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犬・猫食文化-1(虐待)


猫食文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

猫食文化(びょう食)とは、イエネコを食肉に加工し食べることで、世界各地にさまざまな形でみられる。
ネコをペットとして愛玩している人々の感情を害さないよう、犬食とともにタブー視されることが多い。ユダヤ教とイスラームは肉食動物の摂取を禁じているため、信者がネコを食べることは許されない戦時や極貧状態の人々がやむをえずネコを食べるだけでなく、料理法を持っている社会も存在する。
アジア
  日本では幕末までネコが食されることもあった沖縄では肋膜炎気管支炎肺病に効果があるとされ、汁物仕立てにしたマヤーのウシルなどが食べられていた
  中国の両広(広東省および広西チワン族自治区)とベトナム北部では、冬にネコの肉を食べると身体が温まると考える人々がおり、特に高齢者の間で多いが、より寒さの厳しい華北では猫は人間の食べ物と考えられていない。中国では年に400万匹の猫が食べられており、猫の消費は増加傾向にある。街中の飯店では、外国人旅行者に配慮してふつう猫料理は出さない。
  食べられる部位は胃腸とモモ肉で、後者は肉団子にして汁物に入れる。頭部と残りの身は捨てる。広東料理にはヘビ、ネコを鳳凰に見立てた龍虎鳳という料理があり、強壮効果があると信じられている
  現地の動物保護に詳しい弁護士によると、中国国内の猫肉取引は禁じられており、2007年の法律でも「国内で通常食されない食物」の取引には特別な許可が必要としている。華南の飯店で出される猫肉は主に、許可を得たブローカーが安徽省江蘇省から仕入れたものである。2010年1月26日には中国政府が、動物保護の観点から初の取り締まりに乗り出した
  中国ではペットとしてのネコの飼育が増えるにつれ、猫食文化への風当たりが強まり、抗議行動も起こるようになっている。2006年6月には深圳市の有名な猫肉料理店が40名ほどの活動家から襲撃を受け、営業中止に追い込まれた。こうした変化は中国動物保護ネットワーク傘下の中国愛玩動物保護ネットワーク (CCAPN) 結成のおよそ2年後に始まった。40以上の団体が加わったCCAPNは2006年1月、広州市をはじめとする10以上の都市で犬食や猫食に対する抗議運動を行った。2008年にも犬食・猫食が増えていた広州で同様の騒擾が発生し、メディアで報じられた。
  朝鮮では、茹で肉から神経痛関節炎に効く強壮剤がつくられた
  ベトナムではネコ肉を「幸運を呼ぶ」として提供する食堂があり、中国などからの密輸が増えている。
南アメリカ
  ペルーでは猫食は一般的ではないが、アフリカ系ペルー人の多い南部イカ県のチンチャ・アルタと北中部アンカシュ県のワリではフリカセシチューの具に用いられる。チンチャ・アルタでは、9月の聖エフィゲニア(『レゲンダ・アウレア』に登場するエチオピア王の娘)の祭りで料理法を実演している。ワリではペルー高原部でよく食されるモルモットの代用として使われる。ワリ出身の人は俗にミシカンカス と呼ばれるが、これはケチュア語の方言で「焼いたネコ」の意味である。
ヨーロッパ
  スイスの農村ではネコが食されるタイムの小枝を付け合せに添える地域もあるロイターは2004年1月に「スイス料理には仔犬や仔猫も含まれる。流通で販売することは禁止されているが、家庭での犬猫の消費を禁止する法律はなく、国内で毎年何頭のペットが屠殺されているか、把握することは難しい」と報じた
  ドイツの大手メディアであるエクスプレスが2011年に実施したアンケートによると、スイス人回答者の48%は、「ネコを食したことがある」と回答した。一方、猫食禁止を主張しているスイス動物保護団体「SOSシャ・ノワレーグ」創設者は、国民の3%が猫を食しているとしている。
  スペインバスク地方バスク自治州)にもネコのシチューやネコのソースがけのレシピがある。ルイス・リポルはその著書 Llibre de cuina mallorquina (『マヨルカ料理の書』)で、中世のネコの調理法を紹介している。
  中欧ではネコは厳冬期や凶作の年や、戦時に飢えを免れるものとして食されることがあり、2度の世界大戦中、「屋根のウサギ」と呼ばれた。
その他の地域
  アリススプリングス一帯のアボリジニは、野良ネコを焚き火であぶり焼きにする。彼らはネコのシチューのレシピも開発している。この地方の他の住民の一部も「オーストラリア固有の動物相外来種のイエネコによって深刻な脅威にさらされている」という理由からネコを食べるようになった。科学者らは野良ネコを食べることで、体内に危険なバクテリア毒素が入り込むと警鐘を鳴らしている
  カメルーンでは、男性限定で特別な祝い事の折に、ネコを食べることで幸運を祈る地域がある


犬食文化
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犬食文化(けん食)とは、用としてを飼育してそのを食べる習慣、及び犬肉料理の文化の事である。
  中国の一部の地域、ベトナム地域、朝鮮半島地域などの市場では、内臓を除去しただけのそのままの姿のものや小さく解体した形状などで犬肉が販売されている。調理方法は国によって様々である。一方、犬食を忌む地域もある。これには牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域と、西アジアのように食用動物に関する宗教上の忌避が存在する地域がある。世界で食用目的にされている犬は年間約2000万~3000万頭
東南アジア
 中国新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していたためである。黄河流域にも長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢高祖に仕えた武将樊噲がかつて犬の屠畜を業としていたことからもうかがえる。
  しかし、狩猟遊牧を主たる生業とする北方民族は、狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全に寄与する生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。華北では、五胡十六国時代鮮卑など北方遊牧民族の支配を受けた影響から、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級ペルシャ犬を愛好した。
  このため、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が進むに連れて犬食の風習は廃れていった]。また、道教においては、禁葷食である三厭のひとつとされた[7]。但し唐代の『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。
  2014年現在でも中国東北部・南部では犬肉を食べる習慣があり、広東省広西チワン族自治区湖南省雲南省貴州省江蘇省等では、広く犬食の風習が残っている。江蘇省沛県や貴州省関嶺県花江、吉林省延辺朝鮮族自治州は犬肉料理で有名な場所である。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。広東省広州では「狗肉」(広東語カウヨッ)の隠語として「三六」(サムロッ)や「三六香肉」(サムロッヒョンヨッ)と呼ぶが、「3+6=9」で同音の「狗」を表した表現である。おおむね、シチューに似た煮込み料理に加工して食べられる。調理済みのレトルトパックや、冷凍犬肉も流通している。一
  中国新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していたためである。黄河流域にも長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢高祖に仕えた武将樊噲がかつて犬の屠畜を業としていたことからもうかがえる
  しかし、狩猟遊牧を主たる生業とする北方民族は、狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全に寄与する生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。華北では、五胡十六国時代鮮卑など北方遊牧民族の支配を受けた影響から、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級ペルシャ犬を愛好した。このため、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が進むに連れて犬食の風習は廃れていった。また、道教においては、禁葷食である三厭のひとつとされた。但し唐代の『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。
  一般に、中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬によく消費されるが、広西チワン族自治区玉林市では、夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が行われている。
  しかし、中国でも犬肉を食べることへの批判は年々強まっている。中国広西チワン族自治区玉林市で、犬肉を食べる伝統の「犬肉祭り」をめぐり、愛犬家・人気女優が反対しており、食文化だと反論する食堂などとの間で大論争となった。玉林市は「10歩に一軒の犬肉料理店がある」と言われるほど、犬肉食が盛んな地域とされており、犬肉祭りだけで1万匹の犬が食用処理され、表通りでも犬をさばき、至る所に犬の死体が散乱しているなど、規模・残酷さで際立っているとされている。玉林市では犬肉とライチを食べる「玉林ライチ犬肉祭」が1995年から開かれていたが、本物の犬肉だと証明するために業者が客の目の前で犬を殺すため、愛犬家・著名人などから激しい抗議を受けるようになっていた
  浙江省金華市では、犬肉祭をめぐって世論の批判を受け、2011年に600年以上続いていた「金華湖犬肉祭」が廃止されている
  中国は2018年時点で、世界で最も犬肉の消費量が大きい国であり、世界で食用に殺される犬は年間2000万~3000万頭のうち、1000万頭が中国で処理されているが不衛生や処理方法が国外で問題視されている。」
香港
  香港では犬食に嫌悪感の強い英国の支配を受けたため、犬は「猫狗条例」により保護されている。現在も犬肉の流通が禁止されている[1]
台湾
  台湾では「香肉」という呼び名で好事家の食文化として犬食が存在していた。1962年の映画『世界残酷物語』(グァルティエロ・ヤコペッティ監督作品)には、台湾の犬肉料理店が登場しており、檻に入れられた状態の食用犬にされる犬を見ながら、お客が食事をする一幕がある。しかし、2001年1月13日、動物保護法が施行され、食用を目的とした犬や猫の屠殺を禁じられた。2003年12月16日の改正において、販売も罰則対象に含まれるようになった。台湾では以降禁止されている
韓国・北朝鮮
  朝鮮半島でも狗肉は新石器時代から食用とされており、犬食は今なおきわめて盛んである。韓国では犬肉を「개고기(ケゴギ)」、北朝鮮では「단고기(タンゴギ)」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。犬料理は、滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。韓国には患者の手術後の回復のために犬肉を差し入れる習慣がある。犬市場としては城南市牡丹市場が有名である。犬から作った犬焼酒(酒ではない)も飲まれている。黒犬には時別効能があるとされる。
  かつて朝鮮半島では人糞を犬に食べさせて飼育する風習があった。犬を人糞で育てる習俗はモンゴルにもあるが、ここでは逆にゲルの成員の糞を与えて育てた犬を、ゲル周辺を警備し、余所者の侵入を防ぐ忠犬として養育するという要素を持つ。また、食肉家畜を人糞で飼育(養豚)するという概念自体は、中国や朝鮮半島の済州島および南方の沿岸地域にも見られた。[要出典]日本国内では沖縄の一部地域で戦後の一時期まで人糞での養豚がおこなわれていた。この飼育方法は中国において漢代に広く行われたものが、のちには沖縄に伝わったものと考えられる。
  韓国の犬肉料理文化は、犬食の習慣を持たない国から問題視されることがある。韓国では、1988年ソウルオリンピック開催に際して、欧米諸国の批判をかわす為、犬食に対する取締りが行われたが、犬肉料理を愛好する人も少なくない為に、店舗名を変更したり(一見して犬肉料理店とわからないような名称にする)大通りから裏通りへ遠ざけられて黙認された。2002年のFIFAワールドカップの際には、FIFAが「犬肉を追放してほしい」と韓国政府に要請してきたが、FIFAの副会長でもあるチョン・モンジュンは拒否した。2006年、韓国国務調整室が行なった調査によると年間200万頭の犬が食べられていた。2008年の調査によると、ソウル市内だけで530店の食堂が犬食を扱っている。違法のため、当局による衛生管理が行なわれておらず社会問題化している
  2008年4月には、ソウル特別市当局が正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行った。これに対し韓国国内の動物愛護団体が反発を強めている。動物愛護団体は城南市で狭い檻に入り犬食文化の反対運動を行なった
  朝鮮半島では韓国だけでも数百万頭の食肉専用に改良された犬種であるヌロンイが、牛や豚と同様の酪農家によって飼育されており、屠殺方法も電気ショックによるシステマチックな方法によるとされ、外圧による安易な犬食禁止は家畜として飼育されている食用犬を無為に全滅させかねない行為であると批判する識者もいる一方で、本来では食用品種ではない犬種、時には野良犬や明らかに愛玩犬であったと思われる犬などが、伝統的とされる撲殺などの残虐な方法で食肉に供されている例が今日でも存在すると主張する者もいる。なお、韓国の法制度では、犬は「家畜」として扱われておらず、犬肉の流通・販売は違法でも適法でもない不明瞭な状態となっている。
  北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として犬肉は珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される。
ベトナム
  ベトナムで犬肉はthịt chó(ティッチョー)またはthịt cầy(ティッカイ、イタチ肉の場合もある)と呼ばれ、中国の影響で中国南部と似た犬食・野味文化がある。ホーチミンなど南部ではそのような文化は皆無であるといわれているが、実際はthịt cầy(ティッカイ、イタチ肉)などと名前を変えて取引されている。犬肉は幸運をもたらすと考えられている
  肉に関しては、国内でまかなわれてきたが需要が増えてきたためラオスカンボジアから輸入される肉も充当されている。ラオスからの肉は、さらに隣国のタイからの密輸品も含まれているとされ、そのタイでは飼い犬がさらわれて多数犠牲となっていることから問題視されるようになった。
  タイからラオスに向けた密輸出量は、タイの獣医師団体によって年間50万頭と推定されている。犬泥棒も増えており、盗んだ者が憤慨した群衆に殺された事件もある。フーコック島では、希少種であるフーコック犬が食べられることもあった。
  朝鮮半島でも狗肉は新石器時代から食用とされており、犬食は今なおきわめて盛んである。韓国では犬肉を「개고기(ケゴギ)」、北朝鮮では「단고기(タンゴギ)」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。犬料理は、滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。韓国には患者の手術後の回復のために犬肉を差し入れる習慣がある。犬市場としては城南市牡丹市場が有名である。犬から作った犬焼酒(酒ではない)も飲まれている。黒犬には時別効能があるとされる。
  かつて朝鮮半島では人糞を犬に食べさせて飼育する風習があった。犬を人糞で育てる習俗はモンゴルにもあるが、ここでは逆にゲルの成員の糞を与えて育てた犬を、ゲル周辺を警備し、余所者の侵入を防ぐ忠犬として養育するという要素を持つ。また、食肉家畜を人糞で飼育(養豚)するという概念自体は、中国や朝鮮半島の済州島および南方の沿岸地域にも見られた。日本国内では沖縄の一部地域で戦後の一時期まで人糞での養豚がおこなわれていた。この飼育方法は中国において漢代に広く行われたものが、のちには沖縄に伝わったものと考えられる
  韓国の犬肉料理文化は、犬食の習慣を持たない国から問題視されることがある。韓国では、1988年ソウルオリンピック開催に際して、欧米諸国の批判をかわす為、犬食に対する取締りが行われたが、犬肉料理を愛好する人も少なくない為に、店舗名を変更したり(一見して犬肉料理店とわからないような名称にする)大通りから裏通りへ遠ざけられて黙認された。2002年のFIFAワールドカップの際には、FIFAが「犬肉を追放してほしい」と韓国政府に要請してきたが、FIFAの副会長でもあるチョン・モンジュンは拒否した。2006年、韓国国務調整室が行なった調査によると年間200万頭の犬が食べられていた。2008年の調査によると、ソウル市内だけで530店の食堂が犬食を扱っている。違法のため、当局による衛生管理が行なわれておらず社会問題化している。
  2008年4月には、ソウル特別市当局が正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行った。これに対し韓国国内の動物愛護団体が反発を強めている。動物愛護団体は城南市で狭い檻に入り犬食文化の反対運動を行なった。
  朝鮮半島では韓国だけでも数百万頭の食肉専用に改良された犬種であるヌロンイが、牛や豚と同様の酪農家によって飼育されており、屠殺方法も電気ショックによるシステマチックな方法によるとされ、外圧による安易な犬食禁止は家畜として飼育されている食用犬を無為に全滅させかねない行為であると批判する識者もいる一方で、本来では食用品種ではない犬種、時には野良犬や明らかに愛玩犬であったと思われる犬などが、伝統的とされる撲殺などの残虐な方法で食肉に供されている例が今日でも存在すると主張する者もいる。
  なお、韓国の法制度では、犬は「家畜」として扱われておらず、犬肉の流通・販売は違法でも適法でもない不明瞭な状態となっている北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として犬肉は珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される
日本
先史・古代
  日本列島では、縄文時代早期から家畜化されたイヌが出現し、縄文犬と呼ばれる。縄文犬の主な用途は猟犬とされており、集落遺跡などの土坑底部から犬の全身骨格が出土する例があり、これを埋葬と解釈し、縄文犬は、猟犬として飼育され、死後は丁重に埋葬されたとする説が一般的になっていた。しかし1990年代になって、縄文人と犬との関係について、定説に再考を迫る発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現:行方市)で発掘調査された縄文中期から後期の於下貝塚からは、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土し、特に1点の犬の上腕骨には、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。。岩手県の蛸ノ浦貝塚など全国各地の遺跡から、狸だけでなく犬・狼・狐なども食べられていた事が判明している。
  弥生時代は、稲作農耕の開始に伴い大陸からブタイノシシなど新たな家畜が伝来し、犬に関しても縄文犬と形質の異なる弥生犬がもたらされる。弥生時代は犬の解体遺棄された骨格の出土例の報告が多くなる。このため、日本に犬食文化が伝播したのは、縄文文化と別の特徴を持つ弥生時代からと見る意見もある。弥生時代に大陸からの渡来人(ここでは弥生人を指す)が日本に伝来し、これに伴い大陸由来の犬食文化と食用の犬が伝来した可能性も考えられている
  古代には『日本書紀天武天皇5年(675年4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシウマイヌニホンザルニワトリ)の肉食が禁止されたことから、犬を食べる習慣があったことはあきらかである。また、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子供を産んだ母犬の餌に米を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸跡では、貴重な米をイヌの餌にしていたらしいが、奈良文化財研究所の金子裕之は、「この米はイヌを太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。以後たびたび禁止令がだされ、表面上は犬食の風習を含め、仏教の影響とともに肉食全般が「穢れ」ることと考えられるようになった
ベトナム
  ベトナムで犬肉はthịt chó(ティッチョー)またはthịt cầy(ティッカイ、イタチ肉の場合もある)と呼ばれ、中国の影響で中国南部と似た犬食・野味文化がある。ホーチミンなど南部ではそのような文化は皆無であるといわれているが、実際はthịt cầy(ティッカイ、イタチ肉)などと名前を変えて取引されている。犬肉は幸運をもたらすと考えられている
  肉に関しては、国内でまかなわれてきたが需要が増えてきたためラオスカンボジアから輸入される肉も充当されている。ラオスからの肉は、さらに隣国のタイからの密輸品も含まれているとされ、そのタイでは飼い犬がさらわれて多数犠牲となっていることから問題視されるようになった。
  タイからラオスに向けた密輸出量は、タイの獣医師団体によって年間50万頭と推定されている。犬泥棒も増えており、盗んだ者が憤慨した群衆に殺された事件もある。フーコック島では、希少種であるフーコック犬が食べられることもあった。











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