相模原障害者施設殺傷事件-1



相模原障害者施設殺傷事件
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  相模原障害者施設殺傷事件は、2016年平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良476番地にあった神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。元施設職員の植松 聖(うえまつ さとし / 事件当時26歳)が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。殺人などの罪で逮捕起訴された加害者・植松は、2020年令和2年)3月に横浜地方裁判所における裁判員裁判死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した。
  殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としては最も多く、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた。
  本事件は、相模原殺傷事件相模原障害者殺人事件相模原障がい者施設殺傷事件とも呼ばれる。

事件発生
  2016年7月26日午前2時38分、相模原市緑区千木良の知的障害者施設「神奈川県立 津久井やまゆり園」から神奈川県警察相模原市消防局にそれぞれ「刃物を持った男が暴れている」との通報があった。事件に気づいた施設の当直職員が、非番の男性職員にLINEを使って「すぐ来て。やばい」 と連絡を取り、連絡を受けた男性職員が電話で確認のうえ警察に通報した。現場に駆けつけた医師が19人の死亡を確認し、重傷の20人を含む負傷者26人が6か所の医療機関に搬送された。
  死亡したのは、いずれも同施設の入所者の男性9人(年齢はいずれも当時41歳 - 67歳)、女性10人(同19歳 - 70歳)である。死因は19歳女性が腹部を刺されたことによる動脈損傷に基づく腹腔内出血、40歳女性が背中から両を刺されたことによる血気胸、残り17人が失血死とされ、遺体の多くは居室のベッドの上で見つかっていたことから、植松が寝ていた入所者の上半身を次々と刺したとみられる。また、負傷したのは施設職員男女各1人を含む男性21人、女性5人で、うち13人は重傷を負った。入所者24人の負傷内容は全治約9日 - 約6か月間の胸への切り傷や両手の甲への打撲などとされる。被害者の名前について、神奈川県警は同26日、「施設にはさまざまな障害を抱えた方が入所しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」として、公表しない方針を明らかにしている。これについて「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではなく、優生思想が根強いため」と説明する被害者家族、本人が生きた証として名を公表する遺族、匿名であるため安否が分からず自分なら公表してほしいとする入所者の友人、根底に障害者差別があるとするなど様々な意見がある。

  午前3時すぎ、現場所轄の津久井警察署に加害者の男、植松聖(犯行当時26歳、元施設職員)が「私がやりました」と出頭し、午前4時半前、死亡した19歳の女性入所者に対する殺人未遂・建造物侵入の各容疑で緊急逮捕された。
  植松は、正門付近の警備員室を避けて裏口から敷地内に侵入し、午前2時頃、ハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割り、そこから施設内に侵入したとみられる。起訴状によれば植松は、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、通用口の門扉を開けて敷地内に侵入し、結束バンドを使って職員らを拘束し、一部を結束バンドで縛り、その目の前で入居者の殺傷に及んでいたが、直接刃物で切りつけられた職員はいなかった。植松は職員らを拘束したうえで、所持した包丁・ナイフを使用して犯行に及んだとされるほか、凶器として自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本などを持っており、切れ味が鈍るなどするたびに取り換えながら使用していた。事件後に施設内で刃物2本が発見され、植松は別の刃物3本を持って津久井署へ出頭した。植松は侵入時にスポーツバッグを所持しており、刃物やハンマー、職員を縛った結束バンドなどをバッグに収納し、行動しやすくしていたとみられる。植松は犯行時、鉢合わせした職員らに「障害者を殺しにきた。邪魔をするな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ返事がない入居者らを狙って次々と刺していった。前述のように、植松が裏口から施設に侵入したことから、植松は施設の構造・防犯態勢を熟知していたとみられる。取り調べに対し、植松は「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めたうえで、「障害者なんていなくなってしまえ」と確信犯である持論を供述もした。

  同警察署の捜査本部は翌27日、殺人未遂の容疑を殺人に切り替え、植松を横浜地方検察庁に送検した。
  事件で負傷して意識不明となった4人が入院していた病院は、翌27日の記者会見で、4人全員の意識が回復したと発表した。そのうち、20代の男性は首を深く刺されたため全血液量の3分の2を失い、搬送直後には脈をとれないほどの危険な状態だった。この男性は、意識を取り戻して人工呼吸器を外されると、看護師に何度も「助けて」と繰り返し、容疑者として植松が逮捕されたことを知ると「生き返った」と答えた。
  入所者のうち、被害を免れた比較的軽度の入所者が、植松が殺傷前に職員に縛りつけた結束バンドをはさみで切断して職員を解放していたことが判明し、捜査本部はこの行為が被害を抑えた可能性もあるとみている。

  植松はさらに多数の入居者を襲う計画だったが、西棟2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもり、そのまま出てこなかったことから、この職員が警察に通報するのを恐れて襲撃を中断し、施設から逃走した。
神奈川県立津久井やまゆり園
  事件のあった「津久井やまゆり園」は、神奈川県が1964年昭和39年)から設置し、2005年(平成17年)度から指定管理者制を導入し、社会福祉法人「かながわ共同会」が運営している知的障害者施設である。相模湖駅から東に2キロほど離れた、山に囲まれた相模川に面する住宅地に立地している。
  入所定員は事件当時、長期入所者150人、短期入所者10人の計160人だった。敷地の面積は3万890平方メートルの敷地内に2階建ての居住棟や管理棟、グラウンドや作業スペースなどがあり、7月1日時点で職員数は164人、同日時点で入所していた19歳から75歳の長期入所者149人(男性92人、女性57人)全員が障害支援区分6段階のうち重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)だった。
  1992年(平成4年)12月より、開所当時の施設・設備が老朽化したことを受けて、建て替え工事を実施した。1994年(平成6年)6月、第1期工事(居住棟・厨房機械棟)が完成し、続いて既存棟の解体と、居住棟・作業訓練室やボランティア室などを備えた管理棟などを建設する、第2期工事が同年7月から行われ、1996年(平成8年)4月に完成したことで、再整備工事が完了し全面開所した。
神奈川県立津久井やまゆり園の安全管理
  園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人配置し、園の正門・居住棟の入り口はそれぞれ施錠されているうえ、建物内に入ったとしても各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるマスターキーを持っている職員もいないという。また、園には警備員が常駐しているが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったという。
  神奈川県の説明によると、入所している人たちが生活している居住棟は2階建てで、「東棟」と「西棟」の2つがあり、容疑者は「東棟」の1階の窓ガラスを割って侵入したとみられている。しかし、外部からの侵入者を察知して自動的に警備会社に知らせたり、警報が鳴って施設全体に知らせたりするシステムはなかった[52]。監視カメラは設置されていたものの、常時監視されていたわけではなく、速やかな異常の把握はできなかった。警報システムや警備会社が提供する常時監視サービス、共連れを防止できる入退室管理システムなどを導入していれば、被害の拡大を防ぐことができたと指摘もある。しかしながら、現状はこのような事案が起こること自体が想定されていない場合が多く、対策が疎かになることが多い。
捜査
  逮捕後の取り調べに対し被疑者植松は「ナイフで刺したことは間違いない」と容疑を認めたうえで「施設を辞めさせられて恨んでいた」とも話した。
  捜査本部は7月27日の捜査で、新たに血痕のついた包丁2本を発見した。また、殺害された19人全員に、胸や首に複数の刺し傷があった。27日までに12人の司法解剖が終了し、10人は負傷による失血死と失血性ショック、2人は腹と背中を刺されたことが致命傷となった。傷の深さから、植松には明確な殺意があったものとみられる。

  取り調べの中で、植松は犯行時、職員から奪った鍵で居住区画を仕切る扉を解錠して移動しながら、入居者の実名を叫んでいたことも新たに判明し、犠牲者には名前を呼ばれた入居者も含まれていたという。神奈川県警は、植松が特定の人物を標的にした疑いがあるとみている。
  神奈川県警は8月15日、園内の東側居住棟1階で、刃物で切りつける、突き刺すなどして、26歳から70歳の女性9人を殺害したとして、殺人容疑で植松を再逮捕した。同日、横浜地検は当初の逮捕容疑である19歳女性に対する殺人容疑については処分保留とした。県警は8月17日午前、植松を横浜地方検察庁に送検した。
  神奈川県警は9月5日、園西棟の1階と2階で、41歳から67歳の男性9人を刃物で切りつけて殺害したとして、殺人容疑で植松を再逮捕した。逮捕は3回目で、これまでの逮捕容疑について横浜地検はいずれも処分保留とした。これで、東棟1階の女性10人と合わせ、死亡した19人全員について殺人容疑で立件され、植松はいずれも容疑を認めた。鑑定留置の期間は翌2017年1月23日までの約4か月間を予定していたが、のちに延長された。植松は襲撃の途中に施設の職員室にあるパソコンで勤務表を調べ、自分より体格がよい職員がいないことを確認していたことが判明しており、捜査関係者は「殺害計画に沿って合理的に行動しており、心神喪失状態ではなかった」とみている。

  捜査本部は2016年12月19日、それまでに立件した殺人容疑に加えて「入所者24人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑」で被疑者植松を横浜地検に追送検し、一連の植松による殺傷行為について全て立件した。また、県警はその負傷者のうち2人について家族の了解が得られたとして実名を公表した。
  津久井署捜査本部は2017年(平成29年)1月13日、被疑者植松を「施設女性職員2人への逮捕・監禁致傷容疑」「施設職員の男性3人への逮捕・監禁容疑」で横浜地検へ追送検した。
   2017年1月17日、横浜地検は横浜地方裁判所へ「鑑定留置期間を2017年2月20日まで延長する」ことを請求して認められ、2月20日に鑑定留置が終了し、植松の身柄は午後3時すぎに立川拘置所から捜査本部が置かれていた津久井警察署に移送された。これまでの精神鑑定で植松は「自己愛性パーソナリティ障害」など複合的なパーソナリティ障害があったことが判明したが、「動機の了解可能性」「犯行の計画性」「行為の違法性の認識」「精神障害による免責の可能性」「犯行の人格異質性」「犯行の一貫性・合目的性」「犯行後の自己防衛行動」の面から 犯行時には「完全な刑事責任能力を問える状態」であったため、横浜地検は勾留期限の2017年2月24日までに植松を起訴する方針を決めた。
  そして、横浜地検は2017年2月24日に被疑者植松を以下6つの罪状で横浜地方裁判所起訴し、事件発生から約7か月に及んだ一連の捜査が終結した
  ・殺人罪 - 死亡した入所者男女19人を刃物で刺して殺害した
  ・殺人未遂罪 - 負傷した入所者男女24人を刃物で刺して重軽傷を負わせた
  ・逮捕・監禁罪 - 職員3人を逮捕・監禁した
  ・逮捕・監禁致傷罪 - 別の職員3人を逮捕・監禁して怪我を負わせた
  ・建造物侵入罪・銃刀法違反
刑事裁判
  本事件は横浜地方裁判所にて裁判員裁判で審理されたが、被害の大きさ・証拠量の膨大さから公判前整理手続が長期化し、2017年2月の起訴から初公判期日まで3年近くを要することとなった。被告人・植松は殺傷行為を認めたため、刑事裁判の公判では「刑事責任能力の有無・程度」が最大の争点になった。

  横浜地検は刑事裁判の公判において横浜地裁へ「起訴状を朗読する際などに被害者の実名を呼ばず匿名で審理すること」を求めるよう検討し、2017年6月になって「氏名・住所などを伏せるよう申し出ていた被害者を匿名にして公判を開く」方針を決定した。なお殺害された入所者・当時19歳女性(法廷における仮名は「甲A」)は当初、被害者特定事項秘匿制度に基づき仮名だったが、初公判直前に女性の母親が姓を伏せた上で「娘の名前を覚えていて欲しい」と報道各社に手記を寄せて名前を公表しており、第3回公判以降は実名に切り替えられている。
  横浜市内の精神鑑定経験が豊富な医師によると、一般的に「自己愛性パーソナリティ障害」は、衝動の抑制が効かなかったり理性的な判断が難しくなったりする場合はあるものの、刑事責任能力を左右する精神病とは区別されるという。精神病というよりは「性格の大きな歪み」に分類され、自分の意見が通らないと「周囲がいけない」「法律がおかしい」と自己中心的な思考に陥りがちになる。そのうえで、植松の「かなり冷静に一貫した行動や言動」や、事件後の逃走を「自分の行動が犯罪だと認識している」点を指摘し、植松の日常生活には問題がなかったことから「自己責任能力の否定材料が乏しく、起訴はまっとうな判断である」と評した。

  神奈川県知事黒岩祐治は「裁判を通じて、この事件の全容が明らかになることを望む」と表明したほか、相模原市長の加山俊夫も「原因が究明され偏見や差別のない共生社会の実現につながってほしい」とコメントを出した。
第一審・横浜地裁(裁判員裁判)
公判前整理手続
  2017年9月28日に横浜地裁(青沼潔裁判長)で第1回公判前整理手続が開かれた。協議は非公開で実施され、検察・弁護側双方が主張内容を記載した書面をそれぞれ提出し、争点について意見を交わした一方、被告人・植松は欠席した。その後、検察側・弁護人双方との間で計3回の打ち合わせが行われ、検察側から合計631点の証拠請求がなされた一方、弁護人からは予定する主張内容を記載した書面が提出された。
  横浜地裁(青沼潔裁判長)は2018年1月23日までに弁護人側の請求を受け、植松に対し再度の精神鑑定を実施することを決めた。
  共同通信は2018年9月4日に、被告人・植松の精神鑑定結果について「捜査段階とは別の精神科医による再度の精神鑑定は2018年8月に終了し、1回目と同様に(刑事責任能力に問題がない)『パーソナリティー障害』との診断結果が出た」と報道した。弁護人は3度目の精神鑑定を申請したが、横浜地裁はこれを認めず却下した。
  横浜地裁(青沼潔裁判長)は2019年4月22日付で本事件の初公判期日を「2020年(令和2年)1月8日11時開廷」と指定して同月24日に公表した。その後、第2回公判以降の公判予定に関しても横浜地裁・横浜地検・弁護人の三者協議により決定され、横浜地裁は2019年9月30日付で第2回公判以降の公判予定を指定し、同年10月2日に発表した。
公判
  横浜地裁における事件記録符号(事件番号)は「平成29年(わ)第212号」(建造物侵入、殺人、殺人未遂、逮捕致傷、逮捕、銃砲刀剣類所持等取締法違反)。審理は横浜地裁第二刑事部合議係(青沼潔裁判長)が担当し、公判は横浜地裁101号法廷で開廷された。
初公判
  2020年1月8日に横浜地裁(青沼潔裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人・植松聖は罪状認否で起訴内容を認めたが、証言台にて謝罪の言葉を述べた直後に自身の右手小指を噛み切ろうとして係官に取り押さえられ退廷させられた。再開後の審理は被告人不在で行われ、検察官・弁護人がそれぞれ冒頭陳述で「植松は完全責任能力を有していた。大麻の影響は犯行の決意を強め、その時期を早めたに過ぎない」(検察官)「事件直前に4,5回大麻を使用しており、犯行当時は大麻精神病により責任能力がない(=罪に問えない)心神喪失状態だった」(弁護人)とそれぞれ主張した。同日は検察側の証拠調べも行われる予定だったが次回公判へ持ち越しとなった。
  なお被告人・植松は退廷後に収監先・横浜拘置支所(横浜刑務所に隣接)へ戻されたが、翌日(2020年1月9日)朝に自分で右手小指第一関節を噛みちぎった。
第2回以降の公判
  2020年1月10日に第2回公判が開かれ、被告人・植松は白い厚手の手袋を両手に着けた状態で出廷し、青沼裁判長から「初公判のように法廷の秩序を乱すようなことをしないように」と注意され「申し訳ありません」と謝罪した。同日は改めて初公判から持ち越されていた検察官の証拠調べが行われ、検察官は各被害者の被害状況や死因・発見場所などを園内写真・見取り図とともに説明した上で、事件当時勤務していた職員6人の供述調書を読み上げ「植松は職員を刃物で脅して結束バンドで拘束し、就寝中だった入所者の部屋へ連れて行き『こいつは喋れるのか?』などと聞いた上で話せない入所者の首辺りを刺していた。途中から『植松は話せない入所者を選んで刺している』と悟った職員は入所者を守ろうと嘘をついたが、それでも植松は構わずに次々と殺傷行為を重ね、『こいつらは生きていてもしょうがない』とも発言した」と明かした。

  2020年1月15日に第3回公判が開かれ、検察官はやまゆり園の元同僚職員(植松の幼馴染)の供述調書を読み上げて植松の言動の変遷を指摘したほか、初公判前に実名を公表した犠牲者・19歳女性を含む犠牲者2人の遺族が書いた手記を朗読した。
  2020年1月24日に開かれた第8回公判から被告人質問が開始され、弁護人が被告人質問を行った。同日、被告人・植松は動機について「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と述べたほか、責任能力の是非に関しては「自分は責任能力がある。もし責任能力がなければ死刑にすべきだ」と述べ、心神喪失を主張する弁護人とは正反対となる主張をした。
  2020年1月27日に開かれた第9回公判では検察官が被告人質問を行い、植松は事件後に津久井署へ自ら出頭した理由を「自ら出頭することは現行犯逮捕されるより潔いと思った。出頭して自分が錯乱状態ではないことを証明することで自身の動機を社会に伝えたかったからだ」と述べた。
  2020年2月6日に開かれた第11回公判では被害者遺族らの代理人弁護士が被告人質問を行い、植松は「事件の数か月前に自分の両親へ障害者の殺害計画を伝えたところ止められたが、思い直さなかった」と述べた。
  2020年2月7日に開かれた第12回公判では植松の精神鑑定を行った精神科医・大沢達哉(東京都立松沢病院)が証人として出廷し「犯行動機は被告人自身の強い意思に基づくもので妄想ではない。大麻の使用は事件に影響していない」と証言したが、続く第13回公判(2020年2月10日)では植松を診断した静和会中山病院院長・工藤行夫が弁護人側の証人として出廷し、大沢とは逆に「犯行当時の植松は大麻精神病の状態だった(=犯行に大麻使用が影響している可能性がある)。現在もその症状が持続している可能性がある」と証言した。
  2020年2月17日には検察官による論告求刑に先立ち犠牲者・19歳女性(甲A)の遺族が意見陳述し、植松への死刑適用を求めた。
死刑求刑・結審
  2020年2月17日に開かれた第15回公判で検察官による論告求刑が行われ、横浜地検は被告人・植松聖に死刑を求刑した。
  公判は2020年2月19日に開かれた第16回公判で結審し、弁護人は最終弁論で「植松は大麻を長期間にわたり常用したことによる病的・異常な思考に陥った結果犯行に及んだ。『パーソナリティ障害』とした鑑定医の診断は大麻に関連した精神障害を意識していない」と主張し、「心神喪失として無罪にすべきである」と求めた。その後、最終意見陳述で植松は「どんな判決が出ても控訴しない。(裁判は)一審だけでも長いと思った」と述べた一方、それまでと同様に障害者への差別的な発言を繰り返した。
死刑判決・確定
  判決公判は2020年3月16日に開かれ、横浜地裁(青沼潔裁判長)は被告人(植松聖)の完全責任能力を認定した上で、求刑通り植松に死刑判決を言い渡した。植松は閉廷宣言直後に挙手して裁判長に発言機会を求めたが認められず、閉廷後に『神奈川新聞』記者との接見で「『世界平和のためにマリファナが必要』と伝えたかった」「重度障害者の家族は病んでいる。『幸せだった』という被害者遺族は不幸に慣れているだけだ」などと発言した。また「死刑に値する罪とは思わないが控訴はしない。弁護人が控訴しても自分で取り下げる」と意思表明していたが、弁護人は2020年3月27日付で判決を不服として東京高等裁判所に控訴した。しかし植松自身が控訴期限となる2020年3月30日付で東京高裁への控訴を取り下げる手続きを行い、横浜地検も控訴しなかったため、控訴期限を過ぎる2020年3月31日0時(日本標準時)をもって死刑が確定した。一方、死刑囚植松の弁護人は2020年4月2日付で控訴取り下げの無効を求める書面を横浜地裁に提出した。
  死刑確定後、死刑囚となった植松は家族・弁護士を除く外部の人間との接見を禁止され、2020年4月7日に身柄を横浜拘置支所から死刑執行設備(刑場)を有する東京拘置所へ移送された。その後、同年10月(23日 - 25日)に開催された「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金 第16回死刑囚表現展」に「より多くの人が幸せに生きるための7項目」として、従前の主張と同様に「意思疎通の取れない人間は安楽死させるべきだ」などと記した文字作品を応募している。
  死刑判決を受けて神奈川県知事黒岩祐治神奈川県庁で記者会見し「植松に対する怒りが消えることはない。社会全体で植松の思想を否定すべきだ」と述べたほか、相模原市長・本村賢太郎も「事件を風化させず『共生社会』実現に取り組みたい」コメントした

犯人・植松聖












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