毒物事件(toxicity)-ドーピング問題-1


2024.01.30-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240131-NT2KWFORRVOVBGHPCDHBD7ZJ3E/
ポニーキャニオン、luz「違法薬物所持の疑いで逮捕」報道は「事実」 契約解除に【報告全文】

  ポニーキャニオンは30日、luzが違法薬物所持の疑いで逮捕されたことは事実であると公表し、同日付で契約解除としたことを発表した。

  サイトでは「一部報道のとおり、luzが違法薬物所持の疑いで逮捕されたことは事実であり、弊社といたしましては、直ちに厳正な措置をもって臨むべきと考えておりましたが、luzの所属事務所である株式会社ESPERANZA及びluzの代理人弁護士より、違法薬物所持の経緯をふまえ、luz本人の同意を得ずに逮捕事実を公表することは人権侵害であり、違法性を帯びる可能性が高い旨の指摘を受けておりました」との経緯を紹介。
  続けて「その後も、公表に向けた準備を進めておりましたが、このたびの一部報道により、逮捕事実が公表されることとなりましたため、違法薬物所持の経緯にかかわらず、逮捕事実をあらためて重く受け止め、本日付でluzとの契約を解除」と発表した。
■報告全文
  弊社契約アーティスト「luz」の契約解除について
  このたび、弊社契約アーティスト「luz」が、違法薬物所持の疑いで逮捕されたことにつきまして、関係者の皆様並びにファンの皆様へご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます。
  一部報道のとおり、luzが違法薬物所持の疑いで逮捕されたことは事実であり、弊社といたしましては、直ちに厳正な措置をもって臨むべきと考えておりましたが、luzの所属事務所である株式会社ESPERANZA及びluzの代理人弁護士より、違法薬物所持の経緯をふまえ、luz本人の同意を得ずに逮捕事実を公表することは人権侵害であり、違法性を帯びる可能性が高い旨の指摘を受けておりました。 
  その後も、公表に向けた準備を進めておりましたが、このたびの一部報道により、逮捕事実が公表されることとなりましたため、違法薬物所持の経緯にかかわらず、逮捕事実をあらためて重く受け止め、本日付でluzとの契約を解除し、弊社からリリースしているluz本人名義の作品につきましては、  ・CD/グッズ商品の出荷停止  ・音楽配信停止  を順次進めてまいります。
  また、4月20日に予定していた配信ライブ「luz 9th TOUR -AMULET CEREMONY- ONLINE」及び、開催延期となっておりました下記リリースイベントは、開催中止といたします。なお、開催中止に伴う対応につきましては、後日別途ご案内させていただきます。
  1月20日(土) アニメイト秋葉原1号館 7Fイベントスペース  1月21日(日) アニメイトアネックス 4F(池袋)  あらためて、これまでluzを支えていただいた関係者の皆様、ファンの皆様に深くお詫び申し上げます。
2024年1月30日
株式会社ポニーキャニオン



2022.03.03-新潟日報-https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/33191
名張事件、再審認めず故奥西元死刑囚に名古屋高裁

  三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件で、名古屋高裁(鹿野伸二裁判長)は3日、2015年に89歳で獄中死した奥西勝元死刑囚の再審開始を認めない決定をした。妹の岡美代子さん(92)による第10次再審請求の棄却決定への異議審。弁護団は決定を不服として特別抗告する方針で、その場合、最終判断は最高裁に委ねられる。

  事件発生から間もなく61年一審無罪が二審で逆転死刑となり確定、05年に第7次請求審で出された再審開始決定がその後、取り消されるなど異例の経緯をたどった元死刑囚側は自白や物証の信用性に何度も疑義を唱えており、今回の決定を受け再審制度の在り方が改めて問われそうだ。

  確定判決などは、ぶどう酒瓶とふたをつなぐように貼られていた封かん紙が見つかった懇親会会場の公民館の部屋で毒物が混入され、元死刑囚以外に犯行の機会はなかったと認定した。
  異議審で弁護団は、封かん紙から市販ののり成分を検出した、とする新たな鑑定結果を証拠として高裁に提出。「真犯人が毒を混入し封かん紙を貼り直した」と訴えた。
  さらに、検察側が約15年ぶりに開示した懇親会参加者の供述調書に「懇親会開始前に封かん紙が瓶に巻かれていた」との趣旨の記述があるとして、弁護団は確定判決との矛盾を指摘していた。
  奥西元死刑囚は15年10月、八王子医療刑務所で死亡。岡さんが第10次請求を行い、名古屋高裁が17年12月に棄却したため異議を申し立てた。


2021.06.13-Yahoo!Japanニュース(AERA dot)-https://news.yahoo.co.jp/articles/37e4970cf4bc140768a198282b8562f9bff2cabb
【独白】「長女と孫が亡くなった」和歌山カレー事件の林健治さん 16歳孫が変死後、長女が自殺か〈dot.〉

  「虐待の疑い、そして心中事件…。もうアカンとこうがっくりと肩を落とすのは、1998年7月、和歌山市園部で行われていた夏祭りで、屋台のカレーにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒になった和歌山カレー事件に関連した詐欺容疑で逮捕された林健治さん(76)だ。妻の林眞須美死刑囚(59)はカレーに毒物を混入させた殺人容疑で死刑判決が確定し、現在、再審請求中だ。

  健治さんと眞須美死刑囚は6月9日、長女Aさん(37)、孫を変死事件でいっぺんに亡くしたという。何があったのか。

   事件が発覚したのは、和歌山市内の集合住宅で9日、健治さんの孫、Bさん(16)が全身打撲による外傷性ショック死したこと。同日午後2時20分ごろ、健治さんの長女Aさんから「帰ってきたら娘(Bさん)の意識がない。血みたいな黒いものを吐いている」と119番通報があったが、搬送先の病院でBさんの死亡が確認された。
   和歌山県警は家庭内で虐待があった疑いがあるとみて、捜査を開始した。しかし、Aさんと妹Cさん(4)がその数時間後、大阪府南部の関西空港近くの海上で浮いているのが見つかり、死亡が確認された。
   死因はAさんが全身打撲による多発外傷、Cさんは水死だった。 県警はAさんがCさんを道連れに、関西空港連絡橋から飛び降りた可能性が高いとみている。
   県警などによると、Bさんが死亡した当時、自宅にはAさん、Aさんの夫、Cさんの4人がいた。Aさんの夫は病院に付き添った後、行方がわからなくなっていたが、和歌山市内の路上で発見。薬物を飲んで自殺を図り、意識が混濁した状態だったという。

   この事件から3日後の12日夜、健治さんの姿は、捜査している和歌山東署にあった。事情聴取の直後、健治さんは涙ぐみながら記者にこう語った。 「死んだBちゃんは長女Aの娘、ワシと眞須美の初孫やろ、居ても立っても居られずに警察に行った。捜査の担当者と話したが、まだ捜査中で、ハッキリとは言えない様子だったが、1時間近く話をした。自殺したのはうちの長女で一緒に亡くなったのはCちゃんであるのは間違いないようだ」
(2)
健治さんと記者の一問一答は次の通り。

   ―最後に長女Aさんや孫のBさんに会ったのは? 「1998年10月に眞須美と一緒に詐欺で逮捕されて、ワシは刑務所に行きや。滋賀刑務所から出所して数か月ほどした、2005年夏ころかな。長女AがBちゃんを連れて、会いに来てくれた。本当にかわいい孫だった。2人と会ったのは、それっきりや。その後、長女は当時の夫といろいろ揉めて、離婚。それもあってか、ワシのところに来づらくなったのかもしれない。それでも長男を通じて、元気にしているとは聞いていた。長女はきょうだいの中では、一番に気丈でしっかりした子だったので、何ら心配していなかったのに…」
  ―事件を聞いて思い当たることは? 「まったくわからない。こんなことになる前に何か相談をしてほしかった」
  ―新たに出された眞須美死刑囚の再審請求と関係があるのか? 「長女やBちゃんの事件は再審請求される前日のこと。それも知らなかったはず」
  ―警察はBさんが虐待を受けていた疑いがあると捜査している。 「長女の自殺後、そういう質問がマスコミからたくさん来ているが、実態はよくわからない」
  ―長女の夫はBさんが病院へ運ばれた時、救急車に乗って付き添ったそうだが、面識は? 「長女が再婚したと聞いていたが、夫とは会ったことはない。警察はこれから夫に話を聞いて、真相解明するのでと教えてくれた」
  ―AさんやBさんとの思い出は? 「長女は眞須美との間にできた4人の子供の最初の子や。制服姿で緊張していた幼稚園の入園式、楽しそうにしていた小学校の運動会、思い出は尽きない。Bちゃんとは1回しか会っていないが、目がクリっとして愛くるしい表情、小さな手は今も目に浮かぶわ。なぜこんなことになってしまったのか…。つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない」  和歌山カレー事件を長い間、取材した記者は亡くなった健治さんの長女Aさんとは面識があった。両親の支援集会や弁護団会議によく姿を見せていたのでAさんと話す機会が何度もあったのだ。
(3)
  「お母さんは絶対にカレー事件はやってない。私も事件の日は何度かカレーの調理現場に行って、様子を見ているから間違いない」
  Aさんは熱心に眞須美死刑囚の無実を訴えていた。4人きょうだいの一番上だったAさんは事件当時、まだ中学生だった。両親の逮捕後は施設で過ごすことになった。事件直後、記者は何度も林家に取材に行った。多くの記者が自宅を訪れると、一番下の妹をさりげなく、見えないところに連れて行き、配慮するAさんの姿をよく見かけた。
   「事件でマスコミが大挙して押しかけて来た頃、妹には事情をわかってほしくないから遠ざけるようにしていた。私は母も父もカレー事件には関係していないので、絶対に逮捕されないと信じていた」
   Aさんは当時の心境をこう振り返って話してくれた。長女らしく、きょうだいのまとめ役で、両親が逮捕された後、和歌山市内の拘置所に行き 「お父さんを返せ、お母さんを返せときょうだいを引き連れて拘置所の前で大声で怒鳴ったこともあった」とAさん。
   弁護団会議の取材で会った当時はもう就職し、ガス器具販売のセールスの仕事についていた。 「私、営業成績がけっこうええねん。お母さんも保険でバリバリと売っていたからそのおかげかもしれへんわ」
   Aさんは記者にこう打ち明けてくれた。20歳代前半で結婚し、生まれたのがBさんだった。幼いBさんの写真を手にしながらAさんは「本当にかわいいでしょう」と顔をほころばせていた。仕事も家庭も充実していたように見えた。
   だが、健治さんによれば、Aさんは後に離婚。数年前には、別の男性と結婚し、新しい家庭を持った矢先の出来事だった。ご冥福をお祈りするばかりだ。
(AERAdot.編集部 今西憲之)


2021.06.11-Yahoo!Japanニュース(朝日新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/3ffe8b8d06d69dd30e5f20b64cc0d7fa1e16ce46
和歌山で死亡の少女 虐待の疑いも 母親は妹連れ自殺か

  和歌山市内の集合住宅で9日に少女が死亡した事件で、和歌山県警は11日、死亡したのはこの住宅に住む鶴崎心桜(こころ)さん(16)で、死因は全身打撲による外傷性ショックだったと発表した。

  県警は家庭内で虐待があった疑いがあるとみて、同居の母親とその夫の関与について調べている。

   母親(37)と鶴崎さんの妹(4)は9日午後、大阪府南部の海上で浮いているのが見つかり、死亡が確認された。死因は母親が全身打撲による多発外傷、妹は水死だった。県警は母親が妹を道連れに、近くの関西空港連絡橋から飛び降りた可能性が高いとみている。

   県警などによると、9日午後2時20分ごろ、母親から「帰ってきたら娘の意識と呼吸がない。血みたいな黒いものを吐いている」と119番通報があった。鶴崎さんは搬送先の病院で死亡が確認された。当時、自宅には鶴崎さんと母、母の夫、妹がいた。夫は妹の実父で、鶴崎さんとは血縁がないという。病院には夫が同行したという。
   和歌山市消防局によると、9日午後11時10分ごろ、通行人からの通報で救急隊員が同市の和歌山港に駆けつけると、夫が路上に座り込んでいた。「精神的に嫌なことがあり、カフェインを服用して首をつろうとしたが、失敗した」と説明したといい、病院に搬送されたという。

   鶴崎さんに関しては、2013年6月、虐待を受けているとの通告が県の児童相談所にあった。児相による保護者らへの指導で改善がみられ、14年1月に対応を終了したという。県警に相談などはなかったという。


2021.06.10-東京新聞-https://www.tokyo-np.co.jp/article/109719
毒物カレー事件で再審請求 「第三者の犯行」と主張

  1998年に和歌山市で4人が死亡した毒物カレー事件で、殺人罪などで2009年に死刑が確定した林真須美死刑囚(59)の弁護人を務める生田暉雄弁護士は9日、和歌山地裁に新たに再審請求を申し立てたと明らかにした。5月31日付。「第三者による犯行は明白で、林死刑囚は無罪」と主張している。
  林死刑囚は死刑確定後の09年7月に既に再審請求をしており、再審を認めなかった20年3月の大阪高裁決定を不服として最高裁に特別抗告中。生田弁護士は「異なる申し立ての理由があれば、さらに再審請求できる」と説明している。

  生田弁護士は「無罪とするべき明らかな新証拠を発見した」と主張。



和歌山毒物カレー事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  和歌山毒物カレー事件とは、1998年平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別大量殺傷事件である。地区で行われた夏祭りにおいて提供されたカレーライス毒物が混入され、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡した。和歌山カレー事件とも呼ばれる。
  主婦の林 眞須美(はやし ますみ)が、被疑者として逮捕被告人として起訴され、殺人・殺人未遂・詐欺の罪に問われた。林は無罪を訴えたが、第一審死刑判決を受け、控訴上告も棄却されたため、2009年(平成21年)5月19日最高裁判所で死刑が確定した2020年令和2年)9月27日時点で林眞須美は死刑囚として大阪拘置所収監されている2021年(令和3年)6月時点で、林は和歌山地裁へ第1次および第2次再審請求を行っている。

  地域の夏祭りでの毒物混入事件であり、不特定多数の住民らを殺傷するという残忍性、当初の「集団食中毒」から、「青酸化合物混入」、「ヒ素混入」と原因の見立てや報道が二転、三転したこと、住民らの疑心暗鬼や犯人に関する密告合戦、さらには住民の数を上回るマスメディア関係者が2か月以上も居座り続けるという異常な報道態勢などが連日伝えられた

事件発生
  1998年(平成10年)7月25日、和歌山市園部地区の新興住宅地にある自治会(和歌山市園部第14自治会)が主催した夏祭りで、提供されたカレーライスを食べた未成年者30人を含む合計67人腹痛吐き気などを訴えて病院に搬送された。異変に気付いた者が「カレー、ストップ!」と祭りのスタッフにそのカレーライスを出すのを直ちに止めるよう命じ、一連の嘔吐がカレーによるものと発覚した。
  中毒症状を起こした被害者67人のうち、園部第14自治会の自治会長男性A(当時64歳)および副会長男性B(当時53歳)和歌山市立有功小学校4年生の男子児童C(当時10歳)と、私立開智高校1年の女子生徒D(16歳)の計4人が死亡した。被害者は会場で食べた者や、自宅に持ち帰って食べた者などで、嘔吐した場所も様々だったという。

  和歌山県警察および和歌山市保健所は事件発生当初、集団食中毒を疑っていたが、和歌山県警科学捜査研究所が被害者の吐瀉物や容器に残っていたカレーを検査したところ、青酸化合物の反応が検出された。和歌山県警捜査一課は「何者かが毒物を混入した無差別殺人事件の疑いが強い」と断定し、和歌山東警察署に捜査本部を設置した。
  毒物については当初、死亡した自治会長Aの遺体を和歌山県立医科大学において司法解剖した結果、心臓の血液や胃の内容物から青酸化合物が検出されたため、死因を青酸化合物中毒と判断。また、事件発生直後の鑑定では、青酸化合物を使った農薬などの二次製品に含まれる他の物質は検出されなかったため、県警は混入された毒物を「純粋な青酸化合物」に絞り、県外も含めて盗難・紛失事件がなかったか否かを捜査していた一方、ヒ素など他の毒物の検査は行っていなかった。しかし、A以外の死者3人の遺体からは青酸化合物は検出されなかった一方、Aの胃の内容物や、Bの吐瀉物、Cの食べ残しカレーからそれぞれヒ素が検出され、8月2日には捜査本部が「食べ残しのカレーからヒ素が検出された」と発表。同月6日には「混入されたヒ素は、亜ヒ酸またはその化合物」と発表された。

  これを受け、捜査本部から「死因はヒ素中毒だった疑いがある」と報告を受けた警察庁科学警察研究所が新たに鑑定を実施した結果、4人の心臓および自治会長以外の3人の心臓から採取した血液から、それぞれヒ素が検出された。これを受け、捜査本部は10月5日、4人の死因を当初の「青酸中毒(およびその疑い)」から「ヒ素中毒」に変更した。
逮捕・起訴
  1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で、元保険外交員で主婦の林 眞須美(はやし ますみ、1961年昭和36年〉7月22日- 、事件当時37歳)が、別の詐欺および同未遂容疑をかけられた元シロアリ駆除業者の夫・林健治とともに和歌山県警捜査一課・和歌山東警察署による捜査本部に逮捕され、2人とも同月25日に和歌山地方検察庁から起訴された。

  10月26日には、眞須美が別の殺人未遂および詐欺容疑で、健治も眞須美と同じ詐欺容疑でそれぞれ再逮捕され、11月17日に追起訴された。
  11月18日、眞須美は健治らに対する殺人未遂容疑などで、健治も詐欺容疑で再逮捕され、12月9日には眞須美と健治がそれぞれ詐欺罪で起訴されたほか、眞須美は健治らを被害者とする殺人未遂罪でも追起訴された。
  さらに12月9日には、カレーの鍋に亜ヒ酸を混入した殺人と殺人未遂の容疑で眞須美が再逮捕された。同年末の12月29日に眞須美は和歌山地検により、殺人と殺人未遂の罪で和歌山地方裁判所へ起訴された。
刑事裁判
第一審
  林は容疑を全面否認したまま裁判へと臨み、1999年(平成11年)5月13日に和歌山地方裁判所(小川育央裁判長)で開かれた第一審の初公判では、5,220人の傍聴希望者が傍聴券抽選会場の和歌山城砂の丸広場に集まった。これはオウム真理教事件麻原彰晃覚せい剤取締法違反の酒井法子に次ぎ、犯行前に無名だった人物としては最多である。裁判で和歌山地方検察庁が提出した証拠は約1,700点。1審の開廷数は95回、約3年7か月に及んだ。2002年(平成14年)12月11日に開かれた第一審判決公判で和歌山地裁(小川育央裁判長)は被告人・林の殺意とヒ素混入を認めた上で「4人もの命が奪われた結果はあまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきだ」と断罪し、検察側の求刑通り被告人・林に死刑判決を言い渡した。被告人・林は判決を不服として大阪高等裁判所に即日控訴した。
  一方、保険金詐欺事件の共犯として起訴された健治は懲役6年の実刑判決を受け、滋賀刑務所に服役したが、2005年(平成17年)6月7日に刑期を満了し、出所した。
控訴審
  大阪高裁(白井万久裁判長)での控訴審初公判は2004年(平成16年)4月20日に開かれ、結審まで12回を要した。2005年6月28日の控訴審判決公判で、大阪高裁は「カレー事件の犯人であることに疑いの余地はない」として、第一審の死刑判決を支持し、被告人・林側の控訴を棄却する判決を言い渡した。被告人・林は判決を不服として同日付で最高裁判所上告した。
上告審
  直接証拠もなく、自白も無く黙秘権を行使し、動機の解明も出来ていない状況の中、弁護側が「地域住民に対して無差別殺人を行う動機は全くない」と主張したのに対し、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は2009年(平成21年)4月21日の判決で「動機が解明されていないことは、被告人が犯人であるとの認定を左右するものではない」と述べ、動機を解明することにこだわる必要がないという姿勢を示した上で、「鑑定結果や状況証拠から、被告人が犯人であることは証明された」と述べ、林側の上告を棄却する判決を言い渡した。
  被告人・林は2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却され、翌日(2009年5月19日)付で林の死刑が確定。これにより林は、戦後日本では11人目の女性死刑囚となり、同年6月3日以降は死刑確定者処遇に切り替わった。
再審請求
  死刑囚・林は2020年9月27日時点で死刑囚として大阪拘置所収監されている一方、2009年7月22日付で和歌山地裁に再審を請求した。林とその弁護団は「無罪を言い渡すべき新たな証拠」として「祭り会場に残された紙コップのヒ素が自宅から発見されたものとは異なる。京都大学の研究者の鑑定からも『事件当時のヒ素の鑑定方法は問題がある』ことは明らかだ」と主張した。
  2014年(平成26年)3月、林は支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・北大阪合同労働組合執行委員長・稲垣浩養子縁組している。この養子縁組は、本人との定期的な面会を行うためと見られる

  2009年7月の再審請求は和歌山地裁(浅見健次郎裁判長)の2017年(平成29年)3月29日付決定により棄却され、これを不服とした林は2017年4月3日までに大阪高裁に即時抗告した。しかし大阪高裁(樋口裕晃裁判長)は2020年(令和2年)3月24日付で死刑囚・林の即時抗告を棄却する決定を出したため、林はこれを不服として同年4月8日付で最高裁に特別抗告を行った。一方、特別抗告中の2021年5月には「事件は第三者による犯行」として和歌山地裁に第2次再審請求を行い、同月31日付で受理された。
  また、林は長男と手紙のやり取りをしており、長男が2019年(令和元年)5月3日にTwitterで公開した林からの3枚の手紙には、最も重要視されている近隣住民の目撃証言で「白いTシャツ」を着ていたとされる点に触れ、他の主婦らは黒っぽい服装をしていたと証言し、当の眞須美も黒いTシャツを着ていたと述べていたが、この手紙の中でも再三「黒色のTシャツ」を着ていたことを強調して述べている。

  2021年5月31日、新たに和歌山地裁に再審請求を申し立てた(生田暉雄弁護士)ことが、同年6月9日に明らかにされた。同日には、眞須美の長女(当時37歳)とその長女(当時16歳)、および次女(当時4歳)が死亡した。眞須美の長女は自殺とみられ、次女とともに関西国際空港連絡橋から飛び降りたとみられる。
裁判上の特記事項
  1審において被告人が完全黙秘を貫いたことに対して、メディアが批判的な報道を行ったため、和歌山地方裁判所の判決文において、黙秘権の意義に関し、もっぱらメディア向けとみられる一般的な判示がなされるなど、刑事裁判の在り方の点から見ても特異な事件となった。
ビデオ映像の証拠採用
  裁判では、被告人が事件について語りテレビで放送された「ビデオ映像の証拠採用」についても争点となった。これは事案の重大性の中で黙秘を続ける被告人の事件に関する言葉が得られない中で、テレビ局の取材に対して被告人が事件に関するインタビューに応じているという事情があったため、真実解明という点で検察がテレビ局の被告人に対するインタビュー映像の証拠申請をしていた。 それに対し、報道機関はビデオ映像を証拠採用されることは取材方法に対する権力の介入として反発し、弁護側も誘導による不正確な発言および意図的な編集の可能性から証拠採用に反対した。 裁判所は数少ない被告人の事件に関する証言として、民放4社6番組から収録されたインタビュー映像計約13分間分を「言動が趣旨を異にすることなく再現されている」として供述録取書として採用した。また裁判所は「報道機関が報道し、国民の多くが知っている情報を、なぜ真実の追求を目的とする刑事裁判で証拠としてはならないのか、理解に苦しむ」と判決文で述べ、ビデオ映像採用に反発する報道機関に苦言を呈した。
被害者の症状
  本事件で生存した63名について、和歌山県立医科大学皮膚科が行った調査がある。たとえば、事件後2週間に被害者の多くに共通して見られた兆候は、次のとおりであった。
  ・吐気 92% ・嘔吐 94% ・下痢 54% ・低カリウム血症 60% ・白血球増加 60% ・QT延長症候群 51%
冤罪疑惑
  本事件の特徴として「直接的な証拠が一切存在しない」という点が挙げられる。
  そのため、例えば「実際には家族や知人が毒を入れていたのに、被告人がそれを庇っている可能性」や「誰かに陥れられた可能性」などを否定できず、冤罪の疑惑がある事件として有識者からも問題点を指摘されている。
証拠も動機もない
  ・「批判を承知であえて言えば、本人が容疑を否認し、確たる証拠はない。そして動機もない。このような状況で死刑判決が確定してよいのだろうか?」(田原総一朗)。
  ・「私のわだかまりも、この『状況証拠のみ』と『動機未解明』の2点にある。事件に、林被告宅にあったヒ素が使われたことは間違いない。ただし、そのヒ素に足があったわけではあるまいし、勝手にカレー鍋に飛び込むわけがない。だれかが林被告宅のヒ素をカレー鍋まで持って行ったことは確かなのだ。だが、果たしてそれは本当に林被告なのか、どうしたって、わだかまりが残るのだ。」(大谷昭宏)。
  ・「動機未解明で有罪にすること自体はありえますが、動機というのは非常に有力な状況証拠です。動機がないなら証拠が一部欠けているということなので、他の証拠はそのぶんしっかりしてないといけません。しかし、他の証拠をみても、自白はなく、鑑定に問題はあり、原則禁じられた類似事実による立証をやっている。本件の場合は動機がないなら、全体的な証拠構造が問題です」「人は普通、動機がないと人を殺しません。しかもこの事件の場合、犯人が誰を殺そうとしたのかもわからない。動機がないと真相がわからない事案だけに、余計に、動機なしでいいのかな、と思いますね」(白取祐司
黙秘権の侵害
  ・「2審判決は『誠実に事実を語ったことなど1度もなかったはずの被告人が、突然真相を吐露し始めたなどとは到底考えられない』と言ったが、これは実質的に黙秘権侵害です」(小田幸児 - 林の1審、2審、上告審弁護人)
曖昧な目撃証言
  ・事件当時から目撃証言などの状況証拠を積み重ねてきたが、その中には不自然でつじつまの合わない証言も多く、関係者から疑問視されるケースもある。
  ・被告の次女は、「林死刑囚がカレー鍋の見張りを離れた時間が20分以上あり、他の人物が毒物を入れる機会はあった」と主張している。なお、身内による証言ということもあり、和歌山地裁はこの証言を証拠に採用しないことを決定した。
  ・「林眞須美しか、カレーにヒ素を混入する機会がなかった」という結論は、警察が住民らの証言をもとに1分刻みのタイムテーブルを作成し、「消去法」によって導き出したものであった。ところが事件直後の朝日新聞の報道では、時間の証言に裏付けのある人はまれで、総合すると最大で50分前後の開きがあった。ここから、1分刻みのタイムテーブルを作ったことが疑問視されている。
  ・事件発生直後、カレーライスを担当した主婦のうち1人が、「知らない人も出入りしたが、当番でコンビを組んだ相手の知り合いと思った」(朝日新聞)と述べている。それにも関わらず、「犯人は夏祭りの関係者の中にいる」という前提で、「消去法」による捜査が行われた。
  ・眞須美が「調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていた」という目撃証言についても、服の色や髪の長さなどから、目撃者が見たのは眞須美ではなく、次女である可能性が高い。しかも次女がふたを開けた鍋は、2つあったカレー鍋のうち、ヒ素が混入されていない方であった。ヒ素が混入された鍋は、目撃者からは死角になり見えなかったことが、死刑確定後の再調査によって明らかになっている。
鑑定の不確かさ
  ・裁判で林の犯行と断定される上での唯一の物証で決定的な証拠となっていた亜ヒ酸の鑑定において、犯行に使われたとみられる現場付近で見つかった紙コップに付着していたヒ素(亜ヒ酸)、林宅の台所のプラスチック容器についていたヒ素、カレーに混入されたヒ素の3つが東京理科大学教授の中井泉による鑑定の結果、組成が同一とされた。しかし、中井は鑑定依頼内容を、林宅のヒ素と紙コップのヒ素とカレーのヒ素の3つにどれだけの差違があるかを証明することではなく、3つの試料を含む林宅周辺にあったヒ素のすべてが同じ輸入業者経由で入ってきたものだったかどうかを調べることだと理解し、それを鑑定で確認したに過ぎなかった。このため有罪の決め手となった3つの試料の差違を詳細に分析はせず、3つの試料を含む10の資料のヒ素がすべて同じ起源であることを確認するための鑑定を行っていたにすぎなかった。林が自宅にあったヒ素を紙コップでカレーに入れたことを裏付けるためには、3つのヒ素の起源が同じであることを証明しただけでは不充分であり、その3つがまったく同一でなければならない。
  ・2012年、弁護側の依頼で鑑定結果の再評価を行った京都大学大学院教授の河合潤により、この3つの間には重大な差違があることがわかり、3つは同一ではないと評価された。また、河合は最高裁でも林を有罪とした根拠とされる、被告人の頭髪からも高濃度のヒ素が検出されたとする鑑定結果についても、過誤があったと指摘している。
夫への誘導尋問問題、司法取引疑惑
  ・林死刑囚の夫・林健治によれば、逮捕された際捜査員より「眞須美はオトせない!頼むから眞須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ!書いてくれたらあんたを八王子の医療刑務所に入れるようにしてやる」と言われたという。これは現在では司法取引に該当するが、当時は司法取引が認められていなかったことには留意が必要である。
  ・上記の件に関しては、2020年10月27日に公開されたYouTube動画でも林健治自身が詳しく語っている。それによると、逮捕から約1週間後、19時ころに検察庁から小寺検事と事務官2名が林邸を訪れた。健治が「確たる証拠証人もなく、ワシも口割ってないのに、なぜ逮捕し勾留しているのか」と質問したのに対し、小寺は「アホ、こんだけ世間を騒がしてマスコミが騒いで、パクッて今さら、間違えましたではすまんやろ」と返答したため、健治が「死刑事案なのに、想像でパクッてしまうんか?」と質したところ「いや、今からそのストーリーをワシが考えてやる」、「しかし、証拠がないから困っている」と言い、健治に向かって眞須美にヒ素を飲まされて殺されかかった被害者として初公判で「私、今でこそ眞須美が憎くて仕方ない。どうぞ、この女を死刑にしてやってくれ」と言って泣けと言った。さらに、小寺は健治の事件の公判も担当することから、求刑も自分が出すので塩梅してやる。ワシに乗れ。ワシに乗ったらお前は身体が不自由だから、エエとこに放り込んでやると言って、八王子の医療刑務所のパンフレットを出し健治に見せたが、そこにはMRIなど最新鋭の医療機器が写っていたという。さらに、今、八王子には角川春樹が収監されているので、彼に本を書いてもらえと言った。小寺は「この事件でワシを出世させてくれ」「ワシもお前と同じで4人子供がいる。よい正月を迎えさせてくれ」と事務官2人とともに土下座をしたという。さらに「お前がどうしても口を割らないのなら、眞須美にひとこと言わせてやる。"私は元日本生命の外交員です。あの日昼頃帰って、主人が何か紙コップに入った薬品のようなものを私に渡して、これカレーの中に入れたら隠し味になって美味しいんで持っていって入れてこいというので、何かわからずに入れました。ヒ素は主人から預かっていたもので、私は知りません。主人の言うままにやっただけです"-これひとこと、眞須美にしゃべられたら、一生お前の人生は裁判になってしまうぞ!」と恫喝したというが、健治が応じなかったため、小寺は手を上げてしまったという。健治も眞須美も検察の供述調書には1枚もサインをしなかった。
  ・ノンフィクションライターの片岡健も2021年5月28日に公開されたYouTube動画で、上記の健治の主張を裏づけるような話をしている。片岡によると、「林眞須美に保険金目的でヒ素や睡眠薬を飲まされた被害者」とされた男6人のうち、健治を含む多くの者がカレー事件発生以前は眞須美と保険金詐欺の共犯関係にあったという。そして健治以外の者たちの何人かは警察によって山奥の警察官官舎に3、4カ月隔離されるなどしており、このことは、林の死刑判決でも認定されているという。
和歌山県警科捜研主任研究員の証拠捏造報道
  ・2012年、カレー事件を捜査していた和歌山県警科捜研主任研究員が、他の事件で証拠を捏造したとして証拠捏造、有印公文書偽造および行使容疑で書類送検されたことが判明した。しかし、捜査関係者によれば、研究員が携わったカレー事件での捏造はなかったと結論づけている。

本事件の影響
カレーライスのイメージ悪化
  和歌山毒物カレー事件では、報道で「毒入りカレー」の文字が前面に出ていたため、カレーライスのイメージが悪化し、食品会社はカレーのCMを自粛し、料理番組でもカレーライスのレシピ紹介を取りやめた。またテレビアニメ『たこやきマントマン』と『浦安鉄筋家族』では、ストーリーにカレーライスが出る回が放送されなかった。そして、日本ではちょうど夏祭りが各地で開催される時期だったことから、事件後は各地の夏祭りで食事の提供が自粛されるなどの騒動に発展した。
  この他、前述の犠牲者である小学4年生の男子児童は事件当時、和歌山市立有功小学校に通学していたが、同小学校では事件発生から19年が経った2017年時点でも、学校給食の献立でカレーライスが出されていない。
模倣犯の出現
  和歌山毒物カレー事件の後、飲食物に毒物を混入させるといった模倣犯が日本では多数現れた。中でもアジ化ナトリウムは混入が相次ぎ、1999年にはアジ化ナトリウムの管理を徹底させるべく、日本においてアジ化ナトリウムは毒物に指定され、毒物及び劇物取締法による流通規制が行われるに至った。林眞須美が起こした訴訟
  林眞須美は、本事件後に多数の訴訟を起こしたことで知られる。
  その中で「カレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟」では、取材対象に無断で撮影した写真や、無断で描画したイラストを報道した時に、肖像権侵害となるのはどういった場合なのかについて、日本の最高裁判所として初めて基準を示すに至った。この中で最高裁は、撮影や描画された人物の社会的地位、活動内容を鑑みて、撮影や描画を行った場所、目的、さらに、撮影や描画をどのように行ったか、そもそも撮影や描画の必要性があったかを総合し、撮影や描画された側の人物が社会生活上の我慢の限度を超えるかどうかで判断すべきとし、林眞須美の写真や一部のイラストについて違法と判断した
  なお、この訴訟以外にも、例えば2012年に再審請求中の林は、事件の裁判において虚偽の証言をしたとして、100万円の損害賠償を求めて夫を提訴した。
  その他、週刊朝日の調べにより、マスメディア関係者や事件の発生地の地元住民、生命保険会社に勤務していたときの同僚など、計50人ほどを相手に訴訟を起こしていることが判明。しかし、弁護士も立てていないため訴訟の遂行は難しいという。
  かつてメディアを相手に500件以上の訴訟を起こしたロス疑惑三浦和義は生前、林を支援しており、林に対しマスメディアを訴えることを勧め、手紙や面会で方法を伝授していた。これに対し林も「三浦の兄やん、民事で訴えちゃるって、ええこと教えてくれた」と答えた。
  2017年3月、和歌山地裁は請求を棄却したが、弁護団は即時抗告するとともに、有罪を根拠づけたヒ素鑑定を行った東京理科大学教授の中井泉らを相手取り、6500万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起した。
その他
  ・障害者郵便制度悪用事件村木厚子を取調べ中に、担当検察官である國井弘樹は、村木に向かい「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」といい、否認を続けることで冤罪で罪が重くなることを暗示し、自白を迫った
  ・逮捕前、自宅を取り囲む報道関係者たちに笑いながらホースで放水している姿を撮った映像が繰り返し使用され、ふてぶてしい印象付けがメディアによりなされたが、これについて後に夫は、報道が過熱し夜中中取り囲まれたが、彼らが蚊に刺されないよう殺虫剤を持って行ったりしたにもかかわらず、郵便受けから郵便を抜き取ったり、塀にはしごをかけ2階の子供部屋を盗撮したりされたため、眞須美に「あいつらのぼせ上ってるから、記者会見する言うて集めて、上からいっぺん頭冷やしたれ」と命令したとした上で、「いかにもカレーに毒入れそうなおばはんの『絵』」にされたと語っている。
  ・フジテレビジョンニュースJAPAN』で、キャスターの安藤優子が、事件の注目人物であった逮捕前の林に電話インタビューを試みている。逮捕前だったこともあり、注目人物であった林の名前を自主規制音を被せて匿名化していたが、編集ミスで1か所だけ自主規制音が入っていなかったため、その部分だけ「林さんは…」という言葉がのって放送されてしまった。そのため、林から「おかげで外に買い物にも行けない。どうしてくれるのか?」と、猛抗議を受けた。
  ・林夫婦が住んでいた家(木造2階建て住宅・約180 )は2人の逮捕後、無人となり、壁などに落書きされたり、無断で敷地内に侵入したりする者が相次いでいたため、和歌山東警察署パトロールを継続していたが、2000年(平成12年)2月16日未明に放火され、全焼した。そのニュースを聞かされた獄中の林は「ああ、そう」と答えた。林の自宅はその後解体され、土地(約360 ㎡)は競売に出された結果、2004年春に地元自治会が住民からの寄付を募って、380万円で買い取った。そして、住民たちの協議により、花壇として整備された。
  ・2021年5月31日には、新たに和歌山地裁に再審請求を申し立てた(生田暉雄弁護士)が、そのことが明らかにされた同年6月9日には、眞須美の長女(当時37歳)とその長女(当時16歳)、および次女(当時4歳)が死亡した。眞須美の長女は自殺とみられ、次女を道連れに関西国際空港連絡橋から飛び降りたとみられる。橋から飛び降りる約2時間前には、和歌山市内にある長女の自宅で、16歳の長女が心肺停止の状態で発見され、病院に搬送されたものの、その後死亡が確認されていた。長女の死因は全身打撲による外傷性ショックで、腹部の打撲痕のほか、全身に複数のあざがあった。過去には虐待を疑われ、児童相談所に通報されたこともあった。眞須美と面会した親族が、この件を伝えようとすると眞須美は『そんな暗い話はいらん』と、一蹴。長女が関西空港の連絡橋から落ちたらしいと伝えたのみで、2人の孫の死については伝えられなかった。長女は兄妹の中でも最も強い性格と伝えられ、眞須美と健治の支援集会や弁護団会議にもよく姿を見せており、眞須美の無実を訴えていた。眞須美は子と孫の3人を同時に亡くしたことになる。


名張毒ぶどう酒事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  名張毒ぶどう酒事件とは、1961年昭和36年)3月28日の夜に三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で発生した大量殺人事件
  名張市の実質飛地と隣接する奈良県山辺郡山添村にまたがる集落の懇親会酒席で振る舞われたワイン(ぶどう酒)に毒物(農薬・ニッカリンT)が混入され、そのワインを飲んだ女性17人が中毒症状を起こして5人が死亡した。
  「第二の帝銀事件」として世間から騒がれたこの事件で、被疑者被告人として逮捕起訴された奥西勝(おくにし まさる、事件当時35歳)は刑事裁判で死刑判決が確定したが、冤罪を訴えて生前9度にわたる再審請求を起こし、死刑確定から43年間にわたり死刑執行が見送られ続けた一方で、再審請求も認められることなく、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)
  当事件を題材とした出版物・ドキュメンタリー番組・テレビドラマも多く制作されたが、そのほとんどが「当事件は冤罪である」との立場に立ったものである。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。
事件経過
  奥西は1926年大正15年)1月14日に事件の舞台となった名張市葛尾地区で生まれる。
  奥西は1940年(昭和15年)に高等小学校を卒業後、参宮急行電鉄に入社した。奥西は地元では「長身の美男子」として評判で、のちに事件で死亡した奥西の妻も近鉄名張駅で働いており、奥西夫妻は一部親族の反対を受けつつも懸命に説得して結婚し、1男1女の子供に恵まれた。
  1961年3月28日、三重県名張市葛尾の薦原地区公民館葛尾分館(現存しない)で、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。
  捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。
  その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。3人のうち、1人の妻と愛人がともに被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして、三重県警察逮捕された。逮捕直前、奥西は名張警察署記者会見に応じた。しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。
裁判の経過
確定判決
  1964年12月23日、第一審・津地方裁判所小川潤裁判長)は、検察側の死刑求刑を退け、奥西に無罪判決を言い渡した。津地裁は判決理由で、自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、同日、奥西は釈放された。津地方検察庁はこの判決を不服として、名古屋高等裁判所控訴した。
  1969年9月10日、控訴審・名古屋高裁(上田孝造裁判長)は、第一審の無罪判決を破棄し、奥西に逆転死刑判決を言い渡した。奥西は同日、名古屋拘置所収監された。名古屋高裁は、目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたことについて、時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした(弁護側鑑定人の日本大学歯学部助教授は、王冠に残った痕跡から犯人の歯型を確定するのは不可能である、とした)。奥西は判決を不服として最高裁判所上告した。
  1972年6月15日、最高裁判所(岩田誠裁判長)は上告を棄却した。これにより、奥西の死刑が確定判決となった。
再審請求
  1974年1975年1976年1977年1988年と5次にわたる再審請求はすべて棄却された。1980年9月、請求審で初の現場検証、1986年6月、請求審で初の証人尋問1988年12月、名古屋高裁が再審請求を棄却。
  奥西の母親は息子・勝の無実を信じつつ獄中へ励ましの手紙を送り続けていたが1988年に88歳で死去し、「父親が無実を勝ち取ったら一緒に暮らしたい」と願っていた長男も癌のため2010年に62歳で死去した。奥西の長男は遺言として「自分が死んだ知らせは父にはまだ知らせるな。無罪が確定して釈放されたときに知らせてくれ」と遺言していた。
  1993年に名古屋高裁が異議申立の棄却、4月に弁護団が最高裁に特別抗告1997年に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第5次再審請求の棄却、1998年10月に名古屋高裁が第6次再審請求を棄却、弁護団が異議申し立て、1999年9月に名古屋高裁が異議申立の棄却、弁護団が最高裁に特別抗告、2002年4月に最高裁が特別抗告の棄却。
  2002年4月10日に弁護団が名古屋高裁へ第7次再審請求。2005年2月、毒の特定で弁護側鑑定人を証人尋問した。
  2005年4月5日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)は再審開始を決定した。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスが見つかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。なお、小出錞一は2006年2月に依願退官した。
  しかし同年4月8日、検察側は、ニッカリンTは析出されていた白い液体の物が回収されずに、事件当時は白い液体と赤い液体と混合して流通していたことなどの異議申立を行った。これを受け、2006年9月に毒の特定について、名古屋高裁は弁護側鑑定人を証人尋問した。2006年12月26日名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)は、再審開始決定を取り消す決定をした(死刑執行停止も取り消し)。
  これに対し、弁護側が2007年1月4日に最高裁に特別抗告したところ、最高裁は2010年4月5日付決定で、犯行に用いられた毒物に関し「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高裁に差し戻した。田原睦夫裁判官は、同最高裁決定で補足意見として「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」と述べている翌日に弁護団は「第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明」を、また同じ日に日本弁護士連合会(会長・宇都宮健児)は「名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明」で、「すでに重大な疑いが存在することは明らか」であるから原決定を取り消したうえで最高裁の判断で再審開始決定すべきだったと述べ、差し戻ししたことを「遺憾である」と批判した。また、日本国民救援会(会長・鈴木亜英)も、2010年4月7日付の会長声明「名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について」で、「『再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りる』という1975年の白鳥決定の見地からすれば、差戻しによってさらに審理を継続させることなく、自判して、再審開始決定を確定させるべきであった」と述べている。
  2010年3月上旬、名古屋拘置所で面会した特別面会人によれば、再審開始が決定された布川事件や、再審無罪が確実視されていた足利事件などに触れた際、奥西は「布川や足利はよかった。私も最高裁決定に非常に期待している」と述べたという。
  2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、検察側の異議申立てを認めて本件の再審開始の取り消しを決定。これに対して被告人弁護側は5月30日最高裁判所へ特別抗告を行った。日本弁護士連合会(日弁連)は「新証拠によって生じた疑問が解消されていないにもかかわらず、検察官も主張しておらず、鑑定人さえ言及していない独自の推論をもって、新証拠が『犯行に用いられた薬剤がニッカリンTではあり得ないということを意味しないことが明らかである』として、再審請求を棄却した」と、この決定を非難している。
  2013年10月16日、最高裁判所第1小法廷桜井龍子裁判長)は名古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別抗告について棄却する決定を下した。
  2013年11月5日、弁護団が名古屋高裁へ第8次再審請求を申立。2014年5月28日、名古屋高裁刑事第1部は請求を認めない決定をした。決定理由で、弁護団が提出した証拠について「全証拠と総合考慮したとしても、確定判決に合理的な疑いを生じさせるものではない」などと指摘。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとはいえず、再審は認められない。第7次請求と同一の証拠、同一の主張で、もともと請求権は消滅していた」と結論づけた。約半年で判断を示した理由として、「奥西死刑囚の健康状態の悪化と加齢の程度」を挙げた。2015年1月9日、第8次再審請求異議審において、同高裁刑事2部も同1部の決定を支持、検察側、弁護側との三者協議を一度も開かずに審理を終え再審請求を却下した。
  2020年10月28日、ぶどう酒瓶の王冠を覆っていた封かん紙から、製造段階とは違う市販の「のり」成分が検出されたとする再鑑定の結果を、第10次再審請求の異議審が行われている名古屋高裁に新証拠として提出した。弁護団は「封かん紙が貼り直されたことが明らかになった。真犯人が偽装工作をした可能性を示している」と主張している。 さらに2021年10月27日には、前年提出した鑑定結果を補強する専門家の意見書などを新証拠として提出した。2022年3月3日、名古屋高裁(第2刑事部・鹿野伸二裁判長)は弁護団の異議申立てを退け、再審請求を認めない決定をした。
奥西の死
  奥西は2012年6月に肺炎を患い体調が悪化、名古屋拘置所から八王子医療刑務所に移送され、人工呼吸器を装着して、寝たきりの状態になっていた。
  2014年4月19日には、日本で生きている死刑囚で日本最高齢となった。2015年5月15日、名古屋高裁へ第9次再審請求を申し立てた。また同日、最高裁への特別抗告を取り下げた。取り下げの理由について、弁護団は「奥西さんの病状を考え、新証拠を早期に裁判所で審理させる必要があると判断した」と説明していた。
  奥西は2015年10月4日午後0時19分、かねて患っていた肺炎のため、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)。奥西の死に伴い、2015年10月15日、名古屋高裁は、第9次再審請求審の終了を決定した。
  2015年11月6日、奥西の妹が名古屋高裁へ第10次再審請求を申立。2017年12月8日、名古屋高裁は再審請求を棄却した。
地域の事情
  事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだった。奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、むしろ奥西の家族をサポートしようという呼びかけが行われた。しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、集落ぐるみで家族への迫害や差別が始まった。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去り市内に転居すると、これを口実に共同墓地にあった奥西の家の墓は墓地隣接の畑に一基だけ追い出された。奥西へ死刑判決が下ったあとに犠牲者慰霊碑が建立された。
  葛尾は事件当時、人口100人程度の集落であった。奥西が無実であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「」に再び波風を立てる結果になることを恐れたとの声もある。一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった。
死亡した人物
  年齢はいずれも事件当時の年齢。
  ・30歳女性(「三奈の会」会長の妻、奥西の隣家)
  ・34歳女性(奥西の妻)
  ・25歳女性(前「三奈の会」会長)
  ・36歳女性
  ・36歳女性(奥西の愛人)







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