなものがあります。

  ・会社勤務の母は翌日から中国へ社員旅行の予定があり、荷物のパッキングも住んでいた ・借金やトラブルなどは一切ない・争った痕跡はなく金品を盗まれた様子もない ・パジャマ姿のサンダル履きで深夜に家を4人全員で外出したとみられる ・翌日の朝食が虫よけネットをかけた状態で用意してあった ・携帯電話や免許証などは室内に置かれたまま

  無理心中(一家心中)をするような理由が全く見当たらず、さらに翌日からの旅行の用意や朝食の用意がされていたことから、突発的に一家4人が深夜にパジャマで外出するのは、なにか事件に巻き込まれたのではないかと言われています。
  翌日からの旅行の用意がされていて、朝食の準備までしていたのに、一家4人が忽然と姿を消してしまう。とても怖い事件ですよね。

柴又女子大生放火殺人事件
  事件発生:1996年8月8日
  場所:東京都葛飾区柴又3丁目の民家
  犠牲者:上智大学4年の女性
  事件の概要:自宅で1人いる時に強姦・殺害され、放火された
  1996年8月8日に葛飾区柴又にある民家から火事が発生し、2時間後に消火されましたが、焼け跡からその家の娘である女子大生の遺体が発見されました。この凄惨な事件はほんの1時間の隙に起こった事件です。事件当日の時系列を見ていきましょう。

  15時50分 母親が仕事の家を出る。この時点で被害者が自宅で1人になるが、玄関にかぎ はかかっていなかった。16時15分 家の前を通った人によると、まだ火事になっていなかった。16時35分 出火16時39分 近所の人により119番通報18時00分頃 消火

  母親が外出してから出火まではたったの45分。この間に、口と両腕に粘着テープで貼られていて、両足はパンティストッキングで縛られ、強姦され、首を6ヶ所も刺されて殺されました。死因は放火によるものではなく、ナイフで刺されたことによる出血性ショックです。
  自宅で1人になったタイミングを狙っての短時間の犯行だったため、計画的な犯行と考えられています。現場からは犯人のものと思われるDNAが採取されていて、さらに両足を縛った時の結び方が「からげ結び」という特殊な方法で、造園、足場組み立て、和服着付け、舞台衣装、古紙回収、電気工事、土木関係などでしか用いられないことから、犯人は容易に特定されると思われていましたが、事件から20年以上たった今でも、犯人は捕まらず、未解決のままです。

嵐真由美さん失踪事件
  事件発生:1994年9月2日
  場所:東京都墨田区
  犠牲者:主婦(27歳)が行方不明
  事件の概要:1歳半の娘を残して主婦が失踪しそのまま行方不明になる
  1994年9月に当時27歳の嵐真由美さんが1歳半の娘を残し、「同級生に会いに行く」と言い残したまま失踪した事件です。後日、同級生に真由美さんとの約束があったかを確認しましたが、そんな約束をしたという人は1人もいなかったとのこと。また、真由美さんが失踪した翌日に、姉の洋子さんのタンスから、真由美さんが書いたと思われる次のようなメモが見つかります。
  「家族のみんなへ 旦那があるのに、Aと付き合っていたが、裏切られた。」 このことから、Aさんとの不倫トラブルで真由美さんは失踪したのではないかと考えられていました。
  真由美さんは見つからないまま、2011年にテレビ番組の「スーパーJチャンネル 追跡!真実の行方」で、嵐真由美さんの家族にインタビューしたところ、お父さんのインタビューの後ろに「洋子のはなしは信じるな」というメモが貼ってあり、インターネット上は騒然としました。
  「洋子」とはおそらく真由美さんの姉の洋子さんのことです(上の画像の方ですが、ハリセンボンの春菜さんではありません)。この謎のメモ、とても怖いですよね。インタビュー中にこんなメモが後ろに映ったら、色々なことを想像してしまうのは当たり前のことです。この真由美さん失踪事件は、姉の洋子さんの証言によるところが大きいのが現実です。

  ・失踪当日に「同級生に会いに行く」という真由美さんの言葉を聞いたのが姉の洋子さん ・真由美さんの「Aさんと・・・」というメモが見つかったのは洋子さんのタンス ・Aさんの「真由美さんが亡くなっていたら、私は刑に服します。」という言葉を聞いたのも姉の洋子さん ・洋子さんが探偵に調査を依頼したところ、3月9日にAさんが缶ジュースを2つ持って山に入っていったという情報を入手

  これらの事実と「洋子のはなしを信じるな」というメモを総合して考えると、真由美さんが失踪したのは事実だけど、失踪の詳細については姉の洋子さんの虚言が混ざっているということなのかもしれません。でも、未解決のままなので、真実は闇の中です。

グリコ・森永事件
  事件発生:1984~1985年
  場所:大阪・兵庫
  犠牲者:江崎グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋
  事件の概要:誘拐、脅迫事件
  1984年から1985年にかけて起こったグリコ・森永事件。犯人は「かい人21面相」を名乗り、劇場型犯罪と呼ばれています。
  日本全国を恐怖の渦に陥れたグリコ・森永事件の発端は、江崎グリコ社長を拉致したことです。2人組の男が自宅に押し入り、入浴中だった社長を銃で脅して誘拐しました。誘拐から3日後、社長は自力で脱出し、事件は解決に向かうと考えられていましたが、今度は企業を脅迫してくるようになったのです。
  江崎グリコや丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋などの食品会社を次々に脅し、現金を要求してきました。さらに1984年5月には、大手新聞社に犯人のかい人21面相から「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」という挑戦状が届きます。
  10月8日には「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」という張り紙があり、青酸入り森永ドロップが発見されました。

  社会全体がパニックになっている状態で、滋賀県警の山本本部長が焼身自殺しています。これは、ハウス食品脅迫時の現金受け渡しの失敗・失態の責任を取った形だったと推測されています。この滋賀県警の本部長の焼身自殺を受けて、「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と犯人グループから終息宣言が出されて、それ以降は誘拐・脅迫はなくなりました。ただ、犯人のかい人21面相は捕まっておらず、未解決のままであり、2000年に時効を迎えています。

坂出送電塔倒壊事件
  事件発生:1998年2月
  場所:香川県坂出市
  犠牲者:けが人なし
  事件の概要:送電鉄塔が倒壊し、周辺世帯約1万7000戸が停電、9000戸でガス供給停止
  1998年2月に香川県坂出市にある73mの送電鉄塔が根元から折れて倒壊しました。そのことで、周辺は停電し、ガス供給がストップしたという事件です。この事件は、最初は自然災害で倒壊したものと思われていました。でも、調べていく中で、ボルトが人為的に外れたことで倒壊したことがわかったんです。警察の調査によると、鉄塔台座部分のボルト80本のうち76本が何者かによって抜き取られていたことが判明しました。80本中76本が外されていたら倒壊するのも当然です。
  この事件は鉄塔がすぐに倒れないように4本のボルトは残していたために、鉄塔の構造に詳しく、四国電力に恨みがある者の犯行と見られていましたが、結局犯人はわからずじまいでした。また、2003年には、類似性が高い「五色台電波塔倒壊未遂事件」が起こり、「警告、パナウェーブ研究所の報道を中止せよ。五色台山中RNC電波塔のナットを外した。次は倒す」という脅迫状も出されましたが、こちらも犯人はわからず、さらに坂手送電塔倒壊事件との関係性もわからないままで、2つの事件は未解決のまま時効を迎えています。
  この事件は、簡単にテロを起こすことができるということを立証し、インフラの安全性に警鐘を鳴らす結果となりました。

佐賀女性7人連続殺人事件
  事件発生:1975年~1989年
  場所:佐賀県
  犠牲者:11歳~50歳までの女性7人
  事件の概要:半径20kmの範囲で水曜日に7人の女性が殺された事件
  佐賀女性7人連続事件は、佐賀県の半径20km以内という狭い範囲内で、1975年から1989年にかけて、水曜日に(1人だけ土曜日)7人の女性が殺されたという事件です。
  ①1975年8月27日(水):中学1年生12歳のの女性が失踪→1980年にプール横のトイレの便槽の中で遺体で発見 ②1980年4月12日(土):20歳の女性が自宅から失踪→2ヶ月後に小学校の便槽から遺体で発見 ③1981年10月7日(水):27歳の女性が失踪→約2週間後に空き地で遺体で発見 ④1982年2月17日(水):小学5年生の11歳の女性が下校中に殺害→翌日に遺体で発見 ⑤1987年7月8日(水):48歳の女性が失踪→1989年1月27日北方町の崖下で遺体で発見 ⑥1988年12月7日(水):50歳の女性が失踪→1989年1月27日北方町の崖下で遺体で発見 ⑦1989年1月25日(水):37歳の女性が失踪→1989年1月27日に北方町の崖下で遺体で発見

  2人目の女性は土曜日に失踪していますが、そのほかの6人は水曜日に失踪・殺害されています。しかも、5人は絞殺であることがわかっています。(2名は白骨化していたため、死因を特定できず)
  佐賀というのんびりした地域で半径20kmという狭い場所で、水曜日に女性が失踪し、殺害されるというのは怖いですよね。5人目・6人目・7人目の被害者は、同時に発見されているので、「北方事件」とも呼ばれます。
  この事件は別件で拘置されていた男性が自供したとのことで、一気に解決に向かうかと思われましたが、すぐに否認に転じます。その後、その男性は服役していて、服役中の2002年に北方事件の3人の殺人罪で逮捕・起訴していますが、物証の乏しさや上申書の証拠価値の無さで無罪となっています。
  この結果、この佐賀女性7人連続殺人事件は時効を迎え、未解決事件となっています。

帝銀事件
  事件発生:1948年1月26日
  場所:東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店
  犠牲者:12名死亡
  事件の概要:薬と称して青酸化合物を飲ませ12名が死亡した事件
  1948年、終戦後の混乱期に起こった謎の多い事件です。 帝国銀行椎名町支店に厚生労働省技官を名乗る男が現れ、「近くで赤痢が集団発生したから消毒する。その前にこの予防薬を飲んでくれ!」と告げ、銀行員と用務員一家の合計16名に青酸化合物を飲ませ、12名が死亡しました。犯人は現金16万円と小切手1万7450円を盗んで逃走します。
  この時の犯人は自分が薬を最初に飲んで、行員を信用させた後に青酸化合物を飲ませたり、第一薬と第二薬の2回に分けて飲ませたりと計画的な犯行であることが特徴です。
  この時の捜査は毒物が青酸化合物であったことから、陸軍関係の特殊任務関与者に的を絞るも、突如、GHQから旧陸軍関係への捜査中止が命じられてしまいます。そして、証拠は不十分ながらテンペラ画家の平沢貞通を逮捕します。平沢貞通は最初は犯行を否認しますが、拷問のような取り調べの末、犯行を自供し、死刑が確定しました。
  獄中で3度自殺を図ったが、すべて未遂に終わり、最終的には獄中死しました。あまりにも謎が多い事件であり、冤罪の可能性が高く、GHQからの捜査中止などのこともあり、犯人を逮捕したものの、未解決事件と言って良いでしょう。

四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件
  事件発生:2004年2月17日
  場所:三重県四日市市のイオンショッピングセンター
  犠牲者:68歳の男性
  事件の概要:誤認逮捕された男性が拘束後に死亡
  2004年2月17日に三重県四日市市のショッピングモール内で、泥棒扱いされた68歳の男性が店員や買い物客に取り押さえられ、警官に拘束された結果、「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」で死亡した事件です。
  この事件は誤認逮捕された男性がATMを操作中に2歳くらいの子供を抱いた女性がATMコーナーに入ってきて、男性の肩にぶつかり、「泥棒」という声をあげたことから始まります。「泥棒」の声に店員や買い物客がATMコーナーに入り、男性を取り押さえ、別の万引き事件でショッピングモールに来ていた警官に取り押さえられました。
  この時、男性は20分も警官にうつぶせにされて取り押さえられて、途中で体調不良を訴え、嘔吐したり、意識を失っていましたが、拘束はとかれることはありませんでした。その後、救急搬送されましたが、翌日に死亡しています。
  この事件は、ATMの防犯カメラを見直してみると、男性は泥棒をしたわけではないことがわかっています。拘束された時には、自分のキャッシュカードを握りしめていました。また、女性は事件の5分前からATMコーナーを伺うような行動をしていること、男性が取り押さえられた後はすぐに逃走していることから、その女性による窃盗未遂事件だったとされていますが、犯人は逮捕されず、未解決のまま時効を迎えています。

悪魔の詩訳者殺人事件
  事件発生:1991年7月11日
  場所:筑波大学筑波キャンパス人文・社会学系A棟7階のエレベーターホール
  犠牲者:五十嵐一助教授
  事件の概要:悪魔の詩の訳者がイスラム式の殺し方で殺害される
  1991年7月11日に筑波大学の助教授がナイフで刺殺される事件が起こりました。殺害方法は、左に2ヶ所、右に1ヶ所の傷があり、いずれも頸動脈を切断するほどの深さで、「イスラム式の殺し方」とされています。この首の傷のほかに、右側の胸や腹などを3ヶ所刺されていました。被害者の五十嵐一助教授は、サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語訳している人物です。この悪魔の詩はイランの最高指導者に「反イスラーム的」とされ、この本にかかわった者に死刑宣告をしていました。その中での殺害であり、殺害方法もイスラム式だったので、イスラム勢力による殺人ではないかと言われています。
  事件の数週間前に、被害者は壇ノ浦の戦いに関する詩を日本語とフランス語で書いていましたが、日本語では「壇ノ浦で殺される」と書いた部分は、フランス語の方には「階段の裏で殺される」と書かれていたため、被害者は身の危険が迫っていることを知っていたのではないかと言われています。犯人はイスラム勢力の外国人ではないかと言われていますが、逮捕されることはなく時効を迎え、未解決事件となっています。

井の頭公園バラバラ殺人事件
  事件発生:1994年4月23日
  場所:東京都三鷹市の井の頭公園
  犠牲者:35歳の男性
  事件の概要:井の頭公園でバラバラにされた遺体が発見された
  1994年4月23日に、東京の井の頭公園にあるゴミ箱のポリ袋から人間の足首が発見されました。第一発見者の清掃員の女性は、ゴミ箱に生魚のようなものを見つけ、猫のえさにしようとゴミ箱を開けたところ、バラバラにされた遺体の一部を発見したとのことです。警察が周辺を捜索したところ、27個に切断された遺体が7ヶ所のゴミ箱から発見されています。
  遺体は電動ノコギリで切断され、血液は一滴残らず抜き取られていて、さらに手足の指紋と掌紋はすべてえぐり取られていたとのこと。しかも、遺体は全部は発見されておらず、身体全体の3分の2は今でも行方不明のままとのことです。
  被害者はわずかに残った指紋とDNAから公園近くに住む一級建築士の男性と判明しましたが、交友関係等を当たっても犯人には結び付くことはなく、2009年に時効を迎えています。時効後にわかったことは、この未解決事件は人違い殺人だった可能性があるということです。井の頭公園一帯の露天商の元締めをしていた人物は被害者に瓜二つだったという情報があります。
  この瓜二つの男性は外国人露天商とトラブルになっていて、しかもその外国人露店商は外国の工作員で、命を狙われていたのだそうです。つまり、被害者の男性は瓜二つで露天商の元締めだった男性に間違われて、外国人工作員に殺されたのではないかとのこと。プロによる犯行だと、血液が一滴残らず抜き取られていたり、指紋がえぐり取られていたというのも納得できます。

長岡京ワラビ採り殺人事件
  事件発生:1979年5月23日
  場所:京都府長岡京市の山中
  犠牲者:2名の主婦
  事件の概要:ワラビ採りに山に入ったまま行方不明になり、2日後に遺体で発見された
  1979年5月23日に主婦2人がワラビ採りに山に入りましたが、そのまま行方不明になり、2日後に山頂付近で遺体となって発見されました。山の中で遭難したために死亡したのではなく、殺害されたことがわかっています。主婦の1人は死因は絞殺ですが、30ヶ所も殴られ、肋骨は折れていて、肝臓は破裂しています。しかも、強姦された形跡もありました。もう1人の主婦の死因は視察です。ただ50ヶ所以上も殴打されていて、身体には包丁が刺さったままになっていました。この事件の怖いところは、その残忍な殺害方法もありますが、1人の主婦のポケットの中に入っていた走り書きの謎のメモです。
  「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」という走り書きがあったんです。これはスーパーのレシートの裏に書かれたものでしたが、主婦2人は鉛筆を持っていませんでした。
  犯人は捕まっておらず、1994年に時効を迎え、未解決となっています。

東電OL殺人事件
  事件発生:1997年3月9日
  場所:東京都渋谷区円山町のアパート
  犠牲者:東京電力本店勤務の女性
  事件の概要:夜は売春をしていた東京電力のOLが絞殺された
  1997年3月9日未明に、渋谷区円山町のアパートの一室で東京電力のOLが絞殺される事件が発生しました。この女性は東京電力の初の総合職であり、慶応大学出身のエリートでした。経済的に困った状態ではなかったものの、夜は売春をしていた。しかも、高級売春婦というわけではなく、誰でも良い状態、つまり「場末の売春婦」でした。
  昼はエリート社員、夜は売春婦という二面性が当時はセンセーショナルなニュースとして取り上げられていました。殺害現場のアパートは不法滞在のネパール人5名が住んでいて、その中の1人のネパール人が容疑者として逮捕されました。その容疑者のネパール人も、被害者を買春していて、性行為をしたことがあったためです。
  ただ、現場には第三者の体毛が見つかるなど、証拠が不十分として、第一審では無罪を言い渡されています。ただ、第二審、第三審では無期懲役の判決が下っています。その後、被害者の体内から採取されたDNAはゴビンダ容疑者のものではなく、第三者のDNAであることがわかり、再審請求が行われ、ゴビンダ氏は無罪であり、冤罪だったという判決となりました。冤罪だった東電OL事件。では、犯人はいったい誰なのかはわからないままで、未解決となっています。

紀州のドンファン殺人事件
  事件発生:2018年5月14日
  場所:和歌山県田辺市の自宅
  犠牲者:資産家・野崎幸助氏
  事件の概要:資産20億円の被害者が急性覚醒剤中毒で殺害された
  2018年5月14日に起こります。実業家であり20億円の資産があるいう被害者が自宅で死亡しているのが発見されました。解剖の結果、急性覚せい剤中毒とのことで、殺人事件として捜査が始まります。死亡時、自宅にいたのは奥さんと家政婦の2人だけ。奥さんは22歳で被害者とは55歳も離れていることから、奥さんが財産狙いで殺したのではないかと疑われることになります。
  そして、疑いの目は第一発見者である家政婦にも向けられます。妻と共犯だったのではないか?ということですね。しかも、この家政婦の女性はテレビにどんどん出てくるので、怪しい目で見られることになります。
  被害者の「紀州のドンファン」は自称「ドンファン」ということだけあり、今までに女性を4000人抱いてきて、30億円も貢いできたと豪語する人物ですから、色々な憶測が飛び交いました。事件当初はすぐに犯人が捕まる事件だと思われていましたが、事件発生から1年半以上経っても、まだ犯人の特定にはいたらず、未解決事件となっています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件
  事件発生:1989年2月28日
  場所:福島県田村郡都路村
  犠牲者:男性1名
  事件の概要:人間が入るのは難しいスペースに入っている遺体を発見
   1989年2月28日に福島県の田舎で起こった事件です。福島県の教員をしていた23歳の女性が自宅である教員住宅に帰宅して、なにげなくトイレ(汲み取り式)に入ったら、靴が見えたそうです。悲鳴を上げて、急いで外に出て、汲み取り口を見たら、人間の足が見えた。
  この時点で女性教員は同僚を呼び、警察に通報しました。警察は男性を引っ張り出そうとしましたが、スペースが狭くて引っ張り出すことができず、重機を使ってトイレを破壊して、ようやく便槽の中に入っている男性を外に引っ張り出すことができました。外に引っ張り出した時点で、男性は死亡していて、検視の結果「凍え兼胸部循環障害」が死因とのことです。
  この男性は東京電力福島第二発電所の作業員で身元はしっかりしています。明るい性格で村の青年会でも活動していました。そんな人が24日から行方不明になり、26日死亡、28日に便槽内で発見されています。そんな人がのぞきのために便槽内に入るとは思えないし、何より引っ張り出すことが難しいほどのスペースにどうやって入ったのかという疑問もあります。そもそも、覗きのために狭い便槽内に入るというのも考えにくいです。たくさんの疑問が残る未解決事件です。

岡山地底湖行方不明事件
  事件発生:2008年1月5日
  場所:岡山県新見市豊永赤馬の洞穴「日咩坂(ひめさか)鍾乳穴」
  犠牲者:高知大学の男子学生
  事件の概要:鍾乳洞にある地底湖で泳いでいたところ行方不明になる
  2008年1月5日に洞窟探検サークルに所属していた5名が岡山県新見市豊永赤馬の日咩坂鍾乳穴に入りました。この洞窟は全長1600mで、最奥部には深さが32mの地底湖があります。その地底湖で着衣のまま泳いでいた高知大学の学生が遊泳中に行方不明になったとされる事件です。懸命の捜索が続きましたが、結局、行方不明になった学生は発見されることはありませんでした。
  この地底湖は深さが30m。さらに、水面まで5mもあります。一度落ちたら最後、這い上がることは不可能です。そんな中、着衣のまま1月に泳ぐのか?しかも、真っ暗な洞窟の中の地底湖で?そんな疑問が湧いてきます。さらに、次のような不審な点がありました。

  ・入洞届を提出してない ・5人いたのに地底湖で泳いだのは被害者の1人だけ ・溺れるところを誰も目撃してない ・探検部のページから「部長 白米美帆」と「副部長 伊藤智子」を真っ先に削除 ・被害者のmixiが何者かの手で削除される

   これらのことから、ただの事故ではなく、被害者は地底湖で「泳がされた」、強制的に地底湖に入らされたのではないかとも言われています。事件の真相はわからず、未解決となっています。

王将社長射殺事件
  事件発生:2013年12月19日
  場所:京都市の王将本社前の駐車場
  犠牲者:王将フードサービスの社長
  事件の概要:会社に出勤したところを待ち伏せされて射殺される
  2013年12月19日、餃子の王将の社長が早朝5時45分頃に本社に出勤し、駐車場に車を止め、車から降りたところを射殺され倒れているところを出勤した社員に発見されました。病院に搬送されましたが、死亡が確認されています。使われたのは25口径の小型の自動拳銃で至近距離から4発撃たれ、すべて急所に命中していたそうです。この確実に射殺する手口から、プロの犯行ではないかと言われていました。
  事件から1年後の2015年12月には、現場から採取されたDNA型が九州の暴力団関係者のものと一致し、事件が急展開を見せるかと思われましたが、犯人の特定には至らず、いまだに逮捕されていません。

3億円事件
  事件発生:1968年12月10日
  場所:東京都府中市
  犠牲者:なし
  事件の概要:現金輸送車に載せた3億円が偽の白バイ隊員に奪われた事件
  1968年12月10日に、日本信託銀行国分寺支店から東芝の府中工場に従業員のボーナス3億円(正確には2億9430万7500円)を運ぶ現金輸送車が、途中で白バイ隊員を装った犯人に車を止められます。そして、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と伝え、車の下を調べているふりをして、発煙筒に着火。そして、現金輸送車に乗っていた銀行員に「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と伝え退避させ、その隙に現金輸送車を奪い逃走したという事件です。
  この事件を起こす4日前の12月6日には、国分寺支店の支店長あてに支店長宅を爆破すると脅迫状を出していることから、「現金輸送車にダイナマイトが仕掛けられている」ということに信憑性を出しています。
  この三億円事件は、保険金から府中工場の従業員にはボーナスが支払われるなど誰も傷つけることなく、鮮やかなほどに現金を奪ったことで話題になりました。現場には遺留品が多く、すぐに犯人は捕まると思われていましたが、1975年に時効が成立。さらに、事件から50年以上たった現在でも、犯人はわかっていない未解決事件です。

八王子スーパー強盗殺人事件
  事件発生:1995年7月30日
  場所:東京都八王子市のスーパーマーケット「ナンペイ」
  犠牲者:47歳女性、17歳女子、16歳女子
  事件の概要:閉店後のスーパーの事務所で女性従業員3名が射殺された
  1995年7月30日に女性従業員3名が射殺される事件がありました。47歳の被害者は頭部に2発、17歳・16歳の被害者はそれぞれ頭部に1発発砲されていました。
  47歳の女性が知人に迎えを頼む電話をしたのが21時15分。近くの路上で高校生カップルが5発の銃声を聞いたのが21時17分。迎えにきた男性が駐車場に到着したのは21時20分。このわずかな間に犯人はスーパーの事務所に押し入り、3人を殺害して、逃走したということになります。
  事務所内の金庫に向かって1発発砲した形跡はありましたが、金品は盗まれていませんでした。3人の被害者は脳幹が確実に撃ち抜かれていたので、銃の扱いに慣れている人物が犯人と言われていますが、まだ犯人は特定されておらず、未解決事件になっています。

北関東連続幼女誘拐殺人事件(足利事件)
  事件発生:1979年~1996年
  場所:栃木県と群馬県の県境近辺
  犠牲者:幼女5人
  事件の概要:1979年から1996年まで幼女を誘拐し殺害した事件
  1979年から1996年にかけて栃木県から群馬県の県境、半径10kmという狭い範囲で4歳から8歳の女の子が誘拐され遺体で発見される(1名は行方不明のまま)という事件が起こりました。当初、4人目の被害者を誘拐したのは菅家利和氏だとして、逮捕され、無期懲役が確定していましたが、冤罪であることがわかり、再審によって無罪が確定しています。
  この冤罪の証明と真犯人が存在していることの周知に尽力したのが日本テレビの記者である清水潔さんです。この事件の真犯人は「ルパン似の男」ですが、時効もあり、再捜査されることはなく、未解決事件となっています。

名古屋妊婦切り裂き殺人事件
  事件発生:1988年3月18日
  場所:愛知県名古屋市のアパート
  犠牲者:臨月の妊婦の女性
  事件の概要:妊婦が絞殺され、腹を切り裂かれ胎児を取り出し、電話を詰め込まれた
  1988年3月、愛知県名古屋市のアパートで、臨月の妊婦が絞殺される事件が起こりました。出産予定日は3月13日で、予定日よりも遅れていたため、夫は心配になり12時過ぎに自宅に電話したところ、その時点では何も変わりなく、電話で会話をしたとのこと。18時50分に帰宅前に再び電話をしたら電話に出ず、夫は慌てて帰宅。19時40分に帰宅した時、室内は消灯していて赤ちゃんの泣き声だけが聞こえる状態で、「生まれたのか」と思いながら部屋の電気をつけたら、妻の無残な姿を発見しました。
  妻は電気コードで絞殺されていて、おなかを切り裂かれ、赤ちゃんが取り出されていました。さらに、赤ちゃんがいた子宮内には、プッシュホン式の電話の受話器とミッキーマウスのキーホルダーが押し込まれていました。目撃証言はあったものの、現場に遺留品が残されておらず、捜査は難航。最初は夫が疑われたこともありましたが、アリバイがあるため、身の潔白が証明されています。
   犯人を特定できないまま時効を迎え、未解決事件となりましたが、唯一の救いは赤ちゃんが生きていたことだと思います。

プチエンジェル事件
  事件発生:2003年7月
  場所:東京都赤坂のウィークリーマンションの一室
  犠牲者:4人の少女(監禁)
  事件の概要:少女監禁と児童買春
  プチエンジェル事件とは、吉里弘太郎容疑者がデートクラブを経営し、児童を監禁していたという事件です。少女4名を監禁し売春させようとしたようですが、途中で練炭自殺しています。
  この吉里弘太郎容疑者は、未成年のデートクラブ「プチエンジェル」を経営していましたが、顧客には社長や医者、弁護士などが名を連ねていて、プチエンジェルは完全会員制の高級ロリコン売春デートクラブだったのではないかとされています。
  この事件の闇は死亡した容疑者は練炭自殺をしたとされていますが、実は同じように再現すると、ビニールが溶けて自殺できないという状況だったということです。それなのに、捜査は被疑者死亡で打ち切られています。
  また、この事件を取材していたフリーライターが殺害されています。 このプチエンジェル事件は権力を持った人たちが顧客であり、事件が明るみに出ると非常に困るため、権力を使って、捜査をストップさせて、うやむやの状態にしたのではないかと言われているんです。現に、マスコミもほとんど報道しなくなりました。
  未解決であり、事件の真相は闇の中という恐ろしい事件です。

世田谷一家殺人事件
  事件発生:2000年12月30日~31日
  場所:東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅
  犠牲者:一家4人(父親、母親、長女、長男)
  事件の概要:一家4人が自宅内で殺害された
  怖い未解決事件ランキング、第1位は世田谷一家殺人事件です。
  2000年12月30日の深夜から31日の未明にかけて、一家四人が惨殺されました。子どもまでめった刺しにするような残忍さがある一方で、殺害後も室内にとどまり、アイスクリームを食べたり、パソコンを触ったりするなどの異常な行動をとっている怖い事件です。
  犯人は精神異常者。韓国のプロの殺し屋。裏社会の人物。統一教会のトラブル。などなど、色々な犯人が推測されていますが、具体的な反人に結び付くような情報はまだないようです。

マレーシア航空17便撃墜事件
  事件発生:2014年7月17日
  場所:ウクライナ東部
  犠牲者:298名(乗員15名、乗客283名)
  事件の概要:マレーシア航空17便がウクライナ東部上空で地対空ミサイルで撃墜された
  オランダのアムステルダムを出発し、マレーシアのクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空17便が2014年7月17日に、ウクライナ東部で地対空ミサイル「ブーク」によって撃墜され墜落。乗員乗客298名全員が死亡したという事件がありました。
  オランダやウクライナなど5カ国の合同調査チームは、使用したミサイルがロシア軍部隊所有の地対空ミサイル「ブク」だという調査結果を発表しています。当時は、このエリアはウクライナ政府軍と親ロシア派で内戦が行われていました。
  ただ、現時点ではウクライナ側・ロシア側のどちらが何のためにマレーシア航空17便を撃墜したのかは明らかになっていません。2019年6月には国際捜査チームがロシア人3名、ウクライナ人1名に逮捕状を出していてます。
  4人はいずれも、ウクライナ東部で分離派が樹立を宣言した「ドネツク人民共和国」に参加した疑いが持たれています。今後裁判で、詳細が明らかになっていくかもしれません。

リードマスク事件
  事件発生:1966年8月20日
  場所:ブラジルのリオデジャネイロ近郊
  犠牲者:男性2人
  事件の概要:鉛の仮面をつけた2人が死亡
  リードマスク事件とは、1966年にブラジルで起こった事件です。2人の男性が鉛のマスク(サングラスに近いようなもの)をつけた状態で、仰向けで亡くなっているのが発見されました。
  この事件で死亡したのは、ミゲル・ホセ・ヴァイナ(34歳)とマヌエル・ペレイラ・デ・クルス(32歳)の2人です。遺体が発見された時にはフォーマルなスーツに身を包み、その上にはレインコートを着て、さらに鉛の仮面をつけて、仰向けになっていました。
  さらに、遺体のそばには次のようなメモがありました。

  16:30 指定された場所に到着
  18:30 カプセルを摂取 効果現れた後にマスクの反応を待つ

  2人はこの場所で何をしていたのか。どんなカプセルを摂取して、どんな効果が現れたのか?マスクの反応とはどんなものだったのか?すべてが不明です。 死因も不明なので、殺人事件か事故か、自殺かもわかっていない未解決事件なんです。

ジョンベネ殺害事件
  事件発生:1996年12月26日
  場所:アメリカのコロラド州の民家
  牲者:ジョンベネちゃん(6歳)
  事件の概要:12月25日深夜~26日未明に誘拐・殺害された
  ジョンベネ殺害事件は当時6歳のジョンベネちゃんが誘拐・殺害された事件です。12月25日のクリスマスパーティーに出席し、家族と一緒に深夜に帰宅し就寝。26日の朝にはジョンベネちゃんの姿はなく、「警察には連絡するな。午前8時から10時ごろに連絡する。警察に連絡したら娘を殺す。金を用意しろ」と書かれた脅迫状が置かれていました。
  その後、犯人からの連絡はなく、もう一度自宅の中を探すと、地下室からジョンベネちゃんの遺体が発見されました。ジョンベネちゃんは、性的暴行を受けた跡がありました。
  ジョンベネちゃんは 美少女コンテストで何度もグランプリを受賞し、さらに裕福なセレブの家族だったため、全米の注目を集めることになった事件です
  家族が疑われたり、タイのバンコクで元教師が誤認逮捕されるなど事件は混迷を極めます。父親や兄も容疑者になりましたが、DNA鑑定の結果、身の潔白が証明されています。
  事件から20年以上たった現在も、ジョンベネちゃん殺害事件の犯人は特定されず、未解決事件となっています。

カエル少年失踪殺人事件
  事件発生:1991年3月26日
  場所:大韓民国大邱広域市
  犠牲者:少年5人
  事件の概要:カエルを探しに行くと言って家を出た後失踪。11年後に白骨遺体で発見
  1991年3月26日に小学生5人が「臥竜山にカエルを捕まえに行く」(実際はオオサンショウウオ)と言って家を出て以来、失踪した事件がありました。
  その11年後、臥竜山で5人の白骨遺体が発見されましたが、死因は事故や遭難ではなく他殺であることが判明。軍の射撃場が近かったため、韓国軍の関与が疑われましたが、真相にたどり着くことなく、2006年に時効が成立し、未解決事件となっています。
  2011年にはこの事件を題材にした「カエル少年失踪殺人事件」という映画が韓国で制作されています。

夜狸猫事件
  事件発生:1987年
  場所:中国の陝西省
  犠牲者:1000人
  事件の概要:一夜で住民1000人の村民や家畜が姿を忽然と消した 
  中国の中央部に位置する陝西省に晶山村。この村には約1000人の住民がいたそうですが、一晩で村民全員が忽然と姿を消すという事件がありました。 人間だけではなく家畜や犬、猫なども姿を消したとのこと。この大量失踪劇は「夜狸猫事件」と呼ばれています。
  宇宙人によって拉致されたのか、もしくは中国共産党による強制移住だったのか不明なままです。村全体で神隠しにあったのかもしれません。

ゾディアック事件
  事件発生:1968~1974年
  場所:アメリカのサンフランシスコ
  犠牲者:少なくとも5名
  事件の概要:カップルを中心に5名が殺害され。犯行声明文が出された 

  1968年:10代のカップルがサンフランシスコ近郊で射殺される(死亡2名)
  1969年7月:カップルが銃撃され、男性は重傷、女性は死亡。(死亡1名)
  1969年9月:覆面男にカップルがナイフで襲われ、女性が死亡(死亡1名)
  1969年10月:タクシー運転手が射殺(死亡1名) 

  1969年7月の事件後に、警察に犯人しか知りえない情報を含む電話がかけられています。さらに、「ゾディアック」を称する人物が下の画像にある暗号を含む手紙を送付。ゾディアックはそのほかにも犯行声明のようなものを出すなど、存在をアピールしていました。
  1974年には「今まで37人を殺害し、事件を新聞で一層大きく取り扱わないと「何かすさまじいこと」をやる」とという旨の手紙を警察に出しましたが、結局は何も行われずに、ゾディアックとの連絡は途絶えています。
  ゾディアックが殺害したのは最低でも上記の5名ですが、犯行声明では37名を殺害したと言っているので、どのくらいの人を殺害したのかはわかっていません。
  ただ、2014年に、ゲーリー・L・スチュワートが自分を捨てた父親アール・ヴァン・ベスト・ジュニア(Earl Van Best Jr.)がゾディアックだという本を出していて、かなり信ぴょう性があると言われています。

フィレンツェの怪物事件
  事件発生:1974年、1981~1985年
  場所:イタリアのフィレンツェ
  犠牲者:16名(8組のカップル)
  事件の概要:主にカップルが狙われた連続殺人事件


白鳥事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  白鳥事件は、1952年(昭和27年)1月21日に北海道札幌市で発生した警察官射殺事件である。

概要
  「逆コース」の最中に発生した事件であり、日本共産党による謀殺を主張する検察に対し、冤罪を主張する同党や自由法曹団が鋭く対立した。
  実行犯と目された人物らは日本共産党の幇助により国外逃亡したものの、日本共産党札幌軍事委員会委員長であった村上国治が主犯格として逮捕され、1963年(昭和38年)10月17日に懲役刑が確定した。しかし、警察捜査の過程での証拠捏造自作自演を指摘する声が根強く、日本共産党による冤罪キャンペーン松本清張の『日本の黒い霧』での推論、当局による証拠捏造疑惑などにより一般の間でも冤罪の声が強まった。

  受刑者となった村上は無罪を訴えて1965年(昭和40年)に再審請求を行った。この際に村上の関与を裏付ける新たな証拠が検察側から提出され、最終的に1975年(昭和50年)に最高裁判所は村上の一部主張を認めたものの特別抗告棄却した。
  なお、再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用されるとする判断をこのとき最高裁判所が下したことから、以後確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。この判断は事件の名をとって「白鳥決定」と呼ばれる。
  村上の出所後、日本共産党札幌委員会軍事部による組織的な犯行であったことを裏付ける内部証言や裁判資料が公にされている。
事件の経緯
  1952年(昭和27年)当時、「51年綱領」の採択を経て武装闘争路線を採っていた日本共産党による警察官襲撃事件が、全国で相次いでいた。党札幌委員会では委員長の村上国治や副委員長のSが軍事方針を立て、「時間があり、頭も悪くない」北海道大学の学生らを中心に中核自衛隊を組織。列車運転業務妨害事件(赤ランプ事件)や検事・市長宅への投石事件などを起こしていた(ただし、鉄砲玉のような役割は労働者にやらせていた)。
  これに対し、札幌市警察本部警備課課長であった白鳥一雄警部は、市内の丸井百貨店で開催されていた丸木位里・赤松俊子の原爆の図の展示会を「占領軍の指示」として中断させたほか、ビラまきや座り込みデモを行う共産党員を多数検挙し、「弾圧の急先鋒」として党関係者などから敵視されていた。

  同年1月21日午後7時42分頃、札幌市(現在の中央区)南6条西16丁目の路上で、自転車に乗る男が、同じく自転車で帰宅途上の白鳥に向けて後ろから拳銃を発砲し、心臓に銃弾を受けた白鳥は絶命した。犯人はそのまま自転車で逃走した。
  遺体は北大病院で解剖され、死因は命中した拳銃弾による出血多量とされた。白鳥の体内から摘出された銃弾と現場に残された薬莢から、暗殺に使われたのは32口径ブローニング拳銃とされた。
  自転車上で片手で拳銃を発射し一撃で急所に命中させるという、極めて難易度の高い犯行であったが、白鳥には事件前から「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」などと書かれた脅迫状が相次いで届いていたことから、捜査当局は日本共産党による犯行とみて捜査を開始した。

  事件発生後、共産党員が市内で「見よ、天誅遂に下る 自由の兇敵、白鳥市警課長の醜い末路こそ、全ファシスト官憲どもの落ちゆく運命である」と日本共産党札幌委員会名で書かれたビラを配布した。これに対し、事件の翌々日に党北海道地方委員のMが「『天誅を下す』なんて言葉はわれわれの辞書にはない」「われわれ地方委員会では二、三日中にデッチ上げということをはっきりさせたい」と関与を否定する声明を出したが、その翌日には「誰が白鳥事件の犯人であるかは知らない。党と事件の関係については何とも言えない。白鳥氏殺害は官憲弾圧に抵抗して起きた愛国者の英雄的行為で個人的なテロではない。かく闘うことは愛国的行動である。白鳥を殺害した犯人は白鳥自身である」と、党の関与を曖昧にしながら一転して犯行を称賛する声明を出した。

  事件直後の党指導部では、態度を決めかねたのか「共産党のやったことではないという日和見的な意見を克服して、党の意思の革命的統一を図る必要がある」「共産党のやったことではないということに、合法的宣伝は統一する」と指示が錯綜し、事件後に気勢を上げて過激なビラを撒いたり職安事務官を襲撃して川に投げ込むなどの「暴走」を始める党末端との違いが浮き彫りとなった。

  政権与党の対応は素早く、吉田茂首相は事件翌日に「現下の国際情勢を反映いたしまして、共産分子の国内の破壊活動は熾烈なるものがあると考えられるのであります。まことに治安上注意を要する次第であります。かかる事態に対処して、本国会に所要の法律案を提出する所存であります」と施政方針演説を行い、同年4月には破壊活動防止法を制定させた。本事件を始め共産党員による事件が連日報道され、日本共産党は同年10月の第25回衆議院議員総選挙で全議席を失うなど、自らの非合法活動によって国民の支持を失っていったが、それらの事件群の中には冤罪事件である菅生事件なども含まれている。
  市井では、「白鳥に不正を察知されたと考えたヒロポン中毒のS信用組合の理事長が殺し屋を差し向けた」「軍用拳銃の闇市への横流しを知りすぎた白鳥が消された。証拠の弾丸をすり替えて事件を共産党のせいにした」などと怪情報が流された。
  事件発生から4か月後、静岡県で行き倒れ、警察の保護を受けた後に寿司屋で働いていた青年が、保釈中に逃走した北海道庁細胞所属の共産党員Nと判明する。その青年が検事らの情に絆されて札幌の共産党組織の情報を提供したことにより事態が急展開する。党関係者が白鳥殺害に関与しているとの情報を得た警察は、札幌地区委員らを逮捕した。8月28日に逮捕された札幌委員会副委員長Sは11月28日に自供を始め、「白鳥射殺の実行犯は、円山細胞の『ひろ』で、やらせたのは村上委員長である」などと供述。さらに翌1953年4月9日に逮捕された札幌委員会常任の追平雍嘉も供述手記を執筆してこれを裏付けた。また6月9日に共犯として逮捕されていたTが「生きることに怠惰であってはいけない」などと訴えかけた安倍治夫検事の説得を受けて7月11日に転向し、1月3日から1月4日頃に村上国治ら7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した旨を供述した。
  その過程において、面子にかけても犯人を逮捕しなければならなかった警察は、容疑者の誤認逮捕容疑者と別人の共産党員)を犯したり、期限切れで釈放すると見せかけて迎えに来た父親の目の前で別件で再逮捕して長期拘留捜査するなどして、手段を選ばずに強引な捜査を行いながら調書を作成していったという。逮捕者の中には生涯精神を病む者も出たが、一方で日本共産党も組織防衛に奔って釈放された党員らを「査問」し、身の危険を感じた党員が逃亡して警察の庇護を受けるということも起きた。
  しかし、村上国治らの逮捕後も犯行に用いられたとされるブローニング拳銃自体は発見されず、「事件の2年前に行われた中核自衛隊による射撃訓練の遺留品」で「被害者の体内で摘出されたものと施条痕が一致する」とされた銃弾のみが、裁判に提出された唯一の直接的な物証となった。この弾丸は、T立ち合いのもとで行われた幌見峠での札幌市警による捜索で発見されたものである。
  直接の下手人をはじめ共謀したとされた党員らは、日本共産党の密航船群「人民艦隊」で不法出国し、当時日本と国交が無かった中華人民共和国へ逃亡している。
白鳥警部
  事件の被害者となった白鳥一雄は、北海道芽室町に生まれ、帯広中学(現・北海道帯広柏葉高等学校)を卒業後、1937年(昭和12年)に北海道庁巡査になった。太平洋戦争中は大日本帝国陸軍特務機関系のハルピン学院ロシア語を学んだ後に特高警察の外事係として活動しており、戦後も公安警察官として左翼活動の監視に加えて在日朝鮮人密貿易風俗営業の取り締まりを行っていた。1948年(昭和23年)3月に札幌市警の警備課長に就任した白鳥は、警察内部においても秘密主義を徹底し、上司も白鳥が日本共産党の秘密組織についてどこまで掴んでいたか報告を受けておらず、皮肉にもそのことが自治体警察である札幌市警による事件後の捜査を困難なものにした。
  生前の白鳥とも直接の面識があった安倍検事が語ったところによれば、普段の白鳥は物静かで礼儀正しいが、その共産主義を憎悪する精神は、シベリア抑留での経験によるものか、熾烈なものであったという。
  家庭内では仕事の話をすることもなく良き父親を通しており、事件当日も3歳と5歳の娘に「きょうは給料日だし、お土産を買って早く帰るよ」と出かけて行った。事件後の司法解剖では、白鳥の胃袋に直前に飲食したものはなく、上衣のポケットには月給袋が手つかずのまま納められていた。死亡時の年齢は36であった。
当時の札幌の情勢
  朝鮮戦争が継続中の当時、ソビエト連邦と接する北海道では、後方補給基地の安定確保のためのアメリカ軍情報部による特殊活動が活発に展開されていた。その中心である札幌では、日本警察国家地方警察(国警)本部と札幌市警察本部、アメリカ陸軍防諜部隊(CIC)、そして裏社会の間で、互いに反目したり協力したりしながら公安情報の収集が行われるある種の「シンジケート」が形成されていた。白鳥はCICがアジトにしていたすすきののとあるバーに頻繁に通っており、そこにはギャングや右翼も出入りしていたという。
  なお、推理小説家として知られる松本清張は『日本の黒い霧』で本事件を取り上げてCICによる謀略説を唱えているが、事件を取材していた北海日日新聞(現・北海タイムス)の編集部長は「白鳥警部は左翼関係の情報収集力にかけてはピカ一だった。CICとしては彼を消せば元も子もなくなってしまう。CICが重宝している子飼いの白鳥をやっつけるはずがない」と語っている
裁判
村上の懲役確定まで
  検察側は村上国治を殺人罪共謀共同正犯で、共犯2人を殺人罪の幇助犯として起訴し、「村上らは武装蜂起の訓練のため幌見峠で射撃訓練をした。そして、彼らの活動の邪魔になる白鳥警部を射殺した」と主張している。
  第1審札幌地裁は共同謀議を認定し、村上を無期懲役、共犯1人を懲役5年・執行猶予5年と判決している。途中から公判分離されて共同謀議を自供した共犯Tは、1957年(昭和32年)5月に懲役3年・執行猶予3年と判決されて確定している。控訴審札幌高等裁判所1960年(昭和35年)6月の判決で村上を懲役20年に減刑し、共犯1人は控訴棄却している。1963年(昭和38年)10月17日、最高裁判所上告を棄却し、村上の実刑判決が確定した

  唯一の物証である弾丸については、弁護側が発射から発見まで2年が経過しているにもかかわらず応力腐食割れが生じていないことを指摘しており、さらに「施条痕が白鳥警部の遺体から発見された銃弾と一致したとする鑑定結果はアメリカ軍による鑑定」との証言が上告棄却後に得られ、捏造の可能性が疑われた。
  なお、この弾丸が「発見」された捜索では、訓練中の実験で使用された不発の手製手りゅう弾がTの証言通りに発見されており、Tの証言を補強する間接的物証とされたが、これについては弁護側からも否定されていない。
再審請求
  日本共産党は冤罪キャンペーンを張り、110万人に及ぶ最高裁再審要請署名を集めた。党の支援を受けた村上国治は、無罪を主張して1965年(昭和40年)に再審請求を行い、最高裁判所への特別抗告まで争った。
  しかし、1953年6月23日に獄中の村上国治が弁護士を経由して「とくにモグらせた人間は絶対に活動させぬ様出来れば外国えやつて貰ひたいことを支店へ伝えて貰ひたい」と証拠隠滅の為に実行犯グループを国外へ逃がすよう指示した書面が国警に押さえられており、それが裁判資料として提出されたことなどから、札幌高裁は1969年(昭和44年)6月18日に「弾丸の証拠価値は、(中略)たんに『原判決当時に比べいささか薄らいだ』というに止まらず、大幅に減退したと言わざるを得ない」と認めつつも、「各事件に、申立人が関与している事実は証拠上明白」「明白な事実をことさらに否定しようとする申立人の供述には、その信ぴょう性に疑問をいだかざるをえない」として村上の申立を棄却した。
  最高裁も、1975年(昭和50年)5月20日に札幌高裁の決定を支持して村上の特別抗告を全員一致で棄却した。なお、村上は1969年(昭和44年)11月14日に半分近い刑期を残して仮釈放を受けている。

白鳥決定
  上述の通り最高裁判所は再審請求を棄却したが、「再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」との判断を示し、事件にちなんで「白鳥決定」と通称されるようになる。従前の再審裁判では証拠を完全に覆すに足る証言や証拠を求められることが通例であり、その厳しさは「開かずの扉」と呼ばれるほどであったが、この白鳥決定以後は裁判時の証拠や証言に対して「ある程度の合理的疑いが存在する場合」も再審の対象として扱われるようになった。
  その後免田事件財田川事件の再審開始が決定され、下級審の再審に関する姿勢も変えさせた極めて重要な判例となっている
後年の推移
亡命者
  ・事件に関与して中華人民共和国(中国)に逃亡した党員たちの多くは、文化大革命を経て日中国交正常化後に帰国したが、不起訴にされている。一方、日本共産党は『赤旗』でこの者たちを「反党盲従分子」と攻撃し、村上と接触させなかった。
  ・1955年(昭和30年)頃、実行犯として指名手配された3人は中国へ不法出国により亡命した。彼らは北京機関解体後に四川省に追いやられ、射殺の実行者とされた『ひろ』を含むこのうちの2人が1988年(昭和63年)にで病死し、革命烈士として八宝山革命公墓に埋葬された。
  ・最後の生き残りとなった鶴田倫也北京外国語大学で「唐沢明」という通称で日本語教師をしており、鶴田が編纂した教科書は多くの大学で使われた。
  ・1996年1月9日に関係者の訪問を受けた鶴田は泥酔し「俺らのやったことはオウム真理教と同じだという奴がいる。俺はな、単なるやくざ者で白鳥をやったのとは違う。あんなごろつきやって何が悪いんだ」「おれはここにいてプロレタリア国際主義の立場から日本革命を考えている」とくだを巻いたという。

  ・鶴田は訪中した日本人から身を隠すようにして定年後は大学構内の教職員宿舎に居住していた。1997年平成9年)6月、時事通信の記者が北京市内で鶴田との接触に成功したが、鶴田は事件の真相を語らなかった。このとき、一向に事件について語ろうとせず「ここ(中国)にいられないようにしてやる」とすごむ鶴田に対し記者が「わかりました。この件については自分の判断でやります」と言うと、鶴田は「俺は昔から新聞記者は嫌いだったんだ!」と捨て台詞を吐いた。このころ渡部富哉らによる鶴田帰国支援運動が別途行われていたところであるが、時事通信の取材後に鶴田は消息不明となり、ICPOを通じて照会を求めた日本の警察庁に対して中国側は「鶴田なる人物は中国にはいない」と回答した。鶴田は心臓疾患を患い2012年(平成24年)1月頃から体調を崩し、3月14日に北京で死亡したことが報道されている。鶴田は「唐沢明として革命公墓に入ると骨を調べられる。DNA鑑定もできないように海に流せ」と遺言を残し、遺言どおりに天津沖で散骨されたという。

  ・白鳥の妻は、上述の時事通信記者から鶴田生存の報を聞くと「生きてらっしゃるのですか」と驚いたが、「いまさら憎んでもしょうがないでしょう。亡くなった人間が帰ってくるわけでもないし。月日もたって思い出したくありません。そっとしておいてください」と答えた。
  ・国外逃亡を続けて中国で客死した、上述の3人の公訴時効は停止している。中国公安当局による死亡確認を得られていないことを理由に両名の逮捕状は更新され続けており、効力を有する日本の逮捕状としては最古のものとなっている(逮捕状の有効期限は原則7日)。
川口の告白
  ・1998年(平成10年)、事件当時の北海道地方委員会軍事部門幹部であった川口孝夫が、軍事活動を知りすぎて党に日本を追放された旨を主張する『流されて蜀の国へ』という回顧録を自費出版した。川口はその際の北海道新聞のインタビューで、「謀略ではなかったと言ってよい」と松本清張などが提唱した米軍謀略説を否定し、党員の犯行であったことを認めている。川口は「事件に関与していないが、事件後に報告を受けました」として中核自衛隊の元隊員Tの証言が自分が受けた報告と合致することを認め、さらに党の真相調査に対して「事実」を報告していたことも明かされた。なお、村上が裁判闘争を続けたことについては「彼は、私の入党責任者。『左』の路線の時も、すごい活動家だった。間違いを犯したのは共産党の方針が間違っていたためで。彼個人の責任とは考えません。彼も晩年は気の毒な人でした」とした。
  ・共産党は同紙の取材に対しては「党が分裂していた当時の一方の側の問題で、党としてコメントする立場ではない」と言及を避けた一方で「歴史の暗部の断層にうごめいて生き血を吸い、腐肉を喰らう男」と川口を激しく誹謗した。事件に関連して中国に逃亡した者からも「軍事方針の直接の実行部隊幹部であったことを自認し、非合法の軍事方針を実践していたことを確認しておりながら、彼は下部組織の犯行であって自分は関与していないと白を切っている」と川口に対し批判の声が上がった。中国への逃亡の後に帰国した人物は、「当時の共産党は組織原則が厳しく、党員は絶対服従することが義務付けられていた」「白鳥事件についても村上国治が上部組織の許可なしに計画実行することなどあり得ない」「川口がこの事件の直接の策謀者だと信じている」と見解を述べている。
  ・『流されて蜀の国へ』に対しては「事件の真相を曖昧にしている」との批判もあったが、川口は「妻は何の理由もなく異国に送られ、十八年もの長き年月を強制的に中国に滞在させられ、悲しくつらい思いをし、苦しめられた。その原因である『白鳥事件』の真相の公表を、妻は人生の最後まで望んでいた。私は六〇年間の長い年月の苦労の旅をともにしてきた(妻の名前)の最後の願いを実現させる事こそ、私に残された最後の仕事と考えている」として事件に関する自らの体験を記した『いまなぜ「白鳥事件」の真相を公表するか』と題した遺稿を2002年に書き上げ、2004年に他界している[64]。この中で川口は、中核自衛隊の射撃訓練に参加したことや村上の強い要請で『ひろ』の逃亡に加担したことを明かしている。
Tによる謝罪
  ・2012年(平成24年)2月24日、裁判で用いられた自供を行い、自身も暗殺計画に参加したとして殺人幇助などの罪で執行猶予判決を受けたTは、「中核自衛隊が計画を進めていたのは事実」と中核自衛隊の犯行であったことを改めて認め、説明責任を果たすため手記を公表予定と読売新聞の取材で述べていた。
  ・Tはその後、「裏切り者とかユダと悪罵を投げかけられながらも60年間ジッと耐えて我慢してきたTに一回喋ってもらい、記録に残したい」として有志が同年10月に小樽商科大学のサテライト教室で開催した、『白鳥事件を考える集い』に参加し、「若く幼稚な正義感から白鳥警部殺害に関与してしまった。当時は白鳥氏には妻子がいることに思いが及ばず、白鳥警部のご家族に多大のご迷惑をかけたことを、今となっては遅きに失するが心よりお詫びしたい。また、この事件で多くの札幌市民を不安に陥れたことを深く反省している」と謝罪の言葉を述べ、「共産党は55年の6全協極左冒険主義を清算したといいます。だが、その具体的内容には触れておらず、白鳥事件のことなど一切出てきません。それどころか、事件は一部の分派の飛び跳ねた部分がやったということで、ぼくらや仲間のやったことを切り捨て、現在の党には関係ないといいます。果たしてこんなことで、一般の国民を納得させられるでしょうか」と疑問を投げかけた[63]。またTは、出所後の村上と面会し、互いに事件のことには触れずに2時間ほど回顧談をしたことを明かしている。
その他
  ・2002年(平成14年)に長野県松本市旧司法博物館にあった白鳥事件の裁判資料を有志が整理して公開されたが、博物館が同市に移管されてからは、多くの個人情報が含まれることなどから公文書管理法第16条第2項の「不開示情報」として閲覧禁止となっている。市立博物館側は「デリケートな情報が多く自治体として公開に至る判断はできなかった」としていたが、2021年12月8日の松本市議会で同市教育部長が研究機関への寄贈を打診していることを明らかにした。
  ・2011年(平成23年)3月27日、HBC北海道放送が事件関係者へのインタビューなどを通じて白鳥事件の真相を追ったラジオドキュメンタリー『インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実~』(HBCラジオ開局60周年記念ドキュメンタリー)を放送し、同年5月に第37回放送文化基金賞ラジオ部門優秀賞を、同6月に第48回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞を受賞している。番組の終盤には、鶴田との接触を持ち、中国共産党とのパイプを持つ人物へのインタビューの録音が流されるが、その人物は関係者が全員死なないと話せないと証言を拒んでいる。
エピソード
  ・北海道大学教授の布施鉄治イールズ闘争世代であり反骨の学者と知られていたが、「白鳥運動」に取り組もうとしていた者に対して、「白鳥にかかわったとされる多くの党員学友が行方不明になっている。自分の親友もいた。おそらくは中国へ脱出したのだ。冤罪と思っている人は北大にはいない。白鳥事件を三鷹事件松川事件と同列に論ずるわけにはいかない。これが現地北海道の常識だから深入りしないように」と釘を刺していた。松川・青梅・芦別事件などでは無罪判決が出され、そのほとんどが冤罪事件とされる戦後の公安事件の中にあって、白鳥事件は「検察最後の砦」であり、近年に至るまで北海道でのタブーとされていた。共産党議員であった志賀義雄も、『ドキュメント志賀義雄』を編纂していた横堀洋一に事件の真相について意見を求められ、次のように述べて口を閉ざしている。
  ・もちろん、国会で追求するつもりだった。ところが、種々調べてみると下手な発言ができないことが次第にわかってきた。そこで、手づるを求めて当時、自民党の大物議員だった賀屋興宣に面会して、意見を聞いてみた。すると賀屋興宣は「志賀君、君のために忠告しておくが、それだけはやめておいたほうがいい。村上国治は獄中から弁護士の面会の際に、関係者を国外に逃がせ、というレポを渡し、それが当局の手に渡っているんだよ」と言うんだ。

  ・冤罪を主張する自由法曹団の上田誠吉は、上告審から本事件に関与したが、後年の回想で「当時、ある種の極左冒険主義があったことは間違いないんで、これが巧みに(治安当局に)利用されているんです。一部の人たちが武器を作り、集めていたということはあるようで、(中略)あの状況の中で白鳥警部が射殺される、共産党の周囲の近しい人、あるいは内部の人自体が、〝ははあ、これはうちの関係者がやったのではないか〟と疑うこと、これがこわいですね」と述べている。
  ・札幌地検の次席検事として村上国治の取り調べをした高木一(帝銀事件平沢貞通の取り調べを行った検事)はヤメ検になったあと「私は、個人的には、村上は正直ないい男だと思いますよ」「結局、村上は党の方針にあおられていたのだと思います。しかし、党内では、農民的一揆主義の突出行為だという批判を受けています」と述べ、後年、別件の法廷で白髪頭になった村上国治と再会しなつかしい気持ちで「おお」と声をかけたエピソードを紹介したうえ、帝銀事件にくらべ「白鳥事件はその百倍も苦労しました。相手もそうだし、味方もコントロールしなければなりません」と当時の苦労を明かした





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