サーカス問題-1


2020.2.12-PRTIMES-https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000015071.html
世界に広まる「ソーシャルサーカス」先進地域・南米のリサーチ結果を初発表 〜「SLOW MOVEMENT-Showcase & Forum Vol.4 -南米・ソーシャルサーカス最前線」開催〜

  「SLOW MOVENT-Showcase & Forum-」とは、障害のある人々の舞台芸術活動に焦点をあて、国内・海外の障害者舞台芸術をとりまく現状や最新事例を学びながら、今後の展望について議論するイベント。芸術・福祉・教育・医療など多分野の方や障害のある当事者が集い、新たなネットワーク形成のきっかけにもなっており、2017年度からは「ソーシャルサーカス」をテーマに掲げ、その実践報告や世界各国の事例を多数紹介しています。

  開催4回目となる今回は、栗栖良依(パラ・クリエイティブプロデューサー/SLOW LABELディレクター)と金井ケイスケ(SLOW CIRCUS PROJECT ディレクター)が登壇し、国内でのソーシャルサーカスの実施報告と、ソーシャルサーカス業界で最注目の南米で開催された国際会議と現場リサーチの報告を行いました。

・障害者・社会的マイノリティのエンパワメントを促進する「ソーシャルサーカス」
  「ソーシャルサーカス」とは、ヨーロッパで25年以上前に始まった、サーカスメソッドで社会課題解決を目指す取り組み。サーカス技術の練習や習得を通じて、協調性・問題解決能力・自尊心・コミュニケーション力などを総合的に育むプログラムです。2019年、日本初のソーシャルサーカス普及・推進プロジェクト「SLOW CIRCUS PROJECT」が発足し、栗栖良依が理事長をつとめるNPO法人スローレーベルが企業・他団体と連携して活動を進めている。
・2019年度の国内ソーシャルサーカス実施報告
  第1部ではまず「SLOW MOVENT-Showcase & Forum- vol.3」で招聘したイタリアのサーカスアーティスト、ダニエレ・ジャングレコ氏と日本の障害者 3 名とのソーシャルサーカスドキュメンタリー上映。

第2部には、栗栖から2019年度の国内ソーシャルサーカス実施報告を行いました。
  栗栖良依がまず語ったのは「ソーシャルサーカス」との出会い。
  自身が携わる “障害者”と“多様な分野のプロフェッショナル”による現代アートの国際展「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」を通じて、参加者の身体や心がポジティブに変化していくのを感じ、その理由を調べるうちに、世界各国でサーカスをリハビリやソーシャルスキルの向上に生かす「ソーシャルサーカス」という取り組みがあると知り、そこから海外各国のソーシャルサーカス団体の取り組みをリサーチしはじめたこと。そこで得たノウハウを日本に合ったプログラムにして、現在全国各地で展開していることを語りました。

  2019年度には、六本木中学校の1年生の生徒、NEWS PICKSアカデミア会員の方、こども家庭支援センターを訪れる子育て中のお母さん、理由があって学校に行けない子供達など、様々な層を対象にプログラムを展開してきたことを報告。最新の動きとしては、日本初のソーシャルサーカスカンパニー「SLOW CIRCUS PROJECT」を結成し、サーカス技術の練習を通じた社会性やコミュニケーション力を育むプログラムの展開や、パフォーマンス作り、リサーチなどの活動を行なっていることを紹介しました。

・ソーシャルサーカス業界最注目!南米で行われた国際会議と現場リサーチの報告
  第3部では、金井ケイスケさんから、「SLOW CIRCUS PROJECT」の事業の一環として行った、2019年10月の南米各地のソーシャル団体の現場リサーチ報告と南米ソーシャルサーカス国際会議の様子が報告されました。
  南米のソーシャルサーカス事情が日本で紹介されるのはこの日が初めてのことです。

  南米では、貧困や犯罪など生活に密着した切実な社会課題の解決のためにソーシャルサーカスが活用されており、貧困地域の若者の救済・若就労支援・犯罪の抑止をめざして展開されています。

  今回、2人が訪れたのは、シルコ・デル・ムンド(チリ)、シルコ・デル・スル、シルコ・エン・ムビミエント(アルゼンチン)という4つのソーシャルサーカス団体と、クエルダ・フィルメという4カ国の団体が運営するソーシャルサーカスによる就労支援プロジェクト、そしてブエノスアイレスで行われた「第1回南米ソーシャルサーカス国際会議」。この日の報告では、各団体がソーシャルサーカスを通じて社会にどのような影響を与えたかが、多数の事例とともに紹介されました。
  また、第1回 南米ソーシャルサーカス国際会議については、南米の労働省・政府関係・企業のほか、カナダ、スペイン、ウルグアイ、アルゼンチン、ペルー、日本など各国のソーシャルサーカス関係者が集い有意義な議論がなされたことや、日本(SLOW CIRCUS PROJECT)のソーシャルサーカスのワークショップやプレゼンテーションを行ったことも報告。
  南米では、障害者を対象にしたソーシャルサーカスの事例が少ないため、SLOW CIRCUS PROJECTのワークショップは注目を集めたことや、日本のソーシャルサーカスの創造的な特徴に気づかされ「こうした取り組みができるカンパニーは、南米だけでなく世界のどこにもないとわかった」と語りました。

・2020年5月上演! 日本初のソーシャルサーカスカンパニー「SLOW CIRCUS PROJECT」の初公演への意気込みも
  また、この日は日本初のソーシャルサーカスカンパニー「SLOW CIRCUS PROJECT」の初公演「T∞KY∞(トーキョー)」の制作背景についても語られました。本作は「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭- 世界はいろいろだから面白い」参加作品として、2020年5月19日(土)・20日(日)池袋西口公園野外劇場での上演が予定されています。
  栗栖良依からは「この作品の構想を練っている最中に南米を訪れたのですが、それがきっかけで180度作品の方向性が転換しました」、金井ケイスケさんからは「ジャグラーやエアリアルなどプロのサーカスアーティスト、障害を持ちながら素晴らしい演技をするパフォーマー、ソーシャルな活動に興味を持つアーティストが揃い、思い切ったことをやるための体制が整いました」と語られました。

「私たちが目指してるのは、より高く・早く・美しくという尺度ではなくて、どれだけ多くの個性を集結できるかということ。サーカス業界だけでなく、ソーシャル業界、アート業界に一石を投じる気持ちでいます。創作のプロセスに非常に意味がある取り組みだと思うので、ご興味をおもちくださった方は稽古にもぜひ足を運んでください」と締めくくりました。


・参考
■スロームーブメント実行委員会
  スパイラル/株式会社ワコールアートセンターとNPO法人スローレーベルにより2015年に結成。年齢、性別、国籍、障害の有無などを越えて終結した人々が、街中でパフォーマンスを繰り広げることで<多様性と調和>のメッセージを広めていくSLOW MOVEMENT(スロームーブメント)プロジェクトを展開。
  2016年度から「SLOW MOVENT-Showcase & Forum-」を毎年開催し、芸術・福祉・教育・医療など多分野の関係者、研究者、専門家、また障害のある当事者も多数参加した新たなネットワーク形成のきっかけを作っている。2017年度からは「ソーシャルサーカス」をテーマに掲げ、その実践報告や世界各国の事例を多数紹介しています。
■NPO法人スローレーベル https://www.slowlabel.info
  国内外で活躍するアーティストとともに コミュニティがかかえる課題を発掘し、さまざまな分野の専門家や市民・企業・行政をまきこんで マイノリティの視点から社会課題を解決にみちびく「もの」「こと」「人」のしくみをデザインする。生産性を重視しがちな社会に「スロー」な感性をとりもどし、じぶんたちのあり方を問いつづけ、変化をおそれずに、多様性と調和のとれた社会をめざしている。


サーカスが社会を変えていく。
“信頼関係”が挑戦を生む、
ソーシャルサーカス」とは?

  小さな道具や大掛かりな装置を巧みに操り、高所や足場の不安定な所で立ち上がったり、逆さになったり、飛び降りたり。ハラハラして目をつぶりたくなるけれど、でも決して目を離すことができない技の数々。サーカスを見たことがある人なら、ワクワクとスリルが入り交じる時間を容易に思い出せるのではないだろうか。
  そんなサーカスを、障がいのある人たちと一緒につくり上げるプロジェクトがある。「スローサーカスプロジェクト」というこの取り組みは、2019年、NPO法人スローレーベルが日本初の「ソーシャルサーカス」を普及・推進すべく発足したという。
  そもそも世界では、紛争や貧困に苦しむ人、移民や自信を失った女性たちなどの社会問題に取り組んできたという「ソーシャルサーカス」。それはいったいどのような取り組みで、どんな役割を果たすのか。
  プロジェクトのディレクターであり、サーカスアーティストの金井ケイスケさんにお話を伺うため、晴れた金曜日の朝、練習場所である東京都内の劇場を訪れた。
  文:小谷実知世

会のしくみからはじかれた人を支えた“サーカス的”文化

  ご挨拶をして、まずは写真撮影をお願いした私たちに、金井さんはいいですよと応じてくださり、「何かしましょうか?」と側にあったクラブと呼ばれるジャグリング用の道具を数本手にしたと思ったら、それらを次々と宙に放つ。よく見知った仲間だとでもいうように軽やかにクラブを扱う身のこなしは、目に心地よく、ずっと見ていたくなる。
  金井さんは、日本人で初めてフランス国立サーカス大学(CNAC)へ留学し、その後長くフランスでサーカスアーティスト、ディレクターとして活躍。帰国した後、2014年に初開催されたヨコハマ・パラトリエンナーレをきっかけに、NPO法人スローレーベルとともにサーカスの技をベースにしたパフォーミングアーツのプロジェクトやワークショップを開始し、それを「ソーシャルサーカス」として発展させてきた。

 「ソーシャルサーカスというのは、簡単に言うと、サーカスによる社会貢献活動のことで、80年代後半から90年代初め、ブラジルで始まったと言われています。
 サーカスについて少しお話をすると、主に家族で経営されてきた昔ながらの『伝統サーカス』に対して、『現代サーカス』は、“サーカスは芸術”という立場からいろいろなアーティストが関わってつくってきたんです。特にヨーロッパと南米で歴史があります。

  サーカスは、テントを立てるスペースがある程度必要なこともあって、地方の町や村で大衆の楽しみのひとつとして根付いて、だんだん都会へと浸透していきました。また現代サーカスの多くが、子どものためのサーカス学校などを開催し、日本でいう児童館や学童保育のように放課後の子どもたちの居場所、遊び場として運営しています。
  そうした地域とのつながりのなかで、サーカスが出合ったのが、紛争や貧困に苦しむ人や移民、自信を失った女性たちだったんです。そして、サーカスの練習や習得のプロセスは、人々のさまざまな力を育て、結果的に問題の解決につながるのではないか、そう考えたアーティストたちによって、自然発生的に社会問題にアプローチするサーカスが生まれていきました」

  スローレーベルのパンフレットには、“ソーシャルサーカスとは、サーカス技術の練習や習得を通じて、協調性・問題解決能力・自尊心・コミュニケーション力を総合的に育むプロジェクトのこと”と書かれている。

  「なぜサーカスはそうした人々に受け入れられたのか?」、「なぜ練習や習得のプロセスが、人々の力を育むことになるのか?」、浮かんでくるさまざまな疑問を投げかけると、金井さんは、「そうですよね」とにっこり笑いながら、サーカスの持つ文化や背景が関係すると教えてくれた。
  「サーカスは、もともと遊びから始まっているのが大きいですね。今日は一輪車、明日はジャグリング、トランポリンと、自分が好きなこと、やりたいことをやればいい、おもちゃ箱みたいなものです。言葉が違っても、文化的な文脈を知らなくても、誰もが自分のペースで楽しむことができる。また、何かができるようになると、次はもっとできるんじゃないかと、挑戦したいことが増え、可能性が広がっていくのもサーカスの特徴ですね」

  また、サーカスは家族的だとも言われていると、金井さん。
  「協力し合ったり、人と息を合わせたりしないとできないのが、サーカスです。もともと転々と旅をしながら行われてきたものですし、みんなで力を出し合わなくては、テントを立てることもできない。技の中には危ないものもあり、人にサポートをしてもらいながら習得するものや、パートナーに命を預けるようなものもたくさんある。信頼関係なしには成立しないんです。ですから、血はつながらずとも、家族的でアットホームなつながりのなかでつくりだされてきたという背景があります」

  さらに、ヒエラルキーをつくらないことが、“サーカス的”なコミュニケーションを生むという。
  「演出家や振付師といった“先生”のような存在を置くことは少なく、反対に、経験のあるアーティストでなくても、『君ができるなら、ぜひやってよ』と、すぐに人を受け入れる土壌があります。それを表してか、最近では、一団や仲間を意味する“カンパニー”という言葉の代わりに、人々が集団を形づくりながらも、個々の独自性や特異性を尊重するという意味合いのある“コレクティフ”という言葉で表現することも増えてきました。そこに、ヒエラルキーはなく、個々に自由な精神をもった人々の集まりというような意味が込められているように思います。
  リーダーがいない分、話し合いにすごく時間がかかるのですが、ああでもない、こうでもないと言いながら、誰かを排除することなくみんなで一緒につくりあげていく。それは、とても民主主義的な文化で、そうしたサーカス同士は世界中でつながり合っています。もちろん、競技的な側面をもった団体や、◯◯な人だけの集まりという団体も存在しますが、それは“サーカス的”ではないように感じますね。そもそもサーカスというのは、オープンでソーシャルな感覚がベースにあるんです」
  そうしたサーカスの持つおもちゃ箱のような楽しさや可能性の広がり、信頼関係、オープンでソーシャルなコミュニケーションが、社会のしくみからはじかれてしまった貧困に苦しむ人や移民、抑圧されてきた女性たちに、一体感や自信、表現の場を与え、徐々に彼・彼女らを支え、勇気づけた。そう話す金井さんの言葉を聞いて、ようやくサーカスと社会問題が、私の中でつながり始めた。
  その後、社会問題にアプローチするサーカスは、南米やアジアなど各地で成果をあらわしていく。そして、1995年に世界的なエンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」の社会支援事業としてメソッドが開発され、「ソーシャルサーカス」と名付けられて、世界中に広がっていったという。
道具を使った遊びがもたらす関係性の変化
  そんな世界中にあるソーシャルサーカスの中でも、障がいのある人々と一緒にサーカスを行う日本のスローレーベルは、異彩を放つ存在だという。
  「貧困に苦しむ人や移民とのソーシャルサーカスは世界各地にありますが、障がいのある人と一緒に行っているという例はほとんど聞いたことがなく、珍しい取り組みだと思います。
  実は、障がいのある人々とワークショップを始めた当初は、ソーシャルサーカスの存在は知らず、行っていたのも皿回しやジャグリング、ダンスなど、サーカスの中でも遊びの要素が多いものでした」
  そもそも障がいと一口に言っても、さまざまな障がいがあり、決して一括りにすることはできず、「どのように進めるのがいいか、僕の中にも恐怖心があった」と、金井さんは振り返る。
  しかし、ワークショップを重ねるなかで、皿回しやジャグリングなど、道具を使った遊びは、コミュニケーションをつないでいくのではないかと、手応えを感じるようになった。
  面と向かって人とコミュニケーションを取ることが苦手でも、好みの道具を見つけて取り組めば、一人で夢中になることができ、そうして楽しんでいる者同士は、やがて道具や技を介してゆるりとコミュニケーションを取り始める。だんだんとスキルをあげていく人、周りが驚くほどひとつのことに集中する人は、その中で尊敬を集め、自信をつけていく。障がいがあっても、なくても、そのことに変わりはない。金井さんはそういう様子を何度も目の当たりにした。そして、それは金井さん自身の固定観念も壊していったという。
  同時に、スローレーベルは、障がいのある人が安全に会場に来て、イベントやワークショップに参加できるよう、環境やコミュニケーションを支える看護師の資格を持った「アクセスコーディネーター」やダンサーとして運動療法にも携わる「アカンパニスト」らをスタッフに加えた。そして、パフォーマンスを振り付けするダンサーや演出するアーティストたちとともにチームを編成。障がいのある人とともにどう取り組んでいくのがいいか、少しずつ模索していった。
安心して挑戦できる。信頼関係のある場所
  そんななか、スローレーベルが出合ったのが、ソーシャルサーカスという概念だった。「自分たちがこれまで進めてきたことはこれだ」と、日本初のソーシャルサーカスを運営する団体として名乗りをあげる。
  「サーカスには、ハラハラを楽しむという要素が含まれています。それまでスローレーベルでは、サーカスの遊びの部分しかしていませんでしたが、各国で行われているソーシャルサーカスは地域の人とスリルのある“攻めた技”もやっている。僕たちも、みんなとやればできそうだと思ったんです」
  そして、金井さんはツムちゃんという女性の話をしてくれた。

  「『イニシエーション』という、高い所から後ろ向きに倒れるようにジャンプし、下にいる人がキャッチするという技があります。後ろ向きですから、下に誰もいなかったらどうしようって想像してしまうと怖い。下にいる人に対して信頼していないとジャンプできないんです。
  そこで、まずは僕たちがやっているのを見せて、参加者に『誰かやってみる?』と聞いてみました。そうすると、怖くて絶対に無理という人と、やってみようかなという人が出てくる。やってみようと上にあがっても、怖くて、ジャンプまで5分、10分とかかったり、やっぱり今日はやめておこうと降りてくる人もいたりします。
  そんな参加者の中にツムちゃんがいました。ツムちゃんはダウン症の女の子。ダウン症の人は傾向として、高い所を怖がることが多いんです。『やってみる?』と聞くと、ツムちゃんは目も合わせず、絶対にやりたくないという感じでした。

  でもある時、ツムちゃんに『ソレイユ』という別の技の声掛け役をお願いしたんです。ソレイユは、大きな円になるよう並んだ人たちが、中央に小さな輪っかがついた放射線状に伸びるロープを持ち、声掛け役の指示に従って、その輪っかをボールの乗った棒に通すという技。みんなで力を合わせ、ボールを落とすことなく輪を棒に通すことができると達成感があります。ツムちゃんはこの役をするようになって、すごく自信がつきました。ワークショップなどでソレイユをするたびに、声掛け役を買って出るようになったんです。
  そんなある日、公演で先程の『イニシエーション』を、チャイニーズポールと呼ばれる長い棒を使ってやることになり、練習が始まりました。人の肩の上に乗り、ポールに掴まって演技をし、最後はポールを離して後ろ向きにジャンプし、下で支えてもらいます。高い所が苦手なツムちゃんは、やらないだろうと思ったのですが、『やってみる?』と聞くと、今度は『やる』って言うんです。
人の肩の上にあがり真っ直ぐに立ったものの、足がガクガクして怖そうでした。でも、ぶつぶつと呪文のように何かつぶやいている。『ソレイユ、ソレイユ、ソレイユ、ソレイユ……』って言ってるんです。私にはソレイユという技ができた、だからこの技だってできるはずだっていう気持ちだったんですね。そのまま後ろ向きにジャンプして、見事に技を成功させました」
  自分で自分を力付けることができた「ソレイユ」をお守りのように唱えて、技を成功させたツムちゃん。少しずつ挑戦を重ね、自信をつけ、またそれが次の挑戦につながっていく。「みんなのサポートがある、この信頼関係の中でなら、いろんなことに挑戦できる。そういう場であることは、とても大切です」と金井さんは言い、こう続ける。
  「社会にも僕自身にも、『障がいのある人にこれはできないんじゃないか』という思い込みがある。何か、障がいのある人は守らなくてはいけない存在なんじゃないかと思ったり、これは挑戦させられないって勝手に限界を決めてしまっていたりします。でも、実は人には限界などなく、あったとしても、必ず抜け道や別の可能性が見つかるのではないか。勝手に決めつけて守ろうとしたり、周りが限界をつくる必要などないのではと、気付かされます」それは、障がいのある人たちだけでなく、健常者といわれる人にとっても同じことで何も変わりはない、と金井さん。
  「障がいのある人の中にもひょうきんで社交的な人もいるし、健常者の中にもコミュニケーションが得意でない人もいる。当然のことですが、健常者にも得手不得手があり、問題を抱えている人もいます。自分も含め、みんな各々にとっての壁があるということなのだと思います。
  外からは、僕たちは障がいのある人をサポートするためにいると見えるようですが、実はそうではなくて。いろいろな人がいる多様な集まりのなかで、こんな風にコミュニケーションできることがとてもおもしろい。たとえそれが言葉のコミュニケーションでなかったとしても、いろいろな人がいて、だからつくり出せるものがあることが楽しいんです」
  2019年、スローレーベルは「スローサーカスプロジェクト」を発足。日本初のソーシャルサーカスカンパニーとして、ダンサーやサーカスアーティスト、ジャグラー、障がいのある人、ない人、30名を超える団員が一体となってプロジェクトを動かしている。
  新型コロナウイルスの影響もあり、2020年5月に予定されていた初公演は延期となったが、新しい発表の場のための準備は進む。
  「僕たちのサーカスは、とてつもない高さから飛び降りるというような、世界レベルのアクロバットを披露できるわけではありません。プロジェクトが目指すのは、多様な人がひとつの世界でつながる楽しさ、おもしろさを感じてもらうこと。そして、みんながそれぞれの壁に向かって挑戦をし、限界を超える。そこに生まれる感動を観客のみなさんと共有できるのではないかと思っています」
  「この信頼関係のなかでなら、いろんなことに挑戦できる」。金井さんが口にしたこの言葉がとても印象的だった。
サーカスの話を、そのまま、まるっと地球に置き換えることができたら、私たちはどれだけの限界の壁を超えることができるだろうと、今この時、想像せずにはいられない。さまざまな人たちが混ざり合って暮らすなかで、サーカス的な文化、サーカス的なコミュニケーションは、私たちに多くのことを教えてくれる。

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SLOW CIRCUS PROJECT(スローサーカスプロジェクト)

スローレーベルより発足した、日本初のソーシャルサーカスカンパニー。障がいのある人とのパフォーマンス創作・トレーニングなど、さまざまな分野のスペシャリストやパフォーマーを含む30人を越える団員たちとともに、日本国内でのソーシャルサーカスの普及・実践に取り組んでいる。
イタリア・アジア・南米など世界各地でソーシャルサーカスを実践する団体と連携しながら、社会課題を踏まえたプログラムを開発。中学校や障がい者福祉施設、子育て世代や次世代ビジネスリーダーなど多方面に向けたプログラムを実践する。

https://circus.slowlabel.info/

「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020」に参加します
ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020
https://www.paratriennale.net/2020
横浜市役所アトリウム 神奈川県横浜市中区本町6丁目50-10


サーカス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  サーカス(circus)は動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物。一般的に円形劇場や天幕などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた。また、近代サーカスの原点としては1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催とされる。

歴史
  語源はラテン語円周回転を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場(キルクス)であるとする説がある。現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされている。
近代サーカスの歴史
  近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリーによって確立され、ヨーロッパからロシアアメリカへと広がったとされる。しかしアストリー自身は「サーカス」という用語を使っていない。従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れている。道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディジーン・オリオールらによって、「喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取る」というスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりのピエロ姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなった。
日本での歴史
  日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年で、『アメリカ・リズリー・サーカス』により横浜で興行がなされた。それまで日本でも見世物は存在したが、「芸種別に一座を組んで個々に興行を行う」というスタイルが一般的で、「様々な演目を一度に見せる」というサーカスは大きな反響を呼んだ。1886年には、イタリアのチャリネ一座が来日する(東京での初演は9月1日から10月30日まで秋葉原の火除け地であった。連日大盛況であった)。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は12月、黙阿弥の『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を千歳座で上演している。

  日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、1899年に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされる。日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露した。その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス木下大サーカスシバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博した。ただし、各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1933年ハーゲンベック・サーカスの来日以後のことである。
  1948年児童福祉法が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止された。これにより、年少期に芸を仕こまなければならないサーカス芸の後継者を育てる事が困難となった。現在の日本のサーカスに子供達が出演しないのはこの法によるものである。ただし、労働基準監督署はサーカスを家業継承する団体で、子供に義務教育を受けさせ、かつ出演料も発生しない場合には児童のサーカス出演を認めるとしている。

  1930年代から1960年代までは20~30団体があったがその後激減し、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止。木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなったが、同年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなるカキヌマ大サーカスは拠点を海外に移した後、破産し解散したと言われているが、2002年頃までは国内での活動が確認されている。

  昭和の戦後に「ボリショイ・サーカス」というCMが日本テレビ系で頻繁に打たれ(初期には東京都体育館、そのあと後楽園から東京ドームで開催)、その印象が強烈に残っている人を中心に「ボリショイ・サーカス」というサーカス団があると誤解するものがいた。しかし、これは日本の興行会社(呼び屋)がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で毎年興行を打ったためにそういった誤解が生まれたのである(後にその興行会社が「ボリショイ・サーカス」という法人名を取得する ボリショイ・サーカス )。ただし、その後平成になって、ロシアで既存のサーカスが「ボリショイ・モスクワ国立サーカス」と「ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス」と改名された。

  1992年、テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れる。その効果からテレビアニメのカレイドスターやテレビCMの鉄骨飲料などサーカスを取り上げたものが多く放送された。
  2001年、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校(学校法人ではない)が日本唯一のサーカス学校として創立される。
  2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表した。
サーカス団・個人 一覧
日本-・木下大サーカス - 岡山県岡山市、・キグレNewサーカス - 北海道札幌市(2010年10月19日に事業停止し、廃業)、・カキヌマ大サーカス - 栃木県足利市、・ポップサーカス - 大阪府大阪市、・ハッピードリームサーカス - 大阪府大阪市、・わんわん大サーカス - 芸能プロダクション・内田芸能社、・ハッピーメリーサーカス-東京荒川区、・アルジェントさーかす-東京荒川区、・Dio Kobayashi - 個人、・GちょこMarble - 個人 東京(サーカス芸を使った大道芸)、・中国大黄河雑技団 - 愛知県名古屋市、・Circus Outdoor - 東京都(サーカスの形式で音楽家や芸人と全国を旅するグランピング集団)
ロシア-.・ロシア連邦サーカス公団、・ボリショイ・モスクワ国立サーカス、・ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス、・ボリショイサーカス(ロシアのサーカス団が日本公演で用いる名称)、・猫のサーカス(一時ボリショイサーカスに参加していた)
北朝鮮-・平壌巧芸団、・牡丹峰巧芸団(通称朝鮮人民軍サーカス)
中 国-・中国雑技団、・上海雑伎団、・広東雑技団、・江西省雑技団
アメリカ合衆国-・リングリングサーカス、・コール・ブラザーズ・サーカス、・サーカス・サーカスラスベガスホテル。無料アトラクションとして館内で公演をしている)、・シルク・ドゥ・ラ・サンフォニー
カナダ-・シルク・ドゥ・ソレイユ - カナダモントリオール
都市伝説
  サーカス団は旅をしながら芸をする、いわば余所者であるため「芸人はもともとさらわれたり買われたりした子供だ」といういわれのない偏見に晒されることがあった。 特に大正から昭和にかけては、夕方遅くまで遊んだり行儀の悪い子供に対して「サーカスに売られる」「身体を柔らかくするためにを飲まされる」(実際は酢にそのような効果はない。酢#迷信を参照)などと叱る光景がよく見られた
  これは、ロマのような移動型少数民族(ジプシー)が滞在先の住人や国家から白眼視されたのと背景は同じと考えられる。
  昭和初期のサーカスに関する作品には三島由紀夫の『サーカス』、加藤まさをの『消えゆく虹』など、サーカスの少年少女の悲恋と死を描いた小説や、サーカス芸人の哀切を詠んだ詩や唄などが多い。








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