ノーベル賞-1


2023.10.06-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20231006-QNUOIWAFKVIUPNUWFCC3BUD25M/
ノーベル平和賞にモハンマディ氏 収監中のイラン女性人権活動家

  【ロンドン=黒瀬悦成】ノルウェーのノーベル賞委員会は6日、2023年のノーベル平和賞をイランの女性人権活動家、ナルゲス・モハンマディ(51)さんに授与すると発表した。授賞理由について「イランにおける女性の抑圧と戦い、全ての人々の人権と自由の促進のために戦った」と説明した。

  モハンマディさんは、厳格なイスラム体制を敷くイランで女性の権利拡大と死刑廃止を訴えてきた。ノーベル賞委員会によると、過去に13回逮捕され、合計で禁錮31年とむち打ち刑の判決を受けた。現在は首都テヘランの刑務所に収監されており、委員会はモハンマディさんが授賞式に出席できるよう、イラン当局に早期釈放を訴えた。
  女性のノーベル平和賞の受賞者は19人目。授賞式は12月10日にオスロで開かれ、賞金1100万スウェーデンクローナ(約1億5千万円)が贈られる



2022.10.11-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221010/k10013854141000.html
ことしのノーベル経済学賞 米FRB元議長のバーナンキ氏ら3人

  ことしのノーベル経済学賞に、アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会の議長を務めたベン・バーナンキ氏など3人が選ばれました。金融危機が起きる仕組みを解明し、その対処法を示したことが評価されました。
【ノーベル賞2022 特設サイト】ことしの各賞の受賞者など 詳しくはこちらスウェーデンの王立科学アカデミーは、日本時間の10日午後7時前、ことしのノーベル経済学賞の受賞者を発表しました。

受賞が決まったのは、
  アメリカのFRB=連邦準備制度理事会の元議長、ベン・バーナンキ氏、
  アメリカのシカゴ大学の栄誉教授、ダグラス・ダイヤモンド氏、
  アメリカのワシントン大学セントルイスの教授、フィリップ・ディビッグ氏の3人です。

  スウェーデンの王立科学アカデミーは、現代の銀行についての研究では、銀行がなぜ必要なのか、銀行の破綻がいかに金融危機につながるかが明らかにされていますが、これらは1980年代はじめに行われた3人の研究が基礎となっているとしています。
  そして、3人の研究はその後の金融市場の規制や金融危機の対処方法に重要な役割を果たしたとしています。
  授賞理由について王立科学アカデミーは「経済における銀行の役割への理解を深めた。それにより、金融市場への規制や金融危機への対処のしかたについて多くの示唆を与えた」としています
バーナンキ氏とは
  ことしのノーベル経済学賞に選ばれたベン・バーナンキ氏はアメリカ、ジョージア州出身の68歳。
  2006年にはアメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会の議長に就任し、2014年までの2期8年にわたって、金融政策のかじ取りを担いました。
  2008年のリーマンショックのあと、世界的な景気の悪化に歯止めをかけるため、政策金利を事実上のゼロ%に引き下げる「ゼロ金利政策」を実施するとともに、金融市場に大量の資金を供給する「量的緩和策」を打ち出しました。
  FRBの議長に就任する前は、アメリカのプリンストン大学の教授などを務めました。経済学者としては、1930年代の世界恐慌の分析を行い、銀行の破綻を含む金融危機が実体経済にどのような影響を及ぼすかなどについて、研究を行いました。
  スウェーデンの王立科学アカデミーは、バーナンキ氏の業績について、銀行の預金が引き出され金融機関が破綻すると、貯蓄が投資に振り向けられなくなり、経済危機が深刻化し長引くメカニズムを明らかにしたとして、評価しています。
バーナンキ氏「全く予期していなかったが非常に光栄なこと」
  ノーベル経済学賞の受賞が決まったFRBの元議長のバーナンキ氏は10日、現在所属するアメリカのシンクタンク、ブルッキングス研究所で記者会見しました。
  会見でバーナンキ氏は受賞を知った経緯について「昨夜、ノーベル賞について考えることもなく妻と携帯電話の電源を切ってベッドに入った。受賞を知ったのはシカゴに住む娘からの固定電話での連絡だった」と明かしたうえで「全く予期していなかったが、非常に光栄なことだ」と喜びを語りました。
  受賞理由として王立科学アカデミーが引用した39年前の自身の論文については「私が強調したかったのは金融システムは経済活動の原動力になる一方、失業を引き起こす力も持っているということで、従来の常識とは異なるものだった。およそ40年前の論文なので少し古い印象もあるが、いまでも有益なアイデアが含まれていると思う」と振り返りました。
  一方、今回の受賞理由を説明する文書で関連の業績として紹介されたプリンストン大学教授の清滝信宏さんについてバーナンキ氏はNHKの取材に対し「私が一緒に研究してきたマーク・ガートラーとともに大変興味深い仕事をしている卓越した経済学者だ」と述べました。
ダグラス・ダイヤモンド氏「驚き」
  アメリカのシカゴ大学の栄誉教授、ダグラス・ダイヤモンド氏は電話を通じて会見し「驚きました。ぐっすり寝ていたら、突然、携帯電話が鳴りました」と受賞の喜びを語りました。
  そして今の経済状況について問われたのに対し、ダイヤモンド氏は「人々が金融システムの安定性に対して信頼を失い始めると、経済危機は悪化する。金利が急速に上昇するなど予想外なことが起きると金融システムに疑念が持たれるようになってしまう」と述べ、金融の健全性を維持することが大切だという認識を示しました。
今回の3人の受賞決定 専門家の受け止めは
  ことしのノーベル経済学賞にアメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会の議長を務めたベン・バーナンキ氏など3人が選ばれたことについて、慶應義塾大学の坂井豊貴教授に聞きました。
Q.3人の受賞の受け止めは?
  A.新型コロナという世界的な危機が訪れ、世界が不況に陥ってしまうかもしれない中、各国の中央銀行は、低金利政策をとるなどして早期に対応した。その1つの基礎を与えたのが今回の受賞者たちだと言って良いかと思う。リーマンショックのときも、アメリカは早々に手を打ったという印象を持っているが、その背後にこうした学問があったはずだ。
Q.3人の研究の意義は?
  A.資本主義の世界というのはお金が滞りなく循環することが大切だ。
銀行は最も重要なお金の中継点であり、そこがもし壊れそうになった場合は早期に手を打たねばならない。だから、例えば政府が預金保険の制度を整えておくとか、中央銀行が最後の貸し手としてきちんと信用を支えるとか、いわばパブリックな部門をきちんと整えておかなければいけないということが彼らの研究によって明らかになっている。
Q.マクロ経済学の研究で世界的に知られるアメリカ・プリンストン大学教授の清滝信宏さんの受賞を期待する声も出ていたが。
  A.ノーベル経済学賞は発表されるときに、受賞理由を説明する論文も公表されたが、今回は、その中で清滝教授の研究について各所で触れられていた。今後も清滝教授のノーベル賞の受賞は期待されるのではないかと思っている。


2022.10.07-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20221007-A3ZEWJ4BIJNQ3ODZE6M6LUV7GE/
ノーベル平和賞に露、ウクライナの人権団体など選出

  【ロンドン=板東和正】ノルウェーのノーベル賞委員会は7日、2022年の平和賞を、ベラルーシの人権活動家、アレシ・ビャリャツキ氏とロシアの人権団体「メモリアル」、ウクライナの人権団体「市民自由センター」(CCL)に授与すると発表した。

  授賞理由については、ビャリャツキ氏と2人権団体が長年、「権力を批判し、市民の基本的権利の保護を促進」し、さらに「戦争犯罪や人権侵害、権力乱用の記録に傑出した努力を果たし、平和と民主主義にとって市民社会が持つ重要性を示した」と説明した。
  ロシアによるウクライアン侵略が続く中、ノーベル賞委は、隣接する両国とベラルーシの3カ国で「人権と民主主義、平和的な共存を擁護する3氏をたたえたい」ともした。
  ウクライナではロシア軍による民間人への無差別攻撃や虐待の疑惑が強まっており、今回の授賞は戦争犯罪の追及の後押しともなりそうだ



2021.10.20--https://www.sankei.com/article/20211020-FNABAQWA3FP2TOJUIWNKKNFFAE/
(赤の広場で)平和賞の背後の懸念

  ノーベル賞委員会が、今年の平和賞をロシアのリベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長らジャーナリスト2人に授与すると発表した。プーチン政権の強権体質を批判し続け「ロシア言論最後のとりで」とも呼ばれる同紙を率いるムラトフ氏の受賞は、ロシアにとどまらず、強権体制と戦う世界のメディアを勇気付けたはずだ。

  ただ、露国内では「なぜ平和賞は(収監中の反体制派指導者)ナワリヌイ氏ではないのか」と不満も出ている。ムラトフ氏も「ナワリヌイ氏に受賞させたい」と述べた。確かにプーチン政権があらゆる手段を使って「抹殺」しようとしてきたナワリヌイ氏に授与した方が、メッセージとしてはより明確になったはずだ。
  委員会は、ナワリヌイ氏に授与した場合、ただでさえ過酷な状況下にいる同氏の命の危険がさらに高まると考えたのかもしれない。ナワリヌイ氏への弾圧を批判してきたムラトフ氏に授与することで、ナワリヌイ氏を守りつつ露政権を指弾する-という方法を選んだのだと思う。

  ムラトフ氏への平和賞授与は喜ばしいが、懸念もある。政権が自国記者への授与を欧米側による内政干渉だとみなし、国内統制をさらに強める口実にしないかということだ。今後の露政権の動きを注視していきたい。


2021.10.05-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211005/k10013292011000.html
ノーベル物理学賞に真鍋淑郎氏 二酸化炭素の温暖化影響を予測

  ことしのノーベル物理学賞の受賞者に、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルを世界に先駆けて発表した、プリンストン大学の上級研究員でアメリカ国籍を取得している真鍋淑郎さん(90)が、ドイツとイタリアの研究者とともに選ばれました。
   日本人がノーベル賞を受賞するのはアメリカ国籍を取得した人を含めて28人目で、物理学賞では12人目になります。

  真鍋さんは現在の愛媛県四国中央市の出身で、東京大学で博士課程を修了後、アメリカの海洋大気局で研究を行いました。そして、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素が気候に与える影響を世界に先駆けて明らかにするなど地球温暖化研究の根幹となる成果などをあげてきました。
  真鍋さんは現在、アメリカのプリンストン大学で上級研究員を務めていて、アメリカ国籍を取得しています。アメリカのノーベル賞といわれる「ベンジャミン・フランクリン・メダル」を2015年に受賞し、スウェーデン王立科学アカデミーが選ぶクラフォード賞を2018年に受賞していました。
  真鍋さんは、同じ分野で研究をしてきたドイツのクラウス・ハッセルマンさんのほか、統計物理学を専門にしているイタリアのジョルジョ・パリ―ジさんと合わせて3人で受賞することが決まりました。
  日本人がノーベル賞を受賞するのはアメリカ国籍を取得した人を含め28人目で、物理学賞では6年前(2015年)の梶田隆章さんに続き、12人目になります。
受賞理由 「現代の気候研究の基礎」
  真鍋さんの受賞理由について、ノーベル賞の選考委員会は「現代の気候の研究の基礎となった」としています。
  地球の気候は人類にとって極めて重要な複雑系のシステムで、真鍋さんは大気中の二酸化炭素の濃度が上がると地表の温度上昇につながることを明らかにしたとしています。
  そして、1960年代には地球の気候に関するモデルの開発をリードし、地表面が太陽から受け取るエネルギーから宇宙に逃げていくエネルギーを差し引いた「放射収支」と、空気の縦の動きが、お互いにどう影響し合うか世界で初めて解明したとしていて、真鍋さんの研究は現在の気候モデル開発の基礎となったと評価しています
  また、選考委員会は会見の中で、真鍋さんを含めた3人の受賞者を「複雑な物理体系の理解を深めた人物」として紹介しました。
  そして、物理学には基本的なルールを使って複雑なプロセスや現象を説明する役割があるとし、真鍋さんの功績として「力学を通じて地球の気候を研究し、初めて信頼性のある予測を出した。二酸化炭素が2倍になれば表面温度が2度上がると予測した」と説明しました。
ともに受賞の研究者 「将来世代のために迅速に行動を」
  真鍋さんとともに受賞者に選ばれたジョルジョ・パリ―ジさんは、イタリアのローマ・ラ・サピエンツァ大学の理論物理学者です。
  パリージさんと同じ分野の研究をしている東京大学大学院総合文化研究科の福島孝治教授によりますと、パリージさんは物質の複雑なシステムについて統計力学を使って研究しました。その結果、複雑なシステムの中では規則がないように見えるものの、一定の秩序が成り立っていることを理論的に示しました。
  この概念は、幅広い物理学の研究に応用されているほか、現在ではAI=人工知能の開発などに使われる「機械学習」の分野にまで広がっているということです。
  ノーベル賞の選考委員会は、パリージさんの研究について「無秩序で複雑な物質における隠れた規則性を明らかにした。物理学だけでなく、数学、生物学、神経科学、そして機械学習などさまざまな分野において、一見、無秩序で複雑な物質や現象の理解を可能にした」と評価しています。
  パリ―ジさんはオンラインで受賞決定の記者会見に参加し、今月末から開かれる気候変動対策の国連の会議「COP26」の参加者へのメッセージを求められたのに対して、「非常に強力な行動をしなければならない。私たちの行動によってはさらに気温が上がってしまうかもしれない。将来世代のために迅速に行動しなければならない」と話していました。
  また、ノーベル物理学賞の選考委員は、今回の賞が世界の首脳に対して気候変動の危機がいかに重要であるかメッセージを込めているのか、との質問に対して「世界の首脳でまだこのメッセージをしっかり受け止めていない人ならば、私たちがこう言ったからといって理解するものではないと思う。私たちが言えることは、温暖化は確固たる科学に基づいて解明しているということだ」と述べました。
気象や気候分野の受賞は初めて
  これまでノーベル物理学賞は、天文学と宇宙物理学原子や分子、それに物質を構成する素粒子物理など、大きく3つの分野から選ばれてきましたが、気象や気候の研究分野を対象とするのは初めてです。
  物理学の専門家は、気候の変動が社会的な大きな関心事になる中でこれまでにない分野を対象にしたのではないかとしています。
岸田首相「真鍋氏の業績に心から敬意」
  岸田総理大臣はコメントを発表し「受賞を心からお慶び申し上げるとともに、真鍋氏の業績に心から敬意を表します。今回の受賞は、信頼性の高い地球温暖化予測を実現する地球気候の物理モデルについての業績が世界で高く評価されたものです。日本における研究活動の積み重ねをもとに、海外で活躍されている研究者の独創的な発想による真理の発見が、人類社会の持続的な発展や国際社会に大きく貢献し、世界から認められたことを、日本国民として誇りに思います」としています。
  そのうえで「科学技術立国であるわが国において、政府としても、あらゆる分野でイノベーションを起こし続けることを目指し、独創的で多様な研究をしっかり支援していくとともに、人材育成など未来への投資を積極的に進めてまいります」としています。

  また、末松文部科学大臣もコメントを発表し「受賞されたことに心からお祝いを申し上げ、これまでの業績に深く敬意を表します。日本での研究活動の積み重ねをもとに海外で活躍されている真鍋氏の受賞は日本国民の大きな誇りと励みになります。文部科学省としても学術研究の振興を図りつつ、グローバルに活躍できる研究者の育成や支援の強化に取り組んでいきます」としています。
  科学技術政策を担当する小林経済安全保障担当大臣もコメントを発表し「心からの敬意と祝意を表します。海外で活躍されている日本出身の研究者が受賞されたことは、日本人研究者にとって大きな励みとなるものです。科学技術・イノベーションに対する社会の期待や関心を一層高め、次代を担う若い世代に夢を与えるとともに、学術の探究や地球規模課題の解決などに積極的に挑戦する契機となることを期待しています」としています。
  そして「我が国が『世界で最もイノベーションに適した国』へ変革するため、科学技術・イノベーション基本計画の下、優れた若手研究者が活躍できる研究環境の整備や学術研究・基礎研究の推進など、研究力の向上に全力で取り組んでまいります」としています。
  山口環境大臣もコメントを発表し「真鍋先生の多数の論文は国連のIPCC=『気候変動に関する政府間パネル』が公表した報告書に引用されており、気候変動分野において多大なご貢献をされました。その貢献が、その後のサイエンスに立脚した気候変動対策の基盤になっています。今回の受賞が、気候変動問題に対する関心をより一層高めることを期待します。また、環境省としても、喫緊の課題である気候変動問題の解決に向けて、2050年カーボンニュートラル、温室効果ガスの2030年度46%削減という目標の実現を目指し、あらゆる政策を総動員して全力で取り組んでまいります」などとしています。
ノーベル物理学賞 これまでの受賞者は
  ノーベル物理学賞を受賞した日本人は、アメリカ国籍を取得した人も含めてこれで12人となり、各賞の中で最も多くなっています。
  日本人が初めて物理学賞を受賞したのは戦後まもない1949年で、湯川秀樹さんが受賞しました。これは、すべてのノーベル賞を通じて初めての日本人の受賞でした。
  その16年後、1965年に朝永振一郎さんが、さらに8年後の1973年に江崎玲於奈さんが続きました。
  それから28年間、日本人の物理学賞の受賞はありませんでしたが、2002年、小柴昌俊さんが受賞しました。
  2008年には南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんの3人が同時受賞しました。同じ年に1つの賞で、複数の日本人受賞者が出たのは初めてのことでした。
  さらに、6年後の2014年にも赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人が同時受賞しました。
  翌年の2015年には梶田隆章さんが受賞し、2年連続で日本人が受賞しました。
日本人受賞者 2000年以降大きく変化
  ノーベル賞を受賞した日本人は、アメリカ国籍を取得した人も含めてこれで28人になりました。物理学賞以外では、1968年に川端康成さんが文学賞、1974年に佐藤栄作元総理大臣が平和賞を受賞しました。
  また、1981年に福井謙一さんが日本人では初めて化学賞を受賞したほか、1987年に利根川進さんが日本人初の医学・生理学賞を受賞し、平成に入ってからは、1994年に大江健三郎さんが文学賞を受賞しています。
  1999年までのおよそ100年の期間は、ノーベル賞を受賞した日本人は8人にとどまっていました。ところがこの状況は2000年に入ってから大きく変化します。
  2000年に白川英樹さんが受賞したのを始まりに、2001年に野依良治さん、2002年に田中耕一さんと3年連続で日本人が化学賞を受賞します。田中さんが化学賞を受賞した2002年には小柴昌俊さんが物理学賞を受賞し、初めて同じ年に2人が受賞しました。
  2008年には物理学賞で南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんの3人が同時に受賞し、さらにその翌日には化学賞で下村脩さんの受賞が発表され、この年だけで4人が受賞しました。
  また、2010年には化学賞で鈴木章さんと根岸英一さんがダブル受賞し、2012年には山中伸弥さんが医学・生理学賞を受賞しました。
  2014年には赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人が物理学賞を受賞しました。
  そして、2015年には医学・生理学賞で大村智さん、物理学賞で梶田隆章さんが受賞し、この年も2つの賞で受賞者が出ました。
  さらに、2016年に大隅良典さんが医学・生理学賞を受賞し、2回目となる日本人の3年連続受賞となりました。
  近年では、3年前の2018年に本庶佑さんが医学・生理学賞、おととしに吉野彰さんが化学賞を受賞し、2年連続で日本人が受賞しました。文部科学省によりますと、去年までの受賞者数の27人は、スイスに次いで世界で7番目となっています。また、2000年以降、去年までに自然科学系の3賞の日本人の受賞者数は19人で、アメリカに次いで2番目の多さとなっています。
  一方、ノーベル賞の6つの部門のうち経済学賞だけは、日本人の受賞者はいません。


2021.05.04-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE041JY0U1A500C2000000/
小学生のカブトムシ研究、米学術誌に 「夜行性」覆す

  「カブトムシは夜行性」との常識を覆し、特定の木で昼間も活動することがあるとの研究結果を、埼玉県の小学6年、柴田亮さん(11)が導き出した。2年かけて自宅の庭木に昼も集まるカブトムシを観察しデータを収集。成果が米国の生態学専門誌「エコロジー」に掲載される快挙となった。

  柴田さんは2019年夏、自宅庭のシマトネリコの木にカブトムシが日中も現れることを不思議に思い、研究を始めた。毎日庭木を観察し、集まったカブトムシに印を付けて個体を識別。20年は計162匹を観察し、活動パターンや時間帯ごとの数などを詳しくまとめた。

  調査には山口大理学部の小島渉講師も関わった。19年夏に「自由研究を見てほしい」という連絡を受けたのを機に指導を開始。小島講師は「私はアドバイスと翻訳をした程度で、ほとんど柴田さんが主体の研究。完成度はかなり高い」と評価し、今後も一緒に調査を続けるという。
  今年の夏は生態をさらに詳しく調べるため、体重や大きさなどの調査項目を加える。柴田さんは「昼にも活動する理由など、まだ分からないことが多いので解き明かしたい。樹液の成分調査や発信器を使った個体の追跡調査もいつかやってみたい」と飽くなき探究心をのぞかせた。〔時事〕


2020.10.9-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201009/k10012656561000.html
ノーベル平和賞にWFP=世界食糧計画

  ことしのノーベル平和賞に、世界各地で食糧支援を行っている国連機関、WFP=世界食糧計画が選ばれました。
  ノルウェーのオスロにある選考委員会は、日本時間の9日午後6時すぎ、ことしのノーベル平和賞に国連のWFP=世界食糧計画を選んだと発表しました。
  WFPは、ローマに本部を置き、1961年に設立された食糧などの人道支援を目的に創設された国連の機関です。
  WFPは去年、88の国と地域の1億人近くに対して、緊急物資の配布や栄養状態の改善のための取り組みを行いました。
  ノーベル賞の選考委員会によりますと、紛争が続き食糧事情が困難なイエメンやコンゴ民主共和国、それにナイジェリアなどでは、ことし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響も加わり、飢えに苦しむ人の数が急増しており、
WFPは活動を強化しているということです。
  国連は、世界で飢えに苦しむ人の人数を、2030年までにゼロにする目標を掲げていますが、現在もおよそ7億人は食べ物の確保が困難で、WFPは各国政府や民間団体が一丸となって取り組まなければ目標は達成できないと訴えています。
  国連機関のノーベル平和賞の受賞は、これまで
▽UNHCR=国連難民高等弁務官事務所や、▽UNICEF=国連児童基金、▽ILO=国際労働機関などが受賞していますが、▽WFP=世界食糧計画の受賞は初めてです。
WFP報道官「誇りに思う」
  ことしのノーベル平和賞にWFP=世界食糧計画が選ばれた瞬間、WFPのトムソン・フィリ報道官はスイスのジュネーブにある国連ヨーロッパ本部で記者会見中でした。
  国連の関係者からメモを渡され受賞したことを告げられると、フィリ報道官は「とても誇りに思います。ノーベル平和賞の候補にあがったことだけでも十分だと思っていました。私自身、ジュネーブに来る前には南スーダンで仕事をしていました。WFPのすばらしいチームの一員であることをとても誇りに思っています」と述べ、喜びをあらわにしていました。
WFPが投稿「深く感謝」
  WFPは、ノーベル平和賞に選ばれたことを受けて、ツイッターにメッセージを投稿し「2020年のノーベル平和賞に選んで頂き、深く感謝したい。平和と、飢餓ゼロが結びついていることを、世界に強く思い起こさせてくれる」とコメントし、世界から飢えをなくす取り組みの重要性を改めて訴えました。
選考委員会「飢餓の利用防ぐ推進力の役割を果たした」
  選考委員会は授賞理由の中で「国際的な連帯と多国間協調の必要性はかつてないほど求められている」としたうえで、WFPについて「飢餓との闘いに努め、紛争の影響下にある地域で和平のための状況改善に向けて貢献し、さらに、戦争や紛争の武器として飢餓が利用されることを防ぐための推進力の役割を果たした」と評価しています。
  そして、新型コロナウイルスの感染拡大によって、飢餓に苦しむ人が世界中で急増していると指摘し、「WFPは『ワクチンができる日まで、食料こそが混とんに立ち向かう最もいいワクチンだ』とし、世界的な大流行の中でその取り組みを強化するため、めざましい努力をしてきた」としています。
  さらに、「ことしの授賞によって、飢餓に苦しんだり、その脅威にさらされたりしている何百万もの人たちに世界中の目が向いてほしい。WFPは食料の安全保障を平和の手段とするための多国間協調の中で重要な役割を果たし、アルフレッド・ノーベルの遺志にある国家間の友愛を発展させるために日々、貢献している」としたうえで、「人類全体の利益のためのその努力は、世界のすべての国が支持し、支援すべきものだ」と結んでいます。
活動は命がけになることも
  ことしのノーベル平和賞に選ばれたWFP=世界食糧計画は、アフリカや中東など各地の紛争地で、危険で困難な状況にいる人々に食料を届け、「命をつなぐ」活動を続けてきました。
  世界では2000年代に入り、民族や宗教の違いを背景にした内戦や武力衝突が各地で増え、戦闘が市街地などに拡大し戦火に巻き込まれる一般市民が急増していて、国外に逃れた難民や国内で避難する人たちに緊急の人道支援を行うWFPの役割は重要さを増しています。
  WFPの活動は、アフリカのソマリアやコンゴ民主共和国の東部など、戦闘が続いて国家機能が失われている危険な地域でも行われています。
  スタッフがテロや戦闘に巻き込まれたり、食料を運ぶトラックが襲撃されたりするなど、その活動は、まさに命がけになることもあります。
  また、近年は、気候変動の影響で農業生産が打撃を受けているアフリカのサハラ砂漠の南側のサヘル地域の国々での活動にも力を入れ、このうちブルキナファソでは、農地の改良なども支援しています。
世界で増える飢餓人口
  世界で十分な食事を取ることができず飢餓に苦しむ人は世界人口の9%近くにあたる6億9000万人近くに上ります。
  地域別にはアジアが最も多く、3億8000万人を超えているほか、アフリカも2億5000万人を超えています。
  国連の報告書によりますと、2000年代の中頃に8億人を超えていた世界の飢餓人口は、新興国での経済成長や農業生産の拡大などもあって減少傾向にありましたが、2014年以降、再び増加に転じています。
  その大きな原因が各地で続く武力紛争で、アフリカの南スーダンや中東のイエメンなど内戦や戦闘が続いてきた国では、子どもを含む多くの市民が十分な食事をとることができなくなっています。
  また、気候変動の影響も深刻で、アフリカのサハラ砂漠の南にあるサヘルと呼ばれる地域の国々では、干ばつや豪雨によって農業生産が打撃を受け、食料不足に拍車をかけています。
  国連では、2030年までに世界から飢餓を一掃する目標を掲げていますが、このままでは人類が飢餓との闘いに打ち勝つのは困難だとして、各国に対策と支援を強化を呼びかけています。
元WFP忍足さん「まさかことし取れるとは」
  ことしのノーベル平和賞に、WFP=世界食糧計画が選ばれたことについて、30年以上、国連に勤務して人道支援や開発支援にあたり、2009年から2014年までWFPのアジア地域局長を務めた忍足謙朗さん(64)に話を聞きました。
  忍足さんは、「何度か候補になっていたのは知っていましたが、まさかことし取れるとは考えてもおらず、うれしく思います」と率直に喜びを語りました。
  受賞が決まった理由については、「難民などにできるだけの支援をして日常的に生活できるようにしてあげるという、基本的なWFPの使命が評価されたのかと思う」と述べました。
  さらに、ことしは新型コロナウイルスの影響で世界中で飢餓の状態にある人が増えているとし、「WFPはロジスティックス部門にたけていて、アフリカなどでコロナ対応のために衛生関連の援助に関わる人がWFPの飛行機を使って動いている。こうした点も評価されたと思う」と話していました。
  そのうえで、「受賞をきっかけに世界の飢餓に注目が集まればと思う。飢餓人口はここ20年間では減ってきたが、気候変動による異常気象などで再び増え始めている。食べ物の支援はまだまだ必要で、日本をはじめ各国の人々がWFPの活動に対して支援していただければ非常にありがたい」と、ノーベル平和賞の受賞が今後の活動の後押しになることに期待を示していました。
日本被団協 全国理事「平和賞にふさわしい団体」
  広島の被爆者で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の箕牧智之全国理事は、「WFPは幼い子どもを救う行動をとってきたと思う。平和賞にふさわしい団体で心からお喜び申し上げます」と述べました。
  そのうえで、「核兵器廃絶に向けた活動はノーベル平和賞を受賞するかどうかにかかわらず末永く活動することが必要なので、署名活動や証言活動を地道に続けていきたい」と決意を新たにしていました。
  また、核兵器禁止条約を批准する国や地域が早ければ今月にも条約の発効に必要な50に達する公算が大きくなっていることについて、「その時が来たらみんなで喜び合いたい」と期待を示しました。
日本被団協 代表理事「来年に向けて頑張りたい」
  長崎市の被爆者で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の横山照子代表理事は、「食べるものがないと生きていけないということを戦争中に体験しているので、貧しいところに食糧を支援する活動が受賞したことはよかったと思う」と述べました。
  また、日本被団協が受賞を逃したことについて、「来年に向けてまだまだ頑張りたい。来年は核兵器禁止条約が発効されるかもしれず、そういう年にノーベル平和賞に選ばれれば注目が集まり、核兵器をなくそうという気持ちが世界中の人に広がるのではないか」と述べました。
  長崎や広島などで核廃絶の署名を集める活動を続けノーベル平和賞に推薦された「高校生平和大使」については、「被爆者が高齢化する中で、高校生平和大使は私たちが希望を託している活動だ。逃したことにがっかりせず、活動を続けてノーベル平和賞を受賞してほしい」と話していました。
日本被団協 代表委員「訴え継続に意味」
  長崎市の被爆者で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の田中重光代表委員は、「世界の多くの子どもたちが紛争地域に暮らし、食べるものも飲むものもない状況だ。飢えている子どもたちを支援する団体が選ばれたことはいまの情勢にあったものだと思う」と述べました。
  また、日本被団協が受賞を逃したことについて、「選ばれなかったのは残念だが、私たちがこれまで二度と被爆者を出してはならないという思いでずっと先頭に立って訴えてきたことがいまの核廃絶の世界の動きにつながっていることには意味があると思っている」と述べました。
  長崎や広島などで核廃絶の署名を集める活動を続けノーベル平和賞に推薦された「高校生平和大使」について、「まだ世界的には知名度が低いが自分たちが核兵器をなくすという思いで運動を一生懸命続けて、もっと世界中に知れ渡るようになってほしい」と期待を寄せました。
長崎市の被爆者「受賞は当然」
  長崎市の被爆者、山川剛さんは、「人類を直接脅かす食糧危機に関わる団体が受賞したことは、当然のことだと思う」と述べました。
  また、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞を逃したことについて、「戦後75年、核兵器廃絶に向けて先頭で活動してきたのは被爆者だ。世界がもっと理解を示すべきだと思う」と述べました。
  長崎や広島などで核廃絶の署名を集める活動を続けノーベル平和賞に推薦された「高校生平和大使」については、「平和大使の署名活動はユニークで、時間はかかるかもしれないが、いつか受賞すると信じている。今後も活動を続けて、ひとりひとりに署名をお願いすることで市民の核兵器への意識を変えていくことができると思う」と話していました。
高校生平和大使「今後も活動継続していきたい」
  長崎や広島などで核廃絶の署名を集める活動を続けノーベル平和賞の候補に推薦されていた「高校生平和大使」のメンバーは9日、長崎市で平和賞の発表を待ちました。
  「高校生平和大使」は、毎年、核兵器廃絶を求める署名を集め、スイスのジュネーブにある国連本部に届ける活動などを続け3年連続でノーベル平和賞の候補に推薦されました。
  9日は、長崎市内のホテルに高校生平和大使や、署名を一緒に集めている
県内の高校生などおよそ30人が集まり、中継の映像を見ながら緊張した面持ちで発表を待ちました。
  そして、世界各地で食糧支援を行っている国連機関、WFP=世界食糧計画が選ばれたことを受けて、記者会見を開きました。
  この中で、高校生平和大使の大隈ゆうかさん(17)は、「受賞者にはなりませんでしたが、今後とも核兵器のない平和な世界の実現に向けて活動を継続していきたいです。微力だけど無力ではないというスローガンを信じ、受賞にふさわしい活動ができるよう努力していきたいです」と述べました。
  また、高校生平和大使の大澤新之介さんは(17)「受賞できなかったのは残念ですが、これからもインターネットを使った署名集めなど、新しい取り組みでも広く平和を呼びかけていきたい」と話していました。
知花くららさん「関心がより高まることを期待」
  2007年からWFP=世界食糧計画の活動に関わり、7年前からはその日本大使を務めているモデルで俳優の知花くららさんは戦争や災害などで難民となった人たちの現地の実情を伝え続けています。
  WFPがことしのノーベル平和賞を受賞することについて知花さんは「現地視察を重ねるたびにWFPの活動がどれほど人々のぜい弱な暮らしを支えているのかを目の当たりにしてきました。受賞のニュースを受けて飢餓撲滅への熱い思いで活動するWFPの職員の真摯なまなざしが思い出されました。食糧支援は人の命を救い、また、種まきのような活動でもあり地道で根気のいることです。この受賞をきっかけに世界中で食糧問題についての関心がより高まることを期待します」とコメントしています。
WFPパレスチナ事務所代表「活動認められたことうれしく思う」
  WFP=世界食糧計画は、中東パレスチナのガザ地区やヨルダン川西岸地区で、およそ35万人に対し食糧支援を行っています。
  WFPによりますと、このうち種子島ほどの広さに200万人が暮らすガザ地区では、人口の53%が貧困状態にあり、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって、およそ70%の住民が十分な食事がとれない状態にあるということです。
  WFPパレスチナ事務所のステファン・カーニー代表は、ノーベル平和賞の受賞が決まったあとNHKの取材に応じ、「紛争地では食料不足が人々を追い詰める手段に使われかねない。食料の不足が紛争を深刻化させないよう取り組んできたWFPの活動が認められたことをうれしく思う」と話していました。そのうえで「今後は支援を行うだけでなく、住民が自分たちで食料を調達できるよう『魚の捕り方』を教えるなどして、経済発展にも貢献していきたい」と話していました。
  また、「日本政府はWFPのパレスチナでの活動にとって重要な支援国であり、今後も支援を続けてほしい」と日本への期待も示しました。
WFP副事務局長「すべての職員にとって感動的な瞬間」
  WFPのアブドゥラ副事務局長は本部のあるイタリアのローマで、日本時間の今夜8時すぎからNHKの取材に応じ、受賞が決まったことへの喜びを語りました。
  この中で「WFPのすべての職員にとって感動的な瞬間だ。世界各地で活動する2万人の職員にとってこれまでの取り組みが評価されたもので、この喜びをどのようなことばで表せばよいのかわからない」と述べました。
  そして「世界では紛争や新型コロナウイルスで多くの人々に影響が出ている。私たちは紛争のなかにあっても、平和が訪れ復興を目指すなかにあっても、常に支援を続けてきた」と話しました。
  そのうえで今回受賞が決まったことをきっかけに、WFPをはじめ国連の機関やNGOへの支援が広がっていくことに期待を示しました。
親善大使の三浦雄一郎さん「食事は夢と希望育む力」
  冒険家の三浦雄一郎さんは2015年に国連WFP協会の親善大使に就任し、活動に参加してきました。
  2015年7月には大きな地震の被害を受けたネパールを訪問して山間部での食糧支援や復興支援の現場を視察し、日本からの支援の必要性を訴えました。
  三浦さんは「親善大使として、このたびのノーベル平和賞の受賞は非常に名誉であり心より嬉しく思っております。地球上から飢餓をなくすため、特に子供たちに給食という形で食料を届けてきました。食事は生きるためだけではなく夢と希望と平和を育む大切な力です。今後も、世界中、特に子供たちを救済する役割を果たし続けてまいりますので、皆さまのご支援を心よりお願いいたします」とコメントしています。
親善大使の竹下景子さん「皆さんも支援の輪に加わって」
  女優の竹下景子さんは、2005年から国連WFP協会を支援し、2010年には親善大使に就任しました。
  2017年にはスーダンを訪れて難民キャンプを視察するなど支援の輪を広げるためのさまざまな活動に参加してきました。
  ことしのノーベル平和賞にWFP=世界食糧計画が選ばれたことについて、竹下さんは「受賞を心よりうれしく思っております。これまでに5か国を視察し、現地の様々な状況を見てきました。いずれの国でも、WFPは、貧困や自然災害、紛争の影響を受けて、厳しい環境のなかに暮らす、最も弱い立場にいる人びとに食料を届けていました。食べることは生きること。これからも、世界中の人たちがきちんと食べることができるよう、私もWFPへの支援を続けていきます。皆さんも支援の輪に加わっていただけるとうれしいです」とコメントしています。
菅首相「日本は今後も取り組みを力強く後押し」
  菅総理大臣は「WFP=世界食糧計画は、食糧支援を通じ、世界の飢餓と貧困の撲滅のために多大な貢献をしてきた。世界が新型コロナウイルス感染症の拡大という未曽有の危機に直面する中、連日対応にあたっている職員に深甚なる敬意を表する。日本は、人道危機に際し、豊富な活動実績を有するWFPを高く評価しており、今後も取り組みを力強く後押ししていく」とするメッセージを発表しました。
国連事務総長 各国にさらなる支援呼びかけ
  国連は9日、「食料不足の最前線に世界で最も早く駆けつけるWFPの受賞を喜んでいる」とするグテーレス事務総長の声明を発表しました。
  この中でグテーレス事務総長は「豊かになった世界で、なお数億人の人々が空腹を覚えながら床についているのは不条理だ。今、さらに数百万人が新型コロナウイルスが引き起こす飢餓の瀬戸際にある」として、新型コロナウイルスの感染拡大によって世界の食料事情がさらに悪化していると、危機感を示しました。
  そのうえで、「食べ物に加えいま世界に不足しているのは国際協力だ。WFPは政治を超え、人道上の必要に基づいて運営されている。国連加盟国による善意の資金拠出が頼りだ」として、各国に対してWFPへのさらなる支援を呼びかけました。
WFP日本事務所「飢餓問題考える機会に」
  WFP=世界食糧計画がことしのノーベル平和賞に選ばれたことについて、WFPの日本事務所でも喜びの声があがっています。
  WFP日本事務所では国内で、政府との連絡調整のほか、企業や団体との連携、それに広報活動などを行っています。
  9日夜、都内でインタビューに応じた日本事務所の焼家直絵代表は「飢餓の状態が続くと、暴動や紛争につながり、教育や経済活動にも影響が出るので、飢餓を解決することが平和への道筋になります。ノーベル平和賞の受賞で私たちの活動を広く知ってもらえるようになることが非常にうれしい」と喜びを語りました。
  そのうえで、「世界各国で新型コロナウイルスの感染が続き、私たちみんなが内向きになりがちな時代だからこそ、国際的な連帯が必要です。飢餓の問題をひと事ではなく『自分の事』として考えることが大切で、今回の受賞が、日本の皆さんにこの問題を考えてもらう機会となってくれればありがたい」と話していました。


2020.4.1-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200401/k10012361851000.html
次なるカギはAIか ~新型ウイルスで進むAI活用~ビジネス特集

  パンデミック=世界的な大流行が加速しているとされる新型コロナウイルス。いま私たちは、感染拡大に歯止めをかけようと闘っている。こうした中、AI=人工知能を活用してウイルスとの闘いに挑もうとする企業や研究に注目が集まっている。ウイルスの遺伝情報の分析やワクチン開発、それに感染者の遠隔診療などで、AIが効果を発揮するのではないかと、期待が高まっているのだ。(国際部記者 曽我太一)
AIが次なるカギか
  AIを使った医療で注目を集める企業の1つが、アメリカ東部ボストンに拠点を置くスタートアップ企業「バイオフォーミス」だ。シンガポール出身のエンジニアが、2015年にシンガポールで起業したあと、アメリカに拠点を移し今ではスイスやインドにもオフィスを持っている。アメリカの調査会社の報告書では、デジタルヘルス分野で最も革新的な企業の1つにあげられている。
  バイオフォーミスは、医師が遠隔で患者の容体を観察できる機器を開発している。患者が装着する腕時計型の機械には、心拍の変化や体温、血圧など20以上の生理信号を感知できるセンサーが付いている。計測されたデータをスマートフォンのアプリで確認できるほか、インターネットを通じリアルタイムで医療機関に送ることもできる。
  分析の仕組みはこうだ。AIはこれまでに感染が確認された人について、肺炎の症状が現れるまでの体調の変化などのデータを機械学習し、今後症状が現れるであろう人の体調の変化や兆候を予測・分析する。
  AIがわずかな体調の変化を捉えることができれば、人間では気が付くことができない早期の段階でも発見につながる可能性がある。医師など医療従事者への感染も広がるなか、クルディープCEOは遠隔診療としてのメリットをこう説明する。

(クルディープCEO)
  (「医学学会誌でも、新型コロナウイルスは症状が目に見えて現れる4~5日前には、すでに感染しているケースが多いと報告されています。そして、その数日の間にも、感染者が医師などほかの人にウイルスを移してしまう可能性があるんです。でも、症状の1つである息切れは、自分では実際に症状が現れるまではわかりませんし、そうした症状はすぐに現れるのではなく、だんだんと現れてくるのですが、その段階的な変化を見つけ出すことが大事なのです。AIを使えば、こうしたわずかな変化でも見つけ出すことができるんです」

「AIをベースにしたこのプラットフォームの最終目標は、自宅にとどまって検疫する必要がある人を、遠隔でも継続的に観察し、症状が現れる前のわずかな変化を見つけ出すことです。それができれば、各国政府や当局は、本当に必要がある人だけを専門の医療機関などに移送して治療することができ、ヒトからヒトに感染するのを抑えることができると思うんです」)

  バイオフォーミスの腕時計型の装置は、すでに香港の大学病院で患者50人が実際に身につけていて、今後は1000人程度まで増やす予定だ。さらに、アメリカ国内の3つの病院でも導入されているほか、感染者の増加が続いているイタリアやドイツ政府などとも導入に向けた交渉をしているという。
  会社は患者のデータにはアクセスできず、自分たちだけでは成果を調べられないが、香港の大学病院側からは、すでに「極めて前向きな」フィードバックをもらっているという。
AIを使った試行が続く
  医学や生理学などの分野でAIやデータ分析を活用するのは「バイオインフォマティクス」と呼ばれる。感染が世界的に広がるにつれて、研究や分析が盛んになっている。
  カナダのスタートアップ企業「ブルードット」は、AIを使い位置情報などから感染リスクが高い地域からの人の移動などを分析し、次に感染拡大が起きそうな地域を予測していて、カナダ政府やシンガポール政府でも採用。カナダのトルドー首相は今月23日、「WHOの警告よりも9日早く、世界でもっとも最初に新型コロナウイルスの感染拡大を特定した」と記者会見で賛辞を送った。
  取材を申し込んだところ、世界中から問い合わせを受けているため対応できないとのことだったが、「私たちは、顧客の特定のニーズや地理的条件に合わせた形で、分析を提供している」とコメントしている。

  イギリスの研究機関は、囲碁界のトップ棋士を打ち負かして話題となったAIの「アルファ・ゴ」を設計した企業「ディープ・マインド」が開発した、たんぱく質の構造を予測するAIを活用。ウイルスは、ヒトの細胞の表面にある「受容体」と呼ばれるたんぱく質に結合することで感染するため、たびたび変容するウイルスの構造をAIを使って速く正確に分析できれば、早期のワクチンの開発につながる可能性がある。
  AIの開発に力を入れている中国でも、民間企業の動きが活発だ。検索エンジン「バイドゥ」の研究部門「バイドゥ・リサーチ」はことし2月、新型コロナウイルスのゲノム構造の予測をこれまでの120倍の速さの27秒で行えるAIのプログラムを無償で公開した。
  さらに、クラウドビジネスにも力を入れるネット通販の「アリババ」は、AIの画像認識技術を用いてCT画像を分析するプログラムを公開。ディープラーニング技術を用いたこのプログラムでは、96%の精度で新型コロナウイルスの画像診断をできるとしている。
進む「オープン・リサーチ」
  感染拡大が続くアメリカでは、ホワイトハウスまでもがAIの活用に乗り出した。先月中旬(3月)、大手ITのマイクロソフトや国立医学図書館などとともに、研究論文などを機械で判読可能な形で公開するプロジェクトを始めたと発表した。
  新型コロナウイルスが確認されて以降、これまでに2000本以上の研究論文が発表され、関連記事を合わせるとその数は3万件に上る。この膨大な文書をAIで読み解けるようにしたのだ。
  さらにプロジェクトでは、いまだ詳しく解明されていない新型コロナウイルスについて、「年齢や性別によるウイルスの潜伏期間」や「喫煙が与える影響などいくつかのリスク要因」といった10個の課題を出し、これらの課題に最も適切な回答を導き出した人には、報奨金を出すコンペ形式にしている。こうしたコンペ形式でアイデアを募るのは、アメリカのシリコンバレーでもよく行われる手法だ。

AIについて詳しい産業技術総合研究所の神嶌敏弘主任研究員は、この取り組みの長所を以下のように説明する。
(神嶌 主任研究員)
  (「膨大な論文を人間が読むと時間がかかる上、専門の論文は、専門知識のある生物学者や医学者じゃないと読めず、AIを開発するコンピューター科学者と知見を共有できない。共通のプラットフォームを作ることで、互いの分野の協力が促され、新しい治療薬の開発や、感染拡大の防止策の発見につながるかもしれない」)

WHOが世界的な流行を意味する「パンデミック」を宣言したのは先月11日。その時点で、およそ11万人だった感染者は、25日現在で70万人を超えていて、亡くなった人の数は、4000人から3万人を超えた。感染のペースが加速し、まさに時間との闘いが求められるなか、AIと人間の協働がウイルスとの闘いにどのような成果を上げることができるのか、引き続き取材していきたい。


2020.4.3-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/life/news/200403/lif2004030058-n1.html
数学の難問「ABC予想」証明 望月京大教授の論文、学術誌に掲載
(1)
数学の重要な未解決問題として知られる難問の「ABC予想」を証明した京都大の望月新一教授(51)の論文が学術誌に掲載されることが決まった。京大が3日、発表した。従来の数学とは全く異なる革新的な理論に基づく論文で、その正しさが専門家による審査で認められた。世界の数学史に残る画期的な業績で、今後の数学の研究に大きな影響を与えそうだ。
  望月氏が執筆したのは、4本の論文で構成する「宇宙際タイヒミューラー理論」。自身が所属する京大数理解析研究所が編集し、欧州数学会が発行する権威ある専門学術誌「PRIMS(プリムス)」の特別号に掲載が決まった。
  共同編集委員長として審査した柏原正樹特任教授は取材に対し「ABC予想を証明した望月氏の論文が正しいものであると判断した」とコメントした。望月氏は「取材に応じる意向はない」としている。
  ABC予想は3つの自然数と、それぞれの素因数について成り立つ関係を示した不等式で、1985年に欧州の数学者が提示した。証明は極めて難しく、実現すれば他の多くの未解決問題も証明できることから、整数論の重要な課題となっていた。
  望月氏は平成24年、自身のホームページで宇宙際タイヒミューラー理論を発表。全く新しい概念に基づく独創的な数学理論で、これを使えば重要な未解決問題の「リーマン予想」を証明する糸口が見つかる可能性もあり、欧米の科学誌が「21世紀最大級の数学的成果」と報じるなど世界的な注目を集めた。
(2)
論文は計600ページを超える異例の長文。内容は極めて難解で、理解できる数学者がほとんどいなかったため検証に時間がかかっていた。学術誌への掲載というお墨付きを契機に理解者が増えれば、この理論の研究が世界で活発化し、数学に革命的な進歩をもたらすと期待されている。
  望月氏はプリムス誌の編集委員長を務めているが、今回は望月氏が関与しない特別の編集委員会を設置して審査した。
  ■ABC予想 AとBの和がCになる3つの整数について、それぞれの素因数を使ったある不等式が成立するとした予想。1985年に仏ピエール・マリー・キュリー大のJ・エステルレ氏とスイス・バーゼル大のD・マッサー氏が提起した。数学の重要な未解決問題の一つで、証明されると他の複数の難問も連鎖的に証明できるとされる。



2019.10.9-産経新聞 SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/life/news/191009/lif1910090035-n1.html
吉野彰氏にノーベル化学賞 リチウムイオン電池を開発

スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。小型で高性能の充電池として携帯型の電子機器を急速に普及させ、IT(情報技術)社会の発展に大きく貢献した功績が評価された。
 他の受賞者は米テキサス大教授のジョン・グッドイナフ氏(97)、米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教授のスタンリー・ウィッティンガム氏(77)。
 日本のノーベル賞受賞は2年連続で、17年に文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏を除き計27人となった。化学賞は10年の2氏に続き計8人。
 吉野氏はビデオカメラなど持ち運べる電子機器が普及し、高性能の電池が求められていた昭和58(1983)年にリチウムイオン電池の原型を開発した。ノーベル化学賞を受賞した白川英樹筑波大名誉教授が発見した電導性プラスチックのポリアセチレンを負極の材料に使い、これにグッドイナフ氏が開発したコバルト酸リチウムの正極を組み合わせて作った。
 その後、負極の材料を炭素繊維に変更することで小型軽量化し、電圧を4ボルト以上に高める技術も開発。同じ原理で平成3年にソニーが世界で初めてリチウムイオン電池を商品化した。
 ウィッティンガム氏は1970年代初め、世界で初めて電極材料にリチウムを用いた電池を開発した。
 繰り返し充電できる電池はニッケル・カドミウム電池などが既にあったが、性能を飛躍的に高めたリチウムイオン電池の登場で携帯電話やノートパソコンなどが一気に普及。スマートフォンなど高機能の電子機器を持ち歩く「モバイル(可動性)社会」の実現に大きな役割を果たした。


吉野彰
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吉野 彰1948年昭和23年)1月30日 - )は、電気化学を専門とする日本のエンジニア、研究者。博士(工学)大阪大学2005年)、旭化成株式会社名誉フェロー携帯電話パソコンなどに用いられるリチウムイオン二次電池の発明者の一人。2019年10月、ノーベル化学賞受賞が決定し、2019年12月10日に受賞福井謙一の孫弟子に当たる。
エイ・ティーバッテリー技術開発担当部長、旭化成 イオン二次電池事業推進室・室長、同 吉野研究室・室長、リチウムイオン電池材料評価研究センター・理事長などを歴任し、2019年現在名城大学大学院理工学研究科・教授九州大学エネルギー基盤技術国際教育研究センター客員教授。2004年紫綬褒章受章者

来歴・人物 ・・・  生い立ち
1948年に大阪府に生まれる。担任教師の影響で小学校三・四年生頃に化学に関心を持ったという。少年時代の愛読書にマイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』の訳本がある吹田市立千里第二小学校吹田市立第一中学校を経て大阪府立北野高校を卒業。
  合成繊維の発展という世相を背景に、新たなものを生み出す研究をしたいという思いから、京都大学工学部石油化学科に入学した。すでに量子化学分野の権威として知られていた福井謙一への憧憬も京大工学部入学の理由の一つであり、大学では福井の講義を受講している
  大学の教養課程では考古学研究会に入り、多くの時間を遺跡現場で発掘に充てた。樫原廃寺跡の調査と保存運動にも携わり、また、考古学研究会での活動を通して後の妻と出会った。大学三回生以降は米澤貞次郎のもとで学ぶ。大学院修士課程修了後、大学での研究ではなく企業での研究開発に関わることを望み、旭化成工業(現:旭化成株式会社)に入社した。
リチウムイオン電池の開発
1980年代携帯電話ノートパソコンなどの携帯機器の開発により、高容量で小型軽量な二次電池(充電可能な電池)のニーズが高まったが、従来のニッケル水素電池などでは限界があり新型二次電池が切望されていた。一方、陰極に金属リチウムを用いたリチウム電池による一次電池は商品化されていたが、金属リチウムを用いた二次電池は、充電時に反応性の高い金属リチウムが針状・樹枝状の結晶形態(デンドライト)で析出して発火・爆発する危険があり、また、デンドライトの生成により表面積が増大したリチウムの副反応により、充電と放電を繰り返すと性能が著しく劣化してしまうという非常な難点があるために、現在でもまだ実用化はされてはいない。
  吉野は、白川英樹2000年ノーベル化学賞受賞者)が発見した電気を通すプラスチックであるポリアセチレンに注目して、それが有機溶媒を使った二次電池の負極に適していることを1981年に見いだした。さらに、正極にはジョン・グッドイナフらが1980年に発見したリチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウム(LiCoO2)などのリチウム遷移金属酸化物を用いて、リチウムイオン二次電池の原型を1983年に創出した。
  しかし、ポリアセチレンは真比重が低く電池容量が高くならないことや電極材料として不安定であるという問題があった。そこで、炭素材料を負極として、リチウムを含有するLiCoO2を正極とする新しい二次電池であるリチウムイオン二次電池(LIB) の基本概念を1985年に確立した。吉野が次の点に着目したことによりLIB(リチウムイオン・バッテリー)が誕生した。

正極にLiCoO2を用いることで、正極自体がリチウムを含有するため、負極に金属リチウムを用いる必要がないので安全である
4V級の高い電位を持ち、そのため高容量が得られる負極に炭素材料を用いることで、炭素材料がリチウムを吸蔵するため、金属リチウムが電池中に存在しないので本質的に安全であるリチウムの吸蔵量が多く高容量が得られる
  また、特定の結晶構造を持つ炭素材料を見いだし、実用的な炭素負極を実現した。加えて、アルミ箔を正極集電体に用いる技術や、安全性を確保するための機能性セパレータなどの本質的な電池の構成要素に関する技術を確立し、さらに安全素子技術[21]、保護回路・充放電技術、電極構造・電池構造等の技術を開発し、さらに安全でかつ、出力電圧が金属リチウム二次電池に近い電池の実用化に成功して、ほぼ現在のLIBの構成を完成させた。1986年、LIBのプロトタイプが試験生産され、米国DOT(運輸省、Department of Transportation)の「金属リチウム電池とは異なる」との認定を受け、プリマーケッティングが開始された。
  しかし、商品化に1993年まで掛かった吉野とエイ・ティーバッテリ-(当時、旭化成と東芝の合弁会社、2004年解散)は出遅れ、世界初のリチウムイオン二次電池(LIB)は西美緒率いるソニー・エナジー・テックにより1990年に実用化、1991年に商品化された。現在、リチウムイオン二次電池(LIB)は携帯電話ノートパソコンデジタルカメラビデオ、携帯用音楽プレイヤーをはじめ幅広い電子・電気機器に搭載され、2010年にはLIB市場は1兆円規模に成長した。小型で軽量なLIBが搭載されることで携帯用IT機器の利便性は大いに増大し、迅速で正確な情報伝達とそれに伴う安全性の向上・生産性の向上・生活の質的改善などに多大な貢献をしている。また、LIBは、エコカーと呼ばれる自動車EVHEV、P-HEV)や鉄道などの交通機関の動力源として実用化が進んでおり、電力の平準化やスマートグリッドのための蓄電装置としても精力的に研究がなされている。他には、ロケット人工衛星、小惑星探査機はやぶさはやぶさ2こうのとり(HTV)、国際宇宙ステーション(ISS)などの宇宙開発分野、そうりゅう型潜水艦11番艦のおうりゅうなどの軍艦にも搭載されている


山中伸弥
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山中 伸弥1962年昭和37年)9月4日 - )は、日本医学者京都大学iPS細胞研究所所長・教授カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員、日本学士院会員。学位大阪市立大学博士(医学)。その他称号としては京都市名誉市民東大阪市名誉市民、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士など。文化勲章受章者。
「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞ジョン・ガードンと共同受賞した
生い立ち〜学生時代
大阪府枚岡市(現:東大阪市枚岡地区)に生まれる。小学3年生まで枚岡東小学校。青和小学校に転校。小学校時代から大学1回生まで、奈良県奈良市学園前に転居し同地で育つ。]
  大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎時代、父から医師になることを勧められたものの、将来の進路に迷っていた。しかし徳田虎雄の著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田の生き方に感銘を受けて医師になることを決意したという。中学高校から大学2年まで柔道、大学3年からはラグビーをし、高校時代に柔道二段を取得。中学3年では生徒会副会長も務めた
臨床医志望から研究者志望へ
神戸大学医学部医学科卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。学生時代、柔道やラグビーで10回以上骨折するなどケガが日常茶飯事だったため整形外科の道を選んだが、研修では「この世の物とは思えないくらい怖い先生(本人談)」が待ち受けていて、他の医者と比べて技術面において不器用であったことから、指導医からは時に罵倒され、周囲からは「ジャマナカ」と呼ばれることもあり、「向いていない」と痛感したという。重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立てを研究するために研究者を志すようになった
iPS細胞の研究
すぐに新しいことをやりたくなる飽きやすい性格であるといい、整形外科の仕事を単調に感じてしまったこともあり、病院退職、1989年(平成元年)に大阪市立大学大学院に入学。山本研二郎が教授を務めていた薬理学教室で、三浦克之講師の指導の下、研究を開始。当初はいずれ臨床医に戻るつもりだったという。指導教官の三浦は「非常に優秀ながら時間を効率的に使い、適当な時間になると研究を切り上げ帰宅していた。誰にでも好かれるさわやかな性格だった。」と述懐する。1993年、論文 "Putative Mechanism of Hypotensive Action of Platelet-Activating Factor in Dogs"(「麻酔イヌにおける血小板活性化因子の降圧機序」)を提出し、博士(医学)の学位を取得。しかし、学位取得後は、どうやったら人の3倍研究できるかを考えて研究に従事。ほとんど寝ずに研究を行うことも多く、ハードワークでは誰にも負けない自信があったという。
  科学雑誌のあらゆる公募に応募し、採用されたカリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所へ博士研究員として留学。トーマス・イネラリティ教授の指導の下、iPS細胞研究を始める。
  その後、帰国して日本学術振興会特別研究員 (PD) を経たのち、日本の医学界に戻り、岩尾洋教授の下、大阪市立大学薬理学教室助手に就任。しかし、(就任直後当時の)研究環境の米国との落差に悪戦苦闘の日々が始まるようになる。アメリカ合衆国と異なりネズミの管理担当者がおらず、ネズミの管理に忙殺された。また当時としてはiPS細胞の有用性が医学研究の世界において重視されておらず、すぐに役立つ薬の研究をしなかったため、周囲の理解を得られずに批判される毎日が続き、半分うつ病状態になった。基礎研究を諦め、研究医より給料の良い整形外科医へ戻ろうと半ば決意した中、科学雑誌で見つけた奈良先端科学技術大学院大学の公募に「どうせだめだろうから、研究職を辞めるきっかけのために。」と考え、応募したところ、採用に至り、アメリカ時代と似た研究環境の中で再び基礎研究を再開した。奈良先端大では毎朝構内をジョギングして、体調管理に努めた。
  2003年から科学技術振興機構の支援を受け、5年間で3億円の研究費を得て、研究に従事。研究費支給の審査の面接をした岸本忠三は「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した。」という。奈良先端科学技術大学院大学でiPS細胞の開発に成功し、2004年(平成16年)に京都大学へ移った。2007年8月からはカリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上級研究員を兼務、同研究所に構えた研究室と日本を月に1度は往復して、研究を行う。
iPS細胞の開発
2006年(平成18年)8月25日の学術雑誌セル京都大学再生医科学研究所教授である山中と特任助手だった高橋和利(現、講師)らによる論文が発表された。論文によると山中らはマウス胚性繊維芽細胞に4つの因子 (Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4) を導入することで ES細胞のように分化多能性を持つマウス人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)を作成した。この作成には、高橋和利と共に山中伸弥研究室の第一期の博士号取得者であった徳澤佳美奈良先端科学技術大学院大学において山中伸弥の下で作成していたFbx15ノックインマウスの存在が、同じく徳澤佳美が見つけていたKlf4の知見と共に重要であったと山中伸弥は回顧している
  2007年(平成19年)11月21日、山中のチームはさらに研究を進め、人間大人皮膚に4種類の発癌遺伝子などの遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似たヒト人工多能性幹 (iPS) 細胞を生成する技術を開発、論文として科学誌セルに発表し、世界的な注目を集めた
また同日、世界で初めてヒト受精卵から ES細胞を作成したウィスコンシン大学教授のジェームズ・トムソンも、山中のマウスiPS細胞生成の研究成果を基に、人間の皮膚に発癌遺伝子などの4種類の遺伝子を導入する方法でヒトiPS細胞を作製する論文を発表した。
  これらの功績により、韓国ソウル大学校教授黄禹錫の論文捏造によって一時停滞していた幹細胞研究が、一気に進むことが期待されている。アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは、研究が発表された2007年11月21日、すぐさまウィスコンシン大学研究に支持を表明するなど世界中で注目を集めた。日本政府も、同年11月23日、5年で70億円を支援することを決定し、同年11月28日には総合科学技術会議で当時の福田康夫内閣総理大臣は資金支援強化を表明した。
iPS細胞の研究資金募金活動と趣味のマラソン
マラソンを趣味とし、奈良先端大時代は毎朝構内をジョギング、京都大学に移ってからも鴨川沿いを昼休みに30分走る[20]。日本に寄付文化を根付かせる事を目的に、寄付募集のためのマラソン大会出場も恒例となっていて、2012年(平成24年)3月11日の京都マラソンで山中自身が完走することを条件に クラウドファンディングと呼ばれる募金方法によるiPS基金へ寄付を呼びかけたところ、金額は1000万円以上の寄付が集まった。マラソンは4時間29分53秒で完走した。なお山中の研究グループには2007年度から2011年度の研究予算として6億円以上が日本学術振興会より拠出されている。2013年10月27日の第3回大阪マラソンに再び募金活動を支援する「チャリティーアンバサダー」として出場。4時間16分38秒で完走した。2015年の京都マラソンでは3時間57分31秒でサブ4を達成した。さらに2017年の京都マラソンでは54歳で3時間27分45秒、2018年の別府大分毎日マラソン大会では55歳で3時間25分20秒と自己ベストを更新した。
ノーベル賞受賞後
授賞式後に預けていた賞状とメダルを受け取った後、記者の一人から「もし可能だったらかじってもらっていいですか」との問いに「そういうことはできません。貴重な物ですから。」と返している。賞状やメダルについては「展示はしません。大切な所に保管しておきます。もう、見ることはないと思います。また一科学者として自分がやるべきことを粛々とやっていきたいと思います。」と述べた。2013年1月、安倍内閣下村博文文部科学相は山中伸弥京都大教授の表敬訪問を受け、iPS細胞研究に対して今後10年で1100億円規模の長期的な支援を行う意向を表明した
  また、受賞の記者会見で「自宅の洗濯機の修理をしている最中に報せが入った」と語っていたことから、野田内閣が閣僚懇談会でノーベル賞受賞の祝い金として洗濯機購入費16万円を贈ることを決定した
事 件
iPS細胞研究所の附属動物実験施設で、2011~13年、飼育室などで管理されていた実験用の遺伝子組み換えマウスが施設内の別の部屋で見つかり、2013年の年末に文部科学省が京大に対して口頭で厳重注意を行った。2014年の3月にこの件で謝罪会見を行った。マウスの施設外への逃亡は確認されなかった。
  STAP細胞問題が社会的な大騒動となっていた2014年の5月1日に、新潮社が、週刊新潮ゴールデンウィーク特大号の目玉記事として、2000年にEMBO Journal誌に発表された論文についての指摘を報道した。この指摘は、STAP騒動の中で知名度を高めていた11jigenが2013年に自身のブログで「捏造指摘ではない」という言葉とともに記載していたものであり、元ネタは2ちゃんねるのスレッド「捏造、不正論文 総合スレネオ2」の240番目のレス(2013年3月30日)と511番目のレス(2013年4月6日)である。広報が指摘を認識していたため事前に調査を済ませていたiPS細胞研究所は、新潮社から連絡されたのを受けて週刊新潮が発売される直前に記者会見を行い、山中が捏造改竄を行ったとは認定されなかったことを発表した。ただし、14年前の実験ノートの一部が見つからなかったことについて山中は謝罪した。謝罪会見の後に、11jigenはこの指摘をしたのは匿名Aだとツイートし、2ちゃんねるで指摘したとされた匿名Aは、ウェブサイト「日本の科学を考える」の中の「捏造問題にもっと怒りを」というトピックにおいて、なぜ謝罪する必要があるのか分からないと言及した(この発言は、2017年1月に管理者によって削除された)。論文を掲載したEMBO Journal誌は不正なしの見解を支持した。この指摘の妥当性や、14年前の実験ノートの保管の不備に謝罪がなされたことについては一部の研究者から疑問が呈され、九州大学中山敬一教授などは「言いがかり」と批判した。一方、ディオバン事件が発覚する契機を作った由井芳樹助教授が、指摘された図7Bの右側の8つの標準偏差の一致は非常に奇妙だとInternational Journal of Stem Cells誌で主張した。ただし、11jigenは、図7BについてはExcel操作のうっかりミスの可能性があると述べている。山中は2014年の新経済連盟イノベーション大賞の授賞式や2016年の近畿大学の卒業式で、この謝罪会見がマウス管理不備の謝罪会見と共に辛かったことを言及した。iPS細胞研究所の年報やニュースレターには、この謝罪会見の報道が行われたことが伏せられずに記載されている
  共著者になっていた2報の論文に研究不正があったとの認定が2015年に熊本大学から発表されたが、山中の研究不正への関与は認められなかった。
  iPS細胞研究所の特定拠点助教が研究不正行為を行ったことが2018年1月に認定された。その監督責任で処分されるとともに、当面の給与を自主返上した


ノーベル賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である。物理学、化学、生理学・ 医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としているが、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い。

沿革
ノーベル賞は、スウェーデン語では Nobelpris(et)(ノベルプリース/ノベルプリーセット)、ノルウェー語ではNobelpris(en)(ノベルプリース(ン))という。1895年に創設され、1901年に初めて授与式が行われた。一方、ノーベル経済学賞は1968年に設立され、1969年に初めての授与が行われた。
  賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 - 1896年12月10日)はスウェーデンの発明家企業家であり、ダイナマイトをはじめとするさまざまな爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし、爆薬や兵器を元に富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックカンヌにて死去するが、このときフランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道した。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去するが、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリスウェーデン人ノルウェー人クラブにおいて署名されていた。
  この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94パーセント、3100万スウェーデン・クローナに及んだ。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった。その後、彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世(1905年まで兼ノルウェー国王)によって公布された。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった。
  ノーベル賞はその歴史と伝統などから権威が高く、不可能に近いことやきわめて困難なことの例えに比喩的にノーベル賞が使われることがある(「それができたらノーベル賞を取れる」など)。
部門
以下の部門から構成される。
    ノーベル物理学賞  ノーベル化学賞  ノーベル生理学・医学賞  ノーベル文学賞  ノーベル平和賞  ノーベル経済学賞
特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門における受賞は、科学分野における世界最高の栄誉であると考えられている。近年は生理学・医学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。
経済学賞について、ノーベル財団は同賞をノーベル賞とは認めておらず、この賞を正式名称または「ノーベル」を冠しない「経済学賞」と呼ぶ。
  複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる。ただし、同時受賞者の立場は対等とは限らず、受賞者の貢献度(Prize share)に応じて賞金が分割される。なお、性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており、過去に国境なき医師団やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などが受賞している。
選考
選考は「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[13]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。
ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイター社は旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表しており、2017年以降は同事業を引き継いだクラリベイト・アナリティクスクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞としてノーベル賞候補を選定発表している。これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただし、ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いため、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予測が難しい所以である。
資格
1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。
  1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことがのちに判明し、問題となった。ただし、授賞決定発表のあとに本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。
授賞式
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手賞状、メダルがそれぞれ贈られる
晩餐会・舞踏会
授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)にて、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する晩餐会が行われる。王室、受賞者などが階段を上がり、2階の別室へと退場したあと晩餐会はお開きとなり、そのまま2階のゴールデンホールという大きな部屋で舞踏会が始まる[17]。平和賞の晩餐会はオスロのグランドホテルで行われ、こちらにはノルウェーの国会、首相および2006年以降はノルウェーの国王夫妻を含めた約250人が招かれている。1979年の平和賞の晩餐会は、受賞者のマザー・テレサが「貧しい人にお金を使ってください」として出席を辞退、開催を中止させ、晩餐会に使うはずだった7,000USドルの費用はインドコルカタ(旧名:カルカッタ)の2,000人のホームレスへのクリスマスの夕食に使われた。これは現時点で唯一の晩餐会が中止になった例である。
1991年にノーベル賞90周年事業の一環として、晩餐会に使う食器類をすべてスウェーデン製に置き換えようとしたが、カトラリーだけはその複雑なデザインゆえに仕上げ研磨ができる技術が国内になく、カトラリーのデザインを担当したゴナ・セリンが懇意にしていた新潟県燕市山崎金属工業に依頼した。食器類など授賞式に使う調度品は、普段は厳重に鍵のかかった倉庫に保管されており、ノーベル賞の晩餐会にのみ使用される。晩餐会で使用されるカトラリーセットは「ノーベルデザインカトラリー」として一般向けにも販売されている。
ドレスコードは燕尾服もしくはナショナルドレス(民族衣装)であるため、川端康成本庶佑紋付羽織袴で出席している。
その他のイベント
受賞者は受賞後にノーベル・レクチャーと呼ばれる記念講演を行うのが通例になっている。その後、受賞者はストックホルム大学やストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願って一斉に「蛙跳び」をするのが慣例となっている。
授与
受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられる。受賞者に与えられる賞金は、ノーベルの遺言に基づき、彼の遺産をノーベル財団が運用して得た利益を原資としている。ただし「経済学賞」は1968年に創設され1969年から授与されたが、その原資はスウェーデン国立銀行の基金による。そのため、この賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」としており、厳密にはノーベル賞には含めない場合も多い。
ノーベル賞の賞金は、過去幾度も変動してきた。ノーベルは遺産を安全な有価証券にすることを指定しており、このため得られる利子額は長年にわたって低いものであり、賞金もそれに連動して設立当初より相対的に低い額にとどまっていた。こうした状況は1946年にノーベル財団が免税となったことと、1950年代に株式への投資が解禁されたことによって改善され、1990年代には設立当初の賞金レベルを回復した。2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。しかしスウェーデンのノーベル財団は2012年6月11日の理事会で、過去10年間にわたって運用益が予想を下回ったことなどを理由として、2012年のノーベル賞受賞者に贈る賞金を2割少ない800万スウェーデン・クローナ(約8,900万円)とすることを決めた。賞金の配分については、受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半する。受賞者が3人(団体)の場合は、「1人ずつが単独の研究による受賞」「3人の共同研究による受賞」であれば3分の1ずつ分けられ、「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば単独受賞の人物が2分の1、共同受賞の2人が残りの2分の1(1人あたり4分の1)を得る形になる。
なお、日本においてはノーベル賞の賞金は所得税法第9条第1項第13号ホにあるように、所得税は非課税となっている。これは、1949年に湯川秀樹が日本人として初のノーベル賞を受賞した際に、賞金への課税について論争が起こったのを受けて改正されたものである
ノーベル賞受賞者を特別待遇する国も多く、アメリカ合衆国では「卓越技能労働者(EB1-EA)」として永住権が取得できるなど、移民や移住に関して簡単な手続きで許可する国が多い。
メダル
受賞時に渡されるメダルは1902年から使用され、ノーベル財団によって商標登録されている。1901年の第1回受賞時にはメダルが間に合わなかったため、第2回からの授与となっている。
メダルには表面にアルフレッド・ノーベルの肖像(横顔)と生没年が記されている。表面のデザインは物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞では同じであるが、平和賞と経済学賞では若干異なる。裏面のデザインは賞によって異なるが、物理学賞と化学賞では共通のデザインで、自然の女神のベールを科学の女神がそっと外して横顔を覗いているデザインとなっている。1980年以前のメダルは24Kの純金であったが、落としただけで曲がってしまったり、傷がつきやすいということもあり、現在では18Kを基材として、24Kでメッキした金メダルが使用されている。重量は約200グラム、直径約6.6センチ。
メダルのレプリカは、受賞者本人が上限を3個として作成してもらうことが許可されている。
2010年までは、スウェーデン政府の機関が制作していたが、予算削減のため2011年からノルウェーの企業に委託されることになった。しかし国内での製造を望む国民の要望が多かったため、2012年からスウェーデンの民間企業で製造されることが決定した。
ガムラスタンにあるノーベル博物館には、ノーベル賞のメダルを模した「メダルチョコ」が売られており、観光客だけではなく授賞式に訪れた受賞者本人も土産として購入するという。益川敏英はこのチョコレートを600個も買い込んで話題となった







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